こんばんは、秋山澪です
今日は心跳る、待ちに待ったバレンタインデー

友達に、お世話になった人には感謝を込めて
好きな人には自分の気持ちを形にして送る日です

類にもれず、私もそんな日を心待ちにしていた一人で――
もうコンビニにチョコレートを買いに行った時からもう気が気じゃなくて
心臓が脳みそを突き破って頭のてっぺんから噴き出しそうなくらいにドキドキと跳ねています

唯に送る、初めてのバレンタインチョコ――
心を込めて作る、私の、私だけしか知らない、私から唯への、心をこめたバレンタインチョコ――

ふふふ……
唯、待っててね……おいしいチョコレート、作るからね……

唯のためにつくるチョコレート――と言ってもさて何にしようか?

ストイックにハート型のチョコレート?
ちょっと手を加えてトリュフチョコ?
もっと頑張ってガトーショコラとか?
ザッハトルテなんて作ったらきっと唯は驚いて、喜んで、そして――

『澪ちゃん、ありがとう!』なあんて言いながら――抱きついてくれるかな?

……ふふふ

でも、ザッハトルテってどうやって作るんだろう……?

そんな時は本屋へ行けば、今の時期チョコレート関係の本が沢山ある――と思うんだけれど

今日、寒いし……
今の時代、パソコンで少し調べればすぐにレシピくらい出てくるはず
それに、時間だって限られているんだから時間も節約、有意義に使わないとな

私はパソコンのブラウザを立ち上げて検索をかけます

「ええっと――『ザッハトルテ』『レシピ』っと」

ほうら出てきた!
幾つもあるページを観て、簡単で手軽でそして早く作れるレシピを探します
もう、そこに乗っている写真を見るだけで
それを唯が食べている姿を想像するだけで――
そして、喜んで抱きついてくる唯――

ふふ……ふふふ……

待っててね唯……頑張って作るからね……

「うん、これがいいな!印刷、っと」

「キラキラひかる願ぃ~ごとも~♪」

包丁で買ってきたチョコレートを細かく刻みます
ちょっと硬くて大変だけれど……
できるだけ細かく、細かく――

「ぐちゃぐちゃへたる悩みぃごとも~♪」

そしてお湯で温めたボールへ、その刻んだチョコと、ちょっと値が張るバターを入れ
湯煎しながらかき混ぜ、溶かします

「そうだホォチッキスで~とじちゃお~お~♪」

そしてここで登場!唯のために買ってきた、珍しい取っておきの卵!
そう、烏骨鶏の卵を!そして砂糖をを!入れて――

「はじまりだけは軽いノリで~♪知らないうちに熱くなあって~♪」

しっかりと泡立てます
自動の泡だて器を使ってもいいんだけれど、やっぱり手作りというからには自分の手で
混ぜて、混ぜて、混ぜて――

「もう、はりが、なんだか……とおらな、いっ!」

中々泡立たないけれど、唯のために、自動泡だて器は使わないんだ……!
私の手で、最後まで、私の手で作って―――

「らら、またあしたぁ!」

唯の笑顔を、見るんだ……!

「――ララまた明日ぁ!っと!」

ふう……これくらいで大丈夫かな?
うん、上出来上出来、結構泡立っているし、もう十分なはず

それにしても……あー、腕が痛い、いたい
普段ベース弾いていても、やっぱり腕力足りないのかなあ……

腕力――私の、手
……以前、唯に言われた言葉を思い出します

「澪ちゃんの手、大きいね、かぁ……」

唯の手、小さくて可愛かったなあ……
私の指を、ぷにぷに、ってぷにぷにって触ってくれた唯の指もぷにぷにしていて可愛かったなあ
あれからもう大分経つけれど、唯の指は硬くなったのかな?
もう、ぷにぷにした可愛い指じゃあないのかな?

それにひきかえ、私の手は――あれから変わらず、大きい手、固い指……
唯より大きいのに、30分間泡だて器をかき回していただけで痛くなるんだよ?
おにぎりなら、役立てたのに、今回は役に立てなかったよ、私の大きな手……

「うう……ごめんね、唯が折角褒めてくれた、私の手なのに……」

ごめんね、唯……

「――ひぅっく……んっ……」

涙を拭うと、テーブルに置いてあったキッチンタイマーの時計が目に入ります

「あ……もうこんな時間……」

そうだ、泣いてなんかいられない
早く、唯のために唯のザッハトルテを作らないと!

「唯……待っててね……最後まで、頑張って、作るから……」

ふわふわに泡だったそれを、チョコレートを溶かしたボールへ
少しずつ、その泡を崩さないように入れていきます
ゴムベラを通すたびに、サク、っと音が出そうなくらいに綺麗な泡
ふわふわの、泡――

「ふわふわたぁーあいむ、ふわふわたぁーあいむ♪」

綺麗な白とチョコレートの黒が混ざり合うのを見ていると
見ていると――

「ふふ……なんだか、私と唯みたい……」

なんて想像してしまい、つい笑みがこぼれてしまいます

「……まだかな?」

オーブンの中を覗き込みますが、まだあまり膨らんでいないみたい
横に付いているタイマーを見ると、まだ中に入れて9分しか経っていませんでした

生地が焼き上がるまで待っている時間――この時間の流れがとても永く感じます
いつも部活で唯や他のメンバーと一緒に居るときは時間が足りないと思うくらい、時間の流れが早いのに……

「……」

オーブンの中を覗き込みますが、さっきと殆ど同じで膨らむ気配がありません
横に付いているタイマーの表示は11分を示していました

本当に、永い……

「……」

オーブンのタイマーは12分
暖かい部屋の中、オーブンの前で待っていると……
なんだか……眠くなってしまいそうです

「はい、これ私から皆へ、ハッピーバレンタイン♪」

部室でいつものティータイム、今日ムギが出してくれたお菓子は――

「わあ♪美味しそうなチョコレートケーキだね!」

――そう、チョコレートケーキでした
それを見た唯はとても嬉しそう

……ムギのケーキを見て、笑顔で喜ぶ唯は、とても嬉しそうでした

「今日は家の余り物じゃなくて、有名なスイーツのお店から取り寄せてもらったの♪」

そう聞くと……なんだかいつものケーキより美味しそうに見えます
といっても、いつもムギの出すケーキが美味しくなかった時なんて一回もないんだけれど

「いただきまぁ~す♪はむっ♪」

そのムギのケーキを唯は一口食べて――

「うまい!」

ああ、そしてこの笑顔……
唯がこの笑顔の時は、本当に美味しい物を食べた時の笑顔だ……

……ムギにはそんな気持ちはないんだろうけど
無いんだろうけれど――なんだか、悔しい

「――沢庵入り!?うおぁっとお!?」

バランスを崩して、椅子から床へ転びそうになりました
あれ?……夢?
ああ、私、いつの間にか寝て……あ、なんだかいい匂い――

「あああっ!?」

そしてオーブンのタイマーは、そのいつの間にかで『0』になっていて
焼き上がりの一時間を過ぎて止まっていることを示していました

中を確認するまでもなく、オーブンの扉を開けて、直に中を見ると……
そこには――

「……よ」

ふっくらと、綺麗に焼きあがったチョコレートの生地がありました

「よかったぁ……」

ちょっとだけ、焦げているような匂いがするけれど……見た目には問題無さそうです
順調、と言って良いのではないでしょうか

「うんうん、唯の喜ぶ顔が見れるまで、もう少しだ!頑張れ!私!」

「ふでぺぇんふっふぅ~♪」

瓶に入っているアプリコットジャムを、スプーンですくって――

「ふるえぇるふっふぅ~♪」

二枚に切ったチョコレートの生地の、それぞれ片面へと塗っていきます
ぺたりぺたりと、ムラの無いように――

「はみだぁしちゃああっと……ああ、本当にはみ出しちゃったじゃないか……」

少しだけ横にこぼれたけれど、後でチョコレートでコーティングするから大丈夫、大丈夫!

「――よし、いよいよこれが最後の仕上げだ」

手に持っていたボールを机に一旦置いて、深呼吸

「すぅ……はぁぁ……」

コーティング用のチョコレートも完成し
あとはこれを重ねた生地へと流して表面を整えるだけ

整えるだけ、なんだけれど……
もし、ミスしてしまったら――なんて思うと、ボールから流すその一歩が、中々踏み出せません

生地を作るのには時間が掛かった
コーティングのチョコを作るのだって、何度もステンレスバットに出して、伸ばして、冷やして、戻して――
本当に手間のかかる作業だった

それを、もしここでミスしてしまったら――

……また最初から作っていたら時間なんて足りません
失敗してしまったのをそのまま唯に出すなんてことは――私自信が許せない

唯の笑顔が見たいから、そしてその笑顔は私だけに向けてほしいから
中途半端な出来だったら……

他の、唯にチョコレートを贈ろうとしている人――
高級スイーツを持ってくるムギや、完璧超人の憂ちゃんに負けてしまう
唯の笑顔が、唯の温もりが、他の人に盗られてしまう……・

「そんなの……嫌だ……いやだよ……唯……」

「うう……唯……」

――でも

「ひっくっ……んん……」

それでも、泣いていたら何時まで経っても完成しない
折角作ったコーティング用のチョコだって、時間を置けば置くほど固まってしまう

「……頑張ろう」

そう、唯の笑顔のために

私はチョコレートの入ったボールを手に――取る前に、キッチンペーパーで涙を拭います
そして、こんどこそ、ボールを手に取りケーキの上へと持って行き――

……唾を飲むと、ごくり、という音が体の内側から耳へと伝わります

「い、いくぞ……」

うう……や、やっぱり踏み出せない……手が震える……

「でも――」

でも……!唯に、唯に食べてもらうんだ……!
だから私は――ぐっと、息を飲んで、下に置いてある生地を見確認して

「――神様、お願い!!」

手に持ったボールをそこへと傾けると、ボールから一気にチョコレートが流れて――

「……っ!!」

その流れてゆくチョコレートの行方を、瞬きもせず、一瞬も逸らすこと無く追います

生地の表面へと流れたチョコレートはその表面を伝い
綺麗に表面を雅やかなチョコレートの黒色で染めながら、生地の端へと落ちて
そのまま周囲を溢れ落ちながらコーティングして行きます

その光景は乱れること無く、私の眼前で繰り返し続けられています

これは……順調、順調だぞ……!

そして私は次の工程のため身構えます
ボールの中身が無くなったら――

「い、いっきにナイフで……一回で表面を整えるんだよな……」

そう、『一回で』決めないと綺麗な艶を帯びた表面に仕上がらないらしい
チョコレートの流れが弱まり、その時が近づいてきます

そして、私は左手をボールから離し――

「……唯っ!!」

最後の一滴が落ちるのと同時に
側に置いてあるパレットナイフを手に取り、そのチョコレートでコーティングされた表面に添えて
一気に横へ、表面を撫でるように腕を動かします

左手に持ったパレットナイフを置いて

右手に持ったままのボールも、その隣へ添えるように置いて

私は、目の前のそれを……目の前の――

「うう……ひ……ひっく……っ」

ケーキを、見ると……

「でき、た……ぃっく……でき、たよ……」

さっきまであんなに流れ落ちていたチョコレートはもう固まり始めていて
その表面は、まるで黒い鏡のように滑らかで――蛍光灯の光で、キラキラと輝いていました

「ザッハ……トルテ……」

そう、目の前にあるそれは、私の知っているものと同じ『ザッハトルテ』そのものです
お店で売っている、ガラスケースに陳列されているような、ワンホールのザッハトルテ

「私、唯のために――」

唯の笑顔が見たいから
唯のあの声が聞きたいから
唯に――抱きしめてもらいたいから


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