第八章 桜ヶ丘野外音楽堂


そのとき、楽屋に見知らぬ男が入ってきた。

男「あ、すいません、初めまして、僕、こういうものです」

男が差し出した名刺は音楽事務所のものだった。

律「あ!え?スス、スカウトですか??」

名詞を受け取った律が直立不動になる。

律「ム、ムギ!お茶だ!お茶!」

唯「りっちゃん!落ち着いて!ここは音楽室じゃないんだよ!」

男「ははは。スカウトってわけじゃないんだけど。君たちのライブを見てすごいと思ってね、挨拶がしたかったんだ。」

話しを聞くと地元のインディーズの音楽事務所のプロデューサーらしい。

男「でね、いきなりなんだけど今度うちの一押しバンドが桜が丘野外音楽堂でライブイベントをするんだけどさ、タイバンに地元のフレッシュなバンドを捜していてね・・・」

「!!!」

メンバー全員が驚いた。

さわ子「おほん!私、この娘たち軽音部の顧問をしております山中さわ子と申します。」

さわ子がずずいと前に出て男と話し始めた。

律「お、おい、さわちゃん急にマネージャー気取りでどういうつもりだ?」

律がひそひそ話しで澪に聞く。


澪「え、あ、ああ。音楽事務所とか出て来ると、やっぱり教師として心配なんじゃないのかな?」

澪は上の空だったがかろうじて律の疑問に意見を言った。


(え?ということは?ちょっと待ってよ?本当なの?今日だって必死だったのに、この話しが決まったら、千人も入る桜が丘野外音楽堂でライブをしなくちゃいけないの?)

梓「音楽事務所とか、自分たちだけで活動するのとは違いますからね。私も両親がジャズバンドでギャラとかスケジュールの話しをしているのを聞きましたけどややこしかったですよ。」

唯「ス、スカウトってまさか私をアイドルに?あわわ、ムギちゃん、どうしよう?」

話題の進み具合についていっていない唯が真顔であたふたしている。

どうやら唯の頭にはスカウト→アイドルという80年代並みの方程式しかないらしい。

その様子があまりにもおかしくて他のメンバーはもちろん、胸中複雑で笑える気分じゃないはずの澪も吹き出してしまった。

唯「???」

きょときょと周りを見回す唯。

さわ子「・・・・・ということでお願いしますね!」

メンバーがはしゃいでいる間にさわ子と男の話しは終わったらしい。

さわ子「みんな聞いて!この人は放課後ティータイムのデモテープを聞いて足を運んでくれたらしいわよ。実際に聞いてみたらテープより何倍も良かったって。彼が推薦するので、桜が丘野外音楽堂は出演の話しは確実に決定らしいわよ!」

「わっ!」

メンバーが湧く。

唯「ああ!あの話しかぁ!え?ということはりっちゃん!?」

律「そう、私たち桜が丘野外音楽堂で千人の大観衆の前でライブをやるんだよぉ!」

梓「ゆ、夢見たいですね!」

梓も興奮を隠しきれない

ムギ「大変なことになってきたね、澪ちゃん」

澪「あわわわわ・・・」

澪(千人?気持ちの準備が・・・?どうしてこんなことに?みんなはこんな展開によくついていけるな!)

律は常にいけいけだし、紬もおっとりしているが、ほとんど物事に動じることがない。

梓もけっこう腹が据わっている。

唯はいつものごとく今起こっていることの凄さが良く分かっていないのだろう。

どちらにしろ唯のマイペースは変わらないだろうけども。

ということは、まともに焦っているのは澪だけなのだ。

律「ふふふ!これで武道館への野望が一歩近づいた訳だ」

唯「りっちゃん!サインの練習が必要だよぉ!」

律の弾け具合と唯のくったくのなさにいっそう不安が広がる。

澪「おい!みんな、簡単に考えすぎなんかじゃないのか?」

しかしメンバーは盛り上がってしまって澪の言葉に耳を貸さない。

ポン。

誰かの手が澪の肩を叩いた。

振り返ると和だった。

和はうんうんと無言でうなずいている。

「私は分かってるよ」

とその目は言っていた。

澪「和ぁ~。」

澪は和にすがりついた。

さわ子「まだ話しがあるわ。放課後ティータイムのスタイリストには是非、私をと頼まれたので私も及ばずながらみんなに力を貸すから!」

「わっ!」

メンバーから一斉に非難の声があがる。

律「横暴だ~!職権乱用だ~!」

梓「ね、猫耳とかメイド服とかそんなの着たくありませんよ?」

澪「あわわわわ・・・」

(せ、千人の前でさわ子先生のコスプレで演奏するの~???駄目だ、死んじゃう!)

唯「スクール水着はちょっとなぁ」

紬「ナースの服も違いますよね?」

澪(この二人、危機感のレベルが違うぅ!)

こうしてばたばたと、超特急で「放課後ティータイム」の桜が丘野外音楽堂への出演が決まった。


桜が丘野外音楽堂でのライブは大成功だった。

千人以上の観客は澪達の演奏で多いに盛り上がった。

主役であるはずのタイバンを食ってしまったと言っても過言ではなかった。

音楽事務所が呼んだのであろう音楽系の雑誌のライターが何人も来ていて最前列の客席や舞台袖から何度もカメラのフラッシュがメンバーを包んだ。

ライブ後、「放課後ティータイム」には例の音楽事務所から所属要請があった。

これについてはまだみんなで検討中だ。

楽屋には例によってさわ子や和、憂もいて、今日の成功を一緒に喜んでいた。

演奏直後の興奮が一段落すると、ライターのインタビューが始まった。

彼らも「放課後ティータイム」の可能性を見いだしている様子でインタビューは熱気のこもったものと鳴った。

派手なことが好きな律は、あろうことか

「武道館制覇」

をぶち上げ、威勢の良さで取材陣に受けていた。

その日のライブでは澪がボーカルを絶対拒否したため、唯が全ての楽曲でメインボーカルを勤めた。

当然、取材陣の眼目はフロントマンの唯なのだが、唯にインタビューをしても期待したような返答が何一つ得られないみたいだった。

記者「どのような思いで歌われてますか?」

唯「いえ、特になにも考えてません・・・。で、でも一生懸命歌ってます。」

記者「ギターが独特ですよね、何処で学ばれたのですか?誰に影響を受けたのですか?」

唯「えーっと、ギターの練習は音楽室ですね。えへん!でも、それだけじゃないんですよ!個人練習も自宅でしっかりと・・・、いえ、その・・・、ときどきさぼりぎみだったんですが・・・。影響をうけたギタリストは、・・・え、影響?澪ちゃん、私、誰に影響受けたの?」

記者「日本にはこれだけギターが弾けて歌える女性のボーカルってプロでもそうはいませんよ。」

唯「へぇ~。・・・え?ええっ?そうなの?私、もしかしてすごいの?」

和は唯のインタビューを近くで聞いていて

(記者も大変ね。こんなんじゃ記事にならないでしょうに。)

と心底同情していた。


ライブ前から振り返ってみよう。

その日は結局、さわ子の作った衣装でメンバーは演奏に臨んだ。

さわ子の用意した衣装はメンバーそれぞれの個性に合わせたドレスだった。

唯は白を基調とした可愛いもので、後のメンバーは黒を基調としながらも、形やアクセサリーが違うものであった。

さわ子曰く、

「本当は全員、黒で統一したかったんだけど、唯ちゃんにはどうにも黒が似合わないよな気がするのよね~」

確かにそうかも知れない。

黒いドレスを着ている唯を想像すると、無理して大人っぽく装っている子供のようなイメージがある。

今回は唯が全曲メインボーカルだし、他のメンバーと違う配色は唯をフロントマンとして目立たせる為には良いかも知れない。

しかし、問題は、ドレスの露出度だった。

大胆に肩を露出させ、かなりボディラインがはっきりするデザインだ。

ドレス自体のセンスは良いものだったし、衣装に着替えたメンバーの姿には華があった。

そういう点では問題は無い。

律、唯、梓はドレスをいたく気に入ったらしかった。

梓「これ、大人っぽくて素敵ですね~」

律「いや~、珍しく、さわちゃんグッジョブだな!」

唯「律ちゃんも、あずにゃんもかっわいいよぉ~!!」

問題は澪と紬だった。

二人は他の三人よりも長身であり、胸が大きく、目立つプロポーションをしている。

特に澪はグラビアアイドル顔負けのスタイルの持ち主で、胸が標準よりもかな~り大きめだった。

澪は自分の胸の大きさを普段から気にしていた。

衣装のドレスでは胸の谷間が強調されてしまう。

この衣装ではセクシー過ぎるのではないか・・・。

これまでも澪にとってはメイド服やらゴスロリやら、「恥ずかしい」衣装を着せられて演奏に臨んだことはあったが、

それらは露出が多い衣装ではなかった。

澪は紬に話しかけた。

澪「ムギ、ちょっとこの衣装、露出が多すぎやしないか?ボディラインも浮き出ちゃうし・・・。こんなんで人前に出るなんてなぁ」

紬「澪ちゃん、すごく似合ってる!」

澪「え?」

澪を見る紬の顔はうっとりとしている。

紬「澪ちゃん、素敵・・・。」

澪「ム、ムギ??」

(そうだった!ムギはコスプレマニアだった・・・!ってことは、困ってるのはやっぱりまた私だけ~?)

律と唯はお互いの衣装を見て、もうライブ前に力を使い果たさんばかりの勢いではしゃいでいる。

律とはしゃぎ終わると唯は例によって梓を捕獲し、

唯「あずにゃん、可愛い!可愛いよぉ・・・」

と、梓にこれでもかと頬ずりしている。

梓「ゆ、唯先輩、ちょ、ちょっと」

唯「あずにゃん、にゃ~は?」

梓「しませんっ!!」

澪がその様子をため息をつきながら眺めていると、ふと、唯と目が合った。

唯「澪ちゃん~」

梓を開放した唯が近づいて来る。

澪「な、なんだ?唯?こっち来んな!」

ただでさえ、この衣装を着ている姿を見られるのが恥ずかしい。

唯の目は恥じらっている澪の様子をじっと見つめている。

澪「何なんだよ?唯」

唯「澪ちゃん、かぁわいぃぃぃぃ」

澪「ひっ!」

唯が抱きついて来ようとする。

抱きついて来ようとする唯の表情に澪は本能的危険を感じた。

(お、おやじだ!)

唯よりも長い手で唯のおでこを押さえつけ、それ以上の接近を許さない澪。

この時ばかりは自分の長身に感謝した。

梓のように小柄だったら同じように唯に捕獲されてしまっただろう。

澪「い~や~だ~、おい、誰か助けろよ!」

しかし律は梓と談笑してこちらには関心が無い。

(スルーかよ!)

唯は澪に抱きついて離れない。

澪「ム、ムギ、助けてよっ!」

紬はすぐ横の椅子に座っているのだが、まるで特等席でショーを見ているかのように陶酔していて助けようなどという考えはまるで持ち合わせていないみたいだった。

ポカッ!

唯「キャン!」

結局、唯の頭にたんこぶをプレゼントし、危機を脱した澪だった。

これまでもたまに澪に抱きついてこようとしたことがある唯だったが、澪の拒否にあい、ことごとく未遂に終わっている。

これが演奏前の楽屋のエピソードであった。

(でも、逆に変に緊張するような時間でなくて良かったな)

澪は意識を必死で切り替えてステージへ向かった。

(もう衣装のことは気にするな。普通にやるんだ。私たちの音をしっかりと出すだけだろ!)

野外ステージ独特の開放感が澪を圧倒する。

千人の聴衆が見守っているが、名も無い前座バンドなので、そうは歓声も起こらない。

澪はベースを肩から下げた。

その重みが落ち着きを取り戻させてくれた。

唯「初めまして!放課後ティータイムです!!今日はこの名前を覚えて帰ってねー!」

律「いくぞ!」

唯「私の恋はホッチキス!」


メンバーにとって武道館とは「夢のための夢」だった。

「夢のまた夢」ではなく、「夢のための夢」。

形にしようとするものではなく、「確か」で「あいまい」な「合い言葉」。

「高校を卒業してもこのメンバーでバンドを続ける」ことが出来る「魔法の合い言葉」。

バンドのメンバーは澪の高校生活で得たかけがえの仲間であり宝であった。

勉強をのぞけば、澪の高校生活の全てだと言えるかも知れない。

そしてそれは他のメンバーにとっても同じはず。

澪はそう思っている。

梓は、学校では後輩達とバンドを組み、外バンとして「放課後ティータイム」に参加することになった。


4月の前半は大学生活もまだまだ右も左も分からない時期であり、いろんな手続きもあるし、新入生の歓迎行事もあるだろう。

更に大きなライブの後でもあったため、充電期間ということで、少しバンド活動を休憩することにした。

それぞれが新しい環境で過ごす日々は瞬く間に過ぎて、そして4月半ば。

久しぶりにメンバー全員集まろうということになった。

今回は、練習するためではなく、これからの活動方針を決めたり、お互いの大学生活の報告会になるはずだった。

澪はわくわくしていた。


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