……
………

唯「うぅ~ん……とりあえず、歩いてればどうにかなると思ったけど……」

憂(ものの見事に迷っちゃった……)

唯「うぅー……なんだか修学旅行の時に迷ったのを思い出すや……」

唯(あの時は、みんながいたから何とかなったけど……)

唯「……」…チラッ

憂「お姉ちゃん……?」

唯(よし……っ。憂の為にも、私が頑張らなくっちゃっ!)フンスフンス!

憂「お、お姉ちゃん、あんまり引っ張らないでよー……」

憂(さっきまで、あったかくて優しい場所に居たのに)

憂(進めば進むほど世界が暗がりになっていく)

憂(冷たくて、粘っこい風)

憂(本当に帰れるの? ……私は、本当に帰りたいの?)

憂(ここを闇雲に進んで、その先には何が待ってるの……?)

唯「……憂」

憂「へ? なに、お姉ちゃん」

唯「憂、また悲しそうな顔してたよ? 大丈夫?」

憂(……。……自分の気持ちもまだ分からないけれど)

憂(お姉ちゃんが帰りたいなら、私もそうしよう)

憂(だって私は……お姉ちゃんに会いに来たんだもんっ)


憂「うんっ。大丈夫だよ。……だから、行こ?」


 黒い地面はやわらかくって、マシュマロでも踏んでるみたいに不安定だった。

 道の端でぐちゅぐちゅと何かが蠢く。
 きっと、この人達も消え損ねてしまったんだろう。

 ――私もお姉ちゃんも、おんなじ。
 そう思った時にようやく恐怖心がわきはじめた。

 つないだ手を強く握ると、お姉ちゃんは苦笑いしながら一旦立ち止まってくれた。

唯「……私、憂が来てくれるまで自分はもう死んじゃったと思ってたんだ」

憂「眠ってるよ。お姉ちゃんは、ただ、眠ってるだけ」

憂(そう、ただ眠るだけの存在になってしまったの)

唯「私ね、人は死んだらお星さまになると思ってた」

唯「だけどなかなか星になれなかったし、変だなぁって思ってた」

唯「そう思ってたのに、私はあそこから動けなかったの」

唯「――憂が来なかったら、こうして帰ろうとも思わなかったのかなぁ?
 うーん……わかんない。わかんないや。わかんないけど、進もう……ねっ」

憂「………うん」

 私達は、進む。
 この道が本当に向こう側に続くかも分からないままに。
 向こう側に行くのすら躊躇していたはずなのに。

 確信もないのに、ぐんぐん進むお姉ちゃんにひかれるまま。

憂「……ねぇ、お姉ちゃん」

唯「なぁに?」

憂「本当に死んじゃったら、どうなるんだろうね」

憂(もしここで、お姉ちゃんが『戻ろう』と言ったら私たちは死ぬ)

憂(それは……ちょっぴり嫌、かなぁ)

憂(おかしいなぁ……私は、お姉ちゃんの為に死ぬ筈だったのに)

 難しい顔で「むむー」と唸った後、お姉ちゃんは言った。

唯「…………憂が、死んじゃわなくって良かった」

 ……全く答えにはなってないけど、なんだか嬉しかった。

唯「あ……っ」

 あーあ、よそ見して歩くからだよ。

 躓いたお姉ちゃんにつられ、私も転げる。転げ落ちる。

唯「わっ、わぁ!? うい、ういー!」

 深い闇をひゅるひゅると落ち、ざぶざぶと冷たい水に浸されていく。
 体の中を水のあぶくが通ってはじける。ぱちぱちと、暴力的に。

 苦しいのは一瞬だけ。
 その後は水の流れに押し込められて……――何だか、前にもこんなことがあったような気がする。



 あぁ、これは思い出せたよ。
 これは、たくさんのお薬を飲んだあの時に感じた感覚。


 ねぇ、お姉ちゃん。
 今の私たちはどうなってるんだろう。

 お姉ちゃんとともに沈みながら――急に、とても帰りたくて仕方くなくなってきたの。



「ふしぎだね。こうしてると、そらをとんでるみたいだよ」

「ちがうよ、とべてないよ。おねえちゃん」

「あれ? ほんとーだ。わたしたち、しずんでる?」

「うん」

「どうしよう、うい」

「どうしようね」

「みなもが、あんなにとおくなっちゃったよ」

「そうだね」

「どんどん、くらくなってく。くろくなってく」

「さみしいね、おねえちゃん」

「へんなの。ういがいるのに、さみしいや」

「もどろうよ、おねえちゃん」

「……うん。はやくしないと、ておくれになっちゃうからね」



 水の抵抗が酷い。
 上へ進んでいるはずなのに更に沈み込んでいるような気すらする。

 それでもお姉ちゃんに触れれば、冷たい水の中でも身体の芯まで温まるような心地がした。

「うい。うい、いってたよね」

「むこうには、えいえんなんてないって」

 そうだよ、お姉ちゃん。
 向こうでは信じられないくらい残酷なことが起こるんだよ。
 昨日まで元気だったお姉ちゃんが、突然動かなくなるくらい残酷なことが。

「だけどね、」
「えいえんはなくっても、たいせつなものならたくさんあるんだよ」

 大切なものって、あの時お姉ちゃんを呼んでた人たち?

「うん」

「ほかにもいろいろあるよっ。
 ほんもののあいすたべたり、ごろごろしたり、ぎーたとうたったり、」

「ういと、いっしょに、わらったり」

「えへへ。こうしておもいかえすとさ、わたし、たくさんの『たいせつ』があったんだなぁって、あらためておもうよ」



―手術室の目の前―

梓「唯先輩……うい」

純「どうしよう、どうしよう……憂、憂……」

紬「唯ちゃん……憂ちゃん……お願い、無事に戻ってきて……っ」

澪「うぅ、どうして……どうしてこんな……」…グス

律「泣くなよ、澪。きっと唯も憂ちゃんもだいじょーぶだって」

澪「律……お前、どうしてそう平和でいられるんだよ……!」

澪「唯が、唯が……死にそうなんだぞ……っ!?」

律「澪っ」

澪「ぁ…………ごめん」

律「私だって……平気じゃ、ないっての」…グスッ



 あれから、どれだけ水面を目指したんだろう。
 数分? 数時間? 数日? 数か月? 分からない。
 水の冷たさにしびれて、それすら分からなくなっていく。

 どれだけ水を掻いても、ほとんど進めなかった。
 全身がひどく疲れる。身体のすべてが軋みをあげる。

 ――このまま水に任せて沈みこんでしまえれば、どんなに楽なんだろう。

 そう思ったのに、私がそうしなかったのは水の中にいるのにお姉ちゃんが手を離さないでいてくれたから。

「うい」

「ういは『むこうにかえってどうするの?』って、いってたね」

「わたし、きめてるんだ。むこうにかえったらしたいこと」

 なぁに、お姉ちゃん。

「あのね、かえったらみんなにあやまりたいなぁ。
 しんぱいかけてごめんねって。みんなには、ほんとうにわるいことしちゃったね」

「そしてね、

 ギー太を弾くよ。

 みんなと一緒に歌い続けるよ。

 なにがあっても、絶対に。

 そして。そしてね――今度は、本物の憂とぎゅーってするんだ」



 透明な水面が、優しく揺れた。




梓「唯先輩。憂、憂……っ」

純「梓っ。大丈夫だから。きっと、二人とも大丈夫だからっ」

梓「……純」

純「信じよう。また、憂と会えるって」

 水の抵抗が身を切るように痛んできた。

梓「……」

 それでも、諦めたくなかった。

梓「……うん」

 なんでかな?
 私は自分からこれを望んでいたはずなのに。

梓「憂……待ってるから……」

 なのに、帰りたい。
 お姉ちゃんと一緒に、帰りたい。

梓「……戻って来なかったら、ゆるさないから」…ポロッ


 神様。
 もしもいるのなら、ごめんなさい。
 ワガママな子でごめんなさい。何度だって謝るから。

 だから……――

梓「ゆるさ、なぃ……からぁ……ぅぐ、ぐすっ……うぁぁん……!」ポロポロ

「……あずさ、ちゃん」

 無意識につぶやいた名前。
 その瞬間、今まで頭の中から抜け出していたモノがざわりざわりと集まり始めた。

 水の中は相変わらず暗かったけれど、心の中で何かが色づいた気がした。

 私はお姉ちゃんの手をもう一度握り直し、暗い水の中で笑った。
 お姉ちゃんも、それに応えて力強く笑ってくれた。


 水面から顔を出した私とお姉ちゃんは、そのまま意識を失った。
 遠くなっていく意識の中見えたのは――疲れた顔ではにかむお姉ちゃんの姿。



 あのまま沈んでいたら何処に行きつけたんだろう。

 大好きなお姉ちゃんと一緒に星になれたかも知れない。

 大好きなお姉ちゃんと一緒に涼やかに通る風になれたのかも知れない。

 大好きなお姉ちゃんと……ただ、溶け消えるだけだったかも知れないし、

 水の底の世界の方が、安らかで幸せな世界だったのかも知れない。



憂(それでも、私は戻ってきた。お姉ちゃんと一緒に戻ってきた)

憂(……戻ってきて、しまったの)


―或る病室―

憂「……」

 …がちゃり

憂「……あずさちゃん?」

梓「憂。体調はどう?」

憂「えへへ。体は、だいじょうぶだよ」

梓「……」

梓「……そっか」

憂「お姉ちゃんはまだ起きないの?」

梓「……うん」

憂「そっか……」

梓「だ、だけど、きっといつか目を覚ますよ!
 お医者さんだってそう言ってたじゃん!」

憂「『いつか』って、いつ?」

梓「……」

憂「前もお医者さんは言ってたよね。あとは目が覚めるのを待つだけって」

梓「……」


 あの時、私はお姉ちゃんの手を握りしめたままだった。

 これで向こうでもお姉ちゃんと一緒でいられる。

 そう思って、意識を手放したのに。


 ねぇ、お姉ちゃん。
 どうして? どうしてなの?

 言ってたでしょ。
 帰ってきたらギー太を弾くって。
 みんなと一緒に歌い続けるって。
 本物の私と、抱きしめあってくれるって。

 絶対に、そうするって言ってたのに……。


憂「……」…ウルッ

梓「……憂」

憂「梓ちゃん、今日も学校でしょ?
  学校に行った方が良いよ。……私は、平気だから」

梓「憂」

憂「……お願い。行って。ひとりにして」

梓「……」

梓「……憂っ!」…ギュッ!

 あの時、感じた温度が伝わる。
 私にとって『大切な子』の温度が。

憂「……どうしたの、梓ちゃん」


梓「……憂。唯先輩に会いに行こう?」


 ほんの少し、どきりとした。

憂「会いにって、どういう意味?」

梓「え? 唯先輩の病室にだよ。今から」

 ……えへへ。そうだよね。
 なんだか、変な想像しちゃったよ。

憂「だけど、私まだ安静にしてなきゃって……お医者さんが……」

梓「会いたいんでしょ? 唯先輩に」

憂「……。……会いたい、よ」

梓「それなら行こうよ。少し歩けば、会えるから」


 廊下を歩いて、右に曲がって左に曲がって……本当に少し先の距離にお姉ちゃんはいた。
 その短い距離すら、目覚めたばかりの私にとってはつらい道のりだったけれど。

 それでもたどり着けたのは、梓ちゃんが隣で支えてくれたから。

 清潔感を通り越し、無機質にさえ見えるドアを梓ちゃんが開けてくれた。
 そこには、すやすやと眠り続けるお姉ちゃんが居た。

憂「……お姉ちゃん」

憂「お姉ちゃん……っ!!」タタタッ

梓「う、憂! 走ったらダメだよ! 本当は歩くのもダメなのにっ」

憂「お姉ちゃん、お姉ちゃん! 私だよ、憂だよ!?」

唯「……」

憂「お姉ちゃん……私、帰ってきたんだよ……?」

 それなのに、どうしてお姉ちゃんは帰って来てくれないの?

憂「お姉ちゃんのうそつき……っ」

憂「今度の今度は、本当に嫌いになっちゃうんだからぁ……!」

唯「……」…ピクリッ

憂「お姉ちゃんのばかっ」

憂「目を覚ましてっ! ギー太も待ってるよ!? みんな待ってるんだよ!?」

憂「……私も、待ってるのに。ずーっとずーっと、待ってるのに……」

梓「憂、落ち着いてっ」

 私は、梓ちゃんの言葉も無視してお姉ちゃんの身体にすがりつく。

憂「帰って来なかったら、もうお姉ちゃんの為にご飯作ってあげないもんっ」

憂「ゴロゴロするのも禁止にするもんっ」

憂「アイスだって、一生抜きにしちゃうからね!」

憂「お姉ちゃんはそれで良いの!? ねぇ、このままで良いの!?」

 良いはずないでしょ。
 ねぇ、お姉ちゃん……お姉ちゃん……!

唯「……ん、ぅ」

憂「……!」

梓「ゆ、唯先輩……!?」

唯「うい、あいす、たべたいよ……」…パチリ

憂「お……」

憂「……お姉ちゃんっ!」ガバッ!!

唯「ふぇ? あ、あれ? ……ここ、どこ?」

憂「うあああああんっ。おねえちゃん、おねえちゃん、おねえちゃんっ!!」

唯「うい? あぁ、あずにゃんもいるや……」キョトン

梓「あ……あはは……アイスの為に起きるなんて、唯先輩はやっぱり変な人ですね……」グスグス…

唯「あれれ……私、なにしてたんだろ……あれ……?」

唯「うい、あずにゃん……どうして泣いてるの?」

梓「ど、どうしてって……どれだけ皆が心配したと思ってんですかっ!」

唯「へ……?」…キョト

憂「えぐっ、ぇう……ふぇぇぇぇん……!」ボロボロ

唯「憂? ねぇ、泣き止んでよ」

唯「何があったの? 憂は……どうして、こんなところにいるの?」





憂「お姉ちゃんに、会いに来たんだよ!!」ニコッ

【おしまい!】