澪「もしもし」
唯「澪ちゃん、元気~?」
澪「まあね」
唯「よかった~」
澪「どうかしたか?」
唯「そうそう、りっちゃんのことなんだけどね」
唯「電話しても出なくて、メールも返ってこないんだ~」
澪「…そうなのか」
唯「マンガ返す約束だったんだけどね、りっちゃんいる?」
澪「今いないよ」
唯「そっか~、どうしよう」
澪「わたしが預かろうか?」
唯「うーん、そうだね。お願いしていいかな?」
澪「うん、いいぞ」
唯「どうしよう、今から行ってもいい?」
澪「待ってるよ」
しばらくして、インターホンが鳴った。
唯「お待たせ~」
澪「いやいや、わざわざ悪いな」
唯「ううん、お願いね」
澪「どうする?上がる?」
唯「澪ちゃん、今日のご予定は?」
澪「特にないもないよ」
唯「わたしも~、だからケーキ買っちゃった!」
澪「はは、唯らしい」
唯「一緒に食べよう?」
澪「頂くよ、上がって」
唯「おじゃましま~す」
買い置きの紅茶を淹れる。
とは言えティーパックだから、ムギのお茶には敵わないけど。
澪「はい、お茶淹れたぞ」
唯「ありがと、いただきます」
澪「わたしもケーキ、いただきます」
唯「それにしてもわたし、悪いことしたかな~…」
澪「何が?」
唯「りっちゃん、わたしのこと無視だもん。何かしちゃったかなって」
澪「…違うと思う」
唯「そうかな?」
澪「いや、わかんないけど…最近話してないからさ」
唯「ケンカしたの?」
澪「…別れたんだ、わたしたち」
唯「…え?」
澪「別れようって言われちゃったよ」
唯「何で…?」
澪「うん、えっとな…」
あの日、唯達が帰った後のことを話した。
唯は紅茶から湯気が消えても、ケーキが倒れても。
そちらには目を向けず、わたしの話を静かに聞いた。
別れようと告げられたこと。
律が一生会わなくなることを選んだこと。
その日から、一言も話してないこと。
唯「…変だよ、おかしいよ」
澪「…唯」
唯「そんなの…間違ってるよ!」
澪「唯、いいんだ」
唯「よくないよ、澪ちゃんは好きなんでしょ?りっちゃんのこと」
澪「うん、大好きだよ」
唯「りっちゃんだってそうなのに…」
澪「…どうかな、もう言ってくれないよ」
唯「ううん、わたしでも言い切れる」
澪「そうだといいなって、思うけどな」
唯「なのに、何で…」
澪「いいんだ、もう受け入れたから」
唯「…このままでいいの?」
澪「仕方ないよ、わたしフラれたし」
唯「…わたしが今日、りっちゃんに話すよ」
澪「…唯」
唯「帰ってはくるんだよね?それまで待つから」
澪「唯!」
唯「だって…だって…」
澪「律はさ、幸せって何か考えたんだと思う」
唯「一緒に居ることじゃないの?」
澪「わたしはそう思う、そう思ってたよ」
唯「…じゃあ」
澪「でもさ、わたしも考えたんだ。それだと限りがあって」
唯「限り?」
澪「うん、世間一般に言われる幸せは手に出来ないだろ?わたしたちじゃ」
唯「自分なりの幸せじゃ、ダメなの?」
澪「自分、ならいいんだけど、相手が居るから」
唯「よく、わかんないよ…」
澪「わたしもわかんなかったよ、でもさ」
「仕事も始めて、離れて暮らして、寂しくなっても隣に居ない」
「忙しい毎日の中で、会えない相手を思うだけなんて辛すぎるだろ?」
「…結婚出来るわけじゃないし」
「全員が祝福してくれる関係だとは、とても言えない」
「会っても、また帰る頃には、悲しくて仕方なくなる」
「それならさ、いっそお互いのしがらみなんて、なくした方がいいんだよ」
「そうして、たまに思い出してさ」
「元気かな、幸せになっててほしいな、って」
「律のこと、そう思ってる方が、ずっと…」
唯は声を殺して泣いてた。
わたしも気付けば涙を流していた。
もらい泣きなのか、自分が悲しくて泣いてるのか、わからなかった。
「…ずっと幸せなんだと、思えるよ」
唯に言ったことは、ほとんどが嘘だ。
まだ一緒に居たい。
律のこと手放したくない、そう思ってた。
でも律が選んだことだから、仕方ないんだ。
だから目の前で泣く唯に言って、自分に言い聞かせる。
唯「…言い切れるの?」
澪「今はまだ、無理だけどな」
唯「なら…」
澪「わたしさ…律と付き合い始めた頃、自分でも間違ってるんじゃないかって思ったんだ」
唯「そんなことないよ!」
澪「でもさ、今はこうやって、別れることが間違ってるって言ってくれる唯が居る。
自分のことのように泣いてくれる、唯が居る…それで少し、救われるよ」
唯「だって…わたしも悲しいよ、2人が別れちゃうの」
澪「ありがとう」
唯「…もう、いいんだよね」
澪「ああ」
唯「本当に?」
澪「本当」
唯「そっか…わかった」
唯は赤い目のまま、黙って残りのケーキを口に運んだ。
冷えた紅茶で流し込んだ後、にっこりと笑った。
紙袋に入った数冊のマンガを残して、帰っていった。
再び、独りになった。
おもむろに立ち上がって、冷蔵庫を開けた。
律がいつ戻るか、今日戻るかはわからないけど。
律と夕食がしたい。
律と、話がしたい。
そう思って、夕飯の支度をした。
…気持ちは変わらないよ。
時間が足りないせいとは思えない。
でも、もうふたりは戻れないから。
澪「おかえり」
律「…ただいま」
澪「よかった、帰ってきて。ごはんは?」
律「…まだだよ」
澪「出来てる、一緒に食べよう」
律「…澪」
澪「もうすがり付こうなんて、思ってないから安心して」
律「…そうか」
澪「唯が来たよ、律のこと心配してた」
律「ああ…電話とか、出なかったからかな」
澪「マンガ預かってる、テーブルにあるから」
久しぶりに話した。
何日ぶりだろう、わからないや。
意外にもわたしは、きちんと目を見て話せた。
律は何だかぎこちなくて、言葉に元気がないように見えた。
その分、わたしはたくさん話した。
澪「明日、向こうの家探しに行くよ」
律「…そうか、気をつけてな」
澪「うん、やっぱ向こうは高いんだろうな」
律「そうだろうな、ちゃんと払えよ?」
澪「当たり前だろ、律こそ1人で払えるか?」
律「何とかなるよ、きっと」
澪「しなきゃいけないんだよな、1人暮らしだもん」
律「…そっか、寂しくなるな」
澪「…はは、律が言い出したくせに」
律「…ごめん」
澪「謝るなよ、また辛くなる」
律「…うん」
澪「…好きだよ」
律「言うなって…」
澪「言わせてよ」
律「だって…」
澪「大丈夫、諦めてるから」
律「そっか…」
澪「ありがとうな、今まで」
律「…こちらこそ」
澪「今日からまた、一緒に寝ようよ」
律「…それは出来ない」
澪「何にもしないよ、ただ律風邪ひいてるだろ?」
律「大丈夫だから、これくらい」
澪「ダメだ、じゃあわたしがソファーで寝る」
律「させられないよ」
澪「じゃあ一緒に寝よう、本当に何もしないから」
律「…わかった」
その日から、また同じベッドで寝た。
寝息を立てる律を横に感じながら、壁に顔を向けた。
手を伸ばせば触れられる距離。
そこに愛しい人が居ても、わたしは触れてはいけない。
もう、そう決めたから。
次の日、電車に乗り込む。
座ると途端に目を閉じた。
律からのメールは来るはずなくて、携帯はカバンにしまったままだ。
いつもより、この時間が長い気がした。
こんなに遠かったんだな。
気付かなかった。
本当に離れ離れになっちゃうんだ。
実感したよ。
向こうに着いて、最初に入った不動産屋で部屋を決めた。
ワンルームの、とても狭い部屋だった。
1人だから、このくらいで大丈夫。
独りだから、このくらいがちょうどいい。
思った以上に早く決まって、その日のうちに帰れる時間だった。
だけど、敢えて向こうのホテルで1泊した。
入居は卒業すぐ、という話をつけてきた。
それからも心配してくれていた唯にメールを打った。
引越し先が決まった、と。
すぐ返事が返ってきて、お別れ会をしようと提案してくれた。
卒業式の1週間前。
場所は、唯の家。
メンバーはわたしと唯、ムギ、梓。
律の名前はそこになかった。
当日になって唯の家へ向かうと、もう他の3人は揃っていた。
たくさんの料理は、憂ちゃんが手伝ってくれたものらしい。
ムギも梓も話は聞いたようで、律の話題は一切出なかった。
紬「寂しくなっちゃうね~」
澪「そんなに遠くないし、遊びに来てよ」
唯「絶対に行くね!」
澪「うん、みんなならいつでも大歓迎だ」
梓「わたしも行きます!」
紬「わたしも~!」
澪「3人は実家に戻るんだろ?」
唯「うん、まあほとんど憂と2人暮らしだけどね~」
梓「憂、すっごく喜んでました」
紬「相変わらず仲良しね~」
澪「…じゃあ、こっちに残るのは律だけだな」
わたしの言葉に、3人が黙った。
唯に関しては、また泣きそうな顔をしている。
澪「ムギも梓も、話は聞いてるんだろ?」
紬「…そうね」
梓「はい…聞きました」
澪「あいつのこと、悪く思わないでやってほしい」
唯「澪ちゃん…」
澪「困ってるようなら、助けてやってほしい」
紬「…うん、わかった」
梓「澪先輩は…本当にそれでいいんですか?」
澪「…ああ」
そう言って、缶ビールを口にした。
少し、苦かった。
一気に飲み込んで、のどの奥に消し去った。
唯「澪ちゃんも泊まっていきなよ~」
紬「澪ちゃんも一緒のほうが楽しいよね~」
梓「そうですよ、お願いします」
澪「ううん、今日は帰るよ」
梓「そうですか…」
澪「ありがとう梓、でも気を遣わなくていいから」
梓「そ、そんなんじゃ…」
澪「今はもうちゃんと話せるし、平気だよ」
紬「…だって、梓ちゃん」
唯「残念だね~あずにゃん」
梓「…そうですね」
澪「じゃあ帰るよ、おやすみ」
唯「おやすみなさ~い」
紬「おやすみ~」
梓「…おやすみなさい」
3人の優しさに、少し泣きかけた。
でも泣かないよ、そう決めたから。
火照る頬に冷たい夜風が当たる。
冬の夜空は澄んでいて、とても綺麗だった。
向こうは星も見えないんだろうな。
そんなことを思いながら、家に帰った。
最終更新:2011年02月15日 22:57