「ヴァッシュ・ザ・スタンピードの愛と平和」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
「ヴァッシュ・ザ・スタンピードの愛と平和」(2023/05/19 (金) 21:56:35) の最新版変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
**ヴァッシュ・ザ・スタンピードの愛と平和 ◆LXe12sNRSs
――ヴァッシュ・ザ・スタンピードは、月光の下を歩いていた。
――身に極限の無力感を宿しながら、落とした肩に陰鬱な印象を纏いながら、街中を彷徨う。
どうして彼らは、どうして彼女らは、僕の主張を聞いてくれないのだろう。不思議でならない。
ひょっとして彼らは、彼女らは、話を聞く耳を持ち合わせていないのではないだろうか。
うん、きっとそうに違いない。だから殺し合うばかりしか頭にないのだ。
ああ、なんて愚かなんだろう。そして馬鹿なんだろう。
全員そこに並べ。正座しろ。説教してやる。
議題は――『愛と平和』について。
人間、誰しもハッピーを目指すじゃん?
みんながみんな他人のハッピーを心がければ、世界中がハッピーになるのは必然なわけよ。
じゃあハッピーになるために欠かせないものとはなにか。それが愛と平和。ラブアンドピース。
いがみ合って、憎しみ合って、殺し合ってちゃ絶対に獲得できないものなんだよ。
わかんないかなそれ。なんでわかんないかな。わかっておくれよ。え、無理? そこをなんとか。
ああもうこのわからず屋どもめ。もういい。もうし~らない。勝手にすれば?
さよならばいばい。僕は去ります。後はみんなで勝手に殺し合っててください。んじゃ。
…………………………………………ごめんなさい。嘘つきました。
僕はやっぱり、愛が好きです。平和が好きです。みんなにこの素晴らしさを知ってほしいのです。
諦めきれるものじゃない。むしろ諦めちゃいけない。僕が僕である限り、貫かなくちゃいけない。
ヴァッシュ・ザ・スタンピードの魂が告げる。僕に、そうしなさいと。
うん。やっぱり戻ろう。それがいい。
あの蛇は怖いし、あの黒い人も怖いし、ウルフウッドはなんかチンピラになってたけど、逃げちゃ駄目だ。
なぜって、僕は僕だからさ。あそこで逃げるような男は僕じゃない。偽者だ。けど。
……戻って、どうしよう。僕に、なにができる――?
喋る黒猫も、眼鏡の女性も、槍の人も、男の子と女の子も、みんなみんな、僕の側で死んでしまったというのに。
助けられなかった僕。救えなかった僕。愛と平和を維持できなかった僕に、今さらなにが?
なにも、できないかもしれない。いや、きっとなにもできない。
だけど、僕は戻らなくちゃいけない。たとえ無力だとしても。意味がないとしても。
あ、でも、戻ってどうするんだ僕……? いや、なにもできないけどさ。ああもう、早く戻らなくちゃ。
でも……けど……う~ん……僕は……ぐぬぬ……くあー…………星、綺麗だなぁ。
戻ってから、考えよ。うん。
――道を引き返すべく、ヴァッシュ・ザ・スタンピードは振り返る。
――逃げ出してきた鉄火場へ、再び。愛と平和の素晴らしさを説くために。
――そのときだった。
――振り返ったヴァッシュ・ザ・スタンピードの後頭部に、冷たい威圧感が突き刺さる。
――それが銃口から発せられる凶気であることを、ガンマンであるヴァッシュ・ザ・スタンピードは知っていた。
「君も、人を殺すのかい?」
――振り向かぬまま、ヴァッシュ・ザ・スタンピードは後ろの銃士に問いかける。
――解答は、すぐに。銃を構える男のものにしては、冷厳な声で。
「殺しはしない。賞金がパーになる」
――『カウボーイ』、スパイク・スピーゲルは金に飢えた目で笑った。
◇ ◇ ◇
ヴァッシュ・ザ・スタンピードは去り、鉄火場には三人の男女が残された。
愛と平和の使者たる男がどんな心境でこの場を離脱したのか、三人にはわからないし、気にも留めない。
胸中に宿すのは皆等しく――『殺意』の二文字のみ。
大蛇を駆りし紫の戦姫、藤野静留。
道を外れた牧師、ニコラス・D・ウルフウッド。
死神に見入られようともなお他者に死を与え続ける男、ビシャス。
憎しみ、ストレス、野心と、殺意の根源となる要素はどれも別物だが、成すべき行動は誰もが同一。
一人が二者の命を狙い、一人が二者の命を狙い、一人が二者の命を狙い、三竦み。
数刻前に、ある殺人狂が唱えた催し――バトルロワイアルを体現する戦いが、今も繰り広げられていた。
ただし、この三者入り乱れての戦いは、決して均衡状態にあるわけではない。
物語られるのは、絶対的な力の差。ある一人の闘争者による、ワンサイドゲームが実態だ。
その、優劣の順位において頂点に君臨する少女が、唱える。
「〝玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば、忍ぶることの弱りもぞする〟……意味、わかりおすか?」
紫色の山――とでも形容すればいいだろうか。
自然の山脈に置き換えるのが適切と思えるほど、それは巨大だった。
ビル立ち並ぶ市街地に、どの建造物よりも秀でた巨躯を持つ、蛇が一匹。
胴体の部分から頭が六つに枝分かれしており、その全容はイカのようにも見える。
イメージされるのは、日本神話における怪物、八岐大蛇(やまたのおろち)か。
「結ばれても、祝福どころか迫害しかない恋愛。針の筵としても、禁忌の恋はだからこそ燃え上がる」
左から数えて三つ目の首に、大蛇の主人――いや、母たる少女は立っていた。
鎧を思わせる武骨なドレスを纏い、手には薙刀の一振り。包み込む色彩は、鮮やかな半色(はしたいろ)。
それら外見の印象に、少女本人が持つ艶麗さを掛け合わせれば――《嬌嫣の紫水晶》の名が頭に浮かぶ。
「……うちの好きな言葉どす。なつきを愛した、うちの想いを……象ったような言葉」
藤乃静留。
自身も薙刀の熟練者にして、チャイルドと呼ばれる強大な戦力を備える、最強のHiME。
彼女が愛した女性――玖我なつきの仇敵に向けて、純然たる殺意を放つ。
目的はあだ討ち。突き動かす感情は、憎しみ。
「わかりおすか? ……いえ、わかりやしまへんやろなぁ。あんさんには」
「じゃかあしいわ! 変な方言喋りおって、言いたいことがあんならそっから降りてもっと近くで喋らんかい!」
「お断りします。あんさんと話すことは、もうなにもあらへん」
大蛇の頭の上から、地上を見下ろした先。そこになつきの仇たる牧師はいた。
ニコラス・D・ウルフウッド。両手に西洋の剣を二振り握り、凶悪な目つきで静留を威嚇してくる、チンピラのような男。
そしてその隣には、全身から黒の気配を漂わせる、亡霊のような男が一人。名はビシャス。こちらは満身創痍の死に掛けだ。
残ったのは殺意を持った男が二人だけ。愛と平和の主張者、ヴァッシュはどこぞへ消えた。
戦いを止めたがっていたあの男が、なんの考えあって逃げ出したのかはわからない。それもどうでもいいことだ。
残った二人が殺戮に身を投じるというのであれば、敵として討ち滅ぼすのみ。
チャイルド――清姫の圧倒的戦力を持って。
「喰らいや」
静留の意志に同調するかのように、清姫の首が一斉に蠢いた。
母を乗せた一つだけは待機し、残り五つの首が、牙を剥き出しにして襲い掛かる。
標的は地上の二人、ウルフウッドとビシャス。
――『蛇』の最大の武器とはなにか?
それは、長躯を駆使しての絡みつくような締め。次いで毒や牙が挙がるだろう。
しかし、この蛇の亜種たる清姫にとっての最大の武器は違う。
締めでもなく、毒でもなく、牙でもなく、体重。
爬虫類の規格を超越した巨体が、対人間においては、そのまま強大な矛となる。
ゆえに清姫は、ただ首を突貫させるだけだ。
軽い衝突の一つでもあれば、人間など風に吹かれた木の葉のように弾き飛ぶ。
「おいおい、アカンやろそれは!」
防御がままなるものでもない。ウルフウッドは全力で回避行動に移った。
襲い掛かってくるのは、身の丈を優に越す大質量の砲弾だ。
フットワークを駆使したところで、回避し切れるものではない。
だからこそ、ウルフウッドは全速力で走る。前方から迫り来る首を、左横に避ける。
ビシャスも同様のアクションを取るが、危機は一回の回避では治まらない。
ウルフウッドとビシャスが逃げた先を追うように、第二、第三の首が突撃を仕掛ける。
清姫の首の数は六。つまり、単純に考えて一度の最大攻撃回数も六回なのだ。
「うおっ! どあっ!?」
奇声を上げながら、清姫の攻撃範囲を東奔西走するウルフウッド。
ビシャスもまた、声には出さぬものの苦い顔で攻撃を避け続けている。
それら地上の滑稽な光景を、高所から見下ろす様のなんと気持ちのいいものか。
静留は艶やかに、そして楽しそうに笑い、呪詛を唱える。
「……下手糞な舞踏や。ほれほれ、もっとうちを笑わせておくれやす」
小さな声をサディスティックな笑みに隠し、静留は強者の愉悦に浸る。
相手は清姫の足元にも及ばぬ雑魚。それでいてなつきの命を刈り取った憎き男。
ただ殺すだけでは飽き足りない。じわじわと嬲り殺しにしなくては、この憎しみも癒えはしない。
手を抜いた攻撃で、わざと弱者たちを翻弄する。強者だけに許された特権。
チャイルドの存在は、この実験場においてそれだけ規格外の戦力であった。
敵う者など存在しない。清姫を従える静留こそ、全参加者中最強の人間であると言えた。
「ッ!」
悦に入っていると、不意に地上から反撃の矛が向けられて来た。
仕掛けられたのは、無数の弾丸。攻撃の起点は、今まで睥睨していた眼下から。
ビシャスが清姫の猛攻の隙を縫い、掲げる十字架型の兵器――パニッシャーより放った銃撃だった。
静留は愉悦の表情を潜め、しかし慌てず、自身が乗る清姫の首を僅かに動かすことで、これを回避。
弾丸が虚空に消えた後、清姫に再度ビシャスを襲わせる。
「ヘタクソが! パニッシャー使うんやったらもっとどっしり構えんかい! そんなへっぴり腰じゃ、当たるもんも当たらんわ!」
パニッシャー本来の持ち主であるウルフウッドが、ビシャスに罵声を浴びせる。
ビシャスは当然、これを無視。パニッシャーを掲げ、再び遁走する。
「つか、パニッシャー返せやこのムッツリが! ワイがホンマモンの使い方っちゅうもんを教えたる!」
「…………」
ウルフウッドの注文にも、まったく耳を貸さない。
ビシャスの負っているダメージの深刻さを考えれば、そもそも喋っている余裕などないのだ。
それはウルフウッドにも言えたこと。テンションのままに張り上げた声は、内臓に疲労という名の負荷を与える。
「よう逃げはるわ……清姫」
横への回避をやめ、直線的後退を選択するウルフウッドとビシャス。
静留は逃がすものかと笑みを固め、清姫に進撃を指示する。
舗装された道路、真新しい民家、廃れたビルなどが、這い進む清姫の重圧に押し潰されていく。
ロードローラーが更地を形成するのとはわけが違う。進行が齎すのは破壊の惨状のみ。
清姫の通った跡には灰色の残骸だけが残され、市街は廃墟と化していった。
清姫の進撃から懸命に逃れる二人は、振り返る余裕すらない。
「おい聞けやムッツリが! おまえもあの蛇どうにかしたいやろ!? だったらワイに手ぇ貸せや!」
「…………」
「聞けっちゅうねん!」
徹底的に無視。互いに追われる身ではあるが、二人の間に協定という選択は存在しない。
この場にいる者、全て敵。それは誰もが掲げる殺害方針であり、誰もが虎視眈々と隙を狙う現状。
ウルフウッドがビシャスを、ビシャスがウルフウッドを狙わないのは、静留と清姫の存在を考慮した上での戦略だ。
仮にどちらかが倒れ、静留と一対一の状況に陥ろうものならば、その後の未来は絶望的。
理想としては、片方が静留と凌ぎ合っている隙に、二人まとめて倒す。
狙うのは漁夫の利。なればこそ、手を取り合うのも一つの選択ではないか――しかし、
「…………やはり、邪魔だな」
「は?」
この一日で極大のストレスを背負い込んできたウルフウッドと、懊悩もなく殺戮に殉じてきたビシャスには、決定的に足りない。
合理性を考慮した上でも、他人に足並みを揃えるという意志……つまり、協調性が。致命的なまでに欠如している。
ビシャスが取った行動は、その表れ。
彼は、ウルフウッドが要求していたパニッシャーを、あろうことか背後の清姫に向かって投げ捨てた。
反射的に振り返り、キョトンとした表情で愛器の行く末を見守るウルフウッド。
元々の重量のせいかそれほど飛びもしなかった十字架は、清姫の舌先に絡め取られる。
そして、そのままバクン。
人間が扱うには巨大なそれも、清姫にとっては一飲みだった。
「わ……ワイのパニッシャーがあああぁぁぁ!?」
ウルフウッドが愛用した〝最強の個人兵装〟が、清姫の喉を通過していく。
逃走という観点におけば、その行動は必然。
負傷中のビシャスにとって、パニッシャーの重量は足枷にしかならなかったのだ。
ついにこの手に戻ることのなかった愛銃、その最後が蛇による丸飲みとは、悔やんでも悔やみ切れない。
というよりむしろ、怒りが込み上げてくる。なんでそうなんねん、とツッコミを入れたくなる。
イライラが増す。眉間に皺が寄る。肺がニコチンを要求する。叫びたくなる。
「ええ悲鳴やわぁ……大切なものを奪われる苦しみ、ちょっとはわかりおしたか?
……わかった、なんて口が裂けても言っちゃあきまへんで。うちの復讐は、まだまだこんなもんやない」
静留の胸糞悪い言動で、ウルフウッドの怒りはついに沸点を越えた。
「……ッ、知るかボケがあああああああ!!」
声帯が張り裂けんほどの咆哮を散らし、ウルフウッドはビシャスに向かって襲い掛かった。
デタラメな手つきで二刀のエクスカリバーを振り回し、斬りかかる。
パニッシャーの重量から解放されたビシャスは、不意の襲撃に戸惑うことなく、腰元の愛刀を引き抜く。
剣と刀が交差し、透き通るような金属音が鳴った。
自身の身の丈ほどあるビシャスの刀が、ウルフウッドのエクスカリバーを弾き飛ばした音だった。
ウルフウッドの専門は射撃だ。剣術という分野においては、ビシャスの足元にも及ばない。
加えて、今のウルフウッドはストレスせいか、認識力や判断能力が大幅に欠如している。
ビシャスの刀の間合い、ビシャスの振りの速度など、接近戦における重大な要因が見極められない。
エクスカリバーを弾かれた反動で、自分の胴ががら空きになったとしても、咄嗟の防御には移れない。
残ったもう一振りで、眼前のビシャスを殺そうと体が動く。
この瞬間、ウルフウッドの死は確定した。しかし、
「うらあぁッ……!?」
ビシャスはこの格好の的を、あえて見逃す。
二刀目を振りかぶるウルフウッドには目もくれず、刀を地に対し水平に構えたまま、駆けるは背後。
標的を失った大振りのエクスカリバーが、アスファルトを叩く。我武者羅に込めた力が、ウルフウッドの手を痺れさせた。
「ってコラ! どこ逃げんねん!?」
ウルフウッドからしてみれば、ビシャスの行動はエクスカリバーからの逃走に他ならない。
しかし実際は違う。ビシャスが目指す先は退路ではなく――もっと強大な敵。
ビシャスはウルフウッドとの交戦を拒否し、刀一本で、清姫に向かっていったのだ。
「ほぉ」
ビシャスの勇猛果敢な行動に、静留は嘆息する。同時に、愚か者を見る目つきで嘲笑う。
パニッシャーという強力な兵器を捨て、一振りの刀で清姫を討とうなど、愚かにもほどがある。
ならばお望みどおり死を与えてやろう、と静留は清姫に指示を促した。
六つ首の内の一つが、ビシャスの正面から迫る。
くの字に開いた顎が、ビシャスの小さすぎる体躯を飲み込もうとして、しかし。
「ッ!」
ドンッ、と地を強く踏み跳躍。ビシャスが清姫の額に飛び移る。
清姫が顎を閉じるタイミングに合わせた、軽やかな体捌き。それを可能にする動体視力と、冷静な思考。
異能を持たず、身体の作りを『殺し』に特化させた、純粋な殺し屋だからこそできる芸当。
得物は刃の一振りで事足りる。ビシャスの瞳が狙うのは、自分と同じ、斬れば死ぬ人間なのだから。
「なるほど。ええ判断どすな」
清姫の額に降り立ったビシャスは、そのまま蛇特有の長い首を通路とし、駆け上っていく。
目指す先は、六つの首が集う胴体部。そしてそこから分岐する先……蛇の飼い主が君臨する座。
――ビシャスの最大の武器は、『人間を殺す技術』である。
怪獣退治は専門外。彼が生業とするのは、駆除ではなくあくまでも殺人。人を対象とするのが大前提。
この戦いも、清姫が相手というのであれば逡巡するまでもなく即離脱していただろう。
だが、そうではない。ビシャスが刈り取るべき命は清姫ではなく、清姫を使役する人間、藤乃静留。
彼女を殺しさえすれば、それでビシャスの勝利は確定する。
主がいなくなった後、飼い蛇である清姫がどうなるかはわからぬが、それも知ったことではない。
参加者以外の命など、野望の礎にもならない。静留さえ殺せれば、後はもう放置するだけだ。
「清姫の上でよう動くわ。けど、あきまへんなぁ……」
静留のしたり顔をスイッチに、清姫の首が不気味に蠢く。
ビシャスが駆ける細道が波のように律動し、進行を阻害する。
そもそも踏ん張りが利く足場でもないため、ビシャスはあっさりと振り落とされた――かと思われたが。
「……ほんま、よう動きよる」
足が蛇の首から離されるよりも前に、ビシャスは自らの意志で、それを強く蹴った。
振り落とされる前に、自ら跳んだのである。
着地先は、別の首。
飛び移ってすぐ、それすらも踏み台にし、また高く跳ぶ。
標的、藤乃静留が立つ終着点目指して。
「――ッ!」
言葉はない。一度跳び、二度跳び、静留の位置を跳躍の距離範囲に収めると、ビシャスは寡黙なままに刃を振り抜いた。
蛇による妨害はありえない。その巨躯ゆえに、繊細な動きを困難にさせている。
懐に飛び込んだら防御が難しいのと同じ。清姫は、自身の頭部で起こる主の窮地を救えない。
だが、清姫は動じず――
「……やっぱり、あきまへんなぁ」
――静留もまた、動じない。
「うちの持っとるこれ、飾りに見えますか? 残念……大間違いどす」
跳躍の勢いに乗せた、ビシャスの一閃。しかしその一撃は、静留の持つ薙刀によって容易く防がれてしまう。
ただでさえ、静留が持つ薙刀はエレメント――達人の一振りでも、破壊に至るのは難しい強度を誇る。
加えて、静留本人の技量もある。殺しに精通したビシャスには遠く及ばないものの、彼女もまた、素人というわけではない。
「たくましおすなぁ。あんさんの力……ひしひしと伝わってきよりますわ」
刀の刃と薙刀の刃が、互いに押し合い引き合い、競り合いを続ける。
その間も、清姫の蠢動はやまない。不安定な足場を頼りに、ビシャスは刀身にさらなる力を込めた。
「ただあれやな。殿方にしては、些か軟弱やわ」
ビシャスの太刀に対し、静留が酷評を飛ばす。
快楽に淫したその表情に、尊貴の風はなく。十代女子のものとは思えぬ威圧が、ビシャスの身を押しやる。
薙刀が刀を打ち払う音。
特に力を込めたわけでもなく、ほんの一押しで、ビシャスの身は弾かれるように飛んだ。
静留に有利な揺れる足場、静留の薙刀の技術、そしてなにより、ビシャスの体に蓄積されていたダメージ。
三重の悪条件が、ビシャスを奈落の底へと突き落とす。
「…………ぐっ!」
翼を持たぬビシャスに、蛇の首を這い上がる力はなく。
その手はなにも掴めぬまま、しかし愛刀だけは手放さず、地上へと落下した。
「高いところから見下ろすんは楽しいどすなぁ。落ちていくのが憎たらしいかたきともなれば、また格別やわ」
清姫の眼下、拉げた路上に、ビシャスの身が叩きつけられた。骨が砕ける音が、静留の耳を刺激する。
静留は恍惚とした、それでいて狂気の宿る目で、横這いに蹲るビシャスを睥睨する。
なかなか起き上がってこない。隙だらけ。このまま清姫の餌としてしまおうか。
嗜虐心と理性の狭間で、静留はビシャスへの処断をどうするか考えた。
その、慢心に満ちた隙。
「なに笑っとんねん――」
注意を促すような声が、静留の後方から木霊する。
静留の双眸は地上の滑稽な映像に捉われ、抜け出せない。
「――嬢ちゃんの命(タマ)狙っとるんは、ムッツリだけやないでッ!」
背後――ビシャス同様清姫の体を登ってきた――ウルフウッドが迫っている事実には、気づいていない。
視線を地上に預けたまま、背後ではウルフウッドが剣を振り上げている。
まだ気づかない。気づく気配すらない。
ウルフウッドは爆ぜるように笑い、必殺を確信し、剣を振り下ろした。
が、
「んな!?」
鳴り響いたのは、凶刃が肉を絶つ音ではなく、清姫の分厚い皮膚を叩く音。
ウルフウッドがエクスカリバーを振り下ろした場所には、もう静留の姿はなかった。
消失先は――空。
「残念。大はずれどす」
静留の余裕は崩れない。中空に漂いつつ、ウルフウッドの失策を嘲笑う。
「……空まで飛べんのかい!」
「愛の力は偉大なんですえ?」
翼を持っているわけではない。しかし静留は、その身を宙に浮遊させている。
マテリアライズ――唱えた呪文は、マッハキャリバーの作り出すバリアジャケットに特殊な効果を付加した。
それは、藤乃静留がHiMEであるからなのか。HiMEの持つ高次元物質化能力が、魔法の概念と化学反応を起こしたのか。
もしくは、数多の多元宇宙に存在する『シズル』――もう一人の自分が、愛を証明しようとする静留に恩恵を齎したのか。
真相は知れない。だがこの戦いにおいて重要なのは、藤乃静留が飛行能力を有しているという一点のみ。
清姫の頭上に辿り着くだけでも四苦八苦だったウルフウッドに、空への対処法はない。
「振り落としいや、清姫」
静留の冷酷なる命令が、ウルフウッドを無慈悲の底に突き落とす。
主が上に乗っていないこともあり、先ほどよりもダイナミックに蠢動する清姫。
ウルフウッドは抗うこともできず、ビシャスと同じ末路を辿る。
「愉しいわぁ……」
胸を蹂躙する復讐心。それがだんだんと満たされていく感覚。
静留は、陶然と満足の域に至る。だが、まだ足りない。
「……クソが。バケモン従えて空まで飛びよる。どんな反則技やっちゅうねん」
清姫の喉下、ゆっくりと身を起こすウルフウッドは、まだ生きている。
その隣で燻るビシャスも、眼光だけは鋭く、静留への殺意を捨てていない。
まだ終わらない。終わらせてはならない。
この殺意は、この憎悪は、早々に満たしてはならない。
生きる苦しみを存分に味わわせてから、死ぬ苦しみを教えてやるのだ。
それがたまらなく、楽しい。
「とはいえ……あんまり時間食うわけにもいかんなぁ。飛び入りはんのことも気にかかりますし……終いにしよか」
静留が掲げる悲願。なつきとの再会は、まだ遠い道のり。
清姫とバリアジャケットという力だけでは、到達の材料としては不足している。
螺旋王の座に至るためには、力だけでは足りないのだ。必要な要素はなんなのか、模索する時間がほしい。
静留が挙手。
清姫が反応。
ウルフウッドとビシャスがただ見上げる。
静留の腕が下ろされれば、
清姫は襲い掛かり、
ウルフウッドとビシャスは死ぬ。
誰もが未来を幻視し、それはもう間もなく現実のものとなる。
予感はすれど、抵抗はできない未来。言うなれば運命が、三人の戦いに終焉という形で訪れる。
しかし、そのとき。
一陣の風が吹いた。
◇ ◇ ◇
巨大なる蛇の眼前に、男はやって来た。
砂埃舞う破壊都市を舞台に、悠然と歩を進める。
纏うのは、弓兵――〝正義の味方〟にも似た赤い外套。
目元を小型のサングラスで覆い、物思いに耽るような難しい顔で、歩を進める。
三者の目が、その象徴的な姿を捉え、停止した。
左手はポケットへ、右手は一丁の銃を握り、ゆったりと歩を進める。
その者の訪れを待つように、音が掻き消えた。
男は地上の二人には目もくれず、大蛇と戦姫に向き合うため、歩を進める。
「なにしに戻ってきはりましたん?」
大蛇を従える戦姫が問う。
歩を進めても辿り着くことはない、空という地点に身を置いたまま。
「……君を」
来訪者――ヴァッシュ・ザ・スタンピードは答える。
右手にナイヴズの銃を、銃には三つの弾丸を。
姿勢は正しく、瞳は天を捉え、胸には確固たる意志を宿し。
(そうだ……僕は、早々に決断するべきだったんだ)
もう逃げ出すわけにはいかない――ウルフウッドが登場し、三人の殺し合いが幕を開けたとき、そう心に誓ったはずだった。
なのに、ヴァッシュはその直後この場を去った。志しとは裏腹な恐れが、胸に蟠っていたからだ。
エンジェル・アーム――ヴァッシュが保有する最大の力にして、抑止力。
発動すれば大災害は必至。人間台風が起こす傍迷惑なものではなく、確実に死を招く力。
ナイヴズの銃という起動キーを与えられながら、ヴァッシュはずっとこれを使えずにいた。
エンジェル・アームの起動と、誰かの命を消し去ること、みんなの愛と平和を守ることは、等しく同じだから。
傷つける、殺すという決意ができなかったら……みんな死んだ。
クロも、クアットロも、ドーラも、ランサーも、イリヤも、士郎も。
(僕に、あとほんの少しの勇気があれば)
引き金がもう少し軽ければ。銃が容易く撃てたなら。殺す者を即座に鎮圧できたなら。
誰も、死にはしなかった。
ヴァッシュにはそれを可能にする力があった。なのに、ずっとそれができないでいた。
違う。できなかったのではなく、しなかったのだ。
(だけど……うん)
彼の掲げる愛と平和は、決して人を傷つけない。
弱者であろうと、悪党であろうと、例外なく保護の対象となる。
その狂った正義感は――――なんの役にも立たなかった。邪魔なだけだった。
信念を貫くには、信条を捨てねばならない。
だからこそ、ヴァッシュはここに戻ってきた。
「……僕は、君を助けに来た!」
声高らかに宣言し、ヴァッシュは静留に銃口を向ける――
「……なーんて言うとでも思ったかこのワカランチンがああぁぁぁあぁああぁあぁ!!」
――しかしその引き金は絞らず、あらん限りの力で、静留に向かって銃を投げつける。
弧を描きながら空へ伸びていく銃は、なんの脅威も持たない。
静留はこれを薙刀で弾き、ナイヴズの銃はどこぞへと消えていった。
「……なんのつもりどすか?」
ヴァッシュの予想外の行動に対し、静留は茶目っ気を含まない冷厳な声で問う。
ヴァッシュはサングラスを外し、静かに、しかし情熱的に声を発する。
「……偉大なるブルース・リー、という人は言った」
第四回の放送後、離脱したヴァッシュの前に現れた、とあるカウボーイの言葉。
ブルース・リーという拳法家の名言を拝借し、自身の胸の内を語る。
「いつも『これ』の方が『あれ』より良いということはない。
両者は重なり合い、いくばくかの正しさ、そして誤りを合わせ持つ」
カウボーイが与えてくれた助言を、静留糾弾の矛とする。
「シズルさん……僕にはやっぱり、あなたの言う愛とやらはわからない」
これは僕たちが介入してはならない問題だよ――違う。
僕がシズルさんを止めるよ。禁じられた力を……使ってもね――違う。
言葉は全てまやかし。
ヴァッシュが欲したのは、たった一つの理想。
銃を、エンジェル・アームを持ってしては、築けぬ理想。
「……だけど、ブルース・リーさんはこうも言った――『考えるな、感じるんだ!』とね!」
それは、人間ならば誰もが求める理想であるはずだった。
この藤乃静留も例外ではない。彼女はただ、ヴァッシュとやり方が正反対なだけ。
正さなければならない。その理想は、個人だけを想って貫けるものでないのだと。
一を重視するのではなく、他を重視して、初めて全が成り立つ。その法則を、ヴァッシュ・ザ・スタンピードとして説く。
銃は、いらない。
「だから僕のやることは変わりない。そうさ、いつだってこの世は……ラァァァブアンドピィィィスだッ!!」
銃を投げ捨てた右手で、高らかにVサイン。
愛と平和の意味を持つ合言葉で、この場にいる全員に同調を求める。
「ラブアンドピース! ラーブアンドピース! ラァァブアンドピィィス!」
スタンピードの意は、『突っ走って止まらない』。
彼は、選ばなければいけなかった――苦汁の――決断を蹴り、銃を捨てた。
考えての行動ではない。感じて起こした行動。
やれるかどうかではなく、貫くか貫かざるか。
ヴァッシュ・ザ・スタンピードは唱える。
ラブ&ピースの信念を、三人のわからず屋どもに。
「ラァァァァァァァブアンドォォォォォ――」
「もうええわ。潰しおし、清姫」
しかし、現実はかくも厳しく。
ヴァッシュの主張は、無情にも清姫の重圧によって押し潰されてしまった。
◇ ◇ ◇
「……あほらし」
薄々感づいてはいた。だがこれほどとは思っていなかった、というのが素直な感想だ。
ヴァッシュ・ザ・スタンピード……あの男は、馬鹿を通り越した気狂いだ。
殺し合いの場においても武器を持たず、言葉だけで説得を試みるなど、気狂い以外のなんだというのか。
ヴァッシュの価値観は、静留には到底理解できぬもの。
彼女が見据えるのは、なつきという一人の女性。
彼女が世界の中心に据えるのは、なつきへの情愛。
一を見ず、他を見ず、全を見ず、なつきだけを見た愛と平和。
相容れることは決してなく、正すこともできはしない。
ヴァッシュの行いは、なにもかもが無駄だったのだ。
「ほんま……笑えんで、ヴァッシュはん」
空中から、ヴァッシュがいた地を見下ろす。
手加減なし、殺すつもりで命じた清姫の突撃。
それはヴァッシュだけではなく、側にいたウルフウッドとビシャスすらも飲み込み、さらには彼らが立つ舞台も破壊した。
静留の眼下、清姫の眼前には、粉々に砕け散った大地だけが広がっている。
ヴァッシュたちは潰れて肉片と成り果てたか、それとも瓦礫に埋もれたか。
どちらにせよ、勝負の判定は下ったのだ。
「……うちが貫くんは、なつきへの想いだけや。ヴァッシュはんがいくら言ったって、枉げやしまへん」
物憂げな表情をしてはいたが、それは復讐が終わってしまった後の虚無感からくるものにすぎない。
ヴァッシュ個人に対する感慨はまったくなく、思考の枠を占めるのはなつきの存在だけだ。
なつきを取り戻すため、さてこれからどうしよう――と。
二日目の夜空を見上げた、直後だった。
「……え?」
藤乃静留は、我が子とともに、ありえないものを見た。
*時系列順で読む
Back:[[まきしまむはーと]] Next:[[〝天壌の劫火〟]]
*投下順で読む
Back:[[まきしまむはーと]] Next:[[〝天壌の劫火〟]]
|236:[[PRINCESS WALTZ of 『Valkyrja』 (後編)]]|ヴァッシュ・ザ・スタンピード|246:[[戦争が終わり、世界の終わりが始まった]]|
|236:[[PRINCESS WALTZ of 『Valkyrja』 (後編)]]|ニコラス・D・ウルフウッド|246:[[戦争が終わり、世界の終わりが始まった]]|
|236:[[PRINCESS WALTZ of 『Valkyrja』 (後編)]]|ビシャス|246:[[戦争が終わり、世界の終わりが始まった]]|
|236:[[PRINCESS WALTZ of 『Valkyrja』 (後編)]]|藤乃静留|246:[[〝天壌の劫火〟]]|
|240:[[天国の扉-Lucy in the Sky with Diamonds-]]|スパイク・スピーゲル|246:[[戦争が終わり、世界の終わりが始まった]]|
**ヴァッシュ・ザ・スタンピードの愛と平和 ◆LXe12sNRSs
――ヴァッシュ・ザ・スタンピードは、月光の下を歩いていた。
――身に極限の無力感を宿しながら、落とした肩に陰鬱な印象を纏いながら、街中を彷徨う。
どうして彼らは、どうして彼女らは、僕の主張を聞いてくれないのだろう。不思議でならない。
ひょっとして彼らは、彼女らは、話を聞く耳を持ち合わせていないのではないだろうか。
うん、きっとそうに違いない。だから殺し合うばかりしか頭にないのだ。
ああ、なんて愚かなんだろう。そして馬鹿なんだろう。
全員そこに並べ。正座しろ。説教してやる。
議題は――『愛と平和』について。
人間、誰しもハッピーを目指すじゃん?
みんながみんな他人のハッピーを心がければ、世界中がハッピーになるのは必然なわけよ。
じゃあハッピーになるために欠かせないものとはなにか。それが愛と平和。ラブアンドピース。
いがみ合って、憎しみ合って、殺し合ってちゃ絶対に獲得できないものなんだよ。
わかんないかなそれ。なんでわかんないかな。わかっておくれよ。え、無理? そこをなんとか。
ああもうこのわからず屋どもめ。もういい。もうし~らない。勝手にすれば?
さよならばいばい。僕は去ります。後はみんなで勝手に殺し合っててください。んじゃ。
…………………………………………ごめんなさい。嘘つきました。
僕はやっぱり、愛が好きです。平和が好きです。みんなにこの素晴らしさを知ってほしいのです。
諦めきれるものじゃない。むしろ諦めちゃいけない。僕が僕である限り、貫かなくちゃいけない。
ヴァッシュ・ザ・スタンピードの魂が告げる。僕に、そうしなさいと。
うん。やっぱり戻ろう。それがいい。
あの蛇は怖いし、あの黒い人も怖いし、ウルフウッドはなんかチンピラになってたけど、逃げちゃ駄目だ。
なぜって、僕は僕だからさ。あそこで逃げるような男は僕じゃない。偽者だ。けど。
……戻って、どうしよう。僕に、なにができる――?
喋る黒猫も、眼鏡の女性も、槍の人も、男の子と女の子も、みんなみんな、僕の側で死んでしまったというのに。
助けられなかった僕。救えなかった僕。愛と平和を維持できなかった僕に、今さらなにが?
なにも、できないかもしれない。いや、きっとなにもできない。
だけど、僕は戻らなくちゃいけない。たとえ無力だとしても。意味がないとしても。
あ、でも、戻ってどうするんだ僕……? いや、なにもできないけどさ。ああもう、早く戻らなくちゃ。
でも……けど……う~ん……僕は……ぐぬぬ……くあー…………星、綺麗だなぁ。
戻ってから、考えよ。うん。
――道を引き返すべく、ヴァッシュ・ザ・スタンピードは振り返る。
――逃げ出してきた鉄火場へ、再び。愛と平和の素晴らしさを説くために。
――そのときだった。
――振り返ったヴァッシュ・ザ・スタンピードの後頭部に、冷たい威圧感が突き刺さる。
――それが銃口から発せられる凶気であることを、ガンマンであるヴァッシュ・ザ・スタンピードは知っていた。
「君も、人を殺すのかい?」
――振り向かぬまま、ヴァッシュ・ザ・スタンピードは後ろの銃士に問いかける。
――解答は、すぐに。銃を構える男のものにしては、冷厳な声で。
「殺しはしない。賞金がパーになる」
――『カウボーイ』、スパイク・スピーゲルは金に飢えた目で笑った。
◇ ◇ ◇
ヴァッシュ・ザ・スタンピードは去り、鉄火場には三人の男女が残された。
愛と平和の使者たる男がどんな心境でこの場を離脱したのか、三人にはわからないし、気にも留めない。
胸中に宿すのは皆等しく――『殺意』の二文字のみ。
大蛇を駆りし紫の戦姫、藤野静留。
道を外れた牧師、ニコラス・D・ウルフウッド。
死神に見入られようともなお他者に死を与え続ける男、ビシャス。
憎しみ、ストレス、野心と、殺意の根源となる要素はどれも別物だが、成すべき行動は誰もが同一。
一人が二者の命を狙い、一人が二者の命を狙い、一人が二者の命を狙い、三竦み。
数刻前に、ある殺人狂が唱えた催し――バトルロワイアルを体現する戦いが、今も繰り広げられていた。
ただし、この三者入り乱れての戦いは、決して均衡状態にあるわけではない。
物語られるのは、絶対的な力の差。ある一人の闘争者による、ワンサイドゲームが実態だ。
その、優劣の順位において頂点に君臨する少女が、唱える。
「〝玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば、忍ぶることの弱りもぞする〟……意味、わかりおすか?」
紫色の山――とでも形容すればいいだろうか。
自然の山脈に置き換えるのが適切と思えるほど、それは巨大だった。
ビル立ち並ぶ市街地に、どの建造物よりも秀でた巨躯を持つ、蛇が一匹。
胴体の部分から頭が六つに枝分かれしており、その全容はイカのようにも見える。
イメージされるのは、日本神話における怪物、八岐大蛇(やまたのおろち)か。
「結ばれても、祝福どころか迫害しかない恋愛。針の筵としても、禁忌の恋はだからこそ燃え上がる」
左から数えて三つ目の首に、大蛇の主人――いや、母たる少女は立っていた。
鎧を思わせる武骨なドレスを纏い、手には薙刀の一振り。包み込む色彩は、鮮やかな半色(はしたいろ)。
それら外見の印象に、少女本人が持つ艶麗さを掛け合わせれば――《嬌嫣の紫水晶》の名が頭に浮かぶ。
「……うちの好きな言葉どす。なつきを愛した、うちの想いを……象ったような言葉」
藤乃静留。
自身も薙刀の熟練者にして、チャイルドと呼ばれる強大な戦力を備える、最強のHiME。
彼女が愛した女性――玖我なつきの仇敵に向けて、純然たる殺意を放つ。
目的はあだ討ち。突き動かす感情は、憎しみ。
「わかりおすか? ……いえ、わかりやしまへんやろなぁ。あんさんには」
「じゃかあしいわ! 変な方言喋りおって、言いたいことがあんならそっから降りてもっと近くで喋らんかい!」
「お断りします。あんさんと話すことは、もうなにもあらへん」
大蛇の頭の上から、地上を見下ろした先。そこになつきの仇たる牧師はいた。
ニコラス・D・ウルフウッド。両手に西洋の剣を二振り握り、凶悪な目つきで静留を威嚇してくる、チンピラのような男。
そしてその隣には、全身から黒の気配を漂わせる、亡霊のような男が一人。名はビシャス。こちらは満身創痍の死に掛けだ。
残ったのは殺意を持った男が二人だけ。愛と平和の主張者、ヴァッシュはどこぞへ消えた。
戦いを止めたがっていたあの男が、なんの考えあって逃げ出したのかはわからない。それもどうでもいいことだ。
残った二人が殺戮に身を投じるというのであれば、敵として討ち滅ぼすのみ。
チャイルド――清姫の圧倒的戦力を持って。
「喰らいや」
静留の意志に同調するかのように、清姫の首が一斉に蠢いた。
母を乗せた一つだけは待機し、残り五つの首が、牙を剥き出しにして襲い掛かる。
標的は地上の二人、ウルフウッドとビシャス。
――『蛇』の最大の武器とはなにか?
それは、長躯を駆使しての絡みつくような締め。次いで毒や牙が挙がるだろう。
しかし、この蛇の亜種たる清姫にとっての最大の武器は違う。
締めでもなく、毒でもなく、牙でもなく、体重。
爬虫類の規格を超越した巨体が、対人間においては、そのまま強大な矛となる。
ゆえに清姫は、ただ首を突貫させるだけだ。
軽い衝突の一つでもあれば、人間など風に吹かれた木の葉のように弾き飛ぶ。
「おいおい、アカンやろそれは!」
防御がままなるものでもない。ウルフウッドは全力で回避行動に移った。
襲い掛かってくるのは、身の丈を優に越す大質量の砲弾だ。
フットワークを駆使したところで、回避し切れるものではない。
だからこそ、ウルフウッドは全速力で走る。前方から迫り来る首を、左横に避ける。
ビシャスも同様のアクションを取るが、危機は一回の回避では治まらない。
ウルフウッドとビシャスが逃げた先を追うように、第二、第三の首が突撃を仕掛ける。
清姫の首の数は六。つまり、単純に考えて一度の最大攻撃回数も六回なのだ。
「うおっ! どあっ!?」
奇声を上げながら、清姫の攻撃範囲を東奔西走するウルフウッド。
ビシャスもまた、声には出さぬものの苦い顔で攻撃を避け続けている。
それら地上の滑稽な光景を、高所から見下ろす様のなんと気持ちのいいものか。
静留は艶やかに、そして楽しそうに笑い、呪詛を唱える。
「……下手糞な舞踏や。ほれほれ、もっとうちを笑わせておくれやす」
小さな声をサディスティックな笑みに隠し、静留は強者の愉悦に浸る。
相手は清姫の足元にも及ばぬ雑魚。それでいてなつきの命を刈り取った憎き男。
ただ殺すだけでは飽き足りない。じわじわと嬲り殺しにしなくては、この憎しみも癒えはしない。
手を抜いた攻撃で、わざと弱者たちを翻弄する。強者だけに許された特権。
チャイルドの存在は、この実験場においてそれだけ規格外の戦力であった。
敵う者など存在しない。清姫を従える静留こそ、全参加者中最強の人間であると言えた。
「ッ!」
悦に入っていると、不意に地上から反撃の矛が向けられて来た。
仕掛けられたのは、無数の弾丸。攻撃の起点は、今まで睥睨していた眼下から。
ビシャスが清姫の猛攻の隙を縫い、掲げる十字架型の兵器――パニッシャーより放った銃撃だった。
静留は愉悦の表情を潜め、しかし慌てず、自身が乗る清姫の首を僅かに動かすことで、これを回避。
弾丸が虚空に消えた後、清姫に再度ビシャスを襲わせる。
「ヘタクソが! パニッシャー使うんやったらもっとどっしり構えんかい! そんなへっぴり腰じゃ、当たるもんも当たらんわ!」
パニッシャー本来の持ち主であるウルフウッドが、ビシャスに罵声を浴びせる。
ビシャスは当然、これを無視。パニッシャーを掲げ、再び遁走する。
「つか、パニッシャー返せやこのムッツリが! ワイがホンマモンの使い方っちゅうもんを教えたる!」
「…………」
ウルフウッドの注文にも、まったく耳を貸さない。
ビシャスの負っているダメージの深刻さを考えれば、そもそも喋っている余裕などないのだ。
それはウルフウッドにも言えたこと。テンションのままに張り上げた声は、内臓に疲労という名の負荷を与える。
「よう逃げはるわ……清姫」
横への回避をやめ、直線的後退を選択するウルフウッドとビシャス。
静留は逃がすものかと笑みを固め、清姫に進撃を指示する。
舗装された道路、真新しい民家、廃れたビルなどが、這い進む清姫の重圧に押し潰されていく。
ロードローラーが更地を形成するのとはわけが違う。進行が齎すのは破壊の惨状のみ。
清姫の通った跡には灰色の残骸だけが残され、市街は廃墟と化していった。
清姫の進撃から懸命に逃れる二人は、振り返る余裕すらない。
「おい聞けやムッツリが! おまえもあの蛇どうにかしたいやろ!? だったらワイに手ぇ貸せや!」
「…………」
「聞けっちゅうねん!」
徹底的に無視。互いに追われる身ではあるが、二人の間に協定という選択は存在しない。
この場にいる者、全て敵。それは誰もが掲げる殺害方針であり、誰もが虎視眈々と隙を狙う現状。
ウルフウッドがビシャスを、ビシャスがウルフウッドを狙わないのは、静留と清姫の存在を考慮した上での戦略だ。
仮にどちらかが倒れ、静留と一対一の状況に陥ろうものならば、その後の未来は絶望的。
理想としては、片方が静留と凌ぎ合っている隙に、二人まとめて倒す。
狙うのは漁夫の利。なればこそ、手を取り合うのも一つの選択ではないか――しかし、
「…………やはり、邪魔だな」
「は?」
この一日で極大のストレスを背負い込んできたウルフウッドと、懊悩もなく殺戮に殉じてきたビシャスには、決定的に足りない。
合理性を考慮した上でも、他人に足並みを揃えるという意志……つまり、協調性が。致命的なまでに欠如している。
ビシャスが取った行動は、その表れ。
彼は、ウルフウッドが要求していたパニッシャーを、あろうことか背後の清姫に向かって投げ捨てた。
反射的に振り返り、キョトンとした表情で愛器の行く末を見守るウルフウッド。
元々の重量のせいかそれほど飛びもしなかった十字架は、清姫の舌先に絡め取られる。
そして、そのままバクン。
人間が扱うには巨大なそれも、清姫にとっては一飲みだった。
「わ……ワイのパニッシャーがあああぁぁぁ!?」
ウルフウッドが愛用した〝最強の個人兵装〟が、清姫の喉を通過していく。
逃走という観点におけば、その行動は必然。
負傷中のビシャスにとって、パニッシャーの重量は足枷にしかならなかったのだ。
ついにこの手に戻ることのなかった愛銃、その最後が蛇による丸飲みとは、悔やんでも悔やみ切れない。
というよりむしろ、怒りが込み上げてくる。なんでそうなんねん、とツッコミを入れたくなる。
イライラが増す。眉間に皺が寄る。肺がニコチンを要求する。叫びたくなる。
「ええ悲鳴やわぁ……大切なものを奪われる苦しみ、ちょっとはわかりおしたか?
……わかった、なんて口が裂けても言っちゃあきまへんで。うちの復讐は、まだまだこんなもんやない」
静留の胸糞悪い言動で、ウルフウッドの怒りはついに沸点を越えた。
「……ッ、知るかボケがあああああああ!!」
声帯が張り裂けんほどの咆哮を散らし、ウルフウッドはビシャスに向かって襲い掛かった。
デタラメな手つきで二刀のエクスカリバーを振り回し、斬りかかる。
パニッシャーの重量から解放されたビシャスは、不意の襲撃に戸惑うことなく、腰元の愛刀を引き抜く。
剣と刀が交差し、透き通るような金属音が鳴った。
自身の身の丈ほどあるビシャスの刀が、ウルフウッドのエクスカリバーを弾き飛ばした音だった。
ウルフウッドの専門は射撃だ。剣術という分野においては、ビシャスの足元にも及ばない。
加えて、今のウルフウッドはストレスせいか、認識力や判断能力が大幅に欠如している。
ビシャスの刀の間合い、ビシャスの振りの速度など、接近戦における重大な要因が見極められない。
エクスカリバーを弾かれた反動で、自分の胴ががら空きになったとしても、咄嗟の防御には移れない。
残ったもう一振りで、眼前のビシャスを殺そうと体が動く。
この瞬間、ウルフウッドの死は確定した。しかし、
「うらあぁッ……!?」
ビシャスはこの格好の的を、あえて見逃す。
二刀目を振りかぶるウルフウッドには目もくれず、刀を地に対し水平に構えたまま、駆けるは背後。
標的を失った大振りのエクスカリバーが、アスファルトを叩く。我武者羅に込めた力が、ウルフウッドの手を痺れさせた。
「ってコラ! どこ逃げんねん!?」
ウルフウッドからしてみれば、ビシャスの行動はエクスカリバーからの逃走に他ならない。
しかし実際は違う。ビシャスが目指す先は退路ではなく――もっと強大な敵。
ビシャスはウルフウッドとの交戦を拒否し、刀一本で、清姫に向かっていったのだ。
「ほぉ」
ビシャスの勇猛果敢な行動に、静留は嘆息する。同時に、愚か者を見る目つきで嘲笑う。
パニッシャーという強力な兵器を捨て、一振りの刀で清姫を討とうなど、愚かにもほどがある。
ならばお望みどおり死を与えてやろう、と静留は清姫に指示を促した。
六つ首の内の一つが、ビシャスの正面から迫る。
くの字に開いた顎が、ビシャスの小さすぎる体躯を飲み込もうとして、しかし。
「ッ!」
ドンッ、と地を強く踏み跳躍。ビシャスが清姫の額に飛び移る。
清姫が顎を閉じるタイミングに合わせた、軽やかな体捌き。それを可能にする動体視力と、冷静な思考。
異能を持たず、身体の作りを『殺し』に特化させた、純粋な殺し屋だからこそできる芸当。
得物は刃の一振りで事足りる。ビシャスの瞳が狙うのは、自分と同じ、斬れば死ぬ人間なのだから。
「なるほど。ええ判断どすな」
清姫の額に降り立ったビシャスは、そのまま蛇特有の長い首を通路とし、駆け上っていく。
目指す先は、六つの首が集う胴体部。そしてそこから分岐する先……蛇の飼い主が君臨する座。
――ビシャスの最大の武器は、『人間を殺す技術』である。
怪獣退治は専門外。彼が生業とするのは、駆除ではなくあくまでも殺人。人を対象とするのが大前提。
この戦いも、清姫が相手というのであれば逡巡するまでもなく即離脱していただろう。
だが、そうではない。ビシャスが刈り取るべき命は清姫ではなく、清姫を使役する人間、藤乃静留。
彼女を殺しさえすれば、それでビシャスの勝利は確定する。
主がいなくなった後、飼い蛇である清姫がどうなるかはわからぬが、それも知ったことではない。
参加者以外の命など、野望の礎にもならない。静留さえ殺せれば、後はもう放置するだけだ。
「清姫の上でよう動くわ。けど、あきまへんなぁ……」
静留のしたり顔をスイッチに、清姫の首が不気味に蠢く。
ビシャスが駆ける細道が波のように律動し、進行を阻害する。
そもそも踏ん張りが利く足場でもないため、ビシャスはあっさりと振り落とされた――かと思われたが。
「……ほんま、よう動きよる」
足が蛇の首から離されるよりも前に、ビシャスは自らの意志で、それを強く蹴った。
振り落とされる前に、自ら跳んだのである。
着地先は、別の首。
飛び移ってすぐ、それすらも踏み台にし、また高く跳ぶ。
標的、藤乃静留が立つ終着点目指して。
「――ッ!」
言葉はない。一度跳び、二度跳び、静留の位置を跳躍の距離範囲に収めると、ビシャスは寡黙なままに刃を振り抜いた。
蛇による妨害はありえない。その巨躯ゆえに、繊細な動きを困難にさせている。
懐に飛び込んだら防御が難しいのと同じ。清姫は、自身の頭部で起こる主の窮地を救えない。
だが、清姫は動じず――
「……やっぱり、あきまへんなぁ」
――静留もまた、動じない。
「うちの持っとるこれ、飾りに見えますか? 残念……大間違いどす」
跳躍の勢いに乗せた、ビシャスの一閃。しかしその一撃は、静留の持つ薙刀によって容易く防がれてしまう。
ただでさえ、静留が持つ薙刀はエレメント――達人の一振りでも、破壊に至るのは難しい強度を誇る。
加えて、静留本人の技量もある。殺しに精通したビシャスには遠く及ばないものの、彼女もまた、素人というわけではない。
「たくましおすなぁ。あんさんの力……ひしひしと伝わってきよりますわ」
刀の刃と薙刀の刃が、互いに押し合い引き合い、競り合いを続ける。
その間も、清姫の蠢動はやまない。不安定な足場を頼りに、ビシャスは刀身にさらなる力を込めた。
「ただあれやな。殿方にしては、些か軟弱やわ」
ビシャスの太刀に対し、静留が酷評を飛ばす。
快楽に淫したその表情に、尊貴の風はなく。十代女子のものとは思えぬ威圧が、ビシャスの身を押しやる。
薙刀が刀を打ち払う音。
特に力を込めたわけでもなく、ほんの一押しで、ビシャスの身は弾かれるように飛んだ。
静留に有利な揺れる足場、静留の薙刀の技術、そしてなにより、ビシャスの体に蓄積されていたダメージ。
三重の悪条件が、ビシャスを奈落の底へと突き落とす。
「…………ぐっ!」
翼を持たぬビシャスに、蛇の首を這い上がる力はなく。
その手はなにも掴めぬまま、しかし愛刀だけは手放さず、地上へと落下した。
「高いところから見下ろすんは楽しいどすなぁ。落ちていくのが憎たらしいかたきともなれば、また格別やわ」
清姫の眼下、拉げた路上に、ビシャスの身が叩きつけられた。骨が砕ける音が、静留の耳を刺激する。
静留は恍惚とした、それでいて狂気の宿る目で、横這いに蹲るビシャスを睥睨する。
なかなか起き上がってこない。隙だらけ。このまま清姫の餌としてしまおうか。
嗜虐心と理性の狭間で、静留はビシャスへの処断をどうするか考えた。
その、慢心に満ちた隙。
「なに笑っとんねん――」
注意を促すような声が、静留の後方から木霊する。
静留の双眸は地上の滑稽な映像に捉われ、抜け出せない。
「――嬢ちゃんの命(タマ)狙っとるんは、ムッツリだけやないでッ!」
背後――ビシャス同様清姫の体を登ってきた――ウルフウッドが迫っている事実には、気づいていない。
視線を地上に預けたまま、背後ではウルフウッドが剣を振り上げている。
まだ気づかない。気づく気配すらない。
ウルフウッドは爆ぜるように笑い、必殺を確信し、剣を振り下ろした。
が、
「んな!?」
鳴り響いたのは、凶刃が肉を絶つ音ではなく、清姫の分厚い皮膚を叩く音。
ウルフウッドがエクスカリバーを振り下ろした場所には、もう静留の姿はなかった。
消失先は――空。
「残念。大はずれどす」
静留の余裕は崩れない。中空に漂いつつ、ウルフウッドの失策を嘲笑う。
「……空まで飛べんのかい!」
「愛の力は偉大なんですえ?」
翼を持っているわけではない。しかし静留は、その身を宙に浮遊させている。
マテリアライズ――唱えた呪文は、マッハキャリバーの作り出すバリアジャケットに特殊な効果を付加した。
それは、藤乃静留がHiMEであるからなのか。HiMEの持つ高次元物質化能力が、魔法の概念と化学反応を起こしたのか。
もしくは、数多の多元宇宙に存在する『シズル』――もう一人の自分が、愛を証明しようとする静留に恩恵を齎したのか。
真相は知れない。だがこの戦いにおいて重要なのは、藤乃静留が飛行能力を有しているという一点のみ。
清姫の頭上に辿り着くだけでも四苦八苦だったウルフウッドに、空への対処法はない。
「振り落としいや、清姫」
静留の冷酷なる命令が、ウルフウッドを無慈悲の底に突き落とす。
主が上に乗っていないこともあり、先ほどよりもダイナミックに蠢動する清姫。
ウルフウッドは抗うこともできず、ビシャスと同じ末路を辿る。
「愉しいわぁ……」
胸を蹂躙する復讐心。それがだんだんと満たされていく感覚。
静留は、陶然と満足の域に至る。だが、まだ足りない。
「……クソが。バケモン従えて空まで飛びよる。どんな反則技やっちゅうねん」
清姫の喉下、ゆっくりと身を起こすウルフウッドは、まだ生きている。
その隣で燻るビシャスも、眼光だけは鋭く、静留への殺意を捨てていない。
まだ終わらない。終わらせてはならない。
この殺意は、この憎悪は、早々に満たしてはならない。
生きる苦しみを存分に味わわせてから、死ぬ苦しみを教えてやるのだ。
それがたまらなく、楽しい。
「とはいえ……あんまり時間食うわけにもいかんなぁ。飛び入りはんのことも気にかかりますし……終いにしよか」
静留が掲げる悲願。なつきとの再会は、まだ遠い道のり。
清姫とバリアジャケットという力だけでは、到達の材料としては不足している。
螺旋王の座に至るためには、力だけでは足りないのだ。必要な要素はなんなのか、模索する時間がほしい。
静留が挙手。
清姫が反応。
ウルフウッドとビシャスがただ見上げる。
静留の腕が下ろされれば、
清姫は襲い掛かり、
ウルフウッドとビシャスは死ぬ。
誰もが未来を幻視し、それはもう間もなく現実のものとなる。
予感はすれど、抵抗はできない未来。言うなれば運命が、三人の戦いに終焉という形で訪れる。
しかし、そのとき。
一陣の風が吹いた。
◇ ◇ ◇
巨大なる蛇の眼前に、男はやって来た。
砂埃舞う破壊都市を舞台に、悠然と歩を進める。
纏うのは、弓兵――〝正義の味方〟にも似た赤い外套。
目元を小型のサングラスで覆い、物思いに耽るような難しい顔で、歩を進める。
三者の目が、その象徴的な姿を捉え、停止した。
左手はポケットへ、右手は一丁の銃を握り、ゆったりと歩を進める。
その者の訪れを待つように、音が掻き消えた。
男は地上の二人には目もくれず、大蛇と戦姫に向き合うため、歩を進める。
「なにしに戻ってきはりましたん?」
大蛇を従える戦姫が問う。
歩を進めても辿り着くことはない、空という地点に身を置いたまま。
「……君を」
来訪者――ヴァッシュ・ザ・スタンピードは答える。
右手にナイヴズの銃を、銃には三つの弾丸を。
姿勢は正しく、瞳は天を捉え、胸には確固たる意志を宿し。
(そうだ……僕は、早々に決断するべきだったんだ)
もう逃げ出すわけにはいかない――ウルフウッドが登場し、三人の殺し合いが幕を開けたとき、そう心に誓ったはずだった。
なのに、ヴァッシュはその直後この場を去った。志しとは裏腹な恐れが、胸に蟠っていたからだ。
エンジェル・アーム――ヴァッシュが保有する最大の力にして、抑止力。
発動すれば大災害は必至。人間台風が起こす傍迷惑なものではなく、確実に死を招く力。
ナイヴズの銃という起動キーを与えられながら、ヴァッシュはずっとこれを使えずにいた。
エンジェル・アームの起動と、誰かの命を消し去ること、みんなの愛と平和を守ることは、等しく同じだから。
傷つける、殺すという決意ができなかったら……みんな死んだ。
クロも、クアットロも、ドーラも、ランサーも、イリヤも、士郎も。
(僕に、あとほんの少しの勇気があれば)
引き金がもう少し軽ければ。銃が容易く撃てたなら。殺す者を即座に鎮圧できたなら。
誰も、死にはしなかった。
ヴァッシュにはそれを可能にする力があった。なのに、ずっとそれができないでいた。
違う。できなかったのではなく、しなかったのだ。
(だけど……うん)
彼の掲げる愛と平和は、決して人を傷つけない。
弱者であろうと、悪党であろうと、例外なく保護の対象となる。
その狂った正義感は――――なんの役にも立たなかった。邪魔なだけだった。
信念を貫くには、信条を捨てねばならない。
だからこそ、ヴァッシュはここに戻ってきた。
「……僕は、君を助けに来た!」
声高らかに宣言し、ヴァッシュは静留に銃口を向ける――
「……なーんて言うとでも思ったかこのワカランチンがああぁぁぁあぁああぁあぁ!!」
――しかしその引き金は絞らず、あらん限りの力で、静留に向かって銃を投げつける。
弧を描きながら空へ伸びていく銃は、なんの脅威も持たない。
静留はこれを薙刀で弾き、ナイヴズの銃はどこぞへと消えていった。
「……なんのつもりどすか?」
ヴァッシュの予想外の行動に対し、静留は茶目っ気を含まない冷厳な声で問う。
ヴァッシュはサングラスを外し、静かに、しかし情熱的に声を発する。
「……偉大なるブルース・リー、という人は言った」
第四回の放送後、離脱したヴァッシュの前に現れた、とあるカウボーイの言葉。
ブルース・リーという拳法家の名言を拝借し、自身の胸の内を語る。
「いつも『これ』の方が『あれ』より良いということはない。
両者は重なり合い、いくばくかの正しさ、そして誤りを合わせ持つ」
カウボーイが与えてくれた助言を、静留糾弾の矛とする。
「シズルさん……僕にはやっぱり、あなたの言う愛とやらはわからない」
これは僕たちが介入してはならない問題だよ――違う。
僕がシズルさんを止めるよ。禁じられた力を……使ってもね――違う。
言葉は全てまやかし。
ヴァッシュが欲したのは、たった一つの理想。
銃を、エンジェル・アームを持ってしては、築けぬ理想。
「……だけど、ブルース・リーさんはこうも言った――『考えるな、感じるんだ!』とね!」
それは、人間ならば誰もが求める理想であるはずだった。
この藤乃静留も例外ではない。彼女はただ、ヴァッシュとやり方が正反対なだけ。
正さなければならない。その理想は、個人だけを想って貫けるものでないのだと。
一を重視するのではなく、他を重視して、初めて全が成り立つ。その法則を、ヴァッシュ・ザ・スタンピードとして説く。
銃は、いらない。
「だから僕のやることは変わりない。そうさ、いつだってこの世は……ラァァァブアンドピィィィスだッ!!」
銃を投げ捨てた右手で、高らかにVサイン。
愛と平和の意味を持つ合言葉で、この場にいる全員に同調を求める。
「ラブアンドピース! ラーブアンドピース! ラァァブアンドピィィス!」
スタンピードの意は、『突っ走って止まらない』。
彼は、選ばなければいけなかった――苦汁の――決断を蹴り、銃を捨てた。
考えての行動ではない。感じて起こした行動。
やれるかどうかではなく、貫くか貫かざるか。
ヴァッシュ・ザ・スタンピードは唱える。
ラブ&ピースの信念を、三人のわからず屋どもに。
「ラァァァァァァァブアンドォォォォォ――」
「もうええわ。潰しおし、清姫」
しかし、現実はかくも厳しく。
ヴァッシュの主張は、無情にも清姫の重圧によって押し潰されてしまった。
◇ ◇ ◇
「……あほらし」
薄々感づいてはいた。だがこれほどとは思っていなかった、というのが素直な感想だ。
ヴァッシュ・ザ・スタンピード……あの男は、馬鹿を通り越した気狂いだ。
殺し合いの場においても武器を持たず、言葉だけで説得を試みるなど、気狂い以外のなんだというのか。
ヴァッシュの価値観は、静留には到底理解できぬもの。
彼女が見据えるのは、なつきという一人の女性。
彼女が世界の中心に据えるのは、なつきへの情愛。
一を見ず、他を見ず、全を見ず、なつきだけを見た愛と平和。
相容れることは決してなく、正すこともできはしない。
ヴァッシュの行いは、なにもかもが無駄だったのだ。
「ほんま……笑えんで、ヴァッシュはん」
空中から、ヴァッシュがいた地を見下ろす。
手加減なし、殺すつもりで命じた清姫の突撃。
それはヴァッシュだけではなく、側にいたウルフウッドとビシャスすらも飲み込み、さらには彼らが立つ舞台も破壊した。
静留の眼下、清姫の眼前には、粉々に砕け散った大地だけが広がっている。
ヴァッシュたちは潰れて肉片と成り果てたか、それとも瓦礫に埋もれたか。
どちらにせよ、勝負の判定は下ったのだ。
「……うちが貫くんは、なつきへの想いだけや。ヴァッシュはんがいくら言ったって、枉げやしまへん」
物憂げな表情をしてはいたが、それは復讐が終わってしまった後の虚無感からくるものにすぎない。
ヴァッシュ個人に対する感慨はまったくなく、思考の枠を占めるのはなつきの存在だけだ。
なつきを取り戻すため、さてこれからどうしよう――と。
二日目の夜空を見上げた、直後だった。
「……え?」
藤乃静留は、我が子とともに、ありえないものを見た。
*時系列順で読む
Back:[[まきしまむはーと]] Next:[[〝天壌の劫火〟]]
*投下順で読む
Back:[[まきしまむはーと]] Next:[[〝天壌の劫火〟]]
|236:[[PRINCESS WALTZ of 『Valkyrja』 (後編)]]|ヴァッシュ・ザ・スタンピード|246:[[戦争が終わり、世界の終わりが始まった]]|
|236:[[PRINCESS WALTZ of 『Valkyrja』 (後編)]]|ニコラス・D・ウルフウッド|246:[[戦争が終わり、世界の終わりが始まった]]|
|236:[[PRINCESS WALTZ of 『Valkyrja』 (後編)]]|ビシャス|246:[[戦争が終わり、世界の終わりが始まった]]|
|236:[[PRINCESS WALTZ of 『Valkyrja』 (後編)]]|藤乃静留|246:[[〝天壌の劫火〟]]|
|240:[[天国の扉-Lucy in the Sky with Diamonds-]]|スパイク・スピーゲル|246:[[戦争が終わり、世界の終わりが始まった]]|
表示オプション
横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: