阿修羅姫(前編) ◆LXe12sNRSs



 「……おらへんな」

  とあるビルでのワンシーン。
  灰色が埋め尽くす階層を隈なく捜しても、人影は愚か、鼠の気配すら探り取ることはできなかった。
  廃屋……というほど廃れているわけではないが、生活の跡も見当たらない。かといって、真新しい新築の香りがするわけでもない。
  住人は積もり積もった埃のみで、踏めば跡がくっきり残る。しかし、男以外の足跡は見当たらない。
  築造から幾年、人が立ち入ることなく放置され続けたなれの果て。それが、男がこのビルに対して抱いた印象だった。

 「わいの勘違いか? ……いや」

  ついには屋上まで到達したが、やはり人の立ち入った痕跡は見当たらない。
  だが、数分前までこの場に謎の狙撃手がいたことは確かだ。
  なにせ男はその狙撃手に命を狙われ、その逆襲をするためにここまで上り詰めたのだから。

 「こっから狙っとったわけか。なるほど、あのちびっ子がよー見えるわ」

  屋上の際に立ち、男は眼下に広がる街路を見やる。
  建物という壁によって形成された構図は、驚くほどシンプルだ。道路は開けており、狙撃を邪魔する遮蔽物は特に見当たらない。
  街の全景はもちろん、ザクロのように咲いた血の花……狙撃手が餌として撒いたであろう少女の死体も、ここからなら一望できた。
  条件は十分すぎる揃っている。極めつけは、足元に垂れている血痕だ。
  おそらくは、男が狙撃手に対して放った反撃が命中した結果。
  男が立つこの地点こそ、狙撃手が数分前まで身を潜めていたスナイプ・ポイントに他ならなかった。

  しかし、妙な点が一つ。
  男は一階から屋上に至るまで、このビルの唯一の昇降手段である階段を使って上ってきた。
  なのに、屋上にいたはずの狙撃手とは鉢合わせるどころか、階段には男以外の人が足を踏み入れた痕跡すらなかったのだ。
  仮に屋上から飛び降りて逃げたのだとしても、そもそもどうやってこの屋上まで上ってきたのか。
  初めに飛ばされた場所がここだったのでは、とも考えたが、それならあの少女の死体は誰が用意したのか。
  いきなり屋上に飛ばされ、いきなり道路を歩いていた少女を発見し、いきなり持っていたライフルで射殺、そのまま餌に転用。
  寄ってきた獲物を狩ろうと算段し、後はそのまま待機……話としてはできすぎている。
  それに、少女の死体の側には支給されたはずのデイパックがなかった。狙撃手が持ち去ったと考えるのが妥当だろう。
  以上の条件を踏まえて、最も可能性が高い答えは一つ。
  狙撃手の正体は、鳥――ではないにしても、侵入と逃走を可能にする程度の飛行手段を持つ人間だ――と。
  男は銃撃戦のスペシャリストだ。一介のスナイパーなどには劣るつもりもないが、相手が鳥とあってはどうか。
  それこそ、銃撃戦と言うよりは狩猟の範囲だ。たかが四発の銃弾と、一個の爆弾では深追いするのも非効率というものか。

  ――と、そこまで考えて、男の視界を眩い光の洗礼が襲った。

 「――っ?」

  朝焼け、だった。
  気づけば天井の薄暗さはどこへやら、東の空から日の光が覗き込め、屋上に立つ男の脳髄を刺激する。
  血の臭いを嗅いだ直後には、刺激的すぎる眩さだ。男は煙たがるように光を手で遮ると、快晴の空を見て思った。

 「……なにやってんねん、自分」

  ボソッと、自らの行いを見つめなおすように言う。
  男は、どうしてこの場に立っているのか。決まっている、狙撃手を殺すためだ。
  殺す、という行為自体に、特別な感傷はない。男にとって殺人は非の範疇にあるもではなく、世界観から見ても正常と言える行為だ。
  なにせ、この世の理は殺し合い。もちろん、元住んでいた砂の惑星はここよりは慈悲があったが、それも今さらな話だ。
  血と硝煙の世界。男はそこで息絶え、地獄へ直行する寸でのところで、この場に連行された。
  死の運命を背負った男が、わざわざ殺し合いの場に連れて来られた。傍迷惑な話だったが、何を期待されているかと言えば、一つしかない。
  それが、今はどうか。まるで、少女の仇を討つために悪を捜し歩く正義の味方ではないか。
  決意などというものは、所詮は自身の胸中でのみ意味を成す『前提』であり、決意を行動に示して初めて『結果』として意味を成す。
  しかし、この男はまだ人を一人も殺しておらず、それどころか、既に死んだ人間を憐れみ、供養してやろうとさえ考えている。
  矛盾だらけ、迷いだらけ、口だけの愚か者だ。そんな男が、わざわざ生き永らえられてまでこの地に召喚された理由とは、なんなのか。

  ――あるいは、救い手となるためなのかもしれない。

  前述した、悪のみを裁き生者には慈悲を与える、慈愛心に満ちた英雄――にでもなればいいのか。
  答えなど両端だ。順応し、殺す者か。抗って、殺されるか殺し返す者か。
  現状の男は、行動だけを見るならば後者だ。誰も知らぬ内面の決意を考慮すれば、百歩譲って前者とも言えるが。
  聖にも邪にもなれない、偽善者。男を称するなら、それしかない。
  どっちつかずの半端者。あるいは、死者には相応しい蔑称かもしれない。

 「なぁ、ちびっ子。おまえの目から見て、今のわいはなんに見える?」

  男は路上に転がる少女へと語りかけるが、声が届く距離でもなく、届いたとしても意味はない。
  問うたところで、彼女に返す口がないのはもちろん、聞く耳も、見る目も、全ての機関が機能を停止している。
  彼女に死を与えたのは、名も姿も知らぬ狙撃手だ。そして彼女の死を歪め、より悲惨なものにしたのは、男自身だ。
  今さら謝って許されるとも思わない。彼女にその能力があるなら、呪殺されるは狙撃手ではなく男のほうだろう。

  さて、ここで今一度考えてみる。
  行くは地獄、引くも地獄。
  寄り道の世界で、男はどう振舞うべきだろうか。
  最後までどっちつかずの偽善者として振舞うか、
  善よりの正義として抗う者に味方するか、
  悪よりの愚者として早々に終結へと導くか、
  道は三つ。選ぶは一人。助言は無。

 「……あるいは、こいつで決めるっちゅーのもおもしろいか」

  四発の弾丸が込められた、一丁の銃。この先、男の運命を委ねるかもしれない大事な一品だ。
  この銃に込められた因縁は置いておくとして――運試しをするには、ちょうどいい得物だった。
  男はおもむろに銃の回転式弾倉を外すと、それをシャッフル。弾丸の確認もせずに銃口を自身のこめかみに突きつける。
  確率は六分の四。当たれば男の寄り道はここで終わり、愚かな醜態を晒すこともなくなる。
  外れれば、それがこの世界の神――螺旋王の意志だと認め、従ずるのも一興。
  確率で言えば、今すぐオサラバして楽になれる可能性のほうが高いのだ。
  恐れはない。既に死んだ身であるというのは何べんも自己に言い聞かせた。
  この機会をチャンスと取り、生を謳歌しようと考えるほど見苦しい男でもない。
  何度でも言おう。これは、地獄へ向かう際の寄り道に過ぎない。
  第二の人生などという、恐れ多いものでは――決してないのだ。

 「つまり、そういうことや」

  男は呟く。引き金は、既に絞られた後だった。

 「矛盾は矛盾。わいがここに生きとることも、さっき神さんにお祈り捧げたんも、反吐の出る矛盾や。だから――やっぱ堪忍してくれ」

  そして男は、道を選んだ。
  そして男は、道を外れた。
  そして話は、始まった。


 ◇ ◇ ◇


 人生は絶え間なく連続した問題集と同じだ。
 揃って複雑、選択肢は極小、加えて時間制限がある。
 一番最低なのは、夢のような解決を待って何一つ選ばないことだ。
 最良の方法を瞬時に選べ、私たちは神とは違う。

 万能でないだけ鬼に成る必要がある。


 ◇ ◇ ◇


 某月某日明朝名もなき市街地にて――

 微かな街頭に照らされるだけの心許ない道路は、なんとかバイクを走らせられる程度には明るくなった。
 それでも、肝心の運転手――鴇羽舞衣には、免許証はもちろん、自動二輪車を動かした経験すらない。
 たどたどしい運転は今にも転倒しそうな危うさで、どうにか二人乗りの車体を垂直に保つので精一杯。
 周りの警戒は愚か、後ろの乗客の異常すぎるテンションにも気が回らなかった。


 シモンは思った。
 俺がやるしかない、と。


(ニア……待っていてくれ、ニア……!)

 シモンがアニキと慕う男、カミナはもういない。
 グレンの搭乗者であり、大グレン団のリーダーであり、何よりシモンの心の支えであった存在は、もうここにはいないのだ。

(……そうだ、アニキは死んだ。だから俺が、俺がアニキの分まで戦わなきゃいけないんだ……!
 獣人たちを、四天王を、ロージェノムを倒して! 俺が……アニキにならなきゃいけないんだ!)

 獣人の駆逐と地上の解放、それがシモンたち大グレン団の掲げる目標だ。
 人間たちは、遥か昔から獣人たちの圧力により地中での生活を強いられてきた。
 だが、それももうすぐ終わる。カミナやグレンラガンの勇姿に感銘を受け、集った仲間たち、大グレン団の結束力を持ってすれば。

(無理を通して道理を蹴っ飛ばす。できるさ、俺たちならきっとできる。そのためにも、早くダイグレン戻らなくちゃ!
 ニアと、それからヨーコとも合流して……アニキなら、アニキならまずそうするはずだ!)

 シモンの中で大仏のように力強く鎮座する『アニキ像』は、決して揺るがない。
 幼少の頃より可愛がられ、誰よりも近くで見てきたその背中、その心意気、その生き様は、影響力でいえば父親にも匹敵する。
 が、シモンには憧れるはずの父がいない。だからこそ余計に、瞳はアニキのほうへと傾いた。
 シモンは追いかけてばかりだった。昔からずっと、憧れのアニキの背中を見つめてばかりだった。

 だが、見つめていた背中は、ある日突然消失した。
 いつも追いかけていた目標を見失い、シモンは戸惑った。
 明日から俺は、何を目指して進めばいい。何を信じて生きればいい。
 自問して、そのたびにシモンの内にいるアニキが答えてくれた。

 おまえが信じる俺を信じろ。

 それは、シモンの精神を正常に繋ぎとめる薬であり、毒でもあった。
 いつまで経ってもアニキという存在に固執し、泥濘から抜け出せない。
 ニアと出会ってからも、新たな四天王と相対して、挙句ラガンに拒絶されても、それは変わらない。
 シモンはまだ、カミナの死を乗り越えられていなかった。
 ニアを助けたいという思い、そこに焦りが孕むのも、仕方がないことだった。
 アニキならそうする――そう思わずにはいられなかったから。

 重すぎたのだ。シモンにとって、カミナという存在は。
 そして、カミナはもういない。

(だから、俺がアニキの代わりに――ん?)

 血走った目で、シモンはゴーグル越しに進路方向を注視する。
 朝焼けのおかげでだいぶ明るくなってきた街路、その路上に、人影が転がっている。
 運転手の舞衣はバランスを保つことで精一杯なのか、数十メートル先のそれにはまだ気づいていない。


「舞衣、あれ見てくれ。あそこ、前のほうで誰か寝てる!」
「はい~っ!? 寝てるって、ここ道路よ!? ってか私それどころじゃ……って、ホントだ」

 シモンに促されて、舞衣も前方の人影にようやく気づく。
 元々低速だったバイクのスピードをさらに緩め、ノロノロと接近していく。
 徐々に、徐々に、路上に転がっているそれの実態が、シモンと舞衣の瞳に映し出されていく。
 微かに黒ずんでいるように見えるそれは、どうにか人の形を保っている。
 周囲の地面でアメーバのように広がっている染みは……血、だろうか。
 いくら朝方とはいえ、こんな道のど真ん中で、人が寝ているはずもない。
 とくれば、答えは単純。寝ているのではなく、起き上がれないのだ。
 つまり、

「……おい舞衣、あれって……」
「まさか…………」

 ――脳裏を、不吉な影が横切った。
 しかし、シモンも舞衣も、言葉にするには至らず。
 唐突に、世界が途切れた。


 ◇ ◇ ◇


 彼女にとって、炎は忌むべきものだった。
 炎。それは彼女、鴇羽舞衣のエレメントの象徴ともいえるものであり、攻防の両方を担ってきた。
 当初はオーファンと戦うための術として、かつてはHiME同士の争い、蝕の祭を勝ち抜くための術として。
 そして現在は、82名による殺し合いを生き抜くための術として。
 なぜ、炎だったのかは分からない。舞衣と炎になんらかの因果関係があるのか、それよる恩恵が与えられでもしているのか。
 定かではない。どちらにせよ、舞衣は炎が、自身の持つ炎の能力が好きではない。
 森を焼き、友達を焼き、闘争の渦中へと導いた……HiMEの能力。
 こんな能力、いらなかった。こんなものがなければ、舞衣は今も弟の巧海と幸せに暮らせていた。
 オーファンと戦って傷つくことも、シアーズ財団や一番地等とも無関係の日常を過ごし、命を焼き殺すことだってなかった。
 望まざる能力。舞衣にとって炎は、カグツチを含めたHiMEの能力は、忌むべき力だったのだ。


 舞衣は思った。
 私はなぜ、生きているのだろう、と。


 路上に転がっていた異物を確認し、遅行運転で進んでいたはずの数秒前。
 舞衣の意識は気づかぬ内に一旦途切れ、いつの間にかバイクのシートから身を落としていた。

「あ、れ?」

 弱々しい、少女とも聞こえるその声は、路地に転がるボロボロの身体から漏れ出ている。
 ずぶ濡れだった制服を一瞬で乾かすほどに身を焦がし、爛れた顔に皹を走らせ、土埃と煤に塗れたその姿は、爆撃の残滓とも見えた。
 が、彼女はまだ生きている。熱の篭った瞳で目の前の惨状を見渡し、混乱する頭で必死に状況を理解しようと努めた。
 燃えている。何もかも燃えている。
 乗り回していたバイクが、近隣の建物の外壁が、進路上に転がっていた『何者かの死体』が、粉々に砕け、燃え盛りながら散布している。
 空中に火の粉が舞うその光景は、まるでキャンプファイヤーのようでもあった。
 舞衣は思い出す。こんな状況に陥る直前、自分はいったいどうしていただろうか。
 バイクを運転し、転がっていた何かに近づき、どうやらそれが他の参加者の死体らしいと気づいて――そこで、意識が途絶した。
 そして、気づいたらこうだ。

(だれかに、襲われた?)

 そうとしか考えられなかった。
 バイクを木っ端微塵にし、なにもかも吹き飛ばされた惨状、爆弾か何かを投げ込まれただろうと舞衣は推測した。

(ふざけんじゃ……)

 茫漠として定まらない脳裏に揺れる、数々の闘争とそこからの一時的な離脱、そしてシモンとの記憶。
 この場にHiME同士の戦いなどという低俗な競争はない。あるのは、生きるか死ぬか、本当の意味での生存競争のみ。
 舞衣は抗うつもりだった。もう二度と間違いは犯したくない、復讐心に駆られて友達を焼き殺すのも、後悔の念に苛まれるのも御免だったから。
 シモンに協力し、ニアを助け出し、螺旋王に敵対するという形で、舞衣はこの世界を生きていこうとした、のに。

「……女の子の死体餌にして、寄ってきた女子供を爆撃、か。なるほど、外道やな。
 ……本当に、見習いたいくらいの外道っぷりや。ま、今さらわいが言えた義理でもないか」

 自分自身に、そして今はもうこの場にいない狙撃手に向けて吐き捨てたセリフが、舞衣には酷く不快に感じた。
 舞衣の生きようという意志も、シモンの膨れ上がりすぎた決意も、この男が全部台無しにしてしまった。
 この、真新しい黒いスーツを着こなし、燃え盛る戦場をさも興味なさげに闊歩し、あろうことか神に対して祈りを捧げる仕草をしようとして、やめる。そんなふざけた男に。

(こいつが……私を、シモン、を……!)

 舞衣の中で、沸々と激情が燃える。
 燃焼する怒りに身を委ねると、外傷と熱により苦しんでいたはずの身体は、意外にも自然と持ち上がった。
 糸で吊られたマリオネットのように、緩やかに、それでいて確かな敵意を全身に宿して、舞衣は立ち上がる。
 まだ男が気づかぬ内に、そっとエレメント――両腕に宝輪を具現化し、戦闘体勢を取る。

「……許さない」

 その囁きで、男は舞衣のほうへ振り向いた。
 顔を俯かせ、幽鬼のように立ち尽くす彼女を見て、男が何を思ったかは分からない。
 ただ面倒くさそうに苦笑いして、軽く舌打ちをした後、右手に銃を握っていた。

「……寝とけや。死に掛けの女いたぶるんは趣味やない」
「ここまでしといて何言ってんのよ……!」

 舞衣の両腕に装着された宝輪に、僅かな炎が宿る。
 風華学園に現れる異形――オーファンを撃退するために用いられてきた炎は、今や人殺しの道具へと変わり果てた。
 他のHiMEのチャイルドを、命を、そして今は、目の前の男を焼き殺すために。
 それでも舞衣は、はち切れんばかりの感情を寸前で押し留め、男に尋ねる。

「なんでよ。なんで、こんなことするのよ? そんなに死にたくない?
 誰かを蹴落として、誰かを殺して、誰かの大切なものを奪ってまで、生き残りたいわけ?」
「……それが、この殺し合いっちゅーもんやろ。……それにな。わい、とっくの昔に死んだ人間やねん。
 この銃かて、今になって初めて握ったわけとちゃう。女の子に説教されて自分見つめなおすようなアマチャンともちゃう」

 冷徹な眼光を放ちながら、男は黒光りする銃口を舞衣に向けた。


  ――キャロ・ル・ルシエの死体を餌に通行人を誘き寄せ、タイミングを見計らって近隣のビルの屋上から、手榴弾を投下する。
  男が殺し合いに乗る上で最初に実行した狩りは、なんとも下劣で、人の道から外れたものだった。
  しかし、それも今さらだ。
  男は、一度は死んだ人間。言うならば、螺旋王によって無理矢理蘇らせられたゾンビだ。
  そんな男に今さら人道を説いて、なんになるというのか。
  これはやり直しの機会などではない。冥府へ旅立つ際の、ちょっとした寄り道のようなものだ。
  螺旋王の実験を円滑に進めるための駒。それが今の男――ニコラス・D・ウルフウッドの役目なのだと悟った。


「……そっか。そうだよね。何勘違いしてたんだろう、私。シモンみたいな奴ばっかなはず、ないじゃん。
 だって、殺し合いしてるんだもん。あんたみたいなのが、普通だよね。だってこれ、殺し合いなんだからさ」

 舞衣の視線は、眼下の焦げ爛れたアスファルトに奪われていた。
 何もかもが焼けた。バイクも、死体も、道も、シモンも、唯一燃え滓のような舞衣だけが残った。
 少し前までは、シモンとこれからの方針を論じていたはずだったのに。展開が激変するには、あまりにも早い。
 だが、正常だ。これがこの世界にとっての、普通なんだ。舞衣はようやく理解した。
 理解して――もはや怒りしかなかった。

「……あんたは! あんたみたいなヤツを! 私は絶対に許さない――ッ! カグツチィィィィィィィィィィィッ!!」

 怒りに狂った表情を、燃え滾るような赤で染めて――舞衣は、腹の底から我が子の名を叫んだ。
 我が子、即ちチャイルド。HiMEの能力の根底にして、最強の保有戦力。
 その実態は神話から抜け出たモンスターのようであり、HiMEの心象をその身に宿したものである。
 舞衣の使役するチャイルド、カグツチは、記紀神話における火之迦具土神を模した火竜の化身だ。
 その戦闘力は人智を超えており、高次物質化能力を中和できもしない人間が太刀打ちするのは到底不可能。
 極論を言えば、チャイルドを出したHiMEを殺すのは、同じくチャイルドを有するHiME以外存在し得ない。
 こんな殺し合いなど、HiMEが複数介入している時点で成り立たない……はずだ。
 しかし、主である舞衣が呼びかけても――彼女のチャイルド、カグツチは答えてはくれなかった。

「……カ、グ、ツチ? なんで、どうして……?」
「……助け呼ぶつもりなら無駄やで。引き金引くのなんざ、一秒とかからん」

 いっこうに姿を現さないカグツチ。訳が分からず、舞衣は呆然と立ち尽くした。
 チャイルドの召喚は、螺旋王によって封じられている――そのような事実に気づく間もなく、舞衣は死の瞬間を直視する。
 ウルフウッドに憐憫の情は欠片もない。銃口は逸れず、ぶれず、真っ直ぐ舞衣の胸元を射抜いていた。
 あとは引き金を引くだけだ。たったそれだけで、舞衣は死ぬ。
 ……あるいは、それもいいか、と思った。
 端から不要と感じ始めていた命、生への執着もなくしかけていた。
 それを寸でのところで繋ぎとめてくれたシモンも、もういない。
 これでいいか。これで終わろう、舞衣はシモンの熱弁を思い出しながら、再び諦めようとしていた。

(結局私は、いつだって奪われる側の人間なんだ。幸福なんて訪れやしない、勝ち取ろうにもいつも品切れ。
 ……あーあ、最後まで不幸だったなぁ……でも、ま、それも私らしいか)

 カグツチが呼び出せない。銃弾くらいならエレメントでも防げるだろうが、今さらそんな気は起こらなかった。
 巧海を失い、命を失い、今度はついに、自分を失う。それが鴇羽舞衣の末路なのだと、受け入れた。

「ふざけるなッ!」

 ――そのとき。
 死を与える者とそれを受け入れる者、二者の間に、小柄な影が割って入った。
 ブルーカラーだった服を土色と赤で汚し、それでもなお、常の勇ましさを誇示する少年こそ、シモンだった。
 ウルフウッドが投擲した手榴弾の爆発に巻き込まれ、舞衣が掠り傷程度で生き永らえたのは、運が良かったとしか言えない。
 しかしこのシモンも、キャロのように身体が木っ端微塵になることはなく、どうにか一命を取り留めていた。
 ただ彼は舞衣とは違い、その姿を以前とはまるで違う様相へと変貌させていた。

「なんだよおまえ……ッ! 俺はこんなところで死ぬわけにはいかないんだ……舞衣だって死なせやしない!
 ニアを助けて、ヨーコを拾って、みんなで螺旋王を倒しにいくんだ……邪魔するってんなら容赦しないぞ!」

 一本の小さなナイフを頼りに、シモンは舞衣を庇うように立ち、ウルフウッドに敵意を向ける。
 ナイフで銃を持った殺人者に張り合うなど、冷静な思考のできる人間の行動とは思えない。
 実際、シモンはとうの昔に冷静さを欠いていた。
 ここに連れてこられ、ニアの存在を知り、そして襲撃された今となっても、それは変わらない。

 ただ、死ぬわけにはいかない。がむしゃらに生きて、大グレン団のみんなで螺旋王を倒さなくちゃいけない――そういった使命感に駆られているだけ。

 自らが陥っている状況を理解し、打開することもできはしない。そういう意味では、シモンはもう手遅れだった。
 一度は発狂し、熱意が冷めると同時に死を覚悟した舞衣とて、それは理解できた。
 今のシモンは尋常ではない。尋常ではないが、だからといって何かができるわけでもない。

「……アホくさ」

 鼬の最後っ屁として、勇猛に戦意を振り翳して……死のうとしている。ただそれだけだ。

「おまえ、わいが何もせんでも死にそうやんけ。死人に無駄弾使う気なんぞ起こるかい」

 冷たく吐き捨てると、ウルフウッドは銃を収めた。
 シモンと舞衣の殺害を諦めたわけではない。今さら撃つ意味がないと判断したからだ。
 なにせ、一人は軽傷とはいえ心身ともにボロボロの状態。それくらいは、彼女の事情を知らないウルフウッドにも分かった。
 そしてもう一人は、棺桶に片足を突っ込んだ状態―ーつまり、死ぬ寸前だ。
 これから死に逝く者に、数少ない銃弾を割くのは不合理と言えた。

 実際、シモンが死ぬ一歩手前であるという表現は、的を射たものだった。
 それが誰でも理解せざるを得ないであろう決定的な箇所を挙げるなら、頭部。
 シモンの頭部は脳天から額に欠けてパックリと割れ、夥しい量の血を外部に紛失、首から上を深紅に染めていた。
 立ち上がってナイフを握っていること自体が、不思議なくらいの有様。
 単なる女子高校生であれば、見ただけで卒倒してもおかしくない。それほどの傷だった。

 シモンが生きていた。だが、もうすぐ死ぬ。
 新たに飛び込んできた情報を頭で整理して、それでもやはり、舞衣は絶望から抜け出せずにいた。


 ◇ ◇ ◇


「けったくそ悪い……」

 いくら胸ポケットを探ろうとも、愛しの煙草の感触は戻ってこない。
 胸糞が悪い。イライラする。いつものように血塗られた腕で人を殺め、外道として振舞ってきただけなのに。


 ウルフウッドは思った。
 ……ひどく疲れた、と。


「……今さら後悔してどないすんねん。わいは死人やぞ。誰に恨まれようが関係あらへん。こんな悪夢さっさと終わらして、向こうでヨロシクやりたいわ」

 シモンと舞衣を襲撃し、退散した後のウルフウッドの後姿は、とても穏やかなものとは言えなかった。
 人を殺した後の背中など、どこぞの殺人狂でもない限りは後悔の念と罪悪感でいっぱいになるものだ。
 それは、最強の重兵器を担ぎ砂漠の星を渡り歩いてきたウルフウッドとて、例外ではない。
 人の死は嫌というほど見てきた。目の前で誰かを殺されるのも、誰かの目の前で殺すのも、それこそ星の数だ。
 それでも、善良な女子供を死に至らしめ、その怒りの矛先を向けられるのは、気分がいいものではない。
 憂さ晴らしに煙草が欲しい……心底からそう願い、しかし叶えられはしない。

「……いいかげん割り切れや、自分。女子供がどうやあらへんやろ……ああそうや、そうやな」

 あの名も知らぬ少女の死体には、謝罪してもしきれないほどの祈りを捧げておいた。それで許されるとも思っていないが。
 ウルフウッドは既に冥府魔道に落ちた愚者だ。それを自覚しているからこそ、あんな外道なやり方を思いつき、実戦した。
 もっとも、あれは手持ちの武器に手榴弾があったことと、参考にでき得る前例がいたからこその方法だ。
 それは、逃亡を果たした件の狙撃手。だが彼の人物がウルフウッドに決心を促したのかと聞かれれば、そうではない。
 これは、彼が自らの足で踏み出した道だ。少女の死も、そのきっかけの一端でしかない。
 彼の目的はただ一つ。死んだはずのこの身がここに存在する意味……それを果たすだけだ。
 殺し合い。つまりはそれだ。
 迷いなどない。孤児院の子供たちと同年代くらいの少年を殺した今となっては、迷いも何もない。
 胸糞は悪いが、それを受け止めて、殺し続けるしかない。それが、この地に存在するニコラス・D・ウルフウッドの意味だった。

「だからなぁ……せめて、煙草くれるくらいの温情は働いてくれや。聞こえてへんのやろうけどな」

 人知れず、螺旋王に愚痴るウルフウッド。
 覚悟だとか、迷いだとか、そういう次元の話ではない。ウルフウッドは逡巡する間もなく、既に外道なのだ。
 初めてこの手を血で汚したあの日から、今に至るまで。人間は、そう簡単に変わりなどしない。

 ただやはり、胸糞は悪かった。
 それだけの問題だ。


 ◇ ◇ ◇


 ――いいか、シモン。忘れるな。お前を信じろ。俺が信じるお前でもない。お前が信じる俺でもない。お前が信じる、お前を信じろ。

 そう言ったのは、どこの誰だったか――ジーハ村のカミナだ。
 傍から見たら荒唐無稽な、それでいて一部の人間にとっては神託のようなカリスマ性を秘めた、魅惑すぎる狂言回し。
 物事は全て気合で片付く。天井はドリルで掘れる。シモンに色々なことを教授してくれた、大きすぎる男だった。


 シモンは思った。
 俺は……俺が信じる俺を、最後まで信じることができたのだろうか、と。


(アニキ……俺、やっぱりアニキみたいに……)

 虚ろな意識がガラスのように罅割れて、カミナの虚像を歪めていく。
 カミナは死んだ。もういない。
 分かっていた。分かっていたはずなのに、シモンはそれを乗り越えることができず、偶像のアニキに縋ってばかりだった。

(ニア……すまない、俺……)

 ――穴を掘るなら天をつく。墓穴掘っても堀り抜けて、突き抜けたならシモンの勝ち。
 ――シモンはシモンだ、カミナのアニキじゃない。シモンはシモン、穴掘りシモンだ。

 答えは用意されていたはずなのに、掴み取ることができなかった。
 シモンは、この殺し合いという環境に順応する前に、不遇な運命を迎えた。

(舞衣も……ごめんよ……)

 シモンの瞳にはもう、泣きじゃくりながら死を嘆く舞衣の顔すら映っていない。
 カミナやヨーコ、ニアやリーロン、ロシウ、ダヤッカ、キタン……仲間たちとの思い出、走馬灯で視界が埋め尽くされていた。
 決意も無念も、全てが死という名の虚無に埋没されていく。螺旋王と敵対する大グレン団筆頭の意志は、ここで潰えるのだ。

(俺も、アニキみたいになりたかった。でも俺は、アニキにはなれなかったんだ)

 最後まで間違いに気づくことはなく、シモンは『アニキ』という大きすぎる存在を抱えて、死んだ。
 後に残されたのは、いつものように泣く少女だけだった。


  ――毎日、穴を掘るだけの生活だった。
  閉鎖された世界で、俺の仕事はそれだけだったんだ。ついでに言えば、得意分野と言えるものも、それくらいしかなかった。
  穴掘りシモン。いつしか、影で俺はそんな風に呼ばれていた。穴掘りが上手かったからだ。

  ある日、俺はいつものように穴を掘っていると、光る小さなドリルと、巨大な顔を見つけた。
  それがなんなのかは、頭の悪い俺には分からなかった。でも、珍しいものには違いない、そう思ったんだ。
  俺はその巨大な顔をアニキに見せようと思って、そこから物語りは始まった。
  突然振ってきたのは、ライフルを持った、すごく胸のでっかい女。それがヨーコだった。
  一緒に振ってきたのは、俺が見つけた巨大な顔よりもっとデカイ顔。それがガンメンだった。
  光る小さなドリル。コアドリル。巨大な顔。ラガン。俺が穴を掘って見つけた、二つのお宝。
  それが、俺とアニキとヨーコの、俺たちの旅の始まりだった。

  見上げるだけだった天井の向こうの世界。地上。俺とアニキが夢見た世界は、決して生易しい世界なんかじゃなかった。
  でも俺は、地上に出れてよかったと思う。ニアやヨーコ、たくさんの仲間に出会えたこともそうだけど、
  あのまま地下で穴を掘るだけの人生じゃ、きっと退屈で死んでいたと思うから。
  地上は危険なことばっかりだったけどさ、それでも、あそこで燻って一生を終えるよりはよっぽど有意義だったと思う。
  お前のドリルは天を突くドリルだ――アニキの言っていたことの意味が、ようやく分かったような気がした。

  人間は、死んだら天国へ行くらしい。
  天国ってのはつまり、地上よりももっと上、あの青くなったり黒くなったりする、空の先にあるんだと思う。
  つまり、あれも天井だ。俺のドリルは天を突くドリル。なら、あの天井も俺のドリルでぶっ壊してやる。
  そうしなきゃ、天国には辿り着けない。ひょっとしたら、アニキも入り口が見当たらなくて困っているかもしれない。
  じゃあ、早く行ってやらなきゃ。行って、アニキと一緒に天国へ向かわなきゃ。
  俺のドリルは、天を突くドリルだから。


 ◇ ◇ ◇



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043:失ったもの/失いたくないもの シモン 088:阿修羅姫(後編)
044:獣を見る目で俺を見るな ニコラス・D・ウルフウッド 088:阿修羅姫(後編)





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