「……さ……梓……」
「…………」
「……日本人形 」
「え?」

放課後の教室。
コンプレックスを刺激される単語が耳に入り、ふと顔を上げると、純が頬を膨らましてこちらを見ていた。

「もう、やっと反応したよ」
「あ、ごめん」
「梓ちゃん、どうしたの?
今日は一日中変だよ。」
「なんか悩み事でもあんの?」

純と憂が心配そうに問いかけてくれる。

「しんぱいかけてごめん。
悩み事って言うか……」
「て言うか?」
「なんか、今朝変な夢見ちゃってさぁ……
それでなんとなくぼんやりしちゃって……」
「変な夢?」
「梓ちゃん、悪い夢でも見たの?」
「悪い夢と言えばそうなのかも知れないけど……」

二人に訊かれ、私は今朝の夢を思い出しながら、ぽつぽつと話し始めた。


―――

夢の中。
和服姿の私は、小さな和室で、俯き、自分の膝を見つめていた。
その膝には私の瞳から零れ落ちた涙が、小さな沁みを作っていた。

「そのように泣くものではありません。
今生の別れと言う訳ではないのですから」

その声に顔を上げると、私の前には、和服を着、きちんと正座をした澪先輩―――
いや澪先輩にそっくりな女性が私に向かって話しかけていた。

「ですが姉上……」

私の口から自然に言葉が、瞳からは涙がこぼれる。

「なぜ……なぜ姉上が嫁がねばならないのですか……」
「分かっているはずです。
このような小国、この乱世において生き残るには、隣国と縁組をし、和議を結ぶしかないということを」

その女性は凛とした……でも寂しげなまなざしで応える。

「分かって、分かって降ります。ですが、なぜ姉上でならねばならないのですか!
姉上が嫁ぐぐらいなら、私が嫁ぎます」

私は胸が押しつぶされるような思いで、そう叫ぶと、女性は諭すように続けた。

「そのような聞き分けのないことを言うものではありません。
そなたは嫁ぐにはまだ幼すぎるではありませんか。
それに、私とてそなたにそのような苦労をさせたくはありません」
「ですが……ですが……」

だめだ。
どうしようもないことだって頭は理解しているのに、どうしても、どうしても納得なんかできない。
後から後から涙が溢れ、大好きな女性の顔も見えない。

「私が嫁がねば、この国の民はどうなると思うのです」
「…………」
「私はみなの幸福のため、喜んで嫁ぐのです。
ですからそなたが悲しむことはないのですよ」
「私は嫌にござりまする!
姉上だけを犠牲にして、幸せになどなりとうございません!!」

泣きじゃくる私をそっと抱き寄せると、女性は優しく囁いた。

「……どれだけ離れていようとも、私はそなたの幸せを祈っておりまする」

大好きな女性のぬくもりを感じたとたん、世界が揺らぎ、色を失った。

―――

「……ごめんなさい」

月夜のイチョウの木下、粗末な着物を着た澪先輩似の少女が瞳に涙を浮かべ呟いた。
そして少女と対面している私も似たような身形の少年になっていた。

「本当だったんだね……あの噂は……」

私が打ちひしがれた気持ちで問い返すと、少女は小さく頷いた。

「なんで!何で、そんなところにお嫁に行かなきゃならないんだい!
そりゃあそこは大棚だけど、旦那は四十越えてるし、なくなった奥様との子供だって!
何より……私は……」

どうすることもできない、自分の不甲斐なさに、私の目に悔し涙がにじむ。

「ごめんなさい……
お父さんの言うことには逆らえないし……」
「そんなっ」
「それに、私が嫁げば、小さな弟や妹の面倒も見てくれるって……」
「本当に、本当にそれでいいのかい?
弟や妹の幸せのために自分を犠牲にして……それで本当にいいのかい?」

私がそう言うと、少女は私の胸に顔を埋めて泣き始めた。

「……逃げよう」
「え?」

私は意を決し、少女を強く抱きしめる。

「逃げよう!二人でどこか遠くへ行こう」
「…………」
「裕福な暮らしはできないかも知れないけれど、絶対幸せにしてみせる」

だけど、少女は顔を上げるとさびしげに口を開いた。

「ありがとう……
貴方のその言葉だけで十分です……
その言葉だけで私はこの先生きていけます……
本当にありがとう……」

そして、少女が哀しい笑顔を見せた時、再び世界が揺らいだ。

―――

「貴方!「

朝焼けのさす古びた駅舎の前で、私は男の人の胸で泣き続けていた。

「もう顔を上げてくれ」

その言葉に顔を上げると、紙も短く、男の人ではあったものの、それは確かに澪先輩だった。

「聞いてくれ……
私が戦地に行くのは確かに赤紙が着たからではあるけど、それだけではないんだ」
「…………」
「私はこの国を守るため、子供たちの未来のために、喜んで戦いに行くんだよ」
「貴方……」

行かないで……そう言いたいのに、言葉が出ない。

「子供たちを……頼む」
「貴方!
……必ず、必ず帰ってきてくださいね……」

振り切るように背を向け、遠ざかっていく背中に、やっとの思い出それだけを叫ぶ。
そして、彼が振り向き、笑顔で力強い敬礼を見せたところで、三度世界が揺らいだ

―――

「へ~、そんな夢見たんだ。」

いつもの調子で純が言う。

「うん……なんかどれも胸を押しつぶされるみたいで、胸を引き裂かれるみたいで……つらくって……
そんなんだから、なんだか疲れて、朝からぼんやりしちゃってたんだよねえ」
「でもこれってさぁ、ひょっとして夢とかじゃなくって、前世の記憶とかだったりして」
「前世の記憶って、そんなわけないじゃん」

あまりいい夢でもなかったからか、私はちょっと不機嫌に、純に反論する。

「でも、もし純ちゃんの言うとおりなら、梓ちゃんと澪さんが出会ったのって運命なんだよね?
そうやって考えると、なんだか素敵だよね」
「え?」

私は思いもよらないことを言われて、憂に問い変えす。

「どんな時代、どんな関係でもお互いを思いあっているんだもの。
素敵じゃない?」

確かにそう言われると悪い気はしないってか、むしろ嬉しい気がするけど……

「でも、なんか悲しい夢ばかりだよね」
「確かにお別れの夢ばっかりだもんね」

その二人の言葉に、言いようのない不安が突然胸に広がった。
もし夢が純の言うとおり、前世の記憶だったとしたら……
今日この夢を見たことに、何かしらの意味があったのだとしたら……

「梓!?」
「梓ちゃん!」

私はいてもたってもいられなくなり、教室を飛び出した。

―――

(どうしよう……虫の知らせみたいなものだったら……)

学校を飛び出した私は、この時間ならまだいるのではないかと思い、先輩方が通う女子大を目指して走っていた。

(澪先輩!澪先輩!)

心の中で何度も叫ぶ。

『でもこれってさぁ、ひょっとして夢とかじゃなくって、前世の記憶とかだったりして』

純の言葉が頭をよぎる。

本当にそうなんだろうか?
確かに大好きな先輩方の中でも、澪先輩には憧れって言う、特別な感情はあったけれど、
それはたぶん、マイペースな軽音部の先輩方の中で、頼れたり、価値観が似てるなって感じていたからで……
何度もめぐり合っていた運命の人だなんて思いもしなかった。


ううん、今はそんなことはどうだっていい。
澪先輩のことが心配で……
澪先輩にもう二度と会えないような気がして……

兎に角、全力で女子大を目指した。


―――

「おっ、梓、どうしたんだよいきなり」
「梓ちゃん、そんなにあわててどうかしたの?」

ノックもせずに先輩方の部室に飛び込むと、律先輩とむぎ先輩が驚いて尋ねる。

「あずにゃ~ん、会いにきてくれたの~?」
「み、澪先輩は……」

抱きついてくる唯先輩をそのままに、私は荒い息の中、そこにただ一人姿の見えない先輩のことを尋ねた。

「ああ、澪なら用事があるからってもう帰ったぜ」
「ど、どこへ行ったんですか……」
「澪ちゃん、どこへ行くかまでは言ってなかったけれど」
「えっとね、放課後ティータイムのためになんか」
「唯ちゃん、それはまだ梓ちゃんには内緒だって」

私は唯先輩の言葉を聞いて、弾かれる様に部屋を飛び出した。

『民のため』
『小さな弟や妹のため』
『国のため』

今朝の夢がフラッシュバックする。

また澪先輩は誰かのために私から離れていってしまう。
そんな不安に襲われたから。

今度は澪先輩の家を目指して走る。
 焦燥のせいか、走りすぎたせいか胸が苦しいけれど、そんなことにかまっていられない。

私は、澪先輩の家に着くとチャイムを鳴らす。
デモ何度鳴らしても返事はない。

「澪先輩……」

力が抜け、膝から崩れそうになった時、

「梓?」

振り返ると、澪先輩が微笑を浮かべ立っていた。

「澪先輩!!!」

私は感極まって、思わず澪先輩の胸に飛び込んだ。


―――

「でも驚いたよ、梓が遊びに来てくれたと思ったら、
いきなり抱きついてくるんだもんな」

温かいミルクティーを淹れながら、澪先輩が微笑んだ。

あの後、澪先輩は少し私が落ち着くのを待って、部屋に通してくれた。

「……取り乱しちゃってすみません」

私は澪先輩にあえて冷静さを取り戻すと、とたんに恥ずかしくなった。
考えて見ればただの夢と、純の根拠のない言葉を信じて、一人であわてていたのだから。

「でも、何があったんだ?梓があんなに取り乱すなんて」
「それは……」

澪先輩は私の隣に腰を下ろすと、優しく訊いてくれたが、まさかそんなことで一人で大騒ぎしてたなんて言えない。
だいたい話すとなると澪先輩と私が運命の人みたいなことを思ってたってことまで言わなきゃいけなくなるし。

「言いにくいことなのか?」
「あの……」
「何だって言ってくれよ。
頼りない先輩だけれど、梓の力になりたいんだ」
「先輩……」

駄目だ。
こんなに心配してくれる澪先輩に隠し事し続けるなんてできない。


―――

「ふふふ……「あははは」

恥ずかしさを堪え、夢のこと、純や憂との会話や唯先輩の言葉で不安になってしまったことなどを話すと、澪先輩はおかしそうに笑った。

「そ、そんなに笑わなくてもいいじゃないですかぁ」
「ごめんごめん」

澪先輩は、真っ赤になっている私の頭をポンポンたたくと続けた。

「今日は放課後ティータイムの練習のために、親戚が持ってる使ってない倉庫を借りれないかって、頼みに行ってたんだよ」
「そ、そうだったんですか……」
「それに、放課後ティータイムのためにすることで、私が梓から離れてクコとなんてあるわけないじゃないか」

そう言われてさらに恥ずかしくなった。
顔から火が出るってレベルじゃないくらい。

考えてみれば確かにそうだ。
民とか弟妹とか国とかのためならまだしも、私の所属する放課後ティータイムのためにすることで、
澪先輩が私から離れていくわけはないことに気がつかないほどあわてていたなんて……恥ずかしすぎる。

「そ、そうですよね……
私ったらなんかあわてちゃって……
突然押しかけて迷惑かけちゃって……
だいたい澪先輩と私に前世からの因縁があるとか、ありえないですもんね」

私は恥ずかしさのあまりまくし立てた。

「それなんだけど……純ちゃんの言うこと、あながち間違いでもないかもな」

だけど、そんなてんぱってる私に冷や水を浴びせるような言葉が、澪先輩の口からこぼれた。

「え?」
「実は私も一度だけ、似たような夢を見たことがあるんだ。
その時は母と娘だったけどな」
「冗談……ですよね?」
「ううん、ほんとなんだ。
梓と違って、その夢ひとつしか見てないんだけど……」
「…………」
「梓?」

澪先輩のきれいな顔が涙で歪んで見える。
なんでだろ?
いや、その理由は分かってる。
あの痛みが……
夢の中と同じ、言いようのない胸の痛みが広がってくる。

「梓、大丈夫か?」

澪先輩が心配げに顔を覗き込む。

「いやです……」
「え?」
「……遠くへいっちゃいやです」
「だからそんなことはな」
「だって、そうじゃないですか。
今まで何回も離れ離れになってるんです!
たまたま今回勘違いだっただけで、いつかは澪先輩は……」
「梓……」
「お願いです澪先輩!
もう私から離れないでください!
おいていかないでください!!
だ、誰かのためじゃなく、私のために……
わ、私のために……い、生きてくだ……生きてく、ださ……」

もう何がなんだか分からなかった。
澪先輩に思いを伝えたいだけなのに、涙のせいでまともにしゃべれない。
ただ本当に澪先輩と離れ離れになりたくない一心だった。


「大丈夫だよ梓」

澪先輩がやさしく抱きしめてくれる。

「でも……」
「大丈夫。
私は梓をおいてどこかへいったりしない」
「でも……今までは」

そう、私たちが知る限り、今まではすべて悲しい分かれ方をしている。

「なあ梓、なんで私たちがこんな夢を見たんだと思う?」
「…………」
「私はこう思うんだ。
今まで悲しい別れをしてきた私たちが、判断を誤らないようにするために、
今度こそ幸せになるために、警告されたんじゃないかって」
「…………」
「だから、私は今度こそ判断を誤らない。
ずっと梓のそばにいるって約束する」
「先輩!」

私は澪先輩の胸に顔を埋め、今日何度目かの涙を流した。

それは、今日はじめて流す、安堵と喜びの涙だった。

―――

「ったくよ、梓の様子が変だったから心配して見にきてみればこれだぁ……」
「なんかあずにゃんも澪ちゃんもすごいね~!」
「…………」
「うわっむぎガン見!
てか、それにしても、お互いいってることの意味分かってんのかね」
「はいはいは~い、分かってないと思いまあっす」
「…………」
「だよなあ」
「でもいいなあ、澪ちゃんもあずにゃんも。
私も誰かとあんなのしてみた~い」
「っ!!!唯ちゃん、私とではどぎゃんですかい!?」
「どこの人間だよ!
っつーかバカバカしいからもう帰るぞ~」
「そだね~」
「え~、もう少し見させて~」
「はいはい、いいから帰るぞ~」

―――

そんな会話がドアの外でなされてるとも知らず、私は泣き止んだ後も澪先輩の胸の中にいた。

(やっぱり前世からの因縁とかなのかな)

澪先輩の腕の中は、あったかくって、優しくて……
すごく懐かしい感じがする。

「梓、もう大丈夫か?」

私がぼんやりとそんなことを考えてると、髪をなでていた手を止め、澪先輩が尋ねる。

「はい……でも……」
「……今日の梓は甘えん坊だな」
「……すみません」
「ううん、そういう梓も悪くないかなって……」

私がすまなさそうに謝ると、澪先輩はくすっと笑い、そっと抱きしめなおしてくれた。

「澪先輩……」

私は優しく微笑んでいるだろう、先輩の顔が見たくなり顔を上げると、澪先輩の顔がゆっくり近づいてきた。
私は澪先輩のやわらかい微笑みに少し未練を感じつつ、瞳を閉じた―――

先輩……澪先輩。
私には前世の因縁とか本当にあるのか分からないけど―――
あったとして、澪先輩と私に、本当にそれがあったのか分からないけど―――
今はとっても幸せです。

だから、だからですね、澪先輩。
さっきの約束だけは忘れないでくださいね。
これからもずっと、この幸せが続くように―――
今度こそ、二人で幸せになれるように―――



FINE



最終更新:2011年03月05日 20:30