02-12 :ゲーパロ専用 ◆0q9CaywhJ6:2009/03/29(日) 00:49:29 ID:HqxVed2u
<白蟻の女王>・上

「――ぼ、僕と、結婚してください」
勇気を振り絞った、一言だった。
それは、一年の喪も明けない女(ひと)にとって、
あまりにも失礼なことばであることは、僕だって分かっていた。
でも、その時、そう言わなければ、どうしようもないくらいに、
僕の胸は、硬くて熱い、やるせない塊によってふさがっていて、
そうしなければ、きっと心臓が張り裂けてしまっていただろう。
結宇歌(ゆうか)さんは、何も言わずに僕を眺めていた。
見詰めていた、わけではない。
まるで、飼っている犬がことばをしゃべった、
とでも言うような視線で僕を眺めたのだ。
その冷たい視線に、僕は、彼女が怒り出すのか、と身を縮みこませた。
(失礼な事を言った)
ものすごく、失礼な、彼女の誇りと名誉を傷つけるようなことを言ってしまった。
僕は、そう思って、馬鹿な自分の頭を金槌かなにかで打ち割ってしまいたくなった。
だけど、彼女の感じた「失礼」とは、僕がその時思った「失礼」とはちがった意味を持っていたようだった。
「お受けしますわ、節夫(せつお)さん」
「……ほ、本当ですか!」
「ええ」
結宇歌さんは、こくりと頷いて、それからため息をついた。
そうして、天にも登る気持ちでいる僕に、頭から冷や水をかける。
テーブルの上のコップからではなく、
睫(まつげ)の長い綺麗な瞳から見据える視線と、
紅も差していないのに赤い唇から漏れることばで。
「――今の私の身体の価値など、せいぜい貴方が買える程度のものなのでしょうから」

02-13 :ゲーパロ専用 ◆0q9CaywhJ6:2009/03/29(日) 00:50:00 ID:HqxVed2u
結宇歌さんは、僕の兄貴、幸雄(ゆきお)の女だった。
正式な結婚は、していない。
遊び人で知られた兄貴が、奥さんを亡くしてすぐに連れてきた女(ひと)だ。
先妻の存命中から、男女の関係だったらしい。
地元の大きな神社の跡取り息子として育った兄貴は、
東京に出て冴えない勤め人で一生を終わる予定だった僕なんかとは違い、
色んな世事に長けていて、まあ、女性のこともお盛んだった。
だから、「鄙には稀な、臈たけた」という形容がぴったりの結宇歌さんを連れてやってきたときは、
嫂(あによめ)の一周忌が済んで、実家でぼぉっと帰りの汽車の時間を待っていた僕たちをたいそう驚かせた。

歳は、僕より五つか、六つか上だっただろうか。
三つになる娘さん──春菜(はるな)ちゃんの手を引いて神社の鳥居をくぐってきた結宇歌さんを見たとき、
僕は、心臓がとてもドキドキとして困ったことを覚えている。
あれから、十年。
連れ子が居たことがネックになって親戚中から結婚を反対された兄貴は、
表向きは結宇歌さんを神社の巫女さんとして雇い、囲った。
それは、情婦とか愛人とか、世間では言うのだろう。
「嫁として正式に籍を入れるのは、二人の間に子供が生まれてから」
親戚筋には、そんなひと昔前の農家のような約束で納得してもらった兄貴は、
結局、結宇歌さんとの間に子供が出来なかった。
──結宇歌さんを囲ってすぐに、別の新しい愛人を作ったことも、それは多分関係しているのだろう。
そうして、住み込みの巫女として神社に働き始めた結宇歌さんの生活が始まり、
そして、僕の帰郷の回数が増えた。
僕は、兄貴が囲った愛人に、恋をしたのだ。
十年も続いた、ひっそりとした、実らないはずの恋を。
──そして、それは、実ってしまった。
冷たい、冷たい、苦い果実を。

02-14 :ゲーパロ専用 ◆0q9CaywhJ6:2009/03/29(日) 00:50:31 ID:HqxVed2u
「ふう」
慣れない文字を見詰めていると、目が痛くなる。
水でも飲もう、と思って席を立ち、思い直して外に出る。
「うーん」
午前中の柔らかな日差しのもとで伸びをすると、身体中の骨がぽきぽきと鳴った。
東京での務め暮らしで、書類の整理などはお手の物のはずだけど、
ここで使うものは、難しい漢字が多くて難儀する。
神社の息子として、一応、大学で資格は取ってはいたけど、
跡取りは兄貴と決まっていたから、僕はそれほど身を入れて学んでいなかった。
まあ、兄貴もそんなに勉強したとは思えない。
だけど、卒業後も仕事としてずっと神事に関わり、
親父の死と同時に神職を継いだ兄貴と、
正真正銘、10年もそうしたことから離れていた僕では、雲泥の差があるだろう。
(それでもなれてしまうのが、田舎なんだな)
自分で苦笑してしまう。
由緒正しい神社では、神主職の代替わりなどは大変なもので、
この間も前職の子供に継がせようとしたら、年齢が足りないと本庁が別人を任命して、
地元の氏子ともめた話まである。
だが、うちの神社などは、大きくてもそれほど権威があるものでもないらしく、
僕の継承は、すんなりと通った。
生まれ育った僕は気付かなかったけど、
──ここはよっぽどの田舎だ。
僕が、不意にそれを認識したのは、
向こうで玉砂利の庭を掃く、結宇歌さんの後姿を見たからだ。
長い黒髪と、緋袴が陽光に映え、もうすぐ三十の僕よりも年上なのに、
きびきびしたその姿は、まるで少女(むすめ)のようだ。
鄙には稀な、佳人。
こんな田舎にいるべきでない、女(おんな)。
(……結宇歌さんは、ここで不便を感じているのかも知れない)

02-15 :ゲーパロ専用 ◆0q9CaywhJ6:2009/03/29(日) 00:51:02 ID:HqxVed2u
告白と、その受け入れ。
無味乾燥な、やり取り。
昨日のことだ。
その一分にも満たない会話の後、僕は結宇歌さんと話をしていなかった。
神社の中は、祭りでもない限り、神主の僕と、巫女の結宇歌さんしかいない。
なんとなく顔を合わせづらくて、朝の挨拶を済ませた後、
僕は作務所の奥に引きこもって書類とにらめっこし、
結宇歌さんはいつものように掃除を始めた。
そのことを忘れて外に出てしまったのだから、僕は間抜けだ。
しかたないから、結宇歌さんのいない裏のほうに廻る。
そして、僕は、立ち止まった。
「……ああ、枯れてたんだ」
社の裏手にある、松の木が枯れているのを見て、僕はそんな独り言をした。
神社のご神木は、表にある柏の木だけど、同じくらいの大きさのこの松は、
裏手にあることといい、枝が低く張り出していたことといい、
何より、ご神木とちがって、登っても大人に怒られないから、
子供の時分、ずいぶんと木登りしたものだ。
近所の子供たちにとって、親しみ、という点ではこちらの松の木のほうがよっぽど強い。
こちらに戻って三ヶ月にもなるけど、
今日、やっとそれに気がついたのだから、僕の鈍さも相当のものだ。
「……寿命とは思えないけどな」
柏も松も、子供の頃は天まで届くような大木に思えていたけど、
戦災で一度焼けて植え直したはずだから、まだ若いはずだ。
「病気でもしたかな──」
近寄って、木がスカスカと、虫食いだらけになっているのに気付く。
「これは……」
「――白蟻、ですわ」
不意に後ろから声をかけられて、びっくりして振り向くと、
そこには、箒を持った巫女服姿の結宇歌さんがいた。

02-16 :ゲーパロ専用 ◆0q9CaywhJ6:2009/03/29(日) 00:51:32 ID:HqxVed2u
「……白蟻?」
「ええ。何度か薬を撒いてもらったのですが」
結宇歌さんは、白くなっている松の根元を指差して言った。
「本当だ。随分喰われている」
手で触れると、松の皮はボロボロと崩れた。
この分では、表皮の残っている部分と中の硬い芯を除けば、木は空洞状態だろう。
「切らなきゃならないかな、これは」
倒れたりしたら、危ない。
「いい木だったのにな」
小学校の何年生だったか、てっぺんまで巧く昇れた日に見下ろした街の風景を
ふと思い出して、僕は柄にもなく感傷的なことばを言った。
「――関わるからです」
結宇歌さんが、不意に、そう言った。
「え?」
思わず聞き返す。
「――白蟻と、関わるからです」
結宇歌さんはそう言って、僕をまっすぐに見た。
「白蟻って……」
言われた単語は分かる。
意味も、まあ分かる。
だけど、関わる、とはどういうことだろう。
まるで松が、人でもあるかのような結宇歌さんのその言い方に、
僕は不思議さと、そして暗さを感じた。
「……なんでもありません。ところで──」
結宇歌さんは頭(かぶり)を振って、その話題を打ち切り、
そして、昨日のように僕をまた眺めた。それから、
「……今晩から,しますか?」
そう、僕に聞いた。
「え……な、何を……」
「セックスを、です」

02-17 :ゲーパロ専用 ◆0q9CaywhJ6:2009/03/29(日) 00:52:03 ID:HqxVed2u
思わず聞き返した僕に、結宇歌さんは無表情で答える。
「そんな……」
セックスなんて言葉、下世話な週刊誌か何かでしか見たことがない。
学生の頃、遊んでいる連中が好んで口にするのを聞いたことはあるが、
女性がそんなことを平気で言うのを聞くのは、
怪しげなカフェに出入りしている奴ら以外、初めてだった。
もとより、参拝客もいない午前中とは言え、神社の境内で神主と巫女がするような会話ではない。
だけども、結宇歌さんはその話題から僕が逃げる事を許さなかった。
「どうせ、いつかはすることです。
節夫さんも、――それが目的で私に求婚したのでしょう?」
「そんな……」
「いいんです」
結宇歌さんは、強い光の宿った目で僕を見ながら言った。
だけど、その光は、恋とか、愛とか、そういうものの甘味のある強さではない。
見られる僕が、身をすくませて、返す言葉もなくしてしまうような、光。
やがて、いつまでも黙っている僕に、結宇歌さんは、ふっとため息を漏らした。
それは、張り詰めた緊張を和らげるものではない、
嘲笑のような、自嘲のような、吐息だけの笑い。
「親娘二人の面倒を見てもらうんですもの、
私の身体くらいは、自由にさせてあげます。
──春菜の父親と、幸雄さんにさんざん遊ばれた、
使い古しでよろしければ、の話ですけども」
「……」
舌が乾いて、強張る。
何も言えない。言い返せない。
そんな僕を、結宇歌さんはじっと眺め続け、やがてもう一回ため息をついた。
「よろしいようですね――では、今晩から、セックスをしましょう」
それだけ言い捨てて、結宇歌さんは表のほうに歩み去り、
後に取り残された僕は、午(ひる)前の陽の光の中で、
まるで身体が凍ったように動けなかった。

02-18 :ゲーパロ専用 ◆0q9CaywhJ6:2009/03/29(日) 00:52:34 ID:HqxVed2u
「はじめに、言っておきます。――これは、売春です」
「……」
「節夫さんが、私と春菜を養ってくれることへの、お礼です」
「……」
「見ず知らずのコブ付女を食べさせてくれることが、
どれだけ大変かくらいは、私にも分かります」
「……」
「ですから、私は、節夫さんにセックスをさせてあげます。
セックスで、私ができることは、なんでも。
それで十分な謝礼になっているかどうかは──節夫さんが判断してください」

……この女(ひと)は、何を言っているのだろう。

夕飯のときにビールを飲みすぎたのが悪かったのか。
頭がしびれたようにぼうっとしている。
午後に散歩をした折に、酒屋で買い求めて、大瓶三本も飲んでしまった。
普段は日本酒も飲まない僕が、急にそんなものを買ったものだから、
酒屋の爺さんはびっくりしていたっけ。
ああ、何の話をしていたのだろう。
僕は、ぼんやりと、敷いたばかりの布団の上に正座して、
僕のほうを眺めながら、きちんきちんとした言葉を投げかけてくる結宇歌さんを見詰めた。
頭がよく働かない。
だから、彼女が言ったことばの半分も、僕は理解できていなかった。
ただ──、
「――幸雄さんも、それでいいと、私を抱きました」
結宇歌さんがそう言って、それまで無表情だった美貌に、
ちょっと妖しい微笑みを浮かべたときに、
急に世界が反転したように、どっと僕の中に強い感情が沸き立ったことだけは覚えている。

02-19 :ゲーパロ専用 ◆0q9CaywhJ6:2009/03/29(日) 00:53:05 ID:HqxVed2u
どくん、と心臓と性器が跳ね上がるように脈動する感覚。
豆灯の灯りで照らされる薄暗がりが、急に鮮明になり、
同時に視界狭窄にでもなったように、目の前の女(おんな)しか見えなくなる。
不意に、その彼女が笑った。
僕に聞こえるくらいに、声をあげて。
「節夫さんは──童貞ですか?」
「……!」
それは事実だった。
三十間近のこの年齢になるまで、僕は結婚したことがなかったし、
学生時代に恋人もいなかった。
東京で勤め人になるようになっても、どうしても吉原当りに繰り出す勇気もなく、
そのままずるずるとここまで来てしまったのだけど──。
「なら、せいぜい楽しませてあげますわ。
こんな年増女でも、節夫さんを男にしてあげるくらいのことはできますから」
そう言って、結宇歌さんは夜着の裾をまくった。
下着を着けていないそこは、僕がはじめて見る女性の部分で──。
僕は、何も考えられなくなって、結宇歌さんに抱きついた。

目に前に差し出された生々しい牝の肉。
それは、好かれてもない相手だというやるせなさも、
兄貴や、その他の、別の男たちに対する嫉妬心も、
何より、急に手に入った地位と金で女の身体を買う、
という行為の罪悪感さえも僕の中から忘れさせて、
その代わりに、自分でも怖くなるくらいに強い獣欲だけを与えた。
そして、僕は、その衝動に耐えられず、何度もその女体の上に乗り、
したたかに精を放ち続けた。

02-20 :ゲーパロ専用 ◆0q9CaywhJ6:2009/03/29(日) 00:53:38 ID:HqxVed2u
ぼんやりと覚えている。
「そう。そこ――あせらないで」
「あっ……そこ……」
「動いて……」
「そう。そのまま……出してください」
「……まだ、するのですか」
「そう……じゃ、このままもう一回……」
オレンジ色の闇の中で、僕はいったい何をしたのだろうか。
植えた野犬か、狼のように襲い掛かったのに、
僕の下の甘い肉の塊は、当たり前のようにそれを受け止め、
息をするか、水を飲むかのように、淡々とそれを進ませて行く。
吉原などで春をひさぐ女たちというのは、
あるいは、こういう風に男を捌いて行くのだろうか。
売春。
食べさせる、生活の面倒を見るということを代価と考えれば、
夫婦の間柄でさえ、それは、こういうものなのかもしれない。
しびれた頭で認識できるのは、何事も混沌とした泥のようなものだけで、
僕は、ただただ、その泥の中に、
同じくらいにどろどろとしたものを放ち続けることしかできなかった。

02-21 :ゲーパロ専用 ◆0q9CaywhJ6:2009/03/29(日) 00:54:08 ID:HqxVed2u
朝。
畳の匂い。
差し込む白い光。
小鳥のさえずる声。
――自分の姿を認識して罪悪感に打ちのめされる時間。
僕は、自分が最悪な下種であることを認識する。
生活、いや、金銭(かね)で――好きな女を自由にする。
女を、買う。
憧れていた女性を、娼婦に、売春婦にする行動。
そして、自分からそれを受け入れる女(ひと)。
罪の意識は、混乱と失望感にまみれていた。
「……おはようございます」
僕が目覚めたのに気がつき、兄の愛した女性は、髪を結い上げながらそう挨拶をした。
鏡台に向かって手早く支度をしながら、まるで、昨晩のことがなかったように、振舞う。
「……」
僕は、何も言えず、視線をそらす。
「これから毎晩――させてあげます」
後ろを向いた結宇歌さんが、そう言った。
そういうことをしても、まったく傷つかない女(おんな)の声で。
「……僕は……」
なぜか、その時、黙っていられなかった。
「僕は、貴女のことが好きです……」
なぜか、そう言った。
十年もずっと言えずにいたことばなのに。
「――そういうことを、言わないでください」
結宇歌さんは鏡台のほうに向いたまま、静かに答える。
「ごめん。でも――」
「それに、ことばが間違っています。
好きです、ではなく、好きでした、――でしょう?」
「……」

02-22 :ゲーパロ専用 ◆0q9CaywhJ6:2009/03/29(日) 00:54:39 ID:HqxVed2u
「私は、節夫さんが心の中で勝手に考えていたような女ではありません」
「……」
「私は――そうね。白蟻ですわ」
「え……?」
「覚えてらっしゃいますか、昨日の松の木」
「……ええ」
「私は、あれにたかっていた白蟻のような女です。
うかうかしていると、貴方もあの松のように喰い尽くされますわ」
「それは、どういう――」
「……ふ、ふふ」
小さく笑って、結宇歌さんは立ち上がった。
僕のほうを見もしないで、寝室から出て行く。
「……では、また今夜」
そう言って。
「……」
一人取り残された僕は、なぜか、結宇歌さんのその後姿が、
振り返ってくれるような気がして、ずっとそれを目で追った。
廊下の角を曲がるとき、結宇歌さんは一瞬立ち止まり、
だけど、そのまま足をすすめて、僕の視界から消えた。
「白蟻……」
僕は、阿呆のようにつぶやいて、今度こそ部屋に一人で取り残された。


                 ここまで

02-69 :ゲーパロ専用 ◆0q9CaywhJ6:2009/04/09(木) 03:11:52 ID:j5ZpYlFF
<白蟻の女王>・下

「――節夫さんは、フェラチオというのはご存知ですか?」
オレンジ色をした幻想の世界で、結宇歌さんがささやいた。
「……こ、ことばだけなら……」
「……そうですか」
布団に横たわった僕に添い寝する年上の女(ひと)は、
僕の性器を握って弄びながらささやき続ける。
「……もとは、赤線や青線の女郎のすることだったそうです」
「は、はい……」
「それも、普通はしないことだそうです」
「そ、そうなんですか」
「ええ。商売女でも、そんなことをする人は二種類だけ」
「……」
「一つは、馴染みの上客だけにする最高のサーヴィス」
「……」
「もう一つは、もう客がつかなくなったお茶挽きの年増女郎が、
客を寄せるために使う生計(たつき)の技」
「……」
「私のは、どちらでしょうね」
「それは――」
「ふふ、私にとって、節夫さんは最高の上客です。
ですけど、やっぱり、私はお茶挽き女郎ですわね。――します」
いつの間にか、仰臥する僕の下半身のほうに移動していた
僕の物が、含まれる。
女の人の唇に。
結宇歌さんの口に。
ぬめり、とした柔らかいものが触れる。
「うわっ……!」
未知の快感に、僕は布団の上で、陸に上げられた魚のように跳ねた。

02-70 :ゲーパロ専用 ◆0q9CaywhJ6:2009/04/09(木) 03:12:22 ID:j5ZpYlFF
「ふふ――」
結宇歌さんが冷たく笑う。
格下の男を嘲笑(わら)う、軽蔑の笑み。
軽蔑しながら施しを与えるように、サーヴィスをする女(ひと)。
僕は、酷薄な女神に使える氏子のように、それを求め、
結宇歌さんは、それを受け入れる。
僕の先端に舌がそっと這う。
溝を掘りおこし、一番張り出した縁のカーブを沿い、
浮き出た血管をなぞりあげる。
そのたびに、僕は、阿呆のようにうめいて身じろぎした。
「……感じますか?」
「はい……、すごく……」
「敏感なのですね」
その声に、僕は赤面した。
女をあまり知らない――つい先日、この女性で知ったばかりだ――ことが、
なんとも恥ずかしく、情けなく思える。
こんなとき、何を言えばいいのだろうか。
「……気持ちいいです、とても。こんなのは、はじめてです」
それだけを、僕の下半身に身をうずめる影に答えた。
「……」
はっとしたように、結宇歌さんの動きが止まる。
僕を軽蔑したような含み笑いの気配さえ、消えていた。
「……?」
「……私、そんなにこれが上手くないそうです。
あま気持ちよくない、と言われてました」
ぽつりと、結宇歌さんがつぶやく。
「そんなこと――」
女性の口で愛撫してもらう。
しかも、こんな美人で、ずっと好きだった女性に。

02-71 :ゲーパロ専用 ◆0q9CaywhJ6:2009/04/09(木) 03:13:02 ID:j5ZpYlFF
「これが、気持ちいいことでなかったら、
いったい、何が気持ちいいことなのでしょう」
僕は、少々ムキになって言った。
馬鹿らしいことだけど、その時、僕は、
大事に思っている物をけなされた気分になっていたからだ。
「知りません。――幸雄さんは、私はへたくそだと言っていました」
結宇歌さんはそう言い、言ってから、はっとしたように僕を見た。
正確には、豆球の灯りの下で結宇歌さんが本当にこちらを見ているのか
わからなかったけど、僕は、そう感じていた。
「……ごめんなさい」
「いえ……」
結宇歌さんの口から兄貴の名を聞き、僕は、複雑な思いに駆られた。
「あの――」
「はい」
「兄貴のこと、好きだったのですか?」
馬鹿な問いだ。
それを聞いて、どうしようと言うのだ。
「いいえ。本当の事を言えば、それほどは――」
ほら、予想外の答えを聞かされて動揺してしまうではないか。
はい、と答えられても、僕の心はざわめいただろうに。
「――私は、ずっと昔に、好きな人がいました」
「……」
「今でも好きです。私の心は、ずっとその人のもの」
「……」
「でも、その人とは結ばれませんでしたし、
心がここになくても、身体は生きることを要求します」
「……
「だから、私は、こうして身体を売って生きています。
さすがに女郎さんにはなれませんが、それと同じようにして」
「……」

02-72 :ゲーパロ専用 ◆0q9CaywhJ6:2009/04/09(木) 03:13:33 ID:j5ZpYlFF
闇の中、僕の下半身の上に、僕の考えもつかない生き物がうずくまる。
そして僕に、僕の知らない生き方を告白する。
「……その人は、春菜ちゃんの――」
「いいえ、私のあの人は、春菜の父親ですらありません。
私は、春菜の父親にもひどい事をして逃げたのです」
「そうですか――」
「ね、私、ひどい女でしょう?」
「そんなことは――」
「だから、私は、幸雄さんや貴方に、
こうしたサーヴィスをして生きている身になったのです」
「……そんなことを言わないでください」
「まあ、――なぜ?」
結宇歌さんの声音が変わった。
それは、明らかに、僕のそのことばを待っていた声だ。
準備して、待ち構えていたから、すぐにそう言えたのだ。
「――私に、こうさせるのを期待していたのは貴方のほうですよ?」
話している間も愛撫を続けて猛々しくなっている性器を前にしては、反論もできない。
結宇歌さんは、それを十分承知して、そんな話に流れを持って言ったのだ。
長い間欲しくてやっと手に入れた――買うことができるようになったおもちゃを、
手に入ったからは散々遊び倒さなくてはいられない、助平で浅ましい心を知った上で。
セックス。
女性と交わることができる、という快楽は、一度手に入ると捨てがたい。
彼女の身の上を知った上で、
でも、僕はこの女性の肉体を好きに出来るという快感に
手を着けずにはいられない、卑怯で意思の弱い男だ。
そうして、結宇歌さんはそれさえも知り尽くしていて――。
何も言えずにいる僕に、結宇歌さんはまた軽蔑したように微笑み、僕の物をそっと咥えた。
今度は、すぐに僕は爆発して、年上の女の人の口の中に精液を噴き出す。
結宇歌さんは、僕の漏らした精を、こくり、と音を立てて嚥下した。
――その時、何かが、僕の中ではじけた。

02-73 :ゲーパロ専用 ◆0q9CaywhJ6:2009/04/09(木) 03:14:04 ID:j5ZpYlFF
「――結宇歌さん!!」
「何を――!」
驚いたような結宇歌さんの声。
大人しいと思っていた生き物が、突然肉食獣に変わったような驚愕を、
僕は感じ取り、そして丸ごと飲み込んだ。
力任せに、結宇歌さんの裾を割る。
「や、やめてくださ――」
慌てたような声を挙げる女(ひと)。
そこに恐怖よりも、戸惑いと羞恥を強く感じ取ったから、
僕は、それをやめなかった。
広げた太ももの奥に、顔を突っ込む。
獲物にかぶりつく野犬のように。
「何を――、やめっ──」
そんな悲鳴さえ、甘やかに感じる。
馥郁(ふくいく)とした匂い。
成熟した女性の、湿った性器の匂い。
僕は興奮し、その場所にむしゃぶりついた。

――舐める。
舐めあげる。
女の人の性器を。
好きだと思った女性の性器を。
10年前に心を奪われた女性の生殖器を。
「あっ……!」
太ももを閉じようとする結宇歌さんの抵抗は、
しかし、決定的なものには感じられなかった。
必死に見える。
全力に思える。
本気に思える。
だけど、それは、僕のその行為を止めるだけの力はなかった。

02-74 :ゲーパロ専用 ◆0q9CaywhJ6:2009/04/09(木) 03:14:34 ID:j5ZpYlFF
どこかで聞いたことがある。
(女が本気で抵抗すれば、男の力でも決して股は開けないものだ。
嫌よ、嫌よと言っていても開かせられたんなら、
まあ、向こうもその気ってこったなあ)
それは、兄貴が酔っ払って言ったことだったか、
勤め人時代の上司が宴席で上機嫌で話した猥談だったか、それは忘れた。
だけど、その話の中身だけはなぜか頭の片隅に焼け付いて離れなかった。
こうして――。
こうして、僕が唇と舌を這わせていて、本気で抗わないということは、
結宇歌さんは、――そういうことなのだろうか。
わからない。
わからないけど、僕は、それを頭の片隅に押しやって夢中で舐めた。
「駄目です、そんなところを――汚いです」
「汚くなんかありません。結宇歌さんのここは――素敵です」
実際、そう思う。
性器は、排出器官を兼ねる。
僕の舐めているこの粘膜の洞(うろ)のすぐ傍に、
結宇歌さんが小水をする孔(あな)がある。
でも、欲情した牡にとって、それは、嫌悪感を抱かせるものではない。
むしろ、今、抱え込んでいる牝の一番恥ずかしい部分を覗き込んでいるその実感は、
欲情を煽るだけの効果をもたらした。
「女の人のここの部分は、よくわからないです。
だから、もっと見せてください」
熱病に浮かれたような声は、僕の口から漏れたものだろうか。
僕は、前にも倍する熱い視線と、口付けを結宇歌さんのその部分に注いだ。
「ひっ」
結宇歌さんは、慌てたような声を上げる。
その声の必死さは、抵抗よりも、むしろ未知の体験への畏れを感じさせた。
未知……?
違和感のようなものを抱きかけた瞬間、結宇歌さんが仰け反った。

02-75 :ゲーパロ専用 ◆0q9CaywhJ6:2009/04/09(木) 03:15:05 ID:j5ZpYlFF
「ああっ、だ、だめえっ――」
それは、初めて聞く結宇歌さんの甘い悲鳴。
今まで、諦めと投げやりさが半分混じった職業的な熱心さで
僕に奉仕するだけだった女(ひと)が、初めて見せた反応。
結宇歌さんは、布団の上でびくん、びくんと跳ねた。
それが、女性が達するときの動きだというのに気がついたのは、
まるで馬鹿のように呆然とそれを眺め続け、
結宇歌さんの身体が動きを止めた頃だった。
「結宇歌さん――?」
返事がない。
荒い、甘やかな呼吸音だけが聞こえる。
良かった。
一瞬、彼女が死んでしまったのではないだろうか、とさえ、このときの僕は思った。
はぁはぁ、と言う息の音。
やがて――。
「ひどいです……」
か細い声が聞こえた。
「すみません、はじめてのことなので――」
「私も、初めてです。あんなことをされるのは」
「えっ」
「あっ……な、なんでもありません」
結宇歌さんは、慌てたように手を振った。
「ここを舐められるのは、初めてですか?」
僕は、思わず聞き返してしまっていた。
「そんなことはありません。でも――」
結宇歌さんは口ごもる。
そんな態度も、十年目ではじめて見る。
だから僕は自然に問いを重ね、結宇歌さんはそれにも返答した。
「でも?」
「こんなに丁寧にされたのは、はじめて、です」

02-76 :ゲーパロ専用 ◆0q9CaywhJ6:2009/04/09(木) 03:15:36 ID:j5ZpYlFF
クンニリングス。
言葉とか、何をするのかは知識としてあった。
男性がそういうことにはあまり熱心な時代ではない。
金銭(なね)や力で女性を簡単に手に入れられる男ならなおさらだろう。
でも、僕は、はじめて接する女(あいて)の性に、
自分でもびっくりするくらいに執拗な関心と愛しさを感じていた。
突然手に入った女神の、恥部。
それを愛撫するのに、手ではなく、食事を取る口や舌ですることに、
その時、僕はいささかの躊躇も覚えなかったし、
それが、結宇歌さんが、自分を殺して売り物にするサーヴィスと思っていた
フェラチオと対を成す性戯だということにも気がつかなかった。
ただただ、僕は、それをしたかった。
ただただ、僕は、それに反応する結宇歌さんが愛しかった。
「……」
「……結宇歌さん?」
沈黙が長く続いていたことに気がつき、僕は同衾する女(ひと)の名を呼んだ。
「すみません、まだ身体が動かなくて――すぐにします」
結宇歌さんが言っていることが、
僕の射精のための性行為を指していることを悟って、僕は首を振った。
「いいえ。僕は、今日はもういいです。
結宇歌さんも、今日はこのままもう寝てしまってください」
「でも――」
「いいんです」
その時、なぜか僕は、深く満足していた。
いつものように、射精をしたわけではない。
こちらの肉体的な快感は満たされたわけではないけど、
僕は、このまま二人で眠りに落ちることが、
とても素敵なことのように思えていた。
そして僕は、自分と結宇歌さんに布団をかけ、横になった。

02-77 :ゲーパロ専用 ◆0q9CaywhJ6:2009/04/09(木) 03:16:07 ID:j5ZpYlFF
――うつらうつら、というのはとても良い言葉だ。
そういう時の空気を、とてもよく表現している。
この単語を思いついた奴は、
きっと、僕が今感じている感覚をその時に抱いていたに違いない。
そう確信できる。
夢見心地。
どこかで、結宇歌さんの声がする。
僕が答える声も。
「――なぜ、あんなことをしたのですか?」
「――わかりません。ただ、そうしたかった」
「男の人が、あんなことをするべきではありません」
「そうでしょうか」
「そうです」
「結宇歌さんも、僕にしてくれたじゃないですか」
「あれは……節夫さんへのサーヴィス……です」
「じゃあ、僕のも、貴女へのサーヴィスです」
「そんな──なぜ?」
「なぜ? 理由が必要ですか?」
「必要です。私は、貴方に養われています。でも、節夫さんは――」
「――貴女に好かれたいと思っています」
「……!」
息を飲む様子が、しかし、映画のスクリーンの向こうのもののようにおぼろげに感じる。
僕は何を言っているのだろうか。
でも、心の中のことを、僕は正直に話していると確信していた。
僕も。
結宇歌さんも。
だから、僕はなんのてらいもなく、そう言い、
そして結宇歌さんは沈黙した。
だけど、僕は、その沈黙が永遠でない事をすでに知っていて、
だから、オレンジ色の薄暗がりの中で穏やかにそれを待ち続けた。

02-78 :ゲーパロ専用 ◆0q9CaywhJ6:2009/04/09(木) 03:16:43 ID:j5ZpYlFF
「私は、――そんな価値がない女です」
「僕はそうは思いません」
「ないんです」
「あります」
「私は、貴方にセックスを提供することだけしかできない人間ですよ」
「僕にとっては、大事な女(ひと)です」
「そんな価値がないと、私が自分で言っているのですから、まちがいはありません」
「たとえ、その「大事な物」を作った当の本人が否定したとしても、
それに価値があるかどうかは、貰った側が決めることではないでしょうか」
「ああ。――どうすれば、貴方を言い負かせるのでしょうか」
「言い負かす必要はないんじゃないですか」
「……私は、貴方を喰い尽くす白蟻ですよ?」
「また、それが出てきましたね。――誰かに言われたんですか」
「……はい。春菜の父親の家族に。その人が死んで、私が家を去るときに投げかけられました」
「そうですか」
「自分でも、そう思います。
私は、あの人を食いつくし、羽を生やして飛び去りました。
一番好きな人の元に行こうとして」
「……」
「でも、私の羽は短くて、その人の元には届きませんでした。
そして、私は、手近な松にたどり着いて、またその木を食いつくしたのです」
「兄貴のことですね」
「はい。私は、そう言う、度し難い女です。
だから、せめて――好きにならないでください」
「嫌です。世の中には、白蟻に食われたがる松もいるんです」
「――」
「ひとつだけ、最後に一つだけいいですか?」
「はい」
「――貴女の好きな人は、どんな男だったのでしょう?
僕は、できれば、その男に近づきたい。少しでも、少しでも」

02-79 :ゲーパロ専用 ◆0q9CaywhJ6:2009/04/09(木) 03:19:14 ID:j5ZpYlFF
「――」
絶句。
明らかに、今までの沈黙とは違う、静寂。
夢うつつの中でなければ、僕はきっとそれに耐えられなかっただろう。
でも、半分、忘我の世界に身を浸していた僕は、
そんなことさえもを畏れずにそのことばを吐いた。
十年間、ずっと思っていたことだったからかもしれない。
(結宇歌さんに好かれる男はどんな男(ひと)だろうか。
できうるなら、そんな男になりたい)
弱くて才能もない僕は、それを口にすることも実行することもできなかった。
でも、そんな思いは彼女に一目ぼれしてからずっと僕の心の中にあって、
それは、今、そのままの形で僕の唇からこぼれた。
「――わかりません」
不意に、結宇歌さんが答えた。
意外な答え。
「もう、わからなくなってしまいました。
あの人がどんな男(ひと)だったのか……」
「……」
「多分、もうずっとそうだったのでしょうね。
私は、もう、あの男(ひと)が、
どんな顔で、どんな声をしていて、どんな男だったか、思い出せないんです」
「……」
「そうですか。そうじゃないかなって、思ってました」
「……ひどい人です、貴方は」
「そうですか」
「そうです」
「……」
「ひとつだけ、あの人のこと、思い出しました。
あの人は、貴方と同じくらいひどい人で、私の心を私よりずっと知っていました。
知っていて、ずっと黙っている、そんなところがありました」

02-80 :ゲーパロ専用 ◆0q9CaywhJ6:2009/04/09(木) 03:19:44 ID:j5ZpYlFF
「……」
「そして、私は――そのひどいところに心惹かれてしまったのです」
「……そうですか」
「はい」
夢。
現。
僕は、結宇歌さんと何を語らっていたのだろうか。
頭が冴えているようで、眠っているような状態の僕は、
まるで僕ではないようで、そしてどこまでも僕だった。
現実感のない、だけどこの上なく現実的な薄暗がりの中で、
僕は、すべての会話を覚えていた。
結宇歌さんも。
だから最後の言葉――その約束もはっきり覚えている。
「結宇歌さん。明日、あの松を切りましょう。手伝ってください」
「……はい」
そうして、僕らは穏やかな眠りに着いた。

02-81 :ゲーパロ専用 ◆0q9CaywhJ6:2009/04/09(木) 03:20:16 ID:j5ZpYlFF
――翌日。
僕と結宇歌さんは、裏の松を切り倒していた。
二人とも、会話もなく、ただ黙々と自分の仕事をする。
朝早く、近所の農家から借りてきた斧で
すかすかになった幹を切りつけ、何もない方へ倒す。
敷地だけは広いことと、自壊寸前まで喰われていたことで、
素人でも簡単に切り倒すことができた。
考えてみたら、業者を雇うか、あるいは近所の人手を借りるような大仕事だ。
だけど、その時、僕は、それを他の人にまかせるなんて考えもしなかった。
結宇歌さんも。
それは、僕の手で切り倒し、枝を払い、細かく切り、
そして結宇歌さんが箒で掃いて始末するべきものだったからだ。
午後までかかって、腐れた根を苦労して掘りおこす。
ぽっかりと開いた穴の奥に、何度も撒いた薬で死んでいたたくさんの蟲を見つけたとき、
僕たちは、なぜこんな作業を二人だけでやったのか、
――ようやく自分でわかった。
「――白蟻」
「ええ、そうです」
「松の木は、こんなにすかすかに食われています」
「そうですね。でも――倒れなかった」
「……白蟻は、みな死んでいますね」
「逃げ遅れたのでしょうか」
「――いいえ」
結宇歌さんは、掻きだしたそれと木屑を、そっと竹箒で掃き集める。
「私、ずっと勘違いをしていました」
「勘違い?」
「白蟻の女王は――飛びません」
「飛ばない?」
「はい。白蟻が飛ぶのは、女王になる前の羽根蟻のときだけ。
木を選んでそこに巣食ったら――羽を落としてずっとそこに棲み続けます」

02-82 :ゲーパロ専用 ◆0q9CaywhJ6:2009/04/09(木) 03:24:05 ID:j5ZpYlFF
「……」
「次の木に飛ぶのは、女王になる前の娘だけ。
女王は、ずっとその巣の――その木のもとで過ごします」
「木が枯れたら? 木が喰いつくされたら?」
「女王は、そこで死にます。――そこが彼女のいる場所ですから。
その木を選ぶということは、そういうことなのです」
木屑の塊の中には、この巣を、この松を支配した女王の死骸があるのだろう。
塵取をうまく使って、麻袋の中にそっと入れながら、そう言った。
「そうですか」
「そうです――松にとっては迷惑な話でしょうが」
「いえ」
僕は、鍬で根を掘り起こす手を止めて、結宇歌さんを見た。
「たまに、そうやって選ばれたことに喜びを感じる松もあるんじゃないですかね。
――白蟻の女王が、死ぬまで居てくれるのなら」
「……おかしな松ですね」
「そういう松は、結構しぶといと思います。
――多分、その女王が死ぬまでくらいは、保(も)ちますよ。
この松と女王のように、同じ日に死ぬんです」
「……」
結宇歌さんは、箒を掃く手を止めて僕を見詰めた。
眺めるのではなく、見詰めた。
「ひどい松です。――そんなことをされたら、
白蟻はますます逃げられないじゃないですか。
その松しか食べられなくなるじゃないですか。
その松しか好きになれなくなるじゃないですか」
「逃げなければ、いいんじゃないですか
――好きになれば、いいんじゃないですか」
僕は、そう答え、
「ひどい人。――本当にひどい人」
そう言って、結宇歌さんは、ぷい、と横を向き、はじめてその頬を染めた。

     fin

最終更新:2009年07月17日 14:00