真田の遺跡

【用語名】 真田の遺跡
【読み方】 さなだのいせき

【詳細】

真田教導院の近くにある遺跡。

移動教室の目的地であり、ここに立ち入ることを真田の者たちは拒否し入るのであれば天竜の生き残りである佐助等を突破して行けと言う。

元々はただの遺跡であり、作中30数年前松平・元信がやってきてから変わったとされる。

元信は竜達と同等の話ができ、いろいろな探求を行った。
それから時間がたって三十年前、島原の乱の残党達がここで再び反乱を起こし、元信に鎮圧されたあと弟の松平・信康が江戸の管理者として管理下に置いた。
その後、信康の自害後に遺言により酒井・忠次が15年前に一度破壊している。

なお三十年前の時点では江戸の管理者は元信であり、第二次島原を鎮圧した際に信康に権利を移譲した模様。
本来であれば信康は岡崎城を居城とするはずが、中立領土として監視が厳しかった三河と隣接した岡崎に元信の親族が入ることが認められなかったためとされている。

なお、20数年前、インノケンティウスに喧嘩売るため当時の忠次らが三河から江戸方面に移動。
そこから北上して北回りでK.P.A.Italiaの背後を狙いに行く最中、当時内部がゴタゴタしていた真田が部外者の手を必要とし結果として今の遺跡を開放。

遺跡は元信と信康が使っていたようで、島原の残党達も三十年前に再び反乱を起こして平定されるまで利用していたらしい。
その間ここで何をやっているのかは不明。

なお、この遺跡は神代の時代のものではなく、神道側に記録や登録がない。
このため浅間は存在しない教導院、天津乞神令教導院の一つが真田の遺跡ではないかと推察していた。

現在の遺跡の入り口は竜に対応し高さは80m、幅は2倍ほどもあり白い石張りとなっている。
遺跡としてはまだ生きているため保全加護が働いていて、一度傾いて泥などが流れ込んだ結果土の床ができて少し天井が低い箇所がある。

階層は2つあり、階層ごとに巨大なホールが2つ。
一つは地上に露出していて二階層目は地下。ホールの奥に信康が自害した場所と何らかの施設がある。
また強固なステルス防御壁がかけられていて、裏の方に広範囲に広がる谷か何かがあるとネシンバラは読んだが、
空から見ても歩いて行っても辿りつけず、遺跡の内部からであればそちらに行く事も可能とされる。

内部は硬化石材で固められ、組成はノヴゴロドと同様。
しかし、浅間によればこちらの遺跡のほうが50年ほど古い。
地下のホールにはノヴゴロドと同じ"八枚の黎明の模造と中央に彫り込まれた形"が天井に彫り込まれ、円形の中央部では人々が手をつないでいるものが描かれていた(真ん中の部分はやはり、消されている)。
中央部にあるものは、あるべき何かが削られていて、各地にある同様のものも一箇所以外は同じと佐助は話している。

佐助がここへ流れてきた時、北条・時頼の遺書を持った北条の使者がやってきたという。
その"一箇所"というのが北条にあり、武蔵たちの次の目的地となった。

先代十勇士の生き残りである佐助と才蔵が第一次上田合戦の歴史再現としてホールに陣取り、やってきた武蔵勢と相対した。
そして激闘が繰り広げられその余波により完全に崩壊する。

10巻中にて、真田の遺跡は松平・信康が未来を読み取ることで末世を何とかしようとした際に使われた遺跡であることが判明。
信康は公主隠しによって消えてしまったが、未来において、地脈から過去から呼ぶ声(最初ホラーかと想ったと聞いた者たちは言っている)を
聞いた者たちが自分達の情報などをひたすら外燃排気として流し続け運良くどうにかならないかとしていたら、
突然抽出される。ソレが後の福島・正則達、十本槍の内の8人とオリオトライ・真喜子であった。
志願して最初に試しで行ってみたのが真喜子であり、他は後から来た。

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最終更新:2018年03月19日 01:09