グスッ・・・ヒグッ・・・

少し歩いたあたりで誰かがすすり泣くような声が聞こえた。
しかも声は私が歩みを運ぶほどにより明瞭に聞こえるようになった。

梓「憂?」

私が声を掛けるとはっと息を飲み、立ち上がった気配を感じた。

憂「な、何梓ちゃん?」

梓「ムギ先輩が持ってきてくれたメロンを切ってもらおうと思って・・・」

憂「う、うん」

憂「うわぁ これは立派だね」

憂「待ってて、すぐに切って持っていくよ」

憂は私が声をかけてからはいつもと微塵も変わらない態度を見せた。
でも私は見落とさなかった。
憂の目は微かに赤くなっていた。


梓「う、憂?」

憂「ちょっと待ってね、これ中身が詰まりすぎてて切るのに一苦労なの」

憂はそう言ったが、私は好奇心の抑制に勝てずに訪ねてしまった

梓「どうして」

梓「どうして泣いてたの?」

ストン

やけに無機質で大きな音が聞こえた。
どうやらメロンを両断することに成功したらしい。
まな板に打ち付けた音の大きさがそのメロンの立派さをそのまま表していた。
そして、憂は包丁を手に持ったそのままで私のほうを振り向いた。


全身にゾワゾワという悪寒が走った。
これが猫ならば全身の毛を逆立てているのだろう。
それはまるで目の前に天敵が現れたみたいな感覚で・・・。

憂「私、泣いてなんかいないよ?」

憂「どうしてそういうこと言うの?」

いつもの明るく、姉バカの時はさらに嬉しそうになる声の憂とはまるでちがった。
まるで機械、私はそうとまで思ってしまった。
そこには一切の感情もなく、教科書の活字を読んでいるのとまるで変わらない感じがしたのだ。


やばい、何か言わなくては。
そう思いつつもとっさに言葉が思いつかない。

憂「別に私普通でしょ?」

梓「うっ・・・普通じゃないよ!」

梓「何か心に刺さっていることがあるなら全部私に言って!」

梓「だって・・・私と憂は親友でしょ?」

梓「親友が苦しんでるなら役に立ちたいよ」

憂「っ!!」

憂の目に生気が戻ってきた。
ワナワナと体を震わせているが、そこには私の知る憂がいた。


憂「・・・梓ちゃん」グスッ

梓「その前に憂ストーップ、まずはその手に持ってるものを話して」

憂「手?」

憂「! 私こんなの持ったままで!!」

憂「ごめん梓ちゃん!!」

憂は包丁を持っていることすら忘れていたようだった。
つまりは私を刺そうだなんて気は微塵もなくて。・・・私の野生の勘はあてにならないな。

梓「それでどうしたの憂?」

梓「とても切羽詰ってる感じがするよ」

憂「うん・・・」

梓「もしかして・・・唯先輩のこと?」

憂「!!」

露骨に反応した、どうやら当たりなようだ。

梓「唯先輩のこと?」

憂「・・・うん」

蚊の鳴くような声で肯定の言葉を発したのを私は聞いた。
先程までとの機械のような様子から180度反転した様子。
今の憂は感情が溢れていた。

憂「あのね・・・あのね、お姉ちゃん実は・・・」




……

憂の言葉を聞きながらようやく私は先程感じた不安感の正体に気づいた。

それは律先輩の言っていたことと同じこと。

しかし、律先輩は友達としてそう言っていたが私は違ったのだ。

だからこそ我が身のように焦り、我が身のように痛みを感じたのだ。

そう、私は本当は・・・。

ガチャッ
梓「・・・」

律「おい遅いぞ」

律「唯のやつ寝ちゃったじゃないか」

唯「zzz」

梓「すみません・・・」

澪「起こしちゃ悪いしそろそろ帰るとするか」

律「それじゃあおじゃましました」

紬「唯ちゃんが元気になることを祈ってるわ」

澪「なにかあったらすぐ連絡してくれ」

憂「みなさんありがとうございました」

梓「それじゃあね憂」

梓「あんまり一人で溜め込まないでね」ボソッ

帰り際、私は憂の耳元でそうつぶやいた。



~夜

夕方聞いた憂からの真実。

それは私の心の九割に居座り続けた。

帰るときも、帰ってからも、ご飯を食べてる時も、お風呂に入っている時も。

その真実は私の心の大部分に訴えかけていた。

そして、私はベッドから天井を見上げながらある決心をした。




~翌日の放課後

ガチャッ
梓「こんにちは」

律「おー」

紬「今日の紅茶は一味違うわよ~」

しかし、私はそんな二人には目もくれずにある人物の前まで足早に移動した。

梓「澪先輩、お話があります」

澪「何だ?」

梓「二人きりで話したいのでちょっと来て下さい」




~空き教室

澪「どうしたんだ?」

澪「あ、もしかして週末どこに行こうかって話か?」

澪「だったら別に二人のいる前でも構わないのに」

梓「・・・澪先輩」

梓「あの、私・・・」

私がそれを告げようとしたとき、目の前にサッと手を出されて静止させられた。
そして彼女はこう言った。

澪「私、さ 嬉しかったんだ」

澪「私たちが一年の時は律も唯も練習にはあまり乗り気じゃなくて私一人で空回りして部の空気を悪くしているのかななんて思っててさ」

澪「だから梓が入ってきてくれて私と同じようなことを言ってくれていた時」

澪「私の言っていたことは間違ってなかったんだ、私は正しかったんだって思えてさ」

澪「それからお前を意識するようになったんだ」

澪「私と梓は似ているなって」

澪「同じ考えを持つ仲間がいると、味方がいるとますます世界は彩り鮮やかになった気がしたんだ」

梓「澪先輩・・・」

澪「実はな、梓」

梓「なんでしょう?」

澪「私はそのことを最初からわかっていたのかもしれないんだ」

梓「え・・・?」

澪「お前のことをずっと見ていたからかな」

澪「だから私はお前が誰を見ているのかがわかっていたんだよ」

澪「それなのに、それなのに私はな」

澪「あの時の言葉に舞い上がっちゃってさ」

澪「同時に不安になったんだ」

澪「今を逃すともう永遠に梓を手に入れられないって」

澪「雰囲気を味方にして梓の気持ちを考えないで・・・私って最低だよな」

梓「そんなことないです!」

澪「梓?」

梓「好きな人を手に入れようと努力したり偶然に乗っかったりするのは悪いことなんでしょうか?」

梓「それは程度の差はあれ誰もがすることじゃないんでしょうか?」

梓「例えば相手と自分しかいない放課後の教室の中、暖かい夕日の中で告白すること」

梓「例えば高層ビルの最上階でディナーをしながら窓の向こうに夜景が広がる中で告白すること」

梓「場所や状況を活かして持てる限り、考えつく限りの理想に近づけて告白することは誰でもやっています」

梓「それのどこが最低な行為なのでしょうか」

澪先輩に偉そうにそう言いながら私は半ば自動的に言い続けてる口を尻目にこう思った。
どの口がそれを言うのだ、と。


澪「・・・行ってこい」

澪「律には私から言っておく」

梓「澪・・・先輩・・・?」

梓「でも・・・っ!」グスッ

澪「そんな顔をするな」

澪「私みたいな美少女をフってまで行くんだぞ?」

澪「それ相応の顔をしてくれないと私が困る」

梓「・・・はい!」

梓「・・・行ってきます」

澪「ああ、・・・行ってらっしゃい」

私は走った。
校則を無視し、明日までの宿題が入ってる鞄も無視し。
私は走った、ある人のいるところへ。


……

『お姉ちゃんね、ただの風邪じゃなくて入院しなきゃいけないみたいなの。』

『なんでも免疫力が低下しているって・・・』

『風邪の治りが遅いなって病院に行ったらそう告げられて』

『だから免疫力が戻るまで学校に行けないの・・・』

『お姉ちゃんはみんなには言うなって』

『でも私・・・こんなの一人で耐えられないよ』ボロボロ

走りながら私の頭の中には昨日憂から聞かされた言葉が反芻していた。
そして、もしかしたら唯先輩がいなくなっちゃうと思ったとき、私は私の本当の気持ちに気づいたのだった。
我ながら鈍感だなと呆れたものだ。
そのせいで澪先輩を傷つけ、軽音部を巻き込んで。
それでも私は止まらない。



……

澪「あーあフラれちゃったなー」

澪「・・・」

澪「・・・ヒッグ」

澪「・・・エッグ」ポロポロ

律「みーおーちゃん」ガバッ

澪「律・・・」

律「ほら、私の胸を貸してやるよ」

澪「え・・・?」

律「泣きたいときは泣けば良い 遠慮する必要なんてどこにもないんだ」

律「それにな、澪 お前のことを気にかけてるのは少なくとも一人はいるはずだぜ」




……

私は走った。

決して近くはない学校から病院までの私はまるで風になったかのように走り続けた。

これほどまでに人間の体の限界を恨んだことはないだろう。

どうして光の速さで向かうことができないのか。

それでも私は走るしかない。

そこにはあの人がいるから。

そこには大切なものがあるから。

だから私はこの体躯を最大限まで酷使して走り続けた。




梓「すみ・・・ません・・・ハァ、平沢・・・唯さんは・・・何号室・・・でしょうか?」

病院についた私は息も絶え絶えにフロントの看護婦さんに問いかけた。
看護婦さんはこんな様子の私を見て驚きの色を浮かべていたが、特に私のことに触れずに何号室か教えてくれた。
―――号室。
そこに唯先輩がいる。
そこに私が解決しなきゃいけない問題がある。


ガラッ
梓「唯先輩!!!」

唯「わっ! ・・・あずにゃん!?」

四人部屋の、しかし三つのベッドは空白で唯先輩しかいないその部屋に私は飛び込んだ。
唯先輩は心の底から驚いていた。
唯先輩は誰にも言わないようにと口止めしていたのだ。
だから私が来ることなんて完全に予想外だったのだろう。


唯「どっ、どうしてここに・・・?」

梓「憂が、教えてくれました」

梓「どうしてですか、どうして何も言ってくれなかったんですか!?」

唯「えっと・・・それは・・・」

梓「・・・わかっています」

梓「先輩は優しいですからね」

そして私は言った、魔法の言葉を。
あの時の昼から言いたかった言葉を。

梓「唯先輩、私は先輩のことが好きです!!!」

唯「・・・ほぇっ?」

唯先輩は完全に面食らっていた。

唯「で、でもあずにゃんは澪ちゃんと付き合っていて・・・」

梓「澪先輩とは、別れたんです」

唯「えっ・・・?」


梓「ひどいですよね私・・・澪先輩を傷つけて」

梓「それでも、私は唯先輩に伝えたかったんです」

梓「唯先輩に抱きつかれていたとき、あの時は気づきませんでしたが私は嬉しかったんです」

梓「失って初めて気づいた大切さってやつなんでしょうか」

梓「それに・・・最後のひと押しをしてくれたのは澪先輩なんです」

梓「もう一度言います 私は唯先輩のことが大好きです」

唯「・・・あずにゃん」

唯「私は弱い人間だよ」

唯「憂になんでも任せちゃうような人間だよ?」

唯「ご飯の前にアイス食べるような悪い子だし、頭だって良くない」

唯「人の気持ちをくめないときだってあるし、ひとつのものに熱中しちゃうと他のことに目がいかなくなっちゃう」

唯「こんな欠点だらけの私だよ?」

梓「私は唯先輩のすべてが好きなんです」

梓「そんなことは大した問題じゃありません」

唯「・・・あずにゃん」グスッ

唯「私も、私もあずにゃんのことが大好きだよ!!」

唯「ずっと・・・ずっと大好きだったんだよ・・・!」

梓「先輩・・・」

梓「それでは・・・その、付き合ってください!」

唯「えへへ 私のほうこそ付き合ってください」

梓「ふふ」

唯「えへ」

そして私たちはキスをした。
免疫力が低下しているので直接ではなくてサランラップごしだったけれど。
それでも、確かにそれは本物のキスだった。
ちなみになんでサランラップがあったのかと聞くと、憂が果物を切りすぎちゃうために持ってきていたそうだ。


唯「ねえあずにゃん」

梓「なんでしょう?」

唯「直接キスはだめでも抱きつくだけならいいよね?」ギュッ

梓「・・・っ///」

これだ、これが私が求めていたものだったのだ。
鼻腔をくすぐる唯先輩の甘い匂い。
全身を抱かれていることで得る安心感。
大好きな人が目の前にいることでもらう力。
そして私は再び言った。

梓「唯先輩大好きです!」



これが独白と想起の終了。

あれからいろいろなことがあったがここでは割愛させてもらおう。

当時高校一年だった私は三年たって現在大学一年生となった。

高校を卒業し少し遠い音楽学校へと進路を進めた。

両親からは女の子の一人暮らしなんて危険だと反対され、私のように遠くから来る者のために学校が所有している共同生活用の物件を借りることになった。

私は二人部屋のルームシェアを利用していて、今はその相手はまだ帰っていなく私一人だった。


私はふとカレンダーを見た。

この卓上カレンダーは私のではなく同居人のものだった。

それが置かれている机の上は小物などが散らばっていて整理している様子がない。

―そういえば今日が唯先輩が入院した日だったな。

ふと暦を見ながらそう思った。



時間と言うのは一度過ぎたら決して戻らない。

ただ、私は時間をどう過ごそうと行き着く先の運命は同じなんだと思う。

それは人間は必ず死からは逃れられないように。

運命の相手もどのパラレルワールドに行ったとしても変わらないのだと思う。

時計は巻き戻らないし覆水は盆に帰らない。

しかし、結局は同じことなのだ。

時計が巻き戻ろうが巻き戻らなかろうが運命は変わらない、運命の相手も変わらない。

だって神様が時間ごときに縛られるワケが無いじゃないか。




ガチャリ
ようやく同居人が帰ってきたようだ。

唯「たっだいま~」

梓「おかえり」

唯「えへへ、何を渡そうか迷っちゃって」

梓「まったくもう プレゼントなんかより唯と少しでも長くいたいのに」

唯「ごめんね~」

そう、入院してから三年目ということは今日が付き合って三年目ということでもある。
今日は私たちの記念日だ。
だから私はこう言おう。
陳腐でありきたりなセリフ、だけどとても暖かい言葉。

梓「唯、大好き!」


~fin~




最終更新:2010年01月08日 01:06