関東解放

【用語名】 関東解放
【読み方】 かんとうかいほう

【詳細】

慶長の役、豊臣秀吉が朝鮮出兵を行った文禄の役から6年後の1598年に発生した戦いであるが、この歴史再現を利用し、羽柴勢を関東から追放し文字通り関東地方を解放するための戦い。

3巻下における戦いで羽柴が文禄の役を利用し里見などの関東勢を支配下に起き、安土を置くことでその支配を確固たるものとしていたが、
小田原の戦いを終えた武蔵勢がこの戦いに着手。

それに対し羽柴は伊達・政宗の遅参問題を終えなければ関東解放の開始は認められないとし、それを告げてきた大谷・吉継に対し静かにキレる伊達・成実だったが、
正純の執り成しにより、遅参問題は伊達家単独の歴史再現とし、期限は延期。
羽柴側から要求したことであるため、この件に関して伊達が好きなときに再現を行えるようになり、慶長の役には参加できないがこの移動を絡め他の歴史再現などに参加することが可能となった。

これによって伊達家は関東解放に不参加となり、続く北条も大加藤により小田原征伐の完全終了を率先して行うことと告げ、
北条が完全に解体を終えるまで歴史再現続行中となるため戦力を出すことができなくなる。

さらに慶長の役に参加していない毛利の関東解放への参加を禁止。
聖譜記述によれば当時毛利輝元は体調不良のため参加をしておらず、物資の輸送に関する処理を行っていた。
その再現として毛利側の物資を江戸の羽柴勢に引き渡すことを要求する。

だが輝元が参加できずとも六護式仏蘭西の人員を全員武蔵に載せることである程度人員不足は解決でき、
トーリでも「この対応はぬるい」と思う条件だった。

慶長の役では羽柴が負けるため、マルゴット・ナイト曰く、負けた羽柴は江戸と里見を焼き払い、食料供給を途絶えさせ、
伊達も北条も慶長の役に参加できないため、復興のために隣接国からのピストン輸送は使えない。
毛利も備蓄の輸送艦を羽柴に明け渡すことになるため物資を復興に使えない。
そのため武蔵が戦後食料を放出せざるを得ず、武蔵が限界を迎えた場合、水戸から食料を放出。
これにより資源的な意味で疲弊した関東は羽柴の敵ではなくなり、攻めこまれた場合の対処が出来ず、武蔵としてもバックアップが亡くなってしまう。

つまり、遅参問題を優先させ伊達を封じ、北条も伊達を絡めて動きを封じ、さらに毛利に制約を加える事で、
一つ一つは国内部でクリアできるような抑えこみであっても、武蔵や、里見に対しては莫大な押さえ込みとして機能する。
これによって里見に関われる戦力を減らした上で、武蔵を関東解放から除外することが羽柴の目的だった。

さらに、羽柴・藤吉郎からM.H.R.R.南部ネルトリンゲンにてM.H.R.R.旧派が開始するネルトリンゲンの戦いの歴史再現への参加を暗に要求する。
六護式仏蘭西はネルトリンゲンの戦いに正式な参戦をしていないため関わることが出来ず、
係るためには関係のある国に依頼するしか無い。
したがって武蔵を傭兵として雇い、ネルトリンゲンの戦いにかかわらせることで、武蔵がいればなんとななる上記の策略の檻が全て機能してしまい、全てがご破産となってしまう。

そんな羽柴の策に六護式仏蘭西は物資は捨てたり人員供出するけど絶対に関東解放を終わらせてやるみたいなことを宣言。
武蔵側も人数は居るので関東解放に関わる者たちと傭兵としてネルトリンゲンの戦いに参加する者たちと班分けし、ネルトリンゲンに武蔵が向かう中関東解放に里見・義康・立花夫婦・直政らを割り振った。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2016年04月13日 14:49