本能寺の変

【名前】 本能寺の変
【読み方】 ほんのうじのへん
【分類】 出来事

【詳細】

歴史を知らない人でも一回ぐらいは聞いたことがあるであろう出来事。
1582年に本能寺にて織田・信長が家臣の明智・光秀に討たれるという事件。
光秀が言ったらしい、「敵は本能寺にあり」はとても有名な台詞。
光秀が信長を討った理由は不明であり、現在でも様々な説がいわれている。

コレが起こったことにより信長は死亡。光秀が一時的に天下を握るが毛利攻めをしていた秀吉が中国大返しを決行し、速攻で戻って光秀を討つ。

歴史再現上やらなければならない事件ではあるが、これをやるということはP.A.Odaにとってデメリットしかないため、先延ばしにしている。
光秀の方は聖連にやれるように許可を取っていたらしい。

7巻中では期日通りに本能寺の変を起こせるように羽柴たちが調整していた。これを夏休みを挟んだりして行えば、新体制に切り替えてさほど組織内ではダメージを受けずに業務を行えるからである。

正純はグラツィア事件の再現を阻止することに成功しクリスティーナを救出後、8巻では嫌がらせ目的で武蔵の次の目標をこの歴史再現に対する嫌がらせに定めるが、
それを阻止しようとするP.A.Odaの面々、しかも重鎮レベルの者達が次々に関わらないよう願い出てきている。
武蔵としては本能寺の変に介入して重鎮達を摂政などに天下りさせることなく退場させることを目標としたいが、それには発言力が足りず、聖連の代表として介入をするのが最善だが、それを行うには羽柴が牛耳る聖連に対して難易度が高い。

一方、羽柴側では日取りのほうが確定し、また同時進行している創世計画の一環だと判明したため、
境界線上のホライゾンという物語の中でも最大級のイベントになるであろうことは想像に難くない。

それに対し武蔵はというより正純は本能寺に介入するために、明智光秀の襲名権を譲ってもらえるよう交渉を行う。
そして2学期最初の日に明智との会談を約束したが、何とその会談日が本能寺の変決行日だと前日に判明。

結局武蔵勢は京手前で明智に雇われた三征西班牙との対戦・内裏突入と明智との対話(全国公開通神)・襲名権譲渡と連続でイベントが発生した後武蔵に帰艦。三征西班牙との交渉・作戦会議を行い、会議後休息と仮眠を取り本能寺周辺を調査していた生徒等からの報告を受け本能寺への移動を開始。

一方羽柴勢は(謎の事情で参加を決めた羽柴・藤吉郎と石田・三成を除いて)『山崎の戦い』等の有事に備えて待機…のはずが柴田・勝家が『賤ヶ岳の戦い』を宣言したことで対応に追われる事になり、最終的に竹中・半兵衛と羽柴の決断で「羽柴が本能寺に行く間に他の羽柴勢で『賤ヶ岳の戦い』を先行して済ませ、もし賤ヶ岳が終了しても創世計画が動いていなければ武蔵勢を討伐する」と方針を固め実行している。

9巻下で行われる場所である本能寺に武蔵の面々が到着するも、事前に情報収集しなかったので、その場にいた織田・信長に「えっ」と言われてしまった。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2016年06月17日 00:47