酔いのせいだか、おしゃべりのせいだか、頭が痛い。
ピリリ、と、ふたたび携帯が着信を知らせる。開いてすぐ閉じ放り投げる。
大きく伸びをして首を回している途中で、
部屋の隅に立てかけられたさわ子のフライングVが目に留まった。
なんとなく気が向いて、膝立ちで移動してネックを掴む。
そのまま胡座をかいて、ストラップを肩にかけてみる。
左手でコードを押さえ、右手を軽く滑らせると、
きちんとチューニングされたきれいな音が響いた。
「……ふふ、さわ子らしい」
さわ子のギターで、ポロポロとお気に入りのフレーズを爪弾いてみる。
「なんか、色々思い出すなぁ」
スイーッと、左指を弦に沿って撫でるように動かす。
アンプを通さないチープな音が部屋にこぼれていく。
「さわ子の話に、感化されちゃったかしらね」
そう呟いて、ちょっと笑う。
「ちょっとぉ!何時だと思ってんのよ」
いつの間にか部屋に戻っていたさわ子が、抗議の声をあげる。
「ああ、ごめんつい」
「やめてよ、怒られるの私なんだからね」
「ごめんってば」
まだブツブツ言いながら、テーブルにチューハイの缶をふたつ置く。
この子、まだ飲むつもり?
「……でも、相変わらず上手いわねえあんた」
ギターを置いて元の場所に戻ると、
テーブルに頬杖をついたさわ子がうっとりした顔をして口角を上げた。
「さわ子に褒められるなんて……明日血の雨が降るんじゃない?」
「たまーに褒めるとこれだぁー!」
やってられねえとでも言いたげな、大げさな身振りで項垂れてみせ、
そのままの姿勢で静かにプルタブを引く。
ピリリ、と、3度目の着信。開いて閉じて、戻す。
「……ねえ、」
「んー?」
「メール、見なくていいの?さっきから何度も鳴ってるじゃない」
「うん、いいの」
目の前に置かれた缶を手の甲でよけて、水の入ったコップを持ち上げる。
口を付けようとしたとき、さわ子がジロリと私を睨んでいるのに気付いた。
「……何?」
「……ねえ紀美、」
「なによ」
「もしかして、彼氏じゃないわよね?」
「何が?」
「メールよ、そのメール!!」
さわ子、完全に目が据わってる。
握りしめたチューハイの缶が、ベコベコと音を立てて変形し始めてるし。
「はあ?違うわよ馬鹿ね」
「だって私の前で見ないなんて怪しいじゃない!!」
「あのねえ……」
「どうなのよ、怒らないからいいなさいよ!」
「いやもう怒ってるし」
「じゃあやっぱり彼氏なのね!」
「噛み合ってないわよ会話が」
「何、いつの間に?誰なの?カッコイイの?イケメンなの?」
「話聞いてる?」
「いくつなの?職業は?年収は?家持ってる?まさか不倫?!いやだ汚らわしい!」
「あーもううるさい落ち着け!」
手を伸ばして額をべしんとはたく。
うひ、と声を漏らして、さわ子が静止する。
「だってぇ……だってぇ……紀美に彼氏が出来たらアタシさみしいぃ……」
はい、泣き上戸入りました。
ああもう本当にめんどくさい。
「……メール、読んでみる?」
「えっ……」
私からの提案に、さわ子が動きを止める。
「多分説明するより読んだほうが早いから」
「え? えっ、でも、いいの?」
戸惑うさわ子に、思わず笑ってしまう。
「直前までの勢いはどうしたのよ。ほら、読んでみなさい?」
ぽいっと放り投げた携帯を、さわ子はアタフタと受け取った。
…………
「……何コレ」
私の携帯を握りしめて、さわ子がすっかり素の顔に戻っている。
「うーん、いわゆるストーカー的な子?」
「何あっさり言ってんのよ。え、何、紀美ストーカーに狙われてんの?」
「んー、細かいこと言うと、職場の女の子なんだけど、なんか好かれちゃって」
「好かれちゃってってレベルじゃないわよ」
コレ!と、携帯の液晶画面を私に向ける。うん、読んだから知ってるわ。
「重役の親戚だかでおおっぴらに拒否できなくて、どうしたもんだかって悩んでるところ」
「あんたねえ、そんなあっけらかんと……」
「てへ」
「てへじゃないわよ」
ぺろりと舌を出した私に、さわ子が呆れた顔を見せた。
「さっき、りっちゃんたちの話を聞いた時、他人事と思えなくてさー」
「もう、早く言いなさいよね……」
ごめんごめん、と片手を掲げて謝る。
「こんなことになってるの知らなかったから、私おささなじみとか言っちゃったわよ」
あ、あれわざとだったんだ。
「まあでも、なんか、」
私はコクリと水を飲み、コップをゆっくりとテーブルに戻す。
目を閉じて深呼吸すると、肺の中の空気を全部出すつもりで長く息を吐いた。
「さわ子と馬鹿話してたら、なんかスッキリしちゃった」
「馬鹿は余計よ」
「うん、よし、決めた」
「ん?」
「週明けに、上司に言うわ。このメール見せて。それでクビになるなら本望」
「大丈夫なの?」
「私を誰だと思ってんのよ?」
小さく息を吐き、そうね、と柔らかく笑ったさわ子に、私も笑みを返す。
「それにしてもさー、」
「うん?」
「紀美、高校の時から女の子にモテてたわよね」
「あんただってそうじゃない」
桜高に通っていた頃のことを、ふと思い出す。
バレンタインにいくつチョコを貰ったか、なんて、さわ子と馬鹿な競争してたわね。
「……なんかもうさ、」
「んー?」
「私が紀美と付き合っちゃおうかなー」
「……はあ?」
「だってなんかもう、色々めんどくさくなっちゃったんだもーん」
唇を尖らせ、子供のように拗ねた顔をする。
「もーんって言われてもね」
「紀美が無職になっても養ってあげるわよ、だって教師だもん!」
「意味が分からないしそんなドヤ顔で言われてもね」
突然、さわ子が動きを止めた。
テーブルにきちんと両手を揃えて、まじまじと私の顔を見つめる。
「……さわ子?どうした?」
「…………」
「さわ子?気分悪い?大丈夫?」
「……紀美、」
「うん?」
「よく見たら紀美って、私のタイプかも……」
「はい、じゃ、そろそろ寝ましょうかね」
「聞いて!ね、聞いて!!」
「もー、酔っぱらいすぎよあんた」
「細かいことを言うと、紀美が男だったらもろタイプ」
「もろとか言うのやめなよ、一応先生なんだから」
まっすぐに潤んだ瞳を向けるさわ子から目を逸らし、盛大に溜息を吐いてみせる。
「ねえ、紀美……。ちょっとお願いがあるんだけど」
「……なに?」
ちらりと視線を戻すと、さわ子は恥じらうように上目遣いで私を見ている。
なんだか嫌な予感がする。いや、むしろすごく面倒臭い予感。
「あのね……」
「もう、早く言いなよ」
「えーっと……」
「好き、って言って?」
おしまい
最終更新:2011年02月21日 21:02