唯「わぁ美味しい! あずにゃん天才!」

梓「そんな大袈裟な…」

紬「でもホントに美味しいよ」

梓「そうですかね……?」

今日は2月14日。
即ちバレンタインデーです。
大学入試を終えてその報告に学校に来た4人の先輩達が、部室で私が作ったチョコレートケーキを食べています。

気恥ずかしさや先輩達が卒業することの寂しさなど、色々な想いが渦巻いて結局放課後になるまで渡せませんでした。
でもティータイムのお茶請けになったので、結果的には今の今まで渡せなくてかえって良かったのかもしれません。

律「なあ梓、チョコケーキってことはコレってやっぱバレンタインの」

律先輩がからかうような口調で言いました。
でも……。

梓「残念ながらハズレですね。これは日頃の感謝の気持ちです」

律「へぇ~感謝ねぇ」

梓「なのでバレンタインのチョコレートはそれとは別に作ってきました」

私は4つの小さな包みを、それぞれ先輩達に渡しました。
少しの緊張を胸に秘めて……。

律「ケーキだけじゃなくてチョコまでくれるなんて大盤振る舞いだな」

唯「あずにゃん太っ腹~」

梓「小さくて申し訳ないんですけど…。あ、あとそのチョコは家に帰るまで開けないで下さい」

唯「え~今食べたいよ~」

包みを開けようとしている唯先輩が動きを止めてそう言いました。
唯先輩には悪いけど今ここで開封されるわけにはいきません。

律「唯、せめて先にケーキを食べ終わってからにしろよ」

澪「でも何で家に帰るまで開けちゃダメなんだ?」

梓「あ、あの……チョコレートのほうは受験お疲れ様、の気持ちを込めて作りました」

梓「なので家でくつろいでる時にでも食べてくれたらなぁと思いまして」

嘘ではありません。
でも本心は別にあったりします。

しかし自分で言っておいて何ですが、こんな理由が抑止力になるのでしょうか?
正直不安で仕方ありませんが、ある理由で今開けられると少し困ります。


澪「まあここで両方とも食べて太りでもしたら嫌だし、家でいただくよ。ありがとな梓」

律「家でのんびりしながら食うほうが太りそうだけどな」

澪「うう、言われてみればそんな気も……」

紬「いくら食べても太らない唯ちゃんが羨ましいわ……」

梓「というわけですので、それは家で食べて下さいね」

唯「うーん残念だなぁ」

――――
―――
――

梓「待ち合わせの時間まであと1時間か。さすがに早く来すぎたかな」

今日は待ちに待った日曜日。
憧れのあの人とお出かけする日です。
でも楽しみすぎて、気付けばこんなに早く待ち合わせ場所に来てしまいました。

梓「うぅ寒っ! カイロでも使おうかな」

独り言を言いながら両手をすり合わせていると、

ムギュッ

などという擬音が聞こえたような……?
気が付けば私の両手は温かい何かに包まれていました。


紬「どう? 私の手、温かいでしょ?」

梓「ムギ先輩!」

私の手を包んでいたのはムギ先輩の手、しかも手袋越しなのに凄く温かい……。
それにしてもいつの間に目の前に来たのでしょうか?

紬「おはよう梓ちゃん。随分早いのね」

梓「ムギ先輩こそ、まだ時間まで1時間近くありますよ」

紬「梓ちゃんと遊ぶのが楽しみすぎていてもたってもいられなくなって……早く来ちゃったの♪」

梓「わ、私も同じです!」

今言ったことのせいで顔が赤くなりそうになっています。
それでも言わずにはいられませんでした。

梓「そ、それより今日は私に付き合ってもらっちゃってすいません。そしてありがとうございます」

紬「ううん。大学受験も終わったし、私も梓ちゃんに誘ってもらって嬉しかったから。しかもあんな楽しい方法で、ね」

梓「自分ではどうかなと思ってたんですが。手紙なんて古典的かなぁと」

紬「そんなことないわ。バレンタインデーでチョコレートと一緒に手紙なんてとてもロマンチックだと思うの!」

梓「は、恥ずかしいです……」

そう、これがバレンタインデーの日、部室でチョコを開けられてはマズい理由です。
私はあのチョコにそれぞれ簡潔な内容の手紙を添えて先輩達に渡しました。
卒業式のときは本格的に手紙を書いて渡そうかな、なんて思ってたりもしてますが……。

あの場でみんなに開けられたら律先輩あたりにからかわれること請け合いでしょう。
下手をすると音読とかされたりして……。

何より、万が一ムギ先輩に書いた手紙の内容が漏れたらそれこそ大変です。
それにムギ先輩には一人きりのときにゆっくり手紙を読んで欲しかったから。

そしてムギ先輩の、大好きなムギ先輩のチョコに添えた手紙にはこう書きました。
二人きりで会いたい、二人きりで遊びに行きたい、そして大事な話がある、と。

梓「でもまさか返事が手紙で返ってくるとは思いませんでした」

紬「ビックリしたかしら?」

梓「ええとても」

紬「良かった~。前に驚かそうとしたときは眠っちゃって失敗しちゃったけど、今度は大成功ね!」

なんとムギ先輩は、返事を私と同じように手紙でくれたのです。
バレンタインデーの翌日、放課後下駄箱を空けたらムギ先輩からの手紙が入っていました。

この日は3年生は特に登校しなければいけない日でもなく、また軽音部で集まる日でもない……。
わざわざ返事の手紙を下駄箱に入れるために、私を驚かせるために学校に来たということなのでしょう。
私はムギ先輩の誠意と律儀さと、ほんの少しのイタズラ心に胸を打たれました。

紬「さあ、まずはどこに行くのかしら?」

梓「取りあえずお昼にしませんか? まだ若干時間は早いですけどお腹空きました」

紬「そうね、そうしましょう」

ムギ先輩はおっとりぽわぽわ、いつもの調子のようです。
『大事な話』のことなんか気にもしてないのだろうか、何てことを考えてしまう自分が少し嫌。
私のほうは楽しみと、そして『大事な話』をした後の結果に対する恐れによる緊張により、普段の自分が若干崩れつつあります。

それでも二人きりのお出かけを存分に楽しもうと思います。
そうじゃないともったいないですからね。

紬「梓ちゃん! これ、これとっても美味しいの!」

梓「お、落ち着いて下さいムギ先輩」

まるで子供のようなはしゃぎよう。
でもムギ先輩の子供っぽい面も、私の大好きなムギ先輩の1つです。
その子供っぽさが出ているときは、律先輩とつるんではしゃいだりするので多少迷惑を被る時があったりもしますが。

梓「でもお口に合って良かったです」

紬「私、好き嫌いはないほうだから」

紬「それにね……」

ムギ先輩が微笑みながら私を見ています。
……正直、たまりません。

紬「梓ちゃんと一緒にお食事をしているから余計に美味しく感じるのよきっと」

梓「…っ!」

きっと今の私の顔はタコのように真っ赤になっているでしょう。


紬「ふふっ、梓ちゃん可愛い♪」

ムギ先輩のほうが可愛いですよ。


紬「うーん、お腹一杯になったわ」

ムギ先輩、私の倍くらい食べたような気が……。
普段のお昼のお弁当も凄い量だって先輩達が言っていたのをふと思い出しました。

紬「ちょっと食べ過ぎちゃったかな。余計なお肉が付かなければいいんだけど……」

梓「こういうときは唯先輩が羨ましくなりますよね」

紬「ホントね~。でも今日はこれから梓ちゃんと楽しく遊ぶんですもの。たくさん食べて力をつけないと」

梓「くすっ、そうですね。それではそろそろ出ましょうか」

紬「出ましょう出ましょう~♪」

気が付けば私の緊張は綺麗さっぱり消え去っていました。

それから私達はあっちこっち遊び歩きました。
私が行きたかったレコード屋や楽器屋などに付き合ってもらったり、またはムギ先輩が行きたいところに行ったりと。

ムギ先輩に連れて行かれた場所は意外な所ばかりでした。
ゲームセンターはともかく、まさか駄菓子屋に連れて行ってもらえるとは夢にも思ってなかったので。

聞けば駄菓子屋は前に律先輩にエスコートしてもらった場所だそうです。
凄く楽しそうに駄菓子を買い漁るムギ先輩を見てると、微笑ましいと同時に僅かな嫉妬を律先輩に感じてしまうことは内緒……。
あと妙に駄菓子が美味しかったのも追い討ちになったり。


そして幸せな時間はあっという間に過ぎていきました。


梓「日が大分傾いてきましたね」

紬「楽しい時間がもうすぐ終わるのだと思うと寂しくなるね」

そうしみじみと言うムギ先輩。
……そろそろ頃合でしょうか。
私は真剣な声を出して次のセリフを言いました。

梓「ムギ先輩、最後に私と一緒に行って欲しい場所があります」

紬「……分かったわ」

ムギ先輩が引き締まったような表情を見せています。
『大事な話』をそこでするということを察してくれたのでしょう。
普段通りのムギ先輩のように見えていても、『大事な話』を意識してくれていた、そのことを嬉しく思いました。

梓「ムギ先輩、大丈夫ですか?」

紬「大丈夫よ、心配しないで梓ちゃん」

心配しないでというのは無理な相談です。
今歩いている道は塗装されてない、足場の悪い道。
大きな公園の林の奥の方へと向かう道を歩いているのだから心配は尽きません。

若干上り坂にもなっていて、慣れてないと少々キツいコースかも。
最も私も相当久しぶりにここに来たので慣れているわけではないのですが。
でも……

梓「まあわりと余裕そうですねムギ先輩」

紬「お昼ご飯をたくさん食べておいて良かったわ~。足は少し疲れたけれど」

紬「いいダイエットになるかもしれないと思うとどんどん歩みが速くなるの」

紬「わわっ! ちょっと待って下さいよ~」

まさか私のほうが置いていかれるとは、さすがムギ先輩。


やがて林を抜けると、ようやく目的地に辿り着きました。

梓「ここがムギ先輩と一緒に来たかった場所です」

紬「……綺麗な丘ね」

梓「ここは障害物無く地平線が見える丘なんです。両親から教えてもらったお気に入りの場所です」

梓「私も来るのは久しぶりですね。小さい頃はよく来てましたけど」

紬「近くにこんな綺麗な場所があるなんて思ってもみなかったわ。梓ちゃん! 連れて来てくれてありがとう!!」

梓「そう言っていただけると私も嬉しいです」

ムギ先輩が喜んでくれて何よりだと思います。
そしてとうとう言うときが来ました。

梓「ムギ先輩、聞いて欲しいことがあります」

紬「……聞くわ。何かしら?」

梓「この丘には、2つの言い伝えがあるんです」

いきなり言い伝えと言われて、ムギ先輩は一瞬戸惑ったような表情を浮かべました。
でもすぐいつもの素敵な笑みを返してくれました。

紬「ふふふっ、2つなんて何だか贅沢なのね」

梓「私もそう思います。それでその言い伝えというのは……」

梓「今最も感謝している人を連れて来ると、その人が幸せになれるというもの」

梓「そしてもう一つは、愛してる人に告白すると必ず幸せになれるというものです」

ムギ先輩は真っ直ぐこっちを見ながら微笑んでくれています。
話しながらも思わず見惚れてしまうような表情です。

紬「まぁ、素敵な言い伝えね。こういうのが好きそうな澪ちゃんに教えてあげたいくらい」

梓「まあ後者はありがちな言い伝えなのであまり新鮮味はないかもです」

紬「それで、梓ちゃんはどっちの言い伝えを頼って私を連れて来たのかな?」

さっきよりやや表情を締めてそう訊いてくるムギ先輩。
私の心臓はもうバクバクで破裂してしまいそう。

梓「どっちだと……思いますか?」

紬「私は梓ちゃんの口から聞きたい」

やはり私から言わなければならない。
まあどっちかなんて言うまでもないです。
だから私は正直に答えます。

梓「両方に決まってるじゃないですか」

紬「りょう……ほう?」

梓「そうです! ムギ先輩には感謝してもし足りません!」

梓「毎日美味しいお茶を淹れてくれて、私が練習練習とうるさく言っても優しく間を取り持ってくれて、いつも素敵な笑顔を見せてくれる」

梓「そして何よりもバンドの楽しさを、放課後ティータイムの素晴らしさを教えてくれたのはムギ先輩です!!」

紬「私が……? でも私も段々練習をサボってはしゃぐようになっていって、むしろ梓ちゃんや澪ちゃんに迷惑をかけてると申し訳なく思ってるくらいなのに……」

ああ、やっぱりこの人はそう考えていたんですね。
表面上は嬉々としてはしゃいでいるように見えても、やはり基本は優しくて気配りができるのがムギ先輩なんです。

梓「ムギ先輩はサボってなんかいませんよ」

梓「前に澪先輩が言っていました。お茶を飲んでダラダラしてる時間もきっと必要なんだ、と」

紬「澪ちゃんが……」

梓「初めて聞いたときは正直ピンときませんでした。でも徐々に分かっていったんです」

梓「私達はみんなでいるのが楽しいんだと。演奏するにしてもお茶するにしても、全てひっくるめて楽しいんだと」

梓「そしてそんな中でムギ先輩は、その『楽しい』を一生懸命維持してくれています」

梓「お茶を淹れてくれたり、私と先輩方の間を取り持ってバランスを取ってくれたり、時には真面目に、時にははしゃいでと、縦横無尽です」

梓「そのお陰で私は自然に皆さんの中に溶け込むことができました。全ての要素が放課後ティータイムなんだと理解することができました」

梓「ムギ先輩が見守ってくれたからです。本当に感謝しています」

息もつかずに一気に言ったため少し疲れました。
でもまだ言いたいことは残っています。
ここで疲れるわけにはいきません。

紬「……ありがとう、梓ちゃん。私、今とても嬉しいの。そんなふうに言ってくれて凄く幸せよ」

梓「まだもう一つ、言いたいことがあります。聞いてください」

紬「うん」

梓「私はムギ先輩が好きです」

梓「大人なようで子供っぽいところ。なのに肝心なところは大人で、いつも素敵な笑顔を見せてくれる」

梓「見ていて、そして一緒にいて心から楽しいと、幸せだと思えるあなたのことが大好きです」

梓「これが私が一番言いたかったことです。聞いてくれてありがとうございました」

言い終わったとき、私の目は潤んでいたことでしょう。
ムギ先輩の目も潤んでいました。

ムギ先輩は何の言葉も発しません。
私もこれ以上言葉を紡ぐことができません。



そしてしばしの沈黙の後、私達の影がゆっくりと重なるのでした。


もうすっかり日が暮れましたが、私達はまだ丘で寄り添っています。

梓「ムギ先輩」

紬「なあに梓ちゃん」

梓「幸せに、なれましたか?」

紬「これが答えよ」ムギュゥゥ

ムギ先輩、とてもいいにおいです。
少しクラクラしてきました。

紬「言い伝え、効果抜群ね。やっぱり澪ちゃんに教えてあげようかしら」

梓「澪先輩がどういう反応を示すかは分かりませんが、私は昔から言い伝えは本当だと思ってました」

紬「どうして?」

梓「私が生まれて、今ここでこうして存在していること。それが何よりの証拠ですから」

紬「それって、まさか梓ちゃんのご両親もここで……?」

梓「そういうことです。でも恋愛事で両親を頼るような形になって、私って情けないですよね」

紬「そんなことないわ。でもロマンチストではあると思うの」

梓「そうですか? 澪先輩の歌詞、いや澪先輩とムギ先輩の作った歌の影響かもしれませんね」




梓「ねえムギ先輩、もっと私に影響を与えて下さい。もっと私の中に入ってきて下さい。そして……」

梓「もっともっと色々なムギ先輩を見せて下さい」





終わり






最終更新:2011年02月19日 23:44