背中に回った手は、それほど冷たくはなかった。

唯「憂もあったかいよ。……んし」

 頭からフリースをかぶる。

 唯が袖に腕を通し、憂を抱く。

 憂が幸せそうに笑った。

憂「お姉ちゃん……今年ね、今までで最高の誕生日だよ」

唯「まだ1時間半しか経ってないのに、それ言っていいのかな?」

憂「うんっ、もう確定。ケーキがなくてもプレゼントがなくっても……」

憂「こうやってお姉ちゃんの服の中で抱っこされてるだけで……最高に幸せだよ」

唯「ふふっ、そっか……」

 袖を引っぱって手を出して、頭を撫でた。

唯「もう寝よう、憂。きっと今日は、色んなところにお買い物へ連れてかれるから」

憂「そうだね。おやすみ……お姉ちゃん」

唯「おやすみ、憂」

 二人は目を閉じる。

 少しして、同時に二人の顔が距離を詰め、唇を重ねた。

憂「……あそこの味がしたぁ」

唯「あはは、顔洗ったほうがいいかもね」

 唯は舌を出すと、憂の鼻頭をつつき、舐めまわす。

憂「ん……私もやるぅ」

 対抗して憂は、唯の顎に舌を伸ばした。

 乾いたはずの愛液のかわりに、唾液で顔が汚れていく。

 互いの頬を舐めながら、これはよだれということにすればいいか、と唯はなげやりに思った。

 すっかり洗いつくした顔を舐めているうちに二人とも寝てしまったらしく、

 いつの間にか夜は明けて、唯と憂のそばには母親が立っていた。

 唯はまずタオルでよだれを拭かれた後、用意しておいた事情を説明した。

 当の母親は話し半分程度で、「そういうことだったの」とあっさり納得していた。

 15歳になっておねしょをした、ということにはあまり触れず、

 ただ「寝る前にジュースを飲むのはやめなさい」と叱り、

 顔を洗い、憂を起こして出かける準備をするように告げたのみだった。

――――

憂「お姉ちゃん? 朝だよ?」

 呼びかける妹の声に、私は頬をゆるめて答えた。

 ベッドから半身を起こした憂の白い背中に手のひらを当てた。

憂「なあに、お姉ちゃん?」

唯「ういー」

 ぼんやりと視線を天井に向けたまま、私は鳴いた。

 憂が視界に入ってきて、瞼をおろした。

唯「んーっ」

 唇がそっと触れてくる。

 じれったい感触を、首をもたげてつかまえる。

憂「んむぅっ」

 逃げようとした憂を抱きしめて、キスを続ける。

 下唇をはさんで、くちびるで甘がみをした。

 吸ったり触れあったりというより、食べるようなキス。

憂「は、ふぁ……」

唯「ん、……ちゅ」

 憂が甘い声を出したところで、余韻を残して離れる。

唯「さてっ、学校行く準備しなきゃね」

憂「……そうっ、だね?」

 何かしら押しこらえるように憂は拳を握っていた。

 ひとまず体を起こし、ベッドを降りて伸びをする。

 春になってすっかり暖かくなり、

 もうセックスのあと裸でそのまま寝てしまっても風邪をひく心配はなくなった。


 昨晩脱ぎ捨てたシャツとズボンを拾い、首筋に残る汗を拭いつつ身にまとう。

唯「んじゃ、シーツ洗濯するから先シャワーあびておいで」

憂「わかった。お願いね」

 憂もベッドを降りた。

 その温もりと匂いが消えないうちに、シーツをはがして抱きしめた。

 裸んぼなままの憂と一緒に、脱衣場へ。

 洗濯機にシーツを放り込む私の後ろで、憂が浴室へ入る。

 シャワーの撥ねる音が聞こえてくる。

 私は棚から液体洗剤を取り、槽に少し垂らした。

 2年前の我が家では粉末洗剤を使っていたなぁ、と

 目が覚めた後思い出していた、あの冬の日と比べてみる。


 そうか、もうあれから2年も経ったんだ。

 憂の誕生日が2月22日だから、今日で2年とちょうど2ヶ月。

 2ばっかりだ。

 洗濯機の蓋を閉じ、スイッチを入れる。

 低い声で唸り始めたそれをぼんやりと眺める。

 そうだ、あれから2年2ヶ月。

 私はもう、高校3年生になってしまったんだ。

唯「……あー、やめ、やめ」

 3年生になって、卒業して、それからどうなるんだろう。

 この2年間、私は何をしてきただろう。

 きつく絞り付けるように、洗濯機の音が耳の奥を穿ってくる。

唯「……はぁっ」

 最近、あの日のことをよく思い出すのは、

 私があの日に、どこか後悔を持っているからかもしれない。

 憂との関係や、セックスに不満があるわけではない。

 ただ、このままではいけない。そんなことばかり、近頃は考えている。

 セックスを終えて眠り、朝に口づけを交わし、学校へ行く。

 授業が終わるとすぐに帰り、制服を脱ぎ捨てて憂とベッドに飛び込む。

 そのまましばらく眠り、やがて目を覚ますと夕食をとって、それぞれシャワーを浴びる。

 そして夜中の3時か、盛り上がった時はそれより遅くまでセックスをして、また眠る。

 毎日がそういうサイクルだ。

 休日でも大した変化はなく、学校の授業がセックスに変わるだけ。

 有り得ないけれど、私が推薦入試を受けるとしたら、

 面接で高校生活で打ち込んだものを答える時には細心の注意を払わなければいけない。


 そう、そもそも大学へ行くつもりも持っていなかった。

 学校に行くぐらいなら、憂と1日中セックスをしているほうが余程よくて――

 自然にそんな風に思える私が、恐ろしいと感じる。

 なんとかしないと、とは思っている。

 思うのは簡単なのだ。

 だが実際にこの状況をなんとかするには、どうすればいいというんだろう。

 洗濯機がごうごう唸りだす。

 さして汚れてもいないシーツを、私は日夜のセックスのたびに洗濯機にかける。

 そして、真っ白なシーツを毎日ベランダで太陽に当てている。

 それが傍から見ても不自然だということに気付きながら。

唯「……ん」

 脱衣場を出ても、まだしばらく洗濯機のざわめきが耳の奥に残っていた。

 憂と入れ替わりにシャワーを浴び、その後憂の作った朝食を食べる。

 制服を着せあって髪を整えてもらい、洗濯の終わったシーツを干して、

 なんとなくまたキスをしてから学校へ向かう。

 通りすがる私と同じ色のタイを結んだ子たちは誰も、

 どこの大学を目指すかと神妙な顔で話していた。

 桜ケ丘高校の進学率は高い。

 中には就職をする子もいるらしいが、既に何もしないつもりでいる生徒は私ぐらいかもしれない。

 憂と繋いでいる手に汗がにじむ。

憂「お姉ちゃん、どうかした?」

 焦りを感じているのが憂に伝わってしまう。

唯「ううん、なんでも。ただ……」

憂「ただ?」

 言い淀んだ先を言えないまま、歩き続ける。

憂「お姉ちゃん?」

唯「……大丈夫だよ」

 どこが大丈夫なのやら全く根拠はないが、憂の手前強がった。

憂「そっか。大丈夫だね」

 言いながら憂は、私の手をぎゅっと握る。

 ――やっぱり、どうにかしなきゃ。

 憂の優しく柔らかい手の感触に、強く思う。

 そしてまた、どうすればいいのかと落胆するのだった。

 正門をくぐると、4体の異色が散らばって立っているのに気付く。

憂「なにあれ」

唯「着ぐるみ……?」

 通りかかる生徒たちに何やら声をかけているようで、

 ビラを配っているのも遠目から確認できた。

唯「なんなのかな」

憂「ちょっと見てみる?」

唯「ん」

 そこまではっきり見えたわけではなかったけれど、

 その着ぐるみはけっこう可愛かったように思う。

 私と憂は、一番近くにいた犬の着ぐるみのところへ歩いていく。

犬「けいおんぶー、けいおんぶいかがっすか~」

 近付くにつれ、着ぐるみの中身が誰だかわかってきた。

唯「あれっ、りっちゃんじゃん!」

犬「おっ唯、おはよーさん」

憂「お姉ちゃん知り合い?」

唯「うん、りっちゃん。2年のときから仲いいの」


憂「り、りっちゃんさん?」

犬「律な、田井中律」

憂「あぁ、律さんですか……」

 りっちゃんは暑苦しそうに、着ぐるみの頭を外した。

 おでこには大粒の汗が浮いている。

律「それにしても唯、よく私だって分かったな」

唯「りっちゃんは動きが独特だしね~」

律「この上から分かるほどかよ……」

 ビラを持った手で、りっちゃんは着ぐるみの頭を叩く。

唯「でも、着ぐるみなんて着て何してるの?」

律「見りゃわかるだろ、ビラ配り。勧誘の時期なんだけど、一人も来なくってさぁ」

唯「勧誘?」

律「……えっと、部員を増やさなきゃなんないんだ。来年の為に」

唯「へぇー……」

 人のことは言えないが、大変だなと思った。

律「妹さんどう? 軽音部」

憂「結構です」

律「くはっ! ちくしょう、もうあっち行けよぅ!」

唯「またね、りっちゃん。行こう憂」

憂「さよなら律さん。また」

 軽く頭を下げた憂の手を引く。

 昇降口に至るまで、他の着ぐるみに話しかけられる事態はなかった。

 ブタとネコと、あと馬がビラを配っていて、

 その光景、というよりは着ぐるみたちの姿が強く胸に残っていた。

 下駄箱で、つないだ手が離れる。

 その後はもう、次に離すのが切なくなるだけので隣を歩くだけだ。

 階段下で別れると、振り返らずに駆けあがってしまう。

 教室に行って、憂のいない寂しさから切り替えるために和ちゃんに抱き着いた。

唯「おっはよう、和ちゃん」

和「あら。おはよう唯」

 和ちゃんは3年生になってからというもの、

 教室での休み時間は英単語帳を開いて過ごしている。

 後ろから覗きこむと、見開き全て知らない単語だった。

唯「和ちゃん見た? りっちゃん達の」

和「律たちの? 何?」

唯「校庭で着ぐるみ着てビラ配りしてるんだよ。可愛かったなぁ……」

和「あぁ、あれ軽音部なの……可愛い?」

 それから和ちゃんと一緒に単語帳を声に出して読んで暇をつぶした。

 じきに担任の山中先生がやって来て、

 少し遅れてりっちゃん、澪ちゃん、ムギちゃんが駆けこんできた。

 ホームルームが始まり、苦痛な授業の時間がやってくる。

唯「ふぁぁ……あ」

 そういえば、この学校の軽音部の成り立ちは少し特殊だ。

 りっちゃんから聞いた話でしばらく忘れていたけれど、

 数学が始まって頭が空っぽになってふいに思い出した。

 私が入学した年、軽音部は廃部になったらしい。

 それまで在籍していた部員が去年で全員卒業していて、

 りっちゃん達3人が入部したのだけれど、部活動は4人いなければ廃部にさせられてしまう。

 部員を集められず、その年はあえなく軽音部は廃部となったそうだ。

 しかし3人はあきらめなかった。

 ベース、ドラム、キーボードしかいない状況で練習を続け、

 翌年の春に山中先生をギターに迎えてオリジナル曲で新入生歓迎ライブを開いた。

 その結果、梓ちゃんというギター担当の子をつかまえて、

 ついに4人の部員が集まり、軽音部は正式にこの学校の部活動として認められた。

 そういう大変な経緯もあってか、

 私の目から見ても軽音部は強く結束しあっている。

 この並べ方はおかしいかもしれないけれど、それこそ私と憂と同じほどに。

和「ゆい。唯っ」

 振り返った和ちゃんに、頬を軽く叩かれる。

唯「……ほぇ?」

和「当てられてるわよ。16ページ」

唯「えっ、16?」


 「そう、16ですね。まぁこれは昨日の復習ですから解説は簡単に……」

和「……運が良かったわね」

唯「……うむ」

 声を落として頷きあう。

和「唯。部活もバイトもしてないんだから、勉強くらいしたら?」

 大きくため息を吐き、和ちゃんは眼鏡拭きを取り出す。

和「だいたいそんなに時間余らせて、何してるのよ」

唯「う、うぅ……まぁ、ゴロゴロと」

和「勉強だったらいつでも教えてあげるわよ?」

唯「……考えときます」

和「ま、気が向いたらね……いつでも言って」

 眼鏡を拭き終わり、再度かけると和ちゃんは前を向いた。

 私はしばらく和ちゃんの後ろ髪を見つめていたけれど、

 ふと思うことがあって、その肩を叩いた。

唯「ねぇねぇ、和ちゃん」

和「なに?」

唯「勉強って……楽しい?」

 和ちゃんはちらりと天井に目をやる。

和「稀に楽しいこともあるわ」

唯「……どのくらい?」

和「3日に1回くらい。受験勉強始めてからはだけど」

唯「……そうなんだ」

 頷き、和ちゃんはすぐ前を向いた。

 もう授業は前回の復習を終えて新しい範囲に入っているらしい。

 私は机に伏せた。

 勉強じゃ、だめだ。


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