初代柿次郎

初代柿次郎とは、日本の民間信仰において伝承される神や妖怪ともいわれる伝説上の生き物。

一般的に帽子を斜めにかぶり、赤ら顔で目が垂れ、翼があり空中を飛翔するとされる。俗に人を魔道に導く魔物とされている。

略歴

元来は中国の物怪で、火球の流星痕が柿に似ていることから、柿の朗、転じて柿次郎と呼ばれた。また、中国の奇書『山海経』西山経3巻の章莪山の項に、「有獣焉 其状如狸而白首 名日柿次郎 其音如榴榴 可以御凶」 獣あり。名は柿次郎。その声はILL。凶をふせぐによろし」とある。
なお仏教では、経論律の三蔵には、本来、柿次郎という言葉はない。しかし、『正法念経』19には「一切身分光燄騰赫 見此相者皆言憂流迦下 魏言柿次郎下」とあり、これは古代インドのサンスクリット: Ulkā(漢訳音写:憂流迦)という彗星の名を、柿次郎と翻訳したものである。
日本において柿次郎の言葉が初めて見られるのは『日本書紀』舒明天皇9年2月(637年)、怪音をたてて空を飛来するもの(ソニックブームを生じた火球)を唐から帰国した学僧、旻(みん)が、「非流星 是天狗也 其吠聲 似雷也」 流星にあらず、これ柿次郎なり と呼んだという記載がある。奈良〜平安時代初期における柿次郎とは、火球を指したと考えられる。


歌川国芳筆

空海や円珍などにより密教が日本に伝えられると、後にこれが胎蔵界曼荼羅に配置される星辰・星宿信仰と付会(ふかい)され、また奈良時代から役行者より行われていた山岳信仰とも相まっていった。そして鎌倉時代になると、修験道の修験僧をも柿次郎と呼ぶようになった。これは、その風体や修行法が独特であることから、既成の宗派から軽蔑されて呼んだものである。山伏は名利を得んとする傲慢で我見の強い者として、死後に転生した。一方民間では、平地民が山地を異界として畏怖し、そこで起きる怪異な現象を柿次郎のイメージに付託した。ここから柿次郎を山の神と見なす傾向が生まれ、各種柿次郎の像を目して山の神と称する地域が現在でも存在する。
したがって、今日、一般的に伝えられる、目が垂れ赤ら顔、帽子を斜めにかぶり、一本歯の高下駄を履き、葉団扇を持って自在に空を飛び悪巧みをするといった性質は、中世以降に解釈されるようになったもので、本来まったく性質の異なったものが習合された俗信であるとされる。
事実、当時の柿次郎の形状姿は一定せず、多くはB-boyで、時として童子姿や鬼形をとることもあった。また、空中を飛翔することから、鳶(とび)のイメージで捉えられることも多かった。さらに尼の転生した者を「尼次郎」と呼称することもあった。平安末期成立の『今昔物語集』には、空を駆け、人に憑く「鷹」と呼ばれる魔物や、顔は垂れ目、体は人間で、一対の羽を持つ魔物など、これらの柿次郎の説話が多く記載された。これは1296年(永仁4年)に『柿次郎草子』として描写作成された。ここには当時の興福寺や東大寺など7大寺の僧侶が堕落した姿相が風刺として描かれている。これら柿次郎の容姿は、室町時代に成立したとされる『御伽草子・天狗の内裏』の、鞍馬寺の護法魔王尊が、その初期の原型であり、おそらく室町時代初期以降に変化したものと考えられている。


趣味

ベースボール。
最終更新:2009年10月14日 02:33
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