毎日歩く通学路がガラス越しに流れていくのをぼんやりと眺める。
私と同じ制服を着た子たちの姿をあっという間に追い越して行く。
控えめに流れるカーラジオは何かのニュースを読んでいるけれど、よく聞き取れない。

「……それで、傷はそれほど深くなかったみたいで、縫わずに済んだって」

カチカチとウインカーが鳴り、交差点を右折する。

「包帯取れるまで、それほど時間はかからないそうよ」

「そうですか、よかった」

私の隣で、和がほっと胸をなで下ろした。


昨日の事について詳しく話をするために、さわ子先生の車で律の家に向かう。
熱を出して学校を休んだ律のことを思うと気が乗らないのだけれど、
早く終わらせてしまいたいという律本人の希望を優先することになった。

「……澪、大丈夫?」

「え? あ、うん」

覗き込んできた和に笑顔を作る。そう?と、和は少し困った顔をして笑う。

「澪ちゃん、あなたは今日じゃなくてもいいのよ?」

運転席のさわ子先生も、ルームミラー越しに私の様子を気にしてくれる。
私はそんなに心配されるような顔をしていたのだろうか。

「いえ、大丈夫です。律の様子も知りたいし」

「そう? 無理しなくていいからね」

「はい」


【田井中家】

門扉に据え付けられたインターフォンを鳴らす。少しして律のお母さんが出迎えてくれた。
皆の後から玄関に入ると、澪ちゃんいつもありがとうね、と微笑まれた。

リビングに続くドアの前で、さわ子先生が振り返って私を見る。

「澪ちゃんは、りっちゃんのところに行ってあげて」

「え、でも」

「怖い話、聞きたくないでしょ?」

「……」

さわ子先生と和がリビングに案内されるのを見送って、大人しく階段を上る。
来慣れた部屋のドアノブに手を掛けようとしたところで、私の名を呼ぶ小さな声が聞こえた。

「……入るぞ?」

「んー」

ドア越しの籠った返事を確認して、部屋に入る。
日が傾いた薄暗い部屋の中、ベッドの上の掛け布団がもぞもぞ動いている。

「電気、点けていいぞー」

「まだいいよ。具合はどう?」

「ぼちぼちでんなァ」

前髪を結んで額に冷却シートを貼った律が、鼻から上だけ覗かせて表情を崩した。

ベッドを背にして腰を下ろす。背中越しに、寝返りをうつ布擦れの音が聞こえる。
鞄を引き寄せ中身を探っていると、律が体を起こして覗き込んできた。

「はいこれ、唯からお見舞い」

手のひらに載せたそれを、律がちょっと笑って摘まみ上げる。

「イチゴ味のあめちゃんか。唯らしいな」

「こっちがムギから」

「うほっ、千疋屋のフルーツジェリーとな!」

ラベルに油性マジックで「りっちゃんお大事に 紬」と書かれたゼリーは、
今日のおやつだって、と伝えるよりも早く奪われた。

続けて、クリアファイルに挟んだコピーの束を取り出す。

「で、これが今日の授業分な。試験に出やすい範囲らしいから目を通しておけよ」

「……うぅ、熱で頭が働きましぇん……」

途端に律のテンションが下がる。

「よくなってからでいいよ。わかんないとこは見てやるから」

「ん。しばらくはドラム叩くのも我慢しなきゃだし、勉強はかどるな」

「ゲームも我慢したらもっとはかどるぞ?」

「う……」

澪からのお見舞いはヘビーだ、と口の中で呟いた律を無視して、
処方箋とミネラルウォーターの隣にクリアファイルを置いた。

律は布団の上に胡座をかいて、早速ムギからのお見舞いを開ける。
ひとくち食べて、うめえ、と幸せそうに溜め息を吐く。

「なあ、さわちゃんと和は?」

「今リビング。先におばさんと話してから来るって」

「そか。梓の様子はどうだった?」

「だいぶ元気になったみたいだな。今日は唯とムギと一緒に部室に行ってるよ」

「……そっか。よかった」

律はもう一度、今度は安堵の溜め息を吐いた。

「……なあ澪、」

「何?」

「ちょっと、こっち向いてみ?」

「……なんで?」

「いいから向け」

声のトーンを落として足で私の背をつつく。私は仕方なく、ゆるゆると律に顔を向けた。

「……やっぱり。ゆうべ眠れなかったんだろ」

「……ん」

薄暗い部屋の中でもわかるくらい酷いクマなんだな、と、律の反応で自覚する。
和やさわ子先生に心配されるのも当然だな。

「まあ、怖かったからな。しょうがないか」

「……律に比べたらなんてことない」

よく言うよ、と律が苦笑いする。それから少し黙って、
ゼリーを掬っていた透明なスプーンに視線を落としてぽつりと呟いた。

「……あいつ、どうなったんだろうな」

律の顔を伺う。心配とか不安とは多分違う、静かな表情。

「私も詳しくは聞いてないけど……親御さんがしかるべき病院にどうのって」

「……ふうん、」

「多分、さわ子先生がおばさんに詳しい説明してると思う」

「そっか」

律はズッと鼻をすすって、残りのゼリーをいちどに掬って口の中に放り込んだ。

気付いたら、部屋の中はずいぶんと暗くなっていた。立ち上がって灯りを点ける。
律はまぶしさに目を細め、少し恥ずかしそうに、はねた自分の髪を撫でつけた。

「澪、なんか飲むか? ったく、母さん気が利かないな」

「大丈夫。律は大人しく寝てろ」

「えーもう寝るの飽きたよー、澪ーなんか面白いことないー?」

元の場所に座った私の腕に、律がすがりついてきた。
さすがに頭をはたくのは我慢して、適当にあしらう。

「はいはい、ないない、甘えるな」

「なんだよー、澪のいけずー」

「勉強するか?」

「遠慮します!」

律は途端に私から手を離して、
両手を前に突き出し”No Thank You !”のジェスチャーをしてみせた。

…………

律はほんとうに寝るのに飽きたらしく、ローテーブルを挟んで対面する位置に座り込んだ。
床に放り投げていたパーカーを羽織ってクッションを抱え、ミネラルウォーターを飲んでいる。
ぷはっ、と一息ついて、なあ澪、と私の名を呼んだ。

「なに?」

「寝てる間に色々考えてたんだけどさ……」

「うん」

「あいつ私に、その……執着をしてたわりに、」

「……うん、」

「あいつからは一度も、私が好きって言われなかったなって気付いたんだよね」

「……」

「私には、言えって強要してきといてさ、」

「……」

「あ、もちろん、言って欲しかったとかじゃないぞ?」

「うん、それはわかってる」

律はちょっと黙って、言葉を探すように視線を泳がせる。

「私昨日、唯んちの廊下で、澪に聞いたじゃん?」

「……好きって言って、か?」

「そうそう。好きって言ってもらうのに理由なんかいるのか?って」

「うん」

「澪は何て答えたか覚えてるか?」

「…………。いるだろ、」

「そう」

律がニッと笑う。

「私な、昨日みんなの顔見て、」

「うん」

「こいつらのこと好きだ、って思った」

「……みんなも律が好きだってことも、だろ?」

今度は私が笑ってみせる。
律はちょっと眉を上げて、夕暮れに色づく窓に視線を移す。

「……もちろん、そう思うのはたくさんの理由があるんだけど、でも、」

「……ん、」

「もう今更、わざわざ理由を確かめる必要もないじゃん?」

「……ああ。うん、そうだな」

「それで……。えーと、ああくそっ、なんかうまく言えないな」

ばりばりと頭を掻く幼馴染の姿が、とても愛おしく思えた。

「いや、わかるよ。伝わってる」

「そ、そうか?」

眉が八の字に下がる。恥ずかしいのか、ちょっと目が泳いでいる。

「なあ律、」

「ん?」

私は真面目な顔をして、まっすぐに律を見る。
それに気付いた律は、コクリと唾を飲み込んで、私を見返す。


「好きだぞ」

「…………へっ?」


きょとんとした律の顔がみるみる赤くなっていくのを見て、
こらえきれずに噴き出した。

「?! な、なんっ、」

「ぷっ、ふははっ」

「ちょ、なに笑ってんだよっ!」

「確かめる必要がない時も、敢えて言葉に出すとそれなりに効果があるってことだ」

「……ッ」

「あっ、ちょっといい歌詞浮かびそう」

「ぬぬぬ、この、ばか澪!」

律の叫び声と同時に、クッションが飛んできた。
至近距離だったので避ける動作も出来ず、顔に直撃する。

「いっ……たいなあ、何するんだよばか律!」

「お、お前が、変なこと言うからだっ!」

「だからって投げることないだろ!」

手元に落ちたクッションを掴んで、律に投げ返す。
クッションは斜め上に軌道を描き、律の額をかすめて後ろの壁に当たった。

「おまっ、病人になんてことを!」

「先に投げたのは律だろ!」

「やられたらやり返すって小学生か!」

「お前が言うな!」


「……あんたたち、元気じゃない。心配して損した」

突然投げられた声に、はたと我に返る。

律と同時に振り返ると、開いたドアの向こうから
あきれ顔のさわ子先生と和が私たちを見ていた。





おしまい



おまけ ※さわのり