【ZOC】 絶望の器 (前)  ◆AZWNjKqIBQ



 ◆ ◆ ◆


一つの密室。
その中を一種類の、しかし無量大数で、音色は変わらずとも一つ一つに別の意味の篭った音が満ちていた。

ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ

ただひたすらの打鍵の音が、あまり広くない部屋の中に充満している。
奏者の名前は菫川ねねね。
勿論、彼女は音楽家などではなく――作家だ。
そして、作家がこの音を紡ぐという事には一種類の意味しかない。そう……、『本』を執筆しているのである。

ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ

壁際に並んだ事務机の一つに陣取り、その上に乗ったPCに向かって一心不乱に、物語を打ち込んでいる。
脳内とキーボードを繋ぐ両腕以外は一切の身動ぎさえさせず、まるでPCと一体化しているかの様に……。
まるで、彼女自身が物語りを紡ぐ機械となってしまったかの様に……。

ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ

ディスプレイからの光を反射する眼鏡のレンズには、滝の様に流れ落ちてゆく文字の爆流が映っている。
この滅茶苦茶な執筆速度。彼女を知らない者が見たら、出鱈目にキーを叩きまくっている様にしか見えないだろう。
だが、彼女の脳内にある物語は正確にPCのハードディスクの中に蓄えられていっている。

ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ

彼女は作家としてそれなりの時間を過ごしてきており、またそれなりの数を本を出版している。
だが、未だ歴史に残るような本を生み出せてはいない。世間の評価は若い時はそこそこの……程度のものだ。
しかし……、少しでも『本』の世界に踏み込んだ者ならば、彼女の才能を知らない者はいない。
彼女がどれだけ『本』を生み出す力に長けた作家なのかを知らない者はいないのだ。

ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ

キーボードが足りない。私はもっと早く書けると、溢れ出すイメージの奔流にねねねの脳が怒声を上げる。
2枚あれば2倍の本が、4枚あれば4倍の本が書けると、彼女の中で出番待ちをしている物語が猛る。
読子を見失ってより幾年。その間、一切吐き出されずにいた彼女の中の本が出口に向けて殺到していた。

ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ

彼女は『本』を書く。

ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ
ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ

世界が待望している、彼女だけが生み出すことのできる『本』を。

ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ
ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ
ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ

人類史において初。そして以後一切ない『本』を書く。
広大な宇宙において唯一。一点かぎりの『本』を書く。
全平行世界においてここにしかその可能性のなかった一冊の『本』を――……。

ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ
ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ
ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ
ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ
ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ
ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ
ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ――――――、ダッ!


……――彼女は書いた。


 ◆ ◆ ◆


土砂降りの様に鳴り響いていた打鍵の音は止み、変わって機械が規則正しく紙を送り出す音が鳴り続いている。

書き上げられた『本』は、PCの中にあってはまだ『本』であって『本』でない。
『本』とは――紙の上にのってこその『本』なのであり、これだけはどの時代、宇宙、世界においても不変だ。
故に、『本』が完成するためにはもう一手間が必要だった。

部屋の片隅に鎮座する巨大なコピー機兼プリンター。
旧い物ゆえにモノクロ印刷のみであったが、とりあえずのところ『本』を産むには足りた。
予めラインは繋がっていたので、電源を入れさえすれば後はPC側からの操作で勝手に働き始める。

その前では、『本』の産みの親であるねねねが両腕を震わして、わが子供が出てくるのを待っている。
腕の振るえは疲れからくるものではない。次の物語が書きたいという欲求からくる、一種の禁断症状だ。
久しく書くことを忘れていた身体が、思い出した快楽に早く次のものをと強請っているのである。

ねねねは拳を握り締めて振るいを払うと、顔を上げて視線を移し、どれだけの時間が執筆中に飛んだのかを確認する。
目に捉えた壁掛け時計が示す時間は放送より半時足らず……。
放送前より書き進めていた分と合わせれば、執筆に使った時間は大体一時間半ほど。
一応、短編ではあるが、それでも常識では考えられないぐらいの驚異的な速度だった。

息を吐き、身体から緊張を逃しながらねねねは再び機械から吐き出されてくる紙達を見やる。
やはり型が旧いためか、一瞬でという訳にはいかず一枚ずつ一枚ずつと、焦らすようにゆっくりとしかそれは進まない。
尤も、機械の働きがのろいというだけではなく、ねねねがそれを書きすぎたという事の方が要因として大きいが……。

この『本』を書く本来の目的はねねねが閃いた案を物語の中に隠し、それを読ませることで明知達に伝えること。
つまりは物語自体には特に意味はないという訳だった……のだが!
そもそもが、作家に意味の無い物語を書けというのが無理な話。箍の外れたねねねから零れた物語は相当な量になった。
結果として、彼女の目の前の機械はガーコガーコという家鴨の鳴き声の様な音を延々と繰り返すのだ。

それを無言で見守るねねねの顔に表情は無い。
書いている最中に聞こえてきた放送により、彼女はイリヤと士郎の死が現実となった事とラッドの死を知った。
しかし、そこで生じた感情――怒り、悲しみ、思い出の中の楽しみ、喜び――は、全てそのまま『本』に注ぎ込んだ。
故に、彼女の頬には涙が通った跡もないし、唇に噛み切った様な傷もない。それは――、


――全ては『本』の中にある。


 ◆ ◆ ◆


放送前までは、明智、ねねね、清麿、ゆたかの4人が揃っていた会議室。
机の上に広げられた大量の地図とメモ用紙、積み上げられた各種ファイル。ホワイトボードに溢れる文字と縦横に走る線。
それらはそのままにされていたが、残っていた人は小早川ゆたか、たった一人のみだった。

広い広い会議室の中、彼女はその端の方――遠慮がちな位置にポツンと座ったまま動かない。
その目の前には食堂から拝借してきたコンソメのスープ。隣りの椅子の上には仮眠室から拝借してきた毛布がある。
どちらも彼女のために気をきかして明智が用意したものだ。
しかしそのどちらにも手をつけられた様子はなく、テーブルの上のスープも彼女の食欲を誘う湯気をもう発してはいない。
広い会議室に充満する空気の様に冷たく、そして一人ぼっちの彼女の身体も、その心もまた同じように冷たくなっていた。

優しい気遣い――それがとても辛いものだと感じる瞬間が小早川ゆたかにはある。

彼女の体躯は非常に小さくてか細く、高校に上がってもなお中学……いや、小学生に間違われるほどだった。
そして、その短躯に比例するように身体もか弱く、些細なことで熱を出し、軽い風邪などで寝込むこともザラである。
なので彼女の周囲にいる人間は彼女を見守り、救いの手を何度も差し伸べてくれるのだが――……。

その手が、自分から可能性を奪ってゆく意地悪な手に見えることが多々あった。
『優しい手』は、しなくてはならない事、超えなくてはならない壁を彼女の前から易々と取り除いてくれる。
挑戦する場面を、立ち向かわなくてはならない時を彼女の前から持ち去ってゆく。

そんな時、彼女は『ありがとう』の言葉の裏でひとりぼっちの悲しい涙を流していた。
自分が優しい人たちと比べて劣っていること、弱いことを知ってはいる。
彼や彼女の行為が善意のみであることも知っている……が、それがとても居た堪れないことが多々あった。

そして今も、彼女は優しさの中で一人ぼっち。

休息をとっていてくださいという明智の言葉は、彼女からすれば役立たずの烙印以外の何物でもなかった。
そして人からの善意をそういう風に思ってしまう自分を嫌悪し、彼女の心はまた深いところに沈んでしまうのである。

ならば自分が螺旋力の保持者であることを彼らに告げればどうか――と、そんな考えが首をもたげる。
しかしやはりそれは一瞬で霧散してしまった。
告げたところで、彼らが注目するのは『小早川ゆたか』ではなく『螺旋力』の方だけ……と、思ってしまう。
螺旋力の由来を知らない彼女にとっては、それは傍迷惑で分不相応な当たりくじとしか思えない。

テーブルの上に残っている分解された首輪。
アレと同じ様に、ただ興味深いものとして観察されるだけだろうという予感に、彼女の心はまた冷える。
そして、ないとは解っていても実験台にされてしまう可能性に、彼女の身体は竦む。

結局は往くも戻るも叶わず、ただ己が無力を痛感するだけの時間を彼女は過ごしていた。


 ◆ ◆ ◆


イリヤ――イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。
先刻の放送で名前を呼ばれた彼女を思い出す度に、ゆたかの心はズキリと激しい痛みを覚える。

――ね、あなたの名前はなんていうの?

目を開いた時、その前にいた真っ白な少女。
あまりに綺麗で儚げな存在に気後れを覚えるが、彼女はそんなゆたかの心にするりと入ってきた。

――ユタカね。うん、わたしはイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。 イリヤでいいよ、ユタカ。

彼女も歳に見合わない幼い外見の持ち主で、しかしゆたかとは違って快活な少女であった。
明るく気丈に振舞い、羽があるかの様に飛び跳ね、魔法を使い、何より勇気を持っている。
そんな彼女にゆたかは共感を覚え、憧れを持ち、そして彼女を応援した。

――絶対、絶対イリヤさんがシロウさんに会えるようにって、お祈りしてます。だから……お気を付けて。

しかし、彼女は帰ってこなかった。
ただ死んだという事実だけが、あの螺旋王の声によって運ばれてきたのみだ。
送る時に握った手に、あの時のぬくもりを感じさせることも永遠に叶わなくなってしまった。

いつかああありたいと願う自分の姿を彼女に投影していたのかも知れないと、ゆたかは思い至る。
そして、そうだとするならば、その背中を押して死地に追いやった自分の無責任さに――呆れ果ててしまう。
イリヤを殺したのは……帰ってくると信じて送り出した自分の責任だと、……そう思わざるを得ない。

……柊つかさ先輩。……パズー君。……こなたお姉ちゃん。……シンヤさん。
それだけでなく、一杯の人が死んでいる。殺されかけたこともあるし、死んだ人間も確かに目にしている。
なのに――……、

……――どうして信じてしまったのだろう? 彼女が無事に帰ってくるなんて!

ゆたかの小さな頬が振るえ、真新しい涙がまだ残っていたすじの跡を辿る。
ぽたりぽたりと顎の先から粒が零れ落ち、固く結んだ手を叩いた。


ぽつり、ぽつり……と、彼女自身の様な……みにまむてんぽ、で――……。

 ◆ ◆ ◆


種は無く、未だ子を孕まず、故に静かな緑色の胎内に一人の少年がいた。

刑務所の地下深く隠された、地球を静止させるモノ。
そのコックピットにして、心臓部分。緑色の液体を湛えたシズマ管が並ぶその中に、少年――高嶺清麿はいた。

明智と話し合い、そして決定し、彼が引き受けた役割はこのアンチ・シズマドライブシステムの完全解明。
未知の世界の、それも彼が知るよりも遥かに高度な技術で生み出されたシステム。
常識的に考えれば、それを成し遂げようと考えるのは無謀な事かも知れない。
しかし、これが螺旋王の用意したハードルの一つなのだとしたら……、飛び越えて見せなければならない。

清麿は明智の考察を思い返す――螺旋王にはシナリオがあると、そして参加者にはそれぞれのロール(役割)があると。
ならば、自分の居場所はここだと清麿は判断した。
明智が盤を読み、駒の動かし方を決めるのだとすれば、自身は首輪を始めとする技術の解明こそがその役割だろう、と。

解明――それに当たってまず彼が手につけたのは、コンソールパネルの調査だ。
エレベータの前から続く細い廊下の突き当たり、球体の中央に位置する床の上には、無機質な室内には不釣合いな革張りの椅子。
その前に鎮座する台の上には、アンチシズマ管を差し込むための3つの孔。
そして、椅子と台の脇から草の芽の様にコードを伸ばし、宙で固定されている4つのコンソールパネル。

説明書がある訳でもない上に、未だ稼動してないので一つ一つ作動させて確かめる訳にもいかない。
とは言え、仮に作動したとしても想像される危険性からは迂闊なことはできないのだが……。
だがまぁ、人が操作するのならば人の道理から外れることもないだろうと、清麿はそれを覗き込み使い道を想像する。

4つのパネルには、ガラスで覆われた小さなモニターと、無数のつまみとボタン。ジョグダイヤル。円形のゲージなどがある。
状態を表すであろうモニターが真っ黒なままなので、手がかりはパネル上に刻まれたいくつかの文字のみ。
清麿はそれと睨めっこをし、またボタンの配列などを確認しながら、それを使う様を頭の中に思い浮かべる。

頭の中で組み立てたの4つのパネルを動かし、その役割を推測し、想像し――シミュレートする。
一際サイズの大きいボタンを押し、システムを起動。各種フェイルセーフを確認し、同時にエネルギーの供給状態も確認。
起動の初期動作が完了したところで、一部のスイッチをONからOFFへ。動力経路を変化させ――……。

「………………え?」

自分の想像した結果に、清麿の口から思わず声が漏れた。
推測を始める前は全く想像もしていなかったイメージが今、彼の脳裏に浮かんでいる。それは――……。

「……コレ……は、動くのか?」

そう。この炉心は、ただの炉心ではなく――動く。清麿の脳内では、今まさに浮上し、更には武装すらも見せている。
世界制覇を目指すBF団が暗躍し、エマニエル・F・Fが10年の歳月と、無数の人員、大量の予算ををかけて製造したコレは。
BF団の最終悲願を達成するための露払いとして製造されたこの超巨大兵器の名前は――……、


――大怪球 フランケン・フォン・フォーグラー。


形状は完全な球体で、直径は丁度300メートル。重量は500万トン超。超巨大――ロボット、である。


 ◆ ◆ ◆


……ガーコ。 ……ガーコ。 ……ガーコ。 ……ガーコ。 ……ガーコ。 ……ガーコ。 ……ガーコ。 ……ガーコ。

五月蝿く鳴り止まぬ家鴨の声を立てる機械の横で、ねねねは『本』を完成させるための仕上げ――校正を行なっていた。
それは作家としてのこだわり……ではなく、いや勿論それも含んではいるが、単純に手持ち無沙汰だったからだ。
普段ならば、書き終われば取り合えず編集部へとデータを転送して、溜まった疲れを癒すために爆睡するのだが、
今回はフルマラソンではなく、手慣らしのショートトラック。故に、気持ちは昂ったまま。
更には、この機械の仕事はのろいために、いつそれを明智達読者の元へ届けられるかも解らない。
なので、普段は編集に任せてしまうゲラのチェックを、自ら赤ペンを手に取って始めているのである。

とりあえずは刷り上った分を床に広げ、ねねねも床に腰を下ろしてそれを始める。
繰り返し読み返しながら、誤字脱字や文法の誤りがないか一文ずつ確認してゆく。
また、そういった単純ミスだけではなく、物語上の矛盾や違和感を覚える言い回しなどの上にも赤ペンを走らせる。
場面の前後や、台詞の後先なども、よりよい方法が見つかればチェックを入れ、書き足す内容を書き込む。

一時間と半分。全力疾走の勢いのみで書き綴っただけに、読み返せば荒も多かった。
これが元の世界での出来事ならば、編集者が苦い顔をするだろうということが容易に想像できる。
印刷されたコピー用紙のほとんど……いや、全てに赤い色があった。これから新しく吐き出されてくるものにも、そうであろう。

産み出した『本』。
それを本物の子供の様に、作家はあやし、なだめ、栄養を与え、教育し、時には叱責し……育てる。
そうして、我が子を立派な一人前の『本』にするのだ。

ダダダダ……ダダ、……ダダダダダダダダダ、ダ……ダダダダ……、ダダ。 ダダダ……ダダ。ダ。

刷られた分をチェックし終わると、早速PCの前へと戻ってねねねは修正と加筆を始める。
いつもどおりの自分。作家としての自分が、気付いた時には全て戻ってきていた。
ここが殺し合いの舞台だということも、最早意識の中にはない。

『作家』として活動している時のねねねの前には『本』だけ――……。


 ◆ ◆ ◆


ダダダダダダダ……ダ、ダダダダ……ダダッ、ダダダダダ………………ダダ……ダ、ダダダ……。

「――先生」

ダダダダ………………、……ダダ。ダダダダ、…………ダダダ。……ダ、ダダダダダ…………ダ。

「――川先生」

……ダダダダダダダ。………………ダダ。………………ダダダダダダダダダ、ダダ。……ダ、ダ。

「――菫川先生っ!」

明智が眼鏡を通して見下ろす先には、振り向き……そして、冬眠から叩き起こされた熊の様な表情のねねね。

「……大声を上げて失礼しました。ですが、何分熱中されていた様で……」
「なんだよ……」

ドスの聞いた低音をボソっと洩らすねねねに、明智は緊張の表情を浮かべ、同時に心中で苦笑する。
自分が容赦のない殺人鬼だったら間違いなく彼女は命を落としていただろう、と。
また、そこまで集中するのが作家か、とも明智は思い、ある種の羨望と尊敬の念さえ感じていた。
……しかし、正直に言って今はそんな時ではない。

「スカーが再びやって来ています」
「……アイツか」

再び……と、明智が言うようにスカーという人物がこの刑務所に接近してくるのは二度目である。
一度目は数時間前。まさに間際まで来ていたが、何のためか……恐らくは中を窺っていたのだろうが、
そうしている内にビクトリームが接近して来て、共々に離れていったのである。

「……で、今度はどーすんだ? 逃げるか?」

前回の来訪の際は、士郎とイリヤ。それとラッドの帰りを待っていたために彼らはここから動かなかった。
しかし今ならそういった理由はない。シズマドライブシステムに関しては、シズマ管を集めてから戻ってきてもいいのだ。
だが、明智はねねねの質問に対し、首を横に振って答えた。

「いえ、我々は彼を――迎え撃ちます」

聞いたねねねの顔に怪訝の表情が浮かぶ。
相手はたったの一人。そしてこっちには人数分の銃器がある――とはいえ、戦うなどという選択肢は元よりなかったはずだ。
戦うことに関しては警察官の明智を除けば素人ばかりであるし、何より化物揃いのここではその明智の実力も誤差程度なのだから。


 ◆ ◆ ◆


「今まで黙っていましたが……、菫川先生。――読子・リードマンを殺害したのはスカー。彼です」

ガタリ――と、ねねねの座っていた椅子が彼女の驚きと動揺を汲み取って音を鳴らす。
そしてねねねは顔に何とも言えない驚愕の表情を浮かばせ、黒いフレームの中の眼を見開いていた。
同じ様に大きく開きわなないている口で、どうしてわかった? ……とだけ、彼女は言葉を発する。

「私は最初、読子・リードマン殺害の犯人は
 ルルーシュ・ランペルージ、カレン・シュタットフェルト、スパイク・スピーゲルの3人ではないかと疑っていました。
 その移動先から逆算できる移動ルートを考えれば、彼らが読子・リードマンと接触していた可能性は高い。
 そして、リストから得られる彼らの経歴を見れば、積極的でないにしても殺人を厭いはしないと考えたからです」

ねねねは明智の言葉を聞き、慎重に頷く。明智ほど明確にではないにしろ彼女もあの3人を疑っていたのだ。
推理は得意ではないが、一番近くにいたのである。ともかく疑いやすい。

「……しかし、彼らの後の行動を見るに、どうやらその線は薄いだろうと思いました。
 彼らは他者と接触し、組を別け……そして、また接触すれば組を別けて……と繰り返しています。
 一度ならば、トラブルによる仲違いとも取れるのですが、繰り返している所を見るに計画的らしい。
 そして何よりも重要なのは、別れる組に元のメンバーをそれぞれに配しているところです」

つまりは、組の中に常に最初の組に繋がるメッセンジャーを残している。それが重要だと明智は言う。
また最初にジン達4人と接触した際のマタタビの死を除けば、それ以降彼らはどのチームも殺人を行なっていない。
マタタビの死に関しては、山中で停止した際より動いていなかったこと。そして仲間を2人残しジンが離れたことから、
そこに辿り着いた時にはすでに瀕死であり、その後負った傷が原因で死んだのではないかと推測できる。
スパイクと同行中に死亡したカレンについては、相手がビシャスだけに想像は容易だ。
ねねねを襲い、豪華客船で殺戮劇を演じた彼が殺人鬼と呼んで差し支えない存在なのは解っている。
そしてそんな彼と因縁のあったスパイク。
仮にそうでなかったとしても戦いになっただろうが、そこでカレンは不運にも命を落とした……そう考えるのが妥当だ。

「それじゃあ、何で……スカーが、犯人に……、センセーを…………?」

震える足を床に押し付けねねねは明智に尋ねる。
明智の推理劇が、今までに聞いたどんな怪談よりも恐ろしく……怖い。
この話のオチを聞いた時、自分がどうなっているのか、どうなってしまうのか――それが解らないから。

「他に候補を挙げるとすれば、これも近くにいたカミナという人物があげられますが……、彼でも『無理』だったでしょうね」

無理? それが何を意味しているのか、何が『無理』なのか。
一瞬、強張っていたねねねの顔がきょとんとする。

「菫川先生に窺った読子・リードマンの実力……これに打ち勝つには、彼もスパイク達も実力不足でしょう」

勿論、何が起きるかは解りませんが……と、明智は付け加える。
しかしそれはねねねの耳には届かなかったようだ。彼女はぽかんと口を『あ』の形に空けて固まっていた。
そう。ねねねは何よりも読子の強さを信じていた。不安はあったが、それ以上の信頼もまたあったのだ。

「そして……しばらくしてですが、我々はこの舞台の端と端が繋がっていることを知りました。
 恐らくは、誰でもそれを利用できるのでしょう。と、そうなれば容疑がかかる範囲は大きく広がる」

ねねねはまたコクリと頷いた。
端と端を、螺旋王の実験につきあっている人間が渡るのは彼女も一緒に確認している。
それも一度だけではなく繰り返し。話に挙がっているスカーがそうするのを見たのも、先刻のことだ。

「その範囲の中にいて、唯一読子・リードマンに匹敵し、また殺害の動機にも不足しないのが――」


――スカーです。と、明智はそう言い切った。


 ◆ ◆ ◆


私のセンセーの仇。
それを明確にされて、ねねねの心がグラグラと揺れる。


自分の大事なセンセーを奪った仇に対する激しい――怒り。
そんな有り得ない事を成し遂げてしまった存在に対する――恐怖。
またそんな敵とする者にどう対処すればよいのか解らないという――困惑。
そして、ソイツが自分自身の元へやって来ているという現実に対する――緊張。
取り逃がした過去を想い、そして別の可能性があったのかも知れないという――無念。
センセーを失ったと知ったあの時を思い返すことで再び心と身体を強く苛み始める――苦しみ。
喪失の事実を理解し、そして全てを飲み込んだが故に、涙という形をもって溢れ出した――悲しみ。
それら全ての感情を今の今まで強固に押し込めていた為に、心の中で黒く固く育まれていた――憎悪。


目が血走り、奥歯を割れんばかりに強く噛み締め、そして全身の筋肉が未だかつて無い緊張に引き絞られる。
心臓は強く大きく鼓動を打ち鳴らし、全身に熱く滾る血が激しく行き渡り、それを受け取った脳が燃える様な感情を産み出す。
打って出ろ、と言われたならば……いや言われなくても弾丸の様に飛び出すだろう。――しかし、彼女には一つの疑問があった。

「……どうして、教えた。私に……センセーの仇が、アイツだって」

そう。これだけはどうしてもおかしい。
教えてしまえば、自制が聞かなくなるのは目に見えている。無謀な仇討ちに出る可能性は大だったはずだ。
なのに明智はあえてそれを明かした。自分の推理を自慢げに披露するだけの男ではない。ならば、そこに意味があるはずだ。

「菫川先生。あなたには彼が仇であると知っていてもらわなければなかった」

赤く、そして黒い表情で睨み付けるねねねに対する明智の表情は涼しい銀色のままだ。
理知の光を一切損なうことなく、触れれば切れるような冷たく正確な知性の光を眼に宿している。
そんな眼で、明智はねねねへと一人の棋士としてそれを命じる。


菫川先生。読子・リードマンを殺害した犯人であるスカーを、あなた自身が――――――…………


 ◆ ◆ ◆


灰色の薄暗く無愛想な廊下に、コツリコツリとこれもまた寂しそうな足音が響いている。

先ほどまで一人ぼっちでいたゆたかは、やはり今も一人ぼっちだ。
デイパックを胸に抱え、ゆっくりと……というよりも、フラフラと頼りなさげな足取りで前にも歩いた所を進んでいる。
大事そうに両腕で抱えている鞄の中には、あの会議室のテーブルの上にあった全てが収められていた。

椅子の上でただ時間が過ぎるのだけを待っていた所に明知が帰ってきて、清麿の元へと行くよう命じられたのだ。
どうしてそうしなければならないのかを、ゆたかは詳しく聞いていない。
もう、彼女は、そういったことにあまり興味を持てなくなっていた。
彼女には解らないことがある――、

――どうして、みんなはあんなにも頑張れるのだろうか?

それが、今の彼女には疑問で仕方なかった。
どうせ近いうちに死んでしまうのに……、どうしてそれをおくびにも出さずに前を向いていられるのか。
知っている人達もそうでない人達もどんどん死んでゆき、絶対に死なないだろうと思った相羽シンヤでさえも死んでしまった。
更にはその彼を殺したラッド・ルッソもその後にすぐ死んでしまった。
あんなに強くても死んでしまうのである。だったら、結局はみんな死んでしまうんじゃあないかと思ってしまう。

「(……Dボウイ……さん)」

胸がズキリと痛んだ。前までは想うたびに力をもらえた名前が、今は心を苛む名前に変わっていた。
放送で名前は呼ばれなかったが、彼の状態があまりよくはないであろうという明智達の言葉は聞いていた。
その時はきっと大丈夫だと、あの人ならば大丈夫に違いないと思って……信じて、そうすることができた。

「…………ぅ。……ぅく。………………」

しかし今はもう信じることはできない。信じたり、頼ることがものすごく罪深いことだと知ってしまったから。
彼は今も自分を探しているかも知れない。それは約束で、そして自分が彼を信じていたから。
そのせいで彼が怪我を負ったとしたら……やはり、その責任は自分のせいなのだろうと、ゆたかは思う。

「……っく。……ごめん、なさ…………。うぅ…………」

弱くて弱くて仕方の無い自分がまだ生きているのは、『優しい手』を持つ人達が代わりになっているからだ。
自分が危機に陥る場面。自分が死んでしまう時を優しい人達が肩代わりしてくれているからに違いない。
優しく、強く、勇気のある人達が自分の代わりに命を落とす。――どうして? と、自問する。

「…………わ、……わたしの、……わたし、の……せぃ。…………っ」

皆が優しくせざるを得ない、弱く惨めな自分のせいでしかない。
自分が周りの人間に優しさを強要している他に理由はない。
弱いから。皆の強さがちっとも理解できないほどに弱ったらしいから。だから、皆を苦しめる。余計な手間をかけさせる。

消えてしまえれば楽なのに、と思う。自分がいなくなれば、少なくともその代わりになる人は出てこないはずだ。
しかし、死ぬのは怖い。痛いのや、辛いのは、怖い。できれば空気に溶けるようにいなくなりたい。
そしてそんな自分の臆病さがまた恨めしい。結局、震えてばかりでは、ただ迷惑をかけるだけでしかないのに。

せめて逃げることなら……と、ゆたかはポケットの中の携帯電話を意識する。
明智が肌身離さず持っていた携帯電話は、今は彼女が預かっている。
それで動きをチェックして、もし万が一のことがあるようであれば、それを使って逃げろとそう言われている。

これを持っていれば、誰も私を追いかけて来れない。
大事な物を取るのだからすごく悪いことだけど、彼らが死んでしまうよりかはきっと何倍もいい。
そうだ、そう――……。

「――っぁぐ!」

カラカラといって床の上を携帯電話が転がった。その行く先を見つめるゆたかは床に突っ伏している。
ただ、つまづいただけだ。ちょっと転んだだけ。膝がじんじんと痛むけど、我慢できないほどの痛みではない。
なのに……、それなのに……、どうして……。

「あ……あぅ、……っあ、あぁ、うあぁぁぁ…………、っ!」

誰かからできっこないと言われた気がした。
ぬけていると、のろまだと言われた気がした。
グズだと、邪魔だと言われた気がした。
大人しくしていればいいのにと、言われた気がした。

「……ごめんなさぁぃ………………ごめんなさい……、ごめんなさぃ……」

冷たい床の上で、ゆたかはどこかの誰かに向かってあやまる。少しでも、ゆるされたいと、繰り返しあやまる。
誰も彼もが自分を責めていると感じ、小さな身体を丸めて、震える頬から大粒の涙を零す。


結局。よわっちい彼女は、逃げることすらもできない。


 ◆ ◆ ◆


大怪球のコックピット。空の孔が3つある台の前に、3つのシズマ管が転がっている。
シズマ管――といっても、空いた孔に差し込むべきアンチシズマ管ではなく、それは通常のシズマ管だ。
それにしてもどこから? ――その答えは簡単。
ただのシズマ管ならば、この室内にいやというほどある。球状の内壁に突き刺さった無数の緑色が全てそれなのだから。

コンソールを調査した結果として、この炉心そのものが動きうることを知ったが、それはいつのことになるのか解らない。
まだ解析は完了してはいないが、脳内でのシミュレートには限界もあるし、どこまでいっても仮定の域はでない。
ここから先は動力を入れて、試運転の中で探らなければ確定した情報にはできないだろう……。
という訳で、コンソールの解析を一応の形で終えた清麿は次に解析する対象をシズマのシステムそのものに切り替えていた。

とりあえずのサンプルとして取り出された3本のシズマ管の内、1本はバラバラに分解されていた。
両端の電極を取り外され丸裸になったガラス管と、その電極を分解した無数の金属パーツが床の上に広がっている。
未知のハイテクノロジー……どこまで手が出させるかと思われたが、その仕組み自体はそう難しくなかった。

シズマドライブシステム。そして、シズマ管。
その仕組みを簡単に言えば――『物凄い電池』 たったそれだけである。
故に、エネルギーの流通を制御する電極自体は、清麿がよく知る技術とほとんど変わりはしなかった。
シズマドライブを画期的な発明たらしめているのはそこではなく、ガラス管。正確に言えばその中の電解質だった。

電解質とは簡単に言えば、電圧を加えることで電気に変わり、電流を発生させる物質のことだ。
乾電池の中に入っている物のことでもある。それがシズマの場合、どう優れているのかというと2つの点が挙げられる。

1つに、完全リサイクル。
シズマ管に入っているのは溶液に溶かした電解質だが、反応させた後でも充填しなおせば繰り返し使えるのだ。
勿論それだけならばただの充電池であるが、シズマの場合はそこにロスは全くない。
つまり無限に再利用できるということ。どれだけ回数を上げようとも有限では絶対無限に届かない。故に革新なのである。

もう1つは、異常なまでの蓄電量。
検証装置を用意していない清麿に、ここで直接ガラス管の中身を確かめることはできないが、その性質は推測できる。
シズマが革新的技術として持て囃され、世界の動力を一新したのはそれまででは有り得なかった蓄電量故であろうと。
大型車両や電車、船舶から飛行機の動力になるほどの電池である。とてもではないが、考えれるものではない。

しかし……、優れているという分に見合う恐ろしさもシズマは持ち合わせていた。

1つに、本当は完全でなかったリサイクル。
シズマそのものが繰り返し無限に使えるというのは事実だ。ロスがないということには変わりはない。
だが、それを解き明かしたフォーグラー博士は、そこに余分なプラスがあることに気がついた。
使用している間、電流と一緒に極々微量の特殊な性質を持った物質を排出しているのである。
一定量が集まると、酸素との強い結合性質を発揮する物質。それが博士から見た、地球が静止する日であった。

もう1つは、その特殊な蓄電特性によるエネルギー静止現象。
シズマを暴走させてしまうと、その強い蓄電特性が特殊なフィールドを形成し、その中のエネルギーを吸い取ってしまうのである。
暴走させるシズマが大きければ大きいほどそのフィールドは拡大し、より多くのエネルギーをそこから奪い静止させる。
バシュタールの惨劇と呼ばれ、その世界の公式記録から抹消された事件。
その時に暴走したのは発電に使うための炉心。フィールドは地球全域を覆い、文字通りに地球を静止させてしまう。
そのフィールドが集束するのにかかった時間は1週間。被害は把握しきれず、世界の人口は1/3へと減じてしまった。

……と、サンプルのシズマ管と、支給品リストにあったスペックから清麿はシズマの概要を把握する。
ここまでは別段難しくないし、知っているだけでは役に立たない。
清麿の役割は、そこから何を生み出すのか、何に役立てるのかを考えることだ。


さてどうするかと、清麿があらためてシズマ管を持ち上げた先。
緑色の歪んだレンズの向こう側に、幽鬼の様な――小早川ゆたかの姿があった。


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245:月下の棋士 (後) 明智健悟 245:【ZOC】 絶望の器 (後)
239:W.O.D ~Write Or Die~ 菫川ねねね 245:【ZOC】 絶望の器 (後)
239:W.O.D ~Write Or Die~ 高嶺清麿 245:まきしまむはーと
239:W.O.D ~Write Or Die~ 小早川ゆたか 245:まきしまむはーと





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