考えても見ろ。
 そもそもゆいが意思をもった切欠はなんだ?
 あの日、傀儡としてお姉ちゃんの身体を間接的に撫で繰り回し、
 その翌日にゆいは覚醒した。
 お姉ちゃんへの強い想い、それが、
 純粋で奇麗な愛だと錯覚したのがそもそもの間違いなのだ。
 生まれた切欠となった意思が、既に劣情で満たされていたとすれば。
 欲望や穢れといった劣情を、人形が引き受けたその結果、魂が宿ったとするならば……。

 私の劣情はゆいの栄養にこそなれど、毒にはなりえない。
 偶然とはいえ、私は自分でそれを証明してみせたのだ。

憂「あれ……でも」

 やっぱりそれだと少し変だ。
 ゆいの性格が純真過ぎる。穢れや悪意から成っているのならば、
 あんな性格にはならないのではないか。
 それに、お姉ちゃんへのいかがわしい行為は、
 ゆいが倒れるまで毎日欠かしたつもりはなかった。
 にも関わらず、徐々に体調を崩し、結果としてゆいは倒れた。
 栄養が、私のお姉ちゃんへの想いが足りていなかった?
 いや、それはありえない。私の愛はマントルよりも内核よりも深いのだから。


 考えられるとすれば、ゆいが体調を崩した直接的な原因は体育の時間だろうか。
 お姉ちゃんにゆいを預けているため、一時間余りゆいから離れてしまっている。
 だから、一時的にゆいへの栄養供給が絶たれてしまった。

 しかしそれ以前にも体育の時間はあったわけで、
 私とゆいが離れているケースは他にもある。
 ならば、二週間で意思を失うという前例に則り、
 その影響で苦しんでいるという考えはどうか?
 お姉ちゃんは、まだ二週間経っていないのに、と否定していたが、
 可能性は否定できないと思う。
 その前例とやらで、他のドールも同様に苦しんだのかどうかが分かれば、
 すぐに答えが出せるのだけど。
 この辺は紬さんが分からなければどうしようもない。

 うーん、なんだろう。この変な気持ち。
 何かが、引っかかってるんだよなぁ。

 最初にこの違和感を覚えたのは確か……。
 記憶の糸を手繰る。

 ――傀儡である彼女は、貴女の意思を栄養として生きている。
 傍にいてあげることが、回復への近道だと思うわ。

 そう、その台詞の後だ。
 ゆいは私の心を栄養として生きている。だから私と離れてはいけない。
 なんだろう、おかしな所は特に思い当たらない。
 もう少しだけ、遡ってみる。

 ――ええ、憂ちゃんのシス……いえ、唯ちゃんへの想いの強さは他の追随を許さない、
 尋常ではないレベルのモノだと思うの。 

 当たり前だ。私がどれだけお姉ちゃんを愛していると思っている。
 ゆいへの栄養供給が足りていない筈は無い。


 ――この子の場合、おそらく憂ちゃんの唯ちゃんへの想いね。

 私のお姉ちゃんへの想い。それが傀儡に魂を吹き込んだ。
 ゆいが意思を持ったのは12日前の朝方。
 朝方に意思を持つ、ということは、私はお姉ちゃんを溺愛する夢でも見たのか?
 だとすれば、ゆいのあの純真な性格の説明も……、いや、見ていない。
 見ていたら二度と忘れぬよう、
 大学ノート20ページに渡ってびっしりと夢の内容を書き綴っているはずだ。
 第一それでは、劣情により生まれたという前提が覆ってしまう。

 そもそもゆいが意思を持ったのは本当に朝方だったのか?
 私が気付いたのが朝だったというだけのことじゃないのか?
 ゆいは確かあの時……。そうだ、あの時ゆいは怒っていたんだ。

 怒る?

 決して長くはない期間だけど、ずっと一緒に過ごしてきて、
 ゆいが怒ったことなんて他にあったか?
 いや、無い。ただの一度きり、あの時だけだ。
 ゆいは滅多なことで怒らない。温厚な子なのだ。

 そんなゆいが、どうして怒っていた?

 人形にとって一番嫌なことはなんだろうか?
 人形の本文は人に愛でてもらうことだ。ゆいは抱きしめたり撫でてあげると、
 本当に嬉しそうに笑った。
 だから、愛でてもらうのはあの子にとって一番の幸せなのだ。

 その対極にあるのは……、蔑ろにされて、捨てられてしまうこと、か。
 存在を忘れられ、押入れの中に閉じ込められたらぬいぐるみや人形は、
 きっと心で泣いている。
 捨てられてしまったら、彼らの人生は終わりなのだ。それは悲しいことだろう。

 ……気付いてもらえなかった?

 もしかして、ゆいはもっとずっと早くから意思を持っていて、
 気付いてほしかったのに私が気付かなかったから……だから怒っていたんじゃないのか?


 ――貴女の好きのベクトルは唯ちゃんのみに傾いているけど、私はそれが皆に向いている。

 全く関係ないような台詞が浮かんだ。
 私の好きのベクトルがお姉ちゃんに向いているのは当たり前のことで……。

 ……好きの、ベクトル?

憂「……あ」

 そういう、ことか……。
 完全に見落としていた。
 ゆいに宿ったのは、『お姉ちゃんへの想い』だ。
 第三者が、私と同じ気持ちのベクトルを持っていたとしたら。
 その気持ちが、私と同じように人並み外れていたとしたら。

 ――精巧に作られたドールは、時として人の魂を宿す。どんな想いでも良いのだけれど、
 その持ち主の意思が強ければ強いほど、魂は宿りやすい。 

 他人を自分の意図で操るために作られた傀儡。
 お姉ちゃんの髪の毛をセットしただけで、抜群の効果を発揮していた傀儡。
 それが、髪の毛が一度外れただけで、再び付け直しても機能しなくなった理由。
 操り人形として機能しなくなった理由が、
 人形が魂を持ってしまったからだとするのならば――。

 きっと心が宿ったのは、あの瞬間。
 ……ドールを奪い合ったじゃないか。私と同じくらい、お姉ちゃんを強く想う人間と共に。

 ゆいに宿ったのは、二人の心。
 お姉ちゃんを想う、私の愛とずば抜けた劣情。
 そして、――梓ちゃんの純粋な恋心!

 ゆいが体調を崩したのは、栄養供給が足りていなかったからで間違いなかったんだ。
 私からの供給は行き届いていた。けれど、梓ちゃんから離れている時間が長すぎた――!


憂「お姉ちゃん!!」

 ばっ、と振り返る。
 お姉ちゃんは、毛布一枚で身体を隠して、部屋の隅っこでガタガタ震えていた。

唯「は、はいっ、ごめんなさい!?」

憂「……」

 いや、うん。
 過去は振り返るまい。

憂「お姉ちゃん、もういいの。家に帰ってきて」

唯「え、でも……、私がいたらゆいが……」

憂「違うのお姉ちゃん、ゆいはもう大丈夫なの。
  そもそもお姉ちゃんが出て行く必要なんてどこにもなかった」

唯「そ、そうなの? 良かった……」

 心の中で静かに侘びる。
 お姉ちゃんにはまだ真実を伝える訳にはいかなかった。



唯「それじゃ、あずにゃんにも教えてあげなくちゃ……」

憂「待ってお姉ちゃん。梓ちゃんには私が連絡するよ」

唯「え? ……うん、わかったよ」

 それから紬さんにも。
 いくつか確認しなくてはならないことがある。

唯「あ、あの、憂……」

憂「なに?」

唯「ふ、服、返して……」


 グッバイ リーズン。
 (さよなら、理性)
 ハロー セクシャルディザイア。
 (こんにちは、性欲)


梓「……えっと、ごめん、うまく聞き取れなかったみたい。もう一回言ってくれるかな?」

 よかろう。
 何度だって言ってやる。

憂「今宵、お姉ちゃんに夜這いをかけます」

梓「……は?」

憂「お姉ちゃんを助けたくば、至急平沢家に急行されたし」

梓「……」

憂「……」

梓「ちょっと、意味がわからない」

憂「私が、お姉ちゃんの寝込みを襲います」

梓「言い方変えただけだ、それは」

憂「お姉ちゃんのパジャマを脱がせて、いかがわしい行為に走ります」

梓「だからそうじゃなく……、ぬ、脱がせる? 唯先輩の……いかがわしい……」

憂「梓ちゃん?」

梓「い、いやいやいや、なんでもない、なんでもないから……。
  なんでそんなことするのよ?」


憂「ゆいの為なの」

梓「余計に意味がわからない」

憂「説明すると長くなるんだけど……」

 私は梓ちゃんに包み隠さず説明した。
 梓ちゃんの相槌は分かりやすくて心地良い。
 電話越しとはいえ、今どんな顔をしているのかが容易く想像できる。

憂「……というわけで」

梓「私の想いも、ゆいに魂が宿った要因の一つ……」

 にわかには信じがたい、といった口調で梓ちゃんは呟いた。

梓「その仮説が正しいとしてもさ……。
  別に、わざわざ唯先輩を襲う必要ないんじゃないの?」

憂「どうして?」

梓「だって、私と憂がゆいの傍にずっと居て、
  唯先輩のことを想ってさえいれば良いってことでしょ?」

憂「それをずっと続けていたら、ゆいはそもそも体調を崩したりはしなかったんだよ」

梓「私と離れている時間が長すぎて、少しずつ栄養が不足していったってことだよね」


憂「うん。ゆいの症状を回復させるには、もっとこう、莫大なエネルギーが要ると思うの」

梓「……莫大なエネルギーとやらを、
  そっち方向に持っていくのはなんか違うと思うんだけど」

憂「わからずや!!」

梓「キレた!?」

憂「ごめん、冗談だけど」

梓「うん、分かってる」

憂「とーにーかーくー、今すぐ来なさい」

梓「べ、別に行くのは構わないけど」

憂「泊まりで勉強会という名目で、今すぐ来なさい」

梓「どうでもいいけどなんでそんなに上から目線なのよ」

憂「40秒で支度しな!」

 それだけ叫んで、私は電話を切った。
 梓ちゃんは問題あるまい。体面を気にして真っ当な人格を装ってはいるが、
 アレはアレで結構な変態だ。
 学園都市ならレベル3くらいの変態だ。
 え? 私?
 私はあれだ。頭から花を生やした娘の声だけで欲情するレベルだ。
 かの幻想殺しですら、それを無効化することはできない。

 どうでも良いことを考えながら、私は紬さんの番号をアドレス帳から呼び出し、
 コールした。


 時刻は午後の10時。
 誘惑に負けてのこのこやってきた梓ちゃんと、
 何も知らないお姉ちゃんと三人でテーブルを囲んでいる。
 私の仮説が正しければ、この三人が同じ部屋に居る以上、
 ゆいの体調が崩れることはありえない。

 期末テストは明日で最終日。
 私はお姉ちゃんの居ない寂しさを、テスト勉強で紛らわせていた為、
 これ以上頭に詰め込むことは何も無かった。
 だから、お姉ちゃんに教えることに集中していた。

憂「えっと、ここは前半の英文から訳して……」

唯「ほぉほぉ」

梓「……」

唯「ねぇ、あずにゃん。明日帰りにさー」

梓「はい?」

唯「コンビニの肉まんはどこが一番美味しいのか食べ比べようと思うんだ」

梓「……夕飯食べれなくなりますよ?」

唯「うん、だからあずにゃんも食べるんだよ」

梓「はぁ、別にいいですけど」

唯「なんかノリ悪いな」

梓「すいません、今暗記に必死だったので……」


唯「日本史?」

梓「日本史です」

唯「鳴くよ鶯!」

梓「平安京」

唯「すげえ」

梓「バカにしてんのか」

唯「あ、あずにゃんが怒った……」

梓「先輩が掲載誌一緒だからって安易に他人のネタパクるからです」

憂「はいはい、梓ちゃんの邪魔しちゃ駄目だよお姉ちゃん、続きやろうねー」

唯「は~い」

 残念そうに声を出すお姉ちゃん。
 梓ちゃんが暗記の為にブツブツと呟く。
 私が英文を教えて、お姉ちゃんがスラスラとペンを走らせる。
 ゆいがすぅすぅと寝息を立てる。

 静けさという意味では一人で勉強していた時と大差無い。
 けれど、もう寂しくは無かった。

 やがて、お姉ちゃんがぱたり、と後方に大の字に倒れた。

唯「つ、つかれた」

 その様子を見て、梓ちゃんもペンを置く。

梓「今日はこれくらいにしときましょうか。私も疲れちゃいました」

 時計を見れば、既に日付は変わっていた。
 これだけやれば、赤点の心配は無いだろう。なかなかに充実した時間を過ごせた。

憂「お風呂沸いてるよ、お姉ちゃん」

唯「ほーい。じゃあじゃあ、二人共一緒に入ろうよ~」

憂「入りたい所ではあるんだけどね、私はゆいの面倒看なくちゃいけないから」

梓「わ、私もだめです! えっと、ほら、もうちょっと勉強しとかないと、不安ですし!」

唯「ちぇ~、連れないなぁー……」

 ブツクサ言いながら、お姉ちゃんは部屋を出て行った。

梓「……はぁ」

 お姉ちゃんの足音が遠ざかって聞こえなくなったのを確認してから、梓ちゃんが息を吐く。

梓「本当にやるの?」

憂「やらなきゃゆいが回復しない」

梓「……」

憂「顔赤いよ?」

梓「演技と分かってても、恥ずかしいものは恥ずかしいもん」

憂「梓ちゃんは良いじゃない、正義のヒロインなんだから」

梓「だって、唯先輩を騙す訳でしょ? 憂は罪悪感とかそういうの無いの?」

憂「無いよ」

梓「うわ、即答……」

憂「だって、愛を確かめ合うだけだもの」

梓「よくそういうことを平然と言えるよね、やってることは変態的なのに」

憂「レベル3に言われたくないよ」

梓「レベル? 何の話?」

 なんでもない、と首を横に振る。

憂「明日が最終日だもん、ゆいには元気になってもらわなくちゃ」

梓「え? テストのこと? ……まぁ、そうだね。
  私もこの子には早く元気になって欲しいよ」

 二人並んで、ゆいの寝顔を覗き込む。
 安らかだった。まるで人形のような、白くて綺麗な――、いや、人形だよ。
 何を言っているんだ、私は。
 意思を持っているだけで、元々人形なのだ。この子は、まだ……。

梓「私と憂の意思を半分ずつってことはさ……」

憂「お察しの通り、私と梓ちゃんの子供です」

梓「怖いこと言わないでもらえるかな……」

憂「梓ちゃん」

梓「な、なに?」

憂「少しの間、ゆいをお願い」

梓「いいけど、どうしたの?」

憂「ムラムラしてきたからお風呂行ってくる」

梓「分かった。いってらっしゃ――待てい」

 がしっと、手首を掴まれる。
 なかなかの反射神経だ。ふふふ、こやつめ。

憂「ここから先へ進みたければ、私を倒していけと、そういうこと?」

梓「違うけど行かせない」

 そしてキャットファイトが幕を開けた。


唯「すっきりすっきり。お風呂あいたよー……って、なにしてるの?」

 戻ってきたお姉ちゃんが、ドアを開けて立ち尽くした。
 その視線の先には、ブラジリアン柔術の寝技を仕掛けてマウントを取る私と、
 その下で枕を使って本気で私をブッ叩く梓ちゃん。
 お風呂上りのお姉ちゃんに匹敵するほど、
 私と梓ちゃんの身体からは湯気が立ち昇っていた。

唯「二人が私に隠れて、こんなことをしていたなんて……っ!」

 お姉ちゃんは膝から崩れ落ちて、女の子座りの姿勢で両の手を床についた。

憂「待ってお姉ちゃん、これは違うの」

梓「そ、そうそう。憂がまたバカなこと言い出したから私は止めようとしただけで……」

唯「ふーん……。仲良いんだねー」

 ああんっ! 拗ねていらっしゃる!?
 いけない、これでは私の計画が!!

梓「ご、誤解ですからね唯先輩! 前にも言いましたけど、私は先輩のことしか、
  ジト目やめてください、可愛らしすぎます。凶器ですそれは」

唯「私がお風呂誘ったのに、二人共断ったくせにさ」

 だがしかし、拗ねた様子が一段と可愛らしい。

憂「……」
梓「……」


唯「いいもん、私はもう寝るから。二人で仲良くしたらいいじゃない」


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最終更新:2010年01月07日 21:40