桜ヶ丘学校高校の女子トイレには、ある奇妙な都市伝説があった。

それは、奥から三番目の個室の扉を三回ノックして

 「あ~ずにゃんさ~ん、遊びましょ~」

と呼びかけると、

 「にゃ~ん」

という声とともに、黒髪ツインテールの女の子が出現するというもの。

通称、トイレのあずにゃんさん。

あずにゃんとは何者なのか。

にゃ~んという返事から察するに、女の子の姿を仮に持つ黒猫の幽霊、といったところか。

とにかく、こんな面白い噂を確かめない手はない。

歴戦の都市伝説マニアである私、平沢唯は、この奇怪な都市伝説が真実かどうかを確かめることにした。

もしかしたら本当に可愛い女の子が出てきて、おもてなししてくれるかもしれないし。


キーンコーン、カーンコーン。

放課後のチャイムが鳴り、教室を出た私は学校内で一番利用者の少ないトイレに向かう。

ここは校舎の設立以来、一度も改装されたことのない唯一のトイレ。

洋式便所は一切なく、建て付けの悪い個室の中に和式便所が六つ並んでいるだけだ。

生徒はおろか、清掃員のおばさんさえ月に一度掃除に訪れるか訪れないかといった具合。

どうしてこんな場所を選んだかといえば、やはり人気のある場所に幽霊は出ないと思ったから。

ここなら誰かに見られる心配は皆無だし、人見知りな幽霊さんとも安心してお話できるはず。

人見知りというのは、私の勝手な想像だけどね。

だって、陽気で社交性のある幽霊さんなんて全然怖くないし、むしろ友達になれそうだもの。

まあ、私は人見知りな幽霊さんともお知り合いくらいにはなれる自信があるけどね。

やって来たトイレは、思っていたより薄暗く不気味だった。

とりあえず電気を付けてみたものの、か細い蛍光灯の明かりは気休め程度にしか感じられない。

 ポタッ

 唯「ひっ」

個室の反対側に位置する水道から、水滴の落ちる音が聞こえて思わず縮み上がる。

誰にも使われていないはずのトイレで、どうして水道の蛇口から水が滴っているのか。

 ポタッ……ポタッ……

しかもその間隔の短さから察するに、どうやらついの先程まで利用者がここにいたらしい。

 唯(一体、誰が……?)

私がここに来るまでに、すれ違った人はいなかった。

ここは三階のトイレだから、窓から外に出ることは生身の人間には不可能だろう。

というか、普通そんな退室の仕方をする人はいない。

となれば、当人はこのトイレにまだ隠れていると考えるのが妥当だろうか。

 唯(やっぱり、トイレのあずにゃんさんが今もここに……?)

今まで数々の都市伝説を探してきたが、今回のようなリアリティ溢れる緊張感は初めてだった。

 唯(ゾクゾクしてきたよ……!)

そう、これが都市伝説マニアならではのスリルというもの。

巷で飛び交う噂話が、嘘か誠か。それを確かめるまでの過程がスリリングで楽しいのだ。

探究心旺盛な私にとっては、まさに天職。これだから都市伝説マニアはやめられない。

 唯(ドキドキ……)

程良い心臓音に身を委ねながら、私は奥から三番目に位置する個室に近づいていく。

近くでまじまじと見た個室の扉は、入り口から概観したときよりも遥かに不気味に思えた。

ところどころ剥がれかけたベニヤ板、擦りつけるようにしてできた血のような跡。

そして何よりも不気味だったのが、床上五十センチあたりに残された無数の細長い傷跡。

まるで、鋭い爪を研ぎ澄ますために引っ掻きまくったかのような傷だった。

 唯(案外、猫の幽霊という噂は本当なのかも)

扉を開けた瞬間に、磨かれたご自慢の爪で引っ掻かれちゃったり? ……なんてね。

あれこれ考えても仕方ないので、とりあえず噂の通りに幽霊さんを呼んでみることに決めた。

 唯「すー……はぁ」

軽く深呼吸をして心の準備を整えた後、右手の甲をゆっくりと扉にあてがう。

 唯(ノックは三回。間違えないようにしないとね)


 コン、コン、コン。


ノックが完了した。

一度動きを止めて扉の向こう側に耳を傾ける。

 「……」

返事は何も聞こえない。

 唯(さすがにノックだけじゃ出てこないか……)

 唯(やっぱり人見知りの幽霊さんなのかねぇ……)

こうなったら、二つ目の手順を実行するしかない。


もう一度軽い深呼吸をして、軽く咳払いをする。

そして、できるだけ普段と変わらない声で扉に向かって呼びかけた。

 唯「あ~ずにゃんさ~ん、遊びましょ~」

 「……」

 唯(さあ……噂が本当かどうか見せてもらおうじゃないの)

微動だにせず、その場に待機して耳をすます。

 「……」

返事は何も聞こえてこない。やはりデマだったのだろうか。

 「……」

十秒が経過したが、やはり返事はない。

 唯(今回もまたダメだったか……)

諦めてその場を立ち去ろうとした、次の瞬間だった。

 「……にゃ~ん」

 唯(うそ……今、にゃ~んて聞こえたよね……?)

 唯(都市伝説、本当だったんだ……!)

 唯(この中に、あずにゃんさんがいる……!)

数秒後、ゆっくりと目の前の扉が開き始める。

 唯(うぉ……! やばいやばい、最初になんて声かけよう……)

 唯(オーソドックスに、こんにちは? でも、あずにゃんさんの機嫌を損ねたら悪いし……)

 唯(というか、猫だったら言葉通じないじゃん! どうしようどうしよう……)

やがて、私の前にあずにゃんさんは姿を現した。

 「あずにゃんと一緒に、遊びましょ……」

猫のポーズを取りながら、不気味な声で私に近づくその姿。

それは、猫耳をつけた想像を絶するほど可愛い女の子だった。

 唯「あなたが……あずにゃんさん?」

 「……? どうして怖がらないんです……?」

 「私はトイレのあずにゃんさんですよ……ほら、一緒に遊びま……」

 唯「かか……可愛いいいいいいっ!」

 「にゃああああっ!!?」

思わず反射的に、抱きついてしまった。

だってまさか、こんなに可愛い女の子とは思っていなかったんだもの。

 「どうして人間が私に抱きつくですかっ! 離して下さいー!」

 唯「あ、ごめんごめん……あまりにも可愛かったからつい……」

渋々と体を離すと、あずにゃんさんはきっと私を睨みつけてきた。

 唯(な、なんか可愛い……)


それからあずにゃんさんは色々と自己紹介をしてくれた。

この世界とは別次元に存在する霊界の住人で、本来の姿は黒猫をしているということ。

本名は中野梓で、霊界におけるあだ名が「あずにゃん」であるということ。

人間界では、固有の人間の姿を一つだけ持てるということ。

約200年はゆうに生きているということ。

30年以上も前から、このトイレに住み着いてずっと生活しているということ。

今ついている猫耳は、着脱可能であるということ……などなど。

溜まっていたものを吐き出すように、延々と話し続けるあずにゃんの表情はどこか寂し気だった。


 梓「こんなとこですかね……はぁ」

 唯「どうしたの、あずにゃん?」

 梓「私を見て驚かなかった人間は、あなたが初めてですよ……」

 唯「都市伝説マニアのエキスパートだからね、私は! ふんすっ」

 梓「というか、あずにゃんって気安く呼ぶの止めてもらえます?」

 唯「どうして?」

 梓「私は幽霊なんですよ。人間はもっと、畏敬の念をもって我々に接するべきです」

 唯「でも、あずにゃんはあずにゃんだもん。それに可愛いしっ!」

 梓「にゃああ! だから、そうやって急に抱きつかないで下さい!」

 唯「小っちゃくて可愛いし、見た目的には私と年齢もさほど変わらなさそうだし……」

 唯「あずにゃんさんってさん付けしなくてもいいでしょ?」

 梓「もう……勝手にすればいいです」

 唯「ねえ、ところでさ」

 梓「何ですか? ……えっと」

 唯「あ、私の名前は平沢唯って言うの」

 梓「そうですか。じゃあ……何ですか、唯」

 唯「あずにゃんって、何で霊界の住人なのにここにずっと住んでるの?」

 梓「そ、それは……」

 唯「?」

 梓「……いいでしょう、話してあげますよ」


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