【 梓 】

予定時刻より35分遅れた特急列車は、ようやく終点に着いた。
ギターをかついでボストンバッグを肩に掛け、小走りでホームに飛び出したら
携帯を操作しながら歩いていた男の人にぶつかった。

「あッ、すみません!」

男の人は面倒臭そうにちらりと私を見ただけで、再び携帯に視線を落とす。
ちょっと、ヤな感じ。私も悪かったけど。
相手の背中を一瞥すると、その向こうに南口と書かれた案内板が見えた。

何度来ても、この駅は人が多すぎる。みんなどこから来てどこに向かっているんだろう。
そんなことを考えながら、階段を駆け上がる。

正面に改札が見えて、ポケットに入れておいた切符を取り出す。

「あ、」

再び顔を上げると、改札の向こう側で手を振っている律先輩の姿があった。

「よ、おつかれ」

律先輩はそう言って、私の肩からひょいとバッグを取った。
大丈夫ですと口に出す前に律先輩は歩き始めて、慌てて後を追う。

「遅くなってすみません」

「今日風強かったもんなー」

「ですね」

複雑に流れる駅構内の雑踏を、律先輩は器用にひょいひょいと抜けて行く。
律先輩の肩で揺れる私のバッグに手を伸ばして、置いて行かれないように端を掴む。

律先輩は、大学に入ってからカチューシャを着けなくなった。
6対4くらいの割合で分けた前髪をラフに後ろに流しているので
オデコが出ているのは相変わらずだけど、なんだかちょっと大人びて見える。

「あ、そうだ。腹減っちゃったから先にご飯行くけどいいよな?」

「はい。でもスタジオの時間大丈夫なんですか?」

「ん、予約時間ずらしてもらったから」

「そうですか」

駅を出て横断歩道の前で立ち止まり、バッグから手を離して隣に並ぶ。
晩ご飯ってカレーですか?と問うと、律先輩は前を向いたまま声を上げて笑った。

「あれ、唯がいないな」

スターバックスのオープンテラスに、談笑している澪先輩とムギ先輩の姿を見つけた。
ムギ先輩の右隣、空いている椅子に唯先輩のギターが立てかけられている。

先に澪先輩が私たちに気付いて、次いでムギ先輩が振り返る。
大きく手を振ってくれるふたりに、ぺこりと会釈で応える。

「唯先輩、トイレですかね?」

「待ち合わせの前にアイス食ったからなー。あ、あのふたりには内緒な」

「はあ、」

右手の親指で澪先輩とムギ先輩をこっそり指さした律先輩に、曖昧に相槌を打つ。
先輩たち、また体重とか気にしてるのかな。

「あーずーにゃんっ!!!」

突然後ろからギターケースごと抱きつかれ、猫のような悲鳴がこぼれた。

「ちょ、唯せんぱ……」

私の鎖骨辺りに絡まった唯先輩の両手にぎゅっと力が入る。
隠れてたのかよという律先輩の呆れ声と、ニシシと唯先輩の笑い声が耳に届く。
私たちの横を歩いていたカップルがこちらを見て小さく笑った。

「もうっ、離れて下さいっ!」

腕を振りほどき、体を反転して2、3歩後ずさると、
唯先輩は宙に浮いた両手を所在無さげに揺らして口を尖らせた。

「ちぇーっ、まだあずにゃん分の補給完了してないよ」

「場所を考えてくださいよ、恥ずかしいです」

「えー、じゃあ他の場所ならいいのー?」

「揚げ足取らないでください!」

「はいはい、お約束はそこまでなー」

律先輩が私の頭をぐしぐしと撫で、澪先輩たちのところに歩いて行く。
あずにゃん、行こ?と唯先輩に手を引かれ、小さく溜息を吐いて私も続く。

「ムギ先輩、澪先輩、こんにちは」

「梓ちゃんこんにちは。疲れてない?」

「はい、いえ、大丈夫です」

「これからご飯なんだけど、ここでちょっと休んでからにするか?」

私の顔を覗き込んだ澪先輩に、もう一度大丈夫ですと応えた。




【 律 】

5人全員が揃って、あっという間に夜の色に変わり始めた街を移動する。
先々週4人でスタジオ練習した帰り道、気まぐれに入って ” あたり ”だったカレー屋。

4人掛けと2人掛けのテーブルに3人と2人で分かれて座り、
テーブルの間と空いている椅子に楽器と荷物を押し込む。

「梓、好きなの頼めよー」

メニューを睨んでいた梓が、はっとした顔で私を見る。

「あっ、あの、今日は自分で払います!」

「ん?」

「だっていつもごちそうになってますし、スタジオ代も私だけ……」

「梓。梓が交通費を出す代わりに、スタジオ代と食費は私らが持つって決めただろ?」

梓の言葉を、澪がやんわりと遮る。

「でも、」

「そうよ梓ちゃん。私たちがしたくてしてることだから」

「……」

「あずにゃーん、私たち、月に1回あずにゃんに会えるの楽しみなんだよー」

梓の隣に座っている唯が、助け舟を出すように梓の顔を覗き込んでニッコリ笑う。
月に1度とはいえ、高校生の小遣いではこの街までの往復交通費は決して軽くない。

「そういうことだ。だからお前は遠慮せず甘えとけばいいんだぞー?」

「あ、えと……、わかりました。みなさん、いつもありがとうございます」

申し訳なさそうに下げた梓の頭を、唯がイイコイイコと撫でる。
微笑んだ澪とムギをちらりと見てから、手を上げて店員さんを呼ぶ。

「すいませーん、注文お願いしまーす」

最後まで迷っていた澪がようやく注文を終えて、皆一息吐いた。
なんとなくみんな黙って、出されたお冷やを一口飲む。

「あっ、あずにゃん、こないだの学園祭ライブほんとに良かったよ!」

唯が最初に沈黙を破り、澪とムギが大きく頷く。

「そうだな。1年生の音もまとまってたし」

「きっと梓ちゃんの指導がよかったのね」

「あずにゃんのオリジナル曲にはびっくりしたよ。憂も教えてくれなかったし」

梓は頬を染めて下を向くと、消えそうな声でどうもです、と呟いた。
普段は生意気だけど、こういう時は本当に素直で可愛い奴だ。

「……梓はほんとに、いい部長になったなー」

「えっ」

しみじみと言った私に、梓は驚いた顔を向けた。
あれ?そんなに驚くような発言だった?私もびっくりして梓を見返す。

「あっ……、いえ、律先輩に褒められたのがちょっと意外で」

「おい中野」

手を伸ばして、荷物を挟んで隣に座っている梓の頭を乱暴に撫でる。
やめてくださいよ、という梓の声と唯の笑い声に重なって、
携帯が振動する低い音が響いた。

「ん……、あーちょっとゴメン、電話」

澪は着信の相手を確認すると、立ち上がって出口に向かう。
店の外に出る直前、「はい、秋山です」というよそいきの声がかすかに聞こえた。

澪と入れ替わりに、注文したカレーが運ばれてくる。
……これはやっぱり、やるしかない……ですよね?




【 澪 】

「……で、これはなんだ」

電話を終えて戻ってきたら、テーブルには全員分のカレーが運ばれていた。

「キーマカレーですね」

私の席に置かれた皿をまっすぐ見つめ、律が真顔で答える。
唯とムギは顔を逸らして肩を震わせ、梓は溜息とともに視線を落とした。

「もう一度聞くぞ? 律、これはなんだ」

「……ちょーっと澪ちゅわんにサービスをしようと思っアフン!!」

ゴッ、と鈍い音とともに、律がテーブルに沈む。

私が注文したはずのキーマカレーには、オムライスのケチャップよろしく
紅い福神漬けで巨大なハートマークが描かれていた。

「大学生にもなって食べ物で遊ぶな!」

律の石頭を殴って痛む左手をさすりながら席に座り、
スプーンで福神漬けだけ掬って律のカレー皿に放り込む。

「あっ、ちょっ、澪やめっ!」

「うるさい!自己責任だ!」

皿いっぱいのハートマークを作るのに結構な量を使ったらしく、
律が頼んだカツカレーの、カツの上に福神漬けがてんこもりになった。

「うわぁ……ひでえ……」

「お前が言うな」

「……なんか、たこ焼きにのってる紅ショウガみたいですね」

梓がそう呟いた途端、唯とムギが盛大に噴き出した。
誰か止めようって気にならなかったのか、と、私は溜息を落とす。

「じゃ、いただきまーす」

皆で手を合わせ、各々スプーンを手に取る。

「残さず食べろよ?律」

対面に座った律に笑いかけてやると、律は黙ったまま涙目を私に向けた。



「……さっきの電話、誰から?」

しかめ面で福神漬けを咀嚼しながら、律が私を見る。

「ん?バイト先の親御さん。あ、そうだ、来週の練習参加できなくなった。ごめん」

「あー、カテキョの日程ずれたのか?」

「うん、木曜がどうしても都合つかないから金曜夜にしてくれって」

「そっか、了解」

唯とムギも、頷いて了承してくれた。
それぞれアルバイト先でシフトが組まれているので、
私ひとりの都合で簡単に練習日をずらすことができない。

「カテキョ?澪先輩、バイトしてるんですか?」

スプーンを持つ手を止めて、梓が私を見る。

「梓にはまだ言ってなかったっけ。夏休みの終わりから家庭教師のバイト始めたんだ」

「家庭教師ですか」

「子供ひとりが相手なら澪も緊張することないし、勉強教えるの上手いしなー」

「その節は、秋山先生に大変お世話になりましたっ!」

唯がぺこりと頭を下げ、律とムギが笑う。
世話したのは律、お前もだから。


接客が苦手な私に家庭教師のアルバイトを勧めてくれたのは律だった。
私の長所と短所をふまえた上で、出来るんじゃね?と背中を押してくれた。

アルバイトを始めてみると、実際、私の性格には合っていた。
初めて家を訪問した時はやっぱりガチガチに緊張したけれど、
担当している中学2年の女の子は飲み込みが早く、教えるこちらも楽しくなってくる。

「じゃあ、来週は練習休みにするか。唯も大切な用事があるしなー」

律はそう言って、ちょっとにやついた顔で唯を見た。
唯は口に入れようとしていたスプーンを止めて、あ、うん、と相槌を打つ。

「用事?」

「和が来るんだって、来週末」

ああ、なるほど。そういうことか。


高校の卒業式の日、つぼみが綻び始めた校庭の桜の下で、唯は和に想いを告げた。
そのことにも驚いたし、和があっさり受け入れたことにもっと驚いた。
泣きじゃくる唯と、柔らかく微笑んでなだめる和の姿を思い出す。

私はそんな二人の姿を、離れた場所からぼんやりと眺めていた。
隣にいた律とムギがどんな顔をしていたのかは知らない。

あの時の私は、友人の恋が実って嬉しかったのか、それとも、


「……、……おい、澪!」

「……あっ。え、何?」

はたと気付くと、律が私の顔を覗き込んでいた。

「どうしたんだ?ぼーっとして。みんな食べ終わったからそろそろ行くぞ?」

「あ、うん」

みんな既に立ち上がって店を出る支度をしている。
私はひとつ息を吐いて、ぬるくなった水を飲み干した。




【 紬 】

久し振りに作った新しい曲を、鍵盤でなぞっていく。
先週4人で一度合わせて、今日は梓ちゃんが加わって初めて全員での演奏。
まだ歌詞はできていないから、澪ちゃんがラララで唄う。

「……今の、すっごい、いい感じだったね?」

音の余韻を残すスタジオ内で、唯ちゃんがぽつりと呟く。
その言葉に皆が顔を見合わせ、次第に笑顔になる。

「ねえあずにゃん、さっきの間奏のリフって考えてきたの?」

「あ、はい。今日電車の中で思いついて。あと、ここなんですが……」

「ん、どこどこ?」

ギターパートの二人が床に座り込んでコード譜に何か書き始めた。
感覚で弾くリードギターの唯ちゃんと、基本を外さないリズムギターの梓ちゃん。
二人のバランスは、私たちのバンドの大切な特徴のひとつ。

りっちゃんは主旋律を口ずさみながら、スティックを太ももの上で弾かせている。
あ、ちょっと首を傾げた。あの様子だと2コーラス目の導入部に悩んでるのかな。

「なんか、弾いてるとワクワクしてくるな、この曲」

澪ちゃんが私を見て微笑んだ。ありがとう、と笑い返す。

「歌詞、遅れてごめんな。なかなか浮かばなくて」

「ううん大丈夫。どんな詞を考えてるの?」

「ちょっと待って」

澪ちゃんは作詞用のノートを手に取って目当てのページをめくる。
こんな感じなんだけど、と控えめに差し出されたノートを受け取る。
ノートに走り書きされた散文は、
クジラさんとかカモメさんとかハシビロコウさんとか。……スランプなのね。

「えーっと……、うん、急がなくていいから、ゆっくり考えてね」

「……ウン、」

あ、ちょっと涙目になっちゃった。上手くフォローできなかったみたい。

「あ、澪ちゃん、えっと」

「あ、わ、私、ちょっとベースのアレンジ考えてみるなっ!」

「う、うんっ、わかんないところあったら聞いてっ!」

「……なんでそんな慌ててんだお前ら」

りっちゃんからいいタイミングでツッコミをいただきました。


「ねえねえムギちゃん、ちょっといい?」

呼ばれて振り返ると、私を見上げるギターの二人。
私も一緒に床に座って真ん中に置かれたコード譜を覗き込む。
ここなんですけど、と梓ちゃんが譜面を指さし、
跳ねる感じのギターソロ入れたいんだけどどうかな、と唯ちゃんが続ける。

背中越しに、りっちゃんと澪ちゃんの声も届く。
軽くリズムを刻みながらアイデアを出し合っているみたい。
勢いだ、安定感だ、の言い合いはいつも通り。

こんなふうに、自分の曲がみんなの手で成長していく様子を見ているのがとても好き。
ついさっき、澪ちゃんにはゆっくりでいいって言ったけれど、
ほんとうは歌詞が乗ったこの曲を早く演奏してみたい。


何度か合わせてみて、りっちゃんの号令で練習は一時休憩。
スタジオの外にあるソファに座って、いつものティータイム。
持参したステンレスポットから甘い湯気が立つ。

「今日も美味しー!ムギちゃんありがと」

「どういたしまして」

「今日の練習はなんか充実してるーって感じだな」

「やってる!て感じだよね」

りっちゃんと唯ちゃんが握りこぶしを作って頷き合う。

「先月梓は学園祭があったから、全員で練習するの2ヶ月ぶりだもんな」

澪ちゃんがそう言って、梓ちゃんがハイ、と頷く。
……あれ、梓ちゃん、なんだか表情が固い?

「梓ちゃん?」

名前を呼んだら、梓ちゃんの肩が小さく跳ねた。

「! は、はい。なんですか?」

「梓ちゃん、どうかしたの?」

りっちゃんたちが私を見て、視線を梓ちゃんに移す。
全員に見つめられた梓ちゃんは少し居心地悪そうに前髪を直して、
紅茶の入ったカップを置いた。

「梓?」

りっちゃんが優しい声で名前を呼ぶ。

「あ、あの。今日は、みなさんに聞いていただきたいことが」

「なあに?」

のんびりと返した唯ちゃんの顔をちらりと見てから、梓ちゃんは背筋を伸ばす。

「私の、進路のことなんですけど……」


3