02-163 :山下と川上 1:2009/05/16(土) 23:05:15 ID:VZ6AAcTk
 山下は犬の散歩が趣味だ。
 彼の趣味はインドアに偏っているから、犬の散歩は唯一のアウトドア系趣味と言えた。
 犬はタロと言う。安易な名だが呼びやすい。秋田犬と何かの雑種であるこのタロは
ばかみたいに大きく、愛想はいいのにご近所でかなり怖がられている。

 ――タロと散歩していてよかった。
 山下は走りながらそんなことを思う。ゼイゼイと耳元で自分の荒い息がうるさく響く。
ゼイゼイの間にドクンドクンとこれまた荒い心音が聞こえた。全力疾走しているわけではないのに、
緊張と恐怖で心肺停止でもしてしまいそうだ。

「なななななにみゃってるんだよ」

 第一声は思い切り噛んだ。
 叫んだつもりだが、蚊の鳴くように細く頼りない声だ。それでも一応聞こえたらしく、
男が振り返る。
「あ? 何だァお前」
 酔っているのか危ない薬でもしているのか、男の目は据わっていた。喋るたびにチャラチャラと
耳元のピアスが揺れている。
「……山下?」
 その据わった目の男に手首を掴まれている茶髪の少女が、訝しげに眉を寄せた。
「か、かか、川上さんから離れろ」
「はあ? 何だよ、サオリの知り合いかァ?」
 男は山下の体を値踏みするように視線を上下させ(くやしいことに男は山下より顔もガタイも
いいのだっだ)、ハッと鼻で笑った。
「引っ込んでろよ山下クン。アキバにでも行ってな」
 秋葉原はオタクの聖地というイメージが強いがそれは最近の話であって以前は家電の街として……
と、そんなことはどうでもいい。
 確かに山下の見た目は一般的に言うオタクに近いということは認めよう。今日のシャツはユニクロで
買った一張羅(一応)なのだが、一般的に言えばダサい部類だろう。認めよう。ああ認めてやるさ。

 しかし、タロを連れた山下を侮ってはいけない。

02-164 :山下と川上 2:2009/05/16(土) 23:06:59 ID:VZ6AAcTk
「タロ、行け!」
 力強く叫ぶと、タロはまっすぐ男に向かって突進していった。グルルル、と唸りを上げる巨大な犬が
猛然と走りよってきたら誰だって怖い。男も例外ではないようで、「ヒッ」と短く悲鳴を上げた。
同時に掴んでいた川上の手を離した。
 山下はその瞬間、大慌てで林の手を引いて男から距離を取った。
「タロ、行け!」もう一度声を張り上げる。
 タロはますます勢いづいて男に覆いかぶさり、男は情けない悲鳴を上げて手足をばたつかせた。
 まあ、実際は顔を嘗め回しているだけなのだが。
「ひぎゃああ! や、やめっやめろぉ!」


◇◇◇


 悲鳴も聞こえなくなった頃、タロの首輪をぐいと掴んで止めさせる。タロ、と強く声をかけると、
タロもおとなしくなった。
 男は恐怖のせいで立ち上がることもできないようだ。うつろな目で山下を見上げている。気絶こそ
しなかったものの、意識を半分どこかへやってしまっていた。

 これなら反撃もできないだろう。ほっと山下は息をつき、振り返った。
「……大丈夫、か?」
 山下が来る前にすでに一発お見舞いされていたのだろう、川上の左頬は赤く腫れ上がっている。
それを手で隠すようにして、川上はうつむいたまま小さく頷いた。
「えーと……その、警察とか」
 警察、という言葉を聞いた瞬間、川上の顔が歪む。
「……冗談でしょ。面倒なことしないで」
 助けてもらった奴にその態度はなんだ、と思いつつ、怖いので山下は何も言わなかった。

 川上は、普段なら山下が絶対近づかないようなギャルだ。
 思いっきりギャルだ。
 地味なクラスメイトをいかにも鼻で笑っていそうな、華やかな川上たちのグループが、山下は苦手だった。
 今回は思わず――タロという心強い仲間がいたこともあり――助けてしまったが、本当ならこんな
いけすかない女、放っておいてもいいのである。

「ちょっと遊んでやったらいい気になりやがって、コイツ」
 未だぼうっと虚空を見つめる男を睨み、川上は片眉をつり上げた。
 おいおい、ちょっと自分が優勢になったらコレかよ。山下は思わず呆れ、小さく呟いた。
「いや、お前にも問題あるだろ」と。

02-165 :山下と川上 3:2009/05/16(土) 23:09:08 ID:VZ6AAcTk
 途端、川上がギロリと視線を向けてくる。その鷹のように鋭い視線だけで十分びびっていたのだが、
何を血迷ったか山下は、続けて言ってしまったのだ。

「そんな下着みたいな服で夜に男と出歩くなんて、誘ってるのと同じだろ。少しは考えた方がいい」

「……はっ?」
 川上がうっすらと唇をつりあげて、鼻から抜けるような声を出す。あきらかに馬鹿にされている。
 けれど、川上の服装はけしからん。本当にけしからんのだ。
 肩にひもが引っ掛かっただけのぴらぴらしたワンピース(丈はもちろん膝小僧よりだいぶ上だ)に、
薄っぺらいカーディガンを羽織っただけ。
 肉感的な太ももも、スッと一本の線のように走る華奢な鎖骨も丸見えだ。
 きっと少し体勢を変えるだけで、細い割にたぷんと柔らかそうな胸の谷間もはっきりしっかり
見えるのだろう。
 これは誘ってるんちゃうんかと小一時間問い詰められそうな格好だ。
「山下ァ、アンタ何言ってんの?」
 しかし川上は薄笑いを浮かべたまま、山下を挑戦的に見つめてくる。
 オタクはこれだから、とでも言いたげなその表情に、山下のどこかがプチ、と切れた。

「……少しは出かけるときの服装を考えろって言ってるんだよ」
 低い声で言うと、川上の眉がぴくりと跳ねた。
「アンタに関係あんの?」
「……お、俺が助けなかったらあのまま危ない目に遭ってたかもしれない」
「偉そうなこと言ってんじゃねーよ! こっちはこういうの慣れてんの!」
「じっ事実を言ったまでだ」
「ってか誰も助けてとか言ってないし! キモイんだよ!」
「クラスメートなんだから心配くらいするだろうが!」
「ッ!」

02-166 :山下と川上 4:2009/05/16(土) 23:11:56 ID:VZ6AAcTk
 川上がハッと目を見開いた。黒々とハケで塗りたくったように重そうな睫毛が、
ぱちぱちと二度まばたきをする。
 てらてらと天ぷらを食った後のように輝く唇はぽかんと開かれ、しばらくすると閉じ、
結局また開かれた。
「……ば、バッカじゃないの?」
 この野郎、と思いつつ川上を睨みつける。が、すぐに山下は視線をそらした。川上の睨みに
負けたのだ。ギャルは強い。ギャルは怖い。

 視線を戻したとき、すでに川上は山下に背中を向けて歩きだしていた。
 礼もナシか、あのクソビッチ。山下は心の中で毒づき、褒めてくれと言わんばかりに
ぱたぱたと尻尾を振る愛犬の頭を撫でた。男はまだ伸びている。どうしたものかと
一瞬悩んだが、捨て置いても問題はないだろう。
 どこか釈然としないイライラを腹の底に覚えつつ、山下はその場を後にしたのだった。


◇◇◇


「サオ~、昨日大変だったんだってぇ?」
 甘ったるい声が呼んだ「サオ」に、無意識に山下は本から顔を上げた。
 振り返った先、教室の一番隅で、金に近い茶髪のギャルが鏡を片手に甲高い声を出している。
 その隣には、だるそうに片肘をつく川上の姿があった。
「マジやばかった。アイツ何か薬やってるっぽかったし。ほら見てよ、まだ腫れてんだよ?」
「やだー、いたそー。ねえ、そういえばカナがN高の男集めるから来ないかってぇ」
「えーどうしよっかな。いつ?」
「今週の金曜! 行こうよぉ! N高の彼氏できたらやばくない?!」
 鏡を振りまわしながら金茶ギャルが大げさに笑う。化粧が終わったらしいその顔からは、
素顔がどんな風なのか想像もつかない。

 それに何か言葉を返している川上をチラと見やり、山下は僅かに顔をしかめた。
 昨日あんな目に遭ったというのに、川上はちっとも反省していないように見える。見捨てて
しまえばよかった、少しは痛い目に遭った方がよかったんじゃないか。そんな意地悪な
考えも頭をかすめた。

 まあ、どちらにせよ、山下にはもう関係のないことだ。
 川上と自分はあまりにも違いすぎる。山下が心配したって怒ったって、それは川上の心には
決して響かないのだ。こんな考えを持つこと自体、時間のむだだ。
 山下は首を振り、本に視線を戻した。
 耳にはまだ川上たちの甲高い笑い声が響いていたが、山下がそちらに顔を向けることはもうなかった。


◇◇◇



02-167 :山下と川上 5:2009/05/16(土) 23:14:40 ID:VZ6AAcTk
 川上との一悶着も頭から消えた頃、山下は玄関先でスニーカーの靴ひもを結びなおしていた。
「タロ、散歩行くぞ」
 山下が呼びかけると、タロは尻尾をめちゃくちゃに振って喜んだ。よしよしと首元を撫で、
リードをつなぐ。ふと思い立ち、今日は少し散歩コースを変えることにした。
 少し歩いたところに公園がある。普段は幼児がたくさん遊んでいるので、一見すると猛犬のタロを
連れていくわけにもいかない。
 しかし、すでに時刻は夜の九時を回ったところだ。
「よし、公園に行くか」
 山下はリードを引き、走り出した。

 街灯が青白い光をぼんやりと落とす夜の公園は薄気味悪かった。緑も多く、敷地も広いここが
タロを遊ばせるに絶好の場所であるのは確かだが。
 やっぱりもう少し早い時間に来ればよかったかもしれない。自分とタロの足音と息遣いが
妙に大きく響くので、どうにも心臓がざわざわする。
 走りたそうにうずうずと足踏みするタロに気づきながらも、山下はタロを抱きしめる腕を
離すことができなかった。何を隠そう、山下はチキンなのだ。

 おまけに、どこかでボソボソと人の話し声が聞こえたのだからたまらない。
 ひえっ、と情けない声が出て、山下は思わずその場にへたりこんでしまった。
 声はその間も止まらない。低い声と、高い、怒鳴るような声。へたりこんだままそれを聞き続け、
「ああ痴話喧嘩かな」と冷静に想像できるほどには落ち着いてきた。
 考えてみれば、夜の公園なんて金のない恋人たちにとっては格好のデートスポットだ。
 このリア充どもが。呟くと、タロの耳がぴくぴくと揺れた。
 発情した恋人たちが、いつ仲直りの一発を始めるとも限らない。タロの教育にもよろしくないので
ここは早々に立ち去ろう。
 しかし「タロ、行くぞ」と言いかけた口は、続く怒鳴り声で慌てて閉じられてしまった。

「ちょっ、マジやめてよ! キモイ!」

02-168 :山下と川上 6:2009/05/16(土) 23:16:11 ID:VZ6AAcTk
 その遠慮のない「キモイ」には、聞き覚えがあった。
 ――まさか。いや、まさかな。
「サオリちゃん、静かにして。ね?」
「ね、じゃねーよ! 何こんなとこで盛ってんの!? 死ね!」
「なっ……テメーそのつもりでついてきたんだろっ!」
「あたしが帰るって言ったらアンタが勝手についてきたんじゃん! 勘違いすんな!」
 ずけずけとした物言いにも、口汚い罵り方にも、たいそう聞き覚えがあった。

 ――女の子がそんな言い方すんなよ。
 山下は知らずため息をついていた。そういえば今日は「今週の金曜日」か。遠い目で記憶を
手繰り寄せる。
 今日こそは知らぬ存ぜぬで通そう。一度痛い目に遭った方が本人のためだ。助けたところで礼を
言われるわけでもないし、助ける義理もない。「タロ、行くぞ」と今度こそ言いかけ、
「きゃあっ! やだ、やめてっ」
「いい加減にしろよ! 男の力にかなうと思ってんのか!」
 固まった。

 いや、少しはそういう目に遭って懲りた方がいいんだ。そうに決まってる。
「もう、ほんとやめてよぉ……」
「誰がやめるかよ」

 そうに決まって……。
「や……ふぇ……」
「今更泣いたって遅いんだよ、バカ女」

 ――ああもう! 仕方ないなこのクソビッチ!
「タロ! 行くぞ!」

02-169 :山下と川上 7:2009/05/16(土) 23:18:03 ID:VZ6AAcTk
 まるでこの間の再現をしているようだった。
「タロ! 行け!」
 タロは主人に忠実に、男の背中にしがみついた。
 本人(本犬か?)としては遊んでもらいたい一心なのだ。構ってーというセリフが
聞こえてきそうな突撃に、学ランを着た男は文字通り、飛び跳ねた。
「わっ! わ、わ、何だぁ!?」
 ベンチに馬乗りになっていたところにタロが覆いかぶさったので、驚いた拍子に転げ落ちる。
そこにタロが乗っかる。顔中をベロベロと得体の知れない巨大な何かに舐められ、男は
あえなく意識をお空の彼方へ持って行った。

「……大丈夫、か?」
 奇しくも、問いかけたセリフまで同じだった。
 ただこの前と違うのは、川上の服が乱れていること、川上が何も言えないまま山下を
見つめていること。
 川上の頬に涙がつたっていること。
「……やま、した?」
「だからそんなそんな下着みたいな服で夜に男と出歩くなって言っただろ」
「……」
「……えーと、無事でよかったな」
 川上がゆっくりと立ち上がる。が、膝が笑ってその場から動けない。

 へなへなと崩れ落ちるその体を、とっさに山下は支えた。
「……山下ぁ……」
 瞬間、ふわりと甘い匂いがした。香水なのかシャンプーなのか、山下にはよくわからない。
川上がギュッと山下のTシャツを握りしめている。首筋をサラサラと髪がすべるのでくすぐったい。
 ギクリと体が固まって、山下もまた動けなくなってしまった。
「こ、怖かった……」

02-170 :山下と川上 8:2009/05/16(土) 23:22:05 ID:VZ6AAcTk
 ガクガクと震えの止まらない川上を、どうにか公園から連れ出す。駅までは送るから、という
言葉に、川上は黙って頷いた。
 道中、会話らしい会話はなかった。山下は何があったか聞かなかった(=聞けなかった)し、川上は
会話をできる状態ではなかった。
 駅に着いたときは、山下の方が心底ホッとした。

「ここからは一人で大丈夫か?」
「……うん」
 川上がしおらしく頷く。ようやく震えも止まったらしく、しゃがみこんでタロを撫でていた。
「……山下」
「ん? あ、まだ動けないなら無理に立たなくていいけど」
「そうじゃなくて」
「どうした」
「……あの……ありがと」
 この声に驚いて、本当に驚いて、まじまじと川上を見つめた。
「今、なんて?」
 つい聞き返してしまう。
 川上はうつむいてタロを撫でていた。髪に隠れて顔が見えない。聞こえなかったのかな、と思った
そのとき、小さな声が「ありがとうって言ったんだよ、バカ」と告げた。
 髪からわずかにのぞく耳が、真っ赤に染まっている。

 一応、礼は言えるように育てられていたのか、と失礼なことを考えつつ、山下は軽く頷いた。
 どう返せばいいかよくわからなかったのだ。

02-178 :山下と川上 9:2009/05/17(日) 09:42:52 ID:RKUf7dQT
 「サオー、昨日ユウキ君とどうだったぁ?」
 甘ったるい声が呼んだ「サオ」に、無意識に山下は本から顔を上げた。
 前にもこんなことがあったような、と思いながら振り返った先、教室の一番隅で、金に近い
茶髪のギャルが鏡を片手に甲高い声を出している。
 その隣には、だるそうに片肘をつく川上の姿があった(やっぱり前にもこんな光景を見たような)。
「どうってか、普通に一人で帰ったし」
「えーっ! 意味わかんない! ユウキ君サオが帰ったあと追いかけてったんだよ!?」
「知らなーい。てかさ、あたし男と関わるのしばらく控えるかも」
「ええーっ! じゃあ今度の大学生との合コンは!?」
「行かなーい」
「マジで言ってんのォ!?」
 金茶のギャルが大声を出す。目の周りが真っ黒のその顔は、パンダというよりもはや化け物である。
 まさに化粧。化けやがった。心の中で呟いていると、ふいに川上がこちらを見た。

 ばちっと、音がしたかと思った。
 視線が絡んだ瞬間、お互いにびく、と体が震えた。川上はすぐに視線を外し、化け物に相づちを
打つ。
 山下も慌てて本に視線を戻した。心臓がバクバクと激しく脈打っている。
 連続で助けたとはいえ、川上にとっては弱みを握られたも同じだ。地味なオタク、と普段から馬鹿に
している男に助けられたなんて、川上にとっては屈辱かもしれない。

 生意気だと校舎裏に呼び出されてリンチ……なんてことになるのでは、と、少し不安ではあった。
 なにしろ、ギャルとかヤンキーとかいう人種は普通の人間たちと考えにズレがあるのだから。
 何かムカつく、というそれだけで、いつ呼び出しをくらうとも限らない。

02-179 :山下と川上 10:2009/05/17(日) 09:44:05 ID:RKUf7dQT
 しかし、朝から今まで、川上は山下に話しかけるどころか近づいてもこない。目が合った今も、
川上は何事もなかったかのように化け物としゃべっている。
 よかった。本当によかった。川上は心の広いギャルなのかもしれない。
 山下はようやく人心地がついて、ゆっくりと息を吐き出した。

「……ねえ」
 さて、本を読もうか。今まで、実は文字を追いかけていても頭にはまったく入っていなかった。
本格ミステリと銘打っているだけあって、前半部分はなかなか伏線がきいていた。後半をどう
持ってくるか楽しみだ。
「ねえ、ちょっと」
 それに、この被害者の娘がまた可愛いんだ。中学生だし。中学一年生だし。いや、ロリコンって
わけじゃないんだけどね。二次元なら幼い子の方が可愛いな、というだけで。ハアハア。

「山下!」

 ふひ、と、変な声が出た。
 痙攣のように肩が震え、思わず本を落としてしまう。床にバサリと不格好な形で落ちたそれを
誰かが拾い上げた。
 いや、「誰か」じゃない。知っている。山下はこれが誰かを知っている。
「……ちょっと来てくんない」
 茶髪のギャルが――川上が、立っていた。

02-180 :山下と川上 11:2009/05/17(日) 09:45:39 ID:RKUf7dQT
「……川上さん、あの、何ですか?」
 山下はすっかり縮こまっていた。
 昨日最悪な状況を思い浮かべたそのままの光景に泣きたくなる。校舎裏。壁に背を向けた
形の自分。目の前にはこちらを睨みつけてくる川上。
 リンチか。リンチなのか。
 冷や汗がだらだらと脇の下を流れていく。ごくりと喉を鳴らそうとしたが、口の中は
からからに乾いていた。
「何で敬語?」
 川上が眉を寄せる。
「いや、特に理由はないけど……」
 テメーが怖いからだよクソギャル、とは言えない。
 ふうん、と興味なさげに川上は呟き、それっきり黙ってしまった。気まずい沈黙が続き、山下は
気が気じゃない。いつ文句を言われるのか、いつ殴られるのかと、胃がキリキリしてきた。
 たっぷり数十秒の後、川上がもごもごと言葉を発した。

「昨日のことだけどー。てか、その前のこともだけど」
「は、はい」
 川上は視線をあちこちに彷徨わせ、時々、困ったように髪をかきあげた。
 怒っているわけでもリンチ目的でもなさそうなその態度に、山下は不審そうに目を細める。
 何が目的だ? 疑問がむくむくと膨らんでくる。
「やっぱ、ちゃんとお礼したいし」
「え」
 なんと!
 山下は驚愕した。
 そんなに義理がたい女だとは思ってもみなかったのだ。
 いやいや待て、お礼に……とか言いつつ、これで山下をからかって報復するつもりかもしれない。
気を抜いてはいけない。心の中で強く頷き、山下はつとめて何でもない声を出す。
「いや、いいよ。むしろ俺、川上さんに失礼なことも言っちゃって――」
「そんなことないし! 心配してくれて嬉しかったよ!」
 川上が、ぱっと顔を急に上げた。力強い調子に尻込みしてしまう。ああ、どうも、とボソボソ
礼を言うが、川上はすぐにうつむいてしまった。

 ――何がしたいんだ? コイツ。

02-181 :山下と川上 12:2009/05/17(日) 09:47:40 ID:RKUf7dQT
 川上の目的がさっぱり掴めない。腹の底から沸き上がった疑問は今や喉の奥にまでせり上がり、
「お前何がしたいんだよハッキリしろよ」と言いたがっている。
 一方の川上は、「怒ってまで心配してくれるような奴いなかったし」とか「助けてくれたとき
ほんとはホッとしたんだ」とか、一連の出来事を振り返っている。思い出に浸る前に目的を話せ。
 いい加減うんざりし始めた時、

「だから……えっと、今日の夜ひま? 奢るからさ、ご飯でも食べようよ」

 何……だと……?
 山下はぎょっとして川上を見た。川上が「バーカ、何マジになってんの?」と冷笑するのを
待った。しかし川上はいつになく真剣な顔でこちらを見上げてくるばかりだ。
 正直なところ、悪くない容姿なので上目遣いをされると怖いギャルとはいえドキドキする。
「……ダメ、かな?」
 しおらしく聞いてくるものだから、慌てて山下は首を振った。
「や、ややや、いっ、行くよ!」
 騙されているのかもしれない。ちらとそんな不安が胸をよぎったが、川上がほっとしたように
笑うので、そんな考えは舞い上がった思考の果てに消えてしまった。

02-194 :山下と川上 13:2009/05/18(月) 23:15:56 ID:As2KUzrN
 その日は結局、川上のよく行くという喫茶店(最近の若者はカフェと言うらしい)のようなところで
夕食をとった。コーヒーはうまいが、料理の量が少ない。少ない割に高い。
 女の子に払わせるのが申し訳なくなったが、川上がどうしてもと譲らないので割り勘にもできなかった。

「そんなに言うなら今度また割り勘でどっか行けばいいじゃん?」
 川上を駅まで送っていた帰り道、いつまでもおごらせたことを気にする山下に、川上がぶっきらぼうに言う。
 今度? 今度もあるのか。まだ山下と二人で会う気らしい川上に、山下は素直に驚いた。
 あのカフェの中でだって、落ち着きなくきょろきょろと辺りをうかがうばかりの山下は、明らかに
浮いていたのに。

 ――もしかして、そうやって恥をかかせるつもりか?
 被害妄想が進んでしまうのは、女性と話すことが極端に少ないがゆえの悲しい習性だ。
 今まで気持ち悪がられるか、うざがられるか、からかわれるか、の三択しかなかった山下には、
川上の態度はいっそ奇異に映る。

 絡まれているところを助けたくらいで(しかも実際に助けたのはタロだ)、こんなに優しく
接してもらえる理由になるのだろうか?
「……イヤ?」
 割り勘でまたどこかに行こう、という川上の誘いにいつまでも頷けないでいると、川上が
不安げに山下を見つめてくる。
 嫌なんかじゃ、と曖昧に返すことしかできない山下に、川上は薄い唇をつりあげた。
 どこか自嘲的な微笑みに、山下の心臓がずき、と痛む。

02-195 :山下と川上 14:2009/05/18(月) 23:18:12 ID:As2KUzrN
「イヤってゆーか、怖い? ……そりゃそうだよね。あたし、今まで山下に偉そうな態度しか
取ったことなかったし」
 それは悲しいが、事実だ。

 明るい性格でも面白いキャラクターでもなく、いつも休み時間には教室の隅で本を読んで
いるような山下を、川上やその友人たちは明らかに軽んじていた。
 彼女たちに掃除当番を押しつけられたり、教師からの雑用を丸投げされたり、友人と本の話で
盛り上がっているところを「キモーイ」とからかわれたことは、一度や二度ではない。

「あたし、山下のことバカにしてたんだ。根暗で一人じゃ何にもできない奴って思ってた」
「……はあ」
 バカにされていたのには腹も立つが、根暗で一人じゃ何もできないというのは当たっている。
 山下は何とも言えない顔をして、間の抜けた相づちを打った。
 そんな山下をどう思ったのだろう、川上がちらりと視線を上げる。こちらをうかがう視線には、
からかいや嘲りの感情は見えない。
 でもね、と、言葉を探しているかのようにゆっくりと川上が言った。

「でもね、この前も昨日も、助けてくれたでしょ。この前のときなんかさ、山下が来る前に
何人か通りかかったんだよ。でも誰も助けてくんないの。ま、当然だよね。自分が危ないもん。
……でも、山下は助けてくれた」

 山下さぁ、かっこよかったよ。

 ぽつりと呟き、川上は俯きがちに微笑んだ。照れているのだろうか、辺りは薄暗いが、それでも
川上の頬が真っ赤になっているのはわかる。
 山下はやっぱり軽く頷いてみせることしかできなかった。
 どう返せばいいかよくわからなかったのだ。

02-196 :山下と川上 15:2009/05/18(月) 23:20:28 ID:As2KUzrN
 次の日から、川上は時折山下に声をかけるようになった。

 あるときは、
「アンタいっつも本読んでない? それ面白いの?」
「この作者の本は読みやすい」 
「ふうん。……えーと、あたしもそういうの興味あるんだ」
「本当?」
「マジだって。だから貸して」
 と言って本を借りていく。
 見た目からして読書にいそしむタイプではないだろうに、そしてそんな活字に慣れていない人間が
急に読み始めてもつまらないだろうに、川上は何日もかけてゆっくりと山下の本を読んだ。
 読み終わったら感想をくれた。たいていは「意味わかんないんですけど」だったが。

 またあるときは、
「山下ぁ、この髪の色どうよ」
「……茶色い」
「茶色じゃなくてー、カシスブラウンっていうの」
「よくわからん」
「……変?」
「変っていうか、俺は黒髪の方が好きだから。それだけ」
「……へえ、そうなんだ」
 という会話をした一週間後、髪を黒く染めた川上が登校してきた。
 何か意図があるのかと思ったが、別に川上が「どうよ」と言ってくることもなかったので、山下も
特にいいとも悪いとも言わなかった。

 川上が山下を構うそのたびに、川上のグループからは「どうしたのサオ、山下で遊んでんの?」と
からかうような声が上がる。川上はただ笑って受け流している。
 川上の友人が言うように、自分は遊ばれているだけだ。そのうち川上もこんなつまらない男には飽きて
離れていく。そう山下は思っていたが、川上は飽きることなく思いだしたように時々山下に構うのだった。

02-197 :山下と川上 16:2009/05/18(月) 23:21:52 ID:As2KUzrN
「……川上、さん。あんまり俺と話さない方がいいんじゃない」
 ちりとりを持ってしゃがみこみながら、山下は呟いた。
 放課後といっても外はまだ明るい。初夏の色を帯びた明るい陽光が窓から燦々と降り注ぎ、
教室は暑いくらいだ。
 いつもなら一人で押しつけられていた掃除当番も、最近は川上と二人でこなしている。
食事をして以来、川上は掃除当番をほとんどさぼらなくなっていた。

「……どういう意味?」
 川上の声が固い。
 うん、と呟いて、山下は顔を上げた。
「川上さんの友達も変に思ってるんじゃないか? 俺たちが釣り合ってないから」
「つりあうって何」
「……俺みたいな地味な奴と話してたら、川上さんまでオタクだって思われる」
 川上の顔が奇妙に歪んだ。開けっぱなしの窓から風が吹き、川上の長い髪を撫でていく。
 いかにも気分を害したらしい川上の表情を見て、山下は小さく謝った。

 ガタン、と、鋭い音に山下がびくりと震えた。
 見れば、川上の持っていたホウキが山下のすぐ隣に転がっている。投げつけられたのだ、と
気づくまでにしばらくかかった。
「……危ない」
「山下が悪いんじゃん」
 川上の低い声に、平然とした顔を取り繕いながらも内心はびびっている。
 どうしよう、と山下はそればかり考えていた。

02-198 :山下と川上 17:2009/05/18(月) 23:23:51 ID:As2KUzrN
 川上としては地味な山下を構って"あげている"つもりだろうし、こんなことを言われては
不本意だろう。せっかく親切にしてやってるのに失礼なやつだ、と思っているのかもしれない。
 しかし、川上が山下に話しかけてくれるたび、笑顔を向けてくれるたびに、山下は
複雑な気分になるのだ。

 川上と釣り合っていない自分がむなしい。
 川上の友人たちが山下をクスクス笑っているのが恥ずかしい。
 いつかその嘲笑が川上にまで向くんじゃないかと怖い。
 その一方で、気まぐれで山下を構っている川上が、また気まぐれに山下に構わなくなった時を
思うと――淋しい。

 こんなうじうじした考えにとらわれるくらいなら、川上と話さない方がマシだ、とも思う。
「……そうだな。俺みたいな奴が川上さんのしてることに口を挟むべきじゃない。ごめん」
「山下ッ」
「でも友達は選ぶべきだと思う。俺みたいな奴にあんまり構ってたら――」
 言いかけたセリフは、声にならなかった。

 パタパタと零れ落ちた"それ"は、床に染みを作る。
 "それ"の動きをゆっくりと逆に追いかけると、川上の顎がある。頬がある。目がある。
「……か、川上」
「っ、やま、した、の……ばかぁー……」
 ぼろぼろと大粒の涙をこぼす、川上がそこにいた。

02-209 :山下と川上 18:2009/05/19(火) 23:48:41 ID:3PFCk8h1
 ごっごめん川上! 言い方キツかったか!? 怖かったか!? わあああゴメンッ!

 ……と、心の中で叫びつつ実際は何も言えないくらい、山下は慌てた。
 ちりとりを握りしめたまま、ぽかんと間抜けな顔で川上を見上げることしかできない。
「な、何でそんなこと言うのぉ……?」
 しゃくりあげながら川上が山下を睨みつける。普段は怒れば殺し屋のように鋭く睨むくせに、
今はまったく怖くない。眉じりも目もとも頼りなく下がり、顔をくしゃくしゃにして泣くさまは
子どものようだ。
「あ、あ、あたしの、こと、きら、い、なんだっ……」

「ち、違う」
 ようやく声が出た。体も動いた。山下は慌てて立ち上がった。瞬間、川上が山下の胸元に
拳を叩きこむ。
 一昔前の漫画やドラマによくあるシーンのそれのようだが、本気で叩いてくるので
思わず「ウッ」と唸ってしまうほど痛い。咳き込みそうになるのを気力で耐える。
 叩き込んできたその拳を、山下は手にとった。てのひらで包みこむと、あんなに強烈な一打を
放った拳の小ささに驚く。
 ああ女の子なんだなあ、と、場にそぐわない感想が頭の端にふっと浮かんだ。

 ううー、とくやしそうな声を上げながら、川上が顔を歪める。ぎゅうぎゅうと力一杯つむった
目の端から涙はぼろぼろと零れていく。
「川上、泣くな。ごめん、俺が悪かった」
 心底弱って言うと、パッと手を振り払われた。

 と、川上の顔が視界から消えた。
 もっと言えば、視界には川上の顔ではなく黒い頭が見えた。
 さらに情報を加えるならば、川上が山下の胸に突進してきたので川上が山下に
もたれかかるような体勢になっている。だから山下からは川上の黒い頭しか見えない。
 ちなみに川上の腕は山下の首にがっちりと回されている。

 簡単に言えば、抱きしめられている。
 山下は再び、頭の中で絶叫しつつ実際は何も言えないくらい、慌てた。

02-210 :山下と川上 19:2009/05/19(火) 23:49:53 ID:3PFCk8h1
「あ、あたしから、離れて、いこう、と、して、る」
「そんなことは……」
「じゃあ何でっ、そんな、こと、言うのっ……」
 山下の首にかじりつくようにして川上がごねる。涙が薄いシャツにじわじわと染みこみ、そこに
湿った息を吹きかけられる。
 免疫のない地味男にそんなことをしないでくれ。山下も泣きたくなった。

 しかし泣きたくなる一方で、胸が熱くなる。
 嬉しいのだ。
 川上が山下と距離を置くことを泣くほど嫌がっている。
 こんな地味なオタクっぽい奴に嫌われたって川上には何のダメージもないはずなのに、泣くほどそれを
悲しんでくれている。
 嬉しい。

「山下、やだ、つりあうとか知らないもん。あたしが山下と一緒にいたいんだもん」
「うん」
「変なこと言うな死ねばかぁー」
「うん、ごめん。俺も川上と一緒にいたいよ。悪かった」
 川上の涙で掠れた声が耳朶をくすぐる。そろそろ腕を離してくれないだろうかと思うのだが、
山下の首に絡みついた腕はその力を緩めようとしない。
「なあ、そのー、いつまでこうやっている気だ?」
 気恥かしさから、声はボソボソと早口になる。
 川上がそろそろと腕の力を緩めたので、思わずほっと息をついた。

 が、しかし。
「川上……?」
 川上の顔が、ひどく近い。

02-211 :山下と川上 20:2009/05/19(火) 23:50:55 ID:3PFCk8h1
 山下が顔を下げると、額と額とか鼻と鼻とか、色々と触れ合ってしまいそうに近い。川上が
背伸びなんてした日には、柔らかそうな唇が山下の顔のどこかに触れてしまうだろう。
「ど、ど、どど、どうした、川上」
 視線だけをちらちらと川上に向けつつ、山下は慌てて言った。せめて顔だけでも引こうとするのだが、
川上の腕がまたしてもぐいぐいと首に絡みつくのでそれも難しい。 
 いつのまにか、川上はずいぶん化粧も薄くなった。
 自然な長さと密度になった睫毛がふわふわと瞬きにあわせて揺れている。
 まっすぐ山下を見つめる瞳はまだ水分を過剰に含み、窓から降り注ぐ光に透けてきらきらと輝いていた。

「川上って、呼んだでしょ」
「え」
「いつもは川上"さん"だけど、川上って呼んだ」
「……ああ、そういえば」
「うれしい」
「え」
「何か、山下が気許してくれてるって感じ。うれしい」
「……ああ、そう」
 じゃあそろそろ、と川上の腕をやんわり離そうとするのだが、川上はぎゅっと首に巻きつけた腕に
力を込めた。

 ねえ、と川上が言う。
 すがるような、困ったような、緊張しているような、何とも言えない顔だ。
 不安と期待が入り混じったよう、と言えばいいのだろうか。

「"俺も一緒にいたい"って……どういう意味?」

 すごく小さな声だったので、危うく聞き逃すところだった。

02-212 :山下と川上 21:2009/05/19(火) 23:54:38 ID:3PFCk8h1
「どういう意味、と言われても……」
 山下は眉を下げた。
 そのままの意味だ。川上が山下と一緒にいたいと言ってくれたのが嬉しくて、自分も同じ
気持ちだったので、素直にそれを口にした。それだけだ。
 川上だって同じことを言ったくせに、なぜ山下の言葉を気にしているのだろう。

「えと、つまりさぁ……き、期待していいの……?」
 期待? 何を? 誰が?
 山下はきょとんと目を見開いた。先ほどから、川上が何を言いたいのかさっぱりわからない。
 何の話だ、と言いかけ、気づく。

 なぜ自分の前髪と川上の前髪がさらさらと触れ合っているのか。
 なぜピントがずれたように川上の顔がぼやけるのか。
 なぜ、川上の顔がこんなにも近いのか。

「山下……」
 川上の吐息が山下の唇をくすぐった。途端、ゾクゾクと悪寒のようなものが背中を駆けあがる。
 首に触れている川上の腕がしっとりと汗ばんでいる。うっすらと立ち上る、以前にも嗅いだことの
ある匂い。香水かシャンプーかわからないその甘い匂いに、山下は眩暈がした。
 鼻と鼻が触れた。
 はっ、と短く川上が息をつく。それが山下の唇をまたも撫でる。ゾクゾクする。

 ちょっと待て、これは、これはつまり。
「山下、あのね……私……」

02-213 :山下と川上 22:2009/05/19(火) 23:56:05 ID:3PFCk8h1
「サオー! どこー!? まだ掃除やってんのぉー?」

 履きつぶしたローファーの、ペタペタと甲高い靴音が廊下に響く。
 靴音に負けないくらいの大きな遠慮のない声に、山下も川上も体を強張らせた。我に返ったのは
どちらからだったのか、同時にぱっと体を離す。
 妙に距離を取った不自然な格好のまま、互いに見つめあう。
 川上は泣きそうな顔をしていた。半開きになった唇に自然と目が向いてしまい、山下は慌てて
視線をそらす。

 教室の扉がガラガラと音をたてて開いた。
「やだぁーまだやってんの? もういいじゃん、帰ろー」
「……あ、うん」
 川上とよく一緒にいるあの化け物がいつものごとく甘ったるい声を出す。
 もはや元の目の形さえよくわからない、真っ黒に塗りたくられた目がふいに山下を見た。厚みの
ある唇がゆっくりと弧を描く。
 山下はその表情に見覚えがあった。
 かつて川上も、こんな顔で山下を見たことがあったから。

「今ねぇ、下に隆志とかヒロ君が待ってるから。ヒロ君の車で遊び行くって」
「えー……」
「ノリ悪いよぉー。……山下と話しててもさぁ、ノリ違うじゃん? こっちのが楽しいって!」
 意地の悪い笑みを山下に浮かべたまま化け物が言う。
 川上がハッとしたように化け物を見た。
「山下ぁ、そういうわけだから後の片付けよろしくね?」
「ユリッ」
「ほら、行くよサオ」

 化け物は川上の腕を半ばむりやり引っ張って、教室の外まで連れていく。押し出すように川上を
教室の外に出してしまうと、一度カバンを抱えなおした。
 刹那、鋭い視線が山下に向く。
「山下ぁ、あんま勘違いとかしない方がいいよー?」
 ピシャン、と扉が閉まった。
 山下は何も言えなかった。しばらく動けもしなかった。
 のろのろとホウキを拾い上げる。川上の笑顔が頭に浮かんだが、それはすぐに化け物の冷たい声に
かき消されてしまう。山下は黙って唇を噛みしめた。


◇◇◇



02-232 :山下と川上 23:2009/05/24(日) 01:53:49 ID:Mi6Z+ajr
 一週間は何事もなかった。
 山下は寝てばかりいる。川上とは一言も話していない。
 いや、話せなかった。
 学校を休んでいたのだ。

 掃除の次の日は何となく学校を休み、その次の日には熱を出した。ラッキーと思っているうちに
熱は上がり続け、インフルエンザも疑われたがとりあえずは風邪と診断された。
 掃除当番から一週間たった今、すっかり微熱にはなったが、山下はだらだらと家で過ごしている。
 学校に行かなくても――川上に会わなくてもいい理由ができるなら、山下は何だってよかった。

 会うのが怖い。

 会って何を言われるのか。どんな視線を向けられるのか。
『あんま勘違いとかしない方がいいよー?』
 化け物の冷たい声が、一週間経った今も山下の心臓をヒヤリとさせる。
 あの女に馬鹿にされたことがショックだったんじゃない。
 言われたことがまったくの図星だったから、それがどうしようもなく恥ずかしかった。
 化け物の言う通りだ。
 山下は期待なんかしないと自分に言い聞かせながら、ちゃっかり期待していた。川上は
もしかして俺のことを、なんて、甘い甘い夢を描いていたのだ。

 化け物とはいえ川上の友人の言葉に、山下は頭を殴られたかのような衝撃を受けた。
 川上があんまり普通に接してくれるものだから忘れていた。川上と自分は違う。
 異性と何のためらいもなく話せるし、遊び慣れしている。男に抱きつくくらい、川上にとっては
普通のことなのかもしれない。あんなに顔を寄せてきたのも、山下をからかっていただけかもしれない。

 ――そんなことにも頭が回らないほど、浮かれていたのか。
 自意識過剰すぎやしないか。なんて恥ずかしい男なんだ。
 
 そうやって自己嫌悪にごろごろとベッドをのたうち回っているうちに一日が終わる。
 このまま学校に行かないままでもいいかもしれない、と山下は半ば本気で思っていた。

02-233 :山下と川上 24:2009/05/24(日) 01:56:18 ID:Mi6Z+ajr
 インターフォンが鳴っても、山下はすぐにはベッドから降りようとしなかった。
 しばらくするともう一度、ピンポーンとのびやかな音が響く。
 タロが吠えないのを確認してのろのろと起きあがる。宅配便の兄ちゃんや郵便局員の顔を
タロはちゃっかり覚えているので、そういった人たちのときには吠えない。
 ちなみに、宗教勧誘も宅配便や郵便と同じくらいよく来るが、それには異常に吠える。賢い犬だ。

 とりあえず宗教ではないという安心感から、インターフォン越しではなく直接玄関に向かう。
 扉を開けながら面倒くさそうな声を出す。
「はいはい、どちら様」
 言いながら顔を上げ、思わず一歩、後ずさった。
「うっ」
「何かー態度わるーい」
「な、何でここに」
「担任にプリント持ってけって頼まれた。あたしン家とけっこー近いんだねー」
 ああタロよ、なぜ吠えなかった。この女好きめ。

 化け物が、立っていた。

 カバンからごそごそとプリントを出し、山下に手渡す。山下はもごもごと礼を言いながら
ちらりと視線を上げた。
「何、入れてくんないわけぇ?」
 化け物が大げさに目を見開く。真っ黒に塗った目の周りにヒビが入りそうで、山下は
こっそり顔をしかめた。

 あつかましいにも程がある。
 一週間前に散々人を馬鹿にするようなことを言っていたくせに、その相手の家に上がりこんで
どうする気だ。茶なんて出してやらんぞ。

 ……と、言いたいのはやまやまだが、山下は前にも言ったようにチキンである。
「あ、え、すみません」
 ついヘコヘコとおじきなんてしつつ、慌てて玄関を扉を大きく開いた。

02-234 :山下と川上 25:2009/05/24(日) 01:58:35 ID:Mi6Z+ajr
 あたし炭酸系が飲みたいんですけどーとか何とか言いながら勝手に廊下を歩いて行く化け物の
後ろ姿にバカ女、と悪態をついてやる。もちろん心の中で、だ。
 バカ女、鉄面皮、厚化粧、クソギャル、妖怪性悪女、と思いつくさま悪口を重ねていると、ふいに
化け物がこちらを見た。
「この前のことだけどぉー。サオに色々聞いた」
 いきなり核心に触れてくるので、山下は思わず立ち止った。

「あたし知らなかった。山下さぁ、今までサオのこと色々助けてくれたんだってぇ?」
「……俺は別に」
「サオに怒られちゃったぁ。山下のことバカにしないでって言われちゃったもん」
「え……」
「ごめんねぇ」
 山下は口を開きかけ、結局何も言えずに閉じた。何を言ったらいいかわからなかった。
 化け物が意外にも素直なやつだったことに驚けばいいのか、川上が自分のことで怒ってくれた
ことに喜べばいいのか。
 それとも、やっぱりぐらぐらと胸の底に揺れる自分の期待感に嫌悪すればいいのか。

 頭が真っ白になったまま、頷く。すると、化け物が小さく笑った。
「それ、クセだってサオが言ってたぁ」
「え?」
「山下のクセ。照れたりどうしていいかわかんなかったりしたらとりあえず頷くんだってぇ」
「……気づかなかった」
「サオがーあたしだけが知ってるとか言って自慢してたしー」

 そんな嬉しいことを言われて、舞い上がらない男がどこにいる。山下も例外ではなく、
真っ赤になってうつむいた。ふふん、と化け物が笑う。
「山下ってわかりやすーい」
 やっぱり、黙って頷くことしかできなかった。

02-235 :山下と川上 26:2009/05/24(日) 01:59:57 ID:Mi6Z+ajr
「家どのへんだ? 途中まで送るけど……」
 玄関の扉を開けながら山下は言った。
「そんなことさせたらサオに怒られちゃうしー」
 タロの頭をぼふぼふと撫でながら化け物が笑う。話してみると思った以上にいい奴だ。
 川上との出会いや今までのことを話しているうちに、あたりはすっかり薄暗くなっていた。
「山下って意外におもしろいからー、けっこー楽しかったぁ」
「意外にとは何だ」
「だって部屋に絶対フィギュアとか変なポスターとかあるって思ってたしぃ!」
「あったら悪いか!」
「きもいー!」
 ゲラゲラと化け物が笑う。山下も吹き出し、一緒になって声を上げて笑った。

「……何やってんの?」

 あ、と化け物が声を上げる。山下もゆっくりと顔を声の方へ向けた。聞き慣れた声だ。
一週間前までは、頻繁に聞いていた声だ。
 まさか、という思いと一緒に、ドクドクと心臓が騒ぎだす。
「川上……」
 地図だろうか、白いメモ用紙のようなものを片手に、川上がぼんやりと家の前に佇んでいた。

 久しぶりに会った川上に、山下はどう声をかけていいかわからない。
 黒い髪が風になびく。川上の白い指がそれをおさえた。山下、と唇が音もなく形を作る。その
唇に一週間前の出来事が思いだされ、山下は落ち着かない。

 ちらちらと視線を向けた先、川上がなぜか、ひどく傷ついた顔をしている。山下は眉根を寄せた。
 どうしたんだろう、と疑問が沸き上がる。山下と化け物をゆっくりと見比べながら、川上の顔は
どんどん泣きそうになっていくのだ。
「サオー、あたしさぁ今日――」
「聞きたくないッ!」
 化け物が驚いて口を閉じる。川上は一瞬ばつの悪そうな顔をした。が、すぐにその顔が歪む。
「……二人、けっこーいい感じじゃん……」

02-236 :山下と川上 27:2009/05/24(日) 02:01:33 ID:Mi6Z+ajr
 ハア? と、いかにも不満そうな声が出た。化け物と山下の両方から。
 互いがそんな声を上げたことに気づき、やはり互いに「テメェ……」という顔で睨みあう。
 それさえも川上には仲がよさそうに見えるのか、ため息まじりに髪をかきあげた。
「……この一週間の間に? それとも前から? ……あたし、全然知らなかったよ」
「ちょ、ちょっと待ってサオ」
「そうだ川上、誤解だ」
「だって! そんな楽しそうにっ……」

 川上が顔を真っ赤にして叫ぶ。その言葉に導かれるようにして見てみれば、化け物がタロを
撫でている近くにしゃがみこんで楽しそうに笑っていた自分。
 なるほど、仲は悪くなさそうに見えるだろう。
 でもそれは川上を通して友情が生まれただけで、と言いかけ、山下はふと口を噤んだ。

 誤解を完全に解くには、「実は川上があんなことを言ってくれてこんなことをしてくれたって
ことを化け物にお話ししているうちに打ち解けたんですよ」と言わなければならない。
 川上は恥ずかしがるに違いないし、もっと悪ければ怒るかもしれない。

 うまく説明するにはどうしたものか。化け物も山下もグッと詰まった瞬間、川上が叫んだ。
「……ッ、もう、いい! あたしだけ知らなかったとか……バカじゃん!」
 くるりと踵を返す。黒髪がふわりと舞う。一瞬見えた白い首に見とれる暇もなく、川上は
走り去ってしまった。

「……ってかあたし、メンクイなんですけど」
「オイ」
「だってほんとだし! サオってば山下のこと好きになってから視野狭すぎ!」
「え」
「え、じゃねーよ! 気づいてないわけ!? ってかさっさと追いかけて!」
「は」
「は、じゃないっつーの! あたしもケータイにかけてみるから、アンタは走って追いかけな!」
 背中を思いきり蹴り飛ばされ、よろめきながらも走り出す。
 川上はどっちに向かっていったっけ、と必死に記憶を掘り返しながら、地面を蹴った。

02-237 :山下と川上 28:2009/05/24(日) 02:02:52 ID:Mi6Z+ajr
 視界の端に、小さな影が見えた。ような気がした。
 山下は走る。必死に走る。耳の底、胸の奥、色んなところからドクドクと脈打つ音がする。
心臓までも血液に乗って流れていってしまったみたいだ。喉がカラカラになり、足が痛む。
 それでも山下は走った。

 やっぱり川上だ。
 河原沿いの道をとぼとぼと歩く小さな後ろ姿を見つけ、山下はスピードを上げる。
 川上、と声をかけたかったが、もはや声は出そうにもなかった。
 ドカドカとアスファルトを蹴りあげる音に川上が振りむく。山下が走ってくるのを見て
一瞬目を大きく見開き、慌てて駆けだそうとする。が、遅かった。

「かっ、わ……ハッ、かわ、かみ」
「……」
 山下が川上の肩を、しっかりと掴んだ。
「離してよぉ……」
 川上が体をひねる。そんなに強い力でもないはずだが、山下は体力がそうある方でもない。
おまけに先程まで全力疾走していた。限界を超えて走り続けていたせいか、眩暈がする。

 パシ、と手を払いのけられた拍子に、目の前が一瞬真っ白になった。
「やっ、山下!?」
 気づけば、山下は地面にだらりと倒れ込んでいた。山下の背中を支えながら川上が
必死に顔をのぞきこんでいる。チカチカと明滅する視界の中心で、川上がぼろぼろと泣いている。
「かわか、み」
「山下ぁ! 平気? やだよぉ山下っ、ねえ、死なないでー!」
「……し、死ぬか、ばか……」
「だって急に倒れるからっ!」
「……かっこわる、い、な……俺」
「そんなわけないじゃんっ! 山下は、い、いつも、かっこ、いいもんっ……!」

 だから死んじゃやだーと川上が大泣きするせいで、山下は危うく通行人に救急車を呼ばれる
ところだった。

02-267 :山下と川上 29:2009/05/30(土) 00:45:51 ID:Tj8qPOqz
「ごめんね、山下」
 とりあえず休んでいれば平気だから、と山下が言い張り、河原に寝そべって数十分。
 山下は川上に買ってきてもらったお茶をちびちびと飲みつつ呼吸を整えている。その隣で、
川上が未だに真っ赤な目を何度もしばたかせた。

 散々泣きまくったせいか、すっかり薄くなっていた化粧はきれいに流れてしまっている。
 不自然なほどの曲線を描いていた睫毛はすとんとまっすぐ伸び、頬にうすく影を落とした。
「あたし……ほんとは、応援してあげなきゃって、わかってる」
「え?」
 呟かれた言葉の意味がわからず、山下は聞き返した。
「だから……ユリと山下がうまくいくように、応援しなきゃって、ちゃんとわ、わかってる」
「川上、あの――」
「でも!」
 川上がぱっと顔を上げる。

「でも、そんな急には自分の気持ち、変えらんないから! だからっ……」
「川上」
「だ、から……す、好きで、いて、も……いい?」
 こらえきれなくなった涙が、ぶわ、と川上の目から溢れた。
「川上……」
 山下は途方に暮れて呟く。しゃくりあげる川上の頭にそっとてのひらをのせる。びくんと震えた
川上に、優しく問いかけた。

「……その、ユリって……誰だ?」
 へ? と、川上が間の抜けた声を上げた。

02-268 :山下と川上 30:2009/05/30(土) 00:46:47 ID:Tj8qPOqz
 申し訳なさそうに頭を掻きながら、山下はもう一度尋ねた。ユリなんて名前の知り合い、
山下にはいないのだから。
 川上はもはや自分の意志では止められないのか、ぽろぽろと涙を流したまま混乱したように言う。
「だってっ……さ、さっきまで話してたじゃん!」
 さっき?
「二人して、な、仲よさそうに、犬、撫でてっ」
 犬?
「家、来るくらい、仲いいんでしょっ……!?」
 家……。ようやくピンときた山下は、思いきり顔をしかめた。
「ユリって……里中さんか……」

 里中さん。
 またの名を、化け物。
 そういえば川上が何度か呼びかけているのを聞いたような気もするが……。それにしても、化け物が
そんな美しい名前を持っていたとは。完全な名前負けじゃないか、あの女。
 思わず脱力する。
 化け物が山下を相手にするはずがないことも、山下が化け物を好きになるはずがないことも、冷静に
考えたらわかりそうなものだが。
 ため息まじりに川上を見やった山下の頭に、ふいに二人の声が蘇った。

『サオってば山下のこと好きになってから視野狭すぎ!』
『好きで、いて、も……いい?』

 二人の声がくるくると頭の中を回る。心臓がキュウキュウと疼き、顔がかゆくなった。
 かゆくなって、にやけてしまう。
「な、何わらってんのっ!?」
「いや……ええと、誤解だから、それ」
「えっ?」
「里中さんは、担任に頼まれて休んでた間のプリントを届けてくれただけ」
「で、でも」
「それで……怒らないでほしいんだが、川上の話で盛り上がって……」
「あたし……?」
「川上がかわいいことを言うとか、笑顔がいいとか、優しいとか、そういう話をしてたら
仲良くなってた。だから、里中さんと俺はただの友達。むしろ知り合いレベルだ」

 何それ、と呆けたように川上が言う。
 ようやく止まりかけていた涙が、またもや川上の目から溢れだす。山下は慌ててポケットを
ひっくり返した。くしゃくしゃのハンカチを渡そうと差しだした手を、川上が握りしめた。

02-269 :山下と川上 31:2009/05/30(土) 00:48:09 ID:Tj8qPOqz
 川上は顔から火が出そうなほど真っ赤だ。
 どうした、と声をかけても、ぶるぶると首を振るばかり。やがてその目がゆっくりと山下を
見た。恥ずかしい。一言、そう呟いて。
「恥ずかしい?」
 山下はきょとんと川上を見つめる。川上は落ち着かない様子でうろうろと視線をあちこちに
彷徨わせた。

 あーとかうーとか言葉にならない声を発したあと、小さな声で、
「だってさぁ……勘違いしたまま変なこといっぱい言っちゃったし……」
「変なことって?」
「それはー……」
「俺のこと好きっていうのは、変か?」
 川上が弾かれたように山下を見る。
 山下は川上の顔を見ていられなかった。ドッ、ドッ、と心臓が騒ぐ。小さな爆発を繰り返して
いるみたいだ。川上に握りしめられたてのひらが細かく震えた。

「俺が……お、俺が、川上を好きなのは……変、ですか」

 声は裏返るわ震えるわ、正直なところ、散々な告白だった。
 沈黙が痛い。心臓を押しつぶすような静けさに呼吸まで忘れてしまいそうだ。いつの間にか
詰めていた息をそろそろと吐き出したとき、隣でフッと小さな笑い声が聞こえた。
「……何で敬語?」
「いや、特に理由はないけど……」
「前もこの会話したね」
「ああ、うん」
「変じゃないよ」
「……」
「変じゃないよ。うれしい。すごい、うれしい」
 噛みしめるように川上が言う。声は次第に震え、掠れ、涙声になる。川上は意外に泣き虫だ。
 山下のてのひらが震える。いや、違う。山下のてのひらを握りしめる、川上の手が震えている。
「……山下」
「うん」
「山下、やま、した」
「うん」
「すき。大好き。い、いちば……ん……好きっ……」
 うん、と言いながらギュッと手を握る。
 しばらくは何も言わなかった。川上の泣き声だけが、静かに空気を揺らしていた。

02-270 :山下と川上 32:2009/05/30(土) 00:49:31 ID:Tj8qPOqz
 川上を連れて家に戻ると、待ち構えていた化け物に開口一番、叱られた。
「何でアンタたちは二人とも連絡してこないわけぇ!? 心配したんですけど!」
 繋ぎあったてのひらを見ると、さらに叱られた。
「何であたしのいないとこでくっつくのぉ!? つまんないじゃん!」

 明日きっちり事情聴取すると宣言し、化け物は慌ただしく帰って行った。
 川上も一緒に帰るものだと思って手を離すと、
「山下ぁ! テメーちょっとは空気読めオタク!」
 最後にもう一度叱られた。

「……もうちょっと一緒にいたい」
 遠ざかる化け物の後ろ姿を見送りながら、川上が囁くように小さな声で言う。途端に山下の
顔がポン、と赤くなった。
 思わず叫びたいような、そのへんをぐるぐると走り回りたいような、どうにもむず痒い気持ちに
戸惑う。こんな風に、誰かを思って心臓が痒くなるのなんて初めてだ。
 うん、と小さく返事をして手を繋ぎなおす。
 汗をかいてべたついたてのひらは、きっと不快感を与えるだろうに。川上は山下が手を離すと
ムッとして唇をとがらせるから、つまり、アレだ、可愛い。
 階段を上った先にある自室に案内する間も、舞い上がってステップでも踏み出しそうな足を、
山下は必死に抑えていた。

 山下は意外ときれい好きだ。
 戸棚の上にいくつかアニメキャラクターのフィギュアが置かれている以外は、清潔感のある
いたって普通の男の部屋だ。
 座布団やソファもない簡素な部屋だから、適当に座ってもらうしかない。
 その通りに言うと、川上はすとんとベッドに腰を下ろした。
 数少ない友人だって一人暮らしを始めた兄だって親だって、部屋に入ってきたらそこに座る。
 それなのに、山下は妙に緊張した。

02-271 :山下と川上 33:2009/05/30(土) 00:50:47 ID:Tj8qPOqz
「えっと……飲み物いるか? お茶とファンタくらいだったらあるけど」
「ううん」
「そ、そうか。あー、読みたい本があったら適当に取っていいから」
「うん、ありがと」
「……」
「山下、座らないの?」
 ぼうっと川上の前に立ちすくむ山下の手を、川上が引く。引かれるままに川上の隣に座ると、
するりと腕が絡んだ。

 うお、と思わず声を上げた山下の耳に、いたずらっぽい笑い声が届いた。
「……か、からかうなよ」
 経験値の差は明確だ。こういう風にされると、山下はどうしても弱い。
「からかってないよー」
 川上が瞳をやんわりとほどく。大泣きした川上の目は少し腫れていた。
 ぽってりと熱を持ったそこに、ふいに触れたくなる。困った。山下はそっと視線を外す。
「山下……」
 甘えるような声音に、山下の背筋がゾクゾクと震えた。

 声に誘われるように顔を向ける。川上の顔がすぐそこにある。
 顎を心持ち上げて、瞬きもせずに、じっと山下を見上げている。
 引力を持っているのかと思った。気づいたら山下の額に川上の前髪が触れている。さらさらと
額を撫でるそれがくすぐったい。
 あ、と思ったときには、唇が触れていた。

 ぷちゅ、と音がしたから驚いた。慌てて顔を離す。川上の頬が上気している。可愛いと思う。
体の奥からズンズンと熱が集まり、こもり、山下はどうしていいかわからなくなる。
 山下、と川上が焦れたような声を出した。ズン、とまた熱が溜まる。
 押し当ててきた唇が、やわらかく山下の下唇を食んだ。
 う、と声が出そうになってこらえる。それでも抑え損ねた息がハッと川上の唇を撫でた。
 川上の体がピク、と震える。
 川上の唇がやわらかい。触れた先から溶けていきそうなそれが山下の唇をはさんだまま、
やわやわと動く。山下の唇に、何かが触れた。
 湿って熱い――ひどく熱いそれが山下の唇をそっと撫でたとき、山下はたまらず川上の
体を引き離した。

02-272 :山下と川上 34:2009/05/30(土) 00:52:41 ID:Tj8qPOqz
 川上が濡れた瞳で山下を見つめている。とろんとしたその目に見つめられると、山下の
頭もぼうっとしてしまう。
 ぶるぶると犬のように頭を振って、山下はダメだ、と呟いた。
「ダメ?」
 川上が聞き返す。
「急にこんなことするのは、やっぱり、えーと、心の準備がだな」
「何それ」
「だから、物事には段階があって、いや、つまり」
「今はキスもダメってこと?」
「いや、だって俺達、その、今日付き合ったばかりだから」

「そういうの、関係ないよ」
 まだ熱っぽい瞳のまま、川上が囁くように言った。
「付き合って、そういうフンイキになっちゃったらシちゃうのは当然じゃん? 時間とか
関係ないよ。あたしは山下が好きだから、全然シちゃってもいいって思う」
 川上が身を乗り出す。山下、と甘ったるい声が耳朶をくすぐる。
 山下は川上の肩を掴んだ。

 そしてやんわりと引き離し、首を振った。
「……ダメだ、川上」
 川上が大きく目を見開く。何か言いたげに開いたその唇から声が出る前に、山下は続けた。
「俺は、そうやって流されるみたいに付き合うのはいやだ」
「え……?」
「川上のこと、好きだよ。……でも」
 こういうのは、少し、違う。
 もどかしい気持ちがうまく言葉にならず、山下はぎゅっと眉根を寄せた。
 もちろん、したくないわけじゃない。経験は皆無だからうまくできるわけがないし、それゆえに
とてつもなく不安だけれど、怖いけれど、したくないわけじゃない。したい。
 でも、そうやって欲のままに川上を求めることが、山下の目的ではない。

 たとえば、手をつなぐだけでは好意を伝えきれなくなったら。
 「好き」という言葉だけでは自分の気持ちすべてを表しきれなくなったら。
 抱きしめるだけでは心臓の痛みが治まらなくなったら。
 そのときは、川上に触れたい。

 しかし今がそのときかと言われると、山下は首を縦に振ることができないのだった。

02-273 :山下と川上 35:2009/05/30(土) 00:53:39 ID:Tj8qPOqz
 川上は黙っていた。
 だんだんとその瞳から熱が薄れていくのを、山下は少し残念に思う。
 上気した頬がいつもの白さを取り戻した頃、川上は気まずげに視線をそらした。
「あたしには……よく、わかんない」
 伏せた睫毛が震える。一瞬泣きだすのかと思った。違った。川上は心底困ったような
顔で、小さく呟いた。

「あたしはそういう風に、自分と誰かを大事にしてこなかったから」
 何度か見たことのある自嘲的な笑み。それがゆっくりと川上の顔に広がり、
「……今日は、帰るね」
 川上が山下の方を見ることはなかった。

「川上」
 玄関で靴を履く川上に、山下は声をかけた。
 川上は何も言わない。無言で玄関のドアノブに手をかけたその後ろ姿に、山下は声を少し
張り上げた。
「子どもっぽくてごめん」
 川上の肩が強張る。
「慣れてないから……正直、びびってる。俺なんかが川上をどうこうしちゃいけないとか
思ったりも、する。でも俺は俺なりに川上を大事にしたくて……悪い。こんなやり方しかできない」

 ドアノブを固く握りしめたまま動かない後ろ姿に、もう一度、呼びかけてみる。川上、と
呼びかけて小さく、好きだ、と言ってみる。
「……うん」
 その「うん」が何を指すのか(山下が子どもっぽいということか、山下なりに川上を大事に
しようとしていることか、好きだということか)は分からなかったが、川上はそれきり何も
言わなかった。


◇◇◇


 次の日は、特に会話らしい会話はなかった。「おはよう」と言い合ったきり寄りつこうと
しない二人に、化け物が黙って顔をしかめていた。
 その次の日は、何だか昨日を引きずって話せなかった。川上が暗い表情を浮かべ、ぼんやり
していたのが気になる。

 そして三日目、放課後までじりじりと話す機会をうかがってはいたが、勇気が出ない。
 意を決して話しかけようとした山下は、イスから立ち上がった瞬間、さっそく出鼻をくじかれた。
「山下くん、ちょっといいかな?」
 クラスの女子に話しかけられたのだ。

02-284 :山下と川上 36:2009/05/31(日) 21:18:17 ID:/HXUliRX
 珍しい事態に「ああ」とか「うん」とかもごもご言っていると、女子はさっさと山下の前の
席に腰かけた。
 「突然ごめんね」
 小首を傾げて微笑んだ彼女の、肩のあたりで切りそろえられた真っ直ぐな黒髪がさらりと流れる。
一度も染めたことがないのか、それは蛍光灯の光に照らされ艶々と輝いた。
 目鼻立ちはおとなしいが、整った顔だ。全体的に儚げな風情がある。
 髪と同じ真っ黒な瞳に、山下の困り顔が映っていた。

 目立ちはしないが男子からの人気は割と高いこの女子の、名前を思い出せない。
「……ええと、何かな」
 この人の名字は何だっけ。記憶の引き出しをひっくり返しながら山下は尋ねた。
「山下くん、数学のノートとってる? とってたらコピーさせてもらえないかな」
 もうすぐ中間試験だから、と微笑む女子の名字をようやく思いだし、山下は机の下から
ノートを引っぱり出した。
「どうぞ。字が汚くて読みにくいけど。返すのは海野さんの都合のいいときでいいから」
「ごめんね、ありがとう」
 女子――海野はにっこりした。

 真面目だけが取り柄のような山下は、テスト期間中だけは重宝される。
 海野に頼まれたのは初めてだが、クラスの何人かにはこういったノートの貸し出しを頼まれたり、
わからなかった分野を聞かれたりするのだった。
「全然汚くないよ、すごくきれい。ねえ、テスト勉強してる?」
「いや、あんまり」
「うそー! 山下くん、数学はいっつも点数いいでしょ!」
「でも数学だけだから」
 
 ほっそりとした指がページをぱらぱらとめくるのを見るともなしに眺めていると、ふいに視線を
感じた。
 教室をくるりと見回す。特に誰もこちらを見ていない。気のせいか。それとも、海野に気のある
男子が嫉妬に燃えた目を向けていたのだろうか。

「数学が得意なんて羨ましいなあ」
 海野がきらきらと瞳を輝かせて感嘆したように呟くのに笑みを返しながら、山下はため息を飲み込んだ。
 いかにもおとなしそうなのに、意外と人懐っこい人だ。しばらくは離してもらえないかもしれない。
 ――残念だけど、川上に話しかけるのは明日にするべきか。

02-285 :山下と川上 37:2009/05/31(日) 21:19:38 ID:/HXUliRX
 視線を向けた先では、川上が携帯を持ってだるそうに化け物と話をしている。
 ストラップのじゃらじゃらついた白い携帯を眺め、おそろいのストラップなんて買ったら
迷惑か、と考えてみる。
 川上はどういうデザインが好きなのだろう。やっぱりキティちゃんだろうか。

「前からね、山下くんと話してみたかったんだあ」
 海野が何か言ったようだったが、山下は聞いていなかった。「みたかったんだあ」だけが
どうにか耳に届き、慌てて顔を海野に向ける。
 聞き返すのも失礼だろうか。
 曖昧に笑ってみせると、海野は目を伏せたまま「えへへ」と笑った。
 三次元の「えへへ」にはあまりグッとこない。やっぱり曖昧に笑うしかない山下に、
「いっつも本読んでるし、勉強できるし、おとなっぽいよね。山下くんて」
「……いや、そんなことは」
 据え膳を食わなかった自分がおとなっぽいと言われるのは、今の心境的には正直微妙だ。

「女の子とあんまり話さないからね、今まであんまり話しかけられなかったんだけど」
「あー、うん」
「でも川上さんと話してるの見て。私も話してみたいなって」
「あー、うん」
「これからもちょくちょく話しかけていいかなあ?」
 いいかなあ、と言われても。
 何で急にそんな話になったのだろう。山下は眉をひそめた。話に脈絡がなさすぎて意味がよく
わからない。
 しかしそんな山下のことなどお構いなしに、海野は「嫌かな?」と聞いてくる。嫌です。なんて
言われるとはかけらも思っていないように見えるのは……穿ちすぎだろうか。
「ね、テスト勉強も二人でしちゃえば効率いいんじゃない?」
 海野がにっこりと首を傾げてみせたのとほぼ同時、机にふっと影が差した。

 見上げる。
 しばらく何も言えなかった。
 目を丸くする山下に、海野も視線を上げる。
「川上さん?」
 すぐそばに立って山下を見下ろす川上に、海野がふしぎそうな声を上げた。

02-286 :山下と川上 38:2009/05/31(日) 21:21:20 ID:/HXUliRX
「山下、一緒に帰ろ」
 不機嫌な顔でぼそっと呟く川上に、山下は口元を緩めた。苦笑によって。
 話しかけてくれたのは嬉しいが、どう見ても怒っている。何かあったのだろうか。 
「ほら、立ってよ」
「川上さん、今ちょっと話してるんだぁ。もうちょっと待ってもらってもいい?」
 海野が申し訳なさそうに眉を下げてみせる。川上はそれをちらっと見やり、
「悪いけど、山下はあたしとテスト勉強するから」
 すげなく言い放つと、山下の腕をぐいぐいと引っ張った。

「二人、ほんとに仲いいねえ」
 海野がにこにこと山下を見る。山下は川上に引っ張られながら何とも言えない笑みを浮かべる
しかない。
 腕を引かれるままに席を立つ。そのまま教室の外まで連れて行かれそうな勢いなので、慌てて
カバンを引っ掴む。海野がひらひらと手を振るのを見て手を振り返す。

 瞬間、川上がグイと腕を引いた。山下の腕に川上の腕が絡まる。
「あたしたち、付き合ってるから」
 強い口調にぎょっと川上を見つめたのは、山下だけではない。海野が大きく目を見開く。その
口が開く前に、川上はさっさと山下を連れて教室を出ていた。

「……川上、どうした」
 教室を出たきり一言も口をきかない川上に、山下は困っていた。
 話しかけるな、というオーラを前面に出した川上に声をかけることもできず、腕を引かれて
ただ歩く。駅を抜け、電車に乗り、気づけば我が家に着いていた。

 仕方なく自室に通し、山下はようやく疑問を口にしたのだった。
「何かあったのか? 教室にいたときから様子がおかしかっただろ」
「……別に」
 ベッドに腰かけ、行儀悪く足をぶらぶらさせている川上は、つんとすましたままだ。
 仲良くなる前のような態度に、思わずため息が出た。
「海野さんにも変な態度だったし……何かあったんじゃないのか」
 海野、という山下の言葉に、川上はキッと鋭い視線を向けた。久々の一睨みに、山下はビクンと
姿勢を正す。
 最近はかわいらしい態度ばかりを見ていて忘れていたが、川上の視線は怖いのだ。

「……あたしとはしゃべってくれないくせに」

02-287 :山下と川上 39:2009/05/31(日) 21:22:51 ID:/HXUliRX
 山下を睨みつけたまま、低く川上が呟く。が、小さくてよく聞こえない。
 聞き返すが、川上はそれには答えず、
「海野ってさぁ、山下のこと狙ってるっぽいよ」
 意地悪そうに唇を歪めた。

 いつかの、山下を小馬鹿にしていたときの笑みを彷彿とさせるそれ。山下は眉をひそめる。
川上はそんな山下を挑発するかのように、フンと鼻で笑ってみせた。
「真面目そうでおとなしそうで、からかったら面白いんじゃん? だってさ」
「……本当か」
「マジだって。女子トイレで聞いちゃった。なのにさぁ、山下ってば話しかけられて嬉しそうに
ニヤニヤしてんだもん。アレはないなって感じ」
「ニヤニヤしたりは――」
「してたし!」
 鋭い声に驚く間もなく、山下の体はベッドに押さえつけられていた。

 とっさのことに声も出ない。ぱくぱくと口を開閉する山下に、川上がうっすらと唇の端を
つりあげる。
「やっぱり山下もああいうタイプがいいわけ?」
 返事ができなかった。
 唇が塞がれ、一瞬、息も忘れた。
 飲み込みそこねた唸りのような声が川上の喉の奥に消える。
 引き結んだ唇を、川上の舌がツツ、と撫でた。熱い。どろりと柔らかなそれが唇を這う感触に
背筋が震える。幾度も往復させられると、もうたまらない。山下は唇をひらいた。

「それとも、相手してくれる女なら誰でもいいの?」
 唇をくっつけたまま、川上が笑う。
 甘ったるい、媚びるような声に山下の下腹部にズンと熱が溜まる。気をそらそうと他に意識を
向けてみても、制服ごしに胸や太ももの柔らかさを感じてしまい逆効果だ。
 どうしたらいいのかもわからずうろうろと彷徨う舌を、川上の舌が絡め取った。
 それと同時に、ズボンのチャックのあたり、つまり膨らみ始めてジクジクと熱を持ったそこに、
川上の指が触れた。

02-288 :山下と川上 40:2009/05/31(日) 21:24:33 ID:/HXUliRX
 う、と声が漏れる。人差し指が裏筋をスー、とたどる。根元を柔らかく握り、またスー、と
先端まで一息になぞる。緩慢なその動作がじれったいような快感を生み、山下を困らせる。
「か、かわかみ、やめろ」
「何でぇ? あたし上手いでしょ?」
 フッと耳に息を吹きかけられ、山下はうめいた。
「おっきくなってきた」
 耳元で笑われ、カッと顔が熱くなる。たまらず肩を押し返そうとするのだが、やわらかく握り
こまれると力が抜けてしまう。やめろ、という声も弱々しい。
 カチャカチャとベルトを外す音がしても、必死に抵抗しようという気にはなれなかった。

 強引に脱がされ、ずれたトランクスから先端が顔を出す。ぎゅうっとてのひらで包まれると、
つい気持ちよさそうなため息をついてしまう。ハア、と吐き出した息ごと川上の舌に絡め取られ、
山下は夢中で舌を擦り合わせた。
 川上の空いた手が山下の右手を掴み、自らの胸に押し当てる。
 膨らみに手が触れた瞬間、欲望でカッと目の前が赤くなったようだった。

 我を忘れ、つい手に力が入る。薄いシャツを通して熱と鼓動が伝わってきた。もどかしく川上の
シャツのボタンを外す。山下のかさついた指が川上の肌を撫でると、川上が熱い息をつく。耳をくすぐる
それをもっと聞きたくて、乱暴にシャツを左右に開いた。
「あんっ」
 ブラジャーの外し方もわからず、ずらしただけだ。まろびでた乳房の中心をキュ、と摘む。力を
入れすぎただろうか、と、そんな気づかいも忘れていた。
 川上のてのひらは、いつの間にか上下に陰茎をしごいている。先端からにじみでた先走りが
川上のてのひらを濡らし、ヌチヌチといやらしい水音が響く。

 頭の中は真っ白だ。何も考えられない。
 山下はうわごとのように呼んだ。川上、川上、と、何度も熱にうかれた声で呼んだ。
「山下、あっ、ね、あたしのがっ……山下のことぉ、気持ちよく、で、き、るっああん!」
 首筋を舐めると、川上の体がびくんと跳ねた。
 汗と川上の匂いがするなめらかな肌を一心不乱に舐める。唾液でべたべたになった川上の肌はにぶく
輝き、それがぞっとするほど色っぽい。
「だから……」
 ハアハアと荒い息を吐きながら、川上がゆっくり起きあがった。

02-289 :山下と川上 41:2009/05/31(日) 21:26:08 ID:/HXUliRX
「だからあたしだけ見てて……お願い」
 熱が引いた。
 いや、正確に言うと違う。熱はまだギンギンだ。息子は固く張りつめ、まさに怒張と呼ぶにふさわしい。
 血管が浮きまくったそこの熱が引いたのではなく……目が、覚めた。

 川上の頭が少しずつ下がっていく。山下の膝に手を置いたとき、ようやく何をされるか予想がついた。
 もう一度、川上の手がぎちぎちに張りつめて涎を垂らすそこを上下に撫でる。それだけでもう、
意識が吹っ飛びそうに気持ちがいい。眉根をぎゅっと寄せた山下の顔を見て、川上がにやりと笑う。その
表情が色っぽくて困る。
 川上の髪が、山下の太ももに触れた。
「山下……大好き」
 川上の吐息が先端をくすぐり、また先走りがジュワ、と溢れる。

 やわらかな舌が陰茎を撫でるその前に、山下は起きあがった。
 川上の頭をそっと撫で、やんわりと行為をとめる。
 弾かれたように顔を上げた川上に、首を振ってみせた。
「いいんだ、川上。そんなことしなくていい」
「……何で?」
「俺は……」
「気持ちよくないの?」
「違う、俺は――」
「あたし、初めてじゃない」
 川上がピシャリと言い放つ。
「触るのも舐めるのも慣れてる。山下みたいに大切にしようとか考えたことなかった。海野みたいに
清純キャラとかでもないし。……あたし、汚いよ」
「川上……」

「だから……あたしが山下に好かれるためには、こうするしかないじゃん。カラダ利用するしか
ないじゃんっ……。あたし、こんなやり方しか知らないよっ!」
 大声で叫んでいるわけではない。
 けれど、悲鳴のようだった。
 大きな瞳が潤んでいる。唇を切れそうなほどきつく噛みしめ、川上は耐えている。それでも、潤み、
限界まで張りつめた瞳からは、瞬きひとつで涙がこぼれた。
 山下は思わず手を伸ばした。

02-290 :山下と川上 42:2009/05/31(日) 21:26:47 ID:/HXUliRX
 きつく抱きしめると、首に川上の腕が回る。川上が顔を埋めた首筋に涙がつたった。
「汚くない」
 山下はそれだけ言うのがやっとだった。
 頭は未だに真っ白だ。うまい言い回しも、川上を感動させられるような告白も、とてもじゃないが
思い浮かばない。
「川上はきれいだ。俺は好きだ。川上が好きだ。本当に好きだ」
 馬鹿の一つ覚えだ。冷静な頭の一部分がそう嘲るが、山下は口を止められなかった。

 川上に自分を卑下しないでほしかった。
 泣きながら必死に想いを伝えてくれたあの教室での出来事や、何度も山下の名前を呼んでくれた
河原でのことを、後悔しないでほしかった。
 川上は川上だ。
 山下が好きになった川上は、今の川上だ。
「きれいだ。ほんとに。俺は……俺は川上しか見てない」

「……も、いっかい、言って」
 川上がそっと腕の力を緩めた。
 涙でぐしゃぐしゃになった顔が山下を見つめる。涙で貼りついた髪を払ってやりながら、山下は
ゆっくりと繰り返した。好きだきれいだ川上だけだ、と、呆れるほど何度も繰り返した。

 いつの間にか、川上の顔がすぐ目の前にあった。
 何度目かの「好きだ」を言ったとき、唇に川上の吐息がかかった。山下は目を閉じる。ふにゃ、と
唇がたわんだ。
 ちゅ、ちゅ、と触れるだけのキスを何度もした。
 唇をくっつけあうだけでどうしてこんなに気持ちがとろけそうになるんだろう。山下はふしぎに
思う。どうして好きすぎると泣きそうになるんだろう、とも。

 相手の下唇を自分の唇でそっと挟んでやると、柔らかくて気持ちいいことを知った。
 軽く吸いつくと、ぴた、と唇同士がくっついて気持ちいいことを知った。
 何度も試してみる。川上の唇が、どちらかの唾液で光っている。きっと山下の唇も。濡れた唇に
むしゃぶりつく。気持ちいい。何度も甘噛みし、擦り合わせ、やさしく食む。
「……やま、し……あ、あ」
 川上の腕がぎゅうと山下を抱き寄せる。隙間なく体をくっつけあうと、川上がふと顔を離した。

 照れたように小さく笑うと、右手をゆっくり下ろす。
 元気に存在を主張する山下のそれを、指の腹で優しく撫でた。
「……あたし、流されてないよ。もう好きって言うだけじゃ足りない。……いい?」

02-315 :山下と川上 43:2009/06/06(土) 09:35:20 ID:5Yv96ZZL
 山下は思わず笑った。
 よくよく見れば、二人ともひどい格好だ。下半身だけ丸出しの男と、上半身のすっかり乱れた女。
 こんな格好で好きだの何だの言って泣きそうになっている(片一方はすでに泣いている)。
 しかも、言いたい台詞は先に言われてしまった。

 何も言えず、ただ頷く。
 川上にそっと顔を寄せる。目を閉じた川上の瞼にキスをした。
「……脱がせてもいい?」
 川上が目を閉じたまま言う。また台詞を先取りされたな、と苦笑しながら、山下も川上のシャツに
手を伸ばした。途中まで外して中途半端に肩のあたりに絡まっているシャツを脱がせ、川上に
誘導されながらブラジャーを外す。
 気づけば、山下もシャツを脱がされていた。

 裸の胸をくっつけあう。山下の胸板に潰されて、むにゅ、と川上の乳房が形を変える。
 指が埋まりそうに柔らかなそれからドッ、ドッ、と心臓の音がした。
 いや、この音は山下自身から聞こえるのだろうか。この心音が自分のものか相手のものか、
もうわからない。距離が近すぎる。
 舌先をなぞりあい、だんだん口の奥まで侵していく。川上は山下の下唇に吸いつきながら、うなじの
あたりを指先でツツ、と撫で上げた。不覚にも体が跳ねる。ふふ、と唇だけで川上が笑った。
 くやしいから反撃する。髪をかきわけ、耳の裏を指先で撫でる。
「っ、は」
 耐えきれない、というように甘い息をつくので、山下の方が参ってしまった。

 頭の芯をじっくり溶かしていくようなキスを何度も繰り返した。
 たわむれに舌先を浅く行き来させると、飲み込みそこねた唾液が糸を引く。川上の唇の端から垂れて、
顎の先までつたった。
 それを拭うことも思いつかないのか、川上は荒い息を吐いている。力の抜けた体はしっとりと汗ばんで、
山下の体に吸いつくようだ。
「あっ、あ、はぁっ」
 舌を絡ませるたびに、下半身に響くような声を出す。心臓にも息子にも悪い声だ。ぎゅうぎゅうと
押しつけてくる胸に存在感がありすぎる。
 触りたい。揉みしだいて、舐めて、吸って、川上をとろとろのぐちゃぐちゃにしたい。

02-316 :山下と川上 44:2009/06/06(土) 09:36:26 ID:5Yv96ZZL
 背中や首の裏や耳たぶをじりじりといじっていた手を、少し、下げてみる。
 肩を撫で、鎖骨に触れてみる。
 鼻にかかったような泣き声を川上が上げた。山下の首に回していた腕の力を少し緩め、体と体に
わずかな隙間をあける。
「はあっ、はっ……山下ぁ……」

 ねだられている。
 そう思うと、心臓がギュウ、と悲鳴を上げた。可愛い好きだ可愛い可愛い、と感情の波が山下を襲う。
 力いっぱい抱きすくめてしまいたい衝動をどうにかこらえ、すくいあげるように乳房に触れた。
「ひゃあんっ!」
 触れるときに指先が先端を掠めた。
 キスだけでつんと尖ったそこはひどく敏感になっているらしい。川上の体が強張る。白い皮膚と
赤く色づきつつあるそこの境目をなぞると、短い嬌声を上げながら体がびくびくと震えた。
 どうしよう、何だかすごく、
「……舐めたいんだが」

 川上がとろんとした目で山下を見上げた。ふにゃふにゃの骨抜きになった体は山下にしなだれかかり、
浅く荒い呼吸のせいで肩が上下している。
 ぎこちなく押し倒すと、素直に倒れてくれた。
 震える手で川上の手首を掴むと、素直に左右に開いてくれた。
 重力に逆らい、ぷるんと存在を主張する乳房が、川上の呼吸のたびに揺れる。
 山下に従って手は左右に広げているものの、隠さないのは恥ずかしいのだろう。川上は目を伏せている。
真っ赤になった目じりと、照れのためか拗ねたように尖った唇がかわいい。その唇を遠慮がちに開き、
川上は小さく小さく、蚊の鳴くような声で囁いた。
「舐めて」と。

 舐めた。
 むしゃぶりついたと言った方が正しい。
「ンッ、はぁんっ!」
 一も二もなく赤く充血する先端に吸いついたせいで、川上が悲鳴のような声を上げる。とっさに身を
捩るが、山下が覆いかぶさっているせいでどれだけも動くことはできない。舌で丹念にねぶられて、
なす術もなく体を震わせた。

02-317 :山下と川上 45:2009/06/06(土) 09:38:04 ID:5Yv96ZZL
 乳房自体はマシュマロか大福のように柔らかなのに、その先端だけは固い。
 舌先で転がすと、山下の口の中でこりこりと動く。夢中で舐めた。唾液でべたべたになった皮膚に
やわく噛みつき、川上の口からひっきりなしに零れる甲高い悲鳴を耳の底に溶かしこんだ。悲鳴は
泣きだしそうにか細く、しかしどうしようもなく色を含んだ声で山下の下半身を攻め立てる。

 どこもかしこも舐めたかった。
 だから耳に舌を突っ込んでかき回し、首にねっとりと舌を這わせ、鎖骨を食み、また胸を舐め、
二の腕をやさしく噛み、へそまで舐めた。
 山下は何も考えられなかった。理性はとっくの昔にどこかに置いてきてしまったし、頭の
芯はとっくの昔に溶けて傾いていた。
 川上がいつの間にか、悲鳴さえも上げなくなっている。
 ハッ、ハッ、と荒い息で苦しそうに山下を見つめている。潤んだ瞳に張った水の膜は決壊し、
こめかみを濡らしていた。

 動物のように舐めつくし、味わい尽くし、山下はようやく少し我に返った。
「わ、悪い川上。舐めすぎた」
 際限も加減も知らない童貞の、しつこさだけは一級品だ。川上がぐったりしたまま
じろりとねめつけてきても、その艶っぽい視線にまたも欲望が疼く始末なのだから。
「し……しつこいよぉ……」
「悪い」
「も、ダメ……あたし、きつい」
「そ、そうか。悪い」
 ゼエゼエと肩で息をする川上に無理はさせられない。正直なところ、もう限界を超えた山下の
下半身は涎を垂らしてぎちぎちに張りつめているわけだが、川上がダメだと言うならダメだ。
 奥歯を噛みしめてこみ上げる疼きに耐える。
 と、川上が山下の手を掴んだ。

 掴んだ手は下りていく。
 乳房を通り、腹をかすめ、下りていく。
 押しつけられたそこに触れると、指先が熱くぬめった。ぐっしょりと濡れ、下着はもはや用を
なさない。柔らかなそこは、ひくひくと痙攣している。
「こ、こっち、も……触って」
 真っ赤な顔で川上が言った。

02-318 :山下と川上 46:2009/06/06(土) 09:39:23 ID:5Yv96ZZL
 いつの間にか、川上の足首を掴んでいた。
 いつの間にか、それを高くかかげていた。
「きゃあっ!」
 足を抱え上げられ、川上がのけぞる。まだ脱いでいなかったスカートがめくれ、むっちりした
太ももや濡れた下着、そこからうっすらと透ける茂みまでよく見えた。
 あれ、俺、何してるんだろう。山下は思いながら、体を傾けた。
「や、山下ぁっ」
 川上が叫んだところでようやく自分のしていることに意識が向いたが、もはや止められなかった。

 山下は川上の足の間に体をもぐりこませていた。
 頭は太ももの間にある。
 白い太ももから視線を上げれば、足の付け根までしっとりと汗だか何だかよくわからない液体に
濡れている。酸っぱいような甘いような匂いが鼻をくすぐった。どうにも腹の底に熱を滾らせる匂いだ。
 その匂いに誘われるかのように、山下の舌は下着の上から、薄い茂みやそこから続く割れ目を
丹念に舐めているのだった。

「ひっ! あ、あっ、ああっ! だめ、だめぇ山下っ」
 川上が必死に声を張るが、山下の耳には届いていない。
 下着ごしに割れ目を舌でつつき、鼻づらをこすりつける。次第にたまらなくなって下着を乱暴に
ずらす。舌を差し入れようとした山下は、透明のとろりとした液体が下着からツツ、と糸を引いて
いるのを見た。
 とっさに一瞬上を向く。鼻血が出るかと思った。
「川上、直接舐めたい」
 呟く山下のふうふうと荒い鼻息がかかるのか、川上の足が時々ピクピクと動く。それに合わせて赤く
色づいた割れ目も細かく震え、濡れそぼったそこがまた潤む。
 山下はくらくらした。こんなものを目にして、きちんとお伺いをたてられる自分はすごい、とも思う。

 しかし山下の堪忍袋ならぬ欲望袋が今にもちぎれそうなことなど知らない川上は、なかなか返事を
してくれない。でもとかそんなとか、返事にならない曖昧なことばをごにょごにょと呟いている。
 ついには、荒い息を吐き出しながら小さく「汚いよ」と呟いた。
 それどころか、手を伸ばして下着ごと隠そうとする。

 山下はもちろんその手を掴んだ。
 川上が不安そうに山下の名前を呼ぶ。それには答えずに、山下は舌を突き出した。

02-319 :山下と川上 47:2009/06/06(土) 09:40:38 ID:5Yv96ZZL
「ひゃんっ!」
 川上の体が跳ねた。
 舌先にぬるぬると液体がからまる。口のまわりはたちまちベタベタになった。
 割れ目の襞を舌でめくり、奥も丁寧に舐める。川上がすすり泣くような声を上げた。山下の耳には
川上の嬌声は入ってくるが聞いていない。聞く余裕がない。今はただひたすらに、目の前のあまりに
官能的で扇情的で、つまりやらしい存在を攻め立てるのに夢中だった。

 ぬちゃぬちゃと舌でかき回していると、ふと、割れ目の上の方に何かがあることに気づいた。
 指先でかきわける。ぷくんと尖った、小さな突起があった。
 たわむれに食む。途端、川上が爪先をびくびくと震わせた。
「やああんっ!」
 反応がおもしろくて、もう一度、やさしく舌でつついてみる。
「だめぇっ! やあっ!」
 なるほど、ここはイイらしい。

 そうとわかれば話は早い。山下はぱくりとその部分をくわえた。吸いつくと、川上の体が大げさに
跳ねる。手が必死に山下の髪を引っ掴もうとするのだが、力がうまく入らないのか指先が山下の
髪を撫でるばかりだ。
 山下は調子づいてべろべろと舌でその突起を舐めまわした。吸い上げ、舌先でつつき、最後に
やさしく、噛んだ。
「っ! あ、あ、ああーっ!」
 瞬間、川上の体が痙攣した。背が弓なりにしなり、ぴんと体に緊張が走る。
 その後ぐったりと力の抜けた川上に、山下はさすがに心配になった。気絶でもしたのかと
慌てて体を起こし、顔をのぞきこむ。

 果たして、川上の意識はあった。
 とろんとした目で山下をうらめしそうに見つめ、唇をとがらせている。たいへん可愛らしい仕草に
山下の胸がキュンと鳴った。誘われるように唇に吸いつくと、「ンッ」なんて色っぽい声を出す。
 もう射精してもいい。山下は幸せだった。

02-320 :山下と川上 48:2009/06/06(土) 09:41:36 ID:5Yv96ZZL
 が、一人満足感に浸る山下とは別に、川上は不機嫌そうな表情のままだ。
「どうした川上、嫌だったか? その……勝手に舐めて悪かった」
 素直に謝ってみるが、表情は変わらない。山下が眉を頼りなく下げたそのとき、
「……イカされた……」
「え?」
 小さな声に思わず聞き返す。
 ふらふらと川上が起きあがった。起きあがるのもきついのか、手をついて肩で息をしている。
 支えようと伸べた山下の手をしっかりと掴み、川上はじろりと視線を強めた。
「あ、あたしがイカせるはずだったのに……」

 そのまま、掴んだ手をぐいと押される。
 バランスが崩れた。背中にかすかな衝撃があり、体がベッドに沈んでいることを知る。
 腹につくほど反り返っていた山下の陰茎も、元気に天を指して伸びあがった。
「川上、何を――」
 目の前で、パサ、とかすかな音がした。
 視界の端で何か黒いものがすべり落ちる。何だろう、と上半身を少し起こす。

 山下はそこに楽園を見た。
 ……と言うと大げさかもしれない。しかし、一糸まとわぬ川上の姿はそれほど衝撃的だった。
 白い肌は上気し、大きく呼吸するたびにさんざん舐め回した胸がふるふると揺れる。垂れた液体が
太ももまで濡らし、いやらしく光っていた。
「あたしじゃなきゃダメって感じにしてやりたかったのにー……」
 いやいや、もう川上無しじゃだめだろう。と、心の内で冷静に思うのだが、驚きすぎて声が出ない。
 川上が山下に覆いかぶさった。だらだらと溢れる先走りが川上の腹を濡らし、その感触に
川上がにやりとする。

「あたし、山下に全部あげる」
 ちゅ、と触れるだけのキスをして、川上が言った。
「処女はあげられなかったけど……でも体も気持ちも全部あげる。あたしで山下をいっぱいにしたい」
「川上……」
「だから山下の初めて、ちょうだい?」
 川上が陰茎を掴む。張り詰めたそれの先端がぬるぬると熱い何かに導かれる。
 ぬるぬるして柔らかくて熱いそこに押しつけられ、山下は呻いた。突きたい。本能のような衝動が
むくむくと山下を責める。突きたい。ここに思いきり突きたい。突きたい。
「うっ、わあっ」
 次の瞬間、山下は情けなく叫んでいた。
 川上が腰を落とし、吐息を漏らす。小さく震えながら山下を見やり、微笑んだ。
 川上の中に山下がすっぽりと収まっていた。

02-321 :山下と川上 49:2009/06/06(土) 09:42:31 ID:5Yv96ZZL
 そこから先は夢中だった。
 記憶も定かじゃない。
 川上が腰を押しつけてくるたびに呻き、がくがくと体を揺らされると刺激に戦慄いた。
「ああっ、あんっ、ハッ……山下ぁ、やました、やました……」
 うわごとのように山下を何度も呼ぶ川上の声が掠れている。
 いつの間にかしっかりと手を繋いでいた。いつの間にか山下も川上の名を呼んでいた。何度も。
「すきっ、すきぃ、すきなのっ山下ぁ……」
 きゅうきゅうと川上の中が締まる。襞がまとわりついて、奥へ奥へと促してくるような感触に、
山下は奥歯を噛みしめてこらえた。
 いくらなんでも、ここで出してしまっては早すぎる。
 川上がぬちゃ、と音をたてながら腰を少し持ち上げた。眉根を寄せ、半開きの口から荒い息を
吐くその顔が、また下半身を熱くさせる。
 山下、と川上が呼んだ。
 甘えるような、泣きだす寸前のような、どうにも色っぽい声にやられ、山下は腰を突きたてた。
「やあぁっ!」
 川上の体がぶるぶると震える。奥がぎゅう、と収縮し、山下を締め上げる。

 限界だった。
「あっ……」
 声を出したのはどちらだったのか。山下はびゅくびゅくと止まらない射精感に身を震わせ、
川上は中に溢れる感覚に声を漏らす。
 二人ともぐったりと脱力した。

 川上が山下にぺたりとのしかかる。顔を寄せてきたので、山下は目を閉じた。
 唇を触れ合わせると、ジンと心臓が疼く。唾液を絡ませながら舌を吸い、下唇を押しつけ合う。
 ゆっくりと顔を離すと、川上がいたずらっぽく笑った。
「イカせちゃった」
「……そうだな」
「あたし無しじゃいられない体になった?」
「……そうだな」
 むくむくと立ち直りつつある息子に苦笑しながら言う。中で膨らむものを感じたのか、川上が
小さく声を上げた。信じられない、という顔で山下を見る川上に、
「川上、もう一回したい」


 確かに川上無しじゃ、もういられない。
 今度は自分が馬乗りになってめちゃくちゃに川上を突きながら、山下はぼんやりと思うのだった。


◇◇◇



02-322 :山下と川上 50:2009/06/06(土) 09:43:08 ID:5Yv96ZZL
 夏特有の、薄っぺらな水色の空にうっすらと雲が溶けている。
 ぎらつく太陽に首筋も頬も腕も、体中を睨みつけられ、山下はふう、とため息をついた。
 暑くなりそうな天気だ。今日も昼になれば最高気温を記録するのだろう。

 左手にむずむずするような感覚を覚えつつ、山下はもう一度、ため息をつく。すると、横から
元気に叱り飛ばされた。
「ため息つきすぎ! あたしと登校するのイヤなわけ?」
「そうじゃなくて……やっぱり、その、俺みたいな地味な奴と川上が……」
「まだ言ってんのぉ? しつこい! 黙って歩いて!」
 ぴしゃりと跳ねのけられ、山下はとぼとぼと歩みを進める。
 ふいに、ぎゅ、と左手に熱がこもった。繋いでいる手をかたく握りしめ、川上が赤い顔を
うつむかせる。
「……あたしが山下のこと好きなんだから、周りは関係ないでしょ」
 胸が暖かくなると同時に、下半身までもが熱くなってしまったのは内緒だ。

「サオー山下ー! おはよ!」
 後ろから化け物が廊下を駆けてきた。
 手を繋いだ二人を見て、塗りたくった目の周りが崩れるほどニヤニヤ笑った。
「何ぃ? クラスの奴らに見せびらかしちゃうのぉ?」
「まあね」
「キスとかしちゃってよ。んでぇ、川上は俺のだーとか言っちゃうのぉ」
「化け物黙れ」
「山下ぁ! 調子乗んなよテメー!」
 そうこうしている間に教室の前だ。
 ひどく緊張している自分に気づき、山下は思わず足を止める。
 ぎゅ、と、再び左手に熱がこもった。
「山下があたしのだって、見せびらかしたいんだ」
 川上が小さく呟く。
「……俺も」
 山下も、真っ赤になりながら呟いた。
 横から見ていた化け物が、大げさに肩をすくめる。
「ってか早く教室入れっつーの」
 川上が照れたように笑った。

 二人のことを、邪推する人間はきっといるだろう。嫌な噂を立てられるかもしれない。傷つく
ことを言われるかもしれない。川上を泣かせることも、あるかもしれない。
 それでも、山下は川上と一緒にいたい。
 これからもずっと一緒にいたいから、こそこそと隠れるようにするのは嫌だった。
「……山下」
 川上が微笑む。山下も頷いた。
 見上げる視線に応え、ゆっくりと扉に手をかけた。



(終わり)

最終更新:2009年07月17日 14:47