夕食の準備をしていると、携帯にメールが来た。キスへの情念はまだ膨れ上がっている。
誰からだろう――そう思い、携帯を開く。舌が疼いてしょうがない。
『from唯 件名:迎えに来て 本文:うい~、雨すごいよー』
私はレインコートと傘を持って、家を出た。欲情に駆られた、といっても間違いではないかもしれない。
レインコートは二着。
傘はもちろん、一本だけ。
桜高の下駄箱のところに、お姉ちゃんはいた。
唯「えへへ、悪いね~、憂」
憂「……律さんとか梓ちゃんとかに借りなかったの?」
唯「傘が二本しかなかったんだよ、澪ちゃんとムギちゃん。澪ちゃんはりっちゃんと帰って、ムギちゃんとあずにゃんが帰ったんだ」
多分、自分から梓ちゃんに譲ったんだろう。私のお姉ちゃんは、優しいのだ。
憂「和ちゃんは?」
唯「和ちゃんは今日、生徒会のお仕事ないんだって」
憂「……そう」
駄目だ。お姉ちゃんの話を聞いているのに、お姉ちゃんの顔を見ているだけで、頭が沸騰する。
口ではそっけない態度を取りながらも、内心、私は歓喜していた。
なんという幸運の巡り合わせ! 神様が私に相合傘をしろと言っているに違いない!
憂「じゃあ、帰ろう? 相合傘してさ」
唯「うん。ありがとうね、憂」
憂「改めて言わなくてもいいよ、お姉ちゃん」
言いながら、私はレインコートを渡した。おお気がきくねえ、とお姉ちゃんは喜び、私ははにかんだ。
夜の不気味な校舎を出て、外を歩く。
これで満月とかが出ていたら、良いムードになったかもしれない。お姉ちゃんとキスできる環境が整っていたかもしれない。
だけど、空を見上げても、雨粒が目に入るだけだ。
まあ、相合傘を出来る幸せだけを感じていよう。
流石私たちは姉妹だ。意識しなくとも、歩調は合う。
憂「……ねえ、お姉ちゃん」
唯「なに? 憂」
憂「雨って好き?」
唯「うーん、どっちかっていうと嫌いだけど……今は好きかな」
憂「なんで?」
唯「だって、こうやって憂と一緒に帰れるもん」
憂「……そうだね。私も雨、今は好き」
唯「こうやって二人一緒に帰るの、あんましなかったよね」
憂「私帰宅部だもの」
唯「学年も違うし」
そう言われれば、そうだ。私たちは、一緒に学校を行ったことがあっても、一緒に帰ったことはない。
憂「新鮮だね」
唯「そうだね」
雨は降り続ける。こんなしんみりとしているときに「キスしよう?」と誘うほど、私はKYではない。KYなんて死語、久々に使った。
しばらく談笑していると、直に平沢家が近づいてきた。
歩幅を縮める。せっかく、お姉ちゃんと一緒に帰れるんだ。もう少し堪能していたい。
しかし、そんな思いもむなしく、平沢家……私たちの家に到着してしまった。
私とお姉ちゃんは玄関の中に入る。さて、ここからが本番だ。
純ちゃんが言っていた台詞を思い出す。
『あ、じゃあさ、おはようのキスがありならお帰りのキスをしてみたら?』
お帰のキス。欧米ではきっとある文化。ここは日本だとか、そういう野暮な突っ込みは要らない。互いの文化を尊重することが重要なのだと思う。
だから、お帰りのキスの文化を私は尊重する。
捕鯨問題にしても、文化を尊重しあうことが大切なのだと思う。まあ、そんなことどうでもよくて、私はキスさえ出来ればいい。
そう自分に言い聞かせながら、私は口を開いた。
憂「あのさ、お姉ちゃん、キスしない? お帰りのキス」
朝感じた気恥ずかしさは、もうない。
唯「え、でもまず着替えてからにしない?」
たしかに、二人ともレインコートを着たままだ。
だが、それがどうしたというのだ。二人ともレインコートを着ているのだから大丈夫なはずだ。キスがしたい
私はキスがしたい。お姉ちゃんとキスがしたい。本当はもっと高度なことをしたいけれど、私たちには早すぎる。情熱的なキスがしたい。
憂「そんなの気にしないよ。……それともお姉ちゃん、嫌?」
唯「そ、そんなわけないよ! むしろしてもらいたい……」ゴニョゴニョ
後の方の台詞は、どもった声になっていて、よく聞こえなかった。熱いパトスをぶつけたい。
なにはどうであれ、私は狼になってもいいということだ。
私はお姉ちゃんの肩を掴んだ。レインコートで覆われていて、お姉ちゃんの肌の柔らかさを知ることはできない。
お姉ちゃんの顔が間近に迫る。
鼻の頭がぶつからないよう、私は首を少し斜めにする。お姉ちゃんの吐息がかかる。淫靡なそのにおいは、私を高揚させた。
唇と唇が重なる一瞬。この世界からすべての音が消えたような気がした。
お姉ちゃんの唇は湿っていて、温かかった。私は両手をお姉ちゃんの背に回し、強く抱きしめる。抑えが効かない。私はもう駄目だ、舌も入れよう。
お姉ちゃんの口内へと、舌を潜り込ませる。お姉ちゃんの舌と私の舌が絡む。歯がぶつからないか心配だったけど、杞憂に過ぎなかった。
ぴちゃ、ぬちゃ、という音が、雨よりも大きく響く。
腰が砕けそうになる。お姉ちゃんの唾液は無味だった。
ファーストキスはレモンの味だったかイチゴの味だったか。お姉ちゃんとのキスは、何の味もしなかった。
舌を早く動かす。お姉ちゃんが狼狽したような声を漏らす。その声に、私は更に興奮する。
頭がとろける。これ以上していたら変になる――。
私はお姉ちゃんから身を放した。それ以上は、こんな玄関でやりたくない。それに心の準備がまだ、だ。私はいつでも準備万端だけど、お姉ちゃんはまだだろう。
唇と唇に、わずかな時間、唾液の糸が繋がっていた。それはすぐに、切れてしまったけれど。
憂「……えへへ」
私はそれでも興奮を抑えきれず、笑みを浮かべてしまう。
お姉ちゃんの顔を見る。ぽーっと、頬を赤くしながら、心ここに非ずな風で立っている。
気まずい沈黙が流れる。
憂「あ、あの、晩御飯作りに行くね!」
レインコートを脱いで、私は階上に向かった。
お姉ちゃんの味……。
私は唾を飲み込んだ。味はない。それともこれが、お姉ちゃんの味なのだろうか。
晩御飯を食べ終え、お風呂からあがる。お姉ちゃんは居間でテレビを見ていた。
憂「お姉ちゃん、そろそろ寝よう? もう十一時だよ」
唯「あ、本当だ」
そう言って、お姉ちゃんは私の横を通り過ぎようと――。
憂「あ、あのさ、お姉ちゃん」
それを止めるように、私は言っていた。
お姉ちゃんが私の手前で立ち止まる。何? という顔つきだ。
私はとにかくキスがしたい。とろけるようなキスを、ずっとしていたい。
そして、いつかはそれ以上の関係に――。
私は笑んで、答えた。
憂「おやすみのキス、しない?」
おしまい
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最終更新:2011年03月04日 15:55