梓「さて、部室に行こう」

月明かりの草原を歩く
ポケットに手を入れる
少し寒い
風が吹く


……

澪「おい、何をしてるんだ」

梓「こんばんわ、澪先輩」

澪「……どこに行くんだ」

梓「部室です」

梓「会いたい人がそこに居るんです」

澪「そっちじゃない。こっちだ」

手を引かれて、来た道を引き返す

澪「道を間違えやすい。気をつけるんだ」

梓「はい」

月が雲に隠れると、澪先輩は手を離した

澪「ここから先は自分で行くんだ。私はまだ、そっちには行けない。でもすぐ行く」

梓「わかりました。ありがとうございます」

澪先輩を置いて歩き出す

風が吹く

手が冷たい

梓「こういう時間っていうのは、きっと大事なことなんだ」

ポケットに手を入れる

飴玉が入っていた

少し迷って、それは捨ててしまった

罪悪感が重りのように背中に張り付いた

でも後悔はしない

梓「こういう行為というのも、きっと大事なことなんだ」

梓「部室に行かなきゃならないんだから」

梓「自分勝手だろうが何だろうが、そういうあれこれは捨ててしまおう」



律「おい」

梓「こんばんわ、律先輩」

律「飴玉が落ちたぞ」

梓「捨ててしまったんです。拾わないでください」

律「こいつはお前のじゃないはずだぞ」

梓「それでもいいんです。決めたんです」

律「凄く甘いぞ。そこら辺には無い飴玉だ。こいつを勝手に捨てちゃあ、きっと持ち主は悲しむ」

梓「悲しみません。部室に行くんですから」

律「本当にいいのか」

梓「もう決めたんです」

梓「いや、これだと自分の意志で決定したみたいですね」

梓「それしか選択肢は無いんです。部室に行くって決めたんだから」

律「そうか、わかった」

律先輩は拾った飴玉を地面に捨てて、足で踏んで粉々にした

律先輩は本当に優しいと思った

梓「律先輩はどこに行くんですか」

律「部室さ。ただ、お前よりも少し早くたどり着かなくちゃならない」

律「私には待たなきゃいけない人が居るんだ」

梓「そうですか」

律「きっと私が待ってなきゃいけないんだ。そんな気がするんだ」

梓「間違ってないと思います」

律「全部間違ってるけどな」

梓「律先輩の待ってる人の飴玉、壊してきましょうか」

律「いや、止めてくれ。それは私がやらなきゃいけない。そういう覚悟が必要なんだ」

梓「わかりました」

律「もう行くよ。二人で待ってる。同じ部室とは限らないけど」

梓「同じ部室ですよ」

律「だったらいいな」

律先輩は走って行ってしまった

一生懸命に私の先へと向かっていった

背中はもう見えない

梓「本当に優しいなぁ」

私はゆっくりと歩く

歩き続ける

止まるつもりはない

どれだけ時間がかかっても、部室であの人は待ってくれているのだ

私は私のペースで歩く

私の歩く速度は、雲の流れとほとんど同じのような気がした

梓「ポケットが寂しくなったなぁ」

梓「でもこれから、どんどん入れてあげよう」

梓「あの人の片手はふさがるんだから」

梓「その分色々な物を入れてあげるんだ」

律先輩の足跡は消えかかっていた

月明かりの下では、ほとんど見えなかった

でも、方角だけは示してくれた

それだけで充分だった



紬「こんばんわ」

梓「こんばんわ、ムギ先輩」

紬「部室に行くんでしょ」

梓「はい。澪先輩と律先輩が方角を教えてくれました」

紬「じゃあ私は何を教えようかしら」

梓「何かを教えてくれるんですか」

紬「何も知らないけれどね」

紬「だけど、まあ、細かいあれこれなら教えてあげる。断片的だし」

紬「彼女達みたいに、はっきりとした情報では無いけど」

梓「構いません。教えてください」

紬「物事の本質は、形状と同じなの」

梓「本質と形状」

紬「本質というか、そうね、平たく言えば、大事なこと」

紬「少なくともこの草原では、物事の本質は必ずしも個人じゃないの」

紬「個人の、行動の、本質。理由。行動原理」

梓「私は部室に行きたいです」

梓「あの人が待ってるんです」

紬「それでいいわ」

紬「それを忘れてしまっては、もう全部がダメになるから」

梓「忘れませんよ」

紬「忘れるわよ。時間ってものはどうしようもなく過ぎていくんだもの」

梓「そうですかね」

紬「だから一緒に歩くのよ。忘れないように」

紬「忘れられないように」

梓「ムギ先輩はどこに行くんですか」

紬「部室よ。でも、全員が集まらないとダメなの。そこ以外には行きたくないの」

梓「そうですか」

紬「ゆっくりでいいわ。ここに時間の流れなんて無いもの」

梓「あの人と二人で待ってます」

紬「また後でね」

私はムギ先輩を置いて歩き出す

手を見る

ちらちらと揺れていた

梓「忘れるもんか」

梓「絶対に忘れちゃいけないんだ。そういうことを、きっとムギ先輩は教えてくれたんだ」


同じペースで歩き続ける

そのペースを忘れないようにする

ここに時間の流れはないけれど

きっとそこが、大事なところなんだ


ギー太「止まって止まって」

むったん「ちょっと止まって」

私の前に、ギー太とむったんが居た

私の歩みを妨げるかのように、逆さまに地面に刺さっている

ギー太「クイズだよ」

むったん「どっちかを選んでよ」

ギー太「ヒントは無し」

むったん「どっちか正解を選んで。当たっても何も無いし、外れても何もないけど」

梓「わかった」

むったんに手を伸ばす

むったん「本当に僕だと思うの」

手を引っ込める

風が吹いて、次はギー太に手を伸ばす

ギー太「本当に僕なの」

手を引っ込める

むったん「あちゃあ、これはダメだ」

ギー太「ダメだね」

むったん「仕方ないとは思うけれど」

ギー太「きっとまだ足りないんだね」

梓「何が足りないの」

ギー太「自覚」

むったん「覚悟」

梓「わからないよ」

ギー太「それで当然だよ」

むったん「頭が回らないんだもの」

ギー太「でもすぐわかるようになる」

むったん「わかったら、すぐに走ってね」

ギー太「もう行っていいよ。僕達を気にかける必要は無い」

むったん「でも一つだけ覚えていて。わかったら走る。それだけ」

梓「わかった」

私はギー太とむったんの横を回り込んで歩く

今なら、どんな方角でも部室にたどり着けそうな気がした

梓「そろそろだな」

梓「きっとそろそろ、部室にたどり着く」

梓「あの人が待ってる」

草原の端っこにたどりつく

その先は部室へ続く最後の階段だった

手すりの亀の像を撫でて、私は階段を上る

踊り場の窓から夕日が差し込んでいた

階段を上り、部室の扉の前に立つ

ああ、やっと会える


私は扉に手をかけ、そっと押して

夕日の部室の中で、待っててくれた人の姿を見つける

彼女は笑顔で、仕方ないなぁ、と手を腰に当てて、


「遅いですよ。待ちくたびれました」


梓「ああ、やっと会えたね。あずにゃん」


~~

飛び起きる

大きな音がしたわけでもない

何が起こったかもわからない

それでも私は跳ね起きた

時計を見ると、午前七時過ぎだった

私は走り出す

転びそうになりながら部屋を出て、階段を駆け下りる

憂「あ、お姉ちゃんおはよう。今朝は早いね」

一階に下りると、憂がエプロン姿で声をかけてくる

憂「あれ、今日朝から部活だったっけ?……って、お姉ちゃん、どこ行くの!?」

返事もおざなりに、私は玄関を飛び出す

外は早朝の涼しさであふれていた

蝉はもうこの時間でも鳴いていた

夏の朝の匂いが何故か懐かしく感じる

それで急に泣きそうになってしまった

唯「ふ……ぅ……っ」

目頭が熱を持って痛くなるのを我慢して、私は走る

何で走っているのかはまだわからない

でも走らなきゃいけない

目的地までは歩いて十五分

頑張れば五分でつく

全力で走る

途中で何度か転んだけれど、それでも、目的地が見えてきた

白いワンピースに、黒髪のツインテールが揺れている

庭の花に水やりをしているようだ

その背中が見えて、私はもっとスピードを上げる

唯「あず、あずにゃ……!」

足音で気づいたのだろう

あずにゃんは振り返って、そして驚いた表情で、

梓「ゆ、唯先輩!?」

その驚いた表情ごと、あずにゃんを抱きしめる

走った勢いそのままで抱きしめたので、お互い地面に倒れ込む

梓「ど、どうしたんですか。何かあったんですか?」

梓「寝癖のままだし、パジャマのままだし。……サンダル、片方どうしたんですか」

言いながらも、あずにゃんは私に押し倒されたままの姿勢でいる

私のされるがままになってる

梓「寝起きですか?……寝汗、すごいですよ」

唯「あずにゃん、あのね」

言わなきゃいけない

伝えなきゃいけない

唯「あのね、夢を見たの」

梓「夢?」

私は先ほどの夢の内容を細かく伝える

早くしないと、忘れちゃう

それくらいに脆い記憶なのだ

梓「そうですか。そんな夢を」

唯「うん」

梓「その夢の通りだとすると、唯先輩は私が好きってことになりますけど」

唯「うん、好き」

梓「そうですか。それで」

あずにゃんは私のほほを撫でる
梓「こんな泣きながら、跳ねた髪のまま飛び出しちゃったんですね」

唯「ごめんね。でも、今しか無いと思ったから」

梓「いつまでも待ってますよ。時間が流れる現実ですけど」

唯「私はあずにゃんと一緒に居ていいのかな」

梓「私の飴玉、捨てちゃったんでしょう。責任は取ってもらわないと」

梓「まあ、捨ててくれたのが唯先輩で、正直嬉しいです」

梓「私も唯先輩が好きです。これからお願いしますね」

唯「あずにゃん……」

さて、と、あずにゃんは私とともに起き上がる

梓「これからの話をしましょう」

唯「これからの?」

ええ、とあずにゃんは頷く

あずにゃんは私のパジャマについた砂をはらいながら、

梓「まずは憂に、唯先輩が私のところに居ると連絡します。きっと心配してるでしょうから」

梓「そうして、唯先輩は私の家でお風呂に入っちゃってください。その間に、私は朝ご飯を作ります」

唯「でも、お家の人とかの迷惑じゃ……」

梓「今日からしばらくは私一人なので、お気遣いなく」

梓「それで、ご飯を食べたら、私もシャワーを浴びますので、その後一緒にお昼まで寝ましょう」

梓「夢を見ちゃってるのは、脳が休めてない証拠なので。ゆっくりと休んでください」

唯「何から何まで悪いね、あずにゃん」

梓「恋人なんですから、遠慮しないでください」

梓「それで、起きたら部室に行きましょう」

唯「今日部活だっけ?」

梓「いえ。でも、もし先輩の夢が正夢なら、きっと三人も来てると思いますよ」

そう言ってあずにゃんは微笑む

私は頷く

唯「待っててくれてありがとうね」

梓「迎えに来てくれてありがとうございます」



終わり