大学では知り合いは出来たがまだ友達と呼べる人は出来ていなかった。

いや、友達なら同じ大学に進んだ和がいたが、学部が違うこともあり、そうそう一緒にいることは出来なかった。

澪はもともと人見知りで、友人をつくるのが苦手だった。

数少ない友人と深く付き合うタイプであり、桜が丘高校在学時も、軽音部のメンバー以外には、ほとんど友達は作らなかった。

そんな澪にとって、メンバー以外の数少ない友人の和が同じ大学に入学したのは本当に心強いことだった。

時間が合えば一緒に食事をしたり、授業の情報交換をしたり。

それでも桜が丘高校の日々にくらべると淋しくて退屈な日々だった。

あんな風にはしゃげる友達はこれからはもう出来ないかも知れないな。

そう思うとメンバーへの友情、愛情がこみ上げて来る。

私にとっては「放課後ティータイム」というバンドはかけがえのない居場所だったんだな。

そして、それはこれからもそうなんだ。

軽い感傷のようなものが澪の心に去来することもある。

そんなわけで、二週間ぶりバンドのメンバーで集まるこの日を澪は心待ちにしていた。


午後3時に、桜が丘高校近くのファーストフード店での待ち合わせ。

澪は10分前に店について、飲み物を頼み窓際の席に座っていた。

ほどなくして梓が到着した。

梓「他の先輩はまだ着てないみたいですね。」

澪「ムギはともかく律と唯は遅刻の常習犯だしな。5分前じゃ来てないさ」

とはいえ澪は内心、みんなを「まだか、まだか」と梓以上に心待ちにしていた。

もうすぐここに、唯、律、澪、いつもの軽音部のメンバーが揃うのだ。

澪は自分でもこんなにみんなに会いたいと思うことが不思議だった。

たった二週間会ってないだけなのに。

もともと泣き虫の澪だったが、みんなの顔を見ると自分が泣いてしまわないか心配な程だった。

♪♪♪

澪の携帯がなった。

澪「お、誰からだろ?もしもし?」

紬「あ、澪ちゃん、ごめんなさい。実は今日、ちょっと行けなくなっちゃったの。
どうしてもお父様の会社のパーティに出なければいけなくなって・・・」

澪「あ・・・ああ、そうなんだ。そうか、残念だな。」

紬「次は絶対に行くから、りっちゃんと唯ちゃんによろしく」

澪「ああ、分かった。うん、うん、大丈夫だよ。じゃあ。」

パコン。
携帯を閉じた澪に梓が淋しそうな表情で尋ねる。

梓「ムギ先輩、来れなくなったんですね。」

澪「そうだな。ムギも大学生になって、いろいろ忙しいみたいだ。」

澪は正月にみんなで集まったときの紬の話しを思い出していた。

大企業の社長である紬の父親に新年の挨拶に訪れる客は多い。

三が日は取引先の人や会社の部下がひっきりなしに訪れるそうだ。

紬は晴れ着を着て、応対に追われていたらしい。

紬は私たちと住む世界が違うのだ。

これは執事を叱りとばす紬の声を電話越しに聞いた時に実感した。

(あのときは本気で怖かったな・・・。)

軽音部のムギもムギに違いないけど、私たちの知らないムギがいるんだ。

紬も大学生ともなるといわゆる社交会デビューをするのだろう。

そしていずれ大企業の令嬢に相応しい相手との結婚をするのだろう。

そんな話しが実際に身近にあるんだな。

私はそんな世界の住人である紬と友達だったんだ。

これからは今まで通りの付き合いをするのは難しくなるかも知れない。

澪は少し淋しくなったが、梓の手前、努めて明るい表情でいた。

梓と雑談をしている間にしばらく時間が経ち時計の針は3時15分になった。

♪♪♪

また澪の携帯がなる。

澪「もしもし?律?おい、遅いぞ!今、どこなんだ?」

律「わっりぃ~!今日、ちょっと行けそうにないわ。」

澪「え?ど、どうしてだ?」

律「大学で体育会系のサークルに入ったんだけど今日、新歓コンパでさ。」

澪「ちょ、ちょっと待ってよ。今日は前からみんなで集まる約束をしてあっただろ?」

律「いや、わりぃ。普通のコンパだったら出ないんだけど、今日だけは一回目だし、強制全員参加なんだよ。体育会系だけあって先輩の言うことは絶対なんだよ。」

(律ー!!何してんの?早く来なよー!!)

電話越しに、大学の先輩らしい女性の声が聞こえる。

律「あ、ごめん、もう行かなきゃ。ほんと、わりい!埋め合わせはするからさ!」

プツン!ツーツーツー・・・。

梓「律先輩も??」

澪「あ、ああ・・・、そうらしいな・・・。」

澪の落胆ぶりは梓からみてもひどかった。

梓は澪を大人のしっかりした女性だと感じていた。

その澪が頬づえをついて窓の外を見たまま無言でいる。

こんな澪を見るのは梓は初めてだった。

なんと声をかけていいのか分からない。

♪♪♪

またしても携帯が鳴った。

が、澪は出ない。

梓「先輩・・・、電話・・・。」

澪「ああ、分かってるよ。」

随分長く着メロがなった後に澪は出た。

憂「澪先輩ですか?」

澪「あ、ああ、なんだ、憂ちゃんか。」

憂「ごめんなさい、おねーちゃん、今起きたところなんです、すぐに向かわせますから!あの、くれぐれも謝っておいてっておねーちゃんが・・・」

(唯はこんな大事な日にいままで寝ていたのか!)

澪のこれまでの落胆が怒りに変わった。

澪「も・・・もういいよ!もう来なくていいって唯に伝えておいて!」

澪の語気の荒さに、憂がうろたえる。

憂「そ、そんな・・・。私からも謝りますから!あ、今、おねーちゃん、玄関で靴はいてますから!」

憂の悲しそうな声を聞いて、澪は声を荒げたことを後悔した。

澪「違うんだよ。今日はムギも律も来れなくなったから・・・、だからもう・・・、いいんだよ。」

事情を憂に出来るだけ穏やかな口調で伝えた。

憂「え?そ、そーなんですか。おねーちゃーん!おねーちゃーん!あれ?もう出てっちゃった!ごめんなさい、呼び戻しにいきますから、これで!すいませんでしたっ!」

梓「え?今日はもう中止なんですか。」

隣で聞いていた梓がおそるおそる尋ねる。

澪「しょーがないだろ。律もムギも来れないんだからさ。」

梓「でも、唯先輩がこっち向かうって憂が・・・。私、唯先輩に会いたかったな・・・。」

澪「唯が悪いんだろ?二週間前から決めてたのに!待ち合わせの時間まで寝てるんだから!」

また澪の語気が強くなる。

澪を慕っている梓はビクッとして黙ってしまった。

梓はこんな風な澪の態度は初めてだったのでかなりショックを受けているみたいだ。

澪「あ・・・、ごめん、ごめんな梓・・・。」


帰り道。

梓は深刻な自己嫌悪に陥った。

大人げないことをした・・・。

みんな大学生になって、それぞれ自分の道を歩き始めたんだ。

今まで通りってわけにはいかないじゃないか。

それなのに、私は何を期待していたんだろう。

私だけ今まで通りを期待していたんだな・・・。

ふと、そこで澪は気付いた。

そういえば、唯は・・・。

寝坊は唯の得意技だった。

いや、寝坊の達人といっても良い。

唯自身が楽しみにしていた合宿の日でさえ、

待ち合わせの約束の時間を過ぎてもまだベッドの中にいたぐらいだ。


今回も同じだ。

なんのことはない、唯は相変わらず唯だった。

唯が飛び起きて寝癖もなおさずに外に駆け出そうとしている状況を想像して、澪は独りでクックックと笑った。

多分、今度会ったときに唯は悲痛な顔で謝って来るだろう。

申し訳なさそうに澪の顔色を伺う唯の表情が目に浮かぶようだ。

ちょっとだけいじめて許してやるか。

なんにしても澪は唯の寝坊に救われた気分だった。

あいつだけはずーっと今まで通りなんだろうな・・・。

この夜、澪はメンバーに電話して、次の日程を決めた。

一週間後に練習とミーティングを兼ねて集まることになった。

さすに何週間も時間をあけると演奏の勘も鈍るかも知れない。

まずスタジオを借りて2時間程練習してから、ミーティングをすればいいだろう。

澪は手頃な音楽スタジオをネットで調べ、予約しておいた。

澪は大学のキャンパスを独り歩いていた。

(私、やっぱり友達を作るのが下手だなぁ・・・)

澪は感情表現があまり上手くない。

そういえば、高校二年次のクラス替えのとき、律、唯、紬は2組で澪だけが1組になったときがあった。

メンバーは気の毒そうに心配していたのに、澪は素直に「淋しい」とは言わず、平気な顔を装って強がった。

いざ一組に行ってみると知ってる顔が居ない。

律や唯ならあっという間に誰かと友達になってしまうだろうが澪はしばらく見知らぬ生徒達の中で途方に暮れた。

積極的に動いて新しい友達をつくるという行動が澪には簡単には出来ないのだ。

また澪の外見もこういう時、不利に働く。

彼女はいわゆる近寄り難い美少女だった。

澪は色が白く、漆黒のさらさらの髪は腰まで届く長髪だった。

つり上がり気味の大きな瞳が、澪をよく知らない人にはきつめの印象を与える。

スタイルも良く、かなりの長身で、大きめの胸からしっかりとくびれた腰、すらっと長い足と、グラビアアイドルとモデルの良いところを足したような、素晴らしいものだった。

それでいて成績も良く優等生であった。

これで無口だともう救いようがない。

要するに簡単に声をかけるのがはばかられる佇まいなのだ。

ちろん、そんな澪に憧れる女生徒は下級生も含めたくさんいたが、遠巻きに観察して、なかなか近寄れないでいた。

そんな一部の層が澪のファンクラブを作ったりして澪をおどろかせたものだ。

一説には和の先輩の生徒会長が澪のファンクラブの会長でもあったとか。

しかし、そのファンクラブすら、澪に接触して来るでもなく、一体、誰がメンバーなのか、澪には分からなかった。

澪が軽音部に居心地の良さを感じる一つの理由が、律も唯も紬も澪に対して普通に接してくれることだった。

いや、普通どころか、澪をおもちゃにし、辱め、困らせ、一緒に笑ってくれる。

澪はぽつんと一人、一組の自分の席に座って、呆然としていた。

(どうしよう?)

和「あ、澪!澪もこのクラスだったの、よかった!一年間、よろしくね!」

聞き慣れた声に振り返るとそれは唯の親友であり、現在は澪の友達でもある真鍋和であった。

澪「こちらこそよろしく!」

澪は思わず涙ぐんで和の手を取って喜んだ。

まださほど澪と親しくなかった和も、

「澪ってこんなだったんだ?」

と驚いた。

しかし、澪が和にとったこの態度は軽音部のメンバーには決して見せないだろう。

和は澪にとってちょっぴり憧れの対象であった。

一見、似ている性格なのだが、和は澪よりも自立していた。

一人でもぐいぐい自分の道を進んで流されることがない。

澪は桜が丘高校入学当初、文芸部に入部しようと入部届けまで書いていた。

しかし、律にひっぱられるまま軽音部に入部してしまった。

澪「律に無理矢理、入部させられた」

澪は最初のうちはこう不服を言っていたが、結局、自分でやりたいことよりも律と一緒にいることを無意識に選んでいるのだ。

その点、和は幼馴染みの唯と一緒にいることよりも、自分のしたいことを確実に優先する。

生徒会活動を始めた時も、唯には告げていなかったらしい。

それでも唯と和は仲がいい。

澪は和と唯の関係に少し興味を持ったものだ。

もし、澪が知らない内に律が何かをしていて教えてくれなかったとしたら、澪は表面上はそしらぬ顔をしていても、心の内ではすねるだろう。

私は淋しがり屋だったのか。

一人になってみると、高校生のときは分からなかったことがいろいろ見えてきた。

その時、和がこちらへ歩いてくるのが見えた。

和は複数の友人らしき男女に囲まれていた。

和は大学で自分の居場所を作りつつある。

そういえば和は大学の自治会活動を始めたと言っていたな。

高校のときと同様、文化祭の実行委員などに参加するのだろう。

声をかけようとして、タイミングが掴めぬまま、和は澪に気付かずに通り過ぎていってしまった。

澪は立ち止まり空を見上げて背伸びをした。

(あ~あ、今頃、軽音部のみんな何をしているのかな~)


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最終更新:2011年02月24日 01:02