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グッドナイト、スイートハーツⅡ ◆LXe12sNRSs



 ――パーティー楽しみだね、アイザック!


 ◇ ◇ ◇


「ねぇヨーイチ、みんなが戻ってきてないのに、勝手に部屋を離れちゃっていいの?」
「大丈夫です。それよりも、もっと大事がなことがありますしね」

 食堂室からは少し離れた、船内廊下。
 高遠遙一はミリア・ハーヴェントを引きつれ、ある一室へと向かっていた。

「大事なこと、って?」
「到着してからお話しましょう」

 不思議そうな顔で首を傾げるミリアに、事態の説明は果たしていない。
 ただ重要な用件があるとだけ告げ、荷物ごとミリアを引っ張り出した。
 向かう先は、客室の奥の奥……訪れる者も少なかろう、薄暗い一室である。

「ここって……倉庫?」
「ええ。客室用ではなく、主に船員が利用する倉庫です」

 扉を開けると、中は暗かった。
 篝火も灯らぬ部屋で蛍光灯のスイッチを探してみるが、見当たらない。
 見つかっていたとしても、高遠はそれを押しはしなかっただろうが。

「ここなら邪魔も入らないでしょう。ミリアさん、扉を閉めてください」
「扉を閉めたら真っ暗になっちゃうよ?」
「他の誰にも聞かれてはならない話です。暗闇結構ではありませんか」

 ミリアはもったいぶる高遠に憮然な表情を向けるが、過度に怪しんでいるわけでもない。
 それがミリア・ハーヴェントという女性の人柄であり、性格なのは既に理解している。
 だからこそ、高遠はこの部屋を選んだ。
 バタン、と鉄扉が閉まり、二人は闇に溶け込む。
 隙間から漏れる光で辛うじてお互いの姿は認識できたが、それでも闇には違いない。
 頼りのない足取りで、ミリアはつい転びそうになってしまう。

「きゃっ」
「おっと」

 よろめいたミリアの体を、高遠が抱きかかえるような形で支える。
 いや、その姿はほぼ抱きしめていると言っても過言ではないほどの力強さが感じられた。

「よ、ヨーイチ?」
「ミリアさん……驚かずに聞いてください。実は、私は」

 ミリアの腰に両腕を回し、高遠はさらに強く抱擁する。
 戸惑うミリアをうっとりとした声で制し、事の本題を告げた。

「螺旋王、いえポロロッカ王に命じられ派遣された、諜報員なのです」
「え……えええぇぇ!?」

 動揺から驚嘆に素振りを移行し、ミリアは高遠の顔をまじまじと眺める。
 それを、しっ、と立てた人差し指で押さえつけ、『聞かれてはならない話』の真意を連想させる。

「ポロロッカ星諜報員としての私の今回の役目……それはミリアさん、アイザック王子の婚約者たるあなたの監視です」

 即興のデマカセ、ミリアにとっては衝撃足りえる事実を、真面目な様相で語っていく。

「地球人であるあなたと王子の婚姻を、王が快く思っていないのは既にご存知ですね?
 しかしその体面とは裏腹に、王は父としての切実な感情も抱いておられるのです。
 地球人とはいえ、息子が選んだ女性だ。見極めたい――とね。
 だからあなたは、82人中の一人として、入国審査に参加させられている。
 そして私は、実際にあなたが王子の妃となるに相応しいかどうかの判定を下す、面接官といったところでしょうか」
「じゃあじゃあ、ヨーイチは実はアイザックと同じポロロッカ星人なの!?」
「そうです。ああちなみに王子は現在、あなたの予想通り城の地下に幽閉されています。
 私どもとしましても、早々に記憶が戻ったうえに、二人が早期再会を果たすとは思ってもみませんでしたから。
 仕方がない処置とは言えます。ええですが安心してください。間違いなく、あなたの恋人は無事です」

 ミリアにとっては極上の甘言。
 喜色に緩む彼女の表情が、高遠の童心をくすぐった。
 もっとだ。もっと囁きを与えたい。そして操りたい。
 かつて奇術の成功に向けていた喜び。それとはベクトルの違う愉悦。
 犯罪者『地獄の傀儡師』としての、当然の感情が込み上げてくる。

「でもヨーイチは、どうして私にそのことを教えてくれるの?
 謎の正体を明かしちゃったら、アイザックのお父さんが怒っちゃうんじゃない?」
「それは確かに。ですがもういいのです。私の役目……すなわちミリアさんが王子の妃に相応しいかどうかの判断は、もうつきましたから」

 ポロロッカ星王子のアイザックと、地球人のミリアが婚姻を結ぶ。
 ミリアが身分の壁を蹴破るほどの器量を持っているか否かの判定を、高遠が下す。
 そしてその審査は、既に終了したという。
 生唾を飲み込んで待つミリアに、高遠はそっと囁きを。

「結果を述べますと……ミリアさんとアイザック王子の結婚は認めるわけにはいかない、という結論に至りました」

 声が途絶えた瞬間に、ミリアの顔が失望色に染まる。
 伏し目がちになる目。俯く顔。元気が取り得のミリアが、精神的に弱まった瞬間。
 高遠はその隙を見逃さず――さらに激しく、ミリアの全身を包み込んだ。

「よ、よよよヨーイチ!?」
「ああ……そうガッカリした顔をしないでくださいミリアさん。私まで悲しくなってしまう。
 あなたにはそう、向日葵のような微笑みをしていて欲しい。そして私に、その笑顔を振りまいて欲しい」

 なにがなんだかわからない、という風なミリアの顔色は、まだ白い。
 高遠はそれに褐色を点す、魔法の言葉を投げかけた。

「ミリアさん。愛している。アイザック王子ではなく、この高遠遙一と結婚して欲しい!」
「……………………へ、ええええええええええええええー!?」

 ぼっ、と火がついたような音。途端にミリアの顔が赤面に染まる。
 高遠の抱擁はなおも力強く、口から飛び出す告白は情熱的で大胆。しかも甘い。
 その恋情がまるで本物と思えるほどに、奇術師の演技は迫真だった。

「え、で、でもでもでもでもでもでも! 私にはアイザックがががががががが!」
「忘れさせてあげます……! この私がすべて、あなたの記憶の中のアイザック王子を、消してさしあげましょう」

 そんなことができるはずなどない。ミリアもそう思っているのだろうが、衝撃が先行して否定や拒否の言葉がでない。
 高遠の攻め手がまだ有効である証拠だった。畳み掛ける。

「どうしていきなりそんなことを言うの? 私、そんな、えと」

 アイザック以外の男性に愛を語られた経験などなかったのだろう。ミリアの動揺ぶりは尋常でない。
 好都合。

「ああ、笑顔も素敵ですが、困った顔も一段と魅力的だ。そう、本当に魅力的……」
「…………え?」

 ぶっ、と。
 裂ける音が鳴った。
 じわっ、と。
 滲む音も鳴った。
 ぽたっ、と。
 滴る音が続き。
 ぽたっぽたっぽたっ、と。
 連続して響き渡る、ミリアの背中。

「ヨー、イチ?」
「あなたは、本当に魅力的だ。
 その何事にも動じない楽観的思考、周囲に希望を振りまく愛嬌、希望を実現化しえない人間性……
 あなたのような女性には出会ったことがない。あなたほど、『惨劇の被害者』として魅力的な人材はいないでしょう」
「ヨーイチ、背中が、熱い、よ?」

 途切れる言葉。解かれる抱擁。崩れる足。そして体。
 床に倒れたミリアの視線は、闇に溶け込む高遠の表情など捉えはできないだろう。
 無論、高遠の手にミリア殺傷の凶器たるスペツナズナイフが握れられている事実も。

「アイザック・ディアン消失の真相はいまだ掴めていませんが」

 崩れ落ちたミリアの体を睥睨し、しかしすぐ視線を逸らし、高遠は退室する。

「あなたがあちらで恋人に再会できることを祈っていますよ。……Good Luck、ミリア・ハーヴェント」

 第三回目となる放送が始まったのは、その直後のことだった。


 ◇ ◇ ◇


 わからぬ。私にはまったくわからぬ。

 なぜ、あの者は王にしてこのような悪態を働くのだ?

 あの者はいったいどんな王なのだ。国の者は、あの者をどう思っているのだ。

 わからぬ。私一人の頭ではまったくわからぬ。

 誰か教えて欲しい……いや、やはり不要だ。

 こればかりは、私自身の力で考えねばならぬ。


 ◇ ◇ ◇


 意識が朦朧とする。
 出血箇所は……腕、肩、そして厄介にも頭部。
 三点を軸として駆け巡る、体中の痛み。
 響いてくる声すら鬱陶しく思えるほど、ジェットのダメージは深刻だった。
 が、耳に届いた声を無視はできず、むしろチャンスと受け取って、奮い立つ。

「おぬし、いったいなにをしておるのだ!?」

 前方、ティアナとの間を遮るように、二人の小さな男児の姿がある。
 チェスワフ・メイエルとガッシュ・ベルだ――『保険』が効いた、とジェットは神に感謝した。

「あなたたち……どうしてここへ?」
「甲板で剣持さんを探してたら、なんだかすごい音が聞こえてきたから……」
「それだけではない。あの『火』はなんだ!? ジェットのことも含め、おぬしがやったのか!?」

 ガッシュの詰問と指摘に、ティアナは一時的に怒りを治めた様子だった。
 それほど、ガッシュの指し示した方角にあるそれが、今さらながらも衝撃的だったのだろう。

「なに……なによあれ……いったいいつの間に?」

 いつ、誰が、どうやってあんな風にしたのか、ティアナは本気でわかっていないように見える。
 つまり、ジェットが万が一のための保険として仕掛けた細工は、見事に功を成したと言える。
 それだけではなく、この場にチェスとガッシュという第三者の介入を鑑みて、確信する。
 攻守逆転だ、と。

「……気づいてなかったのか? ま、そうだろうな。あれが煙をあげる頃、おまえさんは怒りで俺しか見えてなかったはずだ」

 頭と肩から血を流した状態で立ち上がり、ジェットはチェスとガッシュの側に並び立つ。

「ジェットおじさん! いったいなにがあったの!? ティアナお姉ちゃんは――」
「喚かんでくれ。今から、順を追って説明する」
「その前に答えなさいよ! あれは……あの『火』はなんなのよ!?」

 半狂乱の状態はそのまま、ティアナが怒声でジェットに説明を求める。
 ジェットはやれやれとぼやき、ズボンのポケットからあるもの手にとって見せた。

「ガッシュ、おまえさんならこれに見覚えがあるんじゃないか?」
「なっ……それは、剣持が使っていたライターなのだ!」

 ジェットが握るZippoライター。
 それは煙草を支給された、また本人自身喫煙者であったがゆえに、没収されないでいた剣持の所持品。
 この物品の所在に、納得がいかない声を漏らしたのがティアナである。

「どうしてあんたがそんなものを……だってそれは」
「死体と一緒に確かに海に捨てたはず、か?」
「っ! なんで……なんでなのよ!?」
「船という地の利を考えれば、遺体の処理場ときて思い浮かぶのはまずそこだ。
 わざわざ俺を甲板に誘き出してから襲ったのも、後始末が楽だからだろう?
 大方、おまえさんと揉み合った際に零れたのか……魔法なんてので吹っ飛ばされりゃ、その可能性もデカイわな」

 ジェットの言葉はつまり、剣持の失踪が実は殺人であり、またその加害者がティアナであること示していた。
 甲板に残されていたライターは、言わば証拠品。
 ティアナと戦闘を繰り広げる中で、ジェットが偶然発見した剣持最後の遺失物である。

 そしてガッシュやティアナが言うところの『火』……甲板の端のほうで燃えているブルーシートは、このライターによって齎された『狼煙』。
 同じく剣持の捜索に出ているであろうガッシュに、異常事態を知らせるための策として着火した。
 とはいえ、誰かが甲板に出ていなければ発見もされないであろう貧弱な策。
 期待度からしても本当に保険程度のものだったが、どうやらこれが見事に功を成したらしい。
 最悪ジェットがここで倒れた場合、なおこの船を舞台にして惨劇が起こらないように、という二重の意味での保険でもあるが。

「だが、それだけではティアナが剣持を殺した証拠にはならんぞ!?」
「ああ、これだけじゃ証拠不十分で釈放だろうな。『法律のある世界』だったら。
 が、今は殺し合いの真っ最中で、ここに法なんてものは存在しない。
 殺人鬼を裁くのは法でも刑事でもなく、俺たち自身だ。じゃなくちゃ、こっちが殺されちまうからな。
 ガッシュ、証拠なんてものはいらないんだよ。俺たちは裁判じゃなく、サバイバルをやってるんだからな。
 ここに剣持消失の確かな痕跡があり、そしてこの女は俺たちの中で一番怪しい。疑ってかかるにゃ、それだけで十分だ」

 法の定められた世界、道徳というルールに準じるならば、ジェットの物言いは言いがかりもいいところだ。
 連行するには強引、有罪を主張するには馬鹿げた、証拠不十分の訴訟。だが、論点はそこではない。
 生きるか死ぬか、殺すか殺されるか、殺し合いにおいて重要なのはそこだ。

「ジェットおじさん、ティアナお姉ちゃんは……」
「あいつは俺を殺そうとした。この怪我はそれだ」

 ましてや、ティアナは事実としてジェットの殺害を試みている。

「そんな……だって、朝の出来事は勘違いだったんでしょう!? それに、ティアナお姉ちゃんは記憶を失ってたんじゃ」
「そいつも嘘だ。こいつはキャロのことをしっかり覚えてやがった。無論、俺たちのこともな。
 ついでに言えば、こいつが犯行に及んだのは誤解から生じる恨みでもない」

 そしてその殺害の動機は、ジェット個人に限定されたものではない。

「唆されたんだろうよ。あの高遠って男にな」

 ――それが、ジェットの立てた推論の終着点。
 精神的に疲弊していたはずのティアナから感情を削ぎ、記憶喪失だと嘘の情報を与えた男。
 犯罪者らしからぬ堂々とした素振りで、観衆や天敵の注目を浴びようとするおかしな姿勢。
 事件の裏に潜む、黒幕の存在。

「高遠が!? だ、だが、高遠自身も騙されていた可能性だってあるのではないか!?」
「それも考えた。が、それでもやっぱりおかしいんだよ。
 大切な友人をバラバラにされたと思い込んでいたはずの女が、どうして当人に対面して激情を殺せる。
 辛いことや悲しいこと、許せないことや腹立たしいことを、全部胸に締まって復讐に没頭するなんざ……できるはずがないんだ。
 そんな悟りを開いた賢者みたいな真似、十代の女にできるもんじゃない」

 ティアナが復讐目的でジェットに襲い掛かったのだとするならば、そこには絶対に憎しみや怒りが混入する。
 だがティアナはマーダーマシンとして、感情を殺したまま復讐とは別の目的を持った様子で殺人に臨んでいた。
 自分自身の覚悟だけでそんな風にできるのなら大した役者だが、友達の死に涙を流せる少女が、という前提を考えればまずありえない。
 だとしたら、彼女が感情を殺せたのは、他者がそうなるよう手助けをした……と考えるのが自然だった。
 そして浮上したのが、犯罪者らしからぬ毅然とした犯罪者、高遠遙一の存在である。

「違う……高遠さんは、私を導いてくれただけ……そんな、そんな風に悪く言わないで……」

 ジェットの指摘が正鵠を射ているという証拠だろう。ティアナの狂気は薄れ、脚は僅かに震えている。
 そして弁護しているのは、他ならぬ高遠遙一の名だ。ここまでくればもはや決定的である。

「ああ、やっぱりな。おまえさんを裏で操ってたのは高遠で決まりだな。いたいけな少女を利用するとは、あの男も相当な――」
「っ、高遠さんを侮辱するのはやめて!」
「……庇うんだな、やっぱり。おまえさんは、そこまで奴に心酔してるってわけだ。
 だがそれは主従関係じゃない。おまえさんは奴の存在を支えにしているだけ……逆に言えば、奴もそれが狙いか。
 先導者みたいな立ち位置に納まればこそ、自身は責任を問われず、信奉者は自由に操れる。
 まったく、田舎でエセ宗教でも開きゃ、大層立派な教主様になれるだろうぜ」
「それ以上、それ以上あの人のことをぉぉ!」

 涙すら流したティアナは、怒りとも憎しみとも違う別の感情に駆られるがまま、再び魔法を行使する。
 一発限りのクロスファイア。目掛けるはジェットの口元。胸をざわつかせる騒音を絶つため。

「クロスファイアァァァ、シュートォ!」

 目茶目茶な魔力構築を終えての、先程よりも歪な形の魔力スフィアが、飛ぶ。

「ウヌ!?」
「攻撃!?」

 刹那、自らが人間よりも丈夫な種であると自覚しているガッシュが、
 いつのときか身を盾にしてでもミリアやジェットを守ると言ったチェスが、
 両者ほぼ同時にジェットを庇おうとするが、

「動くなおまえらッ!」
「!?」

 ジェットの怒鳴り声に束縛され、動作が一瞬遅れた。
 その間、魔力スフィアはジェットの胸元に直撃し、巨体を押し倒す。
 ジェットは、ティアナの怒りの矛を甘んじて受けたのだ。

「ぐっ……がはっ」
「ジェットおじさん!」
「ジェット! なぜだ!?」

 勢いよく吐血するジェット。元々の傷も相まって、声をかけるのが躊躇われるほどの重傷患者と成り果てた。
 回避も防御も取らず、自らを的にしたジェットの真意が、チェスとガッシュにはわからないようだった。
 そしてそれは、ティアナも同様。衝動的に放った魔法の一撃が、まさか今まで一番の有効打になるとは思っていなかったのだろう。
 その場にいる誰もが困惑する中、ジェットが呟く。

「人間ってのは、弱い生き物だ」

 ゆっくりと、立ち上がる。

「嫌なことがありゃ、忘れたくなるのは当然。誰かに怒りをぶつけたくなるのも、当然。普通なんだよ」

 血塗れの視線は、ティアナのほうを向いている。

「あー……さっき言ってたキャロの死体にいたずらしたって話な。ありゃ嘘だ。すまん」

 くしゃくしゃになったティアナの顔を、凝視する。

「信じてくれとは言わないが、ありゃ不器用な俺なりの、荒療治だったんだよ。
 おまえさん、あのとき俺を憎い、殺してやりたい、って心の底から思っただろう?
 それでいい。それが普通なんだ。俺はおまえさんに、普通を取り戻して欲しかった。
 誰かに恨み持つことは愚かかもしれんが、感情殺した人形でいるよりは、よっぽどマシだ。
 だからだな、だから…………ああ~…………いかん、駄目かもしれん」

 え、と他三名がリアクションを取る最中、ジェットの体が急激に揺れる。
 肌から見る見るうちに血色が失われ、出血の規模は端から見ても怖気が走るほど。

「ジェ、ジェット! 気をしっかり持つのだ!?」

 ぐらんぐらん揺れるジェットの体を、ガッシュが懸命に支えようとする。
 その隣、同じく事態を重く見ていたであろうチェスは、ガッシュとは違う種の深刻な表情を見せ、考え込む。

「……ごめんガッシュ。ジェットおじさんのことお願い」

 かと思ったら、脱兎の勢いで船内に走り去っていってしまった。
 後に残されたガッシュはウヌウ、と一言漏らし、ティアナのほうを窺う。
 ジェットも朦朧とする意識を奮い立たせ、『ティアナの説得』を続行する。

「俺にはおまえさんがどうして殺人に及ぶのか、どうして高遠の命令を聞くのか、
 もしくは高遠の言葉が正しいと思えるのか、そこまではわからん。
 だがおまえさんの本能は、人を傷つけることに対して拒否反応を起こしているはずだ。
 俺の姿を見てどう思う? これを自分がやったと自覚して、それでもまだおまえは」
「私は、私は……」
「どうなんだ、ティアナ・ランスター!?」

 ずい、と。ジェットは致命傷の身を前に押し出す。
 涙目のティアナは、反射的に一歩後ずさった。
 怯えている。この姿こそが、ジェットの求めたものだった。

 キャロの遺体にいろいろ酷いことをしたなどという虚言を吐いたのも。
 高遠のことを大袈裟に悪く言ってみせたのも。
 すべて、ティアナに感情と自我を取り戻させるための処置である。
 彼女の精神は、冷静に考えて行動する分には、正常に機能していた。
 つまり、精神は壊れていない。封を施しただけの状態だ。
 ならばその封をこじ開けてしまえばいい。

 ティアナは元々、友人の死に悲しみ、落ち込み、怒れるほどには心の優しい少女である。
 彼女の性格や素性を知らないジェットでも、あの映画館近隣での出来事を思えば、それくらいは理解できた。
 なら封をこじ開ける方法は簡単だ。ティアナの感情を、さらに強く引き立ててやればいい。
 そして選んだのが、『憎しみ』と『怒り』。
 ジェットはティアナがかつて自分に向けていた感情を、さらにエスカレートさせるという荒っぽいやり方で、彼女を人形から人間に戻した。

 とはいえ、これは本人自身が荒療治と自覚している、一種の賭けのようなものだった。
 あそこでチェスたちが介入しなければ、ジェットはティアナの猛攻を受け殺されていただろう。
 そうなってもおかしくないほどに、彼女は激昂していた。
 逆に言えば、それほどの感情を引き出せなければ、ティアナを人間に戻すことはできなかった。
 仮にジェットが殺さたとしても、感情を取り戻したティアナは、少なからず罪の意識を覚える。
 そうなれば、後の行動には必ず支障が出る。高遠好みの人形ではなくなるのだ。
 それから先、高遠に改めて狂わされるか、もしくは処分されるか、はたまたティアナ自身が立ち直れるかまでは、深く考えていなかった。
 その点を含めての博打。自分の失態で一度は野放しにしてしまった少女に対する、ジェットの意地とも言えた。

 が、結果的にはその博打も大当たりだ。
 ティアナは怒りや憎しみといった感情を取り戻し、ジェットの傷ついた姿を見て、怯えている。
 自らが傷つけてしまった、殺人の一歩手前まで踏み込んでしまったという、罪悪感を覚えているのだ。
 その罪悪感が、犯罪を踏みとどまらせる。この時点で、ティアナは人形を脱した。
 地獄の傀儡師の計画は、ジェットの命懸けの博打により、頓挫したのである。

「わたしはぁぁ――」

 ティアナの慟哭が空気を裂いた直後、第三回放送は始まった。


 ◇ ◇ ◇


 馬鹿! どうしてもっと早く動けなかった!?

 誓ったんだろう!? 悲しませないって、後悔しないようにって!

 なのになんだこれは! 辿り着いた先には、後悔が待っているかもしれないぞ!?

 ああもう、どうしてこんな……ちっ、愚痴を言っている暇もないじゃないか!

 怪しむには十分だった。なのに迂闊にも、一番怪しい奴の側に彼女を置いてきてしまった。

 させない――それだけは絶対に!


 ◇ ◇ ◇


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217:グッドナイト、スイートハーツⅠ ティアナ・ランスター 217:グッドナイト、スイートハーツⅢ
217:グッドナイト、スイートハーツⅠ ジェット・ブラック 217:グッドナイト、スイートハーツⅢ
217:グッドナイト、スイートハーツⅠ チェスワフ・メイエル 217:グッドナイト、スイートハーツⅢ
217:グッドナイト、スイートハーツⅠ ミリア・ハーヴェント 217:グッドナイト、スイートハーツⅢ
217:グッドナイト、スイートハーツⅠ 高遠遙一 217:グッドナイト、スイートハーツⅢ
217:グッドナイト、スイートハーツⅠ ガッシュ・ベル 217:グッドナイト、スイートハーツⅢ




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