「ザッハトルテ、作った、ひっく……作ったよ……」

嬉しくて、嬉しくて……なんでなんだろう、こんなにも、涙が止まらないよう――

「――ふあぃ?みおちゃん、どうしたのぉ……?」

数十回のコール音の後、もう出ないのかな、と思った時でした
私のかけた電話に出てくれた唯声はいつも以上に可愛く、甘い声でした

「ゆ、唯、その……」
「ん~?」

とろけそうな甘い唯の声
それを聞いただけでも、十分幸せになりそうな可愛い声だけれど……
でも、その声を聞くために電話をしたわけではないのだから――

「そ、その、あのな……」

唯へ、伝えないと

「……ゆ、唯に」
「ふぇ?」

しっかりと、伝えるんだ

「私、その、今から……唯に――」

唯に私の想いを届けるために
そのために、頑張ったんだから――!

「――唯に、そのっ!!わ、渡したいものが、あるんだ!」

「んー……」

小さな声で唸るような、少し悩むような唯の声

「みおちゃん、あしたじゃだめなの?」
「明日じゃ駄目なんだ!今がいいんだ!」

今日じゃないと、駄目なんだ!!

「唯に、今日渡したいんだ!!」
「でもでもぉ……」

何故か、いつもの唯とは違う声――
言葉も、唯の声も、肯定的な感情を含んでいない

「もう、夜もおそいよ?みおちゃんだって、もう……寝る時間じゃないの?」
「で、でも……!!私はまだ寝ないし……」

駄目なんだよ……!
今日がいいんだ!今日じゃないと、今日じゃないとダメなのに……!

「ふぁああ……ね?みおちゃんもあんまり遅くまで起きていたら風邪ひいちゃうよ?明日にしようよ?」

こんなに――こんなに唯に拒否されたのは……初めてかもしれない

「駄目なんだよ……今日が、今日じゃないと……駄目、なんだよぉ……」

なんで?なんで……?唯、なんでなの……?

「でもわたしもう眠いよ……」
「そんな……」

折角……作ったのに
唯のために、ザッハトルテ、頑張って作ったのに……

「……ごめんね、みおちゃん」

――『ごめんね』
唯のその言葉を聞いただけで……もう次の声が出なかった

「それじゃあみおちゃん、ふぁあ……また明日、学校であおうね……」

だからその唯の声に応えることもできなくて

「ばいばぁ~い」

――その別れの言葉を最後に、電話から唯の声は途切れてしまいました

「ゆ、唯……」

私の耳には、通話の終了を告げる電子音だけが響いていました


――そうだ
そうだよ、サプライズだっていいじゃないか

唯が今日はもう来ない、なんて思っていても
私が唯の家に行けばいいんだ

きっと唯は驚くぞ
そして頑張って作ったザッハトルテをプレゼントするんだ
突然の訪問と、ザッハトルテを送ることで二重に唯を驚かせることができるし

ザッハトルテのチョコレートもしっかり固まり、もう箱に入れても大丈夫かな
あ、箱も唯が好きな色にしよう

赤がいいかな?それともピンク?あ、リボンは何色が合うかな?

ふふふ……唯、待っててね……
今すぐ届けるから……

「これなら……大丈夫かな」

コートを羽織り、下はジーンズ
そしてマフラー、手袋、イヤーウォーマーも忘れずに付けて……

そして玄関の姿見で最後の確認
マフラーとコートの色も変じゃないし、他の部分も大丈夫
目の赤みだって、顔を洗ったからしっかり取れている

でも――
大丈夫だと思うけれど、折角バレンタインに会うんだから
もう少し可愛い格好の方がいいのかな……

「イヤーウォーマーはこっちの色の方がいいかも……」

予め用意してあったもう一つのイヤーウォーマーに付け替えて

「よし、これなら大丈夫!」

ザッハトルテを入れたピンク色の箱をすこし大きめのバッグに入れて
ママとパパを起こさないように、ゆっくりひっそりとドアノブを下ろしました

僅かに音が出てしまいましたが、そのまま私は静かに、玄関の扉を押し開けました

「――ひゃうっ!?」

突如顔に打ち付ける冷たい風――だけではありませんでした
頬には冷たい感触が留まります
それは……

「…………」

手袋に包まれた手を頬にかざすこともなく、それが何かは分かりました

「…………」

普段とは違う、夜を覆う静寂
そして、全てを包み込む――

「…………」


――真っ白に降り積もる、雪
全てを覆い尽くし、煌くその白い雪は――

黒く眩く輝いていたザッハトルテの黒も、全て――
全て、包みこんで白く染め上げてしまうように、深々と降り積もっていました

「唯……」

雪のふる音より大きいはずの私の声も、その白い雪に包まれて消えて行きました

「うう……唯……」

177にコールして聞いた天気予報も
携帯から見た天気情報も
部屋に戻り、立ち上げたパソコンから見た天気予報も

全て、どの予報も雪、雪、雪――

「ひっく……ゆ、唯ぃ……」

折角作ったのに……
ザッハトルテ、作ったのに……

目の前にはピンク色の箱
唯にプレゼントするはずだった、ザッハトルテの入った箱――

「……頑張って作ったのに」

唯に「美味しいね」って言ってもらいたくて
唯に「ありがとう」って言ってもらいたくて
唯に「大好き」って抱きしめてもらいたくて

がんばって……がんば、って……

「ひっく……つく、った、のに……」

でも――どうしても唯と食べたいから
唯と、バレンタインを過ごしたいから
だから私はその箱からもう一度、ザッハトルテを取り出しました――

「唯、これ唯のために作ったんだ」

黒く輝く、私が唯のために作ったバレンタインのチョコレート――ザッハトルテ
飾り毛のない、黒一色で染め上げられたそのケーキに華やかさは無いけれど

「……心を込めて、作ったつもりだよ」

ううん、違う

「ごめん、唯……つもり、なんかじゃなくて」

飾ることのないそのザッハトルテと一緒で
飾ること無くその気持を唯に届けたいから

「唯のことを想って、心をこめて作ったんだ」

……唯は、笑顔でした

「憂ちゃんにも、ムギにも負けないと思う――だって、他の人には負けたくないと思って作ったんだから」

私はザッハトルテに包丁を入れ、4等分に切り分けます

「それじゃあ唯――」

私はその4等分に切ったうちの一つを唯に、ひとつを私自身のお皿へと乗せました

「――二人で一緒に、食べよう」


ザッハトルテは自分でも驚くくらい良く出来ていました

自画自賛と言われてしまうかも知れませんが
ムギが今まで持ってきたチョコレートケーキに負けず劣らずと言っても過言では無い気がします

心を込めて、想いを込めて作ったから

「唯、美味しい?」

ザッハトルテを前にしたまま、笑顔の唯
可愛い唯――メイド姿の可愛い唯のぬいぐるみを、ザッハトルテの前から持ち上げ、抱きしめます

「ははは……がんばって作ったんだから、食べて欲しいんだけどなあ……」

ああ……また体重、増えちゃうなぁ
ワンホールで何キロカロリーなんだろう?
折角お正月で増えた分が減ってきたのに……

チョコレートはすごく甘く、私の心をザッハトルテの生地みたいに包みこんで、癒してくれるようでした

 fin.




澪「えぴろーぐ!」

「みーおちゃん!おはよ~!」

翌日の朝――
あくびを噛み殺しながら、昇降口で上履きを履いていると、後ろから声をかけられました

「唯……おはよう」
「昨日は本当にごめんね……澪ちゃんの話、最後まで聞かないで電話切っちゃって……」

昨日……
結局あの後、一人でザッハトルテをワンホール食べてしまったので、お腹も一杯であまり寝れなかった

「もう、いいよ……済んだから」

だから、もう、ザッハトルテは……無い――だって、全部、食べてしまったから

「そ、そうなの……?」

曇る唯の顔――

「本当に大丈夫だから気にしないでいいよ、なんでもないから」

私は唯の顔がこれ以上曇らないようにこの話を切り上げます

「澪ちゃんがいいって言うのなら、いいけれど……あ、それとね、澪ちゃん手、出して!」

「――これは?」

唯の目の前に差し出した手に、唯は小さな物――

「あめちゃん!」

それは、200円くらいで数十個入っている、袋入りの飴のうちの一つでした

「昨日ね、夢の中で澪ちゃんからチョコレートケーキを貰った夢を見たんだよ!」
「……夢?」
「だからそのお返し!」

……?
お返し?何もあげていないのに……?

「唯、それにお返しって言ってもホワイトデーには――」

――と、私の声を遮る、朝のHR開始前の予鈴

「おっとっと、澪ちゃんはやくはやく!遅刻しちゃうよ!」

いつの間にか上履きに履き替えていた唯はそのまま駆け足で昇降口から離れて行きました
残されたのは、私と――手のひらに置かれた、一個の飴玉

「……甘い」

唯から貰ったその飴は、オレンジの香りのする、ほんのりと優しい甘さの飴でした

 ~ fin ~



最終更新:2011年02月16日 02:59