生徒会室へ帰ると、曽我部先輩の他に会計係の一年生がいた。
まだ今年度は始まったばかりだというのに早々に生徒会に入った、見上げた娘だ。

「真鍋先輩、また軽音楽部ですかあ」

「そう。語尾伸ばすのやめたほうがいいわよ、みっともない」

「ちぇ……でも大変ですね。なんかやけに軽音楽部贔屓してませんか」

「そりゃあ……」

言葉に詰まった私の代わりに曽我部先輩が笑って答える。

「幼馴染がいるものね。ちなみに私も軽音楽部は贔屓したいわ、個人的に」

ねっ、と曽我部先輩が私に向かって首をかしげたから、私は、ええまあ、と気のない返事をする。
私たちの言葉を聞いて会計の娘は、

「ああー、でも駄目ですよ。生徒会が私的な理由でそんな風に特定の部活を贔屓なんて」

それを聞いて、私はどきりとする。
そんな私の心境を知ってか知らずか、曽我部先輩は取り繕うように言ってくれた。

「でもね、軽音楽部の待遇が他の部活よりいいという訳じゃないのよ。仲良しがいるから、書類を貰いに行ってるだけ」

「むう……でもやっぱりなんか狡い気がします」

曽我部先輩は、

「あら、お堅い」

とおよそ生徒会長らしからぬ言葉を吐いて、自分の職務に戻って行った。
雑談の中では飄々とした感じを受けたが、いざ生徒会長として仕事をするとなると、先輩は厳しい。

「あなた、ここ計算間違えてるわよ。コンピューターに入力するだけなんだからしっかりなさい」

などと会計の娘を叱りつけている。
私も急いで、他の部活の提出物の検査を始めた。

何度か隅まで見渡してみたが、特に不備は見つからなかった。
私が点検を終わらせるまでに、会計の娘は三度ほど叱られていた。

「先輩、こっちは特に問題ないようです」

「そう。じゃあちょっと休憩しましょう」

そう言って先輩は頬杖を突いた。
会計の娘は、べえ、と舌を出して、

「もう下校時刻です。私は帰りますからね」

と言い、本当に帰ってしまった。
曽我部先輩は他人事のように笑っている。

「中々分からない娘よね。まあ、会ったばかりだもの、分かるはずもないのだけれど」

会ったばかりだから、それはそれでいいのだろうが、私は……いや、私たちは。

「真鍋さん」

考え込んでいると、曽我部先輩に名前を呼ばれる。
先輩の薄茶色の髪の毛に夕陽が当たって、綺麗な赤色になっている。
さっきまでは子供を叱りつける母親のような、そして今は姉のような表情を見せる瞳は、湿った睫毛で煌めいていて、
それが変わらぬ彼女の知性を湛えているようだった。

「何か悩み事かしら」

相変わらず頬杖を突いたまま、少し気だるそうに私のほうを眺めてくる。
私が返事もせずに、ただ見つめ返していると、独りで合点して、

「悩み事ね」

と言う。
それで私は仕方無しに頷いた。

「悩み事というか、考え事、です」

「あら、その違いは分かるのね」

「ええ、まあ」

「上出来よ」

それで、会話は途切れた。

しんと音を生みそうな静寂が部屋の中を流れている。
じっと曽我部先輩の、笑うと線になる綺麗な目の奥を覗き込もうとするけれど、何も分からない。
けれど、だからと言ってどうということもない。
最初から、彼女のことは分からない、そんなものだという考えがどこかにあった。

「考え事?」

「ええ」

「そ。考え事はいいわよね。悩んでいると時間切れになることもあるでしょうけど、考える分にはどれだけ考えたっていいものね」

こういうふうに彼女が悩むことと考えることを分けていた、ということも今はじめて知った。
なにも分かっていやしないのだ。

「ま、考えなさい。時間が無駄になったら、それはそれで面白いわよ」

曽我部先輩は腕時計を気にしながら言った。
そんなものかしら、そう思って私はぼうっと天井を眺めた。

「あの娘、本当に帰っちゃったわね、もったいない」

そう言われて曽我部先輩を見てみると、じっとドアのほうを見つめていた。
私は首を傾げる。

「もったいない?」

「そう」

先輩が言い終わる前に、ドアが開いた。

「やっほー。生徒会もお疲れ様」

長い髪が揺れている。
澪と違って、濃い茶色の髪で、それだけに光輪が鮮やかだ。
ふふ、と声を漏らして笑って、曽我部先輩が言う。

「下校時間が過ぎても来なかったらどうしようかと思いましたよ、山中先生」

どうやら待ち合わせていたらしい。
山中先生は子供のような顔をして、腰に手を当て胸を反らした。

「ムギちゃんのケーキ食べてたら遅くなった」

そして、その手を顔の前に持ってきて、軽く謝る仕草をした後、もう片方の手に持っていた紙箱を掲げた。

「じゃあ、いつも迷惑かけてるお詫びに」

とす、と机の上に置いて箱を開ける。
中には何切れかケーキが入っていた。

「真鍋さんも遠慮しないで食べていいわよ。なんだかんだで軽音楽部が一番迷惑かけてるの、あなただろうし」

そう言って席に座ると、山中先生は紙皿に苺のショートケーキを取り分けてくれた。
クリームがやけに甘い。

「でね、曽我部さん」

「ちょっと!」

ポケットから何かを出そうとした山中先生を制して、曽我部先輩が責め立てるような声を上げる。

「あとで、です」

「ああ、そうなの」

山中先生は私のほうを見て、くつくつと喉を鳴らして笑う。
私はただ肩を竦めて、

「なんですか、いったい」

と訊いた。

「秘密よ。ひみつ」

曽我部先輩はそう言うだけで、何も教えてくれなかった。
不思議と、それが彼女の聡明な雰囲気に少し神秘的な何かを加味しているようだった。
くすくす笑いながら、強引に山中先生が話題を変える。
思いついたように、

「そういえば唯ちゃんが、"生徒会長に、私はなる!"って言ってたわ」

と言ってきた。

「あら、秋山さんじゃなくて、平沢さんが」

曽我部先輩は驚いたような残念そうな顔をして、肩を落とす。
私は理由のわからない唯の行動に、胸の中の気持ち悪い違和感が、どんどんと大きくなっていくのを感じた。
曽我部先輩に関しては、こんなことも無かったのに。

「そ、唯ちゃんが。それでね、生徒会長って生徒会の役員じゃなくてもなれるのかしらね」

「まあ、規約上は特に問題ありませんけど、後ろ盾の面でちょっと」

ね、と曽我部先輩は私に目配せをする。
私はまた肩を竦めて言う。

「というか、生徒会役員以外で生徒会長になりたがる人なんて殆どいませんから」

「そりゃそうよねえ。唯ちゃんは一体何考えてんのかしら」

私は思わず手を打ち合わせて、山中先生を指差し、言いたくなった。
そう、それだ。
それが分からない、だから気持ちが悪いし気分が悪い。

山中先生はしかし、こともなげにその場で軽く伸びをした。

「ま、どーでもいいけどねー」

「あら、仮にも顧問がそれはないんじゃないですか。ただ、個人的に私は秋山さんを推薦したいですね、秋山さんを」

すぐに唯の話題は流れてしまって、それで私は驚いた。
それで黙ってじっと座っていると、曽我部先輩が慌てて言った。

「嘘よ嘘、もちろん生徒会長としては真鍋さんに頑張ってもらいたいわ。しかし個人的には秋山さんも捨てがたいというか」

なんだか偉く澪のことを気に入ってるらしい。
意外だが、これで少しは曽我部先輩に近づけたような気がして、嬉しく思う。
ただ、私が黙り込んでいたのはそのことが原因ではなかった。

全く理解が出来ない。
唯のこともそうだし、なによりそのことで延々と悩んでいる自分自身が。
普通は、この二人みたいに流して済ませてしまうべきなのではないだろうか。

でも、できるだろうか。できないだろうな。

「考え事?」

気がつくと、曽我部先輩がまた頬杖を突いて、私の顔を優しく見つめていた。
西日が差し込んで瞳の中に赤い光が灯っている。
澄んでいて奥まで見えそうだけれど、やはり見えない。

「ええ、まあ」

「ふうん。意外と分かりやすいのね、真鍋さんて」

そう言われて、私は恥ずかしくなった。

「分かりやすかったですか」

「うん。顔に出てる」

それきり、また黙ってしまう。
そのあいだ、山中先生は一生懸命に、自分で持ってきたケーキを食べ続けていた。

先生からもらったケーキをすっかり平らげて、生徒会室を後にした。
校舎から出てみると日は半分沈んでいる。
真横から建物に当たる日光が、チェス盤のように画一的な影を作り出していて、どうも味気ない感じがする。

道を歩いて行くと、私に夕陽が当たったり、当たらなかったりして、なんだか面白いなと思う。
目がチカチカしてきたけれど、それでも私は日向と日陰を行ったり来たりして、歩き続けた。

気がつくと、また昨日と同じ公園にきていた。
まさか歩いている途中でこんな風にぼうっとするなんてことがあるとは思わなかったのだが。
せっかく来たことだし、今日もまた抹茶アイスを買おうとすると、後ろから声をかけられた。

「あら、和ちゃん?」

振り向いてみると、ムギがいた。
柔らかい金髪に、真っ赤な夕陽が当たって綺麗なオレンジ色を作り出している。
青い瞳には、曽我部先輩と同じように赤い光が灯っている。

「なにしてるのかしら」

「アイス、食べようと思って。ムギは?」

「私もアイス。唯ちゃんに教えてもらったの」

そう言って、ムギは笑った。

私は昨日と同じように抹茶アイスを買って、昨日と同じ席に座った。
ムギまで、唯や澪と同じ歌を歌っていた。

「Things I may not understand are slightly getting out of hand.I don't know anything at all」

綺麗な声で歌いあげて、ムギは柔らかい微笑を私に向けた。

「どうかしら。私歌はあまり自信がないの」

「上手よ」

それから、二人同時にアイスを舐めた。

分かりやしないことは少し手から溢れる。
なにも知ってやしない、知りやしない……

気がつくと、私も鼻唄でムギと同じ歌を歌っていた。

「和ちゃんも歌上手よね。ポップとかロックって感じじゃないけど」

ちろちろとバニラ味のアイスを舌で味わいながら、ムギが上目遣いにこっちを見た。
なんとなく、私はその頭を撫でてやった。

「どうも」

と短く礼を言うと、ムギは照れたように笑った。そして、

「和ちゃんに撫でられるのってこんな感じなのね。大発見」

などと意味のわからないことを言う。

私の怪訝そうな表情に気がついたのか、ムギはてへ、と眉を下げて笑う。

「いつも唯ちゃんが頭撫でられてるじゃない。どんな感じなのかなあ、って思ってたの」

「そんなにいつも撫でてるかしら」

「撫でてるよ。犬と飼い主みたい」

楽しそうに言って、ムギはまた柔らかい髪ごと私の手に頭を擦り付けてくる。
だから私はまた撫でてやった。

「気持ちいいわ。唯ちゃんの気持ちもちょっとわかるような気がするわね」

「これでわかるようになるの?」

ちょっと驚いて、私はムギを撫でていた手で自分の頭を撫でてみる。
それを見て、ムギはくすくすと笑った。

「変なの。分からないけど、分かった気にはなれるわよ」

「気になれる、だけ?」

「それで十分」

一瞬会話が途切れる。
ムギが、あっ、と声を上げて私の手にあるアイスクリームを舐めた。

「溶けてるよ」

そして、ムギはすっくと立ち上がり、私に軽く手を振ってアイスを舐めながら公園を出て行った。
私はしばらく独りで席に座ったまま、アイスを舐め続けた。

植え込みの木にも影が落ちている。葉も同じだ。
黒いところと赤いところがあんまり密接に混ざり合っていて、境界線が曖昧だったから、私は嫌な気持ちになった。

溶けて手に垂れ始めた抹茶アイスを急いで食べ終えて、私も公園を後にした。


その次の日も、まだ胸の違和感は拭えない。
ふんふんと鼻唄を歌いながら身支度を整えてみるけれど、気分は晴れない。
落ち込んだ気分なのに行動だけ明るくするのも滑稽なので、結局私は気難しい顔をして家を出た。

昨日は忘れてしまったから、今日は唯を迎えに行くことにする。
不安ではあるけれど、私から生徒会の話を振ったりしなければ大丈夫だろう。
しかし、そんな心配も杞憂に終わった。

「お姉ちゃんね、もう行っちゃったんだ……」

洒落た洋風建築のドアから、唯にそっくりな顔をした女の子が申し訳なさそうにこちらを覗っている。
私に対する謝罪以外にも、他の何かがその表情に込められている気がした。

「そうなんだ。じゃあ、二人で行きましょうか、憂」

「うん」

憂は一度家の中に引っ込んで、直ぐに鞄を肩にかけて出てきた。
眉を下げて微笑んで、

「お姉ちゃんが早くに学校行くなんてさ、可笑しいよね」

などと私に同意を求めてきた。
訊くんじゃなく、明らかに同意を求めてきた。

私はただ、そうかもしれないわね、と答えて歩き始める。
すると、憂は忙しそうに私の後についてきた。

「お姉ちゃん、何かあったのかな。急に生徒会長になりたいなんて言い出すし」

「それは私も聞いたけど、正直なところよく分からないわ」

互いに顔を見合わせて、首を傾げる。

「絶対何かあったと思うの。心配なんだよね」

「なにか、ねえ」

憂にも不可解な決心の理由を教えていないらしい。
私と憂に分からないとなると、唯本人以外の誰にも分からないような気がする。

しかし、こんな風に色々な人に言って回って、唯は本気で生徒会長になる気のようだ。
私と同じくらい真面目だ、と言った唯の顔が、道中何度も頭の中に浮かんだ。

「でも、あれだね。今年からはまた私もお姉ちゃんと同じ学校に通うから、きっと大丈夫だよ」

「何が大丈夫なのよ」

「だってさ、高校でのこととか去年は話でしか聞けなかったし。
 和ちゃんは時々音楽室に遊びに行ってたんでしょ?」

遊びに行っていたわけではない、とはっきり否定することも出来ず。その話はそれなりになった。

「じゃあ、さよなら。また今度夕食でも食べに来てね」


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