第十章 憂鬱


5月も末になった。

あれから一度も軽音部のメンバーとは会っていない。

責任感からみんなの家に電話をし、一応はスケジュールの調整をやってはみたが、誰もが何かしらの予定が詰まっていて、なかなか全員の都合がつかないのだ。

しかし、唯だけはいつでも家にいて、「私はいつでもいいよ~」と同じ返事をして、

(あの子、大学ちゃんと行ってるのかしら?)

と、違う心配を澪にさせる。

正直言えば、澪はバンドのスケジュール調整という作業にそれほど熱意を持てずにいた。

別に雑誌に載ったショックだけで澪は落ち込んでいる訳ではなかった。

そのショックが、今まで心の奥にあった不満が心の表面に出て来るきっかけになったのだ。

澪一人がいつでも真面目にバンドのことを考えていた。

少なくとも、本人はそう思っていた。

律や唯相手では、澪がそう思うのも無理はないが。

真面目と言えば、梓だが、梓はまだまだ律や唯の敵ではなかったし。

そしてどうしても心に引っかかる唯の存在。

唯に対してのコンプレックスを自身の努力で克服したと思った矢先、今度は世間の評価で差を付けられてしまった。

そんな訳で、澪の不満はどうしても唯に向かって具体化してしまう。

(唯ばかり注目を浴びて良い記事を書かれてる・・・!私が一番頑張っているのに!私がいつも我慢してみんなを引っぱっているのに!)

唯と自分との記事の内容の差が、澪に暗い影を落としていた。

唯は音楽的に高く評価されているのに、澪は胸やお尻のアップの写真、そして「巨乳」というレッテル。

(私は乳だけの女か!)

ここで、澪の心を少し理解しなければならない。
澪は恥ずかしがり屋ではあるが、実は人一倍かまってほしいという欲望も強いのだ。

本人は気づいていないかもしれないが、

「恥ずかしい」

と過剰なほどに感じるということは、見られることに非常に敏感だということだ。

このような人間は、心の奥底では注目を浴びたい、賞賛して欲しいという思いが強い。

だから人一倍頑張るし、みっともないところは見せたくないと思うわけだ。

注目されたい、誰かに褒められたいと思う澪は評価を常に気にする。

自分のしたいことをただもくもくと遂行する唯とは全く違う性質を持っている。

しかし、このような心理=澪の性格という訳ではなく、澪は常識的理性が強く、例え、本心がこのようなものでも、自分では自覚していないし、行動としては控えめである場合が多い。

だが、ふとした瞬間、追い詰められたとき、人の心の深いところが水面に浮き上がるように現れる。

(律も遊んでるだけじゃない!ムギだって特に何もしてないじゃない!)

そして澪のような人間は被害者意識が強い。

自分を律する分、他人にも同じような行動を求める傾向がある。

そして他人が同じように動けないとなると、

「どうしてこんなことが出来ないの?」

という思いに駆られやすいのだ。

澪のここ数ヶ月のストレスが一気に吹き出てきていた。

予定を立てるにしても、澪任せなメンバーの非協力的?な態度。

まるで自分だけが焦ってこのバンドを必死にささえようとしているようだ。

人間、上手くいっている時は多少のすれ違いがあっても仲良く出来る。

環境が同じなら同じ体験を共有出来る。

ささいなことでも簡単に共感出来る。

桜が丘高校にいたときは、全てが味方してくれた。

環境と言う大きな支えがあったのだ。

澪は自分一人が頑張っても何も変わらないような気がしていた。

(もう知らない!)

大学に行く以外は部屋にこもっていじけていた。

和「澪、ごめん、まった?」

澪「ううん、今来たとこだよ。」


大学の学食。

久々の和との食事だった。

澪はずっと和に会いたかったが、授業の関係でなかなか会えずにいた。

澪はわざわざ、授業を一つキャンセルして、和との時間を作った。

澪はここしばらくの悩みを和に話したかったのだ。

和「それは大変だったね。」

澪「でしょ?私の苦労を分かってくれるのは和だけだよ」

和は澪がどうにか甘えられるたった一人の友人だった。

澪はこのところの出来事を順を追って和に話した。

和はあいずちを打ちながら黙って聞いてくれた。

澪「結局、私一人が頑張っても駄目なのかも知れない。みんな違う大学だもんね。続けるのは難しいよ。」

和は澪の話しを最後まで聞くとしばらく黙り込んだ。

そしておもむろに話し始めた。

和「澪。」

澪「ん?」

和「いいかげん、澪も大人ぶるのを止めて楽になったらどう?」

澪「え?な、何を言ってるの和?」

和「だから、澪、背伸びをするのをよしなさいって言ってるのよ。」

澪「ちょ、ちょっと何を言い出すのよ、突然・・・」

和「いえ、あなたのためを思って言ってるのよ、澪。自分一人が何でも分かってるって感じで話してるけど、結局、何も出来ないでしょう?」

澪「・・・・」

和「自分だけ苦労しているつもりになったって、高校のときならともかく、あの子達をまとめるなんて無理よ」

澪「ひどい・・・」

和は共感してくれると思ったのに・・・。

だが、共感してくれると感じている相手だけに、澪にとって和の言葉は無視出来ない力のあるものだった。

和「いい?澪。軽音部のメンバーの中で一番子供なのはあなたよ。」

澪「・・・・」

澪の心は張り裂けそうだった。

和は澪を傷つけようとしてわざこんな風に話しているのだろうか?

こぼれて来る涙を止めることが出来ない。


和「澪、冷静に聞いてね?私は何もあなたの人格を否定しているわけじゃないの。実際、軽音部はあなたがいなかったらつぶれていたかも知れない。」

澪「・・・・」

和「それはあなたが律や唯よりもしっかりしていたからだわ。」

澪は、そう言われると、素直に「そうでしょ?」とは言えなかった。

和「でもね、それはあなたが『しっかりしなくちゃ』って頑張ってしっかりしてきたということでしょ?あなたは自分に厳しすぎるのよ。
『こうでなければならない』『みっともないことは出来ない』って自分で自分を戒めてきたんでしょ?
律や唯は心のままに生きてるわ。
自分がかっこいいとか悪いとか他人の評価なんてあんまり気にしない。
だから心が強くなるの。でも、あなたは自分の心を押さえつけて生きてるわ。
それでは、あなたが何か学習しても、それは自分の心を守ったり、自分の心を押さえつける方法を学ぶことになってしまうわ。」

澪は和の言わんとするところが分かってきた。

和が澪の為を思って言ってくれているのも理解出来る。

しかし、いきなり全てを受け入れるには澪はそこまで強くなかった。

これ以上、和の話しを冷静に聞いていることは出来なかった。

澪「帰る!」

澪は席を立って駆け出した。


家に帰ってベッドに潜り込みたい。

人目を気にせずに泣きたい。

澪は部屋につくなり服も着替えずにカーテンを閉め切り、電気を消してベッドに潜り込んだ。

しばらくして、ふとんのなかから澪の手だけがにゅっと出てきて枕元のミニコンポのスイッチを押す。

軽音部の学園祭での演奏が流れ出した。

楽しかったあの頃の記憶。

高校時代に戻りたい・・・。

どれくらい時間がたっただろうか。

澪はカーテンの隙間から窓の外を見た。

まだ陽は明るい。

時刻を見ると4時を回ったところだった。

私は大学に友達もいない。

今日は和も置き去りにして帰ってきてしまった。

もう口も聞いてもらえないかも知れない。

(和の言う通り、私だけが頑張っているわけじゃないんだろうけど、実際、私が動かないと全然、活動も出来ないじゃない。)

軽音部のみんなとは・・・、もう、いいや。

私、疲れちゃった。


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