ノサ・セニョーラ・ダ・グラサ号事件

【名前】 ノサ・セニョーラ・ダ・グラサ号事件
【読み方】 のさ・せにょーら・だ・ぐらさごうじけん

【詳細】

ガールズトークⅡ 祭と夢において中核となる事件の一つ。名前が長い。

1610年、九州島原の藩主有馬・晴信の派遣した貿易船が現地の取引でトラブルを起こしマカオ側で鎮圧。
当時マカオの総督は三征葡萄牙アンドレ・ペソアであり、彼の指揮による鎮圧で有馬の船員は多くが死亡した。
それを極東側が報復する…というもの。

松平の許可を得て仇討ちを実行した有馬は、ペソアの乗る船を長崎沖で急襲し4日間の激闘の末彼は船を爆沈させ運命をともにした。

元々ペソアによる有馬側の船の鎮圧までは歴史再現が終わっており、生じる死者の問題は乗員達の教譜旧派に改めることで、
「生まれ変わった」という解釈で乗り切り、ポルトガルも極東側と金銭で解決済みの案件だった。

しかし残るペソアの乗る船の爆沈も解釈で済ませる予定が、有馬・晴信ら九州居留地の勢力が夜闇に乗じて三征葡萄牙の貿易用航空艦を襲撃し撃沈させたのである。
元から三征西班牙三西葡萄牙が管理し他国が入り込めなかった歴史再現であり、フアナが手配していたという。

下手人たちは貿易用の大型木箱に忍び船に潜入、犯行後日野江居留地から犯行声明が出るも、
察知していたフアナによりそれが外部に漏れることを封じていた。

有馬らは混乱に乗じて九州を脱出し行方不明になっており、三征西班牙も世界一周の再現中だった審問官、ドン・ロドリゴを三河に派遣して自体の収集に動いた。

なおこの後、岡本大八事件と呼ばれる極東側の歴史再現があるのだが、ノサ・セニョーラ・ダ・グラサ号事件と岡本大八事件、
この2つの事件を踏まえた上で極東側である法令が出されることになる。

ちなみに、マードレ・デ・デウス号事件とも呼ばれることがあるが、ポルトガル側の記録ではノサ・セニョーラ・ダ・グラサ号と記されている。

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最終更新:2020年03月12日 22:31