唯「お話の続き、していい?」

憂「……軽音部の?」

唯「うん。っていうよりは、私たちの話だけどさ」

憂「どういうこと?」

唯「憂はさ……」

 体を起こして、ベッドに座りこむ。

唯「高校卒業したらどうするかって、考えたことはある?」

憂「それは、お姉ちゃんについていこうって」

 さっきの一悶着のせいか、憂の下着がずれていた。

 指でつまんで、元の位置に戻す。

唯「お姉ちゃんがなんにもしなかったら?」

憂「そしたら私もなんにもしないよ」

唯「進学も就職もしないで、家でゴロゴロしてても? 私と同じになる?」

 黙って憂は頷いた。

 私は肩を落とすと、憂の側に寝そべった。

唯「そんな風になっちゃうのは……いけないと思う」

憂「……うん」

唯「私がこのまま、そういうだめな人間になっちゃったら、憂を守れないよ」

 しばらく見つめていなかった天井を見ると、

 まだら模様を覆うように黄じみが広がっていた。

 セックスは幸福だ。

 だけど、セックスで人生は幸福にならない。

唯「私は、一生憂といたいよ。だからね、このままじゃいけないって思ったの」

憂「それがなんで、軽音部に?」

唯「……まず、頑張れそうなことからって思って。とにかく、毎日エッチだけじゃだめなんだよ」

 まだ私は甘いのかもしれない。

唯「そうやって私が変われたら、大学でも就職でも、なんだってしてやろうっておもう」

 時間はもっと足りなくて、状況は差し迫っているのかも知れない。

 だけど今はとにかく、頑張ろうという以外のことが思いつかなかった。

唯「だから憂には、私を応援してほしいな。いつかのために」

憂「……いつか、かぁ」

唯「うん。だけど、そのいつかは必ずやってくるからさ。今がんばろうよ」

憂「お姉ちゃん、ちゃんと頑張れる?」

唯「もちろんっ、頑張るよ!」


 憂はため息をつく。

憂「私のことも、今までと同じくらい大事にしてくれる?」

唯「あたりまえだよ。むしろ今まで以上に愛しちゃうっ!」

 横に転がっている憂を抱き寄せて、私の上に覆いかぶせる。

憂「……だったら、いいかな」

 私から瞳をそらしたまま、憂は言った。

憂「お姉ちゃんとのエッチが減っちゃうのは嫌だけど……しょうがないよね」

唯「ん。そのかわり、落ち着いたらその日はたぁっぷりしようね」

憂「楽しみにしとくよ」

 ようやく、りんごのほっぺが笑ってくれる。

 そして、そのまま憂は目を閉じた。

 綿雪のように、キスが降ってくる。

唯「んぅ……」

 くちびるが触れあった瞬間、床から唸り声が聞こえてきた。

 途端に、夢心地から現実へ返る。

唯「んっ、憂」

 携帯のバイブレーションだ。

 マナーモードにしている間でも、

 両親からの連絡だけはバイブレーションをさせるように設定している。

憂「お母さんかな」

 憂は興がそがれたような顔でベッドに転がる。

 起き上がって、床に落ちた制服のポケットから携帯を取り出す。

 母親からのメールが1通きていた。

 そこに書かれていた文面を見るなり、私はげんなりした。


唯「うい……」

憂「来ちゃった?」

唯「うん、明日の昼帰ってくるって。……今日はできないね」

 私が高校に入ったあたりから、両親の仕事が忙しくなった。

 なんでも仕事の拠点が海外に移ったらしく、

 家に帰ってくるのは月に1度か、多くて2度。

 時には半年ほど帰って来ない時もあった。

 しかしそれは、私たちにとって都合がよかった。

 両親がいなければ、この家には私たちしかいなくなる。

 親の目が無ければ、いつでもセックスができる。

 親に連絡が行く可能性があるので、学校は休めなかったが。

唯「部屋も元に戻さないと……制服、あっちの部屋にかけてくるね」

 床に落ちたままにしていた制服を拾い集める。

憂「じゃあ、枕と……着替えとかも全部だね」

唯「ん。枕ちょうだい。憂は着替えよろしく」

憂「わかった、持っていくね」

 私たちはその少し前まで行為に及ぼうとしていたことなどすっかり忘れたかのように、

 そそくさと両親の帰宅に向けて準備を始めた。

 枕を投げてもらい、受け取ると普段は空室になっている元わたしの部屋に入る。

 ほこりが薄くたまっていて、掃除をしなければ過ごすにも支障がありそうで、

 何より生活感のなさに関係を怪しまれそうだった。

 窓を開けて、空気を入れ替える。

 机の上に積もったほこりを撫で、制服と枕を抱えたまま憂の部屋へ戻る。

唯「だめだだめだ、先に掃除しないと」

憂「掃除?」

唯「部屋中ほこりでいっぱい。あのままじゃ、あの部屋で寝れないよ」

憂「そしたら、布団もお外に出さないとだめだね」

唯「大掃除だ、大掃除」

 憂と2人がかりで部屋に掃除機をかけ、ほこりを取り、

 布団をベランダに出してはたく。

 換気が済んでから着替えを移し、布団を戻した。

 久しぶりに浴槽に湯を張って、二人で暖まる。

 ほんの少しじゃれついたりしたあと、

 明日別々の部屋で寝るぶん、きつく抱き合って眠った。

 しかし憂が何度か私をゆさぶって行為を懇願したせいで、

 満足のいく眠りより先に空腹が訪れてしまい、私たちは眠たいままベッドを降りることになった。

――――

 夕食とお風呂のあと、まだセックスをせがむ憂をなんとか寝かしつける。

 憂にとっては、体を重ねることが一番の愛情表現らしい。

 私たちが結ばれたきっかけがセックスだったから、

 そんなふうに思うのも無理はない。

 私だって、別にそれが間違っているとも思わない。

 けれど憂の場合は、この他に表現を知らないから問題なのだ。

 寝付いた憂を起こさないよう、静かに部屋を出る。

 掃除した部屋へ戻り、久しぶりに布団に入る。

 長く放置していたベッドからは、人の匂いがしなかった。

 私は憂の匂いを思い出しながら、固く目をつぶって眠りにつく。

 翌朝は、憂と1日中抱き合ったときのような倦怠感が体を包んでいた。


憂「おはよう、お姉ちゃん」

 しばらく寝転んでいると、憂が部屋のドアを開けた。

 それでようやく携帯を見ると、朝の7時30分だった。

唯「あー……おはよ」

 ベッドから這い出て立ち上がる。

憂「どうしたのお姉ちゃん、体調悪いの?」

唯「ううん、寝過ぎた感じ。体が重いかな……」

憂「お姉ちゃんも? 私もなんだかだるいんだ」

唯「エッチして体動かさなかったからかなぁ?」

憂「そうかもね」

 不機嫌そうに憂は言い捨てた。

唯「へそ曲げないでよぉ」

憂「曲げてないよ。ご飯作ったから、顔洗っておいで」

 顔を洗い、朝食をとり、制服に着替える。

 部屋で一人制服のボタンを留めながら、

 もし憂とあんな関係になっていなければ、これが私たちの日常だったのだろうと考える。

 結局、この日常も同じようにすっからかんだ。

 だったらこうして、憂と生きるために何か変わろうとした私のほうが、

 よほど有意義な人生を送ろうとしている。

唯「うむっ」

 鏡の前に立ち、頷く。

 私が選んできた道は間違いじゃない。

 制服もいつもより真っ直ぐ伸びている気がする。

 今日から、私のためだけではない私の日々が始まるのだ。

 私が憂を守ってあげる。

 憂と一緒に生きるために、強くなる。


 手を繋ぎ、憂と並んで家を出る。

 春の暖かい風が、私と憂の髪を撫でるように揺らしていった。

 いつもの道を歩くにつれ、憂が私の手を強く握りしめていく。

 通りに桜ケ丘高校の制服が多く見えるようになって、憂は腕にぎゅっとしがみついた。

唯「歩きにくいよ、憂」

憂「うん、私も……」

 こけてしまわないよう、首を憂のほうに傾けて、

 頬を寄せ合うようにしながら歩いていく。

憂「お姉ちゃんさ……」

 学校が近付いてきたころ、憂はふと立ち止まった。

唯「うん?」

憂「私も……軽音部に行っていいかな?」

 憂の気持ちを考えれば、当然の提案だった。

 私が放課後を軽音部で過ごすとなると、憂はその間家で一人になってしまうのだ。

唯「りっちゃんに訊いてみないと分かんないけど、多分大丈夫だよ。……さっ、行こうよ」

 歩き出すように促すが、憂は足を棒立ちにさせたままだ。

唯「ご希望のパートとかあるのかな?」

憂「あ、んっと、そうじゃなくて」

唯「んぇ?」

憂「軽音部には入らないけど、お姉ちゃんが練習してるところは見たいっていうか……」

 恥ずかしそうにほっぺたを掻く。

唯「なるほど」

 憂にしてみれば、軽音部はお姉ちゃんとの時間を奪ういやな存在といったところらしい。

 入部してやるなんてもってのほかだろう。

唯「じゃあそういう風にりっちゃんに相談するよ。……だいじょぶ、だめだなんて言わせない

から」

憂「ん……頑張ってね」

 ようやく憂の足が動きを取り戻した。

 抱きつかれたまま歩いているせいか、いつもより視線が集まっているような気がする。

 さすがに「抱きつき姉妹」として通っているのは憂のクラスだけだろうし、

 あまりベタベタしているのを見られると怪しまれるかもしれない。

憂「んー、お姉ちゃぁん……」

唯「……うい」

 けれど、今日ばかりは仕方ないか。

 私はカバンを肩にかけると、ぽんぽんと憂の頭を撫でた。

 照れ臭そうに笑う憂の声が耳をくすぐって、

 そのまま抱き合いたい気分になった。


 校門をくぐると、今日も着ぐるみがビラを配っていた。

 豚と目が合ったので、笑顔を向ける。

 会釈をするように豚が小さく腰を曲げた。

憂「梓ちゃんかぁ」

 昇降口に近づいたあたりで、憂はぽつりと言った。

唯「ん?」

憂「梓ちゃんね、同じクラスなんだ。軽音部だっていうのは知ってたけど……」

唯「仲良くないの?」

憂「特にはね。でも、お姉ちゃんが軽音部に入るなら、話しかけてみようかな」

唯「うん、友達は多いほうがいいよ」

 下駄箱の前で繋いだ手を離す。

 上履きになってからは手を繋がず、階段の前でしばしの別れを惜しんだ。


 教室へ行き、自分の席にカバンを置くと和ちゃんに抱きつく。

唯「おっはよ、和ちゃん」

和「おはよう唯。……あら、何かあったの?」

唯「へ?」

和「顔色が少し悪いみたいに見えるけど」

唯「あー、ちょっと寝過ぎて……」

和「ふぅん……?」

 和ちゃんは疑っているような目で私を見る。

 何がそんなに引っかかるのだろう。事実を言ったまでだ。

 10年以上の付き合いがある和ちゃんにだって、私と憂の関係は明かせない。

唯「そんなことより、聞いてって和ちゃん」

 早いうちに、話題をそらす。


和「はいはい、どうしたの?」

唯「あのね、私けいおん部に入ることにしたの!」

和「へぇ、軽音部……」

 和ちゃんは興味なさそうに言って、英単語帳に目を落とした。

 そして、ひとつページをめくり、

和「えぇっ!?」

 と大袈裟に驚いた。

唯「ベタやなぁー」

和「ベタとかそういう問題じゃ……えっ、だって、唯!?」

唯「まぁまぁ落ち着いて……」

和「落ち着くったって……もう」

 眼鏡を押さえてため息をつくと、和ちゃんは英単語帳を閉じて机に置いた。

和「3年から部活を始めようなんて前代未聞よ」

唯「うん、わかってるよ。……でも、何もしないよりはましだと思ったんだ」

和「……軽音部が何かの役に立つわけ?」

唯「分からないけど……何か打ち込めるものが欲しかったんだ」

 エリちゃんとアカネちゃんが、軽音部のビラを持って一緒に教室に入って来た。

 二人はしばらくビラを眺めていたけれど、

 やがて苦笑して、それを丸めてゴミ箱に入れてしまった。

唯「このままじゃ私、だめになるって。和ちゃんもそう思うでしょ?」

和「……もうとっくにだめになってると思ってたけどね」

唯「うぁ。そういうのはいいんだってば」

 こほん、と咳払いをする。

唯「とにかく、自分にできることから変わらないといけないんだって」


和「たしかに唯の場合、最初はなにかやり抜くことから始めるべきかもしれないわね」

唯「うん。私がやり通せた事って今までないし」

和「そうかしらね。受験の時はなんだかんだで合格しちゃったじゃない」

唯「あれはだって……最後のほうはほとんど勉強してなかったし」

 2年前、憂の誕生日から関係が始まってから、

 その日から私の桜ケ丘高校を目指した受験勉強はほとんどストップしていた。

 塾に行っている時間が無ければ、間違いなく不合格になっていただろう。

和「それでも合格したってことは、やり切ったってことよ。結果論だけど」

唯「結果論、かぁ」

和「そう。まぁ唯がなに企んでるか知らないけど、良い結果になることを期待してるわ」

唯「企んでるなんてことないもんっ」

 意地悪な物言いに頬がむくれた。

 ごめんごめん、と和ちゃんは笑いながら、また英単語帳に気を取られてしまった。


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