検証31:善信尼と厩戸の舎人のプラトニックラブ
山岸版では、旅立つ善信尼を見送りたいという調子麻呂の気持ちを察していながら、厩戸は用事を言いつけて邪魔をする。
このエピソードが、池田版では逆に、気持ちを察した厩戸が用事にかこつけて舎人を善信尼のもとに送り出すというエピソードになっている。
山岸版も池田版も、その後、肉体的な関係は一切持たずにプラトニックな関係を保っていく。
このエピソードが、池田版では逆に、気持ちを察した厩戸が用事にかこつけて舎人を善信尼のもとに送り出すというエピソードになっている。
山岸版も池田版も、その後、肉体的な関係は一切持たずにプラトニックな関係を保っていく。
史実では 日本書紀巻二十に
「司馬達人の女(むすめ)嶋を出家させて善信尼といった」
《講談社学術文庫『日本書紀』(著:宇治谷孟)下巻 P67より》
疫病が流行したのを守屋たちが仏教のせいだと天皇に言ったため、
「役人はたちまち尼らの法衣を奪い、からめ捕えて海石榴市の馬屋館につなぎ、尻や肩を鞭うつ刑にした」
《講談社学術文庫『日本書紀』(著:宇治谷孟)下巻 P69より》
という記述がある。
また巻二十一に
また巻二十一に
「この月、百済の調使いが来朝したので、大臣が使人に語って、「尼達をつれてお前の国に渡り、受戒の法をならわせて欲しい。(中略)」といった。」
《講談社学術文庫『日本書紀』(著:宇治谷孟)下巻 P78より》
「この年、百済が使いに合わせて、(中略)蘇我馬子宿禰は百済の僧たちに、受戒の法を請い、善信尼らを(中略)発たせた。」
《講談社学術文庫『日本書紀』(著:宇治谷孟)下巻 P82より》
とあるだけ。
出発の直前に善信尼を好きな男が駆け付けたなんて話は一切ない。
同じく巻二十一に
出発の直前に善信尼を好きな男が駆け付けたなんて話は一切ない。
同じく巻二十一に
「三年春三月、学問僧の善信尼らが百済から帰って、桜井寺(別名向原寺)に住んだ」
《講談社学術文庫『日本書紀』(著:宇治谷孟)下巻 P82より》
とあるだけで、善信尼が帰国した際に好きな男と再会したという記述もない。
エピソードの元となる史実・逸話がないのだから、池田版のエピソードは、山岸凉子の創作エピソードを剽窃した(パクった)疑いが濃い。