- 01-32 名前:スイーツと香辛料1 :08/08/13 00:56:05 ID:k+87tkBL
- 場違いな人を見た。
恵比寿のベトナム料理のレストランに同級生の男の子がひとりで食事をしていた。その人はとても地味で名前も思い出せないくらい。それなりに値段もはるこういう店にいることをわたしはうまく受け入れられなかった。
斉藤さんが黙々と料理を食べている中、わたしはどうも信じられない気持ちでその人を見つめていた。
「げっ」
小さく、でもはっきりとその人は私を見て言った。あからさまに嫌そうな顔。
ムカついた。
あんたこそ「げっ」だよ。「あんたみたい」のが、なんでこんな店にいるの?「あんたみたい」なさえないのが、来ていい店じゃないよ、私は心で毒づいてそしらぬ顔でフォーに手をつけた。
- 01-33 名前:スイーツと香辛料2 :08/08/13 00:58:54 ID:k+87tkBL
- 「どうかした?」
斉藤さんが尋ねる
「なんでもないよ」
微笑んでおいた。斉藤さんのおかげで高校生ではとても行けない(といってもコース五千円くらいだけど)ところで食事ができるのだ。
少しはサービスしてやらなければならない。
友達が誘いで行った集まりで出会った斉藤さんは、毛並みがよさそうな感じがした。
お金もありそうだし、大学も名前があるし、ガツガツしてなさそう。
だから愛想よくしてまんまと二人で会おうと言わせた。最初のデートが恵比寿で映画をみてベトナム料理というのも、まあありだった。
料理もおいしい。辛いの好きだし。知る人ぞ知る、評判のお店らしい。わたしはけっこう感激していた。
友達からあの店に連れてってもらった、おごってもらったという話は聞いていたが、派手目な格好のわりにわたしはあまりそんな経験がなかった。
恥ずかしくて友達には適当に話を合わせていたが、実は少し奥手だったのだ。目論見通り大学生に誘われちょっといい店でおごってもらって、わたしは得意だった。
- 01-34 名前:スイーツと香辛料3 :08/08/13 01:02:27 ID:k+87tkBL
- 「こんばんわ、高梨さん」
ビクッとした。不意をつかれてしまった。顔をあげると地味な同級生がいた。名前は…。
「松崎くん?こういう所くるんだ?」
思い出した。松崎啓だ。ケイ、似合わない名前。
「うん、ちょっと。じゃあ」
松崎くんは目を合わさずに言った。やっぱり「こういう人」は鼠色のジーンズにチェックのシャツなんだな。
「余計なことだけど、高梨さん、スプーンにのってるのはお好み辛さ調節するためのものだから、タレみたいにつけなくていいんだよ」
マツザキは、斉藤さんの前で、ソウイイヤガッタ。
斉藤さんが少し笑う。顔が赤くなるのがわかった。
「じゃあ。ついでだけどデザートはココナッツプリンがおすすめです」
そういって松崎啓は店を出ていった。ムカつく。オタクのくせに!なんなのあいつ!
わたしは嫌がったが、面白がった斉藤さんがデザートにココナッツプリンを頼んだ。
…すごく、すごく、美味しかった。
…なんかムカつく。
- 01-35 名前:スイーツと香辛料4 :08/08/13 01:15:09 ID:k+87tkBL
- 「葉子、どうだった」「楽しかったよ。あ、でも…」
みさきに昨日のことを聞かれて、私は松崎啓のことを思い出してしまった。腹が立つ。
「みさき、聞いてよ。斉藤さんにベトナム料理連れてってもらったら松崎がいたの」
「松崎って誰?」
「うちのクラス」
「えー!?」
「しかも一人で」
みさきは爆笑した。スッとした。
「マジで?ネタでしょ?」
「ほんとほんと。私もびっくりしたよ。なんでっ!?って。しかもさあ」
と松崎のあの生意気な一言を話す。みさきは期待通り、はぁ馬鹿じゃない?と言ってくれた。
「だよねー、だいたい松崎があんないい店いくなんで十年早いっつーの!」
そうわたしが言って二人で笑う。ああ、スッとした。昨日傷つけられた高梨葉子のプライドが友達と陰口をいうことで回復してくる気がした。
- 01-36 名前:スイーツと香辛料5 :08/08/13 01:42:07 ID:k+87tkBL
- 「あ、葉子」
みさきが指さした方をむくと、ちょうど向こうから松崎が来た。
「松崎くーん、昨日葉子と会ったんだって?」
意地悪な笑い方をしながらみさきが声をかけた。
やめてよ、と一瞬思ったが居心地の悪そうな松崎の顔を見てわたしも意地悪くいった。
「昨日はどうもー。松崎くんてお洒落な店行くんだね。一人で」
最後の一言を強調して言う。みさきバカウケ。
「ああ…、ごめんね声なんかかけちゃって」松崎はまた目を合わさず言った。う、少しかわいそうだったか?
「いいの、いいの、むしろ今度は葉子を誘って二人でいっちゃいなよ」
みさきが自分でいって自分でうけている。
松崎くんはいや…と口ごもっている。
「じゃあ」
すごすごと、という感じで松崎くんは行ってしまった。
「みさき変なこと言わないでよ」
「いいじゃん。あいつグルメなんじゃない?連れてってもらいなよ。ウケる」
みさきが笑う。わたしはため息をついた。
- 01-37 名前:スイーツと香辛料6 :08/08/13 02:34:06 ID:k+87tkBL
- 高校時代一回くらいはこんな偶然があるのかもしれない。
本当に、松崎啓と二人で食事に行くことになった。
世界史でグループ発表をすることになり、みさきと2人でなんとなく組む相手が見つからず、余り物同士2人―2人でまとめられたらその中に松崎くんもいたのだ。
わたしもだったが、向こうも「マジかよ…」って顔をしている。
「テーマ何でやるー?」
村田くんが言った。やる気のない他の3人を仕切ってくれるようだ。
「ベトナムの食文化とかー?」
みさきが悪ノリしてる。
「はあ?何それ?」
村田、食いつくな。
「やめてよ、みさき」わたしが止めるのも空しく、みさきは昨日のことを村田くんに喋ってしまった。
「へえー、そういえばマツは食い物屋詳しいもんな」
村田くんが普通に言ったので、ああ友達には有名なんだ、と思った。
- 01-38 名前:スイーツと香辛料7 :08/08/13 02:35:36 ID:k+87tkBL
- 「なんで松崎くん詳しいの?」
「いや…」
「お前辛いものとか好きなんだろー」
「まあ…」
「でも昨日のお店とか高くない?」
「バイトして…貯めて…」
「そこまでするの!?なんで!?」
やばい、ちょっと面白い。
「いや…なんとなく好きで…その内エスカレートしていったというか…」
「一人で行くの?」
「ほとんどは。たまに親とか」
「辛いもの中心なの?」
「最初はそうだったけど…最近はなんでも…」
「一人で?」
「まあ…」
「…すごいね」
ちょっと呆れ気味にみさきが言った。
- 01-39 名前:スイーツと香辛料 :08/08/13 02:39:35 ID:k+87tkBL
- 授業が終わり皆動かした机を元に戻したりしてるとき、教室から出ていく松崎くんを追いかけて声をかけた。
「昨日言ってたココナッツプリン食べた。おいしかったよ」
「あ、ほんとに…?よかった…」
「近くとかで何かあったらまた教えてね」
一応、朝にからかったの悪かったかなと思ったので、フォローしておこう。まあたしかにココナッツプリンはおいしかったし。
すると松崎くんは難しい顔で何か考えて、こちらを見たりそらしたりを数回したあと、言った。
「芦沢ホテルのデザートビュッフェの入場券、ネットの懸賞で当たったんだけど…興味ある?」
あれ?
調子のられてる?わたしを(「あなたみたい」のが)お誘い?
「いや!なんでもない!」
松崎くんが顔を赤くして逃げようとする。やっぱり「そういう」自覚あるのかな。
わたしは、悪いけどこんなリスキーな話に乗ったりするほど怖いもの知らずじゃない。最初からからかうためならまだしも、デート(デート?まあデートだよね)するなら恥ずかしくない相手を選ぶ。
なのに「行く」と言ってしまった。
…ココナッツプリンがおいしすぎたせいか?血迷ったのは。
- 01-42 名前:スイーツと香辛料9 :08/08/13 09:48:55 ID:k+87tkBL
- 日曜日、わたしは芦沢ホテルに向かっていた。みさきには内緒にしておいた。ここなら多分知り合いにそうそう会ったりはしないと思う。
松崎くんは今日はクリーム色のジャケットに綿パンだった。彼のなかでは余所行きの格好なのだろう。時間に正確なのは、合格。
「ごめんね。待った?」
「いや、全然…。十分前だし」
わたしも時間は守るほうだ。
「松崎くん、今日はこんな服装で大丈夫かな?」
「ああ…ギャルって感じだね。大丈夫じゃない?」
かちーん。「ギャルって感じだね」?何その言い方。
「ギャルって…松崎くんはどの辺でギャルって思うの?」
こめかみをひくつかせながら、という感じであえて笑顔で聞いてみた。
「うーん、髪染めてる。なんか髪がグネグネしてる。化粧が濃い。財布とかバックが似た柄?あとは…」
こいつまともに答えやがった…。グネグネって…。最悪!自分はキモいグルメオタクのくせに!
腹がたって喋らないでいたら、松崎くんはあわてて言った。
「ごめん、別にギャルが悪いとか言ってるわけじゃなくて、ただ僕はよく知らないからそう見えただけで…」
「もういいよ。行こう」
さっさと目的だけすましてしまおう。
- 01-43 名前:スイーツと香辛料10 :08/08/13 16:36:05 ID:k+87tkBL
- 芦沢ホテルはそれなりに有名なだけあって格がある感じでいい。
14階にデザートビュッフェがあるらしい。入るとかなりの広さに真っ白なリネンのかかったテーブルと、銀色のトレーにのったたくさんのケーキなんかがあった。わたし達ふくめ客は4~50名だろうか。
「席は…ここだ」
松崎くんがわたしを案内してくれる。学校とはうって変わってこういう時は自信にあふれてる感じ。さすがグルメオタク。
わたしは色々珍しいものもそろっているお菓子に目移りしつつ、ケーキやマカロンをお皿にのせた。
「えっ」
松崎くんが声をあげた。
「パパナッシュだ」
ぱぱなっしゅ?
「何それ」
「ルーマニアのお菓子で…ドーナツに生クリームとストロベリーとかのソースがかかってる、みたいな」
「へえ」
松崎くんはパパナッシュに夢中なようで一心に取り分けている。
よく知ってるんだな、と少し感心した。
彼がとってくれたパパナッシュを食べてみた。けっこう強烈。
「酸味が意外と強いんだな」
と松崎くんがつぶやく。
「面白い味だね」
「そうだね。僕もはじめて食べたから。…ケーキとかはどう?」
「うん。ちゃんとしてるよ」
「そう。よかった」
松崎くんが穏やかな微笑みを浮かべた。本当に嬉しそうにしてるがわかる。ああ、いい人なんだな。
オタクだけど。
- 01-44 名前:スイーツと香辛料11 :08/08/13 16:49:25 ID:k+87tkBL
- それからわたしは時おり松崎くんとなんというか食事デートにいくようになった。
けっこう面白いものをいつも見つけてくるし、何よりおごってもらえるので、さえない男と遊びに出かけることについては目をつぶった。
松崎くんは相変わらず目を合わせずにこういう店を見つけたんだけど、興味ある?と聞く。
「うん、行きたい。連れてって」
笑顔でこたえる。それくらいはね。なんなら手をとって言ってもいいけど、勘違いさせすぎるからやめておこう。
彼は自分が本当に興味をもった所にしか行かないし誘わない。そういう所も好感をもった。ちょっと学校ではオドオドしてるけど媚びてない。そうでないとホルモン焼きに同級生の女の子は誘わないだろう。でもそこは肉の刺身が驚くほどおいしかった。
「今日もおいしかった。また誘ってね」
そんな言葉を私は本心からいうようになった。
「ああ…。また機会があったら」
目をちらっと合わせて松崎くんは答えた。
- 01-49 名前:スイーツと香辛料12 :08/08/14 05:40:43 ID:WItfoN/q
- 「葉子、最近斉藤さんと会ってる?」
みさきが机につっぷしながら聞く。
「全然会ってない。もうメールもしてないかも」
「そうなの?あんた、最近つきあい悪いから、斉藤さんかと思ったのに」
そういえば、みさきに誘われたコンパやらに最近行ってない。斉藤さんもなんとなくメールとか返さなかったりでつきあいが途切れてしまった。
「ごめん。今度どっかいこ?」
「土曜日は?」
「あ、その日はちょっと…」
その日は松崎くんと約束がある。北欧料理。トナカイ肉のステーキ、食べてみたいし。
「えー、やっぱ男?」みさきがジト目で言う。
「ちがうって」
「そういえば葉子、世界史発表終わったのに、まだ時々松崎くんと喋ってるよね」
「…」
みさきめ、勘がいい。「あら?あらあらあら」
楽しそうにおどけるみさき
「やめてよ」
そんなんじゃないんだから。
- 01-58 名前:スイーツと香辛料
5章「告白?」1 :08/08/14 20:44:36 ID:WItfoN/q
- 「お酒はだめだよ」
松崎くんは困ったように言った。
「大丈夫だよ。普通のカッコしてるんだから、わからないよ」
「そうかもしれないけど…」
少し浮かれていたのだろうか、普段松崎くんと食事するときにお酒は飲まないのだが、給仕の女性から珍しい果実酒をすすめられわたしはそれを飲みたくなったのだ。
結局しぶる松崎くんをいいくるめて、果実酒を頼んだ。甘い口当たりで、店の家庭的ながらムードのある内装もあいまって、早いペースで飲んでしまった。
わたしは、あまり普段しないしなをつくって甘えた声で、松崎くんを見つめた。
「もう一つ、頼んでいいかな?」
松崎くんはなにか言おうとしたが、えへへと言いそうな媚びのある笑顔で見つめるわたしを見て、ため息をついて頼んでくれた。
- 01-59 名前:スイーツと香辛料
5章「告白?」2 :08/08/14 21:07:25 ID:WItfoN/q
- 「どうして松崎くんはこんな風に色んなお店に行ったりするようになったの?なにかきっかけとか?」
今日はすごく気分がよかったので、わたしはいつもより踏み込んだことを松崎くんに聞いてみた。
「うーん」
松崎くんはかなり考えたあとぽつぽつと言った。
「親が中学生の頃からけっこう連れてってくれて…その雰囲気とかが別の世界みたいで…」
「別の世界?」
「なんか外国の映画のパーティとか…そういう…うーん優雅なっていうかそんな感じが好きで色々雑誌とか見て、バイトするようになってから行ってみたりして…」
「へえ…でもホルモン焼きとかも行くよね?」
「うん。だんだんそれぞれの料理の国の文化とか…そういう違いも面白くなってきて…日本のおでん屋は他の国では何になるだろうとか…」
「すごいねー、そんなこと考えて」
「いや…全然後付けで…ただ食べるのが好きなだけかも」
「ふーん」
果実酒のせいだろうか、松崎くんのこういう話を聞いているのは、とても楽しかった。
僕なんかがレストランとか似合わないけどね、と松崎くんが苦笑した。
- 01-60 名前:スイーツと香辛料
5章「告白?」3 :08/08/14 21:26:26 ID:WItfoN/q
- 「えー色々詳しいし、なんか松崎くん落ち着いてるから似合ってるじゃん。かっこよくない?」
「作る方とかなら格好いいかもしれないけど、ただお金払って食べるだけだから…なんかいいレストランとかは年齢もそうだけど、僕みたいのじゃなく、なんか成功してる人とかが行くべきなんだろうなぁ…とか」
「ああわたしたち若すぎとは思うね。…でも」
酔ってるせいか、わたしは考える前に言葉が出る感じになっていた。
「松崎くんがコックさんじゃなくてグルメくんだったから、わたしはいつもすごく楽しくておいしい思いをさせてもらえるてるよ?」松崎くんはちょっとびっくりした顔をして目をそらしながら言った。
「よ、よかった。喜んでもらえるのは、嬉しいから」
「いつも誘ってもらって、支払いしてもらっちゃって、ごめんね?」
「…好きでやってることだから」
目を伏せながらそう言う松崎くんを見て、わたしは、もっと踏み込んでみたくなった。
「ねえ、松崎くん」
「なに?」
「どうして、いつもわたしを誘ってくれるの?」
- 01-69 名前:スイーツと香辛料
5章「告白?」4 :08/08/15 00:06:38 ID:+TWYqaqa
- 松崎くんは固まった。
「いや…その…」
「うん?」
「あんまり、こういう趣味とかまわりには変に見えるみたいで…一緒に行くひともいなくて…」
「うん」
「それで…」
「うん」
それで、どうしてわたしなの?
「高梨さん興味ありそうで、おいしそうにしてるから結構自分で選んだ店が間違ってなかったって思えるっていうか…」
「ふーん」
松崎くんのしどろもどろな話をわたしはたぶんにやにやしながら聞いていた。
ちょっと調子にのってたのかもしれない。わたしは松崎くんを見ながら心でつぶやいた。
わたしが、好きなんでしょう、と。
- 01-70 名前:スイーツと香辛料
5章「告白?」5 :08/08/15 00:28:33 ID:+TWYqaqa
- 店を出て二人で並んで歩いていると、少し足元がふらついた。
「大丈夫?高梨さん」
「うん、少し酔ったかも」
「お酒、強くないの?」
「あんまり。今日の度数強かったかも」
喋りながら、それが他人事みたいに遠くで聞こえる。ちょっと酔いすぎたかも。ふらふらしながら歩いていると何かにつまづいてバランスを崩した。
「大丈夫?」
松崎くんがわたしの体をささえている。
「ふふ」
わたしは松崎くんの腕を両手で抱えた。
あっ、と松崎くんは驚いたが、離さない。
「ふらふらするから、ささえてて」
「今日もありがとね」
「いや…」
「もうけっこう何回も行ってるね」
「そうだね。だいたい月2回くらいだから…高梨さんとはもう5、6回行ってる」
「楽しい?」
「えっ?えーと、うん喜んでもらえると、やっぱり、うん」
「わたしと一緒に行くと楽しいんだ?」
「…うん、まあ」
「ふーん」
二十秒くらい、黙って二人で歩いてから、わたしは口を開いた。
「もうつきあっちゃおうか?」
- 01-72 名前:スイーツと香辛料
5章「告白?」6 :08/08/15 00:53:34 ID:+TWYqaqa
- きっと松崎くんは驚いてあたふたするだろう。そう思っていた。でも松崎くんは前をむいたまま、ずっと黙って歩いていた。
どれくらい経ったかわからないくらい時間がすぎて、松崎くんはぽつんと言った。
「無理だよ」
「え」
そう答えたきり、わたしの思考は止まってしまった。無理って、無理ってこと?嘘。松崎くん、明らかにわたしのこと好きじゃない?
「なんで?」
わたしは予想外の答えにちょっとむきになっていた。ほんの思いつきでつきあっちゃうと言ってしまったのだけど、断れるとは思わなかったから。
「ねえ、なんでよ?」
松崎くんはしばらく考えてから、はっきりわたしの目を見つめて言った。
「僕と高梨さんじゃつりあわないし、僕なんかじゃ自分とはつりあわないと高梨さんも思ってる」
静かだけど、強くそう言い切った。
「そんなこと…」
言いかけてわたしは絶句してしまった。頭がぐちゃぐちゃでまとまらない。
「そんな…つりあうとか…関係ないし…わたし、そんなこと…思ってな…」
最後の語尾は言えなかった。松崎くんがわたしを見つめているのがわかる。わたしは強い視線がこわくて目をそらした。
そのまま長いあいだわたしと松崎くんは止まっていた。長い沈黙。先に動いたのは松崎くんだった。
「嘘だよ」
乾いた声で松崎くんはそう言って、ゆっくり私の腕を外した。
「じゃあ…」
松崎くんはわたしを見ずに早足で駅に歩いていく。
正直、しばらくボーッとしてなにがなんだかわからなかった。えーと…。
あれ?
これは、もしかして…わたし、ふ、ふられた?
5章終
- 01-75 名前:スイーツと香辛料
6章「落ち込み」1 :08/08/15 02:14:50 ID:+TWYqaqa
- 次の日二日酔いで一日ねていた。日曜日でよかった。
だんだん回復していくうちに麻痺してた思考がまわりだしてくる。
「アーッッッ!」
思わず枕に顔をうずめて叫んでしまった。足をジタバタさせる。
なんてことだ。ひどい。恥ずかしい。…悔しい。
過去に二人の人とつきあった。一人は中学の時でバカなのですぐふった。
もう一人は高1の時別の高校の人と遊んだときに会った1コ上の人。この人とはそれなりの関係はもった。
遊びとかノリでとかで男の子とそういう関係になったことはない。
そのあまり多くはない経験からしても、男の子―特に高校生くらいのーはいつもガツガツしてて、隙をみせると手を出してくるし、ゆるすと癖になる。
珍しく紳士的にふるまってくる人は本気で好きになった人―これもつきあってしばらくすると、ね―だいたいこれらは間違いないはずだった。
- 01-76 名前:スイーツと香辛料
6章「落ち込み」2 :08/08/15 02:23:29 ID:+TWYqaqa
- いくら遊びとかに慣れてなさそうな人でも二人分一万円位になる食事に5回も6回も誘ってきてたんだよ?
それは、そういうことでしょう?
「無理だよ」
冷たい声。その後すごく強い目で見つめられた。あれじゃこわくてごまかせない。
「つりあわないと高梨さんも思ってる」
…あまりに図星だったから、何もいえなくなってしまった。でも。それならなんで何度も誘ったの?
涙が出てきた。嫌な想像ばかり出てくる。
もしかしたら、彼は下心なんてなかったのかもしれない。変わってるし。
本当にただ自分の選んだ店で喜ぶ人が見たいだけでたまたまわたしを誘っていたのかも。
だとしたら昨日のわたしは…バカ?勘違いさせないようとかいって自分が勘違いしてたということ?
母さんが心配になって見にきたくらいの声でまた二回叫んだ。
はあ、別にいいじゃないか。酔ってたし気まぐれで言っただけだし。…気まぐれのはずだし。
- 01-97 名前:スイーツと香辛料
6章「落ち込み」1 :08/08/17 00:47:40 ID:pLe/SbU2
- 「は、くだらない」
誰にきかせるともなく一人でつぶやいて、月曜日の憂鬱な教室にむかった。
教室に入り、中をみまわす。
いた。
こちらをふりむきそうになった瞬間おもいっきり無視してやるようにみさきの方へふりむいた。
ふん、て感じ。
は? そんな人いましたっけ?
結局、その日から二週間わたしはあまり見もしなかったし話もしなかった。
「葉子」
「…なに?」
「…こわい。にらまないで」
「え、にらんでた?」「うん。ブスだったよ」
「ブス…」
ため息をついてうでを枕に頭を机におしつけた。
「ブスだよねー、わたし」
「えー?葉子どうしたの?」
「んー…」
みさきはわたしをしばらく見ていった。
「葉子、最近変だよね?」
「んー」
「ちょっとイタイみたいな?」
「マジで?」
自分ではそれほどでもないつもりだったのだけど…。
「葉子、最近松崎くんと喋ってないよね?」「…わかった?」
「ていうかね、正直バレバレだった」
「あー」
「なんか無視してるけどすごい意識してるし」
「うー」
「ちょっと葉子、大丈夫?しっかりしなよ」みさきにうながされ、わたしはそのことを話した。
- 01-101 名前:スイーツと香辛料
6章「落ち込み」4 :08/08/17 16:13:37 ID:pLe/SbU2
- 「なるほど」
みさきはイスの背もたれにひじをかけて、わたしの話を一通り聞いたあと、そう言った。
「私誘ってくれないなんてひどいじゃん」
「ごめん」
たぶん、彼は月二回二人分が精一杯だったと思うから、三人でとかなかったと思うけど……。みさきと彼で二人? やだ。
「それで、葉子の結論は?」
「結論?」
「葉子は今こうなってて、これからどうしたいの?どうなりたいの?」
わたしはどうしたいのか……そうだ、それに直面しなきゃいけないんだ。
「それは…」
「うん、それは?」
「こんな風に自分がなっちゃってるってことは……」
「うんうん」
「やっぱり、そういうことだよねえ……?」
「そう思うけどね」
そうだよね、と答えてから、わたしは呆然としてつぶやいた。
「びっくりだよね」
「かなり。私からするとけっこう驚愕なんだけど」
「そうだよね……」
わたしは机につっぷした。
「どうしよう……」
みさきはわたしの頭をよしよしと撫でた。ありがたかったけど、わたしは顔を上げられなかった。顔が熱くなっているのがわかっていたから。
要するに、わたしは気づいてしまったわけだ。彼、松崎くんに対する、自分の気持ちの変化に。
「どうしよう……」
もう一度わたしはつっぷしたまま、つぶやいた。
「んー、ああいう人ってあんたみたいのが誘えばコロッといくんじゃないの」
「馬鹿」
6章終。7章「告白」へ。
- 01-132 名前:スイーツと香辛料
7章「告白」1 :08/08/21 01:00:09 ID:6zwUx/0g
- 「高梨さん」
顔をあげると松崎くんがいた。正直、心臓が飛び出すかと思った。
「少し話したいことがあるんだけど……」
ちょっと怯えも入っているけれど、強い意思が宿った目でまっすぐわたしを見つめて、彼はそう言った。
「え、あ、う、うん」
バカみたいな受け答えをしてわたしは松崎くんにうながされついていった。廊下を歩きながら、半月以上ぶりに松崎くんと口を聞いたことに気づいた。前を行く彼の背中を見ながら、ホッとしたり、嬉しい気持ちがこみあげてきたり、どんな話があるのか不安になったりした。
図書室に松崎くんは入った。昼休みで誰もまだいないようだ。隅の長イスにわたしと松崎くんは座った。
松崎くんは目をとじてゆっくり深呼吸みたいなことをしている。ひさしぶりに間近で見る松崎くんの髪、首筋、とじられた瞼を思わず見つめてしまった。時間がゆっくりと流れてると錯覚してしまうほど、わたしはふれて感触をたしかめるように彼を見つめていた。
「高梨さん、この間はごめん」
意を決したようにこちらをふりむいて松崎くんは言った。
「……わたしも酔ってたから」
違う。そんなことを言いたいのではないのに、体が思ったようには動いてくれず、わたしは目をそらしてしまった。
「勝手な思いこみでひがんだようなことを言っちゃって」
「……」
わたしは答えられなかった。
「ごめんなさい」
「そんな……。いいよ、全然」
頭をさげる松崎くんを直視できず、わたしはそれだけいうのが精一杯だった。
「ほんと……気にしないで……」
- 01-133 名前:スイーツと香辛料
7章「告白」2 :08/08/21 01:02:44 ID:6zwUx/0g
- 松崎くんはしばらく黙っていた。彼の顔を見れないからどんな表情でいるかわからない。
「……高梨さんは、優しいね」
松崎くんはぽつりと言った。それを聞いて、わたしはもうたえきれなくなった。
「どうしたの!?」
松崎くんがあわててわたしの肩に手をおく。一度泣いてしまうと、止まらずにわたしは下をむいたままでいた。椅子の下の床に涙がぽたぽたと落ちる。
「松崎くん間違ってないよ」
「え……?」
「わたしは……」
その後は言葉にならずわたしは腕で涙をぬぐいながら喉をならして泣いた。
「あの時松崎くんの言ったこと、本当だよ」
そう言ってわたしは立って図書室から出ようとした。
「待って」
松崎くんがわたしの手をつかんだ。わたしは振り払おうとする。松崎くんは驚いて転びそうになりながら、でも手を離してくれなかった。わたしはあきらめて腕をつかまれたまま松崎くんを見た。松崎くんもわたしを見て言った。
「あの……、えっと、また、誘っていいかな? また面白い店見つけたんだけど」
「……ふぇ?」
意外すぎて変な声を出してしまった。
「高梨さんと一緒に店に食べにいくのが、……僕にはすごく楽しいことで……」
「……」
「その、前のことがあってから、もうそんな機会はないと思ってたんだけど……、もう一度誘ってから諦めてもいいかと……違う!そうじゃないや」
わたしがびっくりして顔を上げると、松崎くんは頭をふって自分の腿を殴った。
「その、今みたいな言い訳とかしてる自分があまり好きじゃなくて、前のこともそういう自分だったからああいうことを言ってしまったから、つまり」
言葉を切って松崎くんは言い切った。
「高梨さんと一緒にレストランとかをまわるのが、僕には今一番楽しい大事なことなので、よければまた行ってください!」
松崎くんは顔を赤くして肩で息をしている。長い時間がすぎて、ようやくわたしは口をひらいた。
- 01-134 名前:スイーツと香辛料
7章「告白」3 :08/08/21 01:11:05 ID:6zwUx/0g
- 「わたしなんかじゃないほうがいいよ……」
とても不器用で格好悪いと言ってもいい、しかもよくありそうなテンパり方の松崎くんの誘いを、わたしはいつものわたしみたいに寒いとは思わなかった。
むしろ自分の価値観をしっかりもっていて落ち着いてるように見えた松崎くんにわたしに対してこんな生な反応をしてくれることに感動すらしていた。でも、だからこそ。
「さっきも言ったように、わたしは松崎くんが言うとおりのことを松崎くんに対して思ってたから」
また涙が出てくる。言わなくていいことをわたしは言ってる。スマートなやり方じゃない。馬鹿みたいだ。
「かまわない」
松崎くんは即座に言った。
「え」
「それはお互い様で、僕も高梨さんのことを色眼鏡で見てたから。だから心をほんとには許さないようにとか」
「……」
「でも実際に目の前で話している高梨さんは、ちゃんと話してくれたし、一緒に楽しんでくれたし、自分の先入観の方を実際に自分で見た高梨さんの方より信じるのはおかしいと思って」
「それは演技してただけかも?だまされてるだけかもよ?」
「それでもいい。僕は言いなりになってるわけじゃないし、自分が本当に好きなことしかしないから。
それを高梨さんが一緒してくれたら、それが演技だろうと嘘だろうと、自分にとっては、その、一番価値のあることだから。……何言ってんだろ僕、恥ずかしいね」
松崎くんが照れ笑いをした。わたしも笑ってしまう。
「恥ずかしいと思うんだ?」
「ちょっと自分らしくないことしたから。でも言わない方があれだから。自分の価値は自分で決める。さっき高梨さんと一緒においしいものを食べるのは、今僕にとって一番大切なことだから」
松崎くんは、迷いなくそう言い切った。
「……ありがとう。うれしい」
わりと素直に笑顔をそう言えた。
「松崎くんがそんなにクサいこと言うなんて思わなかった」
「そうだよね。凄い恥ずかしいけど……もし笑われてもいいと思って。それでも高梨さんと一緒に遊んだときの楽しさは変わらない、って言いきかせて」
「わたしがそういう嫌なことしても変わらないの?」
不可解だ。
- 01-135 名前:スイーツと香辛料
7章「告白」4 :08/08/21 01:15:21 ID:6zwUx/0g
- 「この間からずっと考えてたんだけど……例え笑いものにあとでされても、やっぱり変わらず自分にとって大事なものだって結論になった。
……僕は馬鹿なのかも。高梨さんがよっぽど好きなのかな」
そう言って、松崎くんはあからさまにしまったという顔をした。つい口をついて出てしまった言葉なのだろう。
「いや、今のは……」
「松崎くん」
「え? はい」
「わたしも、好きです」
「えっ」
「嘘じゃなくて、今は本当にわたしは松崎くんのことが大好きです」
不思議と落ち着いて言えた。
「お願い。わたしとつきあってください。わたしにとっても松崎くんが一番大事です」
「……」
愕然とした顔で松崎くんはわたしを見てる。可愛い。わたしは離れていた腕を松崎くんにからませて彼に体を預けた。
「あっ」
驚く松崎くんの胸に顔をおしつけ、背中に手をまわした。
「返事をきいていい?」
混乱した松崎くんが落ち着きをとりもどして、ちゃんと返事をくれるまでにまた長い長い時間がたった。
こうしてわたしと松崎くんはつきあうことになった。なぜかもうまったく迷いはなかった。
それも当たり前かもしれない。
わたしをあんなに価値ある存在だといってくれた人はいないし、しかもわたしはあんな嫌なやつだったのに、それでも変わらないと彼はいったのだ。
好きになっていたことに気づいた人にそんな風にいってもらえるなんて、わたしほど幸せな人なんていないじゃない。
そのことの前では、もうさえないとかオタクとかはどうでもよかった。
7章終。 8章「のぼせる葉子」へ。
・
- 01-198 名前:スイーツと香辛料
8章「のぼせる葉子」1 :08/08/25 01:14:09 ID:ngXlJwb5
- もうすぐ夏休みになる。
この休みには母と父が二人だけで旅行にいく。
姉は家を出ているのでわたし一人になるが、まったく心配しなくていいと強くすすめて1週間夫婦水入らずのローマ旅行にいかせることに成功した。
「というわけで」
校舎裏の目立たないベンチで彼氏によりかかりながらわたしはいった。
「お父さんお母さんがいない1週間のあいだ、泊まりにきて」
わたしの彼氏―松崎啓はわたしが自分の胸に頭をあずけてきただけで動揺していたのに、このお誘いをきいて完全に冷静さを失った。
「ちょ、ちょっと待って」
「ま・た・な・い」
ニッコリ笑ってわたしは啓くん―最近こう呼びはじめた。こう呼ぶと恥ずかしがる姿が可愛い―をさらに追いつめる。
「大丈夫だから。きっと楽しいよ? 1週間わたし一人だけなんて危ないでしょう?」
「あ、危ないのはそうだね……。でも……」
「なあに?」
「その泊まるのは……」
「なんでだめなの?」
「なんで!?」
わたしはクスクスと笑いながら、口を啓くんの耳に近づけた。
「なにか期待してるの?」
啓くんが声にならない声をあげる。
「た、高梨さん」
「啓くん」
「う……」
「名前で呼んで」
「よ、葉子さん」
「もう。さんはいらないのに」
わたしは不満で口をとがらせたが、ゆるしてあげた。
「せめて一泊とかにしない?」
啓くんは観念したように、でも最後の妥協策をいった。
もちろんわたしは頭をあずけた胸から啓くんを見上げて満面の笑みでいう。
「い・や。1週間ね」
絶句しやがて肩を落として降参した啓くんにまたわたしはささやいた。
「ねえ啓くん」
「な、なに……?」
「期待、しててもいいよ?」
また啓くんは絶句した。
- 01-199 名前:スイーツと香辛料
8章「のぼせる葉子」2 :08/08/25 01:16:44 ID:ngXlJwb5
- 「……変わったね」
みさきは処置なしというように首をふって言った。
「ふふふ」
「1週間も何すんの? やりまくるの?」
わざと下品な言い方でみさきはいう。
「さあ? 啓くん次第ではそうなるかもね~」
「…はあ」
みさきはあきらめたようにため息をついた。
「幸せそうだね」
「うん」
「松崎くんってそんなにいい男なんだ?」
「うん」
「どこが?」
「聞きたい?」
「う……」
「聞きたいの?」
のろけられる、とみさきは嫌な顔をする。
「……まあいいか、言ってみて」
「あ、聞くんだ」
「なによ」
「いや、えーと。……わたしあんまりノリがいいとか強引な男の人とか好きじゃなかったみたい」
「あー、そうかもね。葉子ちょっと合コンとかもひいてた感じするかも」
「やっぱそう?みんなしてるし、できないとダサいと思ってたから合わせてたんだけど……なんか体に合わない」
「それで松崎くん?」
「そう……うん、でも」
わたしはため息をついた。
「でも?」
「啓くんはわたしにはもったいないかも」
「はぁ!?」
みさきはクラスの皆がふりかえるような大声を出した。
「声がでかいよ……」
「どうしたの葉子。正気?」
「うるさい」
「わたしにはもったいない……いつの時代の話?昭和?」
「……」
「なんでそう思うの?むしろ松崎くんでしょう?そう思うとしたら」
「……啓くんは、ちゃんと自分の価値観もってるから、そういうのにあんまり左右されないよ」
「へえ」
「わたしが舞い上がって告っちゃったから、つきあったけど本当は啓くんは乗り気じゃないかも……」
「なんでそう思うの?」
「……」
「それで1週間泊まらせて体でつなぎとめるみたいな?きゃー」
「そんなんじゃないけど……」
「……でも、あんたがそんなになってるし、別のもきてるみたいだし、松崎くんマジでプチブレイクするかもね」
「……別のって何?」わたしが不穏な空気を感じで低い声でいうと、みさきは意地悪な顔で笑った。
「近づいてる女がいるらしいよ、松崎くんに」
- 01-200 名前:スイーツと香辛料
8章「のぼせる葉子」3 :08/08/25 01:20:10 ID:ngXlJwb5
- 啓くんに近づく女がいる―。わたしはみさきから恫喝まがいの迫り方で、その噂のことを聞き出した。
宮本まさみ。違うクラスだ。啓くんが色々なレストランをめぐっていることを聞きつけて、一緒に行きたいなどと誘っているらしい。
わたしは敵情視察のためこっそり彼女のいるクラスにきた。
「あれ?葉子じゃん」
友達が声をかけてきた。
「どうしたの?」
「いやなんでもないんだけど……このクラスの宮本さんってどの人?」
「宮本さん?あそこ」友達が指さした先をわたしは目を細めてみた。
……やばい。かわいい。
「……宮本さんってどんな子?」
「えー、いい人だよー何か天然?」
「……モテそうだね」
「超モテる。ギャルって感じでもないし、誰とでも仲良くしてるからねー。ちょっとブリッ娘?でも彼氏いないみたいだよ」
最悪だ。状況がどんどん悪くなっていく。
「でもなんで?」
「なんでもない。ちょっと話に出たからさ」
「へえ。あ、葉子聞いたよー、なんか変な人とつきあったんだってー?」
友達の質問に上の空で適当に答えながらわたしの中では焦りや不安がうずまいていた。
「わたしにはもったいないかも」
もし彼女が、本当に彼にふさわしい人だったら?
先走りすぎな考えが、頭にいすわって離れなかった。
8章終。9章「肯定による改心」へ
- 01-214 名前:スイーツと香辛料
9章「肯定による改心」1 :08/08/30 22:20:24 ID:OgO5dJux
- わたしは渦巻く不安や焦りのなかで、どうしたらいいか悶々と考えていた。
わたしは啓くんの彼女で、相手は―まあ、たしかに可愛いけど……―天然でちょっとダサいただの女子の一人。気にする必要なんてない、とクールに無視しよう。眠れずにあちこち迷走したあとに、わたしはわりと無難な結論をだした。
「おはよう、……葉子さん」
まだ名前で呼ぶのに慣れない感じで啓くんがわたしに声をかけた。
「お、おはよう」
なぜわたしは動揺してるのだ。
「ね、ねえ啓くん?」
「うん」
「こ、今度どこいこうか?」
「ああ、京都に本店がある喫茶店が東京にもあるからそこに行ってみようと思うんだけど?どうかなあ?」
「うん、すごく行きたい。……それでその」
「うん?」
「最近とかわたし以外に誰かと出掛けたりする予定なんかあったり……ごめんなんでもない」
「え?」
啓くんは戸惑っている。てゆうかわたしは馬鹿か。意識しまくりである。
「いや……ないよ。今入ってる予定は葉子さんとのだけ」
「あ、そ、そうなんだ」
嬉しい。啓くんの腕に自分の手をからませる。
「わ、よ、葉子さん」
「ふふふ。啓くん、好きだよ」
「……っ!」
啓くんが目に見えて動揺してる。わたしもそれを面白がりながら少し顔が赤いかもしれない。
「……最近啓くんが色んなお店行ってるのけっこう知られてきてるみたいだから……」
「ああ……そうかな?」
「うん」
「へえ。そういえばたまにそういう話してくる人いるなあ」
絡ませていた腕が自然にかたまった。
「それって、……誰?」
わたしのあからさまに低い声にも気づかず啓くんは言った。
「宮本さんだったかな。料理研究会の人で……」
- 01-218 名前:スイーツと香辛料
9章「肯定による改心」2 :08/09/02 21:37:46 ID:m9Jy19Bw
- 「聞いちゃったよー」
みさきが意地悪そうな顔をしてわたしの前の席に座った。
それでなくても朝に啓くんに聞いた宮本まさみのこと―といっても料理研究会の人で色々な料理に興味があるから自分に話を聞きにくる、ということくらいしか啓くんは言ってなかったが―で穏やかじゃない気分だったので、わたしは嫌な顔をした。
みさきのこの表情はきっと悪いニュースをもってきたにちがいないから。
「なに?」
「ふっふっふ」
「なによ」
「さっき廊下で松崎くんと宮本さんの話してるの聞いちゃった」
「……っ!」
「聞きたい」
「……」
「いいの?じゃあ……」
「ちょっと待って!」
立とうとするみさきのシャツをひっぱって座らせる。
「ちょっとやめてよ、スカートから出ちゃうでしょ」
「ごめん。で、なんて言ってたの?」
「いやあ」
「いやあじゃなくて」
「彼女さんが羨ましい~」
「……!?」
「私もつれてってほしいなぁ~」
「……」
「いやあ、天然ブリッコの威力はすごいね」
「……啓くんはどんな感じだった?」
「うーん、まあいつも通りといえばいつも通りだけど……」
みさきがにやっと笑って言った。
「まんざらでもない感じ?」
- 01-235 名前:スイーツと香辛料 9章「肯定による改心」3 :08/09/20 19:42:02
ID:seaWIPdj
- なんとかしなければ。わたしは延々とベッドの上で寝そべりながら考えていた。ふと以前の啓君との会話が思い出される。
……
「松崎くん、今日はこんな服装で大丈夫かな?」
「ああ…ギャルって感じだね。」
「うーん、髪染めてる。なんか髪がグネグネしてる。化粧が濃い。財布とかバックが似た柄?あとは…」
……
そんな会話があった。やっぱりギャルなんて啓君は嫌いだよね……。意を決して、わたしは準備のため家を出た。
次の日、待ち合わせて、老舗の喫茶店にむかう途中で啓くんが言った。
「葉子さん、……どうしたの?」
「え、なにが?」
不自然な笑みなのが自分でもわかる。
昨日危機を感じたわたしは考えた。啓くんの好みそうな見た目はどんなだろうか。
髪はストレート、黒く染める余裕はなかったので、急しのぎでダーク目にし長いスカートに春色のニットカーディガンだ。
コンサバなお嬢様風。きっとギャルっぽいのよりこっちの方が啓くんの気に入ると思ったが、呆気にとられている啓くんの顔を見て急激に羞恥心がおそってきた。
「格好がずいぶん変わったような……」
「う、うん……その……」
声が小さくなる。
「こういうのの方が、啓君好きだと思って……」
「ええ?」
啓君は驚いた顔をしている。
「ギャルっぽいのとか啓君きらいでしょ……?」
「そんな……」
啓君はわたしの手を握って、そっと肩に手においた。
「葉子さん、大丈夫?」
「大丈夫……」
うつむいてわたしは言った。もう最悪。なんでこんなうつむいた感じになっちゃうんだろう。
「葉子さんの格好できらいなのなんてないよ」
「だって、ギャルっぽいって前言った……」
「え!? あ、ああ前に言っちゃったよね、ほんとごめん!」
「もっと普通の子みたいなほうがいいんでしょう?」
「いやいやいや」
啓君が慌ててる。でもわたしもそれどころではなかった。
「啓君は、ほんとはわたしとつきあってたくないんじゃないの?」
「えええ」
「もっとほかの子とか……」
「そんなことないよ!」
啓君が大きな声でいった。わたしはびくっとして顔をあげる。真剣な目だ。
「そ、そんなことないよ……僕は……葉子さんが、その」
「だって……」
「だって?」
「啓君、最近宮本さんとかと仲いいって……」
自分でもびっくりするくらい大粒の涙がながれた。
「み、宮本さん!?」
わたしがしゃくりあげる感じになっているのと同時に、啓君も混乱しきっている感じだ。
「ち、違いますよ。宮本さんってどこからそんな話が……」
「宮本さんが啓君を誘ってるって……」
「え? いや断ったよ!」
「え?」
「あの、誘われたというか、そういうのでもないけど、僕が一緒にレストランとかいくのは葉子さんだけだからって言ったから!」
「……!?」
道の真中で、わたしと啓君ははっとまわりに気付いてだまって見つめあった。
- 01-263 名前:スイーツと香辛料9章「肯定による改心」4 :08/10/08 01:57:26
ID:NggPzEH3
- 喫茶店にはいり、啓くんが注文をとってくれてるあいだも、わたしは胸の鼓動がとまらず目の焦点もさだまらないような感じだった。
「僕が一緒にレストランとか行くのは葉子さんだけって言ったから!」
啓くんがそう言って、道のまんなかで人がふりかえるのに気づいて急いでわたしの手をひいて喫茶店に向かっていったときから今まで、わたしはまわらない頭でその言葉の意味を考えていた。
今考えれば痛いとしか思えないことをして啓くんにひかれた恥ずかしさと相まって全然思考がまとまらなかった。
「葉子さん、とりあえずコーヒー頼んだけどいいかな?ここのは最初からミルクと砂糖が入っているけれど…」
「え? あ、うん。大丈夫だよ。ちょっとぼーっとしてただけ」
「え?…そう」
しまった。わたしの様子をきいたのかと思ったら、全然違った。なにずれた返事をしてるんだわたし。
「お待たせしました」
「はい、どうも。…葉子さん」
「…」
しっかりしなきゃ。なんでわたしはこんなに動揺してるんだろう。
「葉子さん?」
「…え?ああっ!ごめん大丈夫だから!」
「そ、そう」
「じゃなくてコーヒーきたんだよね!?」
砂糖の入っている壷をつかむ。
「あ、葉子さん
- 01-265 名前:スイーツと香辛料9章「肯定による改心」4の続き :08/10/08 02:02:15
ID:NggPzEH3
- 「あ、葉子さん、砂糖もう入って…」
「えっ!?あっ…」
テーブルの上に思いっきり砂糖をまきちらしながら壷が倒れる音がした。しかも私のコーヒーカップまでなぎたおしながら。
「大丈夫、葉子さん!?」
啓くんが駆け寄ってくる。わたしは下をむいて、盛大にかかったコーヒーで染まったスカートをみた。
「もう、最低…」
両手で顔をおおってわたしは泣き出した。今日は厄日だ。ひどい日だ。もういなくなっちゃいたい。
- 01-349 名前:スイーツと香辛料 9章「肯定による改心」5 :08/11/12 08:14:37
ID:LCmam1N/
- 椅子を後ろ足でけとばすように立ち、店を飛び出した。
「葉子さん!」
啓君の声をふりきって外に出て、人目のつかない路地に飛びこんだ。
「痛い」
イタイよわたし。悲しい。どうして啓君を惹きつけようとするとこんなことになるんだろう。恥ずかしい。何この格好。帰りたい…
突然両肩をうしろからつかまれた。声を出してしまう。
「見つけた」
啓君が息切れしながらそう言った。びくっとしたわたしを逃がさないように後ろから抱きしめられた。
「あっ…」
痛いくらい強く抱きしめられる。啓君らしくない。わたしは別の意味であせりはじめた。
「コ、コーヒーがついちゃうよ」
「いいよ」
そう言ってもっと強く密着してきた。いや、いいよっていわれても。
わたしはしばらく身じろぎしていたが、あくまでわたしをつかまえてはなさない啓君に負けて、力を抜いた。倒れるようによりかかる。
啓君はわたしが力を抜いたのを見てほっとしたように両腕をゆるめた。
「葉子さんがこのままいなくなっちゃうかと思った」
- 01-353 名前:名無しさん@ピンキー :08/11/12 21:43:07 ID:LCmam1N/
- 「……」
「よかった。火傷とかしてない?」
「大丈夫…」
「しみになっちゃうかな」
「け、啓君、その…」
「帰るか…服を買おうかな」
「啓君、あの、これ」
そういって今もわたしの体にぴったりまわされてる腕をさした。
「うん」
そういうものの、啓君はまったくはなしてくれる気配をみせない。
「は、はずかしくない?」
「ううん」
「そ、そう…」
どうしたのだろう、今日の啓君は……。わたしは戸惑いつつも体をもっとあずけて、テンパっていた自分がおちついてくるのを感じていた。
「葉子さんは、いや?」
「ううん…そんなことないけど」
くるり、と啓君がわたしを正面にむかせた。とっさのことだったのでまっすぐ啓君と目が合う。
一瞬わたしの息がとまったすきに啓君は今度は正面からわたしを抱きしめた。
「ありがとね」
「え、えっと?」
「色々気をつかってくれて」
「……」
「そのせいですごい負担かけさせちゃって…」
「それは…わたしが」
「ごめんなさい。そのおかげで葉子さんが好きってあらためてわかった」
「えっ…」
「あと、その…」
「……?」
「よ、葉子さんが、その、僕のことが好きなのもわかった」
息をのんだ。今度は自分から啓君を見つめる。
そのまま長い時間がすぎてから、わたしは笑って啓君の胸に顔をうずめた。
「わかった?」
「うん、ちゃんとわかった」
「啓君も、わたしのこと好き?」
「好きです。本当に好き」
わたしは胸の中でうごかない。このままでいたかった。
- 01-354 名前:スイーツと香辛料
9章「肯定による改心」7 :08/11/12 21:45:56 ID:LCmam1N/
- 「ごめんね。葉子さん」
「なにが?」
「僕がまえにギャルがどうとか言ったからじゃない?今日の…」
「あ、うん、いや…」
「あの時は、僕が、ええと…間違ってた!」
「え?」
「葉子さんとか友達の人とか、なんていうか綺麗な感じで華やかで―変とかっていう人もいるかもしれないけど―
今思うと、そういう人にちょっと憧れてたんだと思う」
「……」
「でもそんな人は、僕とかを下に見たりするんじゃないかなとか、そんな風に思ってて…」
それは、本当だ。わたしは……。
「でも、葉子さんが一緒にお店いってくれるようになって、その、つきあって、
今日とかこんな風に気をつかってくれて……自分の偏見だったな、って」
「見た目が似てても、皆が同じなわけではないとわかってたんだけど、
葉子さんで本当に実感した」
「……」
「だから、ごめんね。ありがとう。……大好きです」
啓君がゆっくりと、でも普段にないくらい饒舌に話すのをきいている間わたしはいたたまれない気持ちでいた。
涙が啓君の服をぬらしている。
「ごめんなさい……」
「うん?」
「わたしは、全然そんな風にいってもらえるような子じゃなくて!全然わたしは……!」
耐えきれず叫ぶように話すわたしの唇に啓君がひとさし指をあてた。
「え?」
「大丈夫。わかってる。葉子さんはそんな風にいえるひとだよ」
穏やかな笑みで啓君はそういって、…キスをしてきた。
はじめての―はじめてだったのだ―啓君の感触に、わたしは驚き、…やがて目をとじた。泣きっぱなしだったけど。
啓君の言葉はわたしがいわなきゃいけなかった。
彼みたいな人を、どうしてわたしはあんな風にみて、あつかってきたのか。こんなに自分を幸せにしてくれる人だったのに。
わたしが本当に「変わった」のはこの時だったと思う。
そのキスのあと、どうなったのかは、言わない。
9章終。10章「一週間」に続く。
- 01-387 名前:スイーツと香辛料
10章「1週間」1 :08/12/04 16:35:38 ID:/rbhK8SS
- 心配性の両親が飛行機のチェックインの時間よりかなり早くつく時間にでるを見送って、
わたしは一人残されたうちの中で解放感につつまれていた。
少し親不孝かもしれないけれど、
今日から1週間わたしとかれのふたりきりの時間がはじまるのだ。
部屋は夏休みに入ってから入念にかたづけて、必要なものもそろえた。
その場のノリできめていこうと思うけれどやりたいことも何度もリストアップした。
あとはかれが来るのを待つだけだ。
啓くんは、わたしの大失敗の日以来すこし変わった。
その変化を思い出すだけで口元がゆるんでしまう。
みさきが「松崎くんもうすっかり葉子の彼氏になったね」といってるくらいだからまわりにもわかるのだろう。
二人でいるのが自然な感じにみえていればいいな、と思う。
少なくとも啓くんがそう感じているように見えることが、わたしを安心させる。
「あとは…」
ソファーに体をあずけてわたしは誰ともなくつぶやいた。
期待と不安が胸に切傷みたいにひびく。
啓くんは今日から1週間泊まりにくる。
その間ふたりきりなのはかれも知っている。
「わかるよね…」
でも、とかれには聞けなかった懸念がよぎる。
かつての自分の経験、過去、かれはそれを嫌がっていないだろうか…。
わたしがかつて「嫌いじゃない」ことを発見したことへの期待を軽蔑されたりしないだろうか。
ソファーのクッションをだいてわたしは黙りこんだ。
でもしばらくしてからわたしはふふっと笑って目を細めた。
「そんなの関係なくなるくらい、誘惑しちゃえばいいんだ」
- 01-388 名前:スイーツと香辛料
10章「1週間」2 :08/12/04 16:39:55 ID:/rbhK8SS
- 11時10分前ぴったりにインターホンが鳴った。
「はい」
「あ、松崎です…。葉子さん?」
「うん、今開けるね」わたしは普段着っぽく、
でもそれなりに考えた服で啓くんを出迎えた。
「どうぞ。道迷わなかった?」
「大丈夫…おじゃまします」
啓くんは不安げにうちのなかをみまわした。
「どうかした?」
「いや…」
わたしは啓くんの手をとってひきよせた。
「あっ」
啓くんがバランスをくずしてわたしにもたれかかってくる。
「啓くん、まだうしろめたいんでしょう?」
啓くんは態勢をたてなおしわたしの言葉をきいてはっとした顔をした。
「うん…、ちょっとね。葉子さんといられるのは嬉しいんだけど…
こんな大それたことしていいのかなって」
啓くんわたしの肩に手をおいて困ったような顔でいう。
「うん、そうだよね。わたしのわがまま。親に悪いともおもうけど…」
わたしは啓くんに抱きつく。
「どうしても一緒にすごしたいの」
啓くんは一瞬とまどい、その後わたしの腰に手をまわした。
「ありがとね。葉子さん」
一瞬強く抱きしめて啓くんはわたしの手をとった。
「1週間お世話になります。荷物はどこにおけばいい?」
「うん、わたしの部屋」
手をつないでスキップしかねないような感じで二階の部屋にいく姿は
たぶん他人がみたら相当ひくようなものだったろう。
- 01-398 名前:スイーツと香辛料
10章「1週間」3 :08/12/05 10:25:50 ID:exh8SRFU
- あまり見栄とかはったりはしなくていい。だけどやっぱり可愛いとは思われたい。
考えたすえに自分の部屋をわたしは少しだけいかにも「女の子」風な小物や色づかいをふやしてみた。
啓くんは同年代の女の子の部屋にはいるのははじめてだといっていたので、
これでドキドキさせられるかも、とわたしは含み笑いをしながら部屋に入った。
「どうぞ、荷物はそこにおいてね」
「あ、はい…。…きれいな部屋だね」
「そ、そう?ちょっと子供っぽくない?」
ちょっと恥ずかしくなってわたしはおおげさにベッドに腰かけた。ぽん、と弾む。
「ううん、いや、なんていうか、こういう女性の部屋に入るのはじめてで…」
啓くんは予想通りドキマギしながら目を泳がせている。
「啓くん」
わたしは両手をひろげて啓くん微笑んだ。
「え、いや、その」
啓くんは顔を赤くする。
「おいでー?」
わたしはからかうようにおどけていう。
啓くんはかわいそうな位動揺し、ゆっくりとわたしの腕のなかに入ってきた。
「葉子さん…」
啓くんがわたしの背中に手をまわす。
しばらくそのままわたしたちはくっついていた。
「葉子さん、ちょっと僕で遊んでるでしょう」
苦笑しながら啓くんがわたしの耳元でさ
- 01-400 名前:スイーツと香辛料
10章「1週間」3の続き :08/12/05 10:40:57 ID:exh8SRFU
- 苦笑しながら啓くんがわたしの耳元でささやく。
「えー、そんなことないよ」
とわたしは余裕ある感じの声で返す。じつは本当にそんなことはなく心臓が痛いくらい早く鳴っていたのだが。「そうかな…?」
「そうだよ」
啓くんはそうか、といって少し安心したようにわたしをだきしめてきた。
「その、えーと、葉子さん」
「なあに?」
「馬鹿なこというみたいだけど…」
「うん…」
「幸せな感じとかこういうのをいうのかとか思ったり、その…」
啓くんのどもりながらの、でもおどろくほど素直な言葉にわたしはちいさく息を吐いた。この人はこういうところ幼いくらい無防備だ。その無防備さにわたしは泣きそうになる。
「わたしも…本当にそう思う」
「本当?よかった…」
「きっと忘れられない思い出になると思う」
「そ、そう。思い出になったときにも一緒にいれたらいいけど」
啓くんがぼそっと言う。それを聞いてわたしは強く抱きついた。
「一緒だよ、絶対」
正直、もうこの1週間を一緒にすごす目的ははたされちゃったと思うくらい、このときわたしは幸せだった。
- 01-428 名前:スイーツと香辛料
10章「一週間」1 :08/12/23 17:10:48 ID:3pGorMef
- ベッドによりそって座ると啓くんは部屋の隅をみて言った。
「あの袋とかはなに?」
「あれは泊まりのために色々買ってきたの。料理とかしようと思って」
「そうなんだ!ありがとう。じゃあお昼作ろう」
啓くんは急にいきいきとして買ってきたものを見ている。
変にサフランとか香草の瓶とか買ってきちゃったのは当たりだったみたいで、目を輝かせている。
「すごい!色々あるねー」
「ちょっと料理とかもっとやろうと思って。そのついでもあって」
「そうなんだ。費用僕ももたせて」
「いいよ」
「いやいや僕も使わせてもらうんだから…食材は?」
「ある程度は冷蔵庫に、あとはまた買ってこようかなって」
「そうなんだ!」
啓くんはうれしそうにお昼何を作ろうかとわたしに話してきた。
好きなことをやっていたり話している啓くんは本当にテンションが高い。
喜んでくれている姿を見てこの準備は正解だったなと思った。
「じゃあ台所いこうか」
「うん!」
料理はあるものとたくさん買った香辛料を活かせるものということで、ブイヤベース(のようなもの)にきめた。
わたしは料理は苦手で啓くんも料理を作る方はあくまで色々なお店の料理をよりはっきり味わうために少しやっているだけということなので、
あまり本格的なものを目指さず~っぽくいこうと考えたわけだ。
「緊張するなあ。ごめんね失敗したら」
「ううん、一緒に作るのが楽しいから」
啓くんは昼食の出来に責任を感じているらしい。
啓くんならそうだとは思ったけど、わたしに過大な期待をかけてまかせたりしてこないのに
ホッとしたようなちょっと釈然としないような複雑な気持ちになった。
啓くんがもってきていた料理の本を見ながら調理をはじめた。
二人ともあまり手慣れていないので手間取ったが、
二人で野菜を切ったり海老をむいたりして話していると
啓くんがとてもリラックスして楽しそうにしているのがわかって、退屈はまったく感じなかった。
「あとはサフランとスパイスを入れて…」
啓くんが本を見ながら分量を計る。
「よし」
サフランが入り、鍋の中が黄色く色づく。そうするとそれなりにブイヤベースっぽくなった感じがした。
「あれ?」
啓くんが表情をくもらせた。
「どうしたの?」
「なんか黄色すぎるような…こんなもんかな…。あっ!しまった!?」
啓くんが本を確認して叫ぶ。
「ど、どうしたの?」
「…分量まちがえちゃった」
- 01-429 名前:スイーツと香辛料
10章「一週間」5 :08/12/23 17:14:56 ID:3pGorMef
- 啓くんが落ち込んでいるのを励ましながらも、
わたしはそのへこみ具合が可愛くて笑いそうだった。
「大丈夫だって。ちょっと辛いけどそんなに変わんないよ」
「ごめん…」
先ほどまでの勢いがうそのようにうなだれて啓くんがつぶやく。
「…やっぱり」
「ん?」
「いや…」
「やっぱり、なに?」
「…調子にのるとうまくいかないなぁって」
「調子にのる?」
「うん…」
「のってたの?」
「うん…」
「全然わからなかったけど…」
「…」
啓くんの顔がすこし赤いような気がする。
「ねえ、啓くん?」
「…葉子さんにいいとこ見せられると思って…」
小さな声でそう言って啓くんはうつむいた。ああ、そういうことか。
「わたしにいいところ見せたかったんだ?」
「うん…」
「それではりきってたんだ?」
「うん…」
「得意分野の料理がきたみたいな?」
「…そう、ってなんで葉子さんそんなニヤニヤしてるの?」
「えっわたしそんな顔してた?」
気づかなかった。でもたしかにわたしは彼の言葉に可愛いなあと思っていた。
マイペースで動じないようにみえる啓くんがわたしにそんな風に見栄をはってくれることがうれしかったから。
「このスープは啓くんみたい」
「え?」
「なんかそんな気がする」
「…どういうことだろう?」
啓くんが首をひねる。わたしにもよくわからない。
スープを口にしてその味をたしかめる。ちょっと辛くて色も不思議。でも。
わたしは突然腰をあげてテーブルごしに啓くんにキスをした。
呆然とする啓くんにわたしは、
「大好きってこと」
といっていたずらっぽく笑った。
- 01-440 名前:スイーツと香辛料
10章「一週間」6 :09/01/01 02:34:47 ID:jNwz06JN
- 食事のあと部屋に戻ってゆっくりとこの一週間にやりたいことを話した。
啓くんはこっちの方のレストランを探して予約してくれていた。
またわたしの育った町や学校を見てまわりたいというのでそれも予定にいれた。
料理のリベンジも毎日やることにした。時間はたっぷりあるのだ。
そんなふうに予定を組みつつも、
わたしが一番したかったのは啓くんとこうしてとりとめもなくゆっくり一緒にすごすことだったので、
午後いっぱい二人で話しているのがとても楽しかった。
夜は地元の家族でよくいく欧風料理屋にいった。啓くんがいきたがったのだ。
「せっかく葉子さんの地元に来てるから知りたい」という。ちょっと恥ずかしい。
「このカレーはおいしいね」
「うん、ここの名物。黒胡椒の粒か大きいの」
「ほんとだ」
ちょっと顔馴染みの店長さんとかに見つからないいか心配だったけれど、混んでいたせいか大丈夫だった。
「おいしかった。雰囲気のいい店だね」
「そう?気に入ってもらえてよかった」
「うん、また行きたい」
「一週間あるからまた行ってもいいね」
「…そうだよね、一週間…泊まらせてもらうんだよね…」
啓くんが小さな声でつぶやく。そうこれから一週間啓くんはうちに泊まっていく。
啓くんは色々な心配で身をかたくしている。わたしも少し緊張していた。この一週間の最初の夜がくる。
啓くんはわたしに触れてくるだろうか。
9時過ぎにうちに帰ってきて、予約しておいたお風呂のお湯加減をみながらわたしはぼんやり考えていた。
啓くんは性格上、ちょっと驚くほどそういうことをしてこない。
わたしがねだったりしてようやくキスしてくれるくらいだ。
啓くんは異性とつきあうのがはじめてだし、遠慮してるのかなと思っていた。でもそれにしても、と思う。
- 01-441 名前:スイーツと香辛料
10章「一週間」7 :09/01/01 02:38:51 ID:jNwz06JN
- わたしは正直そういうことがきらいじゃない。
前に一人だけつきあっていた人とそういう経験をしただけで遊んだりしていたわけではないけれど、
わたしは彼氏に求められて断れないという友達とかとは違って、
わりとむいているというか積極的な方のようだ。
だからこの一週間の泊まりはやっぱりそういう意味もあって計画した。
さすがに啓くんでもそのことはわかってると思う。
実際レストランからの帰り道こわばっていたのもそのせいじゃないだろうか。
お湯はあたたかかった。自分の部屋へむかう。
一緒に入ろうかとさそってみようか迷う。今朝は啓くんを誘惑しまくろうとか意気込んでいたのに、
実際面とむきあうとできない。それはある不安からだった。
「お風呂わいてるよ」
「どうも…。葉子さんお先にどうぞ」
「お先に…か」
「え?どうかした?」
「…別に」
わたしから誘いをかけたら啓くんはわたしを「ギャル」として軽蔑しないだろうか。
それがわたしの不安だった。啓くんは前にわたしにそんな風にみないといってくれた。
わたしも啓くんに偏見をもっていた自分がなんてバカだったんだろうと思って変わった。
でも前にわたしがそういうことを覚えたのは、
わたしが変わる前でいわゆるギャル的なつきあいかたや終わり方だった。
前の彼氏はそれほど嫌な人ではなかったし、後悔しているわけではない。
でも啓くんはそれをどう思うだろうか。きっと気にしないといってくれると思う。
でももし啓くんがわたしに手をだしてくれない理由がそこにあったら。
わたしから誘いはかけられない…。
「よ、葉子さん?」
「…ごめん。なんでもない。啓くん先に入ってきて。お客さんなんだから」
笑っていう。
「…葉子さん、もしかして怒ってる?」
「ううん…」
静かに答えてベッドに腰かける。横にいる啓くんの方を見ず「お風呂いってきなよ」という。
…しばらくして啓くんがわたしをだきしめてきた。
- 01-442 名前:スイーツと香辛料
10章「一週間」8 :09/01/01 02:42:54 ID:jNwz06JN
- 「ん…啓くん?」
「今日葉子さんがだきしめてくれてすごく安心できたから。
僕もやってみようかなって」
「…ありがとう」
体を啓くんにまかせる。啓くんは後ろからだきしめながらわたしの両手をつつみこんだ。
わたしは啓くんの顔をみた。きっとわたしは赤くなってる。
「葉子さん、かわいいね」
啓くんがゆっくりキスをしてくれた。
わたしは一瞬とまって、ちからなく息をはいた。
「嬉しい」
「え?」
「啓くんからは、あまりしてくれないから」
「あ、ああ。いや、ごめん」
慌てている。
「もっとして」
わたしは目をつむっていった。啓くんが息をのむのがわかる。
少しして啓くんの唇の感触を感じてわたしのスイッチが入ってしまった。
そっとふれるように、でも相手を支配してしまうように、
相手をやさしくうけいれるように、あるいは相手の思うままに自分がうばわれてしまうように、
わたしは啓くんをもとめた。
啓くんは戸惑いながらもわたしにこたえてくれる。
わたしはまずいと思いながらも我慢しつづけてきた衝動に身をまかせてしまう。
「ごめんね。軽蔑しないで…」
行為をとめずかすれるようにいう。
啓くんは揺れる瞳でわたしを見ながらはっきりいった。
「葉子さんを信じてるから」
啓くんが力をこめてわたしをだきしめる。
「むしろ僕が葉子さんを傷つけるくらい狂っちゃいようでこわい。」
啓くんがわたしの首筋に口づけをしながらいう。
わたしは気を失いそうだった。
「大丈夫だよ。わたしも啓くんを信じてるから」
あとからふりかえると赤面してしまうようなことでもいい、
おだやかであたたかなふれあいであるとともに、
強引でおたがいが溶けて変わってしまいそうな危険がわたしは好き。
啓くんの手のままに染められてしまうような戯れも好き。
わたしが啓くんを翻弄してあやつるのも好き。
そのあやうくてでも相手をとても近くに感じることをしたい。
わたしは自らそこに溺れようとしていた。
…一週間たった。色々なことがあった。それを細かくはいわない。
でもこの一週間でわかったことがある。
わたしはもうはなれなれない。啓くんをけっしてはなさない。
- 01-443 名前:スイーツと香辛料
エピローグ :09/01/01 02:46:02 ID:jNwz06JN
- ぼやけてしまうような、あたたかく陽があふれている日だった。
長い坂道をわたしと彼は歩いている。
スローモーションのようなまばたきするたびにすごく時間がすすんでいるような不思議な感じだ。
わたしは彼に微笑みかけ、そのあと急にはしりだした。
彼はわたしを目でおいかけて、
おもいきり陽の光に視力をうばわれてしまう。
わたしは坂道の上まで走った。彼を見下ろす。
最初はこんなふうにわたしが上にいるつもりだった。
彼がのぼってくる。同じ場所にたつ。
「坂きつかったね。やっと平らになった」
彼が笑う。
「うん。ここに啓くんと一緒に立てた」
「うん?」
「最初から、普通に、同じところで同じ目線でいればよかった」
「…葉子さん?」
「啓くん」
「…」
「本当にごめんね。ありがとう」
わたしは頭をさげた。
音が消え、すべてが止まった、と思うくらい静かな時間が流れる。
わたしはゆっくり頭をあげて、真っ正面の啓くんを見た。
「今日は、わたしがお店見つけてきたんだ」
「本当?ありがとう!」
「今日はわたしのおごり」
「え、それは…」
「お願い、そうしたいの」
「葉子さん…」
わたしは啓くんに右手をさしだした。
「行こう」
「うん」
啓くんがその手をとる。
穏やかな陽光の奔流に蒸発しそうに感じるほど包まれながら、
わたしたちは同じ高さの道を踏んで新しい場所へきえていった。
その手をけっしてはなさないで。
スイーツと香辛料 終
最終更新:2009年07月17日 14:45