【 梓 】

「……そっか。すごいな、梓」

一瞬の沈黙のあと、澪先輩はそう言って口角を上げた。
実践的な音楽を学ぶため、大学ではなく専門学校を目指すことを
今日初めて先輩方に伝えた。

「あずにゃんは、ちゃんと将来のことを考えてるんだねえ」

唯先輩が眉尻を下げて微笑む。

「私なんて、大学入ってもぼーっと過ごしちゃってるよ」

「唯だって子供に関わる仕事したくて児童学科にしたんだろ?」

「んー、選んだ時はそう思ったんだけど」

「それは、ちゃんと考えてるってことじゃないのか?」

「そうなのかなあ、よくわかんないや」

そう言って唯先輩は首を傾げた。自分のことだろ、と律先輩が呆れる。

「じゃありっちゃんは?食物学科選んだのは理由があるの?」

「んー?……料理するのも食べるのも好きだから、かな」

「りっちゃんも曖昧だねえ。ふふふ」

「るせっ」

「……まあ、二人の事はともかく」

軽く流した澪先輩に、唯先輩と律先輩が唇を尖らせてブーイングする。
澪先輩は意に介さず、私を見て言葉を続ける。

「音楽の仕事って言っても色々あると思うけど、明確な目標はあるのか?」

「あ、えと、」

改めて先輩方に見つめられ、緊張の度合いが高まる。

今日はこのことを話しにきたんだ。
気持ちを落ち着けるためにゆっくり息を吸って、吐く。

「……あの、そのことで、先輩方にお聞きしたいことがあります」

「ん?何?」

聞き返した律先輩と視線を合わせ、それから澪先輩、ムギ先輩、最後に唯先輩を見る。
先輩方は私の気持ちを察したのか、黙って次の言葉を待っている。

「先輩方は、バンドのこれからのこと、どう思っていますか?」

「……どう思う、って?」

「律先輩、」

「お、おう」

私が名を呼ぶと、律先輩はちょっとかしこまって応えた。

「武道館で演奏するって言葉、あれは冗談ですか?それとも本気ですか?」

「え、」

律先輩が面食らった顔で沈黙する。

「……私は、」

一度言葉を切る。コクリと唾を飲み込んで、もう一度勇気を出す。

「私は、このバンドをずっと続けて行けたら嬉しいと思ってます」

「……」

「いつかは、プロのミュージシャンとして、です」

そうはっきりと言葉にしたら何故だか視界が潤んで、慌てて下を向いた。

「……放課後ティータイムで、メジャーデビューしたいってこと?」

穏やかな声で澪先輩が言葉を繋いでくれた。私は下を向いたまま頷く。

「先輩方にそのつもりがないなら、他のバンドを組むってことも考えました。でも、」

「……」

「私やっぱり、一緒にやるなら、この5人じゃないと嫌なんです」

「……」

「子供じみた願望だって、自分でも分かってるんですけど」

ぽたり、と、握りしめた手の甲に雫が落ちた。

あ、私今泣いてる。そう自覚するのと同時に、ふわりと抱きしめられた。

「あずにゃん、ゆっくりでいいよ」

唯先輩が私の肩を抱いて、やんわりと微笑む。

「すみません、全然、泣くような話じゃないのに」

「いいよ、大丈夫」

「すみません」

先輩方は何も言わず、私が落ち着くのを待ってくれる。
やさしく頭を撫でられて、次第に肩の力が抜ける。
目を閉じて、鼻をすすって、もう一度顔を上げた。

「父の仕事柄、音楽業界でやっていくのが厳しいのも少しは分かってるつもりです」

「……」

「……だから、先輩方の気持ちをお聞きしてから、何を学ぶか決めようって」

「……梓」

「お返事はすぐじゃなくていいです。皆さん、一度考えてみていただけませんか?」

私の言葉に、先輩方は戸惑った様子で顔を見合わせた。




【 律 】

練習時間を終えて皆でJR線に乗り、
先に降りる唯と、唯の部屋に泊まるムギと梓を車内から見送った。

ドアが閉まり、ホームに立つ3人の姿が見えなくなるまで手を振る。
それから最寄り駅に着くまでの間、私も澪も一言も喋らなかった。

改札を出て、駅前の商店街を抜ける。
金曜の夜だからか、アチコチで酔客の笑い声が響く。
もうすぐ日付が変わるこんな時間でも、この街は明るい。

「……賑やかだな」

特に感情も込めず呟いた澪に、ああ、と相槌を打つ。

「でも、驚いた」

「梓のこと?」

「うん」

あんなふうに私たちとのことを考えてくれてたんだ。
澪はそう言って、少し口角を上げた。

「澪は嬉しいのか?」

「あそこまで好きでいてくれたことは嬉しいし、正直ちょっとドキドキした」

「……」

「でも、律が乗り気じゃないのは意外だったな」

「え?」

「よっしゃーじゃあいっちょやるかー!みたいに言うかと思った」

澪は左手で小さくガッツポーズを作って、私を真似た仕草をしてみせる。

「あー……。なんか、そういう空気じゃなかったしな」

「……うん」

苦笑いをした私を見て、澪は振り上げた手を力なく下ろす。また沈黙。

騒がしい商店街を抜けて、静かな住宅街の路地に二人の足音が響く。
私は足元に落ちた自分の影を追うように歩く。

「……でもさ、」

「うん?」

「もしバンドを続けていけば、ずっと一緒に居られるんだよな」

「……」

「……律とも」

聞き取れないくらいの小さな呟きに、弾かれたように澪を見た。
澪は少し顎を上げて、灰色の空にぼんやり光る月を眺めている。

「私さ、律には感謝してるんだ」

「え」

「大学入る前、ルームシェアしようって言ったのを律が断っただろ?」

「……ああ、」

「私、初めて実家離れて、初めての街で一人暮らしをするのが怖くて」

「……」

「あの時律がOKしてたら、きっと律に依存して、ひとりじゃ何も出来ずにいた」

「……」

「ありがとうな、律」

澪がこちらに顔を向けて微笑んだ。
私は出来る限り平静を装って目を逸らし、再び自分の影を見る。

「……別に、私は何もしてねーし」

「うん、だからそれを感謝したいって話」

「なんだそれ」

顔を見なくても、声色で澪が微笑んでいるのが分かる。
……そんなこと、笑顔で言わないでくれ。頼むから。


「それじゃ、おやすみ」

「ああ、おつかれ。おやすみ」

澪のマンションの前で、手を振ってわかれる。
オートロックを開け自動ドアをくぐる前に、澪は振り返ってもう一度私に手を振った。
澪の姿が見えなくなるまで見送って、私は再び歩き出す。

澪の部屋から歩いて3分ほど先にある、自分の部屋に向かう。
静かな路地。我ながら足取りが重い。溜息をひとつ吐いて、空を見上げた。
月の光に薄く照らされた雲が滑るように流れて行く。上空はまだ風が強いようだ。

梓の話に戸惑った本当の理由を、澪が知ったらどう思うだろうか。
そう考えただけで、ちょっと泣きそうになった。



【 唯 】

「上がって上がって。ちょっと散らかってるけど」

玄関の白熱灯を点けて、ムギちゃんとあずにゃんを迎え入れる。
二人は靴をきちんと揃えて部屋に上がり、壁際に荷物を置いた。

「……確かに散らかってますね、主に洗濯物とお菓子の袋が」

あずにゃんが呆れた声を出して、ムギちゃんが少し困った顔で笑う。

「いや~今朝家を出るとき、ちょっと時間がなくってねえ」

普段は片付いてるんだよ、と言わなくてもいい言い訳をしながら急いで片付ける。
ちゃんとご飯食べてるんですか?お菓子じゃダメですよ、
服もすぐ畳まないと皺になるし、と、あずにゃんが続けざまに駄目出しする。

「ま、まあまあ。お風呂の用意してくるから、のんびり座ってて」

「唯ちゃん、キッチン借りてもいい?」

「いいよ~、好きに使って」

ムギちゃんはありがとうと笑って、バッグから小袋を出した。


順番にお風呂に入って、ほかほかと暖まったところで
ムギちゃんが美味しい紅茶を淹れてくれた。
戸棚に入れておいたクッキーをお皿に出して、テーブルに置く。

「もう唯先輩、こんな時間に食べたら太りますよ」

あずにゃんの言葉にムギちゃんが小さく反応して、
クッキーに伸ばしかけた手を引っ込めた。

「で、でも、ムギちゃんも泊まりに来るなんて珍しいね」

「あ、うん、梓ちゃんとも、もうちょっとお話したかったから」

ムギちゃんの言葉に、あずにゃんが背筋をぴんと伸ばした。

「……あ、あの、先輩」

「なあに?」

「今日はいきなりあんなこと言って、すみませんでした」

「えー?別にあやまることじゃないよ?」

また緊張した顔を見せるあずにゃんに笑いかける。
ムギちゃんも、そうよ梓ちゃん、と微笑んだ。

「私ね、梓ちゃんの気持ちが嬉しかったの」

「えっ、」

「私も、みんなとずっと一緒にやりたいわ。放課後ティータイム」

「ムギ先輩……」

あずにゃんは瞳を潤ませて、スタジオの時みたいにまた下を向いた。
洗いたての長い髪が頬にかかる。

「……あの、ちょっと、正直に言ってもいいですか?」

「うん?」

「私、ムギ先輩がいちばん難しいんじゃないかって思ってたんです。バンド活動」

「あら、どうして?」

ムギちゃんは笑顔のまま、あずにゃんの次の言葉を待っている。

「ムギ先輩、将来はきっとご実家のお仕事を継がれるんだろうなって思って……」

「そういうこと、ね」

そう言われるのを予想していたように、ムギちゃんはニコニコしている。
それから眉をキュッと上げて頬を膨らませ、わざとらしく怒った顔を作った。

「もう、梓ちゃんもみんなも、私の家のこと誤解しすぎよ!」

「えっ」

思わず出た声が、あずにゃんと揃う。

「大学で経済学とかを学んではいるけど、家の事業を継ぐのはまた別の話」

「……」

「確かに父と母はどこかで期待してるかもしれないし、説得に骨が折れるかもだけど、」

「……」

「私の未来は、私のものでしょ?」

「!」

「……なーんちゃって」

ムギちゃんは眉を下げて、テヘッと舌を出した。
私は思わず拍手する。ムギちゃん、カッコイイよ。

「それで、唯ちゃんはどうなの?」

ムギちゃんは笑顔のままで、私に話を振る。

「んー?私もいいよー」

「えっ」

あずにゃんが驚いた顔で私を見る。あずにゃん、今日はびっくりし過ぎだね。

「私もみんなと音楽やるの大好きだし、他にやりたいこと思いつかないし」

「そ、そんな……そんな軽い感じでいいんですか?」

「えー?いいんじゃない?」

紅茶が冷めてしまう前に、一口啜る。

「……唯先輩を見てると、緊張してた自分がばかみたいです」

はあ、と溜息を吐いて思い切り脱力したあずにゃんと私を交互に見て、
唯ちゃんらしいねとムギちゃんが笑った。

「でも、りっちゃんの反応はちょっと意外だったかな」

「……私も、律先輩は大丈夫かもって、ちょっとだけ期待してました」

「今日のあずにゃんは正直だねえ」

「もう、茶化さないで下さい」

あずにゃんの話を聞いていちばん戸惑っていたのは、多分りっちゃん。
平気なふりをしていたけど、あのあとの練習でもなんだか上の空だったし。

「律先輩、何かやりたいこととかあるんでしょうか?」

あずにゃんの質問に、私とムギちゃんは顔を見合わせる。

「んー? 聞いたことないねえ」

「私も。……あ、でも、」

「うん?」

「りっちゃんって、結構冷静っていうか、現実的なところあるから」

あー、うん。そうだね。

「澪先輩は、どちらとも言えない感じでしたね」

「そうねえ」

「澪ちゃんは真面目だから、ちゃんと考えて返事してくれるよ」

そう言った私に、あずにゃんは少しほっとした顔で相槌を打った。

「……でもなんだか新鮮ね、この3人で話してるの」

「あ、そうですね。あんまりなかったですね」

ムギちゃんとあずにゃんが視線を合わせて、ちょっと照れ笑いをする。

「ふふ、子猫ちゃんたち、今夜は寝かさないよ?」

「そんなこと言っておいて、きっと唯先輩が最初に寝ちゃうんですよ」

「なにおう、生意気なあずにゃんめ!こうしてくれる!」

「あっ!ちょっ、やめっ、」

抱きついて、脇の下をくすぐってやる。
あずにゃんは泣き笑いしながら、やめてください唯先輩と必死に抵抗する。
わーいじゃあ私もー、と後ろから声が聞こえて、ムギちゃんにギュッと抱きつかれた。

あずにゃんは軽い感じでって言ったけど、
私、こんなふうにずっとみんなで過ごせたらいいなって思ったんだよ。

音楽が仕事になったら、多分想像もつかないような大変なこともあるんだろうけど、
でもね、みんなと一緒ならそれも楽しめるんじゃないかなって。

そう考えるのは、まだ私が子供だからなのかなあ。
それでも、やりたいと思うことをやるほうが幸せになれる気がするよ。

りっちゃんと澪ちゃんも、そう思ってくれるといいね。


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