「……てなことがね、先週あったわけよ」

「……あんたそれ、スルメイカ咀嚼しながら話す内容じゃないわよ」

呆れて溜息を落としながら、手元の携帯を見れば午前2時。
悪友であるコイツの家で飲み始めてから、もう7時間が過ぎていた。

「あーもう、帰るタイミング逃した。明日休みだし、泊まってくわよ?」

「なに、最初からそのつもりだと思ってたわ」

既に何杯目かも分からないビールをコップになみなみと注ぎながら、
焦点の定まらない目で私を見る。

「……あんたもうそれぬるいでしょ」

「えー?もう味もわかんないし、いいわよ」

「あ、そう」

「でさあ、そのあと、りっちゃんがね」

「まだ続けるのね、その話。とりあえずスルメイカ飲み込んでからにしたら?」

私がそう言うと、さわ子は黙ってモグモグと口を動かした。結構素直な奴だ。
ごくんと飲み込んで、続けてビールをあおる。

「……ぷはっ。でね、そのあと、りっちゃんが」

「あ、私トイレ」

「ちょおぉぉっとー!聞きなさいよ!」

「はいはい、戻ってきたらね」

洗面所で手を洗いながら顔を上げると、鏡に映ってるのはトロンとした目の自分。
あー、私も結構酔ってるな。そう自覚したら、ちょっと世界が揺れた。

「さわ子、ちょっと水もらうわね」

「んー?冷蔵庫にエビアン入ってるわよ」

「わかった」

勝手知ったるなんとやら。シンクに洗いっぱなしになっているコップを2つとって、
冷蔵庫から冷えたミネラルウォーターを取り出す。
それぞれコップに半分ずつ注いで、足で冷蔵庫のドアを閉め、居室に戻る。

「……あんたまた食べてんの?」

新しいスルメイカを口にくわえたさわ子の前に、溜息と一緒にコップを置いてやる。

「んぁ、つい。すぐ飲み込む」

そう言って、さわ子はまた無言で咀嚼し始めた。酔っているせいで目が据わっている。
私は頬杖をついて、ぼんやりその様子を眺める。

ごくん、とさわ子の喉が動いて、水の入ったコップを手にとる。
ああ、相変わらず長い指だな、と思う。

「ふぅ、……。えっと、どこまで話したっけ」

「りっちゃんがね、まで」

「ああ、そうそう、で、りっちゃんがね、」

「あれ、りっちゃんってどの子だっけ?」

「え?ドラム」

「ああ、カチューシャだ」

「そう、カチューシャ。で。そのカチューシャがね」

「りっちゃんね」

「うん、りっちゃん」

さわ子は前髪をぐいと持ち上げて、「りっちゃん」を表現してみせる。

「その節はお世話になりました、なんて、ハンカチプレゼントしてくれてね~」

「へ~。でもなんでハンカチ?」

「傷の止血に私のハンカチ使ったの、気にしてたみたいで」

「いい子ねえ」

「いい子よぉ」

水のコップを両手で包んで、さわ子はニヘラと笑う。
私もつられて笑顔になる。

「でもあんた、デスメタルやってたくせに実は血が苦手だったじゃない」

「うん」

「卒倒しなかったの?」

「しないわよ。らって大事な生徒の一大事よ?」

さわ子はびし、と私に人差し指を突きつけ、
ろれつの回らない口調でカッコイイ台詞を吐いた。

「まあ本当のところ、澪ちゃんの手前、私が卒倒するわけにもいかなかったしね」

「澪ちゃんってどの子?」

「ベース」

ファミレスで会った時のことを思い出す。
ああ、私が脅かしたらフリーズしちゃったあの子か。

「背が高くてつり目のね」

「あんたもね」

「うるさい」

「あの子すごく恐がりなのよ」

「ああ、なんかわかるわ」

「でも、」

私もひとくち、水を飲む。
さわ子は言葉を切って、私がコップを置くのを待っている。
その間があんまり面白くて、私はわざとゆっくりとコップをテーブルに戻した。

「……でも、その澪ちゃんもさ~、りっちゃん助けるために必死で」

「へえ」

「あ、あの二人ね、おささなじみなのよ」

「言えてないわよ」

「おさ?お、おさ、な、なじみなのよ」

「へえ」

「うん」

「……」

沈黙。私はさわ子を見て、さわ子も私を見ている。

「で?」

「え?」

「その、幼馴染が何?」

「あっ、そうそう、そのおささなじみがね」

「……うん、」

面倒くさくなりそうなので、指摘するのは止しておこう。

「……あれ?なんの話してたっけ」

「……澪ちゃんがりっちゃんを助けるのに必死で、って話」

えーと、と額に手を当てて、していた話を思い出そうとしているさわ子。

「あ、そうそう。澪ちゃんが、必死の形相で職員室に飛び込んできて、”律が、律が!”って」

「うん」

「澪ちゃん気が動転しすぎてて、正直何言ってるのかさっぱりわからなかったけど」

「本人に言っちゃだめよ」

「言わないわよ。まあとにかくトイレでりっちゃんが危ないってことは分かったわ」

「へえ」

「あのふたり、本当に仲良しでねえ」

そう言ってさわ子は目を細め、どこともなしに視線を泳がせる。

「一緒に登下校して、一緒に音楽やって、一緒に笑って、泣いて、喧嘩して」

「……」

「一緒の大学目指して。あの子たちったら、もう……」

遠い目をして微笑むさわ子を見て、ああ、この子は本当に先生やってるんだな、と……

「付き合っちゃえばいいのに」

「うわぁ台無し」

「……みたいなことをね、考えてそうなのよムギちゃんって。え?」

「え?」

「ん?」

「なんでもない。ムギちゃんてどの子?」

「キーボード」

ああ、あのおっとりした上品そうな子か、と思い出す。
そういえば、連れて行ったおでんの屋台にやたら感動していたな。

「ムギちゃんは、毎日部室におかし持って来てくれてね~」

「ああ、あの子がその子ね」

さわ子が毎日楽しみにしているという、例のティータイムか。
以前、美味しいものを毎日食べてるせいで太ったんじゃない?と言ったら
本気でキレられそうになったので、それからは言わないことにしているけれど。

「ムギちゃんはね、私が作った衣裳も嬉しそうに着てくれるのよ」

「……あんたのために軽音部にいるような子ね」

「あそうそう、ムギちゃんも、それから唯ちゃんも、りっちゃん達と同じ大学受験するのよ」

唯、というのはあのギブソン・レスポールに名前を付けてた子か。
私らの曲を耳コピでほぼ完全に覚えてきた子。

……まあ、結局さわ子がステージに上がって、一緒に演奏できなかったけど。

「へえ、じゃあ全員が同じ大学を?」

「そうなの。仲が良いにもほどがあるわよね」

「受かるといいわね」

私がそう言うと、さわ子はうん、と頷いて優しい顔で笑った。

ピリリ、と、私の携帯が着信を告げる。
差出人を確認して、すぐ閉じて机に戻す。

「んー?見てもいいわよ?」

「いや、ただのDM」

「そう」

さわ子は興味なさそうに相づちを打つと、
すっかり乾いてしまったサラダのポテトをひょいと口に放り込んだ。

ぬるくなってしまった水で喉を潤して、あれ、と思い出す。

「軽音部ってもうひとり居なかったっけ?」

「ん?ああ、梓ちゃんね」

「えーと、ああ、あのちっちゃい子」

「そ、猫耳が似合う子」

「うん、それは聞いてないわ」

「あら、ほんとに似合うのよ?」

「あの子は?同じ大学じゃないの?」

「梓ちゃんはまだ2年生なのよ。今年は新入部員が入らなくてね、来年1人になっちゃうの」

「そうなんだ」

「来年、なんとか3人以上入ってくれればいいんだけど…」

「そうね」

少し困った顔をしたさわ子に、相づちを打つ。

「ああ、そういえば」

「ん?」

「梓ちゃん、あんたのことカッコイイって言ってたわ」

「あらま」

「顧問の私より尊敬されるなんて、許せないわ」

「でもあの子たちメタルなんて聴かないでしょ」

あの子たちのオリジナル曲のタイトルを一度聞いたことがあるけど、
正直、なにそれコミックバンド?って思ったんだよね。言わなかったけど。

「あの子はご両親がミュージシャンらしくてね、結構幅広いジャンル聴いてるみたい」

「へえ、サラブレッドだ」

「似合うのは猫耳だけどね」

「うん、もうわかったから」

「そう、あ、ちょいトイレ」

「ん、いってら」

さわ子はのろりと立ち上がって、ぼりぼりと背中を掻きながら部屋を出て行った。