03-893 :わたしは恋をする 1/13:2011/10/05(水) 23:27:22.63 ID:PlU7frUa
第一話

 あーあ、今の私って“やな女”なんだろうな。
 そう思いながら冷やかに目の前の少女を見やる。

 いかにもこの前まで高校生でした、という風の幼さをまとった少女。
 流行の色に髪を染めて、きちんと化粧をして、爪の先まで気合の入った
英恵(はなえ)を見上げる瞳は怯えている。

 どうしてこんなことになったんだっけ、どうしてこんなに汚く
なっちゃったんだけ、どうして――。
 つるつると心の上辺をすべる思考を切ったのは、少女のか細い声だった。

「あの、雄介さんの彼女、さん、ですか……?」
 ゆうすけさん、だって。
 黒く焦げ付くような怒りがぶわりと腹の底からせりあがり、
英恵はとっさに眉をひそめることで堪えた。

 それでも、意地悪な声は彼女の理性を振り切って唇からほろほろと
零れ落ちていく。
「彼女じゃないよー」
「えっ」
「ただ、仲良かっただけ。週一でセックスするくらいに」
 一瞬期待した後にどん底に落とされて、呆けたように立ちすくむ
少女に、英恵は優しく微笑んでみせた。

03-894 :わたしは恋をする 2/13:2011/10/05(水) 23:33:23.88 ID:PlU7frUa
 実際、雄介と英恵は仲の良い友人というくくりで収まる関係ではあった。
 普通と違ったのは、そこに体の関係が含まれるという点だけだ。
 もっとも、これまで雄介に特定の恋人はいなかったし、英恵に至っては
雄介以外にも複数の男と関係があった。

 にっこり笑って小首を傾げるだけで、男はすぐ言うとおりになる。
 男たちの独占欲を浴びて、それが爆発する寸前で逃げるのが快感だ。
 たがだが二十歳になったばかりの小娘が興じる遊びではなかったが、英恵は
いつからか奔放にそれを楽しんだ。

 雄介も彼女ほどではないが同種の人間だった。
 気軽に英恵と寝て、後腐れなく、そのことで生じるさまざまないざこざを
楽しんでいる風でさえある。いや、あった。
 
「でもねー、あんな可愛くって純粋そうな子にまさかはまっちゃって、
しかもそんなことになってようやく私も気づいちゃうなんて、ばかなのかなぁ」
「さっきから何言ってんのかわかんねーよ酔っぱらい」
「私もよくわかんない」
「バーカ」
「ムカつく」
 勢いよくジョッキをテーブルに叩きつけて、けれど思った以上に硬く大きな
音が響きわたったことに慌ててまわりを見渡す。
 大それた意地悪をしでかすくせに小心者な彼女を鼻で笑って、佐藤は
グラスに口をつけた。

03-895 :わたしは恋をする 3/13:2011/10/05(水) 23:44:09.69 ID:PlU7frUa
 サークルも学年も違う。佐藤とは確か学園祭の警備でパートナーを
組まされ、そこからだんだんと飲み友達になった。

 電話番号は知っていてもメールアドレスは知らないし、飲むときに
必ずたこわさを注文することは知っていても彼女がいるかは知らない。
 そういう、楽な相手だ。

「佐藤って最初はもうちょっと礼儀正しかった気がする」
「そっすか? 尊敬の念が消えたかな」
「……あーそうですか」
 年下なのにずけずけとものを言うところも楽でいい。
 空いたジョッキをテーブルの端に押しやって、そろそろ焼酎でも
いくかとメニューを広げる。
 下戸の佐藤は、ジントニックをちびちびと舐めるように飲んでいる。

「で、結局何。今日ってふられたから残念会?」
「ふられたんじゃないもん。付き合っても告白してもないんだから」
 子どものように頬を膨らますと、佐藤が大げさにため息をつく。
 雄介ならこういう仕草をすると「英恵かわいい」とにこにこしていたっけ。
 そんなことを思い出しては心臓がじくじくと痛む。

 振られていないけど「寝るのはもうやめよう」と言われた。
 「俺、やっと好きな子できたよ」と言われ、真剣な顔で「俺は英恵も
大好きだから幸せになってほしいよ」と言われた。

 まさかその瞬間に恋心を自覚するなんて、ばかもいいところだ。

03-896 :わたしは恋をする 4/13:2011/10/05(水) 23:53:06.14 ID:PlU7frUa
第二話

 こんな日に他の男のところに行ってもむなしいだけだ。
 それでも、雄介が何度も訪れたマンションに帰る気にはなれなくて、
佐藤と別れたあとすぐに男の家に足を向けた。

 男は英恵が急に訪ねてきたせいか少し驚いたようだった。
 けれどすぐ柔らかく笑って抱きしめてくれる。
「どうしたの英恵、酔ってるの?」
「飲んだからね」
「肌が赤い」
 くすくす笑いながら、男の指が英恵の首を撫で、V字にゆったりと
広がったニットの胸元を撫でた。
 英恵は敏感だ。
 あっという間に心臓が跳ねて、耳に息を吹きかけられると途端にくたりと
体の力が抜けた。

 服の上から、ブラジャーのホックをはずされる。
 一気に脱がされるかと思いきや、男はニットの上からごく軽く、乳首を
こすった。
 ぴくんと震えた肩に男は目を細くした。深い呼吸でどうにか平静を
保とうとする英恵の呼吸の合間をぬってもう一度。少しごわついた布地と
一緒に敏感な部分を押し潰され、英恵は思わず声を出す。

 のけぞった喉元に舌が這った。ああ、とため息にも嬌声にもとれる
音がもれ、煽るような自分の声に英恵は顔を赤らめる。
「ベッド、行こ、よぉっ……」
 男の首筋にかじりついて許しを請えば、男は満足げな笑い声を喉の奥で漏らした。

◇◇◇



03-897 :わたしは恋をする 5/13:2011/10/05(水) 23:56:23.97 ID:PlU7frUa
 雄介の夢を見た。
 まだ体の関係もなく、雄介くんと呼んでいた頃だ。
 その頃にはもう英恵はすっかり英恵で、色んな男に手を出しては
問題を起こしていた。

 誰の男を寝取っただの、どこのサークルの男が食われただの、色んな
噂――もちろん真実もたくさんある――に疲れていた頃だ。
 その日もなんとかくんの彼女とかいう女が友人を連れて文句を言いに
サークルの部室まで来ていて、浴びせられる悪口にうんざりしていた。

「調子乗ってるよねー。大して可愛くもないのにさぁ」
「ねえ。人の男取って楽しい? 汚い女」
「サイッテー。ブスのくせに」
 英恵も自分のだらしなさは自覚しているので彼女たちを非難することも
できないが、それでも傷つくものは傷つく。
 嵐に堪えるように無言を突き通す英恵に飽いたか、女たちは口々に
罵りながら、やがて離れていった。

 部室に英恵しかいないからいいものの、誰かが来たら気まずくて
恥ずかしいなあという焦りもあったから好都合だ。
 ほっと息をついたところで、カランと何かが落ちる音がした。

 まさかと壁際に回ってみれば、空の缶ジュースを慌てて拾い上げる
雄介と目があってしまった。

03-898 :わたしは恋をする 6/13:2011/10/05(水) 23:59:42.29 ID:PlU7frUa
 横に吹き出しをつければ間違いなく「しまった!」と書いてある
顔に、すべてを悟る。
「あー、びっくりした。女の子って怖いよね」
「……雄介くん、見てたの? いつから?」
「ジュース買いに言ってたんだけど……入りづらくて」

 苦笑する雄介に慌てて謝ると、彼は首を振って、
「大丈夫だよ英恵ちゃん。英恵ちゃんは可愛いんだから」
ぽんぽんと頭を撫でた。

 「大して可愛くもない」とか「ブス」とか言われたことで英恵が
傷ついていると思ったのだろう。
 英恵が傷ついたのはもっと別の何かだったが、思いもかけない
優しい声と手に泣きそうになった。
 もっと撫でてほしかった。
 優しさに触れていたかった。

 なんだ、結局はじめの方からずっと好きだったのかと気づいたときに
目が覚めて、場違いに明るい空気に英恵はこっそり目元をぬぐった。


03-899 :わたしは恋をする 7/13:2011/10/06(木) 00:03:08.23 ID:PlU7frUa
第三話

 家に帰りたくなくて、友達の家を転々としている。
 雄介とあの可愛い子がめでたく付き合い始めたと聞いて、サークル
からも足が遠のいた。
 最初は男たちの家に通っていたが、はたと気づいてしまってやめた。
 物腰や顔立ち、体つき、みんなどこかで雄介に似ていた。雄介の
代りに色んな男と寝ていたのかと自分の執着をつきつけられて、
いたたまれなくなって連絡を絶った。

「俺ン家だけはやめてくださいよ。英恵さん料理できなそうだし」
「お客様に家事をさせる気?」
「普通家に泊めてもらったお礼に料理とか片づけとかすんじゃねーの」
「男も家事できないともてないよ。私は顔がいいから大丈夫だけど」
「いや大丈夫じゃねーし」
 佐藤と飲む回数もぐっと増えた。
 雄介とは似ても似つかない粗野な言い回しがありがたい。
 「佐藤と友達でよかった」とにっこりすれば、うんざりした顔で
おざなりな返事をされた。
 まったくもってかわいくない後輩だ。

「英恵さん、こんな毎日飲んでたらダメになっちゃうんじゃね」
「毎日じゃないもん」
「ほぼ毎日じゃん。俺、誰よりも英恵さんと会ってる気がするんだけど」
 雄介とはもう会わないの、とにやにやした顔で聞かれ、冷酒を
ぶっと吐き出すはめになった。

03-900 :わたしは恋をする 8/13:2011/10/06(木) 00:05:20.79 ID:PlU7frUa
「ゆ、ゆ、ゆう」
「別に噂にはなってねーよ。英恵さんが酔っぱらっては雄介の
話するだけ」
「雄介さんって呼びなさい。佐藤の方が後輩なんだから」
「そこかよ!」
 ぱん、と強めに額をはたかれて英恵はうめく。
 うなるついでに「もう会わない、ようにする」と決意をぼそぼそと
言ってみた。
「私、雄介のこと、すごく好きだったみたい。だからもう、誰とも
寝ないでおく。……いや、寝るなら雄介と全然違う人にする」

 だらしない自分がこのままずっと男と寝ないのは無理だろうという
確信もあって、結果的には消極的な決意になった。
 佐藤はむっつりと黙りこんで英恵を見ている。
 不機嫌そうな顔に、英恵はふっとほころぶように笑った。

「佐藤っていい子だよね。もしかしなくても心配してる?」
「ばっかじゃねーの。あんなテンプレみたいな天然に負けるとか」
「しかもね、すっごいくだらない意地悪もしちゃったよ」
「あーあ、やな女」
 ぽんぽんと小気味よい悪口が降ってきて、英恵はふふふ、と笑う。
 笑ううちに視界がにじんだ。ふふふ、と声を出すとにじんだ視界が
ぱちんと零れる。ぱたぱたと頬をすべり、てのひらに落ちた。
 笑い上戸だと思っていたが、案外自分は泣き上戸なのかもしれない。

◇◇◇



03-901 :わたしは恋をする 9/13:2011/10/06(木) 00:07:21.67 ID:Hf7FbQep
 会わない会わないと言っていれば本当に会わないものなのかと
英恵は少なからず驚いた。
 バイトの仲間が数人立てつづけに辞めた。おかげで英恵のシフトが
増え、それを理由にサークルに顔を出すことはほぼなくなった。
 最後に「あんまり来れなくなる」と挨拶に行ったときでさえ、
雄介は講義でいなかった。

 店長に言ってなるだけたくさん、そして遅くまでシフトを入れて
もらえば、家に帰っても夢も見ず眠れる。
 大学に行ってまじめに講義を受けて、ときどき友達や佐藤と飲む。

 そんなことを数ヶ月繰り返して、ゆっくりゆっくり、心に残る
雄介の気配を薄めていく。

 うまくいったと思っていたそれは、けれど、一度でも会ってしまえば
たちまちに揺らぐ程度の浅いものだったのだ。
 久しぶりに、しかも中庭の自動販売機なんて微妙なところで
ばったりと顔を合わせてしまい、英恵は頭が真っ白になった。

「英恵! 何かすっごく久しぶり。サークル来いよー」
 彼女に意地悪を言って困らせたこと、聞いてないの?
 そう言いたくなるほど爽やかな笑顔だ。
 羞恥と場違いな怒りがぎゅうっと心臓を縮みこませ、それなのに
その笑顔を見ているとそこに甘い疼きが加わる。

03-902 :わたしは恋をする 10/13:2011/10/06(木) 00:16:58.60 ID:Hf7FbQep
 まだ好きかもしれない。断定すると一気に崩れてしまいそうで
怖いから、臆病にも空とぼけてみせる。
 好きかもしれない。
「雄介、久しぶり。彼女は元気?」
「あ、そうだよ。英恵、あいつにすごいこと言ってくれたね」
「……あー……可愛いからつい意地悪言っちゃった」
「泣かれたよ。参った、あれは」
 苦笑しながらもひとみが優しい。
 泣かれて、たぶん文句もたくさん言われて、雄介はきっといっぱい
謝って、そうしてうまくいったのだ。

「よかったね、雄介」
 心からの言葉だった。
 雄介がこんな風に笑うことを英恵は知らなかった。泣く女をそれでも
自分の手元に必死に置いておく男だということも。
 すべては彼女が相手だからだ。
 だから胸を噴き出すような感情に蓋をして笑ってみせる。
「英恵は最近そういうのないの?」
 鈍い男め。憎まれ口を喉の奥に押し込む。
 邪気なく微笑む雄介に、力ない笑みを返したときだった。

「あ」
 雄介と英恵の声が重なった。それからもうひとつ、第三者の声も。
 引き寄せられて、どんと肩が誰かの胸板にあたる。雄介の
きょとんとした視線をたとって、英恵も視線を持ち上げる。
 
 面倒くさそうに眉根を寄せた佐藤の目が、英恵をまっすぐに
睨みつけていた。

03-903 :わたしは恋をする 11/13:2011/10/06(木) 00:20:46.36 ID:Hf7FbQep
第四話

 英恵を引き寄せた腕をぱっと外し、佐藤が気まずげに視線を
放り投げる。
「……す、んませ、ん」
 態度を決めかねているような声だ。
 もしかしたら絡まれていると誤解したのかもしれない。
 あるいは、雄介の言葉を聞いていたのかもしれない。

 ぎゅう、と胸が痛くなった。
 今更のように雄介の声が小さな針のようにちくちく英恵の
心臓に降りかかってくる。
 佐藤の腕をぐいと捕まえ、英恵は雄介に向かっておどけたように
微笑んでみせた。

「さっきの話、この子が関係してるかもよ。じゃあね、雄介」
「え! マジで! ちょっと待って英恵」
「やーだ! じゃあねー」
 ぱっと瞳を輝かせた雄介にけらけら笑って、英恵は佐藤の腕を
引っ張って歩き出す。
 佐藤はおとなしくついてきてくれた。

 中庭を抜け、講義棟を抜け、正門を通り過ぎる。
 病院を横目に大きな月極駐車場を横切り、マンションの
エントランスに入ろうとしたところで制止がかかった。
「英恵さん、ここは?」
「私の家。405号室」
「はぁ? 何で――」
「寝よう」
 大きく目を見開く佐藤を一瞥し、英恵はもう一度、きっぱりと言った。

「寝よう、佐藤。もう全部忘れたい」


03-904 :わたしは恋をする 12/13:2011/10/06(木) 00:27:46.77 ID:Hf7FbQep
 鈍い男なんて大嫌いだ。
 女の意地悪にも、その真意にも気付かない男なんて。
 大嫌い大嫌い、でも本当は。
 ぐるぐるとまとまりのない言葉が宙を舞い、しかし終着点も
見つけられず心のあちこちに転がっていく。

 怒りのせいか、驚きのせいか。雄介の何でもない一言に
頭を殴られたような衝撃を覚えたことは事実だ。
 寝る相手にしてはいけない男を――友達をむりやり誘ってしまうくらい。

 佐藤は目を見開いたまま、しばらく何も言わなかった。
 やがて掠れた声が「何で」と呟く。
 勢いづいたのか、英恵が口を開くより先に、
「だって英恵さん、あいつがまだ好きなんじゃねーの」

 語尾の上がらない、断定の響きに薄くわらう。
 かもしれない、なんて逃げ道をこの男は作ってくれない。
 かわいげのない後輩だ。
 でも、同時にすごく優しい。今も真剣にひとみが話しかけてくる。それで本当に
いいのか、と聞いてくる。

 その目に睨みつけられ、すっと頭が冷えた。
 とんでもないことを言ってしまったという感覚が遅れて
やってきて、英恵はうつむく。
「……佐藤、ごめん」
「うん」
「何か、きついなーって思ったときにちょうど佐藤がいたから、つい」
「ついかよ」
「面目ない」
「あんま危ないことすんなよ英恵さん」

03-905 :わたしは恋をする 13/13:2011/10/06(木) 00:30:39.74 ID:Hf7FbQep
 はあ、と荒っぽいため息を吐かれ、英恵は眉を下げた。
 自分のよくない噂を佐藤はきっと知っているだろう。
 今更誰と寝たところで変わりもしない英恵を、けれど彼は心配
してくれたのだ。

 ごめんね、と最後にもう一度謝ると、佐藤はフンと鼻を鳴らした。
「やっぱりまだ好きなんじゃん」
「はあ、そうなのかも」
「半年くらい経つんじゃないっけ? まだ忘れられないんすか」
「はあ、情けないことに」
「俺が忘れさせてやろうか」
「はあ、そ……んん!?」
 ぎょっと顔を上げる。しまった動揺した、と思ったときにはもう
顔が熱くなっていた。

 いつものほほんとしている上に男をたぶらかしてばかりいるので
誰に気づかれたこともないが、英恵はすぐに動揺するし顔も赤くなる。

 頬が絶対、赤い。
 ほとんど泣きそうな英恵を見下ろして、佐藤が心底呆れたと
言いたげに声を張り上げた。
「バッ……! 冗談に決まってんだろうが!」
 頭を豪快にはたかれて、視界に星が散る。

 ぐらぐらする頭をさすって文句を言いながら、ショックが尾を
引いていないことに英恵はほっと息をついた。
 じわ、と目元に何か熱いものが浮かんでくるのは、頭が痛いから。

 心臓は痛いし存分に引きずっている。でも、英恵はまだ笑える。

最終更新:2011年12月24日 12:09