Shining days after ◆ZJTBOvEGT.



轟音と共に、根本から折られたビルが倒壊した。
吹き付けられた炎の吐息によるものである。
鉄筋コンクリートが一瞬で煮立ち蒸発する超高温から、
静留の清姫はぎりぎり逃れて、カグツチの側面をとっていた。
だが、それがなんだというのか。
あの灼熱の塊を相手に、この清姫でどう戦えというのか。
最初の体当たりをしのぎきった直後はまだよかった。
だが、それから数分と経たないうちに気づかされることになる。

(炎の温度が、上がっている…?)

カグツチに噛みつきかかった清姫の頭のひとつが、わずか数秒にして原型を留めぬまでに燃え尽きた。
視界を埋め尽くし続ける紅蓮の眩さに、すでにほぼ失明状態に陥っていた静留は
おそらく全身を覆いつつあるであろう火傷すら気に留めていない。そんな余裕がないのである。
ある一定の距離に入った瞬間、人体そのものの温度が発火点に達してしまう今のカグツチを相手にしては、
いつものように清姫に騎乗するわけにもいかず、安全なところから清姫を操って戦うより他にない。
熱源から離れるように飛行を続け、逃げ回る自分自身がなんとも口惜しかった。
とはいえ、ここまでで得られた収穫もある。
あれほどの高熱でも、物体を溶かしきるまでにはさすがにタイムラグがあることを確認できていた。
そして、あのカグツチの頭上に乗った、鴇羽舞衣。
彼女自身は決して無敵ではあるまい。
現に、カグツチ自体がそこに気をつけた挙動を行っている感があるのだ。
あそこへ何かしらの物体を直撃させられれば、あるいは…

(HiMEの力は、想いの力や)

鴇羽舞衣、お前は何を賭けている。
楯か、黎人か、それとも、巧海か?
二股、三股にまたがる想いに敗北する道理などない。
自分、藤乃静留にあるのは、ただひとつ。
なつきへの想い…それ、あるのみ。
周り全てを溶かして回るようなはしたない力とは、違う。
…カグツチが、突っ込んできた。

「清姫っ」

これを待っていた。右前方に向かって清姫の前転回避。
丁字路に陣取ったのはこのためだ。
背後にあったビルへの衝突を防ぐべくカグツチはあっさり勢いを殺したが、
これをまた、静留は待っていた。

「清姫、巻き付き!」

巻き付いてどうする気か。
清姫では、カグツチに接触して数秒もすれば灰になってしまうというのに。
もちろん、そのようなことは百も承知であり。

「…ただし、そこのビルに、や」

清姫が巻き付いたのは、カグツチから見て斜め後ろに位置していた、六階建てのビル。
一階部分を締め付けられヒビを大きくしたビルが斜めに傾き、崩れ出す。
立ち止まったカグツチの頭上に向かって、だ。

「これで潰れて、くたばりよし」


カグツチは急減速の直後で方向転換もままならず、
飛翔してかわそうにも、真上はすべて当のビルで覆われる。
炎の息で溶かしてしのぐ…やれるものならやってみるがいい。
そのときは自ら作ったマグマの中で焼け死ぬことになるだけだ。
まさに回避不能、脱出不能の必殺撃。
これにて完全な詰み。チェック・メイト。
響き渡る轟音。静留に向かって照りつける熱が、大きく弱まった。
目にはほとんど見えないが充分だ。
カグツチはその猛烈な熱もろとも、瓦礫の下へと埋もれたのだ。
仮にカグツチが無傷であろうと、頭上の舞衣は潰れアンパンに相違なし。
HiMEを失ったチャイルドがどうなるのかは知らないが、普通に考えれば消滅するだろう。
消滅をせずオーファンのように人を襲って回るようになるというのならば、この際好都合だ。
どちらになろうが、これ以上ここに留まっている理由はない。

「堪忍なぁ、ふふふ…」

笑いが漏れてくる。不思議な高揚感が、さらに高まっていた。
あれほどの力を発したカグツチを、自分は今、下したのだ。
やはり、勝利するのは愛である。
殺し合いの舞台上に、すでに敵する者などいない。
愛イコール無敵、愛イコール最強。
たった今証明された、この絶対的な公式から導き出される必然だった。
さあ、征こう。
螺旋王よ、首を洗って待っているがいい。
自分はこれよりこの愛で、お前の力を手に入れる…否、上回る。
なつき以外は何もいらない自分の想いで、宇宙さえも制してみせよう。
…そのようににやけていたから、気づくのが遅れたのかもしれない。

「…?」

この場から撤収すべく清姫を手前に呼び寄せている最中、奇妙な音に気がついた。
がらがらと何かが崩れ落ちる音がしているのは、今の状況ではまったく自然なことで、気にする必要もない。
だが、そこに、シチューが少しずつ煮えてくるような、泡立つ音が聞こえてきたらどうだろう。

ぽこ、ぽこ…ぐつ、ぐつ、ぐつ…ぐらぐらぐら…

しかも、やがてそこに、先ほど失われたばかりの熱と光が次第に復活してきているとしたら。
目がほとんど見えない以上無意味とは知りつつも、思わず振り向く。
いっそ、振り向かない方がはるかにマシであっただろう。
直後、大地が爆発した。そこで素早く飛び退くことができたから直撃は免れた。
が、飛沫が顔面を直撃した。
何の飛沫か…言うまでもない、溶岩である。溶けた鉄だとかセメントの混合体である。
さしもの静留も、断末魔並の悲鳴を上げた。
彼女とて、れっきとした人間だ…何の用意もないところにこれほどの仕打ちは、いくらなんでも耐えられない。
同時に燃え上がる全身を地面に突撃させ、転がり回って消火するが消えず、
『マテリアライズ』を解除して服と髪とを消し飛ばし、再度『マテリアライズ』。
今度こそ消し止めてまた空中に飛び上がった。
焼けた岩の塊やかけらがまだ飛び交っているようだ。先ほどの爆発のいかに大規模であったことか。
生命がまだあること自体、不思議なことなのかもしれない。
この様子から見て、カグツチが消滅せずにまた暴れ始めたようだが、
鴇羽舞衣が死んだとも言い切れなくなってしまった。
溶岩に焼かれたせいで、もう完全に目が見えない。これでは確認のしようがないのだ。
今後は清姫を目として生きていくこととしておいて、今この場はカグツチから逃げるべきか。

(…違うわ)

静留は、カグツチの方角に対峙し直した。
これしきを倒せずして、螺旋王に対せようものか。
なにより、チャイルドを前に敗走することは、
自らの愛がその程度のものであったことを証明することになってしまう。
先ほどまで味わっていた高揚感の真逆だ。
清姫も立ち止まり、振り返った様子。
全身に吹き付ける熱が次第に強烈になってくる。
カグツチが全身を表わし、こちらへ向かってきたか。
よろしい、ならば何度でもぶつかってくれよう。
その炎でこの身を焼くがいい。その巨体で清姫にのしかかるがいい。
こちらは、そのさらに上を行くまでだ。

(うちの想いは…なつきへの想いは、そないなものに潰せません)

ものすごい熱が押し寄せる。
すでに炎の息を吐かれていたらしい。

「清姫、避け…」

奮い立たせた闘志はむなしいものだったのか。
次に押し寄せた暴風が、静留の意識を速やかに奪った。




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牢の中、一人くの字に倒れ伏したままぼんやりと壁を見上げるのは鴇羽舞衣。
なんで、あたし、捕まったんだっけ。なんで閉じこめられてるんだっけ。
今の状況を確認しようとしてみて、少ししてやめた。
よくわからないが、そんな理由は山ほどあった気がするから。

(別に、不思議じゃないか…)

手枷と足枷とを引きずりながら、身を起こす。
陰気な小部屋だった。まさに牢だとしか言いようがない。
セメントの露出した床と壁は服越しにも容赦なく冷気を伝え、
手触りはざらついて皮膚を傷つけた。
みじめな気分にすらもならない。
ここでこんな風になっていることを、くやしいともかなしいとも感じない自分がいた。
ただ、それが当然のことだと受け止めるだけの自分が…
仰向けに寝転がる。手枷と足枷のせいで、大の字にはなれない。
よく見れば、自分は制服姿だ。風華学園一年の制服。
思えば、すべての始まりはあそこだった。
奨学金を当てにして、四国くんだりまで引っ越して。
向かう途中の船上でよくわからない乱闘に遭遇して。
その当事者二人と後で仲良くなるなんて、そのときは思ってもいなかった。
あのとき巧海も一緒にいたんだっけ…
そうだ、巧海だ。
奨学金が必要だったのは、巧海がいたからで。
巧海の面倒を自分だけで見てきたのは…

(そっか)

気がついた。
始まりは風華ではない。あの日のあの時だ。
川で遊んでいた巧海が、少し目を離した間に溺れたあの時。
あたしがちゃんと見ていれば、助けに行ったお母さんが死ぬことはなかったのだ。
父もまた、その後を追うことはなかっただろう。
なぁんだ。結局は全部、自分が引いた引き金の先に起こったことじゃないか。
あたしは自分から、不運を引き寄せ続けてきたのか。

(――ごめんなさい)

縮こまり、涙を流す。
気づかないふりをしていても、
必死であることでごまかしていても、
常に自分の背後にあり続けた…いうなれば、原罪。
鴇羽舞衣は何故、守りたかったのか?
その真相が、これだ。

(ごめんなさい、ごめんなさい…お母さん、お父さぁん……
 ごめんね…巧海ぃ…っ)

昔から、知人の励ましが辛かった。
がんばれ、えらいね、の声が重かった。
弟のためにやっていることを賞賛されるのが、嫌で嫌で仕方なかった。
なぜならそれは、単なる罪の裏返し。
ソノ手枷ト足枷ハ立派デスネ。
こんなことを言われて己の罪を誇る人間がどこにいるのか。
無意識下で舞衣は、言いしれぬ疎外感をその度に味わい続けてきたのだ。
だがもう一方で、舞衣にはその手枷と足枷しかない。
弟、巧海のために、自らの存在全てを捧げ続けてきたのだから。
それを奪われた後に残されたのは、ただ、ただ絶望。
償う途(みち)さえ奪われた嘆きの叫びが命(みこと)を焼いた。
殺し合いの舞台においては、ロイド・アスプルンドを。
シモンも、Dボゥイも、自慢の手枷の代わりでしかなかったのかもしれない。
舞衣は悟った風に、自分自身を他人事として眺めるように、そんなことを思う。

(あたしは守りたい。Dボゥイを守りたい)

…笑わせる話だ。
あたしの守りたい気持ちとやらは、結局自分の都合でしかないのに。
罪の意識から逃れたいだけの、浅はかな愛情もどき。
いつか命(みこと)は自分に聞いた。『好き』って何か、と。
少なくとも、こんな自分本位な醜さが透けて見える心のことではないはずだが。

(でも…嬉しかった)

舞衣のことを肯定も否定もせず、
ただ、支えてくれた人達を冒涜することだけは許さず。
やり直したいならやり直せばいい…そう言ってくれたDボゥイの声が、
じんわりと胸に沁みていた。

(嬉しかったから、守りたい。
 こんな気持ちは…間違い?)

誰かに教えて欲しかった。
自分がたった今すがっているこの気持ち。
これが嘘なのか、本当なのかを…



*******************************




衝撃と共に、静留の意識は戻った。
三途の川を半ばまで渡りかけていたかもしれない。
むしろ、身体の半分ほどは、すでにあの世へ行ってしまったように感じられる。
動かず、痛みもほとんどない。
残された感覚は、聴覚と触覚だけ。他は何も感じない。

「き、よ…ひめ」

呼びかけた声は果たして声になっていたものだろうか。
だが、応えるように起こったうねりが、静留にその存在を気づかせた。
静留の寝そべっている地面、それこそが清姫だった。
わずかに安堵する。この子がいれば、まだ戦える。
カグツチ相手にも、決して無力ではないのだ、と。
あの熱気は去っていない。この近くにいると考えるべき。
まず、ここがどこかを調べたいところだが、目が見えないでは気にするだけ無駄だろう。
あとあと禁止エリアの警告に引っかかることができれば場所もわかる。
今は奴を、カグツチをなんとしても下してみせる。

「きよ、ひめ、いき、ますえ」

倒れたままでは様になるまいが、心だけは勇ましく指示を出す。
想いの力、消えてはいない。ここにありということを見せてやろう。
…ふと、頭に受けた鈍い痛みを思い出した。
いつか、珠洲城遥にかまされた頭突きの痛みだったか。
あのときは馬鹿らしいことを、と思ったものだったが、
今はなんとなく、あの虚勢に敬意を払ってやってもいい気がしてきた。
だが自分は、負け惜しみだけ吐いて消えゆく女ではない。

「き…よひめ、立ちよし。何してるん」

檄を飛ばすと同時に口の中から何か出てきた。
多分、血だろう。即座に吐き出し、さらなる叱咤を繰返す。
そうしてやがて、気がついた。なにやら様子がおかしいことに。

「きよ、ひめ…」

清姫から、暖かい光が立ちのぼっている。
それは衣服のほころびからこぼれていく温もりのように。

「きよひめ、きよひめっ」

清姫は動かない。
温もりが失われていく。
手の平から感じられる質感も、消滅していく。

「きよひめ、あんたが消えるわけない…
 だって、あんたはうちの、なつきの…
 なつきへの想いが消えるわけなんて、ないやろ?
 あんたはうちの想いなのに。
 おかしいわ、んなん、道理が通らんわ。
 きよひめ…きよひめぇぇぇええぇっ!!」

静留自身の身体も動かず、清姫に何もしてやれない。
してやったところでどうなるというのだろう。
チャイルドは、限界が訪れた時点で最期だ。
何をしようが、消えていくのを止めることなどできはしない。
そして、その想いが浮かばれることはなく。
倉内和也を失った日暮あかねしかり。
鴇羽巧海を失った尾久崎晶しかり。
…待て。
では何故、清姫はここにあるのか。
なつきは死んだ。だのに、何故、清姫はここにあるのか。
なつきの想いが、変わらずここにあるからではないのか。
では、何故、消える。
この程度叩きつけられただけで、何故、なつきへの想いが消えなければならない。
清姫が消えるというのなら、想いの量が足りていないということ。
だが、あるではないか。
この胸は、なつきへの愛しさ切なさで溢れかえっている!
静留は、最後の力で転がった。
転がって、地面に落っこちた。
おそらくは、清姫の眼前に。

「きよひめ…うちを、お食べ」

もう、指一本動かせはしない。
だが、なつきへの想いはここにある。

「ただし、お行儀ような」

静留は、己がチャイルドとひとつになった。




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「ほほう…」

モニターから一連の戦闘を見ていた螺旋王が、にやりと笑った。
まさか、このようなことになろうとは。
まるで、藤乃静留に関する何から何まで、この光景のためにお膳立てされたかのようだった。
今、モニターに映っているのは、黒い液状の液体とも気体ともつかないものをもくもく吐き出し続ける清姫の姿。
地に落ちたそれは強い粘性を示しながら拡がりゆく。
際限なく垂れ流されるタールが悪臭を放ちながら押し寄せるがごとく。
螺旋王は知っている。吐き出されているそれが、聖杯の泥と呼ばれるものであることを。
『この世全ての悪』を内包した、あの空間とも物体とも言える塊は、
螺旋王にとってはアンチスパイラルが用いたデススパイラルフィールドを彷彿とさせるもの。
あれは螺旋力そのものを空間に取り込み超高密度で物質化するものであったが、
今、目にしている聖杯の泥は、螺旋力ではなく悪意そのものの物質化と言うべき。
そして悪意は決して、螺旋力と無縁のものではない。
清姫に喰われたイリヤスフィール・フォン・アインツベルンが秘めていた聖杯は、
ランサーのみを贄として発動できるものではなかったが、
そこへ螺旋力覚醒者…加えて、いつか英霊となる可能性を持っていた男、衛宮士郎も呑み込まれ、
さらに、自らを人身御供にただ一筋の強き想い、高純度高密度の螺旋力を捧げた藤乃静留によって、
目覚めがついに始まった、という筋書きのようだ。
そして聖杯とは、他を破壊することによって使用者の願いを叶える呪いの器。
あの藤乃静留の想い、すなわち清姫の想いが『なつきさえいれば、後は何もいらない』であるならば、
今や清姫そのものとなった聖杯は、なつきだけの世界を創り出すために他のあらゆるものを滅ぼし尽くすであろう。

「新世界創造…果たして、貴様に届くかな」

場合によっては、ラゼンガンで戦闘の渦中に降り立つも一興か。
螺旋王は肘をつき、引き続き観戦の構えに入る。
あの清姫が吐き出した泥の中に突っ込んだカグツチは、
清姫と同じように力が抜けて静止していた。
頭上にいる鴇羽舞衣も、またしかり。




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「あ、あ、あ」

牢の中から引っ張り上げられた鴇羽舞衣は、気がつけば呪いの中にいた。
真っ黒い泥のような空間に、無数の顔が浮かび上がる。
恨みの形相で睨む詩帆。
不愉快そうに眉を寄せる祐一。
冷笑する黎人さん。
嘲笑する会長さん。
よそよそしい目で見てくる千絵とあおい。
泣きわめく命(みこと)。
無関心な、他人を見る目のなつき。

「…いや、嫌ぁ」

のけぞっても、見える景色は変わらない。
全てがこちらに回り込んでくるようだ。
こちらを見ながら震える雪乃が。
その隣で軽蔑と憤怒を瞳に込める執行部部長が。
冷たく見放す父と母が。

「やめて、見ないで、そんな目で…見ないでよ」

上から見下す碧先生。
小馬鹿にするようににやける奈緒。
アリッサを抱きしめ、無感情の目に敵意を込める深優。
我慢など、できない。
一瞬たりとも、できるものか。

「やだ、助けてよ…誰か、助けて。
 助けてよ、巧海、巧海ぃぃぃっ」

走り出そうとしたところで、足元に妙な感触。
下を見下ろす。そこにあったのは。

「助けて、助けてよ、お姉ちゃぁぁぁん」
「い、いやぁぁぁぁ――――っ、巧海ぃぃぃっ?」
「重いよぉ、お姉ちゃんが重いよぉぉ。
 なのに、お姉ちゃんが、いつまでたっても重いんだよぉぉ」
「ご、ごめんね、ごめんね、巧海…ゆるして、巧海」

踏みつけていた巧海の顔から、あわくって足を放す。
だが、その先でも、その先でも、そのさらに先でも。

「重いよぉぉー」
「重いよぉぉー」
「お姉ちゃんが重いよぉぉぉお」
「重いよぉぉぉぉぉぉぉ」

「嫌ぁぁぁ―――っ! 嫌、嫌、嫌ぁぁぁぁぁ」

踏みつけているのは全て、巧海の顔だった。
いつまでもいつまでも聞こえ続ける悲鳴。
自分が重たいばっかりに。
つまづいて、転げる。もちろん、巧海の顔につまづいて。
倒れた先も、巧海の顔。
すがりつくように、抱きしめた。

「ごめんね、巧海、あたし、あなたを守るから」
「近寄るなぁ!」
「ひぃぃっ?」

斬りつけてきたのは苦無(くない)。
舞衣の右手をすぱりと飛ばしたのは、巧海の男友達。
…いや、違う。HiMEの一人だった子だ。

「お前がいるから、お前がいるから巧海は苦しんだんだろ!」
「そんな、あたしは、ただ」
「黙れ! 少しでも悪いと思っているのなら、巧海の目の前から永遠に消えろ!」
「た、たくみ…そうなの…違うでしょう?
 違うって言ってよぉぉ、助けてよぉぉ」
「重いよぉぉ、お姉ちゃんが、重いぃぃ」
「…あ…たく、み…う…」

足から、一気に力が抜けた。
もう走らなくてもいいという安心感を得てしまった。
そこへのしかかってくる、顔、顔、顔。

「へぇぇー、嫌がられてたんだねー」
「なのに気づかないで、あたしエライエライ、だってー」
「あなたが巧海をちゃんと見てれば、あなたなんかに任せなかったのに」
「情けないな、こんな風に育つとは…」
「舞衣なんかに聞いたのがバカだった。
 お前なんかに兄上への気持ちがわかるわけなかったぞ」
「結局、私を見逃したのも、可哀想な自分を汚したくなかったからなんですね」
「ふん、自分可愛さか。よくも被害者面ができたものだ」
「…わっかんねぇよ、お前」
「あなたの身勝手さで、お兄ちゃんを汚さないで」
「ばぁーっかみたぁい、偽善者、いい気味」
「底が割れましたね、舞衣さん。あなたはチンケすぎる」
「ほんま、呆れたわあ」
「風華学園から、不穏分子は排除、排除よ」

「あ、う、やめ、やめてよぉ…みんな、やめてぇ」

頭を抱える。ぶんぶん振る。
もう逃げられない。走れない。
そこへさらに顔、顔、顔。

「何が信じてもいい、だ! アニキじゃないくせに。
 俺は死んだ、もういない!」
「キミは調子に乗りすぎたねぇ~、もうダメだと思うよ」
「カワイソーなあたしは死なない、いつか誰か助けてくれる。
 そぅお~思ってたろぉ? 甘いぜぇ、甘いよなぁ~?」
「だからお前はアホなのだぁ」

殺し合いの中でも、罪は重なり続けていた。
あたしなんかに、この男が責められるものだったのか。

「…Dボゥイ」

その後ろにいた気難しい顔に、声をかける。
助けを求める。

「Dボゥイ、助けてよ。
 やり直したいよ、こんなの嫌だよ」
「っはぁーい、そこまでー!」

突如として舞衣の目の前に、陽気な声と顔が立ち塞がった。
全員の罵声が止まる。
見上げた先の、その顔は。

「み、碧先生!」
「みんな、よってたかってカッコ悪いよぉ?
 この子にはさぁ、たった一言だけ言ってあげればいいじゃない」
「…先生ぇ」
「辛かったよね、舞衣ちゃん。もう、いいんだよ」
「うん…うんっ」

思わず涙がにじむ。
ぽろぽろとこぼれ落ちた雫が、心を洗う。
とにかくめげるということのない、
一時は同僚、今は先生、そして仲間の一言は。


「 死 ね 」

舞衣の涙を、干からびさせた。

「あのさぁ舞衣ちゃん、じゅうななさい的にスッゴイ不思議なんだけどさぁー。
 どうしてそんなになってまで生きてられるのかなぁーって」
「碧先生、そんなことをこの子にわからせるのは酷ですよー。
 酷なだけに、こうー、頭がコックリコックリ…なんつってー」
「笑えないなぁ迫水センセ…ま、この子の勘違いっぷりほどじゃないけどさ。
 恥っずっかっしいよねぇー、死ねば助かるのにぃ」

アッハハハハハハハハ…
杉浦碧が大爆笑を始めると、波を打つように哄笑の渦が広がっていく。
誰もが、舞衣を指さして笑っている。
その中には罵声も混じった。怒声も、泣き声も混じっていた。
だが、一様に聞こえてくる声はひとつ。


死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね
死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね
死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね
死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね
死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね
死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね



舞衣は、倒れ伏した。
その眼は光を失い、何一つ見ることはない。
もう、何も聞きたくない。感じたくない。
願うことは、もはや、ひとつ。

「殺して…
 お願い、殺して…
 誰か、殺してぇ」
「ふん、それでいいのか、お前は」

嘲笑の中、傍らに立った誰かが聞く。
もう、誰でもいい。

「いいから、殺して」
「言いたいことのひとつくらいあるだろう。
 お前らしくもない」
「もういいのよ、殺してよ。
 みんなの言う通り、あたしは、自分可愛さで誰かを踏み台にして、不幸にして…
 死んだ方がいい奴なんだから」

ぱんっ

…何も感じたくなかった頬に、しびれる痛みが走った。
胸ぐらをつかみ上げられて気づく。
その誰かが、誰なのか。

「ふざけるな!」
「…なつ、き?」
「ふざけるな…ふざけるなよ?
 お前は今、泣いているだろうがっ…
 心にもないことを、ほざくな!」

さらなる平手で吹っ飛ばされる。
尻餅をついた舞衣は顔に手をやり、気づく。
手をべったりと濡らす、透明な雫。
涙が再び、瞳の奥から湧き出し始めたことに。
周りからは相変わらずの嘲笑と、死ね、死ねの連呼。
涙が、さらに溢れ出す。

「悔しいだろう?…わかるか?
 お前は今、悔しいんだ!
 こんなくだらんことを言われて、ハイそうですかと納得する奴なのか、お前は!」
「あたしは、巧海を…」
「違う! 私の知っているお前は、違う!
 お前が心の奥底でどう思っていたかなど、知ったことじゃない。
 だがお前の自分可愛さからだったとしても、お前は弟を守っていたじゃないか!
 母さんを守れなかった私より、ずっとすごいことをお前はやってきたじゃないか!
 それをバカにされて、お前が悔しくないわけが、ないっ!」
「でも、あたし、守れなくて…」
「何よりっ!」

なつきが、舞衣の周囲を示す。
降り注ぐ下品な笑い声と罵声とを。

「よく見ろ!
 お前が守りたかった奴等は、こいつらなのか?
 こんなつまらん奴等を守るために、お前は戦ってきたのか?
 お前の目には、私が、命(みこと)が、みんながこんな風に映っていたとでもいうのか?
 応えろっ、舞衣っ!」
「…っ、う…」

喉が、引っ張られる。
罪悪感に引っ張られる。
舌がつりそうで、動かない。
なつきが声を荒げた。

「応えろ!」
「……違うっ」

舞衣は、手をつく。膝をつく。
重たい。重たくてたまらない。
だが、立ち上がる。
立ち上がる力を、見つけた!

「違うっ!
 あたしが、あたしが守りたかったのは…あの、まぶしかった毎日!
 こんな奴等じゃ、ない!」
「だったら呼べ、お前の想いの力を、ここに!」

胸の前に腕を組む。
そうだ、守りたいものは、最初からここにあったじゃないか。
こんなにも熱く燃え盛っていたのに、気づいていなかっただけだった。
ここで見させられたまやかしとは似ても似つかない、尊いものに。
今まで忘れていた想いを、呼ぼう。


「カグツチィィィィ―――――ッッッ!!」


光の渦が闇を裂く。薄紙のように燃やし尽くしていく。
できの悪い偽物どもも、笑い声と一緒に焼け死んでいく。
その中でなつきはやさしく微笑むと、霞のように消えた。

「舞衣、頼む。静留を…」






―――ふと気がつくと、船だった。
鴇羽舞衣は、大型船から夕焼け沈む海に臨んでいた。
何ごとかと思い周囲を見回す背後から聞こえてきた声は。

「覚えてる? お姉ちゃん」
「…た、巧海?」
「僕とお姉ちゃんで、風華にやってきたフェリー。まっぷたつになった船だよ。
 すごい騒ぎだったのに、お姉ちゃん、僕の薬を取りに行ってくれてたんだよね」
「巧海ぃっ…」

抱きしめる。
首から肩に両腕を回して、思いきり。
思考が行動に、感情に追いつかなかった。

「…苦しいよ、お姉ちゃん」
「巧海、ごめんね、巧海ぃぃっ…」
「どうして謝るの」
「だって、だってぇ…あたし、巧海を守れなくて…
 …違うっ、あたしのせいでお父さんとお母さんが死んでなかったら、巧海だって」

泣きじゃくる舞衣を、巧海はしばらく黙って受け止めていた。
少しして、口を開く。ぽつりと漏らすように。

「じゃあさ、お姉ちゃん」
「え?」
「もしお姉ちゃんが、僕の面倒を見なくてもよかったら…
 お父さんとお母さんが無事だったら、僕のことはどうでもよかった?」
「…………」

絶句する。思考停止に陥りかける。
予想外すぎる切り返しであったから。
だが、数秒もしないうちにこみ上げてきたのは、やはり涙。
罪悪感ではない…むしろ怒り。そして愛しさ。

「そんなわけないじゃない、馬鹿ぁっ」

今まで以上に思いきり抱きしめた。
巧海の身になって考えるのを忘れかかっていたくらいに。

「あんたは巧海でしょ。あたしの弟でしょ。
 代わりなんかいない…たったひとりの、あたしの大好きな巧海でしょ?
 そんな気持ちに理由なんかいるの? ないわよ、そんなの!」

言葉と一緒に、堰を切ったように流れる涙。
今まで必死になってきた過去の全てが、
その涙を目蓋に留めることを許さなかった。
ああ、こんな涙を流せなくなったのは、いつからだっただろう。
つらい現実の中、罪という名のおためごかしで顔面を塗り固めてきたのは誰だったのか。
そんな自分の背中に、今度は弟が手を回した。

「お姉ちゃん」

確かめるように背をさする手は、やがて交差し。
そして、力強く抱きしめ返す。
病弱の細腕には信じられない力。知らなかった力。
力に込められて紡がれる思いに。

「僕も、お姉ちゃんが大好きだから」
「たく、み…」
「苦しまないでよ…悲しまないでよっ。
 つらいときは、つらいって言ってよ。愚痴ってよ。僕にお姉ちゃんを助けさせてよ。
 僕はお姉ちゃんに、幸せになってほしかったんだから!」

…舞衣は、泣いた。
その場に崩れ落ち、大声を上げて泣き続けた。
抱きしめて支えてくれる巧海も、大粒の涙を隠そうともしなかった。
思い重なって、ひとつになる。
痛みではない。重荷などでは、もっと、ない。
この、壊れそうなほどの切なさは…炎だ。
今までも、そしてこれからも自分を突き動かし続ける、炎だ。

「…行ってくるね」

やがて、舞衣の方から、手を放した。
立ち上がって、行かねばならない場所がある。

「頼まれたんだ、なつきに…
 それだけじゃなくて、守りたい人もいるから」
「一人で大丈夫? 僕も、一緒に行く?」

冗談めかした口調で笑う巧海の頭を、
舞衣は軽くこつんと叩いた。

「バカ。あんたは重たいのよ」
「ふふ、そうだね」
「こんなに大きくなっちゃって、もう」

もしかしたら、自分の背を追い抜くのもそう遠くなかったかもしれない。
そんなことを思い、やはり笑う。巧海も笑った。

「じゃあ…お別れだね」
「……うん。バイバイ、巧海」

水面下からカグツチが顔を出した。
躊躇なく飛び降りた舞衣を背に、空へ飛び上がる。

「あ、お姉ちゃん、最後に!」
「なぁに、巧海?」
「空高くまで上がったら、一度だけ振り向いてみて。
 一度だけ、だよ」
「…うん!」

カグツチが姿を変える。
シアーズの衛星を叩き落とす際に使われた、ジェット形態だ。
これならば、宇宙にまで到達するのも誇張なしに一瞬である。
だから、加速をかけ始めた瞬間に舞衣は振り向き、見た。

「みんな…」

巧海の後ろに父母がいた。
父母の後ろに命(みこと)がいた。
その隣になつきがいて、楯がいて、詩帆がいて。
千絵がいて、あおいがいて、あかねがいて、碧先生がいて…
今までに出会った思い出の全てが、船上から舞衣を見守っている!
またも涙がこぼれるが、振り向くのは一度だけと約束した。
見据えるべきは、進む先のみ。

「ありがとう、みんな…行くわよ、カグツチ!」

ありったけの思いを胸に、悪意の泥の中へ、再び。
雲を切り裂いたカグツチは、あっという間に闇に包まれていった…



【鴇羽舞衣@舞‐HiME 螺旋力覚醒】



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