レパント海戦

【用語名】 レパント海戦
【読み方】 れぱんとかいせん

【詳細】

本編より25年前、「厳島の合戦」との二重の歴史再現として行われた、P.A.Oda三征西班牙の戦い。
歴史再現が守られず、P.A.Odaの攻撃で三征西班牙は多大な損害を被り、弘中・隆包江良・房栄ら、多くの襲名者が亡くなる大惨事となった。
フェリペ・セグンドはこの戦いの中で部隊として唯一生き残り、「英雄」と呼ばれている。

史実の「厳島の戦い」は、1555年に戦国武将として活動していた毛利家が、主家である大内家を乗っ取った陶家と戦った合戦で、
人数的に勝ち目が無かった毛利家は狭い厳島に陶家を誘き出し、奇襲をかけて勝利したとされる日本三大夜戦の一つにも数えられる戦い。
厳密に歴史再現しようとしたならば、厳島要塞を保有するK.P.A.Italiaか、毛利家である六護式仏蘭西が主体になったと思われる。
しかし当時の六護式仏蘭西は、三征西班牙、英国M.H.R.R.、K.P.A.Italiaの密接な同盟関係を崩すためにこの海戦を利用した。
詳しくはここ

オスマン艦隊は本来であれば壊滅するはずであったのに三征西班牙のガレー艦隊に対して足止めを行い、
外から挟撃を受けたことで奮闘したもののガレー艦隊はほぼ壊滅。
セグンドのみ、敵の配置に異変を感じたため上からの指示に反して突撃を回避したため生き残ってしまった。

三征西班牙は実質的な敗戦であったにもかかわらず、解釈的に勝利したとするためセグンドを英雄として祭り上げ、
彼の心には妻や子、多くの命を目の前で失ってしまった後悔をずっと抱え続けることになる。

史実の「レパントの海戦」は、1571年にオスマン帝国vs.ローマ教皇庁、スペイン、ヴェネツィアが戦った海戦。
勝ったのはヨーロッパ勢だが、戦力を使い果たし、本来の目的を果たせなかった。
歴史再現が違う箇所は、P.A.Odaが歴史再現を越えた過剰な侵攻を行い、勝利を得たというところ。また、教皇庁やヴェネツィアに当たるK.P.A.Italiaが参戦していない。
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最終更新:2023年08月08日 14:27