君らしく 愛らしく 笑ってよ(前編) ◆tu4bghlMIw





「ぅ…………」

闇。そしてバチバチという何かが燃えるような音。

頭が痛い。
ガンガンガンガンと頭蓋骨を内側からノックされているような感覚が脳味噌を支配している。
奥歯がカチカチとぶつかり合い、体温の低下を伝える。
足と手の指の感覚がない。だけどそんなことよりも、

――ここは一体どこなのだろう。

瞼を開く。


ティアナ・ランスターが目覚めると、そこにはまるで見覚えのない景色が広がっていた。

まず、そこは明らかにどこかの室内であること。これだけは確定だ。
真っ白い壁、部屋の中央にはシックな煉瓦造りの暖炉。
本来アンティークとしての役目を果たすだけであろうそのオブジェにメラメラと燃え盛る炎が赤く揺れている。
何らかの建物の中に居るのだろう、感覚的にそんなことを思った。

「あ、れ……」

だがすぐさま彼女は気付いた。ここは地面の上ではない、と。
鍵は自分が寝かされていたソファが揺り篭のようにグラリと揺れたことだ。

ティアナはふらつく頭でこの妙な感覚の原因を考える。
だが深い思索に耽る必要すらない。
記憶上の一番最新の行動を検索。その状況、場所、そして自分が居た周辺の地図と重ねて考える。
一瞬で、答えは出た。

「……船?」

そう、船だ。海の上、繋がれた巨大な物体の中にいるとしたら全ての辻褄が合う。
この内装の豪華さ、部屋のサイズ。おそらく地図にあった豪華客船の一室に自分はいるのだろう。
びしょ濡れだった筈の身体もしっかりと拭き取られ、分厚い毛布が掛けられている。
海を漂っていた自分を誰か親切な人が助けてくれたのだろうか。

「別に放っておいてくれても……よかったのに」

ティアナは誰に聞かせる訳でもなく、ぽつりと呟いた。
意識が少しずつ戻って来た。だから心もドンドン戻って行く。鬱蒼とした暗闇の中へ。

心象風景は一面コンクリートの灰色の壁だ。勿論灯りなどある訳がない。薄暗い密室だ。
その壁は時間が経つに連れて高さを増していく。
そして、一箇所ポッカリと天井に空いた真っ青な空が少しずつ磨り減っていくのだ。
その青が自らにとっての最後の防波堤であり、良心の在り処なのだろう。それだけは何故か分かった。

一人で居ると心の傷はますます大きくなる。
ブラックホールのように、周りの光を食い潰し自らを侵蝕していく。
何もかもが辛かった。
いきなり訳の分からない所に連れて来られて殺し合いを強制させられて、そして狼狽しキャロを――撃ち殺した。

違う。殺したのはあの男。ジェット・ブラックと名乗ったあの男。
気がつくとティアナは唇を噛み締めていた。ベトつく口唇は少しだけ潮の味がした。

「クロスミラージュ……」

もう、自分の手の中にはない理解者の名前を口ずさむ。
青い髪の半裸の男と嬉しそうに会話していた相棒。
情けなくて、無様で役立たずの自分にクロスミラージュも愛想を尽かしたのだろう。
少し時間が経った今になって、その疑念は更に色合いを濃くしていた。
こんなマスターよりも、もっとずっと強くて相応しい人間がいる……そう判断されてしまったのだ。

「う…………」

涙が零れた。ポタポタと頬を伝い、地面に落下していく。どうしてこんなに悲しいのだろう、ティアナには分からなかった。
「自分なんて死んでしまえばいい」と本心から思っていた筈なのに。
胸をナイフで切り裂かれるような痛みも、コメカミに釘が突き刺さり脳内を陵辱されるような苦しみも味わいたくなんてないのに。
キャロの死を意識した時と少しだけ違った意味合いの涙は、それでもやっぱり塩辛かった。

ティアナは毛布を握り締める。何かに縋っていないと潰れてしまいそうだった。
ぬいぐるみを身体に押し付けるように、その毛布を強く強く抱き締めた。

だが、何の因果だろう。
そんな彼女の悲しみと絶望と悔恨が最高潮に達した時、


「――――ッ!?」


ティアナはようやく忘れていた<<とあること>>を思い出したのだ。


――ソレは今の自身の格好についての話。

通常、海に飛び込めば身体は濡れる。当然、着ていた衣服も含めて全てずぶ濡れだ。
濡れた服は体温を奪い身体にまとわり付き、漂流者の体力を奪う。
溺れた人間を介抱する際、濡れた衣服を脱がして乾かすことは災害救助における常識である。

救助者がある程度、水難事故に遭った人間に対する処置を知っていたのだろう。
ティアナの場合においてもその作業は当然の如く行われていた。
身体から熱を奪い、命を危険に晒す危険性を持つ衣服は<<一枚残らず>>脱がされていた。


つまり今、ティアナは素っ裸に毛布を一枚かけられただけ、という凄まじく無防備な状態にあったのだ。



「な、な、な……ッ!」

いかに心に闇が差そうとも、人間には超えられない壁というものが存在する。
羞恥心の壁もその中の一つで、自分が全裸に剥かれたという事実を完全に一蹴して絶望に浸ることが出来るほどティアナは女を捨ててはいなかった。
それ所か生来の生真面目な性格が影響してか、身体の火照りと事態に対する困惑だけが頭の中を一時的に乗っ取ったのだ。

(何で? どうして? は、裸って……)

恥ずかしさに身を縮めれば縮めるほど、身体に密着した毛布の感触が素肌に伝わってくる。
今毛布の綿毛のザラザラとした感触が素肌を刺激する。隙間から吹き込んでくる風が少しだけ冷たい。
誰かに脱がされた――そう判断するのが妥当だ。
その時だった。


「……おや、眼を覚まされましたか」


プレートにティーポットとカップを乗せた若い男が軽いノックの音と共に部屋へ入って来たのは。
ティアナの頭の中が先程とは違った意味で真っ白になった。
カチャ、という男の扉を閉める音が虚しく響く。

「いやいや、しかし驚きましたよ。まさかこんな所で海を漂流している方に出会うとは」
「……あ、あな……たが?」
「ええ、申し遅れました。私は高遠遙一。職業は……そうですね、奇術師とでも名乗っておきましょう。
 そしてこの希望の船の案内役を務めさせて頂いております」


高遠と名乗った男は仰々しい仕草で一礼。口元を小さく歪ませ、ティアナに微笑みかけた。
ティアナは男のあまりに流麗で淀みのないその口調に少し気圧されながら、彼を観察しようとする。

(ダメ……頭の中が、上手く纏まらない。……先に白黒ハッキリさせないと)

しかしそんな現状を鑑みるならば最善の手と思われるような思考さえままならなかった。
今。彼女の中には強烈なまでの存在感を示している懸念事項が巣食っている。
男の名前やプロフィールなどの情報をまるで上手く処理出来ない。

そう、今彼女が高遠に問い詰めたいことは、ただ一つだけ。つまり、


「……見たの」


乙女的な尊厳に関わる問題についてだった。

高遠は「おやおや」と一言だけ、不可解な言葉を吐き出してからしばらく逡巡する。
もちろん、ティアナには彼がこの台詞の真意ついて推し量れないほど愚鈍には見えなかった。
故に彼のこの間の取り方の意図が掴めない。
今にも自分は恥ずかしさで死んでしまいそうなのに、どうしてこの男はこんなにも余裕に溢れているのだろう。

「ふふふ、面白いことをお聞きになる方だ」
「うっさい! いいから……答えて」

高遠はティアナの質問が可笑しかったのだろうか、口元の歪みを更に深くする。
だが不思議と嫌悪感は感じなかった。
彼の眼が自分を性的な視線で捉えているようには到底思えなかった。
業を煮やしたティアナは声を荒げた。

「解せませんね、その質問は。だってそうでしょう?
 もし、私が『あなたの身体なんて一切見ていない』と告白しても、あなたはおそらく納得しない。
 それに頭の中では十分過ぎる程、事実を理解出来ているのではないですか?
 今更私の口から直接聞くまでのこともなく……ね」
「…………早く」

ティアナは高遠の言葉などまるで聞いていないかのように、鋭い目付きで彼を睨みつける。
鬼気迫る表情、淡々として抑揚のない声。高遠は思わず苦笑した。
もっとも、全裸に毛布を纏っただけの少女に鬼のような形相で噛み付かれれば、誰であろうと居心地の悪さを感じるだろうが。
高遠は両手で持っていたプレートを近くの机に置き、小さく肩を竦める。


「<<ティアナ>>君の下着でしたら、下の浴場にある洗濯スペースで着ていらした制服と一緒に洗濯中です。
 先程スイッチを入れたばかりなので、終了までにはもう少し時間が掛かるかと。
 ……これでいかがでしょう?
「――ッ!?」


高遠のその言葉に、ティアナは自分の頬が更に熱を持つ感覚を覚えた。
あえてこういう遠回しな言い方を選んだのだろう。下着から何から何まで全部見た――そういうことだ。
顔だけじゃない。全身が火照って熱い。
カッカと体温が一気に上昇する。何故か肌がむず痒い。

――全部見られた、何もかも全て。
しかも自分よりも幾分か年上の若い男に……。

ティアナの毛布を握り締める指先が震える。
今にも高遠を理不尽な衝動で怒鳴りつけてしまいそうな気分だ。
……いや、やっぱりぶつけよう。


「あ、あなたっ!!」
「ああ、そんなに怖い顔をしないで下さい。いえ、やましい気持ちなどこれっぽちも在りませんでしたよ?
 <<ティアナ>>君には一切手を出していない――コレは保証しましょう。神に誓って、ね」
「そ、そんな台詞信用出来る訳ないでしょ!!」
「そうですか? この不肖私めですら、このような極限状態において<<男>>としての欲望を優先するほど愚かではない程度の自覚はあるのですがね」
「う……」


しかし対する高遠は依然人を小馬鹿にしたような飄々とした態度を保ったままだ。
カップに乳白色の液体を注ぎ、香りを堪能したそっと口をつける。
ティアナは言い淀む。当たり前のように羞恥心を露にしている自分が、逆に状況が読めていない愚者であるように思えて来たのだ。
当然それと同じくらい自分の憤怒が正当である、という認識もあるのだが。

「ひとまず落ち着いてください。こちらをどうぞ」
「……何」
「チャイです。螺旋王はどうやら紅茶にもそれなりに精通している人物のようです。中々質の良い茶葉が揃っていました」

ティアナが毛布に包まって座っていたソファの前にあるテーブルへ高遠が新しいカップを置く。
そしてポットから彼が飲んでいるのと同じ液体を入れた。
彼女の鼻先をシナモンとミルクの甘い香りがくすぐる。ゆらゆらと湧き立つ湯気が非常に魅力的だ。

毒でも入っているのではないかと警戒する。ただ彼が自分を殺そうとするのならば、既に機会はいくらでもあった筈だ。
つまり彼は一応は自分に敵意を持っている訳ではないことが分かる。
ティアナはあまりにも自然に向かいのソファへと腰を降ろした高遠を睨み付けながら、白と青と金の高級そうなカップに手を伸ばした。

「……おいしい」

ぽつり、とその声は勝手に口から漏れていた。
少しだけ茶味の掛かった乳白色の液体が喉を通り胃袋の中へと吸い込まれて行く。
身体が内部から暖かくなっていく感覚。ミルクと砂糖の甘さ。ハーブの香り。

もっと、もっと、欲しくなる。
身体が乾いていたのだ。だからきっとこんな他愛も無いミルクティーが在り得ないくらい美味しく感じられるのだ。


「<<ティアナ>>さん。まだまだお代わりはありますので、そんなに慌てなくても大丈夫ですよ?」
「う、うるさいわね! 少し……喉が渇いていたのよ」
「ふむ、身体の方は大丈夫なようだ」
「え?」

高遠の眼が微妙に細くなる。ティアナは思い掛けない彼の言葉に驚きの声を上げた。

「肋骨……怪我をしていらっしゃいますね。
 おそらく、何らかの鈍器で殴打された傷……加えて、<ティアナ>君はデイパックを背負ってさえいなかった。
 いくら海で流されたと言ってもそう都合よく、荷物だけが流されるとは考え難い。
 意志を持って誰かに襲われたと推測するのが自然だ」
「……よく、頭が回るのね」
「いえ、大したことはありません。順を追って考えていけば自然と行き着く当たり前の帰結ですよ」
「……そう」

ティアナの頭の中にもう一度、この殺し合いに参加させられてからの悲惨な出来事が蘇った。
視線が勝手に高遠から外れ、カップの中身へと向かう。
ずっと見つめていたら身体ごと吸い込まれてしまいそうな深い色合い。
燃える炎の音と暖かな空気が逆に身体に毒だった。

言葉が途切れる。高遠は紅茶を飲むティアナをじっと眺めていた。
そして数秒後、ただ眼を伏せてカップの中身を啜るティアナを見て小さくため息を付いた。

「とはいえ、あなたはまだまだ本調子ではないようだ」
「……どういうこと?」
「本来なら、私があなたを最初にお呼びした時に気付くべきことだったんですよ、ティアナ・ランスター?」
「…………あ」


ようやく、ティアナは高遠の言葉を、奇妙な態度を理解した。
そうだ。自分はこの男に自己紹介などしていない。持ち物の中にも自分の身分を証明するものなど一切無い筈だ。
それでは――何故、彼は自分の名前を知っているのだ?

そして同時に痛感した。
こんな簡単なことに言われるまで気付かないなんて、どれだけ自分が今腑抜けているのかと言うことに。


「あなたが船の外で見聞きしたことを教えて頂きたい。
 辛いこともあるでしょうが、こんな私でもきっと何かの助けになることが出来ると思います。
 こう見えてもそれなりに人生経験は豊富でして、ね」



 ■


「なるほど。そして、ティアナ君はあの高さから身を投げた、と」
「……ええ」


高遠は目の前の毛布にくるまり暗澹とした表情を覗かせる少女の姿をもう一度じっくりと眺めた。
ティアナは彼の視線を避けようともせずに、握り締めたカップの取っ手の感触を確かめる。


言うべきことを言い終えて、ティアナは貝になった。
周りをシャットアウトする。意識を思考の海へと落とす。
静寂。
乾いた沈黙を埋めるものは暖炉の炎の音だけ。

状況は何も変わっていない。
ティアナと高遠は豪華客船内の船長室で、こうして情報の交換を行っている。
高遠が自分の名前を知っていたのは首輪に掘り込まれた氏名を確認したためらしい。
まるで牧場の家畜のような扱いだな、とティアナは思った。

テーブルの上に置かれたティーカップも、ティアナの格好も依然先程のまま。
「下着ぐらいすぐに準備するべき」そう思わなくもないのだが、不思議と自らの境遇を告白しているうちに羞恥心が薄れて来たような気がする。
感覚が鈍って来たのだろうか、それは分からないけれど。


頭がぼんやりする。もう一度横になりたい。
暖かくて気持ちよくて、そして何故か落ち着く。
何もかも、全部吐き出した。
クロスミラージュに自分が体験した出来事を打ち明けた時とはまるで違う感覚だ。
だって、今の自分はティアナ・ランスターなのだから。
もう<<高町なのは>>になることは出来ない。そしてその尊敬する人間に依存することもない。
姿を幻影で包むこともないだろう。ソレは彼女を冒涜することに繋がる。だから駄目だ。


人間は物を考え、そして行動する生き物だ。
何も考えず、傀儡のようにゾンビのように辺りを彷徨うモノを人間とは呼ばない。
どんなに堕落した人間であれ何かしらの行動理念というものを持っている。

自分は一度、その意志を失った。
全てをなのはさんに押し付けて、現実から逃亡した。
クロスミラージュにも見限られた。当然だ、こんなにも自分は愚図なのだから。
そして気付けばその身を投げ出していたのだ。
断言しよう。あの時、自分は確実に生きることを放棄した。
辛く苦しい"生"を放り出して、"死"の中に活路を見出した。
灰色の空の中に光る蒼に誘われ、花の蜜に群がる蟲のようにフラフラとただ深い海へと堕ちていくことを望んだ。


ティアナは指先にグッと力を入れる。
五指十指、滞りなく動く。
身体の疲れは抜けていないし、脇腹も痛む。
だけど多分<<健康>>と言ってしまっても差し障りない程度の怪我だ。そう、キャロと比べればこんな怪我何の問題もない。


では――今の自分を動かしている感情とは何なのだろう。
目覚めてすぐに思考をし、裸を見られたことを恥ずかしいと思い、紅茶の味を本当に美味しいと感じた。
この部屋で意識を取り戻して最初に考えたことは決して「自殺すること」ではなかったのだ。

自分は生きている。そして生きたいとも思っている。
だがその動機を未だに整理することが出来ていない。

答えは出てこない。
漠然とした意識の集合体として、ティアナ・ランスターは今この空間に在るのだ。
空っぽだ。虚しさだけの肉の器。抜け殻だ。


「ティアナ君。君はキャロ君の、キャロ・ル・ルシエ君の仇を取りたいと思いますか」
「どうして、そんなことを聞くの」

静寂は高遠の問い掛けによって破られた。ティアナはソレに不機嫌な態度を示す。
「キャロの仇を取りたくないのか?」と尋ねられれば、当然イエスと答える。
キャロには何の罪もなかったのだ。あの子にあれだけの苦しみと痛みと悲しみを与えた連中がのうのうと生きている。
考えるだけでティアナは頭が変になってしまいそうだった。


「ジェット・ブラックと彼に同行している少年――でしたか。
 二人の様子を語った時のティアナ君の様子は異常でした。
 尋常ではない語り口調。鬼の形相。心の底から殺してやりたい、そうあなたの眼は語っているように思えましたので」
「――ッ、キャロは、キャロには……殺される理由なんてなかったの!
 あの子は優しくて友達思いで、だけどいつも一生懸命で仲間のことを一番に考えるような子だったの。
 なのに……あんな、あんな最期なんてあんまりじゃない……あんまりよ!」


もう止められなかった。感情の吐露を止めることが出来ない。
ひたすら叫び、嘆き、溜め込んでいた苦悩を高遠に向けて吐き出す。
涙がこぼれた。
指先は震え、内臓は今にもひっくり返ってしまいそうだ。

クロスミラージュは自分にとって頼れる相棒だった。再会した時も自分を元気付けようと必死だった。
そして、そのの心が重かった。
同情が、
献身が、
苦悩が、
痛みが、
信頼が、
何もかもが私にとって重荷だった。

逆に、この男は自分に対してとことん無関心だ。
感情の波と言うものがまるで見えない。
ただ淡々と情報を整理し、その結果導き出される解と疑問を投げ掛けているだけ。


「それは、二人を殺したい程憎んでいる、ということですか」


やっぱりだ。
これだけ自分が取り乱しているのに、男の言葉はこれっぽちも暖かくなかった。
「立ち直らせよう」とか「優しくしてあげよう」とか、そんな意志をまるで感じない。

故に心は勝手に昂ぶって行った。
身体の中の熱が燃え上がり、忘れていた感情に火を点ける。


「当たり前じゃないっ! あんな奴ら……殺されて当然よ」





「――そう、ですか」
「え?」

高遠が口元にゾッとするような微笑を携えながら、ポケットに手を突っ込んだ。
ティアナは彼のあまりにも自然なその言葉に、胸中の殺意を見失いそうになる。


「ティアナ君、人殺しの経験は?」
「――な……あ、ある訳ないじゃないっ!」

あまりにも非常識な高遠の言葉にティアナは当然、反論する。

「そうですか? てっきり、今までに一人や二人殺した経験があるものかとばかり」
「アンタ……」
「ふふふ、そんなに目くじらを立てることもないじゃないですか。
 <<魔法>>などと言う危険な力を持っているのです。試しに人に向けて使ってみた……ありそうな話ではないでしょうか。
 それに……ね。その綺麗な身体と――血だらけの制服を見れば、あなたの言葉を全て鵜呑みにするのは中々困難と言うものだ」
「ッ!?」

ティアナは思わず立ち上がりそうになる両脚を必死で抑え付ける。
大きく瞳を見開いたまま、高遠の顔を直視する。

「あれだけ赤黒く染まった制服を身に着けていれば、その筋を疑わない方がどうかしています。
 明らかに他人、加えてアレだけの量の血液――確実にその血を流した人間は死んでいると判断出来る。
 そして血に濡れた身体を隠そうともしない者……ソレは余程の精神異常者か、もしくは出会う人間が自分をどう思おうとも問題視しない人間です。
 ティアナ君は少なくとも前者には見えなかった……つまり後者。
 ゲームに乗った人間……殺人者ではないかと疑うのは自然な論理です」
「――ッ!!」

高遠の言葉は明らかにティアナを真正面から否定するものだった。
確かに、自分の身体が血塗れだったことで疑念の眼を向けられるの仕方がないと思う。
確かに明智に襲い掛かった時の自分は幽鬼のような憤怒に満ち溢れていたとは思うが、彼の言葉はまるで自身を焚き付けているかのようにすら感じる。

「そもそも、ティアナ君の話にはおかしな部分が多々あると思うのですよ」
「おか、しな……部分?」
「ええ」

高遠の言葉は止まらない。ポケットに突っ込んだ指先で中に入っている"何かを"弄くりながら、彼は無表情で続ける。
次の焦点はティアナが彼に話した自らの境遇についての言及だった。

だがティアナが高遠に何一つ嘘など言っていない。
殺し合いが始まり、すぐさまジェット・ブラック一味にキャロを殺され、自分がキャロを殺したと思い込まされた。
奴らはティアナを取り込もうと幾つか策を講じたが、何とか逃げ出すことが出来た。
そして自暴自棄になった所を明智に取り押さえられ、青髪で半裸の男との戦いに負け、クロスミラージュに見捨てられた絶望故、海に身を投げた――何も間違っていない。


「言いたいことは色々あるのですが……そうですね。
 一番気になるのは、やはり『本当にキャロ君を殺したのはジェットという男なのか』という一点についてですね」
「な――ふ、ふざけないでっ! そんな、確かにキャロを殺したのはアイツよ。ジェット・ブラックよ! しっかりとこの眼で見たんだから!」
「本当に、そうでしょうか?」

高遠はティアナの言葉を遮る。

「ヒントは三つです。順を追って説明していきましょう。
 まずゲーム開始後すぐにキャロ君が遠方から狙撃され、殺害された――これが一つ目の疑問点です。
 狙撃、ということは下手人はおそらくライフル銃を支給されていた筈です。
 しかし狙撃において何よりも重要なのはポイントの確保です。一流のスナイパーであるほど、自らが銃撃を行う場所には入念の下調べを行います。
 そしてその場所は空でも飛べない限り、簡単に見つかるものではありません。ましてや、狙撃が行われたのは市街地ですしね。
 加えて、狙撃銃は準備や点検に時間が掛かることで有名な銃だ。
 銃に詳しい人間であればあるほど、銃の構造把握には念を入れる……ティアナ君も心当たりがあるでしょう?
 これだけの逆境が存在する中で、ゲーム開始からほとんど時間が経っていないにも関わらず正確な射撃を行うような者がいるのでしょうか」
「え……」

高遠の言葉は非常に理が通っていた。
ゲームが始まってすぐさま自分のスタンスを決定出来る人間がどれだけいるだろう。
見知らぬ人間を殺す――しかも、狙撃という明確な技術を必要とする方法で。
稀少だ。そんな能力を持つ人間が参加している可能性は相当に低い。

思考が歪んだ。
ぐにゃりと、
ぐしゃりと。

頭がキリキリと痛み出す。
まるで頭蓋骨に電動ドリルを押し付けられて少しずつ脳味噌を削岩されているような。
万力で思いっきり頭部を締め上げられているような、痛み。

「次の疑問点はもう少し単純です。
 ジェット・ブラックという人物が殺し合いに乗っているのならば何故――ティアナ君をさっさと殺してしまわなかったのか。
 お世辞にもティアナ君は強そうには見えません。その実がどうであれ、ね。
 しかも彼と出くわしていた時、あなたは非常に錯乱していたそうではないですか。
 ゲームに乗った人間が、果たしてそんな不安定な少女を懐柔しようなどと思うのでしょうか」
「あ、あ、あ……ッ」


ピシッ、ピシッとティアナの頭の中で奇怪な音が響いた気がした。
ティアナはグルグルと回りだした頭を両手で抱え込むように喘いだ。
割れてしまう、壊れてしまう。心が、精神がバラバラになる。

――狂ってしまえ。

そんな声が聞こえた。


「そして最後の一つは……それ以上に分かり易くて明快だ。そして、同じくらい残酷な……疑問です。
 ティアナ君は銃の扱いに慣れていると聞きました。
 そんなあなたが銃を――撃ったかどうかさえ分からない。そんなミスを犯すのでしょうか。
 撃ったと一度思ったのならソレが正解……ただ事実から目を背けていただけではないのか」
「や……め、て……それ以上、言わ、言わない……でッ」


高遠は縋るような眼のティアナを少し眺めると、

――小さく頷いた。


ティアナは安堵した。未だギリギリと痛む頭を抱えながら、心の底から。
何とか、押し留まった。
全てが壊れてしまうほんの一足前でギリギリ踏みとどまったのだ。
自分が、ティアナ・ランスターがまるで別のナニカに変わってしまう直前で。



「……こそ」
「え?」
「ティアナ・ランスター。ようこそ――殺人者の世界へ」


高遠は愉悦混じりの微笑を浮かべた。

笑った。
にまりと、背筋が凍りつくような口元の歪みと共に。
罪状を被告人に言い渡す裁判官のように、一番残酷な結末をティアナへ放り投げる。


「私なりの結論を申し上げましょう。
 キャロ君を殺してしまったのはジェット・ブラックなどではない。
 あなたは逃げていたのです。自らが犯してしまった罪から……ね。
 そう、キャロ君を殺したのはあなたです。とっくの昔に――ティアナ君は人殺しだったのですよ」


「――――――――――――――――ッ!!!!!!」


何かが音を立てて壊れたような気がした。
一体自分は何なのだろう。何を無くしたんだろう。

分からない。
もう、どうでもいい。
どうなっても構わない。全部、全部。

ああ…………キャロ、ゴメンね。私……




あなたを、殺しちゃったんだ。




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157:嗤う高遠 高遠遙一 178:君らしく 愛らしく 笑ってよ(後編)
157:嗤う高遠 ティアナ・ランスター 178:君らしく 愛らしく 笑ってよ(後編)





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