「私が澪ちゃんの幼馴染だったらなぁ」

 ため息交じりにそう呟きながら、枕に顔を埋める。これで何回目だろ。ここの所毎日、同じこと言ってる気がする。
 澪ちゃんの幼馴染になりたい。
 何回そんなこと言ったって、どうしようもないことは分かってる。分かってるけど、分かりたくない。

 優しくて、いつも助けてくれて、格好良くて、だけど恥ずかしがりやさんで、可愛くて。いつの間にか私は、そんな澪ちゃんのことが大好きになっていた。
 勿論他の軽音部の皆も、さわちゃんも、憂も、和ちゃんも、クラスの皆も、お父さんもお母さんも大好きだけど、澪ちゃんに対する「好き」は違うんだ。
 澪ちゃんのこと見てるとドキドキして、澪ちゃんの近くにいると安心して、澪ちゃんの笑った顔も怒った顔も潤んだ瞳も困った顔も全部全部大切で。
 ずっとずっと澪ちゃんの傍に居たい。澪ちゃんのことを独り占めしたい。
 澪ちゃんにとっての、特別になりたい。
 そういう意味の、「好き」

 だけど私はどうしたって澪ちゃんにとって特別な存在には慣れない。
 澪ちゃんが特別に思ってるのは、りっちゃんだもん。

 澪ちゃんはりっちゃんしか叩かない。澪ちゃんがりっちゃんにしか見せない表情はあっても、私にしか見せない表情はない。
 澪ちゃんが大好きだから、澪ちゃんのことをずっと見て来たから、嫌でも澪ちゃんにとってりっちゃんは特別でりっちゃんにとっても澪ちゃんが特別なことは伝わって来る。
 繋がってるんだ。
 人と人との間には見えない壁があって、私はそれを取り除くためによく人に抱きつくんだけど、澪ちゃんとりっちゃんはそんなことしなくても通じ合ってる。
 時々揺らぐこともあるけど、最後には絶対に回復する強固な信頼が二人の間にはある。
 澪ちゃんはりっちゃんの前ではのびのびとして輝いて。
 澪ちゃんを輝かせられるのはりっちゃんで。
 私が付け入る隙なんてどこにもないことが、ひしひしと伝わって来るんだ。

 それは、二人が幼馴染だから。長い年月をかけて、絆を育んできた結果だ。
 きっと私が聞いた話以外にもりっちゃんと澪ちゃんは助け合ってきて、それが積もって今の関係になったんだろう。
 でも、そんなのずるいよ。
 私はこんなに澪ちゃんのこと大好きなのに。こんなに澪ちゃんのこと思ってるのに、澪ちゃんのことを考えると夜も眠れないのに。
 今からいくら頑張ったってりっちゃんにはかなわない。小さい頃の体験は、それだけ重要なんだ。
 ただ出会った時期が遅いっていう理由だけで特別な関係になれないなんて、そんなのずるいよ。

 りっちゃんと澪ちゃんが、ただ出会った時期が早いって理由だけで仲良くなったわけじゃないことはちゃんと分かってる。
 りっちゃんが恥ずかしがりやな澪ちゃんをずっと支えて来たことは知ってる。
 でも、それは私にも出来たはずだ。
 もし私が澪ちゃんにもっと早く出会ってたら、澪ちゃんと幼馴染だったら、りっちゃんがしてきたのと同じように澪ちゃんを支えられたはずだ。自信がある。
 私が澪ちゃんの幼馴染だったら、絶対澪ちゃんにとっての特別になれたはずだ。
 どうして澪ちゃんの幼馴染はりっちゃんだったんだろう。
 どうして私じゃなかったんだろう。
 幼馴染じゃなくても、せめて小さい頃の澪ちゃんに出会えてたら、小さい頃の澪ちゃんに少しでも私の存在を残せてたら。
 どうしてもっと早く澪ちゃんに出会えなかったんだろう。

 何回そんなこと言ったって、どうしようもないことは分かってる。
 分かってるけど、分かりたくない。

 生暖かいものが頬を伝う。
 湿った枕の上で、私の意識は薄れていった。


「というわけでこの公式は」

 先生の言葉を耳から耳へと流しながら、時計の針に目をやる。六時間目が終わるまで、あと三分だ。
 昨日夜遅くまであんなことを考えていた所為で今にもくっつきそうなまぶたをこすりながら、先生が黒板に書いていく文字を無心でノートに写す。
 写し終わってその内容を理解しようとし始めた所で、授業終了を告げる鐘がなった。
 二、三言の後に、先生が教室を出て行く。

「よーし唯、部活行こうぜ!」
「ごめんりっちゃん、私今日部活でれないんだ~」

 授業が終わって上機嫌で私の席に近づいて来たりっちゃんに、そう返す。
 当然、普段りっちゃんに抱いてる嫉妬心は声に表さない。
 りっちゃんを妬んではいるけど、りっちゃんが嫌いなわけじゃないもん。りっちゃんとの関係は壊したくない。

「えー、何か用事か?」
「うん、明日と明後日家族で旅行に行くから準備のために早く帰って来いって言われてるんだ」

 何も部活を休むことはないんじゃないかと思ったけど、久しぶりの家族旅行で両親も張り切ってるみたいなので、素直に従うことにした。
 その後、りっちゃんとどこに旅行に行くのかとかをちょっと話して、ムギちゃんと澪ちゃんにも今日部活を休むことを伝えて教室を出る。
 部活を休むと言った時、澪ちゃんが一瞬残念そうな顔をしたのが嬉しかった。


 憂と一緒に帰ろうと思い二年生の教室を訪れたら、箒を持って忙しそうにしている憂の姿が目に入った。
 掃除当番だったんだ。

「あ、お姉ちゃ~ん」

 私に近づいた憂が言いながら近づいて来る。

「ごめんね。今日私掃除当番だから先に帰ってて。多分後で追いつくから」

 憂が申し訳なさそうに言う。
 掃除が終わるまで待ってようかと思ったんだけど、そう言われちゃったら拒む理由もないので分かったと頷く。
 憂は私の返事を聞くと、さっき掃いてた場所に小走りで戻って行った。
 憂の背中を見ていたら教室の中にあずにゃんの姿を見つけたので、軽くスキンシップを取った後部活を休む旨を告げて、学校を出た。


 一人で学校出るの、久しぶりだなぁ。そんなことを考えながら校門を出る。
 そういえば、高校生になってから一人で帰ることがほとんどなくなった気がする。いっつも軽音部の皆か和ちゃんと一緒だから。
 いつも皆とお喋りしながら歩いてる道を一人で歩くと、普段気が付かない所に目が行って何だか新鮮な気がした。

「……」

 同時に、喋る相手がいないと自然とあの事を考えてしまう。景色に向かっていた目線が、段々と下になっていく。

 私が澪ちゃんの幼馴染だったらなぁ。

 いくらそんなこと考えたってどうしようもないのは分かってる。
 大体、澪ちゃんに音楽をすすめたのはりっちゃんだ。私じゃあ澪ちゃんに音楽をすすめるなんてことは絶対になかったはずだ。
 りっちゃんが澪ちゃんの幼馴染じゃなかったら軽音部は、私の大切な場所は存在しない。
 りっちゃんが澪ちゃんの幼馴染で良かったんだ。
 そんなことは分かってる。分かってるけど、

「分かりたく、ないよぉ……」

 透明な雫が一滴地面に落ちて、染みを作った。
 それと同時にここが自分の部屋ではないことを思い出し、慌てて涙を手で拭って誰かに見られなかった確認する。
 そこで私は、とんでもないことに気付いた。

「あれ? ここ、どこ?」

 辺りには、見慣れない建物が群をなしている。見覚えがあるような気もするけど、初めて通る道のような気もする。
 少なくとも、いつも通っている道とは違う。
 あれ、どこかで道を間違えた? でも、どこで?
 慌てて振り返るが、見慣れない景色が広がる。道を間違えたにしても、そんなに長くは歩いてないはずなのに。
 あれ、どうしたらいつもの道に帰れるんだろう。
 え、もしかして私……迷子?

 突如、孤独感が襲来してきた。
 どうしよう、引き返した方がいいのかな、それともこのまま進むべき?
 少し走って、来た道を戻ってみるけど、どうしてもいつもの道に続かない。
 どうしよう、どうしよう。このまま家に帰れないの?
 状況を理解するにつれ、焦る気持ちが高まっていく。
 何とかしないと。何とかしないと。頭の中でその言葉がぐるぐる回る。

 そうだ! 近くの家の人に高校の場所を聞けばいいんだ。それでとりあえず学校の前まで戻れる。
 そう思いつき、目の前の角を曲がった所にある家に駆け込もうとした時

「きゃっ」

 不意に体に衝撃が走り、私は地面に倒れこんだ。


「ててて……」

 どうやら子どもとぶつかったみたいだ。相手の子も、そのまま反動で後ろに倒れる。

「あ、ご、ごめんなさい。大丈夫ですか?」
「うん。こっちこそいきなり走ってごめんねー。だいじょう……」

 起き上がり、ぶつかった子に手を差し伸べる。その時、

「……え?」

 その女の子の顔が視界に入り、私は目を疑った。
 女の子が、写真で見た幼い頃の澪ちゃんそっくりだったのだ。

 あまりの出来事に、体が固まってしまった。こんなことって、ありえるのだろうか。
 他人の空似というにはあまりに似過ぎている。かといって、澪ちゃんに妹がいるなんて話は聞いたことがない。
 もしかして、私の願いが天に届いたとか……?
 一瞬そんなことを考えたが、すぐに否定する。流石に非現実的過ぎる。
 この目と胸に刻みつけたとはいえ写真を見たのは結構前のことだし、たまたま澪ちゃんにちょっと似てるだけだろう。

「お、お姉ちゃん、どうしたの?」

 女の子が心配そうな顔でそう声をかける。私が硬直していたせいだろう。
 その小動物のような姿があまりに可愛くて思わず抱きしめそうになるが、ぐっとこらえる。

「ううん、ちょっとびっくりちゃっただけだよ。それより、どこか怪我しなかった?」

 女の子の頭を撫でながらそう尋ねる。

「え、えっと、う、うん。あの、ごめんなさい」
「君が謝ることないよ。悪いのはお姉ちゃんだもん。ほんとにどっか痛くしたりしてない?」
「は、はい、大丈夫……あ!」

 女の子が何かに気付いた様に、私の横を指差す。
 指の先に目をやると、小さなピンク色のノートが落ちていた。


「このノート、君のなの?」

 ノートを手に取りながらそう訊くと、女の子は小さく頷く。
 その横に鉛筆も落ちていることに気付き、それも一緒に拾う。

「何か書いてたの?」
「う、うん……景色見ながら、詩を、書こうと思って……」

 俯きながら恥ずかしそうにそう答える姿が可愛くて思わず悶えそうになる。それに詩なんて、何だかほんとに澪ちゃんみたい。

「へー凄い! ちょっと見ていい?」

 そう言ってノートを開こうとすると、

「だめー!」

 そう叫びながら、女の子が飛び掛ってきた。

「見ちゃだめー!」

 不意を付かれて地面に倒れこんだ私の上で、女の子が瞳を潤ませながらぱたぱたと暴れる。
 何これ、可愛すぎるよぅ。抱っこしてお家に持って帰りたい。
 そう思う気持ちを必死で抑えて、女の子をなだめる。

「ご、ごめんごめん。落ち着いて」
「見ちゃだめー! それは、失敗作なのー!」
「……失敗作?」

 その言葉が引っかかってノートを女の子に返しながら聞き返す。

「うん……。これは、失敗なの……」
「どうして?」
「友達が……困ったから」

 女の子は、今にも泣き出しそうな顔で、言葉を搾り出す様にそう答えた。

「友達?」
「うん。私が落ち込んでた時……励ましてくれたの……」
「いい友達だね」
「うん!」

 女の子が即座に嬉しそうにそう答えるのを見て、理由は分からないけど、少し胸が痛くなる。
 質問を続ける。

「その友達が、その詩を見て困ったの?」
「うん……だからこれは、失敗作なの」
「……、自分でもそう思うの?」

 そう尋ねると女の子は、小さく首を振った。

「私は、この詩、好き」

 震えた声で、そう呟いた。
 それはとても小さな声で、もし私が一瞬でも意識を緩めていたら聞き逃してしまう程微かなものだったけど
 その言葉は、確かに私の耳に届いた。

「……ねぇ、やっぱり私にその詩見せてくれないかな」

 そう言って、女の子の手に握られたノートを指差す。

「だ、だめ!」

 女の子が慌ててノートを背中に隠す。
 だけど私は、諦めずお願いする。
 ここで諦めたらいけない気がした。

「お願い。大丈夫だよ、お姉ちゃんは君の詩を馬鹿にしない」

 それになんだか

「なぜだか分からないけど、私は君の詩が好きだと思うんだ」
「え?」

 女の子が首を傾げる。それはそうだ、自分でも何を言ってるのか分からない。
 何の根拠もない言葉。見もしない内から、さっき会ったばかりの女の子の詩が好きかどうかなんて分かるわけがない。
 それでもなぜか、自信があった。根拠はないけど、自信はあった。

「お願い」

 もう一度だけ頼む。これで駄目だったら、素直に諦めよう。この子だってあんまりしつこくされたら困るだろう。


 私のしつこさに負けたのか、女の子は少し迷った後、ゆっくりと私の前にノートを差し出してくれた。

「ありがとう」

 深くお礼を言って、そのノートを受け取る。
 不安そうな女の子の瞳に見守られながら、ノートのページを開きそこに綴られた文字に目を走らせる。
 すぐに顔が綻ぶ。
 そこには私の最愛の彼女のそれに似た、甘くてメルヘンチックでふわふわで、とっても可愛い詩がいくつも書かれていた。

「うんっ、私はすごく好きだよこの詞!」
「ほ……ほんと?」

 女の子の顔がみるみる内に明るくなる。
 褒められて恥ずかしくなったのか、体をもじもじさせてるその姿を見て頬ずりしたくなる。

「嘘なんてつかないよ! 私はこの歌詞大好き!」
「えへへ……ありがとう、お姉ちゃん」
「うん。だから失敗作なんて言わないで、自分が好きな詩ならもっと自信持ちなよ」

 そう言ってまた頭を撫でる。さっき撫でた時はちょっと抵抗してたけど、今度は大人しく受け入れてくれた。

「じゃあお姉ちゃん、私新しい詩作りに行くね」

 しばらく頭を撫でた後で、女の子がそう言った。

「うん。頑張ってね」
「うん! ありがとう!」

 そう言って女の子は嬉しそうに走って行った。私は、女の子の背中が見えなくなるまで手を振り続けていた。

「詩か……」

 そういえば、りっちゃんは澪ちゃんの歌詞はあんまり好きじゃなさそうだったけ。
 勿論澪ちゃんの歌詞が好きってだけじゃ、澪ちゃんとりっちゃんの間にある絆を乗り越えて私が澪ちゃんの特別になるなんてことはできないだろうけど。
 でも、探せばあるんだ。
 りっちゃんには出来ないけど、私には出来ることだってあるんだ。
 まだ見つけてないだけで、きっといくつもあるはずなんだ。
 それを集めたら、もしかしたら私も澪ちゃんの特別になれるかもしれない。

 私が澪ちゃんの幼馴染だったらなぁ。
 何回そんなこと言ったって、どうしようもないことは分かってる。
 分かりたくないけど、分からなくちゃ。

 過去のことはいくら願ったってどうしようもない。
 むしろ今澪ちゃんと出会えてることを大切に思わなきゃ。
 難しいかもしれないけど、私だって頑張れば澪ちゃんの特別になれるはずなんだ。
 スタートは出遅れたかもしれないけど、澪ちゃんへの思いは誰にも負けないはずなんだ。
 やる前から諦めてないで、頑張らなきゃ。

「……って、ああそう言えば私迷子なんだった!」

 すっかり忘れてたよ。
 決意を新たにしたのはいいけど、家に帰れなきゃどうしようもない。
 そう思って慌てて辺りを見渡すと、 

「……あれ? 学校が見える」

 私は、いつもの帰り道に居た。

 学校から、私の方に向かってくる人影が見える。

「お姉ちゃ~ん!」

 憂だ。

「お姉ちゃん、まだこんな所に居たの?」
「あ、う、うん。やっぱり憂と一緒に帰りたいな~と思って、待ってたんだよ!」
「そうなんだ。ありがとうお姉ちゃん」

 とりあえず不審がられないように言い訳をする。
 それにしてもあれは、何だったんだろ。
 もしかしたら本当に、神様がくれたプレゼントだったのかな。
 だったら、あの子は……。

「お姉ちゃん、どうしたの?」
「あ!? う、うん? 何でもないよ」

 うっかり考え込んでしまった。

「……」
「な、何? 憂」
「……ううん。お姉ちゃん最近ちょっと変だから、心配になって」

 気付かれちゃってたんだ。流石妹だね。

「うん、最近ちょっと悩んでたんだ」
「やっぱり……」
「でも、もう大丈夫だよ」
「そうみたいだね」
「分かるの?」
「分かるよ。顔を見れば」
「そっか」

 あの出来事がなんだったかなんてどうだっていいや。
 ありがとう。
 憂と歩きながら、心の中で何度も呟いた。あの女の子と、私を心の迷路から脱出させてくれたあの迷い道に。


「この歌詞はちょっと恥ずかしいかな……」

 新しく書き上げた歌詞に対する最初の感想は、それだった。
 段々歌詞を皆に見せるのにも抵抗がなくなって来たけど、これはちょっと恥ずかしいかも。
 でも、私としてはいい感じに書けたと思うんだよな。
 どうしよう、皆に見せようかな、封印しようかな……。

 そういえば、最初に皆に歌詞を見せる前もこんな風に悩んでたな。
 あの時は何で持って行く気になったんだっけ。

 ……そうだ。あの人の言葉を思い出したんだ。
 ずっと前に、私の歌詞を褒めてくれたお姉さん。
 もう顔も覚えてないけど、あの時のあの言葉を思い出したら、自然と勇気が沸いて来たんだっけ。

――私はすごく好きだよこの歌詞!

 あれ? あのお姉さんの言葉を思い出そうとしたのに何で唯が頭に浮かぶんだろ。
 でも……唯か。唯ならこの歌詞を好きって言ってくれるかも。
 ……持って行ってみようかな。


おしまい