唯先輩。

のんびりしててだらしなくてどこか抜けていて、だけど暖かくてやわらかくて決めるときにはきちんと決めてくれる人。
いつもいつも私が呆れることしかしてくれなくて、だけど本当にそうはさせてはくれない。
最初にこの人を目にしたのは、ステージの上。
子供のお遊びみたいなステージの上で、嘘みたいに輝いていたあの人の姿を今でも私は覚えている。
そしてその後、部活での姿に幻滅させられたことも。
悪印象と好印象、それの繰り返し。
それを繰り返しているうちに、その境界がわからなくなってくる。
それを全部ひっくるめてあの人なんだと。そして結局私は、そうして現れているものを嫌いとは言えなくなっている。
じゃあ、その逆なのか。
好き、なのかと。

言ってしまえば、実際その通りと言うことなんだろう。
こうしてまた練習時間を削るのにもかまわず、あずにゃんなんて変なあだ名をすっかり私が受け入れたと思って、ぎゅうっと抱きついてきているこの人を、私は結局憎めないでいる。
暖かくて柔らかな感触と鼻をくすぐる匂いと、その全てを心地よく思ってしまっている。
鼓動はどきどきと高鳴って、頬はじわっと熱くなって、頭の中はぽーっとなってしまって。
この人の胸の中にすっぽりと納まってしまう。
それが自分の定位置なんだと、そう思ってしまっている。

だから、そんな私はその人のことを――唯先輩のことを好きなんだと思う。
もちろん口にしたりはしないけど。
そうしてしまえば、きっとその人は調子に乗ってしまうだろうから。
まあ、そんなの。わざわざ口にしたりしなくても、こうして身をゆだねてる姿を見られれば一目瞭然なんだろうけど。
だから、それだけじゃない。
私がその言葉を口にできないのは。
好きですよ、なんて簡単に口にできないのは。
それがきっと、わからないから。

好き、なんて一言にいってもいろいろある。
大好物のタイヤキはもちろん――好き、だし。
愛用のむった……こほん。ムスタングももちろん――好き、だし。
可愛がってくれる両親ももちろん――好き、だし。
私が好き、と挙げるものはたくさんあって、それはそれぞれ意味が違ったりする。
なら、私が唯先輩に向ける好き、と言う言葉にはどういう意味を持たせればいいのか。
それが、私にはわからない。
先輩、だけじゃ足りない気がする。
親友、ともなんかちょっと違う。
バンドのメンバーなんてのもあってはいるけど、なんかズレがある。
この人と話しているとき。
ぎゅっとされてるとき。
なでなでとされているとき。
ふわっと笑いかけられているとき。
その時々に私の中に浮かび上がってくるものは、私が例示できるもののどれも当てはまらなくて。
だから、なんていえばいいのか私はわからない。

だからだろうか。もちろんそれは統括してしまえば、好きという言葉に繋がるし、それは自分にとって心地いいもののはずなのに。
最近の私は唯先輩にぎゅっとされるたびに、わからないというその言葉が先にたって、なんかもやもやとして落ち着かない気分になってしまう。
だから、そのもやもやがどよどよしたものに変わってしまう前に、私はいつも抱きつく唯先輩を引き剥がす。
唯先輩はそれが寂しいよーなんて言いながら結局は笑う。
それを、私は寂しく思ってしまう。
頼んでもいないのにぎゅうっと抱きついてくるくせして、それを嫌がる素振りを見せる私に平然としているのが気に入らない。
少しは傷付く素振りを見せてくれたっていいと思うのに。
そんな自分勝手な思いを、そのときいつも抱いてしまう。
本当に自分勝手だ。もやもやしたよくわからないものを理由にそんな行動をとっているのに、更にはそのリアクションに注文をつけるなんて。
まあ、それを言うなら頼んでもいないのに抱きついてくる先輩のほうも、勝手と言えばそうなんだけど。
ことあるごとにぎゅっと抱きつくその癖はどうにかした方がいいとは思う。
その被害にあう頻度が最も高いのはきっと私なんだろうけど。
その対象が私だけではない、と言うのもまた、何度も見てきたことだから。

もう一つ。
多分私は唯先輩のこともわからないんだと思う。
なぜ、どうしてこんなに私に抱きついてくるのかと。
私をこんなに可愛がってくれるのかなと。
可愛いって唯先輩は私のことをそういってくれる。
じゃあ、それが理由でいいんじゃないか、なんて思いはするけれど。
あの人のことだから、それだけの理由で毎日ぎゅうっと抱きついてきて、なでなでしてくれて、調子に乗ったときはむちゅーっとまでしてきそうになっていたとしても、それ程の違和感は無いけれど。
だけどそれだけじゃないと私は思ってしまっている。
きっと、それだけであって欲しくないと思っているのかもしれない。
可愛い後輩だから、なんてその口で断定して欲しくない。
できれば、私と同じように、私のことを本当はどう思っているのか少しでも悩んでいて欲しい、なんて――そう思っている。

だけど唯先輩は、いつものようにふんわりと笑っているだけ。
こうして私の手でその行為をやめさせられても、その笑顔はちっとも変わらない。
だから、私の胸の中のもやもやは、そうならないようにと引き剥がしたはずなのに、結局はどよどよしたものに変わってしまっている。
だから、私の口調は知らず厳しいものになってしまう。
その態度も、まるで八つ当たりみたいに、それに近しいものになってしまう。
ぼけっとしてないで練習しますよ!なんて本当に怒った顔できっと睨み付けたりなんかして。
それに多少は傷付いたりしてくれればいいのに、なんて思ったりしながら。

ああでも、それでもいつものように笑ったままなのは。
ひょっとしたら、きっと私のことなんてどうでもいいからなのかもしれない。
私に怒られても嫌われてもきっとどうでもよくて、私のことはそれくらいにしか思っていないのかもしれない。
しぶしぶ、なんて顔でようやくギターを肩にかけた唯先輩をむすっとした顔で迎えながら、私は落ち込んでしまう。
もちろんそれを演奏に反映させたりはしないけれど。
楽しそうにギターを弾く先輩の横で、時々ぶつかる視線に笑顔を返しつつも、私はそれとは正反対の思いを身の内に沈めていた。
どうしてこうなってるんだろう、なんて、そんな疑問をまた同時に浮かべながら。

本当にわからない。
自分のことも、先輩のことも。
だからもやもやして、どよどよして、いらいらして。
いっそ先輩の傍にいなければいいのかもしれないなんて、そんな風に思ってしまう。
思ってしまうのに、だけど、思えない。
そんなの嫌だ。先輩のいない風景を思い浮かべただけでぞっとする。
もし、あの文化祭のデモテープを聴いたりせずに、新歓ライブを見たりせずに、軽音部に入ることもなかった私がいたりしたら。
きっとその私は先輩のことを欠片も思ったりもせずに、それでも笑いながら日々を過ごしていたのだろうけど。
今の私は、そんな私にはとてもなれそうに無い。
扉を空けると先輩があずにゃんって迎えてくれて。
ぎゅうっと抱きしめてくれて。
なでなでなんかしてくれたりして。
そして一緒に練習したりして。
それは全部私にとって幸せと呼べるものだから。
それがなくなったらきっと、そう呼べる私はどこにもいなくなってしまうから。
だけど。
それを全部手に入れている私は、幸せな私のはずなのに。
それを疑問に思ってしまうほどに、苦しい。
もやもやして、どよどよして、いらいらして。
そしてぎゅうっと胸が締め付けられる。
わからない、本当に、どうしてこうなってしまってるのか。

私がこんな思いを胸に押し込んでいるのに、どうして先輩はそんなに楽しそうに笑っていられるのか――



一人きりの帰り道、私は隠すことも無く大きなため息をつく。
いつもなら唯先輩と二人で歩いていたこの道を、今の私は一人で歩いている。
さすがに限界だった。これ以上唯先輩といっしょにいたら、本当にどうかなってしまいそうだった。
いつかの入りたての頃真面目に練習しようとしない皆に憤慨してしまった自分のように、暴れてしまいそうだった。
いっそそうしてしまえばいい、なんて思わなくも無かったけど。
だけどそんなわけのわからない理由で怒られても、唯先輩も困るだろう。
だから、少なくともきちんと整理が付くまでは、それはできないと思う。
そうせずにいられているということは、ひょっとしたらあの頃よりも私は大人になったと言うことなのだろうか。
本当にそうなれているのなら、自分の気持ち位あっさりと整理をつけられているのだろうけれど。

ため息をつく。
用事がありますから、と一緒に帰ろうとした先輩を突き放したときでも、あの人はそっかぁそれじゃ仕方ないね、なんて笑っていた。
はあ、とため息をつく。
ばいばーい、なんて手を振って、歩み去る私を見送ってくれた。
いくら先輩でも、こんなあからさまな理由を使えば、それが口実に過ぎないってわかりそうなものなのに。
ただ私が、先輩から離れるために用事があるって言っているだけなのに。
それはきっと、いくら鈍くてほんわかしている先輩にも伝わっているはずなのに。
だけど、先輩はいつものように笑っていた。
だから、ぎゅうっと締め付けられる胸は、ズキズキと鋭い痛みを感じるほどにまでになってしまう。

そう、私の言葉に傷付いてくれればいいのに。そんな姿を見せてくれればきっと、私の痛みも消えてくれるかもしれないのに。

――どうして、そう思ってしまうのか。
それじゃまるで、私が唯先輩のことを傷つけたいと思っているようだ。
そんなはずないのに。私は間違いなく、唯先輩のことを――好きなのに。
好きな相手にそんなことしたいと思ってしまうなんて、そんなの、おかしい。
好きな相手をいじめたくなるとか、そんな話に聞く男子小学生の恋愛表現のようなものなんて。
そんなのおかしすぎる。
私はどうして、こんなことをしてるんだろう。

だって、私のそういう態度に傷付くと言うことは、つまり。
唯先輩は私を、私と同じ位に好きでいてくれて、私と同じように胸を痛ませてくれていると言うことだから。
つまり私はそれを確かめたくて、そうであって欲しいと願って、こんなことをしているということなんだろう。

私を、好きでいて欲しいって、私と同じように胸を痛ませて欲しいなんて、そんなこと。
子供じみていて、自分勝手で――嫌になる。

つまり。
そんな私には、あの人に好きでいてもらう資格なんてないということなんだろう。
もし仮に、何かの間違いであの人が私のことを好きでいてくれたとしたならば。
私は、あの人を傷付けてしまったということになるから。
そんなこと、許されるはずがない。
だからきっと私には、あの人を好きでいる資格もないんだと思う。
こんな私が、あの人に好かれていいはずがない。
こんな私が、あの人を好きでいていいはずがない。

だけどきっと。
あの人は明日もまた、私に笑いかけるんだろう。
あの人は明日もまた、私のことを抱きしめるんだろう。
あの人は明日もまた、きっと――
そうして私は、あの人のことをもっと好きになる。
今より、もっと好きになる。
そんな資格なんて自分にないと言いながら、だけどそんなことないよと笑うあの人にまた甘えてしまうんだろう。

だから、わからない。
私はわからなくなる。
私はいつもわからなくなる。
私はどうすればいいのか。
わからないに包まれて、どうしようもなくなっている私は、どうすればここから抜け出すことができるのか。
何かに助けを求めようとして、すがりつこうとした先に映るのは、やはりあの人の笑顔で。
どんなにぐるぐるめぐっても、辿り着く先はいつもそこで。
堂々巡りの繰り返し。
だから、どうすればいいのかわからない。
本当にわからない。
わかっていることは唯一つ。
好きと言う、言葉だけ。
その意味すら私にはわからないのに。
それでも尚胸の中で止まない、その言葉だけ。

私はまたため息を付いて、そして、ゆっくりと顔を上げる。
時間を潰していた私よりもきっと、先に家に帰り着いているだろう唯先輩の、その家の方へと目を向ける。
きっとごろごろと過ごしてるんだろうなと、その姿をまるで自分がそこにいるかのように鮮明に思い浮かべられる。
そうしていて欲しいと、きっと私は思っているんだろう。
私の言動に傷ついて、暗い部屋で一人泣いてなんていて欲しくない。
そうしてくれたら、なんて思ってしまう自分がいるのは止められないけれど。
そしてまた堂々巡りの自己嫌悪。
こんな私には、それこそがふさわしいのかもしれない。
そしてもう一度ため息をつき、歩き出そうとした。
だけど、足が止まる。
止めたのは、ポケットで震える携帯。
取り出した画面に映るのは、あの人の名前。
メールボックスを開けば、リストの一番上にあの人からのメール。
唯センパイ。
その名前を小さく呟いて、ボタンを押す。
そして、思い知らされる。

――きっと、魔法がもしこの世にあるとしたら、こんな形をしているんだろうなと。

わかってたのに。
わからないなんてことなかったのに。
私の答えはいつでもそこにあるんだって。
何度も辿り着いたその場所に。
わかっていたのに、私はまた、あの人に甘えてしまったんだ。
きっといっぱい傷付けてしまったあの人は、またそうして私に甘えさせてくれたんだ。
私のことを、わかっていてくれたんだ。
だから今この言葉を、私に届けてくれたんだろう。

私は画面から目を離すと、空を仰いで、思わず零れそうになったものを素早く人差し指で払った。
くるりと踵を返し、そして私はまた歩き出す。そして走り出す。
私の家からは遠ざかっていくけど、あの人の家には近付いていくその方向へ。
伝えなきゃいけない。
やられっぱなしは性に合わない。
だって、私は負けず嫌いなんだから。
それはきっと、あの人もよく知っていること。
だからきっとあの人は、玄関先で私が訪れるのを待ってくれているに違いない。

じゃあ、何を告げよう。
きっと笑顔で私を迎えてくれるあの人に。

ごめんなさい?
それとも。
ありがとう?

違う、それよりも先に私が告げたいのは、あの人が望んでいるものは他にある。
あの人が届けてくれたものと、同じ形。
その音を、ただあなたの鼓膜へと、私の声で。
最初からそうしていればよかったんだよって笑うあの人へと、大好きって思いをいっぱいに詰め込んで。
今までずっと口にできなかった、その言葉を告げよう。
今でもまだ、その意味はわからないままだけど。
だけどきっとそうすれば、私は知ることができるんだと思う。
あの人は教えてくれるんだろうと思う。
導いてくれるんだと思う。
その言葉の先へと、私がいるべき場所、あるべき姿へと。
だから。

――大好きです、唯先輩。

『大大好きだよ、あずにゃん』

END


  • 何度読んでも本当に素晴らしい。すごい。 -- (名無しさん) 2010-12-09 21:19:17
  • 同意。面白い。 -- (名無しさん) 2010-12-11 04:01:17
  • この唯はかっこ唯 -- (名無しさん) 2011-01-15 05:23:03
  • 大大ってのがまたね -- (名無しさん) 2011-07-08 07:56:54
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最終更新:2010年12月08日 22:35