純「ふうん、梓がねえ……」

憂「そうなの、お姉ちゃんたちも励ましてるみたいなんだけど」

純「なんかそれ、梓の場合却って落ち込みそうだなあ」

それは、久々に会った友人と喫茶店でする話としてはいささか不釣り合いなものだった。
私の高校の同級生、中野梓に最近元気がないというのだ。

それで、梓と一緒にバンドをやっている姉がいて、尚且つ梓と同じ大学の憂からその話が持ち込まれてきたというわけだ。

憂「そうみたいで、講義中も上の空だし……どうしていいのかわからなくて」

純「それで、私に相談に来た、ってわけか」

憂「うん……」

目の前の旧友の顔はどんどん曇っていく。
いつも笑顔の憂にこれだけ暗い顔をさせるだなんて、梓も罪な奴だ。

馬鹿だなあ、あいつは。
こんなに心配してくれる人がいるのにうじうじ悩んじゃってさ。

純「うーん、どうしていいものかなあ。梓とは卒業してからしばらく会ってないから何とも……」

口では少しつれないことを言ってみるが、もちろん心配は心配だ。
いくら会う機会がなくったって、梓は大切な友達なのだから。

ただ、今現在では取るべき手段も見つからない。

何がそんなに梓の心を苦しめているのか。それもわからないのではうまいこと解決できないだろう。

くるくると目の前の紅茶をスプーンでかき回してみても、そこには何も映らない。
ふと、梓の心中も似たようなものなのかもしれないなと思った。

― ― ― ― ―

その日の講義が全部終わり、バイトの時間まで一旦帰宅。
ベッドに寝っ転がって漫画を読んでいると、憂から電話がかかってきた。

講義のときに、梓の姿が見られなかった、と。

純「つまり、梓が大学を休んだってこと?」

憂『そうなの。電話をしても返事がないし……』

別にそれくらい大学生なら普通でしょ、と言いたいところだが、それがあの梓のことになると話は別だ。
私などは時々無断休講、という名のサボりをしてしまうのだが、梓はそれまで皆勤だったそうだ。

もしかすると、これは、結構深刻な話なのかもしれない。

純「部屋には行ってみた?」

憂『ううん。そっとしておいたほうがいいのかなって思って……』

確かにその通りだろう。
梓から助けを求めてきた時が、憂の活躍するタイミングだ。

部屋に乗り込むだなんて馬鹿なことをするのは、私の役目。

もう、何故悩んでいるかなんて気にしない。

むしろ、梓の中で「何故悩んでいるのか」が整理されてないからこそ、憂にも軽音部の先輩たちにも頼り切れずに一人で悩んでいるのだろうから。

私みたいな馬鹿が一発かましてやれば、案外あいつもすっきりするかもしれない。

純「わかった。じゃあ、私が行ってみるよ」

憂『うん、お願い。
  私が行くんじゃなくて、純ちゃんが行ったほうがきっと梓ちゃんのためになるから』

今日のバイトが終わった後となると、かなり遅い時間帯になる。

まあ、構うものか。

寝てたら起こせばいい。

出てこないならドアの前で待ってればいい。

私にできることなんて、せいぜいそれくらいなものだ。

「上手いこと」問題を解決するなんて、最初から私に出来るはずもなかったのだから。

― ― ― ― ―

バイトが終わると、急いで駅に向かって駆け出した。

もうほとんど電車も無くなってしまう。一本乗れないだけで大きく到着時間に差がつく。

別にどんな夜中でも遠慮などする気はない。
ただ、私が早く梓に会いたかった。

駆け込み乗車をも辞さない覚悟だったが、実際にはホームで数分待たされた。
全力疾走で荒くなった息を整えると、汗がひいてきて、今度は寒くなってきた。

純「早く電車が来てくれなきゃ、私が風邪ひいちゃうってば」

つい愚痴ってしまうくらいには、電車が来るまでの数分間は私にとって長く感じられた。

― ― ― ― ―

純「寒っ……」

ただでさえ今日は寒くなると天気予報で言われていたが、夜になると一層身に染みる。その上風が強いときた日にはたまったものではない。

そうやって震えながら歩いていると、もうだいぶ暗くなった街並みに温かな光を見つけた。
駅前で営業している、小さな蕎麦屋だ。

純「ふうん、そば、ね」

案外、梓の部屋よりはこちらのほうが話しやすいかもしれない。

よし、部屋についたら無理やりにでも外に連れ出してみよう。

― ― ― ― ―

梓が住んでいるアパートは、駅前から少し離れたところにある。

いくら梓自身を叩き起すことに罪悪感がないとはいえ、他の居住者まで起こしてしまっては大変だ。
できるかぎり足音を立てないよう忍び足で階段を上っていく。

そして同時に梓へと電話をかける。
起きているか、起きていたとして、私からの電話に出るか。
心配がないといえば嘘になるけれど、結局それは杞憂で終わった。

電話の向こうから、「もしもし」と、不機嫌そうな、ちょっと掠れた懐かしい声が聞こえてくる。

まずは第一関門突破、というところか。

― ― ― ― ―

第二関門である、外に連れて行くというのも成功した。
説得に手間取りそうだとか、いざとなったら無理やりにでもなんて考えていたのがばかばかしくなるくらい、梓はあっさりと蕎麦屋へ行くことに同意してくれた。

なんだかんだいって、本人もずっと部屋にいてかなり息が詰まっていたのかもしれない。

梓の手を引いて、さっきの蕎麦屋へと連れていく。
このあたりのことは私より詳しいはずの梓はそんな店には心当たりがないという。

こうして目の前まで連れてきても、やっぱりこの店は知らなかったと言っているのだから、周りの店が営業しているときには相当に地味な店なのだろう。

実際、私がこの店を見つけることが出来たのも極々偶然だ。

だからこそ、梓を連れて行こうと思えたのだけど。

明るい街の中では目立たなくても、こうやって暗くなったときに、優しげな光を放っている。
多分、ここはいい店だ。

純「さ、入るよ」

梓「うん」

純「すみません、二人なんですけど」

― ― ― ― ―

そばを食べているときは、基本的に私がしゃべりっぱなしだった。
色々な失敗談を語ってみたり、くだらない駄洒落を言ってみたり。

特に意味のある話ではなかったけれど、それを話しているうちに、最初は硬かった梓の表情も崩れていった。

そして、最後には、私の言葉で涙を流した。

その言葉は、半ば独り言のようなものだったけれど、でも梓には届いたみたいだ。

彼女は、色々な人から大切に思われているのだと。

一人でふさぎこむことなんてないのだと。

そばを食べ終わり、梓が泣きやむのを待って、私たちは蕎麦屋を出た。

今日は、梓の部屋に泊めてもらっちゃおう。

それくらいのご褒美はもらってもいいよね、なんて。

― ― ― ― ―

いざ実際泊めてもらうとなると、流石に一人暮らし用のベッドで二人というのは中々きつい。

純「狭いからもうちょっと詰めてよ」

梓「これ、私のベッドなんだけど」

純「なにおー!私はお客様だぞー!」

梓「勝手に押しかけてきた癖に」

いつものようにお互い軽口を言い合う。
これだけ言い返せるなら一安心といったところか。

なんだかんだ言いながら場所を空けてくれるあたり、素直じゃないのは高校時代から変わらない。

梓「ねえ、純」

純「なーに」

梓「改めて、ありがとね」

純「気にしないのっ」

この調子だと、明日はもう大学にも出るだろうし、バンドの練習にも行くだろう。
それ以降は、憂や軽音部の先輩たちが何とかしてくれるはずだ。

たとえ、目の前の問題が解決しても、悩みなんて尽きるはずもない。
私が梓の抱えているものを全部解決してあげられるなんて思わない。

でも、梓自身がそれらのひとつひとつに向かい合うきっかけなら作ってあげられる。

梓のことを大切に思ってる人たちのほうへ、背中を押してあげることならできる。

きっと、私はそれでいいんだ。

どんな形でも梓の力になれたんだから、胸を張ろう。

頑張れよ、と心の中で梓に声をかけ、私は瞼を閉じた。




おしまい!