寝室には、もう律がいた。
律を起こさないよう、静かにベッドへ入った。
「…おかえり」
澪「ああごめん、起こしたか?」
律「ううん、今ベッド入ったとこ」
澪「そうか、よかった」
律「…唯のとこ、行ってたんだろ?」
澪「…知ってたなら、来ればいいのに」
律「唯とムギはともかく、梓あたりにビンタされちゃうよ」
澪「何で?」
律「…澪を、泣かせたから?」
澪「もういいんだ、忘れろ」
律「…引越し、いつ?」
澪「卒業式の次の日だよ」
律「…そっか」
澪「家具とかはあっちで揃えるから、心配するな」
律「…見送り、行ってもいい?」
澪「もう、心配するなって」
律「わたしが行きたいんだ」
澪「そっか…」
律「ごめん、わがままで」
澪「ううんありがとう、来てよ」
それから、向こうとこっちを行ったりきたり。
必要なものを揃え、生活できるよう配置した。
やっぱりどこか、律との家に似ていた。
卒業式は淡々と行われた。
はかま姿のわたしたち。
梓や憂ちゃんも来てくれて、みんなで写真を撮った。
同じ家に居るのに、律とは別々に家を出た。
遠くで、ゼミの子たちと写真を撮る姿が見える。
わたしの写真には、一枚も写っていない。
卒業式の写真で、律と一緒の写真がないのは初めてだった。
そのまま4人でご飯を食べに行った。
最後の夜も、律は顔を出さなかった。
明日にはこの家とも…律ともお別れ。
人生の半分以上を過ごした律と、4年間暮らしたこの家に別れを告げる。
ふいに目が熱くなってくる。
でも泣かない。
固く目を閉じて、1人で眠りについた。
律「おはよ」
澪「早いな、昨日遅かったんじゃないのか?」
律「うん、でも何か寝れなくてさ」
澪「わたしもなんだ」
律「そっか」
澪「お茶淹れるよ」
律「あ、わたしがやるよ」
澪「そうか、ありがとう」
そこから、何も話さなかった。
話したいことがたくさんありすぎて、何を話せばいいのかわからなかった。
沈黙が続く。
時間はどんどん迫る。
残酷だな、もう2度と会わないのに。
澪「…そろそろ行かなきゃ」
律「そうか、じゃあ出よう」
2人で駅まで歩いた。
思えば何度も往復した道。
並んで歩くのは久しぶりだった。
なのにまだ、何も話せない。
とうとう駅に着いてしまう。
わたしが切符を買って、その横で律は入場券を買っているようだった。
改札を通っても、律は付いてこない。
駅前のコンビニの前で、タバコに火をつけていた。
その姿を遠目に眺めていた。
やっぱり様になってる。
きっとこの光景を、わたしは忘れないよ。
短くなったタバコを灰皿に消し入れて、律はこっちに向かってくる。
逃げるように、ホームの中ほどのベンチへ向かった。
誰も居ないこの駅。
腰掛けると、それを追うように律が隣に座った。
律「あのさ」
澪「ん?」
律「元気でな」
澪「…そっちこそ」
律「ああ」
澪「今まで、本当にありがと」
律「何だよ、辛気臭い」
澪「だってもう、会えないから」
律「…そう決めたのは、わたしなんだよな」
澪「そうだぞ、忘れたとは言わせないから」
律「忘れない、澪のことも」
澪「…もう、そんな風に言うなよ」
律「本当だよ、忘れない」
澪「…やめて、泣いちゃうよ」
律「…ごめん」
澪「ねえ、これ返す」
律「…まだしてたんだな、指輪」
澪「うん、何かもう体の一部みたいになって」
律「澪が捨ててよ」
澪「ダメだ、わたし捨てられないから」
律「…わかった、もらうな」
澪「はは、傷だらけになってる」
律「4年もつけてりゃそうなるよ」
澪「大切にするって言ったのにな」
律「わたしも澪のこと、そう言ったのに」
澪「…お互い、出来なかったのかな?」
律「…どうだろ」
澪「…わかんないな」
ホームにアナウンスが鳴り響く。
電車がこちらに向かってくる音が聞こえる。
もう、本当に最後なんだ。
澪「…電車、来ちゃう」
律「…澪、好きだよ」
澪「…言わないって、言ったじゃん」
律「…ごめん、本当にごめん」
澪「…やめてって」
そう言って俯いた。
涙があふれ出そうだった。
「澪」
呼びかける声に、顔を上げる。
不意にニガくて、せつない香りがした。
わたしの唇に、律の唇が押し当てられた。
「…バイバイ」
最後に聞いた言葉は、涙声で震えていた。
律の頬に涙が伝った。
その粒が落ちて、固いコンクリートにシミを作る。
それを目で追っていると、律が背中を向け歩き始めた。
段々、視界がぼやけていく。
ぼやけた律が、小さくなっていく。
電車が止まって、ドアが開く。
乗らなきゃ。
流れ出そうな涙を袖に含ませて、立ち上がった。
電車は動き出す。
初恋が今、幕を閉じた。
大切な時間の中に、立ち止まっていられない。
イヤホンをはめて、流れ出る音楽に耳を澄ます。
「いつか誰かとまた恋に落ちても」
――あなたが教えてくれた愛を、忘れない
忘れてやらないよ。どんなに胸が苦しくても、忘れない。
――あなたはいつまでも、わたしの運命の人
親友だったり、恋人だったり。大切な役目は全て、律だったから。
――あなたはいつまでも、わたしの心の中にいる
心の中に、いつも律だけの場所を作っておくよ。
――わたしもあなたの心にいれればいいのに
わたしのこと、忘れないでね。バイバイって、思い出してね。
――今も、これからもずっと、あなたはわたしの運命の人。
もう会えないけど…大好きだよ、律。今も、きっとこれからも。
今はまだ悲しい love song
新しい歌 歌えるまで
奥から奥から、涙が溢れてくる。
泣かないって、決めたのにな。
外では手も繋げなかったのに。
最後の最後で、やっと人目を気にせず恋人らしいこと出来たな。
きっと、あんなことされなきゃ、わたし泣かなかったよ。
なのに、何で。
わたしたち、もう終わったんだぞ。
知らない景色に目を向けて、さっきの感覚を思い出していた。
さようなら、わたしの幼なじみ。
さようなら、わたしの初恋の人。
さようなら、わたしの運命の人。
―――最後のキスはタバコのflavorがした。
終わる。
最終更新:2011年02月15日 22:59