――わたしは二人の女の子を愛している


その日、身をきるような寒さに眼が覚めた
前日まで暖かかったせいか、どうも体が急な変化に対応できなくなってしまっているらしい

ふと、寒空の窓の外を見るとあわただしそうに彼女が駆けて行く
彼女にしては珍しい。遅刻寸前まで家を出ないことなんてなかったのに

その理由は下の階に降りてからようやく判明することになる

「……ギリギリまで待っていてくれたんだ」

テーブルの上には彼女が用意してくれたのであろう、朝ごはんが並んでいた
ラップ越しに触れてみる

……まだ温かい

起こしてくれてもよかったんだけどなぁ
ポツリとそう呟いていた
だが、それも彼女の優しさなのだろう

「駄目な姉だ……」

するとそれを必死に否定する可愛い妹の姿が浮かんだ
きっと彼女はそんなことはないよと慌てた顔をしながら否定してくれるのだろう
だけどそれでも

「駄目な姉だね……」

気まぐれに、いつも彼女が座っている椅子を引いた
そこにストンと腰を落とせば、やはりその椅子もまだ熱を持っていた

酷い姉だと自ら酔うように罵る
そうすれば、許されると思っていた
だって私は彼女の気持ちを知っていたのだから


冷たい部屋に戻り、着替えていると
自分でも気付かぬうちに口からメロディがこぼれていた
文化祭で歌った歌のメロディラインを鼻歌でなぞる
そんな気のまぎらわせかた

卒業してから、考えることが多くなった
先日我が軽音部の部長に、「考え事か、唯?」とまで尋ねられるほど
私は自分を隠せなくなっている
そういえば、隠さなくいけなくなったのはいつからだったのだろうか

私の心には彼女達がいた
彼女と――そして彼女のことだ
共に年下の少女だ
それなのに、私よりしっかりしていて
私のことをしょうがないなぁ と笑ってくれて
そして可愛く照れたりもするもんだから

「私はそういうところが好きなんだろうね」

こんなこと一人の時にしか絶対に言えない
それが私が自分に引いたボーダーラインだ
言わなければいいのに、と自分でも思うが
たまに言葉にしておかないと、途方もない不安に襲われた


「あぁ、でもギー太にはいつも聞かれちゃうね」

部屋の隅で黙って私の話を聞くように立てかけられていたギー太に手を伸ばす
慣れたこともあり、彼を抱えても私はよろめくことはなくなった
重さはある。だが、それが私にピッタリとくる重さになっていた
ピックを持たずに、弦をゆっくりとはじく
低音の心地よい音が私の耳に安らぎをもたらした
――ピックに手を伸ばす
奏者は自分、観客は自分の小さな音楽界が始まった

気付けば私は音の世界に没頭していた
だが、一人での演奏はどこか味気なく感じて
やがて飽きに似た感覚を覚えていた
ゆっくりと息を吐き出し、吸い込んだ
胃の中が冷たい空気で満たされていく
そしてピックを弦と弦の間に挟むと、ゆっくりと足に力を入れた

「学校……行こうかな」

悩んだかのような言葉とは裏腹にもう私の心は決まっていた
クローゼットへと向かい、もう役目を全うしているそれを取り出す
それを身に着けている時だけは、彼女達と同じ高校生でいられる気がした


ギー太を持ち、玄関へ降りると
そこには手袋が落ちていた
それは彼女の忘れ物であり、私にとっても大事なものだった

彼女はマフラーを風で飛ばされたと言った
――だから私のマフラーを彼女の首に巻いた
私は手袋の片方を失くしたと言った
――だから彼女は私の冷えた手を両の手で握りこんだ

玄関を出ると、部屋の中とはまた違った寒さが私の身を襲った

「ふっふっふ、なんか侵入者みたいで悪いことしてるみたいだね」

校門の前で私は楽しくなっていた
5時間目の始まった校舎は静かで、その中には彼女達もいて……
別に気にする必要もないのに、忍び足になる
気分だけは、一流のスパイだ

しかしそんな気分も校舎に入った瞬間、抜け去った

「唯ちゃん?」

侵入早々かつての担任に見つかっているようでは、スパイ失格だろう


「さわちゃん、こんにちわー」

「あらっ、唯ちゃん一人?珍しいわね」

ここへ来るときは、今まで必ず誰かと来ていた
それはムギちゃんであったり、りっちゃんであったり、澪ちゃんであったり、
卒業してからも4人で来ることが多かった
それが今私は一人だ
そのことにさわちゃんは驚いているのだろう

「でも、今日はたぶん部活はお休みよ?」

だから、とさわちゃんが続けた
さわちゃんがいいたいことは分かっている
今日は彼女も部室にはあらわれない――つまりはそういうことだろう
だが、私は別にそれでも構わなかった

「でも、部室はあいてるんだよね?」

「えぇ、まぁ」

さわちゃんが意外そうな顔をする
どうやらそれを聞けばそのまま私が帰ってしまうのではないかと考えていたらしい

「あっと、それじゃあ唯ちゃん。私見回りの途中だから、行かないとね」

「ご苦労様ですな」

「ふふ、唯ちゃんあんまり似合ってないわよ」

「そうだ、さわちゃん。憂にこれを渡してくれない?」

取り出したのは朝玄関で見つけた手袋だ
ここにくるまで私がつけていたので、まだ温かい
さわちゃんが、しょうがないわねぇとそれに手を伸ばし――とめた

「やっぱり、自分で渡しなさい。憂ちゃんには部室に行くように言っておいてあげる」

「えー、さわちゃんのいけず~」

そうしてさわちゃんは階段を登っていく
だが、階段の踊り場でピタリと足を止めると振り向き

「唯ちゃん、あまり考えすぎはよくないわよ」

それだけを言うと、さわちゃんはウインクをしてまた階段へと足を伸ばした
私も遅れて続くように階段へと踏み出し

……さわちゃんにはお見通しかぁ

あらためて教師という仕事の凄さを思い知らされた



部室はなにも変わっていなかった
いや、変わっていないように見えるだけ、本当は変わっていたのかもしれない
それでも私には変わっていないように思えた
ギー太をいつもの場所に置き、私は4つの勉強机をつなげたテーブルへと向かう

「これは……」

彼女がいつも座っていた位置に、一本のカセットテープが置かれていた
そこには丁寧な字で、【梓・憂・純・新生軽音部】と書かれたシールが貼り付けられてある

微笑ましい気持ちと同時に少し寂しく思う
4月、そこに私の姿はない
彼女達の演奏に私の音は混じることはないのだ
もちろん、不満があるわけじゃない
りっちゃん達と演奏できたことは、おそらく私の一生の思い出だ
彼女達に混ざりたいのならば、あの思い出を捨てろ と言われれば、
まちがいなく私はそんな話はお断りするだろう
だけど……それでも少し寂しいと感じるのは――

「私は欲張りだなぁ」

最初から分かっていたことだ
選べない。そもそも選ぶというのがおこがましいのだ
ただ手放したくないものが多すぎた
それでも彼女達は
――優しすぎる妹と素直になれずに困惑する後輩は
笑いながら許してくれるのだろうか

「考えすぎはよくないよね。……よーっし!!」

さわちゃんの言葉を思い出し、私は立ち上がりギー太に走り寄った
朝触ったばかりだというのに、どこか懐かしくその音が聞きたくなった

「ソロライブの始まりだね」


「お姉ちゃん!!」

5限目のチャイム終了からほどなくして、彼女が部室に駆け込んできた
ここまで来るだけなのに、息をきらせているということはそれだけ急いできた証だ
まったく……普段は優等生なのに
思うだけで口にはださない。
嬉しかったから

「どうしたのお姉ちゃん? 今日は一人なの?」

「ほっほ、まぁここに座りなされ」

どこかで見た年配者の口調をまねる

「お姉ちゃん、あんまり似合ってないよ」

さわちゃんと同じ反応をした彼女はクスりと笑うと
私の正面に腰をかけた

「それでどうしたの?」

「いやぁ、寂しくなってねー。憂に会いたかったんだよ」

本音だけど、本音に聞こえないように茶化して言った
すると彼女は困ったように笑った

「それは嬉しいけど……」

「憂、これ忘れていったでしょ?」

もう一度ポケットから手袋を取り出し、彼女の目の前へと差し出した
彼女は一瞬、キョトンとした後

「ありがとうお姉ちゃん。もしかしてこのためだけに……?」

彼女の気遣いが手に取るようにわかる
おそらく私に対して申し訳ないと思っているのだろう
……そんなこと気にしないでいいのに
だから

「ちょっと部室に忘れ物をしてね。それを取りに来るついでだよ」

彼女に気を使わせないように、そう言った
すると彼女は一瞬、悲しそうな眼をみせた気がした
が、その一瞬は間違いだったかのように彼女は笑みを重ねる

「ありがとうね。お姉ちゃん」

それは本当は毎日のように私が言わないといけない言葉なのに
ただ、その言葉を受け入れるしかなくて
気の利いた事も言えずに、私の口は黙ってしまう

「あっと、ごめんねお姉ちゃん。次は移動だからもう行かなくちゃ」

そして彼女は立ち上がり、慌しく廊下へと向かっていく
彼女はおそらく私の迷いもすべて知っている
賢い子だから、私とは違うから。
きっとこの気持ちの解決方法も知っているのだろう
でも、それを聞くことは許されない
彼女自身もまた避けているような気がしたから

去り際に彼女が零した

「私はお姉ちゃんの妹だよね」

掠れそうな声だったが、かろうじて私の耳がそれを拾ったが、
その意味を私は知ることはない
だけど、やはり彼女は知っていた
――私の答えがもう出ていることを


今度は私が決着をつける番だ
だから、私はまだ帰らずに放課後まで残ることにした

――彼女が来てくれるのを祈りながら



「……い……んぱい……ください!!」

今日の目覚ましはやけに可愛い声だと、まどろんだ意識で思う
ゆっくりと意識が現実に浸透していく

「唯先輩、起きてください!!」

瞼を開けると、そこにはツインテールを揺らしながら私を揺すっている彼女がいた

「うーん、あずにゃんだ~」

彼女の背中に手を回し、もっと側へと引き寄せた
そしてそのまま、私は顔を彼女の胸に

「ちょっ、ちょっと唯先輩!! 本当に起きてくださいってば!!」

その彼女の焦った声を聞き、私は本当の目覚めを迎えた

「あれ、あずにゃんこんなところでなにをしてるの?」

「それはこっちのセリフです!! 唯先輩こそなにをしてるんですか」

「えへへ、実はあずにゃん成分が足りなくてここで倒れていたのだっ」

あながち嘘でもない冗談を言う
彼女に会いたかったのは本当だ

「それより離してくださいよー」

「う~ん、もうちょっと~」

彼女の体を少し強めに抱き寄せる
すると彼女が恥ずかしがっていることがわかった
そしてそのことに満足を覚えた私はようやく彼女を解放した

「あずにゃん、一緒に帰ろうっか」

窓の外はすでに日も沈みきり、薄暗い帳が下りてきていた
学園にもうほとんど人はいないのだろう
歩いている人影すらも、見当たらない
静かな空間の中、私の鼓動は壊れてしまっていた


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