キャンパス内の落葉樹が次々に色付く季節。
今年は比較的暖かい日が続き、暦の上ではとっくに秋だというのに
街にはまだ夏の名残が漂っている。

今週最後の講義から解放され、ぶらぶらと正門に向かって歩く。
皆と約束した待ち合わせ時間までにはまだ時間がある。

スキニージーンズの後ろポケットから携帯を抜いてメール画面を開き、
必要最低限の内容だけ打って送信ボタンを押す。
多分まだ受講中の2人にメールが送信されたことを確認して、携帯を仕舞う。


きゃあ、という小さな悲鳴に顔を上げたら、真正面から強い風がぶつかってきた。

「! いたっ……」

右目に痛みを覚え、咄嗟に手で押さえて風上に背を向ける。
風に巻き上げられた砂でも入ったんだろうか、
涙腺が異物を追い出そうと、私の意思を無視して涙がこぼれる。

……おーい りっちゃーん

遠くから私を呼ぶ声が聞こえたが、目を開けられない。
ばたばたと近づいて来た足音は私の正面で止まった。

「りっちゃん、おっす!」

「おー、ちょいまち」

下を向いて目をこすりながら、左手だけで応じる。

「……あれ、りっちゃん、泣いてる?どうしたの?」

「……唯に会えなかった時間が……寂しくて……うっ」

「! り、りっちゃん……私も、私も会いたかったよぉぉ」

「唯ぃぃ!」

「りっちゃん!」

涙をぽろぽろこぼしながら両手を広げたら、ひし、と唯が抱きついてきた。
少し離れた場所からクスクス笑い声が聞こえるが気にしない。

ひとしきり情熱的なハグを交わして小芝居終了。

「そんで、目、どうかしたの?」

「風吹いてなんか入った」

「大丈夫?目薬あるよ?」

「ん、もうちょいで取れそう」

まだ少しゴロゴロしているけれど、なんとか瞼を開けることができた。
潤んだ視界の中、至近距離で私の目を覗き込む唯が見えた。


ギターケースを背負った唯と並んで大学最寄りのJR駅に向かう。
今日も暑いね、と、唯は空を見上げてうんざりした顔で呟いた。

「秋ってなんだっけ?って感じだよなあ」

「それでも食欲にはしっかり秋がきてるよ」

「それ澪の前で言うなよ。体重気にしてるみたいだから」

「ねぇりっちゃん、アイス食べない?」

「……みんなと合流する前に食っちまうか」

コンビニに寄り道して、アイスを買う。
私はガリガリ君ソーダ味、唯はチョコモナカジャンボ。

「ガリガリ君、一口ちょうだい」

「がっついてるとお腹壊すぞ」

差し出したアイスの角を、唯は器用に齧り取った。



JRの駅が見えてきた。駅舎の白いタイルに照り返す光はまだ夏のそれだ。
まぶしくて思わず目を細める。

そういえばさあ、と、口の中にモナカを入れたまま唯が喋る。

「りっちゃん、澪ちゃんと一緒に住んだりしないの?」

「澪と? まあルームシェアしたほうが家賃は助かるけどなー」

「うん、それもあるけど」

唯は一度言葉を切る。ごくんと喉が動いた。

「いつも一緒に居たいって思わない?」

「えっ、なんで?」

「だってりっちゃん、」

「唯、寂しいのか?」

唯の言葉を遮って、質問を質問で返す。途端に唯は口をへの字に曲げた。

「……そりゃあ寂しいよ」

「でも来週こっちに来るんだろ?夏休みは唯が行ったって言ってたじゃん」

「あのね、りっちゃん。恋人との時間は逢い貯めできないんだよ」

「アイダメって……」

「逢うたびに、もっと逢いたくて逢いたくて寂しくなるんだよ」

遠恋ってやつはさ……。
遠い目をしてそう呟くと、唯は突然携帯を取り出して物凄い勢いでメールを打ち始めた。

「……ああ、うん、なんかごめん」

メールを送る相手は訊ねるまでもなく、内容は想像に難くない。
……あいつも大変だな。

ずいぶん長いこと打ったメールを送信し終わり、軽く放心したような顔。
西はあっちかな……とトリップし始めた唯の肩を、私は黙ってぽんと叩いた。




【 紬 】

基礎経済学のテキストを仕舞って携帯の電源を入れると、メールが3件届いていた。
最初に母から。次にりっちゃんと、それに返信した澪ちゃんからの同報メール。

ふたりに返信してバッグを肩に掛ける。
一旦キーボードを取りに部屋に戻ってから待ち合わせ場所に行くまでの時間を計算してみる。

「……うん、急がなくても大丈夫そう」

顔見知りになった子と挨拶を交わして教室を出た。
日当りの良い廊下に、Pタイルを踏むローヒールの音が反響する。

「今日も暑そうだな……」

ロビーの大きな窓越しに見える芝生がまぶしい。

携帯を開いて母の番号を選ぶ。3コールで、もしもし紬?と母の声が聞こえた。
大切な用件は来週末の予定のことくらいで、
あとは私の生活のこととか、父の様子とか、普段通りの他愛ない話。

母のやわらかな声に耳を傾けながら、駅への近道を歩く。

4人で同じ大学に入学したものの、私の学部が入っているキャンパスは
3人が通う場所とは私鉄とJRを乗り継いで40分ほど離れている。
けれど、そのことについてはさして寂しいとは思わない。

……正直に言うと、最初の頃はちょっぴり寂しかったけれど。

同じキャンパスに通う3人もそれぞれ別の学科を選び、皆アルバイトをしている。
4人が顔を揃えるのは週に1度、金曜の夜。


電車に乗るからまた掛けるね、と通話を切ってバッグのポケットに仕舞い、改札を通る。
ホームに上がるといいタイミングで銀色の電車が滑り込んできた。
すいた車両の中、乗客たちは静かに目を閉じているか携帯の画面を眺めている。

シートの端に腰掛け、バッグから読みかけの文庫本を取り出す。
栞を挟んでいるページを開いて物語に意識を落とそうとしたところで、携帯が着信を告げた。


「梓ちゃんだ」

送信者の名前を見て顔がほころぶ。
乗車した特急列車が遅延していることを簡潔に告げた文末に、汗の絵文字が揺れる。

返事を打とうと思ったら携帯が震えた。唯ちゃんからの返信はいつも早い。
あずにゃん今夜何食べたい?今りっちゃんと一緒にいるよ。絵文字いっぱいのメール。

続けて私もメールを送る。
時間は大丈夫だから気をつけて来てね。梓ちゃんと会うの学園祭ぶりだね。
文末に十六分音符の絵文字をひとつ。

梓ちゃんからまた着信。
ご飯は先輩方にお任せします。お会いできるの楽しみです!どの改札から出ればいいですか?

南口改札だよ。迷ったらすぐ電話するように。律はご飯の場所頼む。私もそろそろ出ます。
澪ちゃんも、ベースを取りに一度部屋に戻ったのかな。

5人の手の中で飛び交う会話。
短いメールのやりとりは、みんなの声が聞こえてくるようで楽しい。

りっちゃんからのメールは、了解!のひとこと。りっちゃんらしいな。


結局、一度も文庫本に目をやることなく目的の駅に着いてしまった。

「ま、いっか。ふふ」

携帯と文庫本をバッグに仕舞って立ち上がり、ホームに降りる。
フレアスカートの裾がふわりと広がって慌てて押さえた。今日は風が強い。



【 唯 】

ねえ寂しいよ早く逢いたいよ。長々と綴った想いに返ってきたのは、
「私もよ」の、たった3文字と、署名代わりの赤い眼鏡の絵文字。

メールがそっけないのはいつものことだけど、
ちょっと泣きそうにもなるよね。

「んー?どした?」

無意識に落とした大きな溜息に気付いたりっちゃんが
既に食べ終えたガリガリ君の棒を口元で揺らしながら私を見た。

「ねー見てよこれ。いくらなんでもあっさりし過ぎだよね?」

「……3文字に全ての想いを込めるとは、なかなかやるな赤眼鏡」

「その解釈は予想外だよ」

「送ったメールを私に見られてるのはあいつも予想外だろうな」

「……重いのかな、私」

「澪とムギの前では言うなよ?」

「もー、そっちの重いじゃなくてさぁ」

「いしし」

りっちゃんは意地悪そうに笑って、
はずれと書かれた棒を駅前に置かれたゴミ箱に投げ込んだ。

「今更重いとか言ってたら、唯の恋人やってられないだろ」

「あれ、私、今さらっと重い女認定された?」

鞄に付けているパスケースを引っ張って、ギー太をぶつけないように改札を抜ける。
りっちゃんはジーンズの後ろポケットから出したSuicaをべしんとセンサーに当てた。

「褒めてんだよ。和をな」

「……」

言い返せず、複雑な顔で応える。

ホームまでの長い通路を並んで歩く。内回りの車両がホームに到着するのが見えた。
開いたドアから一斉に人が吐き出され、こちらに向かってうねりを作る。

私の左隣にいたりっちゃんがふと視界から消えて、すぐに右後ろから現れた。
肩で小突くように押されて、私は通路左側の壁際まで体を寄せる。


「……ん、梓からだ」

二人同時に、それぞれの携帯画面を覗き込む。

「あずにゃん、ちょっと遅れるのかぁ」

「今日は風が強いから、そのせいかもな」

「あーそうかも」

喋りながら、すぐに返事を打つ。りっちゃんと一緒にいることも付け加えて送信。
外回りの車両が車体をきしませながらホームに入ってくる。

ここからホームまでの距離は、ギリギリあの車両に乗れるかどうか。
どうせ次の電車はすぐに来るし、待ち合わせまで時間はたっぷりある。
りっちゃんも急ぐ様子を見せないし。

ていうかお前これカレー1択じゃないか、と
携帯の画面に視線を落としたままりっちゃんが苦笑いした。




【 梓 】

今朝からの強風で路線全体のダイヤが乱れているらしく、
目的地への到着予定時刻を告げるアナウンスが二転三転している。
予定時刻が延びるたびに溜息を吐いて、脇に置いたギターケースを撫でる。

遅延を知らせたメールに、先輩たちからすぐ返信が来た。
唯先輩からの返信には、カレーライスの絵文字が5つ並んでいる。
人に食べたいものを聞いておいてこれはないですよ唯先輩。
とりあえず、当たり障りなく返信する。


先月の学園祭ライブで私の部活動は終わった。憂と純と、スリーピースのステージ。
1年生のみんなはすごく頑張って、憂と純には今も感謝しきれなくて、
見に来てくれた先輩たちに頭を撫でられて、胸が一杯になってたくさん泣いた。

「……当分、律先輩にからかわれるだろうな」

思い出したら恥ずかしくなってきた。頬が熱い。

部室はもう1年生に譲り渡して、3人一緒に図書室に通う放課後。
時々は、寂しがるさわ子先生に付き合ってお茶を飲みに行くけれど。


徐行運転中の特急は無駄に気持ちを焦らす。
次第に緑が減り建物が密集していく街が、傾き始めた太陽を反射してぴかぴか光っている。

気持ちが焦れているのは、遅延のせいだけじゃないことは自覚している。
今日は先輩たちに話したいことがある。
それを話したとき、先輩たちはどんな顔をするだろう。

「……」

期待よりも、不安のほうが大きい。そう思ってしまう自分に少し落ち込む。

深呼吸をして携帯を仕舞って、
アナウンスを聞くため外していたイヤフォンを耳に押し込む。
足元に置いたボストンバッグから手書きのコード譜を出して、膝の上に置く。

先週送られてきた曲の予習。久し振りの ” 放課後ティータイム ”の新曲。
澪先輩はまだちょっと作詞に頭を悩ませているらしい。

iPodに入れておいたムギ先輩のデモ音源を聴きながら、コードを目で追って行く。

「……あ、ここには格好いいリフ入れたいな」

唯先輩だったらどんなふうにするかな。練習の時に相談してみよう。
無意識に動いてしまう左手の指に、隣席のサラリーマンがちらりと目線を向けた。




【 澪 】

この街はあまりにも人が多い。

上京してきた当初は、駅構内を歩くだけで何人もの肩にぶつかって疲れ果てた。
それでも半年暮らすうちにコツを掴めてきて、ぶつかる頻度は随分減った。

対向してくる人とは目を合わせない。合わせると互いに牽制して立ち止まってしまうから。
なんとなく前を向いて、なんとなく自分が進めそうな流れを見つけて
微妙に体の向きを変える。ベースを背負っている時はすり抜けられる幅も考慮しながら。

流されるように早足で歩きながら、袖擦る他人を気にしないように努めている。
皆が他人を気にしないから、人波に紛れていると緊張することもない。


JRの南改札口を出て、改札を見渡せる柱の近くに移動する。
ベースを背負ってここに立っていれば、必ず私を見つけてくれる。

「お、いたいた。澪ー!」

ほらね。

「澪ちゃんやっほー!」

手を振りながら人波を逆流してくる二人を、片手を挙げて迎える。

「律、ご飯の場所決めた?」

「先々週行ったカレー屋でどう?」

「ああ、あそこ美味しかったな。スタジオも近いし、いいんじゃないか?」

「カレーをご所望のお姫様もいらっしゃるし、な」

にやりと笑った律を見て、ふたりで視線を唯に向けた。
今日はそんな気分だったので……と唯が眉尻を下げる。

「みんなー、お待たせー」

おっとりした声に振り返ると、柱の陰からムギが顔を出した。
キーボードを人にぶつけないよう、縦にして抱えている。

「ムギちゃんやっほー!」

「唯ちゃんやっほー」

唯とムギが、バシンとてのひらを合わせた。

「今日も暑かったねえ」

「ねー」

「梓は仕方ないとして、今日は珍しく遅刻ゼロか」

そう言った私に、唯が得意げな顔を向ける。

「やれば出来る子ですから!」

「いや、多分褒められてねーから」

「ふふっ」

遅刻常習犯の唯に同じく常習犯の律が突っ込み、ムギが笑う。
その様子に、私も思わず笑みを漏らす。


ジーンズのポケットに入れている携帯が着信を知らせた。
4人同時に、それぞれの携帯に手を伸ばす。

「梓はあと30分くらいか」

「電車、結構遅れちゃったね。梓ちゃん疲れてないといいけど」

「待つ場所変えるか?楽器持って固まってると結構邪魔だし」

「じゃあ、あそこのスタバに行かない?」

ムギが、駅の外、幹線道路の向こう側に見えるサザンテラスを指さす。
夏の色を残した空のきわに、気付けば夕暮れの気配が迫っていた。

「……そうだな、お茶しながら待つか」

「あずにゃんにメール打っとくね」

唯を見ると、既に携帯のキーを両手の指で器用に叩き始めている。
私たちは楽器とバッグを肩に掛け直して、メールを打ち終わるのを待つ。

唯が顔を上げるのとほぼ同時にまた携帯が震えた。

「……いや、これは一斉メールじゃなくていいだろ」

呆れ顔をした律のツッコミに、あそっかぁ、と唯は照れた笑いを見せた。


2
最終更新:2011年03月03日 22:41