かくして翌日。4人は音楽室で紬が来るのを待った。

唯「ムギちゃん、きっと来てくれるよね……」
律「だといいんだけど……今日は学校にも来てなかったからな」

唯達のクラスの担任の話では、紬は転校の準備や手続きで何かと忙しく、転校の当日まで学校は欠席するだろうとのことであった。

梓「そう言えば学園祭本番はもう3日後ですよね……。全然練習してない……」

梓の言葉に一同押し黙る。
一つだけ断っておくのならば、彼女達は練習を『しない』のではなく『出来ない』のだ。
大事なパズルなピースが一つ欠けた状態では、いくら演奏を合わせたところで意味などないのだ。 4人で合わせたところで、律のドラムは走るどころかワンテンポもツーテンポもモタりはじめ、梓のギターは発情したウマのいななきのような間抜けな音を出し、
澪のベースは演奏した途端に四弦が切れ、唯に至っては家にギターを忘れてきた。

澪「大丈夫……きっとムギは来てくれるさ。そうじゃなきゃ放課後ティータイムは……」

4人だけでやっていくことなんて――出来ない。

誰もがその恐ろしい想像に思い至った時、期せずして音楽室のドアが控え目な音を立てて開かれた。

律澪唯梓「!!!!」

その輝かしき黄金の眉毛の持ち主は見紛うことなき紬その人であった。

紬「昨日、斉藤がここに来たって聞いたのだけれど……」
澪「ああ。そこで大体の事情は聞いた」
紬「今まで黙っていてごめんなさい」

紬は今にも消え入りそうな沈痛な表情で頭を下げた。

紬「斉藤の話にもあったと思うけど……お父様は頑固な人、一度決めたらきっとテコでも動かない……。本当にごめんなさい……」
唯「そんなぁ~……じゃあやっぱりロンドンに行っちゃうの?」
梓「どうしてもお父さんを説得することは出来ないんですか!?」

縋りつくような唯と梓の懇願に、紬は力なく首を振った。

紬「ごめんなさい……。これが私のお父様のやり方……そして、琴吹家の宿命なの」

『宿命』――4人がその単語を聞くのは2度目であったが、紬本人の口から聞くそれは一層重みがあるように感じられた。

紬「私は明日日本を発つの……。本当は学園祭のステージで最後に一緒に演奏したかったけれど……どうやらそれも難しいというのが本当のところ……」

『学園祭』――その単語に4人の胸の中で鼓動が跳ねた。

紬「軽音部での1年半は……本当に楽しかった。『放課後ティータイム』は最高のバンドだったと思います。だから私がいなくなっても……活動を続けてね」
唯「そんな……ムギちゃんがいなくなったらキーボードは……」
紬「大丈夫、学園祭で良い演奏をすればきっと新しい部員が……」
律「いい加減にしろ、ムギ!!」

突如、律が机を叩いて大声をあげた。その場にいた全員が、文字通り数秒固まった。

律「さっきから聞いてれば……二言目には『ごめんなさいごめんなさい』って
  ……謝罪の言葉ばかり。
  私たちは同じバンドのメンバーである前に仲間だろ? 友達だろ? 
  私たちが去っていく友達を恨んだりするとでも思ってるのか? そんなわけない!」

澪「り、律、ちょっと落ちつけ……」

律「落ち着いていられるか! しかも何だ? 
 『私がいなくても代わりがいるから』だなんて理屈っぽいことを言いやがって!
  ムギは私たちのことを買いかぶりすぎているぞ!? 
  お前がいなかったら……駄目なんだよ。
  この5人じゃないと駄目なんだよ! 琴吹紬に代わりはいないんだよ!!」

唯「りっちゃん……」
梓「律先輩……」
澪「わかったわかった。ちょっと落ち着け」
律「もへっ!?」

澪の大きな手に口を塞がれ、バタつく律。そして澪は律がクールダウンしたのを確かめると、凛とした瞳で紬を見据えた。

澪「でも律の言ってることには私も同意だ。放課後ティータイムはこの5人じゃ駄目なんだ。
 それで今日、私たちはムギにどうしても聞きたいことがあったんだ」

紬「聞きたいこと……?」

澪「さっきからムギが言っていることは本心からのことなのか?」

紬「!!」

澪「本当にロンドンに行くことは宿命で仕方ないことだと思っているのか?
  本当に自分がいなくなった放課後ティータイムが活動していっていいと思っているのか?
  本当に自分の代わりの部員があっさり後釜に収まってしまっていいと思っているのか?」

澪の問いかけに、それまでどこか達観したような諦念を湛えていた紬も、目に見えて動揺し始めた。

唯「ムギちゃん……今言ってたよね? 『本当は学園祭のステージで一緒に演奏したい』って」

梓ムギ先輩「……言ってましたよね?『この1年半は本当に楽しかった』って」

紬「わ、私は……」

澪「お願いだ、ムギの本心を聞かせてほしい。アメリカに行くことがムギの本心ならば私たちには何も言えない。でもそうでないのなら……」

紬「ほ、本当は……」

唯「ムギちゃんだけが本心を言うのは不公平だから、私も言うね。私はムギちゃんがいなくなっちゃうのいやだよ。一生アイスが食べれなくなっちゃうよりいやだよ?」

律「お、いい心がけだな、唯! 私も本心を言うぞ! ズバリ、絶対に嫌だ! っていうかそんなことさせないし阻止する!」

梓「わ、私も嫌です!! 絶対に阻止しますっ!」

澪「勿論、私もだ。正直、今つらくて仕方ないし、偉そうなこと言ってるから我慢してくれるものの……本当は……泣きそうで……」

その言葉が、ほぼ引鉄となった。

紬「い、嫌です! 本当は……ロンドンなんて行きたくありません!!
  みんなと一緒にお茶をしたいし、買い物に行きたいし、海にも行きたいし、
  クリスマスパーティーしたいし、演奏したいし……とにかく……いっしょに……いた
  い……!!」

最後の方は涙声になった紬の告白。
彼女は初めて自分の心の内以外で本音を吐き出したのだ。

澪「……よし。それじゃあ決まりだな」
紬「……きまり?」
律「ムギが日本を発つのは学園祭の翌朝だろう? だったら最後まであがいてやろうってことだ!」
紬「……あがく?」
唯「今度の学園祭……一緒に演奏しよう?」
紬「……演奏?」
梓「先輩のお父さんに、私たちの演奏を見せつけてやりましょう!」
紬「……見せつける?」
律「そうだ! 私たちのメチャ素晴らしい演奏を聴かせて、ムギの父さんの心を変えてやろうって寸法さ!」
澪「それが何よりも雄弁に、ムギの本心をお父さんに伝えることになると思うからな。
  あ、大丈夫、ムギのお父さんが学園祭当日に日本に滞在しているのは執事の斉藤さんに確
  認済みだ。何とか連れてきてくれるようにするってさ」

紬「斉藤が……そんなことを……」
律「ま、たとえ日本にいなくても首根っこ捕まえてでも連れてくるけどな♪」
唯「だから残り時間は短いけど……また一緒に練習しよう?」
梓「私たちも最高の演奏を見せられるように頑張ります!」
紬「みんな……ありがとう……」
律「なぁーに。何度も言うように私たちは同じバンドのメンバーである前に友達だぜ?」
唯「これくらいのこと、あたりまえだよ?」
梓「だから皆でまた頑張りましょう!」
澪「よし! そしたらここ最近ずっと怠けてたし、早速練習をしないとな!」
紬「……はいっ!」

紬の表情に、やっとのことで僅かな光が指した。

かくして、学園祭でのステージに最後の希望を託した紬達であったが、現実というものはそんな女子高生の友情を察してくれるほど、甘くも善人でもなかった。


その日、紬が家に帰ると、

斉藤「紬お嬢様、おかえりなさいませ」
紬「斉藤……なんだか気を遣わせてしまったみたいね。ありがとう」
斉藤「いえ。勿体ないお言葉でございます。それよりお嬢様……先程から旦那様がお待ちでございまして……」
紬「お父様が?」
斉藤「はっ。お嬢様がお帰りになり次第、連れてくるように、と」

紬には話の内容は大体予想がついた。
逃げるわけにはいかない。自分は最後まで足掻くことを決めたのだから――。

ムギ父「斉藤から話は聞いた。学園祭で軽音部として演奏をするそうだな」
紬「はい。斉藤の言うとおりです」
ムギ父「何でも私にも見に来てほしいとのことらしいが……」
紬「はい。お父様がご多忙なのは重々承知ですが……」
ムギ父「なに、私としても娘が人前で演奏するのを見に行くことは吝かではない。ちょうどスケジュールも空いている」
紬「そ、それでは!?」
ムギ父「ただし、これが軽音楽の演奏などというくだらない茶番でなければ、もっとよかったのだがな」
紬「!」

ムギ父「何を考えておるのかはわからんが、紬よ。私は考えを変えるつもりはないぞ。
    確かにこの1年半、活動してきた部活動の最後の晴れ舞台、
    思い入れがあるのもわかるし、演奏をすることは許そう。
    だが、それと留学の話は別だ」
紬「お父様……それはっ!!」

――本当は行きたくなんかないんだ!

あれだけ心の中で準備していたその一言が、父親の前に出ると急に言葉に出なくなる。

ムギ父「何度も言うようにお前は琴吹家の人間だ。この意味がわかるな?」

父親の威厳ある口調に威圧されて言葉が出ない。

ムギ父「音楽をやりたいならロンドンで、イングヴェイ先生の元で思う存分やればいい」

先生「ハッハー! その通りだぜ!! 貴族に相応しい音楽を、俺がツムギに叩きこんでやるから心配するな!」

紬「(駄目だ……。私は結局、この人の前では本当のことなんか言えない……)」

それは、高校2年生になる今の今まで、琴吹家という厳重な鳥籠に囲まれ、蝶よ花よと寵愛された紬だからこその、あまりにも皮肉な心情であった。

ムギ父「予定通り、留学の話は進める。これ以上、私から話すことはもうない」

先生「ハッハー! そういうことだ! 
   それじゃツムギ、しっかりバッハの旋律を自主練習しておけよ?
   ちなみに俺がツムギの年齢くらいの頃は友達も作らず、誰とも喋らず、
   1日に15時間の練習を(ry」

駄目だった。自分にはまだ、この鳥籠から飛び立つための羽がない――。
紬は自分のふがいなさを呪いたい気分になった。
そして自分への怒りを処理しきれない少女の未成熟な心は、やがてそのフラストレーションの矛先をどこに向けていいかわからず、戸惑うことになる。

斉藤「お嬢様……」

父親の部屋から出ると、斉藤が心配そうに紬に声をかけた。

紬「斉藤……どうして私は琴吹の家に生まれてしまったのかしら」
斉藤「っ!? お嬢様?」
紬「この琴吹の姓のせいで、私は好きな人たちと好きなことをすることすらままならない」
斉藤「お嬢様、それは……」
紬「きっとこうやってこれから先の人生も、お父様が決めたレールの上をただ忠実に歩いていくことしかできないのかしら……」
斉藤「旦那様は紬お嬢様のためを思って……」
紬「私のため……ですって? 私から何よりも大切なものを奪うことが私のためですって? お父様も斉藤も……わかっていないわ。全然!! 何も!! わかっていないの!!」
斉藤「お嬢様……お気を確かに」
紬「こんなことなら……こんなことなら……私は琴吹の家になんか生まれなければよかった!!」

感情を爆発させた紬は、斉藤の制止も聞かずそのまま自室に籠ってしまった。

紬「お父様のバカ……ッ!! 斉藤のバカ……ッ!!」

何が『私のため』だろうか。2人とも何もわかっていやしない。そして、

紬「私の……バカ……ッ!!」

どうしてあの時、父親を前にして自分の気持ちを無理やりにでも押しとおすことができなかったのか。
それ以前に、琴吹のブランドに守られて今までぬくぬくと生きてきた自分が何を言ったところでそれがどれだけの説得力があるのか。

周囲へのやるせない怒りと自己嫌悪がないまぜになったネガティブな感情の濁流に飲み込まれ、紬はそのまましばらく泣き続けた。


翌朝。
泣き腫らして目が真っ赤の紬も、もはや腹を決めるしかなかった。
父親がなんと言おうとも、執事がなんと言おうとも、
自分にはもう残されたわずかな時間で出来る限りの抵抗を――つまりは軽音部で最高の演奏を――するしかないと。

紬「例え、それが軽音部での最後の演奏になるとしても……」

すると部屋のドアをノックする音が響く。入
室を促すと、そこに現れたのは早朝からパーフェクト執事モードの斉藤であった。

斉藤「紬お嬢様、今日は学校には行かれるのですか?」
紬「ええ、行きます。残された時間は……少ないから」
斉藤「わかりました。留学の手続きや準備の方は私の方で何とかしましょう」

『留学』という単語に、紬の眉毛が一瞬大きく跳ねたのを、有能な執事は見逃さなかった。

斉藤「紬お嬢様……私も大分迷いはしたのですが……どうしてもお伝えしたいことがひとつだけあります」

紬は無言で続きを促した。

斉藤「お嬢様はもしかしたら旦那様を怨まれているかもしれません。
   何せお嬢様があれだけ没頭していた軽音部の活動を、あのような言い分で晒し、奪おう
   としていることは事実――」
紬「何が言いたいの。お説教ならもう十分お父様から……」
斉藤「時にお嬢様、疑問に思ったことはありませんか?」
紬「斉藤……目的語をはっきりさせなさい。有能な貴方らしくもない」
斉藤「はい。でははっきりと申し上げます。
   ――お嬢様は、旦那様が経営する会社の中に、楽器店があることを疑問に思ったことは
   ありませんか?」
紬「え……?」

思わず紬はハッとした。そもそもどうして今まで気づかかなかったのだろうと。
1年半前、まだスタートしたばかりの軽音部、音楽初心者の唯がギターを買いに行った楽器店。 あれは確かに自分の父親が経営する会社のカテゴリーに入っているものだ。

斉藤「あれだけ軽音楽をお嫌いな旦那様が、ギターやベースなど軽音楽の根幹を担う楽器を扱うような店舗を経営されているのは不思議な話ですよね」
紬「単にそれをビジネスと割り切っているのでは……」
斉藤「私の知る限り、旦那様はそのようなことが出来る人ではありません」
紬「それではどうして……」
斉藤「その答えは……この写真をご覧ください」

すると斉藤は胸ポケットの中から一枚の写真を取り出した。いかにも年季が入ったような所々ヨレすら目立つ写真だった。

紬「これは……!」

しかし、その写真を見た紬の眉毛は驚きでひっくり返った。

そこに映っていたのは紛うことなき、ひとりのキーボードプレイヤー。
ただそれは優雅な挙動でバッハを紡ぐクラシックピアニストのそれでなく、椅子も使わず、ダイナミックな挙動で、
紬もはじめてみるような旧式のハモンドオルガンをワイルドに弾き倒すその姿は、
いつぞや律と澪に見せられたロックのDVDにあったハードロックバンドのキーボードプレイヤーのごとき、ロックに己の魂を殉教させた狂信者のような姿だった。

紬「これは……もしや……」

そして紬には、そこに写る若きミュージシャンの正体がすぐにわかった、否、わかってしまった。 何せ長髪を振り乱し、汗を撒き散らして、鍵盤を叩くその男の眼の上には、
あまりにも特徴的すぎる大きく太い眉毛――琴吹家の血を引く者の証――が鎮座していたからだ。

斉藤「お嬢様のお察しの通りでございます。これは……30年前の旦那様です」
紬「これが……お父様!?」
斉藤「はい。実は旦那様も……紬お嬢様と同じだったのです」

斉藤「幼少の頃からロック音楽が何よりもお好きだった旦那様は16歳の時、高校の軽音楽部に入部し、ご学友とロックバンドを結成されました」

斉藤「旦那様の担当はキーボード、そして2人のご学友――確かレック氏とパーマン氏というステージネームで旦那様は呼ばれておりました――がベースギターとドラムスを担当され、
   今では珍しいキーボードトリオのロックバンド、『コトブキ・レック&パーマン』、通称『KLP』として活動されていました」

斉藤「高校の学園祭での演奏のみならず、ライヴハウス――当時はまだそういう呼び名はございませんでしたが――での演奏も定期的にされていたようです」

紬「お父様も……軽音部に?」

斉藤「はい。その後、バンドの活動は旦那様が高校を卒業され、
   大学へ入学された後も続きました。
   旦那様もまた幼少のころよりピアノを嗜んでおられまして、
   クラシック音楽をバックグラウンドにしつつもロックらしい勢いに満ちたワイルドで斬
   新な演奏は、『キーボードの魔術師コトブキ』として、好評を博しておられたようで
   す」

紬「そう言えばこの写真……お父様はオルガンにナイフを突き立てて……」

斉藤「オルガンへのナイフ攻撃は旦那様のステージでの十八番でございました。
  そのせいで旦那様は普段も常にステージ用のナイフを持ち歩いておられて、私どもも肝を
  冷やしたものです。
  そして、評判を積み重ねた旦那様のバンド、KLPには遂にレコードデビューの話が来ら
  れたそうでございます」

紬「お父様がレコードデビュー!?」

斉藤「しかし、それは皮肉にも旦那様が22歳の時、大学を卒業されるころの話でした」

紬「まさか……」

斉藤「はい。旦那様のお父上、つまり紬お嬢様のおじい様が猛烈に反対されたのです。
   皮肉にも旦那様は楽器の腕前だけでなく、頭脳も明晰でおられ、大学では経営学で主席
   の成績を修めておられました。
   そんな旦那様をおじい様は未来の琴吹家当主に育て上げたいと考えておられた」


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