第一章 大学合格お祝いパーティ
三月上旬、まだ肌寒い季節。
桜が丘高校軽音楽部に所属するバンド、「放課後ティータイム」のメンバーと、メンバー共通の友人である和は、唯の自宅で「大学合格お祝いパーティ」を開いていた。
メンバーの三年生の4人はそれぞれが志望校に合格しており、悩みのない春だった。
ドラムの田井中律(たいなかりつ)は短大の保育科に。
キーボードの琴吹紬(ことぶきつむぎ)は全国有数のお嬢様女子大の外国語学部に。
ベースの秋山澪(あきやまみお)は、有名私大の文学部に。
真鍋和(まなべのどか)も澪と同じ大学の理学部に合格していた。
そして、なんと!
軽音部のムードメーカー?であるギター&ボーカルの平沢唯(ひらさわゆい)は、国立大学の経済学部に合格していた。
(まさか!)
その事実を知ったとき、澪は自分の耳を疑った。
唯が自分の大学よりも偏差値が高い国立大学に合格したことに納得出来なかった。
単純に悔しいだけではない、納得出来ないのだ。
(どうしてあんなボーッとして遊び惚けていた娘が・・・)
唯は「たまたまだよ~。ヤマが当たっただけだよ!てへへへ」
と照れておどけてみせた。
それがまた澪のプライドにチクチクと触った。
パーティの食事も終わり、唯の妹の憂(うい)がかいがいしく後片付けをしている。
澪「憂ちゃん、いつもいつもごめんな。」
憂「そんな、全然平気です。みなさんが家に来てくれるのがうれしくて。」
律「しかし・・・」
律が唯の背後に回った。
律「唯~!ほんっっとにお前って時々、信じられないことするよなぁ!国立大合格ってどんな手品使ったんだよ!?」
おどけて、唯にチョークスリーパーをかます。
唯「ギブギブ」
唯は顔を真っ赤にして律の腕をタップしている。
紬「唯ちゃん、すごいです~」
と朗らかな笑顔で祝福する紬。
メンバーの中でただ一人の二年生、ギターの中野梓(なかのあずさ)は
梓「唯先輩って、やっぱり分からない人ですね~。でも、おめでとうございます!」
と目を白黒させていた。
唯「あずにゃん、ありがとね~」
と、いつも以上に梓に抱きつき、梓を辟易とさせる唯。
和はその様子を横目で見ていたが、
和「唯は本気で集中するとすごいことするけど、今回だけは驚いたわ」
と、言いながら、たいして驚いた様子もなく、ワイングラスを口に運んでいた。
ちなみに、このワインはアルコール度数1%未満の子供でも呑める種類のもので、メンバーがこの「大学合格お祝いパーティ」のために用意したものだ。
律も紬も和も、梓も心から唯を祝福していたし、同時に各々を同じように祝福し合っていた。
しかし、澪だけは素直に唯を祝福出来ないでいた。
唯は最初、軽音部の活動に支障を来す程に勉強が出来なかった。
赤点をとっては澪に泣きついてきて、一夜漬けでテスト勉強につきあったものだ。
そして追試でなんとか合格点をとって、無事にクラブ活動に戻って来るというのがパターンであった。
たまに危うく追試を逃れることがあっても、決まってそれはぎりぎりの低得点だった。
唯のもともとの親友であった和はそんな唯をとっくに見放していて、勉強を教えようとはしなかった。
まぁ、実際の所は和は唯の自立を促していたのであろうけども。
しかし、澪の場合は唯を放っておくわけにはいかなかった。
唯が赤点をとると唯の部活動を禁止されてしまうのだ。
ギターボーカルの唯がいなければちゃんとした練習が出来ない。
軽音部のメンバーとしては唯に勉強を教えざるを得なかったのだ。
それでも一度、甘やかしてはいけないと、唯を見放したことがある。
その時、唯は一学年下の妹の憂に勉強を見てもらうという離れ業でテストを切り抜けてみせた。
(憂ちゃんは天才か?しかし、まったく、唯は・・・!)
澪は他人ごとながら唯の将来が心配になったものだ。
唯はそんな澪の心情は全く分からない様子で、相変わらずテストがあると、
唯「澪ちゃ~ん!」
と、泣きついてくる。
(いい加減にしろっ!)
と思うこともあったが憎めない唯の顔を見いるうちに、
(やれやれ)
と、結局、一夜漬けに付き合うことになるのだった。
兆しはあった。
本試験で12点しか取れなかったはずの唯が、追試では100点をとったことがあるのだ。
(極端な子!でも、やれば出来るんだ!)
澪は驚いたが、むしろ澪が教えたことで高得点をとってくれたことがうれしかった。
それがあろうことか、二年生の冬の期末テストで、一気に澪と唯の成績が逆転してしまったのだ。
しかも全教科において唯の得点が澪を上回るという澪にとっては信じ難い事態だった。
澪はその夏、毎日有名な進学塾の夏期講習に通っていた。
憂によると、
憂「おねーちゃん(唯)は家でごろごろしてましたよ。」
らしい。
唯はテスト前のほんの少しの時間に集中して勉強しただけだと言う。
それなのに全教科において私をいきなり上回るなんてことが・・・。
自分が重ねて来た努力を思えば、こんなに理不尽なことはないように思えた。
不覚にも澪は悔し涙を流してしまった。
しかも怒りのあまり、
澪「なんで遊びまくってた唯の方が私より成績いいんだよぉぉぉ!」
と、唯の手をギュ~っと握り潰し、唯に悲鳴を上げさせた。
信じられない。
しかし現実に、あれから澪は一度も唯の成績を上回ることが出来なかったのだ。
澪は希望していた大学に合格した。
志望校に合格することが出来たのだからそれはうれしいことのはずだ。
しかし目の前の唯は自分では届かなかった国立大学に合格している。
本人は受かるはずがないと思って受けたら、たまたまヤマが当たったと言う。
(ふざけないでよ!人の努力をなんだと思ってるの?)
澪は沸き上がる嫉妬心を自覚せざるを得なかった。
他のメンバーのように、
「唯、すごいな~!!」
なんて手放しで祝福することは出来ない。
そして、こんなことでクヨクヨしたり、嫉妬する自分自身に澪は傷ついていた。
(私は・・・情けない女だな・・・)
全員が志望校に合格したというめでたい卒業パーティの席で、澪は独り自嘲していた。
律「み~おっ!!なに暗い顔してんだよ、ったく!」
律が澪の首にしがみついてきた。
紬「澪ちゃん、今日は私がお菓子をつくってきたのよ。もらいものよりもおいしいか自信がないけど、食べてみて!」
紬が手作りのケーキを差し出す。
梓「澪さん、今度『ミッシェル』のライブいきませんか?あそこのギターとベース、すっごく上手くて参考になると思うんです。」
梓が遠慮がちに澪を誘う。
唯「ああ!私もいく~!あずにゃん、なんで私も誘ってくれないのよぉ?私だってギターだじょ?」
唯が梓に抱きつく。
唯「ね?澪ちゃん、いいよね?ね?」
唯が懇願するような目で澪を見つめる。
澪「あ、ああ、そうだな。みんなで行くか?」
和「あいかわらず澪は大人気ね。」
和が笑う。
律「なんたって澪は我が軽音部の裏の番長だからな!」
澪「誰が裏の番長だっ!誰がっ!」
律の頭にたんこぶを作ってやる。
二人の掛け合い漫才にみんながどっと笑う。
憂「じゃあ、ムギ先輩のケーキがあるんでお茶を注れますね。」
いつもの風景に澪は和み、癒された。
(私はこのみんなが大好きだ。こんな私でもみんな受け入れて、・・・その・・・好きでいてくれるんだ。
唯は頑張った。私よりも勉強が出来るんだ。それを認めて喜んであげなきゃ。これからは大学生だ。
つまらないことでうじうじしていてもしょうがない。もっと頑張ってもっと楽しく人生を充実させなきゃ。)
澪「唯。」
唯「な~に?澪ちゃん」
澪「大学合格おめでとな。」
唯「へへへ、ありがとう。澪ちゃんこそ合格おめでとう。好きな文学、思う存分出来るね。」
澪「そうだな。」
唯「私の場合はまぐれだから、勉強についていけるか心配だよ~」
(ま、まぐれって!またそんなに軽く言うっ!)
澪「ま・・・、まぐれで国立に受かるか~っ!」
唯「わぁ!澪ちゃんがキレた!」
律「唯の場合、ホントにまぐれの可能性があるから怖いけどな!」
律がどたばたに加わった。
澪の心のチクチクした部分が氷解していく。
このメンバーでいつまでもバンド活動を続けたいと思った。
軽音部は上手くまわっていたのだ。
この頃は・・・まだ。
第二章 ブッキング!
軽音部のバンド、「放課後ティータイム」は、4人が大学に入学するまでの間、校外活動することにした。
4月までは特にすることもない期間だったし、思い出作りと言う側面もあり、全員が乗り気だった。
梓は単純にライブが出来ることを喜んだ。
三年生は自由登校だったが、軽音部のメンバーは毎日のように音楽室に集まって練習していた。
澪「で、ライブハウスのブッキングはどうするの?」
律「ここは一つ、部長の私が・・・、」
澪「いやいや。律には任せられないな~。お前が手続きをさぼったせいで軽音部は何度ピンチに陥ったことか。」
唯「ブッキングって何?何?」
梓「唯先輩、ブッキングというのは、バンドがライブハウスに出演する為のスケジュールを組むことですよ」
唯「ほえ~、なんかカッコ良い言葉だね!」
律「ムギ!ムギんところの楽器店にライブハウスの情報とか張り紙してあったよな!」
澪「楽器店にはバンドやってるが人がたくさん来るからな。」
紬「そうですね、あの店の店員さんならライブハウスの情報とか詳しいかもしれませんね」
澪「よし、じゃあ今から行って、訊いてみるか。」
全員「おーっ!!」
軽音部の面々は、「いつもの楽器店」に行ってみることにした。
この「いつもの楽器店」は、桜が丘高校からほど近い繁華街の商店街の中にある。
紬の父親が経営する会社の系列店であり、軽音部のメンバーはそれをいいことに、随分無茶な値引きや、サービスをしてもらっていた。
澪は内心、
(いいのかな?ちょっと非常識過ぎやしないか?紬に悪いな~)
と感じていたが、他のメンバーの無邪気な強引さにつられて自分自身も特典に預かっていた。
楽器屋の店員はさすがに事情通であった。
店員自身もバンドを組んでおり、ライブハウスに直接電話をかけてくれたり、頼み込んでくれたりした。
澪と紬が熱心に店員と話している間に、唯と律の姿は消え失せた。
梓も二人を捜しに行ったまま帰って来ない。
(ほんとにっ!)
澪「結局、私たちが全部やるんだよな、ムギ!」
紬「まぁまぁ。」
紬は困ったような笑顔で澪をなだめる。
紬「それよりも私、ライブハウスなんて初めてで、わくわくしちゃって。」
律「店員さん!これこれこれ!」
律が手に一枚のチラシを持って走り込んできた。
唯「りっちゃん隊員~っ!」
梓「もう!待って下さいよーっ!」
澪「お、お前らどうした?息を切らして」
律「澪!これ見てみろよ!」
律はチラシを澪に差し出した。
澪「いったいなんなんだよ?・・・!!」
そのチラシには地元では有名なバンドがタイバンを募集しているという情報が書かれていた。
澪「え?律・・・これは?」
律「これに応募すんだよ!会場を見てみろよ!桜が丘野外音楽堂だぜ?千人以上入る場所だよ!」
澪「ちょ、ちょっと待てよ!いきなりそんな・・・っていうか、私たちみたいなバンドがタイバンに選ばれるわけないだろう?」
唯「それが違うんだよぉ!澪ちゃんっ!!これは地元のフレッシュなバンドを発掘しようという・・・そんなありがたいイベントなんだよ!」
澪「フレッシュって・・・。私たちは一度もライブハウスで演奏したこともないんだぞ!私たちがそんな千人規模の会場でいきなり演奏しようなんて・・・!
それに・・・。店員さんにお世話になって、ライブハウスが決まりそうなんだよ。ほら!この日が一番いいだろうって、もうライブハウスの人に連絡もしてあるんだ!」
律「どれどれ?よし!この日程ならそのライブハウスで校外デビューってことで弾みをつけて、どーんっと本番は桜が丘野外音楽堂という感じでいいなっ!!さっそく応募するかぁ!」
澪「ちょっと律!みんなはどうなんだよ!ム、ムギは?」
紬「そうですね。私、ピアノのコンクールで大きな会場で演奏したこともあるから大丈夫。面白そうだと思います。」
(ええ?まさかの前向き発言?)
軽音部では澪につぐ常識人だと思われる紬はたまに澪の思惑を裏切ることがあった。
もっとも澪が一方的に裏切られたと感じているだけなのだが。
澪「梓は??」
梓「う~ん、ちょっといきなりって感じはしますけど、もし出来るのならやってみたいですね!でも、たくさん応募すると思うし・・・まず選ばれないんじゃないですか?だったら応募するくらい・・・」
(うう、こちらも前向きな発言・・・。)
澪「ゆ、唯はどう思う?唯?・・・ん?」
藁をもすがるような気持ちで唯を振り返る澪。
(っていうか、いない~!!)
さっきまで唯が居た場所には誰もいない。
店内を目で捜すと唯は、ずっと奥の方の打楽器コーナーでマラカスを振って遊んでいる。
(うう・・・、唯に助けを求めるなんて馬鹿だった・・・。)
これは澪の推測だが、唯にとっては学校の講堂も、ライブハウスも、千人収容出来る桜が丘野外音楽堂も同じだろう。
唯は沢山の人を前にしても、まるで一人を相手しているようにリラックスして話しかける。
どこにいても何をしていても唯は唯だ。
律「店員さん!これ!応募用紙に書いておいたから、お願いしまっす!」
(っていうか、もう提出してる-!!)
これもいつもの軽音部。
こんなノリに澪はず~っと振り回されてきたわけだ。
(ふぅ。まぁいいか。どうせ受かりっこないだろうし。それよりもライブハウスと日程が決まったんだ。ちゃんと練習していいライブをしなきゃな!)
澪「よし、桜が丘野外音楽堂の件はいいとして、みんな聞いてくれ!これから練習に・・・もっと・・・、あれ?」
今度はメンバー全員がいないなくなっている!
律「澪、何を演説してんだ?いくぞ~?」
声の方に目をやると、メンバーはすでに店を出るエスカレーターの中程まで上っている。
唯「澪ちゃん、お茶に行こうよ~」
紬「澪ちゃん、行きましょう。」
(はぁ~、前途多難だなこりゃ・・・。いつものことだけど。)
澪はうなだれながらみんなの後を追う。
澪「もうっ!待ってよ~。」
そして追い付く頃には、おしゃべりしながらお茶を飲んだりケーキを食べたりする時間を想像し、自然と微笑みがこぼれだしていた。
最終更新:2011年02月24日 00:47