第2章
01-754 :腹黒ビッチ 2章(前) 1 :09/03/18 03:33:33 ID:mf3OzW4s
 午前は授業が無かったので、サークルの部室で数人とテスト勉強をしてから学
部棟に向かった。学部の掲示板の前に、人が集まっている。集まりすぎて、近づ
けない。
「おいそこのでかいの、ちょっと見てくんねー?」
「身も心も小市民達が偉そうに。……ちょっと待ってろ」
 高校からさらに三センチ身長を伸ばしても、いまいちプラスになったことがない
それが、珍しく利用されるこんな時くらいと言うのが悲しい。
「んー、あー、ゼミの選考結果か」
「俺どこ出したか覚えてないわ。俺何になってる?」
「悪いけど、名前小さすぎて読めない」
「克哉、そのメガネは伊達か。根性で読め」
「無茶言うな、お前こそ裸眼2.0だろうが」
 後ろでそんな風に騒いでるからか、掲示板前からだんだんと人がいなくなってい
く。ぞろぞろと数人連れ立って掲示板の前に立つ。
「里中と達吉は磯矢ゼミだな」
「第一通ったよっしゃー」
「マジで?てか俺磯矢んとこ出してたっけ」
「あー、田中ゼミと大倉ゼミはは俺らの中じゃ誰もいないみたいだな。あ、神田と克
哉とエイジが和田ゼミか」
「女子いねーの、女子」
「えーっとー、あ、女子は磯矢に集中してんな」
「いよっしゃああ!」
「華があるぞー!」
「お、別所さんが和田ゼミだぞ、克哉」
 別所さんと言うのは二年で一番有名な可愛い女の子で、去年のミスキャンだ。
「そういえば克哉、別所さんと最近どうよ」
「どうよって言われても、まあ、遊んだりは何回かしてるけど」
「うおおおおお別所さんがなんで克哉みたいな奴に!確かに雰囲気イケメンだけど
超シャイボーイなのに!」
「うるさい!シャイボーイって言うな!」
「てか、克哉が和田ゼミってのが意外だよなー」
「あー、親父が最近うるさいんだよ」
 振りではなく、心の底からうんざりした声が出た。そう、最近父親がとみにうるさい
のだ。全然期待をかけていなかった次男が、ひょんなことでそれなりの大学の法学
部に受かってしまったのだ。兄がいるってのに、どうせなら保険にと俺にまで弁護士
になれと言いだした。
「正直言って面倒臭い。和田ゼミきついって有名だし……」
「まあまあ。これから別所さんとバラ色の大学生活が送れると思えばいいじゃねーか」
「そうだぞ、他には目ぼしい女子いないけど、別所さんがいるんなら万々歳だろ」
「キャワイイよなー、別所さん……」
「あ、女子もう一人いるぞ。斎藤さんも和田ゼミだ」

01-755 :腹黒ビッチ 2章(前) 2 :09/03/18 03:38:13 ID:mf3OzW4s
 斎藤、という名前に一瞬体を強張らせてしまう。が、誰もそんな俺には気付
かなかった。斎藤さんという名前に大きく反応したのは、俺だけじゃなかった
からだ。
「うおおおお、和田ゼミに法学の二大美女が揃ってんのかよ!挟まれてゼミ
受けたい!『阿部君と一緒に一緒にレポートしたいな』なんて別所さんに言わ
れたい!『しっかり聞かかないとお仕置きよ』なんて斎藤さんに冷たくあしらわ
れたい!!」
 ヒャッホーと、まだ新学期どころかテストも終わってないのに、栄治が一人
で興奮している。いつも一人でいる有華は、俺と付き合っていた頃とはまるで
真逆のイメージを持たれているようだった。
「一瞬磯矢ゼミ行けばよかったと思ったけど、別所さんと斎藤さんがいればト
ントンだなーいよっしゃー」
「お前いい加減に落ち着けよ……」
 そろそろ周りが邪魔そうに俺達を見ている。里中が行こうぜと言うので、俺達
は掲示板を離れようとした。
 が、振り返るとそこに、斎藤有華その人が立っていた。
「あ……斎藤さん」
 呟いたのは、今まで興奮していた栄治。だけど有華はにこりともせずに掲示
板を見た。
「掲示板、見てもいい?」
「ご、ごめん!今どきます!」
 さささっと大げさな動きでそこをどくと、栄治は俺達の方に駆け寄った。有華は
もう栄治には興味がないらしく、掲示板の文字を追っている。
 掲示板を見る有華は染めてもいない黒髪を横で纏めて、いかにもお嬢様風の
女子大生だった。そのしゃんとした姿勢のいい立ち姿を、今まで騒がしかった俺
達もその場にいた学生も、みんな見ている。視線を感じているのかどうか、有華
は気にした風でもなく、自分の名前を確認すると、掲示板の前をさっさとどいた。
 有華は次の授業に向かうらしく、真っ直ぐ、わき目も振らずに歩いていく。少し
意気をそがれた俺達も、なんとなくぞろぞろと歩きだした。

「斎藤さんって、なんかかっこいいよなー」
 大学に入った当初、友人たちはそんなことを口々に言っていた。大学に入って
から俺の世界はますます広がり、有華は確かに明るくて可愛かったが、他にも
可愛い子がザラにいるんだと知った。それでも有華が世間でいえば上等な部類
の女だという事実に変わりはない。腹が立ったので、金さえ払えばヤれる女だと
話してやったら、信じたのかどうかは知らないがさらに誰も気軽には近寄らなく
なった。軽そうな男が何人か話しかけているのを見たことがあるが、有華が相手
にしていたかどうかは知らない。
「大した美人でもないくせに、お高く止まってるのよ」
 女は有華をそう評する。誰もまともに相手にせず、一人の世界に没頭している
有華を、男の前ではまるで蔑みの対象のように扱う。大学の構内で時々見かけ
る時の有華は、いつも何か本を携えていた。まるで以前の、暗くてダサい俺のよ
うだった。ただ、元がいいからマシかもしれないが。が、そのせいで根も葉もない
噂が駆け巡るようにもなっていた。お水で働いてるとか、援助交際をしてるとか、
同年代の男は相手にしないで年上と付き合っているんだとか。それらの噂を聞い
ているはずの有華だが、学校では何も反論したりすることもなく、静かに過ごして
いる。

01-756 :腹黒ビッチ 2章(前) 3 :09/03/18 03:40:53 ID:mf3OzW4s
 後期最後の授業だった。いつも通り友人たちと、大教室の後ろを陣取る。サーク
ルの女も数人来たりもして周り一帯が華やかだった。買わされて以来開きもしない
教科書をルーズリーフと並べておいて、惰性でペンを持ちつつやっているのは雑談。
いわゆる、楽に単位が取れる授業という奴だった。
 上からは教室全体が見渡せる。寝てるのも携帯をいじってるのも、いくらでもいた。
真面目に授業を取っている方が珍しい。有華は、そんな珍しい学生の一人だ。
「何が楽しくて学校来てんのかな」
と、うちの大学に来た割には馬鹿なことを言う女には少し呆れた。まさに有華を見て
いれば分かるだろう。お勉強のため、ただそれだけだ。受験から解放されたら遊ぶこ
としか考えていない部類の女子には、到底分からないかもしれないが。
 有華は、大学に入ってからずっと一人で過ごしているようだった。高校最後の数か
月もそうだった。俺が有華とのことを友人たちに言えば、みんなこぞって有華を責め
た。有華は孤立した。クラスの女子も遠巻きに、有華の悪口を言っているようだった。
 有華と同じ大学なんて行きたくないとも思ったけど、自分の目指せる偏差値の中で
は一番いい大学だったし、国立だからネームバリューもあった。それに、今更有華の
ために進路を変えるのも癪だった。有華はあんな事があってもやはり要領と度胸は
あるらしく、成績を落とすことはなかった。それどころか最後まで教師に東大を受けて
くれとうったえられるような余力さえ残して、有華は余裕で受験を終えていた。私立す
ら一個も受けなかったらしい。不安がった母親にやたらめったら受けさせられた俺と
は全く正反対だった。
 そもそも俺と有華は、大学では話したことがない。高校では顔を合わさなければなら
なかったし、狭い空間の中、嫌でも毎日有華の気配を感じなければいけなかった。だ
が大学と言う所は不思議なもので、意識しなければ同じ空間にいることすら分からな
いような、希薄な関係しか存在しない。

 まるで、あの一年が夢のようだ。



 レポートやらテストやらに追われるさなか。次のテストに備え、学食で数人とたまって
いた。
「あ、一宮君、神田君!」
 明るい声に話しかけられ頭を上げるとそこには、今代のミスキャンパス・別所愛美が
いた。
「丁度良かった、探してたの」
「何かあった?」
「うん、春休みに入る前に学生全員と話しておきたいから、暇な時間に和田先生の部屋
に行ってくれって。今週中なら毎日いるらしいから」
「そっか、ありがと」
「葉山君にも伝えておいてくれるかな」
「分かった」
 屈託なく笑う別所さんは、いつもにこにこと笑っていた昔の有華に重なる。どちらかとい
うと愛らしい顔立ちの別所さんと、綺麗どころといった感じの有華とは対照的に見える。
だけどどちらも俺に愛想が良くて、そして世間一般に言えば美人だと言うことは一緒だっ
た。有華とのことがあって女性不審気味で、しかも美人と言うこともあって別所さんには
一歩引いてしまう。
「今のところ、テストどんな感じ?」
 そんな引け腰の俺にかまわず、別所さんはこうして交流を持とうとしてくる。
「ん……まあ、単位は大丈夫ってくらいかな」
「和田先生の面接パスするくらいなんだから、一宮君の大丈夫はとってもいいってことね」
「それって別所さんにも言えない?」
「私はすっごくがんばったもん」
 別所さんは、魅力的な唇をにっこりと釣り上げる。その姿はまるで大輪の花を思わせた。
「ああ、そういえば和田先生の伝達って、図書館で斎藤さんに教えてもらったんだけど、」
 と、別所さんは付け足す。
「あの人、噂には聞いてたけど本当にすごいみたいね」
「噂?」

01-757 :腹黒ビッチ 2章(前) 4 :09/03/18 03:43:30 ID:mf3OzW4s
 学内に出回っている有華に関する噂で、男とか遊んでるとか以外のものを初めて聞いた気
がする。驚いて、つい先を促してしまった。
「うん、一年の時から和田ゼミに顔出してるらしいの。ヤル気ありすぎよね。三年で取るはず
の授業のテスト勉強してたわ斎藤さんだけは、最初から和田ゼミに内定してたらしいわよ」
 和田ゼミは、俺達の大学の中でも屈指の司法試験予備校として有名なゼミだった。和田教
授もその気のある学生しかとらず、またその選抜も厳しいことで知られていた。
「ま、他人は気にせず、とりあえず単位とっちゃわないと。じゃあ、またデート行こうね、一宮
君」
 軽い口調でそう言うと、別所さんはブーツの踵を鳴らしながら颯爽と去って行った。その後
ろ姿をぼんやりと見送り、ふと視線を感じて振り返る。
「克哉、お前いつの間にか別所さんと親密になってないか」
「なに、またデート行こうねって。俺達の前で堂々と言うくらいだから、もしかしてお前ものすご
いアピールされてんじゃねーか」
「うおおおお!俺は単位とれるかどうかでひーひー言ってんのに、なんで克哉ばっかおいしい
思いしてんの?何だこの格差社会」
「……なんか慣れてる感じがして、俺は引いちゃうんだけどなぁ」
「もったいなさすぎるだろ!用意された据え膳を食わない男は今すぐ去勢しろー!!」
「ちくしょうっ、克哉なんて本当はエロゲでシコシコしてるくせに……!何があっても新作チェッ
クは忘れないエロゲマニアのくせに……!」
「外では小説とか読んでインテリぶってるけど、ブックカバーの下がフ●ンス書院なこと俺達は
知ってんだぞ!」
「お前ら今すぐ黙らねーと、この間話してた学園モノ貸さんぞ」
 シーン。一転、四人掛けのテーブルに響くのは、カリカリとシャーペンが紙を滑る音だけだった。

 三コマ目が専門のテストだと言うこともあって、午前中からずっと学食に居座り続けた。それか
らぞろぞろ連れ立って、最後まで教科書を読みながら法学部棟に向かう。その途中の図書館か
ら、背筋をぴんと伸ばして何かを読んでいる有華が出てくるのを見た。小さなハンドブックのよう
で、今から同じテストを受けに行く俺達の教科書とは明らかに違う。濃い青のストールで髪も一
緒に包みこんでいる有華の姿は、没頭しているのもあってかなんだか孤高の人のように見える
のだった。
 意識したわけではないが、そんな有華の後ろをついて行くような形になってしまった。それなり
に俺達は喋りながら歩いているのに、有華が気付いている様子はない。有華はイヤホンをしても
いないのに、集中しているのか何も聞こえないようだった。
 学内では、この曜日しかほとんどすれ違うこともない有華。それが、四月からは同じゼミでまた
クラスメイトだったころと同じ、近い場所で授業を受けることになる。
 嫌な予感がした。ざわりとした何かが、俺の中で暴れ始めている。こんな風に突き放したような
距離で、やっと自分を保てているのに。また少しでも近くなれば、正気でいられなくなるかもしれ
ない。そんな恐れが、どうしても消えなかった。
「(……悪循環だな)」
 俺は結局、有華の呪縛から逃れられない。

01-758 :腹黒ビッチ 2章(前) 5 :09/03/18 03:48:16 ID:mf3OzW4s
 有華と見た海を、何度も夢に見る。
 海なら何度も行った。夏だって、冬だって。だけど目の前に浮かぶのはいつも、海風
の吹きすさぶ、あの春の海だった。
 海岸線を、歩けるだけ歩いた。有華と俺の指が、絡まるように繋がっていた。ただ明る
いだけに見えていた有華の笑みに、少しの柔らかさを見た。つられて俺の顔の筋肉も
弛緩してしまうようなあたたかさ。そして対照的な、指の冷たさ。全てが、まだそのまま
手の中に残っている。

 視覚が、聴覚が、ゆっくりとフェードアウトしていく。自然と瞼が上がって行く。現れる
のは、見覚えある天井。夢が夢だったと気付くのは簡単だった。
 感情は、有華を見るたびいつも荒れ狂う。だけどこの夢を見る時だけは不思議と凪い
だ。波の音と共に洗い流される様々なもの。そうして何も無くなった時だけ、俺は安らぐ
ことができるのだ。
 右手で顔を覆う。また眼を閉じる。が、眠気すらも全て無くなってしまっていた。それで
も余韻を味わう様に、しばらく何もする気が起きなかった。こうして横たわっていると、目
が覚めているのに、波に乗っているようにゆらゆらと心地がいい。呼吸をするのも忘れ
るくらい、自分が無に近いのを感じていた。
 少しずつ思考が戻ってくる。朝。日差しが強い。晴れか?ああ、そうだ。今日はガイダ
ンスがあったはず。
 ゆっくりと起き上がる。時計を見る。十二時前。
「……行かないと」
 悠長な口調だが、実際は遅刻ギリギリだ。だけどそんな気になれない。あの夢を見る
時は、いつもそうだった。


01-759 :腹黒ビッチ 2章(前) 6 :09/03/18 03:48:37 ID:mf3OzW4s

 成績通知書は、とりあえず全部の単位が取得できていることと、教養の授業を取り終
えたことを教えてくれた。専門の二つほどC(可)の評価を見つけて、これが二年前期じゃ
なくて本当に良かったと胸をなでおろした。学務課でそれを受取って、その足で学部棟に
向かう。ゼミの顔合わせのために。
 ホワイトボードを正面に、コの字型に並べられた机とイス。少し寝坊をした俺はギリギ
リだった。既にそのほとんどが埋められていて、どこに座ろうかよりどこなら空いてるか、
座るのにマシかを優先的に考えるしかなかった。栄治と神田は既に二人で座っている。
どこがいいか思案していると、ひらひらと手を振られる。別所さんだ。
「ここ空いてるよ、一宮君」
 何気ないような口調だけど、やってることは大胆だ。女子が三人しかいないのに、かた
まる気はさらさら無いらしい。全員に聞こえるように言われては、断るのも悪い。選択の
余地もなく、渋々といった表情は隠して、別所さんの隣に座った。
「駆け込みね」
「ん、寝坊した」
「成績取りに行けた?」
「ギリギリ間に合ったよ」
「よかったね」
 言っているうちに和田教授がやってきた。いかにも厳しそうにしかめっつらなのはいつも
のことだが、学生に厳しいのは本当のことなので、囁き程度にも会話があった教室内は
しんと静まり返った。
「揃ったかな。じゃあはじめる……」
「すいません!」
 ガチャリ、と教授の声が遮られ、ソプラノが割って入る。急いで来たようでおでこを丸出
しに肩を張る、有華だった。
「遅れて、すいません」
「……まだ始まっていない。早く席に着きなさい」
「はい」
 はぁはぁと息の荒い口元を隠しながら、斎藤有華はすぐ傍の最前列にさっさと腰を下ろ
した。遅れてカバンからガサガサと物を出す音。それらを横目でさっと見つつ、和田教授
が話し始めた。
「えー、民法ゼミ担当の和田慶一郎です。よろしく」
 愛想笑いの一つも漏らさない教授は、まず抑揚の少ない話し方で周りを圧倒した。
「このゼミを取る人は、おそらくほとんどが司法試験を目指す生徒だと思う。そういう風に
シラバスにも書いてあるはずだ。途中でリタイヤするのは勝手だが、その場合はすぐに
このゼミを抜けるように。邪魔だ」
 睨みつけるでもないのに、ピリピリした空気が教室内を包んでいく。
「じゃあ、全員シラバス開けて」
 その言葉に、ほとんど全員が固まる。シラバスなんてクソ重いモン、誰が持ってくるん
だ。思わず隣を見ると、別所さんはなんと持ってきていた。口でパクパクと見せてと伝え
ると、にっこりと彼女は笑った。が、隣の栄治も神田も持ってきていないらしい。ふと見渡
すと、持ってきているのは別所さんと有華だけだ。それを知っているのか知らないのか、
教授は勝手に話を進めていく。一年の予定をさらっと流すように言っていくが、そこに交
流的なものの説明が何もないのが気になる。淡々と説明を終えた後、付け加えるように
教授が言った。
「というわけで来週から授業に入るから教科書は買っておいてくれ。それと今日はこれか
ら新歓コンパなんかがあるらしいが、ゼミのイベントには私は一切関知しない。先輩達と
話し合って勝手にやっててくれ。あと、君たちの学年の代表が決まったら知らせに来るこ
と。以上」
 勝手に話を進め、勝手に終わらせ、そして教授は去って行った。聞いていた以上に、厳
しいというか学生に関心のない教授だ。これのどこが司法試験の合格率は学内随一なん
だと少し不安になった。

02-033 :腹黒ビッチ 2章(中):2009/04/01(水) 05:35:29 ID:C4LeQOqO
 責任の押し付け合いと言うのは、いつもお決まりの過程を経るものだ。誰がゼミ長やる?
という議題に、最初は口をつぐむ。しんとした空間のぎこちなさに、全員が限界まで我慢す
る。そのうち痺れを切らした誰かが、自分がいかにゼミ長になれないかを切り出す。そこか
ら始まるのは、醜いなすりつけあいと相場は決まっている。
「俺はサークルの代表もやってるし」
「バイトで忙しいんだよ」
 そうして泥沼化した話し合いが三十分を超えたくらいで、誰かが言った。じゃあ、くじびきで。
即席でくじを作り、引いて行くことになる。誰もが「最初からこうすれば良かった」なんて不毛
なことを思いながら。自分のくじは、幸い真っ白だった。はーやれやれとため息をついたその
時、有華が立ち上がった。
「……斎藤さん?」
「決まったみたいだから」
「え、っと、じゃあ斎藤さんがゼミ長……」
「じゃない。この通り白」
 ひらひらと、全員に見えるようにくじを揺らす。
「バイトなの。もう遅刻寸前だから行くね」
「ちょ、ちょっと待って。これから新歓コンパなんだけど……」
「先輩達にはもう言ってあるから。それじゃ」
 あっけにとられている他のメンバーを一瞥して、有華はさっさとバッグを取り、出て行ってし
まった。

「なんつーか、斎藤さんってあんなだから和田教授と気が合うんかね……」
 栄治がいささかがっくりした様子でちびちびと焼酎をすすっている。斎藤さんのメルアド聞き
たいなーwktk!なんて意気揚々だったからこそ、その落ち込み具合は大きいようだ。
「元気だしてよ、葉山君。まだ始まったばっかりなんだし、話す機会は嫌ってくらいあるわよ」
「まあ、うちのゼミ自体法曹目指す奴だけだから、そういうピリピリしてるのも少なくないんだけ
どね」
 四年の先輩がそう言って、別所さんのグラスにビールを注いだ。六人掛けのテーブルには、
俺・栄治・神田・別所さんと、四年生が二人。先輩はさっきから別所さんのグラスにハイペース
に酒を勧めている。お持ち帰りする魂胆なんだろうが、酒をあおる別所さんの様子に酔いは全
く見られない。むしろ先輩の方がべろべろになり始め、さっきから口が軽いのだ。
「斎藤さんはこのままストレートに問題なく行きそうだよなあ。あれだけ勉強してるんだから、も
しかして東大の院でも目指してるんじゃないか?案外、受かるのも俺達より早いかもな」
 神田は比較的冷静に話し始めた。
「でも、今から焦りすぎる必要はないと思う。院の試験はあるけど、本当の勝負は四年後だし
ね」
「だな。トップ合格でも目指してるってんなら別だけど」
「案外、本当に狙ってるんじゃないか?和田教授も斎藤さんのことは買ってるみたいだ。まあ、
確かにね。彼女なら院行きはこのまま確実でしょ。噂では、三年卒業制の適用第一号になるか
もってのも聞いてる」
「なんでそんなに生き急いでるんだかね。あの子みてると『鬼気迫る』ってのがそのまま当ては
まるな」
 先輩の言葉を耳に流しながら、思い出すのは寒い日もぴんと背筋を伸ばした有華の姿。俺達
にはただその背中しか見えないが、先輩達から言わせてみるとそれは余裕がないように見える
らしい。ぐずぐずと、言葉にできない感情が胸に滞留する。
 押し流すように冷酒を胃に入れた。
「そういえば、克哉は高校一緒なんだろ?」
 栄治は赤い顔をして、へらへらと俺の顔をのぞきこんだ。
「……ああ、うん」
「斎藤さんって昔っからああ?」
 昔から。たったその一言でよぎる、有華の笑顔。偶然今朝、有華の夢を見ていたせいで、それ
はあまりにも鮮烈によみがえった。
「―――覚えてない」
「えー、あんな美人をー?」
 嘘をつくのは、もう何度目になるかも覚えていない。噂になるほどの美人は飲み会の度に話題
には出るが、その度に俺はしらを切った。だけど、吐き出すようにつぶやいたその言葉は、存外
俺自身を苛んだ。有華、有華、有華。どれだけ俺に纏わりつく。どうしても離れない。

02-034 :腹黒ビッチ 2章(中) 2:2009/04/01(水)05:44:11 ID:C4LeQOqO
 眉間に皺が寄り出したその時、つんとジャケットを引っ張られた。
「ねえ、高校の時ってどうだったの、一宮君って」
 つやつやと照明を照り返すピンク色の唇が、にこりと綺麗な形を作る。有華の厳格が遠ざかる。
少しだけぼんやりと別所さんの顔を見て、ようやく、自分の脳が回転を始めた。
「高校生の時は、ずっと本読んでた」
「フランス……」
「黙れ栄治。―――クラスに一人はいるだろ。教室の隅で、本読んでるような奴。その中の一人
だった」
 何を読めばいいかも分からなかった。そのくせ人の視線ばかり気になって、初めは芥川賞作ば
かりを読んでいた。家ではライトノベル専門のくせに。
「クラスメイトみたいにマンガ読む勇気もなくて、授業はついていけなくて、一人でぼんやりしてた」
「へえ、意外だね」
「そうかな、今もあんまり変わらないよ。……高三の時に格好とか気にしだして、それで友達が出
来たくらいで」
「ああ、あるよね。オシャレに気を遣いだす時って。私は中二だったなぁ。それまで、ひざ下のスカー
トににくるぶし丈のソックス履いてたの。ダサいよねー」
「俺は逆。高三までスラックスの下にふくらはぎまである靴下履いてたよ」
「アハハハハ!すごい、ダサい!」
「ほんと酷かったと思うね。四十代のおっさんメガネに、猫背で、カバンはリュック。ダメ押しのように、
伸びた髪結んだりして。体育の時はみんなが俺を見ないようにしてた。シャツをズボンにインだぞ。
昔の俺を殴りたくなるな」
「ひ、酷い……でもいるいるそんな人……!」
「でも別所さんみたいに、中二だったらマシだろ。俺はもう手遅れ寸前だったし。自己改造目指して
とりあえず買ったメンズノンノは、あの頃の俺には輝いて見えたね」
 今にして思えば、あの頃の自分は本当に目も当てられない状態だった。でもそんな俺に、有華は
何も言わなかった。デートですら恥ずかしいはずなのに、何も言わずにニコニコ笑っているだけだっ
た。だけど、何も言われないからこそ俺は自分の醜態を気にしたのかもしれない。口出しされてい
たら、きっと俺はすぐに嫌気がさして、有華を遠ざけていただろうから。
「そっか……だからかぁ」
 別所さんは、一人納得したように頷いている。
「私が話しかけても、いつも引き気味だったでしょ?地味ーに傷ついてたんだよ」
「……ごめん」
「あはは、いいよ。一宮君って結構かっこいいのに鼻にかけてる風でもないし、むしろ目立たないよう
にしてるなーって思ってたの。私と話してる時も、「なんで俺が?」って目がキョドってるんだもん。
でも、なんとなく理由分かった」
 向かいに座る別所さんは、真っ直ぐに俺を見つめてきた。俺はと言えば、否定することが何もない、
だけど気まずい。視線を外すように、舟盛りにされた刺身を取った。
「ねえ、一宮君」
「ん?」
 一応ブリを咀嚼しているので、口を開けないようにして答える。ふと頭を上げると、別所さんの目は
熱を持っている。
「ゆっくりでいいから、私、一宮君と仲良くなりたい」
 フラッシュバック。もしくはデジャヴ。
「……一宮君、どうしたの?」
 別所さんは、不安な表情で俺の返事を待っている。そして俺の様子がおかしいのを不審に思ってい
るようだった。
「いや、……いいよ」
「ほんとに?嬉しい」
 とろけるような頬笑み。女の子特有の、砂糖菓子のように可愛い笑顔。
『うれしぃよぅ』
 なのに目の前に現れるのは、同じように笑んだ有華。
 明らかに俺に好意を持っている別所さんと話をしながら、それでも思い出すのは有華のことばかり
だった。

02-035 :腹黒ビッチ 2章(中) 3:2009/04/01(水)05:45:34 ID:C4LeQOqO
 みんな酔っぱらっているのに、俺だけが酔いの冷めた顔をして、二次会に向かう集団から一歩遅れ
て歩いていた。別所さんは、四年の女の先輩と一緒にいる。ぼんやりと彼女を見つつ、横でぐだぐだ
文句を言っている栄治と神田と連れ立っていた。神田はべろべろに酔っぱらっている。そのふらふらな
足取りを気にしながら、俺は別所さんのことを考えた。
 別所さんがこれから俺に告白してくるようなことがあったら。だけど今の俺には、それに舞い上がるほ
どの情熱は無かった。むしろそのことを考えただけで寒気がするほどだ。世の中の女子には、もしかし
て告白のマニュアルでも出回っているんだろうか。それほど、有華と別所さんのアプローチの仕方はパ
ターン化しているように思えた。そのパターンに乗るほど、俺はパターン化されているんだろうか。そうし
て、引っかかってしまう馬鹿な男なんだろうか。
 これ以上仲良くならないといいんだけど。そんな予防線を張っていると、栄治が突然声を張り上げた。
「あ、あれって斎藤さんだあ!」
 指をさす先は、でかい交差点。
「……いないぞ。幻覚だろ、栄治」
「よく見ろよカンダ!ほら、あのビル側の、アレ!」
「はあー?」
 神田と栄治が二人して有華を探している。俺はどうせ酔っぱらいの見間違いだろうし、有華だとしても
探してまで見たくないと思い、青にならない信号を待ち続ける。が、神田まで声を上げた。
「……本当だ、斎藤さんだ」
「だろー!?俺、すげー!」
「なんで斎藤さんがここに……っていうか」
「あの男誰だー!?」
 ばっと俺も、栄治が指をさす方を見る。交差点を挟んで、対向車線の信号に、確かに有華はいた。
が、それは、俺の知る有華ではなかった。
 遠くから見ても目立つ、派手な髪形と派手な衣装……それはもういっそドレスと言っていい。春とはいえ
まだ長袖の羽織物は外せない時期に、不似合いなくらいの露出の高い服。腕はむき出しだった。そして
夜の薄暗い街灯の下でもすらりと白いその腕は、スーツを着た男に回されていた。恋人、と一瞬考えたが、
そんな訳がない。男はどう見ても五十代だった。そして、ネオンが輝くビルに消えていく。それが意味する
のは、ただ一つだった。
「お水で働いてるって本当だったんだな……」
 栄治ががっかり気味に呟く。どう見ても夜の世界で働いているような、服と化粧、そして媚びた笑み。
 目の前が、真っ暗になった。

02-036 :腹黒ビッチ 2章(中) 4:2009/04/01(水)05:47:46 ID:C4LeQOqO

「おい、どうしたんだよ克哉」
 二次会のカラオケに来てからずっと隅の席で酒を飲んでばかりいる俺に、心配したのか神田が声をか
ける。
「飲みすぎだろ、どう見ても」
「……そうか」
「なんかあったか?っていっても、さっきの居酒屋は別に何もなかったよな」
 BGMは、栄治が歌う聖飢魔II。本家に負けず劣らずの叫びっぷりだ。
「何も、ないさ。何も無かったんだよ。うん」
「訳が分からないぞ」
「俺の夢だったのかもしれない。だったらもう忘れたい」
 俺のひとりごとに、神田は完全にクエスチョンマークを散らしている状態。そこに、みんながどん引きする
くらいの閣下っぷりを発揮してきた栄治が帰ってきた。
「フハハハハ、吾輩のミサに酔いしれろ!」
 この能天気な性格には助けられることも多いが、今ははっきり言って邪魔だ。が、俺のどん底の落ち込みっ
ぷりに、栄治もふと我に返ったようだった。
「あれ、どうした克哉」
「……さっきから飲んでるんだけど、様子がおかしいんだよ」
「うわっ、これ全部お前が飲んだの?ひーふー……ってかさっきチューハイピッチャーで頼んでたバカってお
前!?」
「俺は止めたんだけどね」
「何してんだよ克哉ぁ。なんかあったのか?俺でいいなら聞くぞー」
 栄治は生粋のお調子者だが、その分、他人を思いやれるいい奴でもある。どすんとさっきより近くに座った栄
治が、俺の言葉を待っている。アルコールに浮かされたように、俺の言葉はふわふわと宙を漂い始めた。
「有華が……」
「アリカ?」
「在り処……財布でも忘れたのか、克哉」
「有華が知らない男と歩いてて……」
「ありか……」
「アリカ……ありか……あ!斎藤有華!?」
「有華が、男と歩いてて……媚びてて……やっぱりあいつは俺と付き合ったのも、金目当てだったんだって思っ
て……」
「俺と」
「付き合った?」
「うん、高校の時、一年付き合った」
「斎藤有華と?」
「うん」
 そこで、ジョッキになみなみ注がれたビールを一気に飲み干した。ふうーと一息ついて、ふと黙り込んだ栄治を
見る。栄治はぽかんと口を開けて俺を見ていた。
「何それ、マジで?」
「マジで。でも、あいつ金目当てだった。俺んち、親が弁護士やってるだろ?俺は二男だからあんま関係ないんだ
けど、でも親父が最近俺にうるさいんだよ、俺も院行けって、だから」
「んなこと前から聞いとるわ!え、何お前、斎藤さんと付き合ってたの」
「うん。俺の金狙ってたんだけどさ。あいつのためにプラチナの指輪も買ったし、夏休み沖縄行ったし、デート代も
出してやったけど、俺全然気づいてなくて」
「……それ、マジで?」
「うんーで、ある日問い詰めたら、そうだって言ってさー。俺ショックでさー。有華のために俺、かっこよくなったの
になー。有華のために勉強もして、同じクラスにもなったのに。全部無駄だったんだよなー」
 ぐらぐらと頭が揺れるまま、思いつくまま、色んなことを喋った。何を話しているのか分からないまま。その間も酒
をせがみ、ひたすら飲んでいた。ますます何をしていたのか分からなくなっていった。栄治と神田は、ただうんうん
頷いて聞いてくれていたと思う。
 アルコールに火照る熱が、脳まで浸食していく。ゆらゆらと、世界の何もかもが揺れているようだった。波に漂うよ
うなそれは、とても気持ちが良かった。ざあざあとカラオケの音は砂嵐のように不鮮明な雑音に変わって行き、ざあ
ざあがざんざんに、そうしていつの間にか寄せては遠ざかるリズムになった。目の前までが揺れて、いつしか色を
持ち、遠くに雲を持つ海になった。

02-037 :腹黒ビッチ 2章(中) 5:2009/04/01(水)05:48:51 ID:C4LeQOqO

 有華はあれから、一つも俺に何か話しかけてきたことはない。
 有華は確かに、金目当てで俺と付き合うなんて人として最低のことはしたけれど、だからといってそれを責めること
が俺にできるか?
 有華は、俺にそんな素振りを見せたことは一切なかった。それこそ、有華は非の打ちどころない恋人であり続けて
いた。その裏を知らずにいた間抜けな俺は確かに可哀想だが、有華は、少なくとも一人の人間を最大限尊重して接
してくれていた。こんな風に、俺が人前に出せるような風貌と対人能力をつけるに至ったのは、間違いなく有華のお
かげだ。マナー講座にでも行ったと思えば、確かに金を出してもおかしくない。
 あの頃俺は、返しても返しきれないほどのものを有華にもらったと思っていた。もちろん愛情は一番だったが、それ
以外にもたくさんのものを有華はくれた。有華のしたことは、有華が俺にくれた様々のものを無にするほど、汚いもの
だっただろうか?
 そうか。俺はずっと、有華を待っていたのだ。
 言い訳でいいから、言葉が欲しかった。一言でいいから、何か、俺に執着する言葉をくれたら、それだけで俺は許し
てしまうつもりだった。それだけ俺が有華にべた惚れだったことを、有華自身が知っているはずだ。俺を愛していると
言ってくれたら。そんなものでなくてもいい。あの時金を置いていってくれたら、それだけもう、俺は有華を追いかけて
しまっただろう。
『好きだよ』
 その言葉を、嘘でも言えてしまうなんて、信じたくなかった。信じたくない一心で大学まで追いかけて、ゼミまで必死
に探って、気難しい和田教授に頭下げて。

 もう俺に一切関心なんてないと、有華から突き付けられた。それは、酷い絶望感だった。



 それからしばらく、俺は無気力に過ごした。必要最低限のことはもちろんやる。大学にだってきちんと行った。だけど
それ以上のことには、体が動こうとしなかった。
 そんな俺に、事情を知る友人たちは慰めたり放って置いたりと優しく接してくれる。あんな女忘れろ、と言われたこと
もある。だが、何をしたって有華のことが忘れられないのに変わりはなかった。今までだって、三年経っても忘れられ
なかったのだ。それに、有華はいつもと同じ顔でゼミの教室にいるのだから。むしろあの夜の方が夢のようだった。
 一ヶ月、二か月と日々は過ぎて行った。その間に、別所さんに声をかけられたことは何度もある。今までは流される
ままにその話に乗っていたが、あれ以来俺は別所さんを避けるようになった。別所さんは最初怪訝な顔をし、それは
だんだん悲しそうになり、最近では納得いかないという風に見えた。
 だけど事態は、俺ではなく、周りが勝手に動いていた。

02-038 :腹黒ビッチ 2章(中) 6:2009/04/01(水)05:50:29 ID:C4LeQOqO



 それから数か月が経ったある日、ゼミの終わってから駅を目指す道中、俺は忘れものに気付いて引き返すことに
なった。来週発表の資料を、机の下に置いたままだった。一年の頃に同じようなことをやらかして、翌日になってか
ら取りに行ったら新品のルーズリーフが無くなっていたことがあった。面倒ではあるが一応回収に行かなければ。
「あなた、常識がないのね!」
 演習室のドアを開けようとしたその時、誰もいないと思っていた教室から誰かの怒り声が響いた。
「自分が最低だとか思ったことないわけ!?」
 何やら修羅場のようだ。この声は別所さんだ。終わるまで入りにくいなと内心ため息をつき、ドアの前で待とうかと思っ
た。
「何も知らない一宮君をもてあそんで、罪悪感のかけらもなかったの?」
 唐突に、俺の名前が呼ばれる。心臓が跳ねた。
「一宮君に、謝りなさいよ。誠意こめて」
 ドアにつけられたガラスから、そっと中をのぞきこむ。十五人のゼミ員のうち、十人くらいがそこに残っている。全員が
気まずそうな顔をしながら、一人の女を見ていた。槍玉に挙げられているのは有華だ。有華はまだ席に座ったままで、
別所さんはその前に立ち、有華を睨みつけている。有華はただ冷静に見つめるだけだ。
「……私のやってることが褒められたことじゃないことくらい、分かってるわよ」
「あ……ったりまえじゃない……っ!!」
「でも、あなたにそんなことを言われる筋合いも無い」
 言い終わって有華は目を細め、別所さんを冷たく見上げた。
「これは私と、一宮君の問題でしょう」
 有華の言い草に、別所さんの顔がますます紅潮する。
「関係あるわよ」
「……へえ」
「私は、一宮君のことが好きなの。だから、関係ある」
 別所さんは堂々と言い放つ。俺を好きだと認める言葉に、全員がおお、と驚いたように別所さんを見た。が、ただ
一人、有華だけはその言葉に冷笑する。
「あはは!すごいね、別所さんにとっては、好きだったら他人事にも踏み込んでいいんだ?」
「……っ、何がおかしいの」
「そっちこそ常識ないんじゃない?ストーカーの言い分よ、それ」
 別所さんを馬鹿にしたような言い方に、栄治が眉をひそめているのが見える。そして、俺を背にしている神田が言っ
た。
「問題がすり変わってるよ。別所さんも落ち着いて」
「だって、この人おかしいわよ!なんでこんな状況でこんなに落ち着いてるの?悪いことを悪いって指摘されて、なん
でこんなに冷静なのよ。金が第一だって、はっきり言ったわよこの人!頭おかしいんじゃないの!?」
「―――斎藤さんは、きっとそれが悪いことだなんて自分では思ってないんだろうよ」
 栄治は、らしくない声色で呟く。有華は、その言葉に反応した。
「うるさい」
 その時、有華の声が、聞いたこともないほど低いものに変化した。
「親に甘えてぬくぬく生きてる奴らが、何を偉そうに」
 その場にいる全員が、黙り込んだ。ドア一枚挟んだ廊下にいる俺でさえも固まるような、負の感情を押し込めた
有華の顔は、その場にいるものすべてを凍りつかせる冷たい凄みがあった。

02-039 :腹黒ビッチ 2章(中) 7:2009/04/01(水)05:51:56 ID:C4LeQOqO

「そうよ、あなた達の言うとおり、ホステスしてるけどそれが何か?母の友人の店だからね、高校の時だって「手伝い」
なんていってしこたま働いたわよ。でもそれがどうしたの。お金を稼ぐ方法なんて、新聞配達から援交までいくらでも
あるじゃない。私のバイトが何だって、別にいいじゃない。お金を稼げるんだったら何だっていいわよ。時給一万円プラ
スナンバー手当なんて、破格でしょ?」
 だからってそんなバイト、と戸惑いつつ口をはさむ男がいた。今度は、有華はその男を見た。
「あんた達が思ってる通り、私はいつだって欲にまみれてるわよ。おいしいもの食べたい、綺麗な服着たい、化粧品に
だって金かけた、大学だって行きたかった。あんた達だってそれくらいの欲はあるでしょ?そのために小遣い使って、
バイトもしてるでしょ?私だってそのために自分の利用できるもの利用してるのよ。女を武器にして、客取ってきてやる
わよ。ダサい男とだって真剣に恋愛してやるわ」
「そ、その為に一宮君の気持ちを利用して、一宮君を傷つけて、それでいいっていうの!?」
「あのね、別所さんが何決めつけてるか知らないけど、私は金品をせがんだことなんて一回もないわよ。それに、飽き
たら捨てるなんてことも、考えたことなかったもの。一生一緒にいる覚悟だってあった。むしろこれも真剣交際じゃな
い。私は、一宮君のこと、大事にしてたわ」
「それらしい言葉で飾ったって、結局あんたは金目当てじゃない。金金金って、そんなに金が大事なの?だったら金と
結婚すれば!?」

 ダンッ!!

 教室内の時間を止めてしまうような、とても大きな音だった。机を殴りつけた有華は、別所さんをまっすぐに見ていた。
「そうよ、だから金持ちそうな弁護士になるのよ。だけどあんた達みたいに悠長に大学院になんて行く余裕もないから、
あんた達の何倍も必死に勉強してるんじゃない」
 有華の言葉に、思い当たるのはあまりにも突飛なことだった。まさか、そんな馬鹿らしいこと。確かに有華は誰よりも
勉強していた。その姿は誰もが認めるものだったし、和田教授がことさら有華を認めているのも頷けるほどの猛勉強ぶ
りだった。だが有華の言い草だと、それは俺達とは全く目指すものが違うということ。今になってそんなことをやろうとす
る奴、初めて見た。
 この場にいる全員が有華に呆れ、そして同時に怖れた。そのことは間違いないだろう。あくまで金を中心に回っている
価値観。それに従って動く誰よりも強い行動力。なんて極端な。
「あんた達の話聞いてると腹が立つ。あんた達は正義振りかざして、いい気になってればいいわ。弁護士だって職業よ。
悪人だって弁護してやって、金もらうのよ。金を稼ぐ手段なんて、結局は一緒じゃない。馬鹿にされたっていい、そんな
の、私は辛くも何ともない」
 そう言い捨てて、有華は机の上のものを、乱暴にカバンに入れていった。気迫に圧倒された奴らを最後に睨みつけ、
席を立つ。そして勢いよくドアを開けた。
「……っ!」
「あ……」
 有華の顔が、驚きに染まる。一瞬動きを止め、俺を見上げ、完全に無防備だ。有華をしばらく見降ろしていると、彼女
は顔をゆがめ俺を睨みつけたが、すぐに我に帰ると踵を返す。廊下にヒールの音を甲高く上げ始めた。
「ちょ、有華、待てよ」
 思わず声をかけるが、有華は反応しない。
「有華」
 有華の歩みはだんだんと早足になって、小走りになる。
「有華!」
 俺が叫ぶと同時に、有華は走り出す。ヒールとストラップじゃ走りにくいだろうに、器用に足を操っている。だけどスニー
カーの俺に勝てるはずもなく、有華の腕は簡単に俺にとらえられた。
「離して!」
「逃げないなら離す」
 誰もいない廊下で助かった。一つ間違えれば変人だ。揉み合いになりながらも呑気にそんなことを考えられるのは、
有華と俺の力の差が歴然としているからだ。有華は何度も腕を振り、逃げようとする。それを封じ込めるように体全体を
からめ取り、なんとか有華が動きにくい体制をとった。最初は有華は猛然と抵抗していたが、そのうち諦めたのかだん
だんとトーンダウンしていく。有華がとりあえず逃げないのを確認し、近くの空き教室に入った。
「有華」
 俺は有華を呼び、必死に見つめる。だけど有華自身は決して俺の顔を見ようとせず、視線を下にそらして唇を噛んで
いた。
 連れ込んだはいい。だが、何を話せばいいのか分からない。
 俯いていた有華が、やがて言った。

02-040 :腹黒ビッチ 2章(中) 8:2009/04/01(水)05:59:24 ID:C4LeQOqO
「謝れって?土下座しろって?ああ、いくらでもしてあげるわよ。それであんたの気が済むならね」
 ぞっとするような気迫。
「お、俺は、そんなわけじゃ」
 俺の言葉に、有華は笑った。じっと、有華が俺を見る。まっすぐに俺の眼を射ぬく瞳は、明らかに俺を蔑んでいた。

02-843 :腹黒ビッチ 2章(後) 1:2009/11/18(水)17:26:45 ID:34xp4FbN
 起きたら十時だった。一コマ目に遅刻するのはもう五回目で、単位は諦めた。昼飯
目的に大学に向かい、学食で本日の定食350円を手に席を探していたら、変な顔した
神田が手招きした。俺の分の席が空いている。
「克哉……コートにサンダルはさすがにねーよ……」
 ちなみにコートの下はTシャツにGパンだ。今何月だっけ。その答えを見つけるのに
も時間がかかった。
「それで電車乗ってきたん?」
「んー」
「つーかカバンは?」
「あー、忘れた」
「授業受ける気ないだろ……」
「んー」
「ゼミのレジュメなら俺が持ってるけど。ちょうど借りといてよかったよ」
 神田に差し出されたファイルは、確かに俺のものだった。ぼんやりしてる隙に栄治
に勝手に半分くらい食われたけど、反応する気も起きない。見かねた神田が、栄治を
叱りつつ栄治のとんかつを二個、より分けてくれた。
「あ、別所さんだ」
 栄治の声に視線を上げると、すっと俺たちの横を通り過ぎようとする別所さんがい
た。俺たちの方は見ようともしない。相変わらず群を抜いた可愛さだ。
「隣、誰?」
「桐谷ゼミの院生」
「……女って怖いよなー。俺らまで巻き込んで克哉落としにかかってたくせに、脈な
いと思った途端に乗り換えるとか」
「ま、別にいいんじゃない?別所さんももういないんだし」
「CA志望だって?今からで受かるんかねー」
 別所さんから神田と栄治が就活の話に話題を移すのを横目に、俺は一人ぼんやりと
今年の夏のことを思い出す。

 有華はあの日から、学校に来なくなった。みんなはあんなことがあって気まずいか
らだと思っている。だけど本当のことは分からない。とにかく有華はいなくなり、俺
は腑抜けた。
 最初は気のせいだと思った。だけど一日経ち、一週間経ち、一か月経って。そこま
できてようやく、自分の日常から有華が消えてしまったと悟った。すると、日々を送
る気力がさっぱり抜け落ちてしまった。何にも興味が持てなくなった。毎日が、漂う
ように彷徨っているような気がした。何もかもが平坦で、無色で、無味乾燥だった。
 有華がいなくなってから、別所さんはあからさまに俺に誘いをかけるようになった。
毎日のように付きまとい、色々な手段で俺の気を引こうとしていた。が、俺の方はど
うしても興味がわかない。それどころか、有華のことを思い出してしまう。

『私の何がダメなの!?』

 夏のゼミ合宿で、別所さんがキレた。俺の部屋に来たが、何時間経っても全く手を
出そうとしない俺に痺れを切らしたのだろう。同じベッドに入りこまれて、抱きつか
れて、泣かれた。それでも俺は、何もできなかった。
『ごめん』
 なんとかなだめようとするが、別所さんは神経を逆なでられたようだった。俺を見
下ろして、睨みつけて、怒りに震えていた。
『別所さんがダメなわけじゃないんだ』
『ダメでもいい。私は、一宮君と一緒にいられればそれでいいのよ』
『違う、そういう意味じゃなくて』
 身を寄せてくる別所さんの甘い匂いをぼんやりと感じながら、それでも、考えるの
は有華のことばかりだった。
『俺は、有華じゃなきゃ、ダメなんだ』

02-844 :腹黒ビッチ 2章(後) 2:2009/11/18(水)17:27:43 ID:34xp4FbN
 あの日、有華は言った。
『噂だって悪口だっていくらでも流せばいい。謝ってほしいならいくらでも謝る。ど
んな目で見られたっていい』
『ゼミ辞める。大学辞めてもいい。目の前から消えて欲しいなら、いくらでもする』
『なんだってする』
『だから』

『……忘れて』

 最後は、小さな、小さな、声だった。俺を睨む目は変わらなかったが、口の端が震
えていた。言い終わると、有華は無理矢理俺の手をほどき、走って行ってしまった。
 どうしたら忘れられるんだろう。ずっと考えてきた。なのに忘れてと有華に言われ
て、忘れられるわけないじゃないかと叫びそうになった。それが自分の本心だと気づ
いても、遅かった。

「それにしても女が一人しかいないとか、ほんと泣けるわ。残ったのは色気なしのガ
リ勉池田だし……」
 栄治がぼやいている。有華がいなくなり、合宿後に別所さんもゼミを抜け、ただで
さえ男が多いゼミには、女子が一人しかいない。
「じゃあ栄治もやめれば」
「親父に殴られるからがんばる。てか俺より問題は克哉だろ」
 話を振られても、何も反応できない。栄治が口を開いたその時、
「お、久しぶりじゃんおまえらー!」
 聞き覚えある声が、辛気臭い場をぶち破った。
「うわ、上野じゃん、何リクスー着てんの」
「フッフーン、●テレの面接行ってきた」
「もう就活かよー、はやくね?」
「マスコミは今の時期から始まるんだよ」
「上野って、金融志望じゃなかったっけ」
「いや別にー、ひやかしだよ。あわよくば未来の女子アナとお近づきになろうかなと」
「メアド頂いてきたんですかー!?」
「何この人キモーイの視線なら頂いてきたぜ……」
 上野はふっと一瞬遠い目をした。相変わらずノリのいい奴だ。大学に入った当初か
ら籍を置いているフットサルサークルのメンバーの一人で、同じ法学部だからと二年
までよく授業も一緒で仲が良かった。三年からはコースも違うし、俺と神田と栄治は
ゼミがきついからとサークルにも顔を出さなくなって久しい。そういや栄治と特に仲
良かったなと思いながら三人が話しているのをぼんやり見ていると、上野が突然、ぐ
わしと俺の頭をつかんだ。
「ところで何この置物」
「あー、演習の発表に行き詰っちゃってるんだよ」
 ナイスフォロー神田。それらしい言葉でやりすごしてくれたが、
「んなこと言って、実は振られたかなんかじゃねーのー?」
 ぐっさり。そうだ。上野はいらないくらい鋭い。
「やめてっ、この子に触らないであげてっ」
「おうおう可哀想になあ、ヤケ酒なら付き合うぜ」
「いやもう三ヶ月くらいコレだから……」
「三ヶ月?引きずりすぎじゃね?」
「てか正確に言うと三年」
「三年!?克哉、ガラスハートすぎだろ!」
 ほっとけ。声にするのも面倒くさい。そしたら勝手に栄治が今までの有華の顛末を
話している。やめろ。これ以上思い出させるな。でも栄治を止めるのもめんどくさい。
神田にすがろうと視線を送ったけれど、無視された。ひでえ。

02-845 :腹黒ビッチ 2章(後) 3:2009/11/18(水)17:28:14 ID:34xp4FbN
「んー、それって彼女が言う通り、忘れればいいんじゃないか?」
「忘れられないから、こうなってんだよ」
「俺たちも散々言ったよ」
 俺もじとりと視線だけ送る。もう三年忘れられないんだから、まだまだ長期戦は間
違いない。下手すると一生ものだ。ふーん、とさして深刻そうじゃなく上野はうなず
く。
「じゃあ、許してやれよ」
 上野は、当たり前のことのように軽く言った。
「忘れられないし、新しい女にも走れないし、その子のことしか考えられないんなら、
もう許すしかないだろ。男なら、好きな女のしたことくらい許してやれよ」
 言い終わると、上野はにっと爽やかに笑う。十一月になっても黒い肌に、白い歯が
よく似合う。
「お、男らしい……」
「細かいこと考えない上野らしい……」
「ハハハ、惚れるなよ」
「惚れねえよ」
「ま、なんでもいいけど克哉早く元気出せよ。あとお前ら冬合宿は出んだろ、また麻
雀しようぜー」
 んじゃーなー。勝手に開催したお悩み相談室は、解答一分であっさり終わった。脱
いだスーツを乱暴に振りながら、上野は颯爽と去って行く。
「相変わらずだなーあいつ」
「麻雀って、またどうせ上野の一人勝ちだよ……」
「追い出しコンパ酷かったよなー、全然追い出そうとしてないあの勝ち方とか」
「そういや夏は田中先輩が一晩で六万負けたってさ」
「むごい……」
 そのまま冬の合宿どうするか、二人は話し始める。俺は一人、上野の言葉を反芻す
る。
 ゆるす、そのたった三文字。思いつきもしなかった俺は、最低な男だった。そんな
ことに気づいて、またひっそりと落ち込む。
 でも金目当てなんて酷いだろ。最低だろ。そう思うけど。
 だけど、そうやって目を閉じて思考を止めるその最後に、有華に会いたいと思う。
干からびる世界の中で、それだけが鮮明になる。
 俺は、有華を許せるだろうか。

02-846 :腹黒ビッチ 2章(後) 4:2009/11/18(水)17:28:47 ID:34xp4FbN
 それから、さらに数日後。
 締め切り三十分前の課題を出そうと、教授の部屋への廊下をたらたら歩いていた。
働かない頭で土曜の図書館にこもりなんとか完成させたものの、飯も忘れて座りっぱ
なしだった体はガチガチに硬くなっている。この後は予定もないし、どこか定食屋に
でも寄って帰るか。そんなことを思いながら教授のドアを見ると、珍しくまだ在室中
の札がかかっている。仕方ないから直接渡すかと、ノックして、教授の声を確認して
ドアを開けた。
「はいりたまえ」
 話中の教授が、ちらりとこちらを見る。向かい側のソファに座った女子も振り返る。
―――有華だった。
 ぼんやりしていた頭が一瞬にしてさえた。殴られるような衝撃。
「一宮君?何をしている」
 不審に思った教授が声をかけ、俺はぎくしゃくと課題の入ったファイルを手渡す。
「よろしく、お願いします」
「ああ、分かった。見ておく」
 教授に頭を下げつつ、ちらりと有華を見る。有華はもう俺を見ておらず、どこか沈
鬱な表情でうつむいていた。
「そう落ち込まないでおきなさい。また来年もあるのだから」
 そう言って、教授は有華の肩をたたく。いつだって厳しい教授が珍しく、優しげだ。
かっと血が上る。それ、セクハラじゃないですか!?叫びかけた。が、完全に部外者
の俺にはそんな権利はない。用がすんだら、ただ静かに部屋を出ていくしかない。名
残惜しい気持ちを抑えて、とりあえず扉を閉めた。
 が、去ることができず、そのまましゃがみこんだ。
 有華だ。有華がここにいる。数ヶ月ぶりの有華だ。なぜここにいるのかまったく見
当がつかないが、とにかく、もう二度と現れないかもしれないとすら思った有華がい
る。
 今まで休んでいた頭は、いきなり回転させてもうまく動いてくれない。足はもっと
動かない。
 がちゃりと扉が開いた。
「有華」
 目だけで驚いて、有華は俺を見下ろした。反応される前に急いで立ち上がる。
「送るよ」
「……いい」
「話がしたいんだ」
 返事はなかった。ただ視線をそらして、拒否も受諾もしない。俺が歩き始めると、
有華もゆっくりとついてきた。

 覇気のない有華に、何を話していいか分からずただ歩みを進める。下手なことを
言ったら、逃げられそうだ。色々と悩んだ挙句、当たり障りないことから始めてみた。
「今日、バイトは?」
「辞めた」
「辞めた?」
「お金貯まったから」
「そう、なんだ」
 バイトと言えば、お水だろう。もうずいぶん前に見かけた時のことを思い出す。が、
あの時ほどもう鬱ではない。目の前にいる有華があの時のような派手な服装と化粧じ
ゃないから、なおさらそう思う。
 細くなったな。肩の薄さに気がつく。俺も人のことは言えないけど、でも、心配に
なる。

02-847 :腹黒ビッチ 2章(後) 5:2009/11/18(水)17:29:20 ID:34xp4FbN
「もう、学校来れるのか?」
「……さあ、どうかな」
「どこか、悪いのか」
「違う、病気じゃない。……でも、来てほしくないでしょ」
「そんなことない」
 即座に否定する。
「俺は、本当に辞めてほしいなんて思ってないんだ。だから、休んでたのが俺のせい
だったら、ゴメン」
「違うわよ。一宮君のせいじゃない」
「でも」
「試験受けてたの。だけど落ちたからもう休む必要ない、それだけのことだから」
 目の前から走ってきた車のライトに、一瞬、有華の無表情が照らされる。
「でも、一宮君は、これ以上会いたくないでしょう?」
 有華は俺を見ない。
「私のこと、嫌いでしょう?」
 まるで言い聞かせるような、静かな声だ。刺々しさが無いように感じられるのは気
のせいじゃない。
 今しかない。有華は、きっと今しか聞いてくれないだろう。
 優柔不断な俺の、ありったけの勇気を奮い立たせる。
「嫌いになろうとしたんだ」
 最初の声は震えた。ごくりと唾をのむ。
「だけど、嫌いになれなかったんだ。結局、忘れられないんだ。有華のこと。有華と
付き合ってた頃のこと。こんなになってからやっと気付くとか、本当に、バカみたい
だけど」
「……忘れてよ」
「ごめん」
 有華は、ぴたりと立ち止まる。一歩先から振り返ると、有華は、顔をゆがませて俺
を見た。
「やめてよ、なんで、今そんなこと言うのよ。私は最低だって、一番知ってるでしょ」
 精いっぱいの虚勢が、透けて見えた。こんな時につけ込むような言葉を言うの俺の
方が酷いのかもしれない。
「その通りだよ。酷いし、俺も傷ついた。……だけど、無理なんだ。思い知った。有
華がいなくなると、俺は駄目なんだ」
 一生懸命に俺を見上げる有華の頭ごと、抱え込むように抱きしめる。
 何年ぶりかの、ゼロ距離。
「好きだ、有華」

 有華の反応は、遅かった。途方に暮れるような長い空白の後で、手がゆっくりと背
中に添えられる。おずおずと、ためらうような指先。それだけで十分だった。
 有華をかき抱く。万感の思いを、俺の腕に込める。真っ暗なはずの晩秋の夜道が、
匂やかに色めいた。

02-848 :腹黒ビッチ 2章(後) 6:2009/11/18(水)17:29:52 ID:34xp4FbN
 どうしようかと問いかけても、ぎゅーっと抱き締められるばかりで何も反応がない
ので、とりあえず俺の家に直行する。有華を乱暴した部屋に連れ込むのは少し気が咎
めたけど、有華が嫌がらないし、何より財布を忘れたからラブホにすら行けない。
 筋肉の消えた体では正直有華を引きずるのはキツかったが、有華がくっついて離れ
ないのは可愛くてしょうがなかったのでがんばった。さすがに階段でぜえぜえ言って
たら、有華が気にして体重がかからないようにしてくれた。けど、やっぱりぴったり
と有華は俺に抱きついているのに変わりはなかった。
 電気をつけて、照らし出された散らかり具合に、うわあと自分でも引く。
「有華、ちょっと掃除するから離れて」
 返事する代わりに、やっぱり抱きつく力が増すばかりだ。
「そうはいっても座れなさそうだから……」
 今だってプリントの層を踏んでいるのだ。さすがになあと思って見渡し、ソファは
服だけっぽいので、足でスペースを広げる。……明らかに服じゃない物がむにゅっと
した。
「有華ー座るぞー」
 一応声をかけて、ゆっくりと慎重に腰掛ける。抱き上げるように、ソファの上に有
華を上げる。二人用のスペースはあるのに、有華は隣に移動しようとしなかった。思
わず苦笑する。
 背もたれが傾いてるわけでもないから、キツい体勢だろうに。てっぺんしか見えな
い頭を撫でる。こっち見ろーと念力送りながら。
「有華、どうしたんだよ」
「……だって」
「うん?」
「夢じゃないかって」
 頼りなげな、か細い声。
「顔あげて、克哉君じゃなかったら、どうしようって」
 そう言って俺の胸に顔をうずめるその様に、胸を打たれる。
「夢じゃないと思うけど」
「だって」
「嘘じゃないよ」
 もう一度、言い聞かせる。俺は俺だよ、と。
「嘘じゃない」
 それでも顔を上げない有華を、なだめるように撫でる。ずっと。有華が信じてくれ
るまで待つつもりで。何分、何十分経ったか分からない。結構な時間、有華の体温を
楽しんでいた。寝ちゃったかな、と思い始めた頃に、有華が恐る恐るといった風で顔
を胸から離した。
 声をかけると、有華はまたためらいそうだった。ゆっくりと、有華が顔を上げる。
昔と変わらない、意志の強い目が俺を映す。
「……あの、ね」
 おずおずと、有華が口を開く。
「ごめん、なさい」
 かすれた声で、それだけ言って、有華がくしゃりと顔をゆがませる。もっと言いた
いことがあるみたいで、喉をひくひくと震わせる。だけど、もう声にならなかった。
「ふ……ぅえ……うえー」
 あの日みたいにぼろぼろと涙がこぼれる。
 俺を見上げる不安げな顔に、しみじみと、俺って本当に馬鹿だなと思った。なんで
こんなに弱い子を放っておけたんだろう。深く傷ついて、怯えて、本当に信じていい
のか疑っている。

02-849 :腹黒ビッチ 2章(後) 7:2009/11/18(水)17:30:26 ID:34xp4FbN
 信じてほしい、と頭を撫でて、笑いかけた。俺の方も泣きそうな顔だったと思う。
目の奥が熱いし、喉もひりついている。
「もういいよ、許すって言っただろ」
「……ぇっ、うえー……っ」
「分かってるから。有華がすごく後悔してるって、もう分かってる」
 あの日だって、本当はたくさん言い訳したかったんだろう。でも言葉が浮かんでこ
なくて、謝罪の言葉しか言えなかったんだろう。そしてそうさせたのは俺だった。
「俺も、本当にゴメン」
 ふるふると首が振られるが、ひくつく体を押しとどめる。なだめるように頭を抱え
て、てっぺんにキスをする。徐々に顔に移動して、おでこ、目、鼻、頬、そして唇に。
「……しょっぱいな」
 笑いかけると、有華は首に抱きついて、自分からキスを返してきた。
「ん、……っん」
 ひっく、と泣きすぎてしゃっくりが止まらないらしい。息苦しいだろうに、それで
も離れようとしない。しゃっくりが収まるようにと背中をさすると、またぺたりと体
を密着させてきた。
「はっ、…っ」
 ちゅう、という音と一緒に、唇が離れる。至近距離で見つめあって、お互いをきつ
く抱き締める。
「おっきくなってる」
「……ごめん」
 思いっきり当たってるモノのことを言ってるんだと思う。てか、最初からクライ
マックスでバッキバキだ。何しろ自己処理のことすら忘れて腑抜けてたのだ。何日オ
ナニーしてないのかも覚えてない。結局下半身のことしか考えてないと思われたら嫌
だ。
 でも、有華はそっと抱きついた。それがイエスの合図だとはすぐに分かった。現金
な俺は、そろそろと有華の胸に手を伸ばす。
「相変わらず、小さいな」
「やっぱり、大きい方がいい?」
 眉を下げる様子に、ぷっと吹き出してしまう。
「有華さえいれば満足だよ」
 笑いかけると、有華もくすぐったそうに笑う。またぺたりと抱きつかれて、動きに
くいけど体をまさぐる。
「我慢できない」
「でも、すぐは痛いだろ」
「いい。すぐ欲しい」
 催促するように、有華は腰を浮かす。そりゃ、俺は嬉しいけどさ。さすがにいきな
りすぎないか、と下着を下ろせずに腰を撫でまわす。
「……だってもう、準備できてると思うの」
 恥ずかしそうに、俺の首元に顔をうずめてささやく。え、っと。その部分に、恐る
恐る指を這わす。と、ぬるっと布地が滑った。
「んっ」
「うわ、すげ……」
 しばらく割れ目と思われる場所を往復すると、下着がどんどん湿り気を帯びていく。
「ふぁ……ん」
 確かにこれだと馴らさなくてもいいかもしれない。有華の無言の助けを借りて、下
着を取り去る。スカートに隠されてしまったそこを揉むように、指を入れる。
「やん・ぅ……ん、ん、」

02-850 :腹黒ビッチ 2章(後) 8:2009/11/18(水)17:30:52 ID:34xp4FbN
 くちゅくちゅとしばらく夢中で弄んでいたが、ふと、顔を上げる。じっと、必死な
瞳が俺に訴える。悲しそうな、切なそうな。
「おねがい」
 心臓をわしづかみにされた。ベルトを緩め、ジーンズを半分ずりおろす。
「挿れるぞ」
「うんっ……」
 入れると言っても体面座位の態勢で、有華がその気にならなければ入らない。亀頭
を膣に合わせただけで、有華が腰を下ろしていく。愛液が俺のペニスを伝った。
「あ・はぁ……ん」
 根元にまで達し、思わず、俺はため息をついた。有華もはぁはぁと息を荒くしてい
る。こつんと奥に当たり、背筋に震えが走る。ぎゅう、と互いを抱きしめ合い、体温
を確かめ合う。視線が絡み合い、どちらともなく唇が近寄る。くちゅりと唾液の音を
鳴らして、先ほどよりも深いキスを交わす。
 ―――くちゅ、ちゅ……ぴちゃ
 有華の髪の毛をかき乱し、頭を支えてまで深く、深く。奪い尽くし、与え尽くす。
この瞬間を、ずっと求めていた。
 体の芯が疼いていた。すでにいつ達してもおかしくない。動きたい。そう思うが、
これだけぴたりと体を合わせていると、突き込むことができない。
「ん……んふ、あふ……」
「……ん、ぅ」
 名残惜しいながらも、なんとか口を離す。なんで?と言わんばかりに切なく眉を寄
せる有華に、酷いことをしていると胸が痛む。
「有華、あの」
「ぅん……?」
「そろそろ動いていいか?」
 しばらく有華は視線をそらした。あれ?嫌なのか?
「あの、ね」
「?どうした」
「動いたら、気持ちいいんだけど、ね」
「うん、気持ちよくなろう」
「……でも動くと、離れちゃう」
 背中にまわされた手が、俺のシャツをきゅうと握りしめる。
「くっついてたいの」
 そう言って、すりすりと胸に頬をこすりつけた。

「……――――~~~~~っっつ!!!」

 可愛すぎる!!何これ!!何この可愛い生き物!!いい、正直きついけど、ずっと
抱き締めてる。ずーっとぴっとりくっついていようじゃないか!
「ごめんね、わがままで」
「いいよ、ずっとこうしてよう」
 そう言って背中を撫でる。
 有華が、幸せそうに、花が開いたように、満足そうに、笑った。

 ずっと欲しかった。この笑顔が。大好きだった。有華のこの笑顔に、俺は恋をした
のだ。

02-851 :腹黒ビッチ 2章(後) 9:2009/11/18(水)17:31:26 ID:34xp4FbN
 それからなんとかもぞもぞと服を脱いで、駅弁状態でベッドに移動して、挿れたま
まずーっといちゃいちゃして。何もしてないけど、有華は途中で達していた。中にあ
るって感覚が凄い、と言っていた。そして結局溜まっていた俺も途中で射精せねばな
らず、嫌がる有華に謝りながらなんとか外に出した。生だってことを忘れるくらい、
長い間挿れっぱなしだった。
 繋がりが解けても、俺たちは溶けたように抱きあったままだった。感慨深くて言葉
が出ず、会話はぽつぽつといったところだったけれど、空白を埋めるには十分だった。
 有華の体温があまりにも心地よく、うとうとと瞼の重さに耐えきれなくなってきた
頃、ぽつりと有華が聞いてきた。
「別所さんとは、した?」
「……してない、ってか、何もなかったよ」
「そっか」
 有華は笑う。
「私ね、克哉君が私のこと忘れて、幸せになればいいなって思ってたの」
「そんな……」
「克哉君が笑ってくれるなら、それでよかったんだ。相手が私なんて、もうありえな
いって、思ってたから」
「俺は有華じゃなきゃダメだったよ」
 有華は無言だった。俺は背中を撫でながら、恐る恐る聞く。
「有華は、他の奴としたか?」
「……ごめん」
「そっ、か」
「苦しくて、もう何もかも嫌になって、一回だけ、したんだ。でも、した後の方が苦し
くて」
「……うん」
「ほんと汚いって思ったよ。何もかも嫌とか、それも飛び越して、何も考えられなく
なった。楽になりたいなーとか、私何したいのかなーとか、そんなことしてたら何も手
がつかなくなって、試験も落ちちゃって、さらに落ち込んで」
 派手な格好の有華を見た時はあれだけショックだったのに、今はあまりにも穏やかだ。
うん、うん、と頷きながら話を聞く。
「ほんとはね、私、……全部終わっちゃおうかなって、思ってたの」
「……うん」
「苦しくて、辛くて、解放されたくて、……海に、沈んじゃいたいな、って」
 重い言葉だった。あの痛々しさはやっぱり気のせいではなく、そこまで思いつめてい
たのかと俺まで苦しくなる。
「そしたら、偶然、克哉君が来て」
「うん」
「好きって言ってくれて」
「うん」
「今だって、夢みたいで」
 声が段々と涙交じりになる。
「今度は、幸せ、すぎて、死んじゃい、そう」
 ぽろぽろと泣く。衝動的に、有華を閉じ込めるように抱きしめた。
「夢じゃない」
 何度だって言い聞かせる。今度こそ、俺が有華を守るから。
「愛してる」
「うん」
「愛してる」
「私も、あいしてる……っ」
 約束する。
 愛してる。
 ずっと、一緒にいよう。

  --> 第3章



最終更新:2010年10月15日 09:23