HAPPY END(12)◆ANI2to4ndE




「……っ…………ヴィ………………」


何を残し、何を為し、何のために生きるのだろう。
何を想い、何を護り、何を愛せばいいのだろう。


「ヴィ……ラ…………」


何と出会い、何と語らい、何を目指せばいいのだろう。
何と過ごし、何と触れ合い、何を感じればいいのだろう。


「ヴィ……ラ…………っ……」


私がここにいる理由。
私がここに在る意味。
私がここに呼ばれた運命。

何もかもを受諾するのに、私は少しだけ"初心"だったのかもしれない。

全ての始まりは些細な一言だった。
そう、引き金は言葉。でもソレは小さく背中を押す見えざる手でしかない。
鉄と血の臭いに溢れた世界を私に押し付けるのはいつだって私自身の意志だ。


「ヴィ…………ラ………………」


私が決めた。
何もかも、そうするべきだと私が思ったから始めたことだ。
そして、私がやり通さなければならないことだ。
心の奥にある大切な人の悲しむ顔が見たくないから。
大好きな人達が冷たくなっていく姿なんて見たくないから。

だから、私がやるんだ。

烈火の将はいない。
鉄槌の騎士はいない。
盾の守護獣は存在しないのだ。


私が、私が――――"はやてちゃん"を守るんだ。


「……ヴィ……ラ……………………さ…………」

守る。
私しかこの場にはいない、私がはやてちゃんを守らなければならない。


「ヴィラ…………ル…………ん……」


はやてちゃんがいてくれたから、私達は本当に楽しい時間を過ごすことが出来た。
戦うだけじゃない他の生き方との出会い。
これこそが"シャマル"という存在が本当の意味で命を受けた瞬間だったのかもしれない。

そもそも、ヴォルケンリッターは闇の書の守護プログラムに過ぎなかった。
でもはやてちゃんが求めたモノは"守護騎士"という役割なんかではなくて、"家族"としての平穏。
求められたモノは血の流れない平和な時間だった。
憎しみも怒りも哀しみもない世界。ただ笑い合って、他愛のない話で盛り上がる……そんな平凡な関係だった。
それは、刺激や真新しい経験とは縁のない日常だったのかもしれない。
少し時間が経てば忘れてしまうような出来事だったのかもしれない。

だけど、そんな記憶のアルバムに写真としては残らないような生活こそが、私達には煌びやかな宝石のように見えた。
暖かい愛情。流れるなだらかで心を落ち着かせてくれる空気。
何もかもが愛おしくて壊れてしまうのが怖かった。
ずっと揺りかごに揺られるような時間が続けばいいとさえ思った。

はやてちゃんにシグナムとヴィータとザフィーラと、そして私。
五人でいられる時間は、何よりも尊いモノだった。


「……ヴィ…………ル…………さ…………ん…………」


でも、

じゃあ、

どうして、だろう。


「…………ラル…………さ…………ん……」


私は、私が分からない。


ねぇ、どうして?


どうして、どうして、私は…………こんな。
何度も、何度も、何度も――


「ヴィラル…………さ……ん………………」



はやてちゃん、ではない――違う人の名前を呼んでいるのだろう?




「はぁっ…………はぁっ…………」


ゆっくりと、身体を引き摺りながら私は静寂の中を歩いていた。

終わった、のだろうか。
全身の感覚があやふやだった。そして、あべこべだった。

本当に、おかしなものだ。
何も音が聞こえない。沈黙の世界に包み込まれてしまったみたいだ。

赤い火花を散らしながら背後で燃える背の高い樹木。
空には瞬くような星の海が広がり、見下ろす月は白銀にぬらりと光った。
両脚を引き摺るようにして歩いている私。
でも、足元の砂と靴とが擦れてもそこに音はない。全くの無音だった。


「……行か…………なくちゃ……」


砕かれたコンクリートに足を取られないように、ゆっくりと私は足を進める。

感覚的に、自分の身体に何が起こったのかはすぐに分かった。
きっと、耳がダメになってしまったのだ。
でも自分が何を言っているのかは何となく分かる。
口の中に転がした単語としてならば、耳ではなく頭が理解出来るからだ。

無意識的に手が耳へと伸びてしまう。
ふとしたさり気ない動作。ただその存在を確かめるだけの意味のない動きだ。

「あ、れ……」

だが、動かそうとした右腕は――まるで微動だにしなかった。
不思議に思いふっと視線を送る。

「ぁ……」

そこにあったのは、ぷらん、と曲がり妙な形状になった私の腕だった。
まるで出来損ないの人形だ。
操る糸が切れて、間接と骨組みとが絡まった粗悪な作り物みたい。

「ぅ……で……?」

右の橈骨と尺骨が、完全に圧し折れていた。
折れた場所は間接の少し下。腕が二箇所、曲がるのだ。
ヒモで縛ったソーセージのように、肉と肉とが独立して在るみたいに見えた。
川を挟み、中央で合体する橋梁のように骨が「ハ」の字になっている。
叩き割った角材のように薄いプレートのようにさえ見える骨が鋭さを誇示する。

ギザギザの白。ピンクの線。黄ばんだ白身。
そこには、赤い微細な肉と管のような神経が沢山へばり付いていた。

「は…………っ…………」

もちろん指は動かせない。
吹き出した血で服もベッタリと汚れていた。
不思議と、痛みはなかった。だから気付かなかったのだ。

いつの間にか、私は私自身に対する関心がゴッソリと削ぎ取ったようになくなってしまっていた。
大切なのは、今にも潰れてしまいそうな私の心を支えてくれる相手のことだけ。最愛の人の存在だけ。
私自身のことなんてどうだっていいのだ。

「う、で…………わた、しの。あ……は……、ぅ……あ……」

この時、ようやく私はいつの間にか自身のバリアジャケットが解除されていることを悟った。
魔力がなければバリアジャケットを維持することは出来ない。
そうだ。私はすべてを出し切ってもう満身創痍だ。残りカスだってないのは当たり前かもしれない。

だけど、


「ヴィラ……ル……さんのところ……へ……」


――足だけは前へと向かうのだ。

まるで何かを求めるように。
夢遊病者のように。幽鬼の足取りで。

足りない何かを埋め合わせするためなのだろうか。
まるで消えてしまったツガイの相方を探して、飛び回る孤独な鳥だ。
二つで一つ。広くなった止まり木のスペースを埋めてくれる相手を待つことが出来ない。
千切れた片翼だけじゃ絶対に飛べないと端から決め付けてしまっている。

「……っ……ぁ……!」

足元のアスファルトの凹みに足を取られ、私は転びそうになった。
前のめりに蹴躓く私。
思わず前方に腕を差し出す。だが、ソレはもはや支えとしては機能しない"右"だ。
染み付いた感覚は抜けない。
腕がなくなってしまっても当然のように、頭はソレに頼ろうとする。
慣れ切ったモノに縋りついてしまう。

強い衝撃が私の身体を襲った。

「ぐっ…………」

受身を取ることも出来ずに、したたかに下顎を打ち付けた。
擦りむいて剥き出しになった肌がじんわりと血が噴き出す熱い感覚に悲鳴を上げる。
それに当然地面は平らなどではない。
砂利、湿った土、砕けたアスファルト、飛び散ったガラスの破片……危険なモノでいっぱいだ。

「っ…………」

腹這いの体勢で思いっきり、地面に私は倒れ込んでしまった。
強打した顔の下半分がジンジンと痛む。
"支え"になれず、ただ無様に地面を叩くことしか出来なかった左の掌からも血が滲んでいるようだ。

夜露に濡れて少しだけ湿った土肌の感触が頬を汚した。
伝わって来る冷たさは心の中にまで染み込んで行くようだった。
身動ぎする私だが、片手を失ったせいか上手く立ち上がることが出来ない。
今まで考えたこともなかった。かたっぽだけで身体のバランスを取ることはなんて難しかったのだろう。

「うっ、あぅっ……ぁ……」

足掻けば足掻くほど、大地の底を這い回る深淵に今すぐにでも食べられてしまうかのような恐怖に背筋が凍った。
隻腕で握り締めようとしても、掴めるモノはぬかるんだ泥の塊だけ。
弱音と嘆き、そして呻きのために開かれた口蓋へ、杯の水のように砂利や汚泥が流れ込んだ。

当たり前だ。顔を地面に臥せっているのに、口を開けたりするから。
私は舌先に触れた苦い刺激に直接脳を揺さぶられたような衝撃を受けた。
しかも、一緒に小さな蟲を飲み込んでしまったらしい。
口の中で数ミリの物体が幾つも蠢いているおぞましい触覚が、本来味覚を司るべき感覚器から伝わって来る。

「や……ぐ……ゴッ……ホ…ッ……! ゴホッ……ゴホッ……!」

サァッと全身を寒気が走り抜けた。
すぐさま泥や蟲を大きな咳と共に吐き出す。
が、口の中を濯ぎもせずに、この苦味がなくなる訳がなかった。

「グ……ガ……ッ……ゴッ……! っ……ぁ……ゴホッ……!」

そして、その苦味を取り払うために。


「ッ……ぁ……ゴホッ!」

結核患者のように、

「ゴッ……!」

何度も、

「ガハ……ッ」

何度も、

「ぅぁ……っ……ガァッ……!」

何度も――私は咳をした。

「はぁ……っ! はぁ……っ!」

強烈な衝撃に喉の奥がヒリヒリと痛んだ。
あまりに執拗に喉を震わせたためか、肺の辺りにまで妙な違和感を覚える。
涙も溢れてくる。既にまともな機能から大分離れていた眼球が更なる液体に侵される。

「っぁ……い……かなくちゃ」

それでも、私は地面に左手を付き、グッと力を入れた。
ここで立ち止まる訳にはいかないのだ。
ヴィラルさんは絶対に生きている。そうだ、私達はまだ負けていない。

グレンラガンでは足りない。まだだ、まだ力が足りない。
私達は絶対に二人で生きて帰ると誓ったのだから。

だって、ここで折れてしまったら。

敗北を認めてしまったら。前に進むことを諦めてしまったら……。


「はぁっ…………はぁっ……!」


はやてちゃんを――仲間を裏切った醜い私自身と向き合わなければならないから。


ヴィラルさんを愛する気持ちは確かなものだ。
うん、そう。私は『はやてちゃんではなく、ヴィラルさんを選んだ』のだ。


その時、思考がぐにゃりと歪んだ。


――"右"腕がなくなってしまっとしても、私には"左"がある。

そして、訪れる転換。

――"×××"がなくなってしまったとしても、私には"×××"がある。


「ヴィ…………ラル……っ……さ…………」


――"はやてちゃん"が死んでしまっても、私には"ヴィラルさん"がいる。


「…………い……や……っ…………」


私は守護騎士としての役割を放棄して、ヴィラルさんと歩む道を選んだ。
そして、その気持ちを私は"愛"と呼んだのだ。

愛、すべてを包み込む優しい感情をそこに求めた。
弱い私は縋りついていただけだった。

『私にしか出来ないから』

そう呟いた口はどこへ行ってしまったのだろう。

心に思い浮かべた時は気が付けば真っ白な灰になってしまっている。
吐き出した言葉は、今、私の身体を焼き尽くす炎の赤へと姿を変えた。
胸に抱いた理想と想いは、もはや胸を締め付ける錆付いた鎖。


「ヴィラ……ル……さん……はやて、ちゃん……わた、私は……」


握り締めた拳を振るう相手は誰?
身を呈して護るべきは誰の命?
この心を捧げるのはいったい誰?


記憶の憧憬の中で燃えていくセピア色の写真が花吹雪を作っていた。
色あせたその四角形の中には私の"全て"が息衝いてた。

うつ伏せだった身体を、仰向けに倒す。
私の身体と同じくらいボロボロになったビルの群れを切り取る夜の闇が見えた。

ここは、どこだろう。
私は、どうしてこんな場所にいるのだろう……どうでもいいか。

スッと――――眼を細める。

霞む景色は白い靄だ。
そこには満開の星空が広がっていたはずなのに、今となっては真冬の雪原に佇んでいるみたいだ。
身体が芯から冷たくて、末端から腐り落ちて行きそうで。
ポタリ、ポタリ、と。
緑葉を伝う雨露の雫のように、指が一本一本枯れてしまいそうで。

肩を抱き、奥歯を鳴らしても何もかもがそこで終わってしまう。
ただひたすら震え続ける私。
冷え切った身体を暖めてくれる存在はどこにもいない。
ふわふわの毛布も、暖かいココアも、緋色に燃える暖炉も、何もない。

マッチの篝火の向こうにクリスマスの幻影を見たみすぼらしい少女。
死の瞬間に迎えに来た天使に一握の希望を見据えた少年。

お伽話の出来事に、冷たくなって行く自分自身を重ねる。
降り注ぐ幻想の夢物語は流れ星のように煌びやかな混沌をもたらすだけ。

ゆっくりと、だけど、確実に。

私は堕ちていく。
私は枯れていく。

私は、死んでいく。


「わら、わ……なきゃ……わらって……いない、と」


妄想、する。

てのひらに握り締めた過去を。
てのひらで転がる現在を。
愛する人と、てのひらを重ね合わせる未来を。

きっとソレは、楽しくて思わず笑い出してしまうような瞬間なのだろう。
誰もが皆笑顔で。
美味しい料理を囲んで、暖かい部屋の中でゆったりとした時間を過ごすのだ。
そこには憎しみも悲しみも争いもない。
誰も苦しんだり、涙を流すこともない――殺し合うこともない――そんな理想の世界だ。


「あは、……っ、はははははは、……っ……あは、……はははははっ」


空想でも、妄想でも、ソレが今だけ続くのならば、きっと私は幸せだ。
すぐに消えてしまう妄想で構わない。
永遠の灰色の中で死を待つくらいなら、一瞬の虹色の中に溶けてしまいたい。


「ね……? ヴィラ……ル、さんも……そう、思う……わよね?」


結ぶ手はなく、夜の風は容赦なく壊れかけた身体に突き刺さる。
迷い込んだコンクリートの檻の中で、脈を打っているのは私の身体だけだった。

温もりが欲しかった。

抱き締めてくれる厚い胸板が、
頭を撫でてくれる優しい指先が、
背中合わせに感じる心臓の鼓動が、

ここには、ない――――


「…………………………や、だ」


ない。

ここには、暖かさは、ない。

何もない。

冷たい空の下、私は一人。
真っ暗なセカイの中で血まみれで、泥まみれで、這い蹲っている。
惨めだ。私は何をしているのだろう。
だって、このままじゃ私は………………!


「……………………い…………や、」


ここには、私達が目指した「明日」はない。


「どう、して…………きて、くれないの、ヴィラル…………さん」


矛盾、している。

だって、私がヴィラルさんを遠くにやってしまったのだ。
負けないために。私達の願いを叶えるために、そうするしかなかったのだから。

いや……でも、違うんだ。
私が思っているのはきっと、多分そうじゃない。
もっと単純で分かりやすい答えが、願いが転がっているはずで。


「ねぇ、どう、して…………? どうして、なんですか、ヴィラルさん……」


縋るように吐き出す言葉は誰にも届かない。
視界に映る真っ白な靄を少しだけ濃くしてあっという間に消えてしまう。
私の血で濡れた衣服が気持ちが悪かった。
グッショリと湿った布地が身体に纏わりつく。吹き荒む風が体温を奪って行く。


「たす、け……助けて……ください……私は…………まだ……生きて、いる……んですから…………」


私は、願っていた。信じていた。
ヴィラルさんは私を助けてくれる。ヴィラルさんは私を見てくれる。ヴィラルさんは私を見捨てない。
何があろうとヴィラルさんは駆けつけてくれる。
私を包み込んでくれる。
私に温もりをくれる。

――ヴィラルさんは、私を裏切らない。絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に。


「来て…………くれますよね、ヴィラル……さん……。ヴィラル……さん、ヴィラルさん……」


それは幸せな愛ではなかったのかもしれない。
はやてちゃん達のことを忘れ去ることも出来なかった。
何もかもがきっと中途半端なままで。
愛に生きることも、死ぬことも出来なくて。

それは、迷いと戸惑いに満ちた愛。
それは、挫折という名の茨に囲まれた愛。

何もないカラッポの私には、もうヴィラルさんしか頼れるモノがなかった。
だから、呼ぶのだ。
ひたすら愛しい人の名前を。

「やだ……死にたく……ぅ……ない。こわ、い……やだ、たすけて……」


二の腕から先が折れ木のようになっている右手を空へ。
ぷらん、と揺れた私の手だったモノが赤い血液を撒き散らした。


「ひっ……! う……で…………痛い、痛い……いた…………ぁ……あアあぁあああアアああっ!」


その時、じわじわと痛みが右肩から這い上がって来たのだ。
麻痺していた感覚が復活したのだろうか。
ミッシングリンクの再度の接続。それは私がヒトとして正常な形に戻りつつある証拠なのかもしれない。

だけど、私は、


「ひぃっあぁっ……う……ぁ……が……ああぁあぁぁぁ!」


そんな覚醒は望んでいなかった。
私がまだ心を保っていられたのは、今まで「痛覚」が完全に麻痺していたからなのだ。
腕が引き千切れてまともな思考や理性なんて維持出来る訳がない。
繕ったパッチワークの精神なんて――簡単に吹き飛んでしまう。


「痛い痛い痛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛!! うひっぃあぁああアあ……し…………は、」


白い霧のような世界に電撃が走った。
私は背中を陸に打ち上げられた魚のように仰け反らせる。
口を思い切り開いて、出るはずのなかった声が壊れたスピーカーのようなノイズとなって空気を震わす。
暴れれば暴れるほど全身を貫く感覚はその勢いを増して行く。


「ひっ……ぃ……は……ふひゃ……ヵ……ぁ……ヴィラ、ルさ……ひぅ……たすけ……っ――」


辛い。
痛い。
いやだ。
いやだ。

生き汚い醜悪な感情が噴出した。
まるでヘドロのような腐臭にまみれた裸の想いだ。
精神病棟で身体をベッドに縛り付けられているクランケのように、私は血だらけの腕を振り回した。


「死にたく、な…………い……っぁああぁアア゛ア゛ア゛ア゛!! あぎっ………ひぐっ……ぉ……ぎゃアァあっ!」

振り回していた『腕だったモノ』が、私の顔面に激突した。
最初にその変化を感じ取ったのは口蓋の中だった。


「ぁっぶぃ……いぃがっ――!」


あまりの嫌悪感に思わず叫び声を上げた。
進入する、指。血塗れの指。五本の肉と骨と皮の固まりが口の中を這い回るような感覚を覚えた。

舌先が血だらけの指に触れる。鉄の味、ゾワゾワとした感覚が背筋を駆け上る。
粘膜と触れ合うゴツゴツとした感触。
ツルリ、と唾液に濡れて滑る爪。
唇から腕が生えているような異様で間抜けな光景。

思考はただ一つの言葉に占領される――


指指指指指指指指指指指指指指指指指指指指指指指指指指指指指指指指指指指指指指。
ゆびゆびゆびゆびゆびゆびゆびゆびゆびゆびゆびゆびゆびゆびゆびゆびゆびゆびゆび。


「あ、が……づぁ……ぅ……ん!」


私は堪らず更に身体を捩った。
歯と唇に引っ掛かるおぞましい物体を何とか引き離そうと左手でソレを掴む。


「ひ、あっ、ひ――」


すると、ブチッ!と何かが引き裂かれる音が響いた。
右腕が軽くなった。左手にズッシリとした重量が掛かる。

私は、理解した。
完全に肘から先の消失した右腕。吹き出す血液とブツブツとした隆起の脂質。
どす黒く変色した肉と折れ木のような骨。
私の肘から先が完全に『私の身体から離れて』しまったのは。


「うぃぁあっが……っぶぇええげぁっ!」


それは最後の一押しだった。
腕と腕とを繋いでいた皮膚が衝撃に耐え切れず破れてしまったのだ。
完全な身体からの切断、それは本当の意味で右腕が「私のモノ」ではなくなったことを意味していた。

口内から指を、手を吐き出す。
血と私の残骸を頬張り、皮膚を舐め、肉を味わい、骨を噛み砕く――とはいかない。
すぐさま左手でソレを掴み、どこかへと放り投げる。


「ひゃあああっ……はははは、はははははははは! は、は、はは…………」


呻きと嘆き、叫びの次に飛び出したのは笑い声だった。
どうして自分がこんな気持ちになっているのかまるで分からなかった。

面白い。
面白い。
あはははははははははははははははははははははははははは。
ははははははははははははははははははははは。
はははははははははははははは。
はは…………!


「……ぃ……ひぃぁっ……も゛う”…………い…………や……痛い…………死に、たい…………ごろ…………じて……ぇ………」


――私が笑ったことには理由がある。

意外と心という奴は頑丈だ。
簡単に壊れたりなんてしない。
どんなに辛い目にあったとしても、ヒトがヒトであることを辞めさせてくれない。

だから、偽りの精神異常者へと転身することを最後の理性が決して許さない。
怖い。痛い。辛い。苦しい。――逢いたい。
沢山の感情の塊の存在が、真の崩壊へと至る道を閉ざしてしまう。


「ぢが…………う…………だ……、ダメ…………やっぱり、やっばり…………じにだく…………な……ぃ」


そして、すぐさま生への懇願は死への渇望へと変わった。
鬱と躁状態が交互に訪れる。

ああ、そういうことか。
私は死ぬのも生きるのも怖いのだ。痛いのは嫌なんだ。でも死にたくはないんだ。
きっと、またすぐ変わってしまうのだろう。
私はこのままここで、死にたがりと生きたがりを繰り返すのかもしれない。
死ぬまで、ずっと。
痛みと苦しみを味わいながら、だ。
そして、無様を晒し続ける。

壊れることも出来ないまま。
まともなままで。
ボロボロの身体と意識を引き摺りながら死と生の予感に殺されるのだ。

「ヴィ…………ラル、ざ…………ん……はや゛でぢゃ…………ん……」


誰もいない。
私だけが一人で大騒ぎをして、暴れて、そして助けを求めていた。
虚空と冷たい風だけが夜を揺らす。

だけど、誰も振り向いてはくれない。
はやてちゃんも、ヴォルケンリッターの皆も、機動六課の皆も、私を見てはくれない。

片方だけになった手を振り回す。
てのひらに触れた夜の風が冷たかった。
握り締める相手のいない左手が邪魔だった。


ああ、むしろこの手もなくなってしまえばいいのに。


だって、コレは必要ない。
掴むモノはないのだ。手が手の役割をしないのなら、存在する意味もない。
そうだ。
いらないものなら、切り捨てればいい。
そうすれば裏切られることもない。
愛した人全てから見放され廃棄された私のように。
つまらない反逆に心を痛めるくらいなら初めから繋がりなんてない方がいい。

裏切ることも、裏切られることにも耐えられない。
そんな関係なんてなくなってしまうのが一番いいんだ。


そうだ。消えろ。潰れろ。なくなれ。


だから、こんな腕なんて、

壊されて
千切れて、
圧し折れて、
切り裂かれて、
捻じ切られて、
叩き潰されて、
削ぎ落とされて、


――グシャグシャに、なってしまえばいいのに。




「あ、ひゃ…………?」



その時、ゴッ、と頭上から大きな音が響いた。



「くっ……!」

鉄骨の雨が凄まじい轟音と共に地面を揺らした。
夜に赤色の液体が滲んでいく光景が見えるようだった。
クロスミラージュは視界の先、シャマルの消えた廃ビルの密集地帯が崩落していく音を聞いていた。


助かる訳がない。


半ば、そう結論付けざるを得なかった。
彼はシャマルに抱えられ、先ほどまでグレンへ共に搭乗していた。

そして、ドモンカッシュとカミナとの死闘に敗れたシャマルは何を思ったのか、ラガンを遥か遠くへと放り投げた。
おそらく突発的な行動だったのだろう。
少なくともそこに理性的な思考が存在したとは考え難い。
妄執か、倒錯的な献身か。上手く「愛」を理解出来ないその理由はクロスミラージュには分からなかった。

「ミス・シャマル。あなたという人は…………」

シャマルも即死してもおかしくないような重傷を負っていた。
圧し折れ、千切れ飛んだ右腕などその最たる例だ。
何もしなくても出血多量で死亡していたであろう傷。ショック死しなかったことが奇跡的なぐらいだ。

だが、彼女はグレンのコクピットから這い出し、夜の中へと死に体を晒した。
彼女は壊れてしまったのだろうか。
大声で笑い、そして叫ぶ声がクロスミラージュのいる場所にまで響いて来た。

(でも、それは…………ある意味幸せだったのかもしれません)

精神に破綻を来たせたのならば、それは逆に良かったのかもしれないと彼は思った。
激痛の中金切り声を上げて泣き叫びながら死ぬよりも、完全にヒトでなくなった方が苦しみは少なくて済む、という考えもあるのだ。
まともなまま全ての痛みを受け止めることは、きっと何よりも辛い結末だ。


「本当に、本当に、…………大バカです」


太陽の堕ちた世界、シャマルは最後に何を思ったのか。
彼には想像も付かなかった。まさか、彼女がこのような結末を迎えるとは夢にも思わなかった。

舞台は刻一刻と終焉に向かいつつある。
失われた楽園、それは夢の終わり。
冷たい夜のてのひらに血の赤が熱をもたらす。

そして、蝋燭の灯りのようだった彼女の魔力が、今、完全に世界からその姿を消した。


――――冷たい夜が訪れ、掌の太陽は死の地平へと堕ちる。




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285:HAPPY END(11) 神速のシトマンドラ 285:HAPPY END(13)





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