ジリリリリリリリリリリリ!

憂「……朝」

目覚ましを止める。もう朝だ。眠っている頭を強制的に使って、私は立ち上がる。うーん、と伸びをすると、体中の疲れが取れた気になる。

カーテンを開ける。曇り空。雨は降らないでほしいな、と思いながら自室を出る。

お姉ちゃんを起こすにはまだ早すぎる。先に朝ご飯を作ろう。

キッチンへ向かう。二十分ほどでご飯が出来る。よし、そろそろ起こしに行こうかな。

憂「お姉ちゃん、朝だよー。起きて」

お姉ちゃんの部屋を開けながら、私は言う。案の定、お姉ちゃんは寝息を立てていた。

憂「ほら、起きてお姉ちゃん」

お姉ちゃんを揺さぶる。う、うーん、という声を漏らすお姉ちゃん。可愛い。

でもまだ、目を覚ます気配はない。

お姉ちゃんの寝顔を見続ける。天使のような、という比喩では不十分なほど、お姉ちゃんは可愛かった。

劣情が、湧く。

実の姉に、なんていう感情を抱いているのだろうか。

頭を振って、忘れようとする。お姉ちゃんに変な感情を持ってはいけないのだ――。

でも、おはようのキスぐらいなら……。

おはようのキスは欧米とかでよく見かける光景だし、姉妹同士でやっても許されるんじゃないか?

今は寝ている。やってもバレることはない。それに、たかがキスじゃないか。一度くらいやったって、神様は見逃してくれるはずだ。

――チャンス。

私はそう確信する。

今やらないで、いつやるというのだ。

私はお姉ちゃんに近づく。顔を、お姉ちゃんの吐息が聞こえる距離に近づける。

もうすこしで、唇が重なる。

心臓が不規則なビートを奏でる。お姉ちゃんの顔が視界いっぱいに広がっている。お姉ちゃんがいっぱい。

そして重な――。

それより早く、お姉ちゃんが目を開けた。

唯「あれ? 憂の顔が大きい……」

私はとっさに身を離す。

憂「あ、お、お姉ちゃん起きたの?」

唯「? うん。どうしたの? 憂、そんなに焦って」

タイミングが悪い。もう少し起きてほしかった。

おかげでドキドキがまだ止まらない。

憂「べ、別に何でもないよ」

運命の神様を呪った。

憂「そ、それよりさ、もう朝ご飯出来たから食べよう?」

唯「あ、うん。そうしよっか」

キスは未遂で終わった。それで良かったのか、それとも悪かったのか。もう判断はつかない。

ただ一つ言えるのは、私は残念に感じた、ということだけだ。

悔しい。そして、私の中に一つの欲望が湧く。

お姉ちゃんとキスがしたい。残念なままでいたくないのだ。

朝ご飯を食べ終え、皿を洗ったり、歯を磨いたり、洗顔したりしていたら、学校に行く時間となった。

憂「お姉ちゃん、そろそろ行こう?」

唯「うん、そうだねー」

玄関から外に出る。湿っぽい空気が私たちを迎えた。

唯「……なんか、天気悪いね」

憂「そうだね。あ、傘持っていかなくて大丈夫?」

唯「多分、雨は降らないと思うよ」

憂「そっか」

私たちは歩き始めた。二言三言会話して、双方黙って、数分するとまた会話が始まる。そんなこんなをしているうちに、学校に着く。

下駄箱の前で別れる。

じゃあ、また家でね。

うん、お姉ちゃん。

その会話を最後に、私たちは別々の教室に向かうのだ。

二年一組の教室には人気がなかった。早く来すぎちゃったのかもしれない。

自分の席に座って、窓の方に目をやる。

お姉ちゃんは雨が降らないと予想していたけど、私は降るような気がした。ここのところ晴れてばっかだったから、農家の人は雨を願っているだろう。

そういえば、傘持ってきていたっけ?

と、あわてて鞄の中を確認する。ああ、良かった。あった。水玉模様の折り畳み傘。

純「おはよー、憂」

そこに、純ちゃんが教室に入ってきた。

憂「あ、お早う、純ちゃん」

純「あ、その傘可愛いね」

憂「そう? えへへ」

お姉ちゃんが選んで買ってきた傘なのだ。お姉ちゃんがほめられている。これ以上の幸せはない。早くキスをしたいものだ。あのピンクの唇を私色に染めたい。

そうやって談笑していると、梓ちゃんが教室に来る。

憂「お早う、梓ちゃん」

梓「うん。おはよう、憂」

純「ねぇ梓、傘持ってきた?」

梓「ううん。雨は降らないでしょ、多分」

純「そうかなー……」

梓「もしも降ったら……先輩の傘に入れてもらうよ」

その声で、ふと思う。

お姉ちゃんは、傘を持ってきているのだろうか? 

多分、ないだろう。

お姉ちゃんが雨にぬれて帰ってきたらどうしようか。興奮する。何せ濡れているのだ。興奮せざるを得ない。いや、そういうことじゃない。

風邪をひいてしまったら? そう考えると、朝学校に行く時、きつく言ってでも傘を入れておくべきだったかもしれない。

いや、待てよ。これは相合傘のチャンス。そうだ、いい方向に考えよう。

相合傘をして、良いムードになったところで、「お姉ちゃん、キス、しよ?」とせびるのだ。

甘い妹ボイスでお姉ちゃんもメロメロになるはずだ。今妹系が熱いのだとTBSのテレビでやっていたような気がする。

良いムードって具体的にどんなのだろう。紫色のスポットライトでも浴びたら、良いムードなのだろうか。近所にそんなスポットライトあったっけ?

梓「憂?」

憂「……、あ、どうしたの? 梓ちゃん」

梓「いや、なんかボーってしていたから」

憂「……ちょっと考え事。お姉ちゃんも傘なかったなーって」

梓「あぁ、それなら澪先輩とか和先輩とかが貸してくれると思うよ」

憂「そうかなあ……」

ため息が出る。

貸してくれるかどうかを疑っているんじゃない。

貸さなくてもいいのに、と願っているのだ。

そうしたら、私が家から直接傘を持っていって、お姉ちゃんと相合傘出来るかもしれないから。

窓の外に目を向ける。

雨がざんざん降ってほしい。お姉ちゃんに傘を貸す人は一人もいなくていい。私が届けてあげたい。

そんなことを考えるなんて、私は駄目だなぁ……。

お姉ちゃんには友達がたくさんいるのだ。誰かが傘を貸してくれるはずだ。貸さないでほしいけど。

あるいは、他の人がお姉ちゃんと相合傘をするかもしれない。

そしてお姉ちゃんと、その相合傘の相手は紫色のスポットライトが当たる場所でキスするのだ。想像するだけで腸が煮えくりかえる。

ため息が、教室の中に消えていく。

相合傘はできそうになかった。


五時間目の授業の時に雨は降った。

最初はちらつく程度だったのだが、十分ほどすると雷が遠くから聞こえてくるようになり、二十分もたつと滝のように降り荒んでいた。

刺すような、という形容がふさわしい雨。

窓を叩く雨粒のノイズが、大きくなっていく。教室の壇上で喋っている先生の声が、雨音に交じって聞き取りづらい。

雨降ったねー、うっそー、ウチ傘ないんだけどー、教室の至るところからそんな声が聞こえてきた。

憂「雨か……」

どうせ相合傘はできないのだ。私には関係ない。

私は板書に集中した。

放課後になっても雨の勢いは衰えない。

梓「じゃあね、憂」

純「ばいばい、梓」

憂「また明日ね」

梓ちゃんが教室を出ていく。

憂「……純ちゃんは、ジャズ研に行かないの?」

純「うーん、今日はサボっちゃおうかな」

憂「えっ?」

純「雨の日にさ、一人で帰るのもつまらないし、それに私傘ないからさ、一緒に帰らない? 憂」

断る理由はない。

憂「いいね、そうしよっか」

まあ、たまにはいいかもしれない。一人で帰宅するよりは、二人で帰宅する方が楽しいだろうし。

相合傘の相手はお姉ちゃんと決まっているが、今回は特例だ。

外に出ると、雨の音がさらに強く聞こえた。

純「……雨って嫌い。早く止んでほしいな」

憂「私は嫌いではないけど、好きでもないなぁ」

傘を広げる。

憂「はい、純ちゃん」

純「サンキュー、憂」

私と純ちゃんは二人、歩幅をそろえて帰路に着く。

むぅ。慎重にそんなに差はないはずだけど、純ちゃんの方が、歩幅が広い。私は早足状態になってしまう。

そうだ、訊くのにちょうどいい相手がいる。

憂「今朝さ、お姉ちゃん起こしに行ったんだよね」

そう思い、私は話を始めた。

純「へえ、それで?」

憂「お姉ちゃん起きて、って言っても起きないからさ、キスするチャンスじゃないかなって思ったんだよ」

ざあざあざあざあ。BGMにしては大きすぎる音。

憂「でもさ、その直前にお姉ちゃん起きちゃったんだよね」

純「ふぅん。残念?」

憂「うん、残念。そこで純ちゃん質問なんだけどさ、どうしたらお姉ちゃんにキス出来ると思う?」

場違いすぎる質問だった。承知している。でも、どうしてもキスをしたい。

紫色のスポットライトはいらない。ムードはなくても構わない。だからキスをさせてほしい。

純「あのさ、憂は何で唯先輩にキスをしようと思ったの?」

憂「お姉ちゃんが可愛すぎて。あと、お早うのキスならありかな、と」

純「……憂らしい」

水たまりを踏んでしまう。びちゃぁん、と水がはねる。私はキスがしたい。お姉ちゃんと熱いキスを交わしたい。

純「明日の朝、もう一回チャレンジしてみたら?」

憂「…………やっぱ、それくらいしか思い浮かばない?」

純「それくらいとはなんだー」

憂「他に、なんかない?」

純「あ、じゃあさ――――」

結局、私たちが互いの家に着くまで、雨はやまなかった。私はキスがしたい。


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